アルゴンに無数に存在する喫茶店。エクソリア人のコーヒーに対するこだわりは凄まじい──戦時下であっても朝昼晩のコーヒーを欠かさない人々も多い。
そんな店に入って、道ゆく人々をなんとなく眺めるのが、フェリアは好きだった。
「ハハハ、それでそいつなんて言ったと思う!? あいつさぁ──」
「そこのお兄さん、今日は珍しく芋が安いよ! 買ってきな!」
「何が安いだ! ぼったくり店はさっさと閉店しろ!」
「おい邪魔だ! 前の人どいてくれ、車が通らねえよ!」
──喧騒。この国は騒がしくて、太陽の色がする。どれだけ苦しくても人々の笑顔は失われない。
あの中の1人になって、同じように──暖かい家族と、苦しくても自由な人生を手に入れる夢想をしていた。
騒がしいエクソリアのことが好きで、そして自らを縛るエクソリアが嫌いだ。
好き勝手に行き交う喫茶店。煙草の煙、話し声。
ゴトリ──1人で座っていたフェリアの隣に誰かが座った。エクソリアでは見知らぬ誰かが勝手に話しかけてくることも全く珍しいことではない。
隣に座った人物に何となく視線をやる──
灰色の髪、鋭い目つき。ザラック、レオーネの軍服。
「──ッ!?」
「動くな。また逃げられても面倒だ」
脳裏に焼きついている。この女の顔は忘れられない。あの日──フェリアの運命が、少しずつ傾き始めたあの日に見た、レオーネの暗殺部隊……おそらくは隊長クラス。
暗殺者が気だるげな顔で座っていた。
「……わ……私を、始末、しに来たの……?」
心臓が激しく動き始める。少しの間忘れていた、死の恐怖がフェリアを襲っていた。なぜ、なぜ、なぜ──見つかった。見つかってしまった。
「レオーネは……トゥ家との、約束で……私を、殺せない……そうでしょう……?」
貴族として生きてきた中で身につけたハッタリ。あるいは、フェリアはその可能性に懸けるほかない。この暗殺者の実力は嫌というほど知っている。曲がりなりにも軍人としての訓練を受けていたフェリアたちをあっさりと蹂躙した。
「……フン。別に殺しに来たわけじゃない。あの時お前を逃したのは確かに私のミスだが、その始末を付けるつもりもない」
「じゃあ……なぜ……」
「勘違いするな。お前を見つけたのはただの偶然だ。お前が呑気に街を歩いているところを、私たちの情報網が捕らえた。それだけだ」
今すぐに殺される心配は無くなったらしいが、それでもフェリアの表情は硬いままだ。
「……じゃあ……私に、何の用……?」
「……」
つまらなさそうに街を眺めていた暗殺者の瞳がフェリアへ向いた。
「ジョシュア・リ・トゥを殺せ」
「……は?」
──運命とは突然やってくるものだ。
あるトランスポーターの言葉を借りるならば、「その日」は突然やってくる。
「私に、父を殺せと言っているの……? なぜ? 私が、それに頷くとでも?」
「チッ……。くだらん取引だ、何もかも……」
こんな世界で生きているならば、信じていたものや、暮らしてきた場所が突然壊れることがある。そしてそれは唐突にやってくる。
「レオーネも急造品だ。そのせいで貴族連中が入り込んでくる。トゥ家にもたらされた取引も、そのせいだ。だがそんなものは、あのバカには必要のない」
あのバカという言葉が何を指すか分からないが、この暗殺者はそれらレオーネには必要のないものを処理していくのが仕事なのだろう。
エールの欠けた右腕を補う存在。それがこの暗殺者の女。
「……別に、私が殺してもいい。だが……個人的に気に入らない。だからこの役目は、お前に譲ってやることにした」
「譲る? 何を言っているの? トゥ家はレオーネと取引をした、それを反故にするというの?」
ジョシュアがレオーネと何の話をしたかまでは知らない。だが……レオーネの裏切りを見過ごすわけにはいかない。
暗殺者は嘲る。
「お前は何も分かっていない。はっ……その取引が何だったのか、教えてやろうか?」
それは、
「旧ステラ軍学校の連中のことをレオーネに売ったのはジョシュアだ」
──視界が眩んだ。
「……何を…………言っているの…………?」
「貴族の息子たちが、クーデターを企んでいる──と、ご丁寧に集会の予定まで添えてな。その見返りとして、ヤツはレオーネの上層部にポストを要求した」
フェリアにとっては信じ難い真実。
「ヤツは貴族でありながら貴族を売った。親でありながら子であるお前をレオーネに売った。私も裏に住み着いて長いが、ヤツほどのクズはなかなかいない。お前が生きて戻った時、ヤツは心底驚いただろう。それこそ、殺したはずの娘が生きて帰ってきたんだからな」
