猫と風   作:にゃんこぱん

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雲と灰色-3

『ここが……俺たちの住む、場所なんですか』

『そうだ。まだ名前も決まってないがな』

『ここでなら、俺たちは……平和に暮らせるんですか』

『周辺諸国への通達は済ませてある。少なくとも、手出しはしてこないはずだ。あとは君たちと私たちロドスの努力次第だな』

『……ここが、俺たちの──』

 

不安要素は強かったと思う。この村は完全な自治が必要だったし、犯罪歴のある感染者も多かったというか……ロドスが受け入れきれなかった感染者の行き場だったからだ。

 

もしも外部からの障害がなくとも、内側から──というのは、あり得た話だ。

 

世の中に締め付けられてきた彼らが、心の奥底で何を思っていたか。ロドスは感染者を助けようとする組織だが、感染者からの逆恨みは珍しくない。

 

なぜもっと早く助けてくれなかったのか、なぜもっと強い援助をしてくれないのか。

 

非感染者を皆殺しにしろと言う感染者さえいる。

 

それでも。

 

『ここが感染者にとっての希望となり得ることを、心から願うよ』

『希望……』

 

だから、ケルシー先生はそう名付けた。

 

『そうだな。ではEsperanza(希望)と名付けよう。Ace、どうだ』

『先生にしては珍しいネーミングですが……いいと思います。ブラスト、どうだ』

『僕も賛成です。じゃあ、エスペランサ村ですか?』

『えー、長くない? もっと短い方がいいって』

『フフ、そうかもしれんな』

『いや、ブレイズ……これがいいよ。僕はそっちの方がいいと思う』

『そう? まあ……ブラストがそう言うんなら、私も別にいいかなぁ』

『では、そうしよう。君、それで構わないか』

『はい、ロドスのみなさんが決めた事なら……それで』

 

最初の住人は、大体100名前後だったかな。それだけの数から規模を拡大させ、今では400名を越す住人を抱えた村へとなった。

 

これを足がかりにして、もっと感染者の希望を増やしていけるように。行き場をなくした人々に居場所を与えられたら。人々自身が自分の居場所を作り出していけたのなら。

 

こんなに嬉しいことはない。

 

それはもはや、僕自身の希望だ。

 

『あの……ありがとうございますっ! 本当に、ありがとう……!』

『構わんさ。ギブアンドテイクの一つだ。君たちにはこれからも苦労して行ってもらう予定だからな』

『それでも、ありがとう……!』

 

ギノの感謝の言葉を覚えていた。

 

その時初めて、僕はロドスのやろうとしていることが一体何を意味するものなのか理解した。

 

これだ。

 

ロドスが感染者を助けるのは、この景色を世界中に広げるためなんだ。

 

ケルシー先生への恩返しのためにロドスに入った僕は、この時初めて、夢とも使命感ともつかぬ思いを抱いた。

 

──人々を救おう。

 

──僕がケルシー先生に助けられたように、僕も誰かを助けよう。

 

──それが、僕のやるべきことだ。

 

それが今の、エリートオペレーターBlastを作り上げた思いだ。

 

今でもそう信じている。

 

 

 

 

 

「じゃあ、一旦僕らはロドスへと戻ります。検診は予定通り明日も行いますから、そのようにみなさんに伝えておいてください。何かあればこっちのイミンが残ってるので、こいつに。イミン、頼んだよ」

「はい、自分に任せといてください」

「うん。それじゃ、グレースロート。帰るよ」

「分かった」

 

素材を詰め込んだ車両にブラストたちはイミン一人を残し、一旦ロドスへと撤収する。村の人数もあって、定期検診は二日間に分けて行われる予定だった。

 

イミンを残したのは、ブラストの気遣いだった。

 

家族を無くしたばかりのイミンには、自然に囲まれた場所での時間が効果的だと判断したのだ。少しでも気を抜いて、立ち直って欲しいというのは隊全員の総意でもあった。

 

──イミンは移動都市の出身ではない。このエスペランサのような、自然に囲まれた集落の出身だ。故郷に近い風景を見て、イミンはロドスに来る前の生活を微かに思い出した。

 

