少女は、やはり酷い状態であった。
その小さな顔は、頬がこけており、その上にはっきりとした涙の跡が残っていた。
どれだけ泣き続ければそうなるのだろうか……。
さらに正面から見て気付いたが、そのやせ細った体には、所々に痣のようなものがあり、少女の痛々しさをさらに助長させていた。
あまりに目の前の光景が衝撃的過ぎて、言葉を失い、そこに立ち尽くすことしかできなかった。
予想通り、少女の年齢は自分より少し下くらいで14~16歳くらいに見えた。
普通なら部活動で仲間と切磋琢磨し合い、友達と遊び尽くし、時には恋愛に身を投じ、青春を謳歌する年頃。
それが俺にとって、いや俺の生まれ育った地での当たり前のことであり、常識であった。
ここが異世界だと、元の世界とは別なのだと、改めて突き付けられたようだった。
「お、お見苦しいところを見せてすみません。ど、どうかお許しください…‥‥。」
少女は、こちらの姿を確認するや否や恐怖に目を見開き、素早く、冷たい石畳の上で土下座をして、枯れ切った声で許しを乞うてきたのだ。
目の前で起きていることが理解不能だった。
……この子は一体何をしているんだ?
なぜ謝っているんだ?
少女は、頭を地に擦り付けるように土下座を継続させており、動く気配はない。
小さな白い背中は恐怖でなのか、ブルブルと震えている。
「……や、やめてくれ!」
あまりに衝撃的なことの連続で頭が追いつかなかったが、やっとのことで、そう声を絞り出した。
訳は分からないままであったが、とにかく目の前の少女にいち早く土下座をやめてほしかった。
「……っ、も、申し訳ございません。不快な思いをさせ申し訳ありません。」
しかし、少女はこちらの怒りを買ったと勘違いしたのか、さらに謝罪を重ねてくる。
そして今度は、その額を本当に地面に擦り付けてきたのだ。
ズリズリと皮膚が擦れる鈍い音が聞こえてきた瞬間、俺は駆けだしていた。
1歩進めるごとに悪臭が強くなっていったがどうでもよかった。
少女の元まで駆け寄った俺は、改めて少女の姿を見た。
一糸まとわぬ姿で土下座を続ける少女は、俺が側まで来たことで何かをされると思ったのだろう、「何卒ご慈悲を……」と消えりそうな声で何度もそう呟いている。
俺は身に付けていた、魔力の強い魔物の毛皮で作られたという無駄に豪勢な真っ黒なローブを外し、その場に片膝をつき、少女の背中にそっとかけてあげた。
魔法使いだからと雰囲気を出そうと買ったものだ。一応魔法攻撃を和らげるという効果はあるらしいが、風で靡くわ、動きにくいわということで正直鬱陶しいと思っていた代物だ。
「っ!! ……???」
ローブをかけた瞬間、少女はビクッとしたが、しばらくしてただローブをかけられただけだと分かったようで、状況がわからないといった様子だ。
「……あー、こういう時なんて言えばいいか分からないが、俺は君の敵ではないし、危害を加えるつもりもない。だからとりあえず顔をあげてくれないか?」
なるべく言葉を選びながら慎重にそう言うと、少女は、しばしの逡巡の後ゆっくりと顔をあげてくれた。
「あ、あの。これは一体……」
額を赤くした少女は、背中にかけられたローブの端を持ち上げ、そう問いかけてくる。
「……あぁ、調子に乗って買ったんだが、いらないからあげるよ。」
「えぇ!? そ、そんな……こんないいものを頂けないです。」
ローブをあげると言うと、少女は真っ赤な目を大きく見開き、慌てたようにそう言いながらローブをこちらに返してこようとしてくる。
「いやいやいや、裸になられる方が困るから! いいから、君がもらってくれないなら捨てるつもりだったから。」
と、無理やり押し付ける形で少女にローブを渡した。
少女は最後まで申し訳なさそうにしていたが、俺が「じゃあ捨てる」と一点張りの姿勢を崩さなかったため、最後には折れてローブを羽織ってくれた。
「あたたかい……」と独り言なのか、思わず漏れた言葉なのかは分からなかったが、少女がポソリとそう言っていたので、俺のローブが役にたてたようでよかった。
少しブカブカだけど……。
「後、とりあえずこの水を飲むといいよ。まだ口をつけてないから。」
と、俺がクエストに持っていくように買っていた予備用の革袋に入った水を与えると。
「……い、いいのですか? ローブに続いて、貴重な水まで頂いて?」
「貴重? ……ああ、いいよ。まだ持ってるし。」
「あ……あぁ、ありがとうございます……。」
俺の答えに、とうとう少女はその瞳から涙をこぼしながら、何度も感謝の言葉を口にした後、ゴク……ゴクとゆっくりと水を飲みだした。よほど喉が渇いていたのか、革袋に入っていた水の半分ほどを飲み干してしまった。
その様子を見て、ある疑問が浮かんでくる。というのも水はこの町の井戸からいくらでも汲めるはずなのだ。少なくとも飲み水に困るということはないはずだ。
やはり、こんな酷い状態になっていることからも何か事情があるのだろう。
この短い間のやり取りでも分かるが、この子からは悪意と言ったものはまったく感じない。普通に礼儀正しい良い子というイメージだ。
「……それで、君はここで何をしているの?」
少し落ち着いてきたこともあり、なぜこのような状況になっているかを聞くことにした。
俺のこの質問に、少女は悲しそうに、しかしどこか諦めたように顔を俯かせながら答えてくれた。
「……何もしていません。ここが私の住処なのです。」
水を飲んだことで喉に潤いがもどり、そこから発せられた綺麗な透き通るような声で帰ってきた回答は、信じられない内容だった。
……住処?? これが??