「嘘を……そんな、わけがない…………」
「そして今度は、ヤツ自身が得られるはずだったその席を娘に譲った。随分虫のいい話だ。殺そうとしておいて、結局ヤツはお前を殺さなかった。生きていると分かれば、真実を隠したまま都合のいい駒としてレオーネに送り込もうとしている」
「…………!!」
「おかしいと思わなかったか? 反レオーネで固まっていたはずの旧ステラ軍学校の連中は、決して裏切ることなどない。そんな面倒なことをするならば、最初からレオーネへの編入を受け入れた方が早い」
『完璧な隠蔽など存在しないが、それでも不可解なほど情報が漏れている時がある。その時はまず、身内を疑った方がいい』
フォンの言葉を思い出す。
あれから裏切り者の存在を疑ったことはあった。だが、結局怪しかった仲間はいなかった。裏切る理由も分からなかった。あの裏切りで得をした人間も見つからなかった。
「レオーネにこれ以上余計な貴族は必要ない。まして、娘を売り渡すようなゴミはもっと必要ない。ジョシュアはそんなことにも気が付かない無能だ」
フェリアの中にあった何かが壊れていく。
「譲ってやると言ったのはそういう意味だ。ヤツを殺した後は好きにしろ、追う気もない。ただし、二度と私に面倒ごとを処理させるな。次はない」
ふらり、と。フェリアは立ち上がった。
貴族にしては小さな家だ。
リン家のようなヴィクトリア調の豪華さもない、伝統的なエクソリア貴族の家だ。
ジョシュアは書斎で何かを調べているようだった。だが、そんなことはもうどうでも良かった。
「……フェリアか。何か用か? 私は忙しい。急ぎでないなら後にしろ」
「一つだけ……答えてください、お父様。あなたは、私の家族で……ずっと、このトゥ家の繁栄のために生きているんですか?」
「突然、何を言う? 当然のことを答えさせるな」
ジョシュアは顔も上げない。
「答えてください。私を裏切ったんですか?」
「なに……?」
初めてジョシュアが顔を上げた。
「愚かなことを聞くな。このトゥ家を守り、存続させることが私の使命だ。裏切りなどという唾棄すべき行為など、私が行うわけがない」
「……じゃあ──」
信じていたかった。
それがフェリアを縛るものだとしても、ジョシュアはただ1人の家族であり、父だ。
「じゃあ答えなさいッ!! レオーネに何の情報を差し出したのかッ! その対価に何を得たのかッ!! この私に言いなさいッ!!」
「……」
「私はずっとあなたの命令に従ってきた!! それが身を守るための、ただ一つの方法だと信じて──あなたは私のお父様だから、きっと私を守ってくれると信じていたッ!!」
腰のホルダーに手を伸ばす。
フォンに渡されたクロッグには一発の弾丸が装填されている。
「お母様が最後に、お父様の言うことをよく聞いて生きなさいと言い残したからッ!! 私はその言葉を守ってきた!! 信じてきたッ!! だけど……!!」
「私にそれを向けるなッ! 父親に、武器を向けるなど──」
「黙れッ!!」
引き金にはすでに人差し指が置かれている。照準は既に合っている。
「答えろ、ジョシュア・リ・トゥ! レオーネに、私を売り渡して、殺そうとしたの!? 私を裏切ったの!?」
誰も信じてはいけないと教えられた。
「……強くならなくては、この大地では生きていけんのだ……!」
──そのジョシュアの言葉が聞きたくて、そして聞きたくなかった。
「フリーダを守れなかったのは、トゥ家が弱かったからだッ!! 弱いものは奪われる! トゥ家は強くならなくてはいけない! レオーネの上部に食い込み、失われたトゥ家の強さを取り戻すのだッ!! そして、そのためにお前がいるッ!!」
もうとっくに壊れていた。
母を亡くしたあの日から何もかも変わってしまっていた。それを分かっていながら、フェリアは分かっていないフリをした。
「成果を上げろ、フェリア!! 私たちは、強くなくては生きていけないのだッ!! 私を裏切るな、フェリア!!」
「黙れッ!! この……裏切り者が!! トゥ家は北部を裏切って逃げた!! シャンバを捨てて逃げ出した!! リン家は南部を裏切った!! あなたは私を裏切った!! 何もかも嘘に塗れてる!! だけど──もう私は!! もうこれ以上私自身を裏切らないッ!!」
「やめろ、フェリア! 私は、まだ死ぬわけには──」
パァン!!