源石(オリジニウム)に対する知識、および鉱石病に対する知識が少ない集落だった。閉鎖的で、未知のものに対する免疫が少なかった。

 

イミンはそんな集落に怒りを覚え、鉱石病の妹と、自分の鉱石病を治すために、兄妹二人だけでロドスへと辿り着いた。

 

両親はそんな自分に援助を惜しまなかった。鉱石病を治すことはできないが、援助してやることはできると言い、無理をして多額の資金をイミンに渡した。

 

愛されていたと思う。

 

──そして、全員が死んだ。

 

最悪だった。妹の里帰りに、サルカズの傭兵団の略奪が重なった。運が悪かった──。

 

イミンだけは、里帰りよりも訓練を優先して生き残った。イミンだけが。

 

サルカズの悪名通り、惨たらしい死体が残っていたらしい。

 

その知らせを受けて、イミンは浮遊感にも似た現実味のなさと、じわじわと襲い掛かる苦しみに襲われていた。

 

自分一人が生き残って、何かなるのだろうか。意味があるのだろうか。

 

両親に感謝していた。妹を愛していた。

 

不思議なことが一つだけあった。

 

自分の人生において故郷であった集落には、そこまで感情の比重をおいていなかった。

 

それなのに……なぜこんなにも、虚しい──?

 

エスペランサに沈む夕日を見ていると、答えがようやく出せた。

 

自分にはもう、帰る場所がないのか。

 

「イミンさん、部屋はこっちに用意してあります」

「……ギノさん。ありがとうございます」

 

あてがわれた部屋と、食事。いい部屋だと思う。

 

「その、何か……ありましたか?」

「──あ、ああ。自分ですか。いえ、なんでもありません。エスペランサの皆さんに落ち度は何もありませんよ。自分にはお構いなく」

「そう、ですか……。じゃあ、俺はこれで。おやすみなさい」

 

ギノは扉を閉じてゆっくりと出て行った。

 

自分はそんな顔をしていたか。

 

隊のみんなにも今朝からずっと気遣われている。

 

こんな風では、副隊長は務まらない。しっかりしろ、イミン。

 

食事を終えて、すぐに寝ることにした。

 

あまり考えるのも良くない。時間が経てば、いずれ風化してくれるはずだ。

 

 

 

 

 

深夜。

 

早く寝過ぎたせいか、真夜中にイミンは目を覚ました。

 

もう一度眠ろうにも、眠気がさっぱりない。外を歩くことにした。

 

真夜中といえど、月が出ていた。

 

夜の風に揺らされて、草葉が月光に照らされている。幻想的な風景だった。

 

──話し声が聞こえてきて、イミンは反射的に足音を消し、身を潜めた。

 

耳をすませる。

 

「──し、連中は午前中には到着する。予定通りだ」

「くくっ……。これで連中が持ってくる物資、奪いたい放題って訳か。いや〜、感染者を助けてくれるのか。助かるぜ……くく!」

「声を出すな。まだ村に一人、ロドスのヤツが残ってる」

「疑われてねえだろうな」

「それはない」

「なぜ言い切れる?」

 

複数人だ。

 

近い──。

 

「ひどい表情してたからな。あれで任務なわけがない」

 

聞き覚えのある声。

 

ギノだ。

 

この会話内容──間違いない。何かを企てて──。

 

「で、本当に俺たちのその後は保証してくれるんだろうな」

「天下のサルカズが信用できねえか。そりゃそうだ。警戒心は大事だぜ〜? まあ安心しろよ。俺らがお前らを殺す必要なんてどこにもないだろ? お前らは俺ら傭兵団に飯を提供する。俺たちは脅威からお前らを守る。ギブアンドテイク。何度も言ってることだよ」

「それで、ロドスの人たちはどうする気なんだ?」

「まあ皆殺しだな。逃げられちゃ面倒だ。……おっと、罪悪感が湧いたか?」

「はは、まさか。……連中は感染者の裏切り者だ。結局俺たちから搾取してるだけの偽善者の集まりだよ。罪悪感なんてあるわけがない」

 

強い、怒りを覚えた。

 

サルカズの傭兵団……どこからかこの村に入り込み……。

 

