アマの町、その南端に位置するこの場所は居住区から少し離れており、木々が生い茂る自然区域となっている。
たまに町の子供たちが遊び場にすることがあるくらいで、基本的に人気がないこの場所だが、そこにポツンとたたずむ小さな木造の家があった。
家の周りには伸び切った草が生え、家の壁もところどころ朽ちており、お世辞にも手入れが行き届いているとはいえない。
しかし、闇と化したこの一帯で、その家の窓から漏れ出る淡い光は、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。
……まさか一日に二度もここに来るとは。
宿屋を後にした俺は、まっすぐにこの木造の家にやってきていた。
目的は言わずもがな、あの子に関することだ。
とにかく今はあの子に関する情報を集めるべきだ。今のままでは、なぜ町民から煙たがられているのかなど、分からないことが多い。
といっても、あの子の口から全てを聞き出すのは酷だ。
あの子は今、精神的にも肉体的にも極限に近い状況なのは火を見るよりも明らかだ。
できるだけ負担をかけたくない。
ではどうするか?
簡単だ。
情報を集めるためには、その道のプロに聞くことが最も簡単で確実だ。
というわけで、俺は木造の扉に軽くノックをし、扉を開いた。
中に入ると、狭い部屋の中が本やら紙の束で埋め尽くされている空間が目に飛び込んでくる。足の踏み場はほとんどなく、二人以上入ることすら難しいだろう。
部屋の奥には、木造の装飾が施されたテーブルがあり、その席について本を読んでいる男がいた。
名前は『ライ』といい、掘りの深い顔を持つ彼の茶色がかった髪はぼさぼさであり、しばらく剃っていないであろう髭、服装もヨレヨレのTシャツときたものだ。30歳くらいらしいが、その見た目のせいでもっと年上に見えてしまう。ちゃんと手入れをしたらさぞかしイケメンだろうに勿体ない。
しかしこう見えても彼は優秀な情報屋であり、俺がクエストに出かける前には必ずここに立ち寄り、クエストに関するモンスターや地形などの情報を売ってもらっているのだ。
「おーい、ライさん。こんな時間に申し訳ないんだけど、ちょっといいかな?」
「……ん? おや? これはこれは、佐藤かいとじゃないか。どうしたんだい、こんな時間に?」
低い声で意外と丁寧な口調で応じた彼は、本をパタンと閉じ、興味深そうにこちらを伺ってくる。
どうも本に集中しているようで、今こちらに気付いたようだ。不用心すぎるだろ……。
「ちょっと、急用ができたんでね。依頼だよ。」
「……ほう? 君ほどの者が急用とは。なんだね、次は単独でSランククエストにでも挑戦する気かい? いくら君でも無謀だと思うがね。」
「違うよ、クエストとは別用だ。単刀直入に聞くけど、銀髪の赤目の少女のことについて聞きたいんだ。町の路地を住処にしている子なんだけど。」
俺がそう言うと、彼は意外そうな表情を浮かべ口を開いてくる。
「……アリーのことか。しかし、なぜそんなことを聞きたいんだい? 君とアリーに接点があるとは思えないがね。」
「アリー……そうか、そういえば名前もまだ聞いてなかったな。……あぁ、いや、ちょっと彼女と出会う機会があってさ。どうして彼女……アリーがあんな酷い目に合っているのかが気になったんだよ。」
少女アリーと自己紹介もしていなかった事実によほど自分が慌てていたのだと気づく。
……まあ、あんな姿を見られれば仕方がないか。
ライさんは、そう答えた俺を少しの間じっと見つめた後、ゆっくりと喋りだした。
「……まあ、仕事だから深堀はしないがね。まず、なぜ彼女が酷い目に遭っているかについてだったね? その答えは簡単だ。アリーが『魔女』の一族の生き残りだからだ。」
「魔女?」
「ああ、そうだ。あの銀髪と赤い瞳が何よりの証拠だ。」
「……ふむ、でもアリーが魔女であることがどうして、嫌がらせを受けることに繋がるんだ?」
「……君は本当にこの世界のことを知らないんだな。魔女と人間が戦争をしていたのは、まだ歴史的にも浅いことだぞ? 魔女に恨みを持つ人間は多いんだ。」
戦争
まさか、こっちの世界に来てその単語を聞くとは思わなかった。
異世界にも戦争ってあるんだな……。
俺も教科書や動画でしか見たことがないが、人同士が殺し合うというのは、想像するだけでも恐ろしい。
「……その戦争はどっちが勝ったんだ?」
「人間だよ。かなり長い戦争だったがね。その後は、元々数が少なかった魔女側はほとんどが殺された。僅かな生き残りも散り散りになり、世界のどこかでひっそりと生きているとされている。アリーはまだ子どもだから、恐らく生き残りの子孫だろう。」
「……どうしてそのアリーがこの町にいるのかは知っているか?」
「さあね、流石にそこまでは分からない。ただ、この町に現れたのは確か3年くらい前だったと記憶している。町の住民は、突如ふらりと現れたアリーが魔女だと分かると、簡単に殺したりせずに、長年の人間の魔女に対する恨みをぶつけるようにじわじわとアリーを追詰めていったんだ。最近では、もう少しで衰弱死するんじゃないかと噂になっていたね、酷な話だとは思うがね。」
……っ。
……なんだそれは。
何の罪もない、まだ子供であるアリーに、この町の住民の魔女に対する恨みを全てぶつけているということなのか?