硝煙が上った。そして流れた血が、床にゆっくりと赤い模様を作っていく。
静寂の中で、フェリアの両目から涙が流れていた。それは怒りであり、悲しみであり、後悔であり、喜びであり、絶望であり、同時に希望だ。
破壊とは解放だ。隷属の鎖から解き放たれるには壊すしかない。殺すしかない。
「はぁッ……はぁッ……! これで……」
これでフェリアを縛るものは何も無くなった。もはやフェリアに命令を下す者は居なくなり、血の繋がりも途絶え、1人になった。
殺した。自分の意思で、自分の手で、父を殺した。最後の
自分の中にあった何かが決定的に変容し、もう二度と元の自分には戻れない。人を殺すとはそういうことだ。この殺人という事実はフェリアの中で、永遠に罪を叫び続けるだろう。そして消えることはない。
これで、良かったのか──?
父だったものを見下ろして、フェリアは少しだけそう思った。後悔はない。だが──こうする他になかったと割り切るには、フェリアの中でジョシュアはあまりに大きな存在だった。
「そうだ。それでいい」
背後から突然声がして、フェリアは振り返って銃を向けた。
「自らの道は、自らの意思で決めるべきだ。たとえその選択が、あるいは裏切りと呼べるものでもな」
──黒い男。フォンが立っている。
意外なことに、フェリアはフォンの存在が意外ではなかった。どこに居ても不思議ではないし、きっとフォンには全て分かっているのだろう。
何となく感じ取っていた。それはエールから感じ取ったものであり、そしてフォンからも感じ取ったものでもある。それは破壊の気配、全てを破壊して──全てを荒野に帰そうとする、
「……あなたは、知っていたのね。全て……」
「ああ、知っていた。そしてこうなるだろうと思っていた」
あっさりと答えるフォン。つまり、最初からジョシュアがフェリアを裏切っていたことを知っていた。その上で──敢えてフェリアには真実を告げず、そして自らの手で選択をさせたのだ。
「その銃は役に立ったか?」
「……返すわ」
元ある場所へ。アルゴンにたった一丁だけ存在するオリジナルのクロッグ17の握りを確かめて、フォンは銃を仕舞った。
「これも全て、あなたの計画?」
「さてな。ただ一つ言えるのは──あの襲撃でお前が生き残ったのは、オレも予想外だった。あれはお前自身の切り拓いた道だ」
「……そう」
フェリアが何を思ったのかは定かではない。だがもう、その瞳からは涙は流れていなかった。
「運命とは予測できるものではない。だが同時に、運命に隷属する者は破滅する。そして運命に抗うものは、苦難の道を往くことになる。オレも、そしてお前も──」
そう言いながら、フォンはジョシュアの死体へと歩いていき、そして直前まで座っていた机に目を落とす。一冊の本が開いたまま置いてあった。
「……シャンバ。塔と……そして……? これは……」
文字に目を滑らせて呟いていくフォンの口元は少しずつ歪んでいく。
「鍵……クク、ククク……なるほど、なるほどな。ハハハ、なるほど! 運命は予測できるものではないな。これがあるいは、お前の……そして、オレの運命か!」
──また新たな情報を得たようだ。フォンはいつになく上機嫌に笑い、そしてフェリアを見る。
「──オレと共に来い、フェリア。世界が変わる様を見せてやろう」
人の形を悪魔が笑っている。
フェリアはまっすぐに視線を返して──
「……見せてもらうわ、フォン。あなたの運命の先に、何があるのか」
その手を取り、そしてジョシュアの死体を背にして歩き出した。
「ちなみに、どこへ行くのか聞いていい?」
「クルビアだ。忙しくなる」
先はまだ見えずとも、手に入れた自由の赴くまま──果てを目指す。
冥界と豊穣の神 了
この章では数人の間幕っぽいオムニバスストーリーをお届けするぜ! 今回はフォンくん(26)とフェリアちゃん(22)の話でした。
・フェリア
フォンの計画通りにまんまと手駒にされてしまった
・フォン
本来なら旧ステラ軍の貴族子息を丸ごと手に入れようとしていたが予定が狂った。結果はオーライかもしれない。新しい仲間ができてよかったね!
・暗殺者の人
フォンの存在を見落とすという特大ガバを犯す。一体何ベンジャーさんなんだ……
女の子には結構甘い。
・ジョシュア
力を追い求めるうちに、いつしか手段と目的が入れ替わり、そして本当の望みも忘れてしまった悲しきおじさん。死亡確認!
・冥界と豊穣の神
プルート、もといプルトン。エクソリアでは巨大な偽札の山を指すがさっぱり登場しなかった。こんなはずでは……
そんなわけで次の投稿までしばらくお待ちを……