「でもロドスの奴らの装備は充実してる。勝てる見込みが本当にあるんだな?」

「ロドスなんて聞いたこともねえ。別にBSWやらそこいらの傭兵相手にするわけじゃなし、俺らが負ける訳ねえ。製薬会社なんだろ? 医者の真似事してる連中に、俺たちが遅れをとるものかよ」

「なら安心だ。奴らめ……俺たちから容赦なく奪いやがって! クソ、何が感染者のためだ、こんな田舎に閉じ込めておいて、白々しく正義を語る資格なんか、あいつらにはありはしないってのに!」

 

いいかげん我慢の限界だ。

 

──とても、愚かだ。救いようがない。

 

つまり、ロドスを売ったのか。この村は──。

 

一刻も早く隊長にこの事実を伝えないといけない。

 

足を返して──。

 

「……おい、そこに誰がいやがる?」

 

夜に──。

 

最後に、仲間たちの顔が思い浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ねえ、ちょっと車が速すぎる気がするけど」

「イミンから来る予定だった定期連絡が、昨日の夜から途絶えている。何かあったか分からないけど……胸騒ぎがする」

「誰かに襲われたとか」

「まさか。あの村にそんな人はいないし……イミンは強いよ。ちょっと気が抜けているだけだと思う。ここのところ、イミンはずっとそうだったし」

「彼の故郷、この前襲われたって──」

「そう。ここのところなんか危ない顔すること多くてさ。今夜あたりにでもみんなで宴会でもして元気付けてやる予定だった。……急ぐよ」

 

アクセルを踏む。

 

草原の道に車両が大きく揺れた。

 

「Blastより行動隊B2各員へ。ないとは思うけど、村で何かが起きているかもしれない。装備を整えておいて。医療班および資材班は、念のため、村から一キロ離れた場所で車両を止めて、僕の指示があるまで待機。その後十分以内に僕から連絡が無ければすぐさまロドスへ引き返してこの事実をケルシー先生に伝えること」

『了解っす。でもそこまでする必要あるんすか?』

「なんか、嫌な予感がするんだ」

『根拠ないんすか……』

「いいや──。あるよ。今日は……天気が悪い。ほら、雨が降りそうだ」

「気のせいじゃないの。今日は降らないって予報が出てた」

『ま、杞憂なら心配性の隊長を笑ってやればいいだけっすね』

「そういうこと。グレースロート、君も心の準備はしておくんだ。もし戦闘になっても、僕はまだ君を戦わせる気はない」

「……分かった。指示には従う」

『Blastさん。村までもうすぐです、医療班はここに車両を停止させます』

『資材班、同じく』

「了解。……何も無ければいい。それでいいんだ……」

 

車両の後ろに行動隊B 2、僕たちを含めて九名を乗せて、エスペランサ村へ。

 

……天気が悪い。

 

村の入り口に車を停める──。

 

「各位へ。すぐに車両から出て不自然にならない程度に散らばれ」

『了解』

 

車から出る。昨日のようにギノが駆け寄ってくるが、その表情が硬い。

 

「やあギノ。イミン知らないかい?」

「ブラストさん、大変なんです! 実は昨日の夜、サルカズの傭兵団が村へ来てて──」

「サルカズの傭兵団……。クソ、ビンゴか! 村の人たちはどうしてる!」

「山のほうに避難してます!」

「そうか、それで人の気配がないのか……! イミンは!?」

「その、僕らが避難する時間を稼ぐために──でも、適当なところで切り上げて逃げるって」

「……。どっちだ、すぐに向かうよ!」

「あっちです!」

 

すぐに剣を取り走る────。

 

 

 

 

 

ここで、グレースロートは一つの決断に迫られていた。

 

「あっちです!」

 

ギノが指差した、村の中央への道へ走り出そうとするブラストに──ギノが、隠していたナイフを振り下ろそうと──。

 

ブラストが焦燥のあまり、普段なら容易に気がつける殺気に気がつかなかった。また、ギノとは長い付き合いで、警戒心が一切なかった。ブラストは、ギノを信用していた。

 

これらの要因が重なり、首へ振り落とされるナイフに──。

 

グレースロートだけが気がついていた。

 