あたりを見渡しても何もない。ただの路地であるここが目の前の少女にとっては住処らしかった。
「……親はいないのかい?」
「はい、3年前に……。」
「……そうか。」
今日一番悲しそうに答える彼女の反応を見ると、親は既にこの世にいないことが伝わってきた。
なぜ亡くなったの? なんてことまでは流石に聞くつもりはなかったが、この年で親がいないというのは、どれほど心細いことだろうか。加えてこのような生活環境。少なくとも俺には耐えられる自信がない。
「……じゃあ、これは一体? 自分からこうしたとは思えないけど。」
ここで俺は、最初に少女が纏っていたボロボロで様々なものが付着した毛布を指して、そう聞いてみる。
「これは……運よく町のゴミ箱に捨ててあったので、これを服代わりにしていたのですが、私のことを疎ましく思う住民のかたから、色々なものを投げつけられてしまい……。」
「どうしてそんなことを……。」
「それは……。」
ここで、少女が続きを言うか言うまいか悩みだした。
何かは分からないが、彼女にとって言いたくないことなのだろう、親の死以上に。
しかし、これではっきりとした。
理由は分からないが、少女はこの町の住民から嫌がらせ、それも死につながるようなものを受けているのだ。井戸が使えないのも、禄に食事をとっている様子がないのも、そしてまともな衣服をまとっていないのも恐らくそれが原因だろう。
それだけ分かれば十分だ。
「やっぱり訳はいいよ。それより行くよ。」
「……え? い、行くというのは?」
話すべきかどうかずっと悩んでいた少女にそう声をかけ、俺は立ち上がった。
少女は俺が何をしたいのか見当がつかず、キョトンとした顔で俺を見上げてくる。
俺はそんな少女を見て、なるべく安心してもらえるように微笑みかけた後、視線を少女から外し、目を閉じ意識を集中する。
そのまま体内に眠る魔力の流れをコントロールしていき、ある魔法を発動させる。
瞬間、この暗い路地に眩い光が満ち、またすぐに光が収まる。
視界に入ってきたのは、先ほどの暗い路地でなく、煌びやかな装飾が施された大きな部屋だった。隅々まで掃除が行き届き、絨毯、ソファ、ベッド、タンスに至るまで全てが名だたる職人によって作られた高級品であり、まるで貴族の部屋である。
ここは俺の宿泊している宿の部屋だ。
多少いい部屋に泊まりたいという欲があったとはいえ、正直ここまで高級な部屋じゃなくてもよかったのだが、将来の英雄様にはこちらの部屋がお似合いですと、宿主によって半ば強制的にこの部屋になったのだ。
ちなみに一瞬でここに来れたのは、瞬間転移魔法を使用したからだ。
この世界では最高難度に数えられる魔法の一つだが、チート能力を持つ俺が少し練習したら、すぐに使えるようになった。とはいえ、転移ばかり使っていても体がなまるので普段はあまり使わないようにしているが。
そして何も聞かされずに突然ここに連れてこられた少女はというと、何が起きたのか訳が分からないのと、この部屋の豪華さに驚いてなのか、キョロキョロと何度もあたりを見回し、慌てふためいていた。
その様子はまるで最初にこの部屋に来た時の俺のようで、少し笑ってしまった。
「ぁ……み、みっともないところを見せてしまい申し訳ありません。し、しかしここは一体……?」
笑われていることに気付いた少女は少し恥ずかしそうに、白い肌を僅かに紅潮させ、そう聞いてきた。その様子は、今日初めて見る年相応の反応であり、少し嬉しくなってしまった。
「ここは俺が泊っている宿屋だ。魔法で移動してきたんだよ。」
そう言い、俺は部屋の中央にある無駄に豪華で大きなテーブルに近づき、その上にあったベルを手に取り、チリンチリンと鳴らした。
間もなくして、部屋の扉からコンコンと控えめなノックの後、
「失礼致します。お呼びでしょうか?」
と、メイド服に身を包んだ一人の若い女性が部屋に入ってきた。
コスプレなどではない、正真正銘のメイドさんだ。
なんでも宿屋の高級部屋には、世話係がついているのが常識なのだとか。俺も初めて聞いたときはたまげたよ。
これまで世話係がいる生活などとは無縁だったため、ほとんど何も頼んでこなかったが、今こそ役に立ってもらう時だろう。
「えと、この子は俺の妹なんだけど、ちょっと体がよくなくてね。悪いけど風呂に入れてもらえないだろうか? あと服も用意してもらえると嬉しい。」
「佐藤様の妹様ですか? なるほど、お兄様によく似てらっしゃいますね。承知致しました。すぐに用意させて頂きます。」
「はい、お願いします。」
メイドさんはそう言うと、すぐに浴室までいき準備を進めてくれる。
妹というのは苦肉の策だったが、事情など深く聞いてこない点は助かる。
ちなみにだが、俺と少女は全く似ていない。当たり前だ、俺は純日本人であり、間違っても銀髪でも白い肌でもなく、似ているわけがない。幻術魔法を使い、メイドさんにはあの子が日本の少女に見えるようにしたのだ。町民から嫌がらせを受けていると分かったため一応の対策だ。もっともあのメイドさんが嫌がらせをする姿なんて想像できないが。
「え……お風呂?? あ、あのこれはどういう??? それに妹とは……」
「いいからいいから、ほらあのメイドさんの入った部屋に行っておいで。」
「え、で、でも。」
「ほら、いったいった。」
「……あ、ちょ……。」
と、オロオロする少女を無理やり浴室に連れていき、俺はそのまま部屋を出ていく。
とりあえず、ここはメイドさんに任せておけば大丈夫だろう。
さて、こっちも色々としなきゃな……。
そう思いながら、俺は部屋を後にした。