ボウガンはとっくに構えていた。村に近づくごとに、何か異様な気配がした。ギノ以外に人が誰もいなかったのは、ただ事ではないことが容易に分かった。

 

グレースロートなら、ナイフを振り落とすより先に脳天を打ち抜ける。その自信と、繰り返した訓練の積み重ねがある。

 

ボウガンには矢が装填してある。両手に構えてある。

 

グレースロートはまだ、人を撃ったことがない。

 

人を殺したことがなかった。

 

当然だ、本来ならまだドーベルマン教官のもとで訓練段階にあったはずだ。

 

そもそもロドスの理念からして、行動隊とてそう簡単に人は殺さない。ロドスは傭兵斡旋会社でも民間軍事組織でもない。

 

エリートオペレーターでさえ、殺人を犯すのは本当にやむを得ない場合だけだ。

 

命を奪えば、その歪みが倍になって襲ってくることなど、ロドスのメンバーは重々承知していたから。

 

人を殺すことに恐怖があった。

 

いつか見た感染者の暴動、倒れる人々。人混みへ消える父の、二度と見れない背中。

 

こびり付いた赤い血に、仲が良かった友人の狂気に染まった姿。

 

何度も何度も、何度も何度も何度も何度も──……とっくに死んでいるような人間に馬乗りになって、薄汚いスパナで何度も頭部を殴り、頭蓋骨を砕いて飛び出した脳漿の色。

 

恐ろしい怒号。悲鳴、砕ける音、千切れる音、殺す音。殺す声。

 

何もかもが信じられなくなったあの日。

 

忘れたくとも忘れられない、真っ赤な血に染まった世界。

 

きっと生涯、自分は人を殺すことはない。それだけは、自分があの暴動を起こした感染者と同じになるのはダメだ。

 

あんな恐ろしい人々の中に、自分が加わっている景色は、想像しただけで──吐きそうになった。

 

あんな人たちと一緒の存在に堕ちたくない。

 

この手が真っ赤に汚れるのが怖い。

 

怖い。

 

怖い。

 

怖い──……。

 

『僕はブラスト。さっきは大丈夫だった?』

 

怖い。

 

『感染者が怖い──……。そうか。人が信用できないのか……。なら、こういうのはどうだろう。本当にロドスが信用できないか、試してみるっていうのは。そうだな……せっかくだし、僕の命でも賭けようか。ロドスが命を懸けて人々を助けようとしていることを君に証明しよう』

 

怖い。

 

『んー……。でも具体的にどうしようかな。君、狙撃手だよね。だったらこうしよう』

 

怖い。

 

『君がもしも、これから先──僕のことを微かでも信用できないと感じたら、そのボウガンで僕の頭を撃ち抜けばいい。僕は抵抗しないし、君はいつでも好きな時に僕を殺せばいい。ケルシー先生には僕から言っておくよ。僕が死んだときは、それは事故で、全部僕の自己責任だって。それでどう?』

 

怖い。

 

『って、こんなイカれた提案受けるわけないよね──って、いいの? マジか。ま、一度言ったことは取り消さない。信頼っていうのは、この命をかける価値がある。特に、君みたいな子供からの信頼をこの命一つ賭ける程度で得られるんなら儲けもんだしね』

 

怖い。

 

『僕は大人だから、君を守り、導く義務がある。君、名前は』

 

怖い。

 

この名前に真っ赤な血がこびりついて、私を蝕む未来が、怖くてたまらない。

 

怖い。

 

汚れた手を、もう一度取ってくれる誰かが現れないかもしれないと考えるのが怖い。

 

怖い。

 

『私は……』

 

怖い。怖い、怖い怖い怖い──怖い。

 

「グレースロート。それが私の──……ッ!」

 

でも。

 

ブラストを失うのは、それよりも怖かった。

 

ギノの頭部を矢が貫いた。血と脳漿が、感染者の希望の地へ飛び散って、汚れた。

 

 




・ギノ
感染者の青年。救ってくれたにもかかわらずロドスへの反感があった。
村のリーダー役をしていた。無事死亡

・グレースロート
初めて人を殺した。
シリアスの元凶。
かわいい

・イミン
行動隊B2の副隊長。無事死亡

・サルカズの傭兵団
ぐへへへって笑いそう
今回の敵役

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