しかも3年前ということは、アリーの親が死んだ時期と重なる。親が死ぬということがどれほど辛いことか……。そんなアリーにこの町の住民は……。
アリーの最初に出会った時の様子を思い出し、全身から怒りがこみ上げてきた。
体内の魔力が怒りに呼応して活発になっていく。
「おっと、変な気を起こすなよ? 一応言っておくと、戦争によって人間側にもかなりの被害が出たんだ。この町の住民も半分くらいが魔女によって殺されたんだ。魔女に恨みを持っている住民が大勢いるのが現状なんだ。」
怒りに包まれている俺にライは慌てたようにそう言葉を投げかけてくる。
不思議とそのライの言葉は俺の中にスッと入り、思考する余裕が少しできた。
……ライの言っていることは正しいのだろう。俺もこの町の住民の人が皆いい人だって言うのは、こっちの世界に来てからの毎日の生活で実感している。
だが、だからといって、アリーへのあの仕打ちを仕方がない、で済ませろというのか。
……いや、平和な国で育った戦争のせの字も知らない俺が町の住民をとやかく言う資格がないのもまた事実なのかもしれない。
今は、『アリーは何も悪くない』これが知れただけでよしとしよう。
「……分かった、情報ありがとう。金はここに置いておくよ。」
俺は、革袋から金貨を1枚取り出し、机に置き、そのままその場を後にしようとする。
ライはそんな俺の様子を、険しい表情を浮かべて質問を投げかけてくる。
「……アリーをどうするつもりなんだい?」
「無実な者を見殺しにする気はない。」
「……そうか。……なら私は何も言うまい。」
俺はそのまま振り返らず、ライの元を去った。
途中、寄り道を一つ挟んだ後、歩いて宿屋に戻った俺は、今度はちゃんとした入り口から宿屋に入り、カウンターを素通りし、そのまま自分の部屋に向かう。
高級宿屋に相応しい清潔感と派手さを兼ね備えたレッドカーペットが敷き詰められた玄関ホールを歩いていると、一人の男が目ざとく俺のことを見つけこちらに近寄ってきた。
かっちりとしたスーツにその細見の体を包んだ彼はこの宿屋の店主である。50代に差し掛かろうとするその顔には皺が刻み込まれ始めているが、ニコニコとした笑顔を浮かべ喋ってくる彼は、年の老いをまったく感じさせない。
「これはこれは、佐藤様、お帰りなさいませ。出発する前にご指示頂いた夕食の件についてですが、ちょうどできあがってきましたので、すぐにお部屋にお持ち致しますね。」
「ありがとうございます。すみませんね、突然いつも以上の夕食を用意させてしまい。」
「いえいえ、佐藤様の妹様の為とあれば当然のことですとも! 他にも困ったことがあれば、いつでもお声をかけてくださいませ。」
「……はは、まあその時はお願いします。」
「ええ、是非!」
そう言い、店主は笑顔を浮かべたまま奥に消えていった。
何となくあの人苦手なんだよな。常に目がギラギラしているというか……。
その後は、特に何事もなく自分の部屋に辿り着いた。
一応、軽くノックをしてから中に入る。
すると、なんと扉のすぐそばにアリーが立っていた。ずっと待っていたのだろうか?
メイドさんがしっかりと体と髪を洗い、お風呂に入れてくれたようで、出会った当初のような不潔さや悪臭は完全になくなっていた。
それどころか、水気が僅かに残る絹の様に流れるような銀色の髪は美しいとさえ思えた。メイドさんはお風呂から上がった後の髪の手入れもしっかりとしてくれたようだ。
お風呂から出てまだ時間が経っていないのか、アリーの白い肌は熱によって少し赤くなっていた。
服装については、普通の服がなかったようで、真新しいバスローブに身を包んでいた。
というか今気づいたけど、アリーって……すごく可愛いのでは?
今はまだ、筋肉がついておらず不健康な見た目と言わざるを得ないが、それを差しい引いてもかなり可愛い気がする。
そんなアリーは、俺が入ってきたことを確認すると、目を伏せ、チラチラとこちらを上目遣いで伺いながら、手をモジモジさせ、ポツポツと言葉を発してきた。
「あ……あの、わ、私。お風呂なんて本当に久しぶりで、その、なんとお礼を言えばいいか……。これだけ幸せな時間が過ごせたのは、お父さんとお母さんが生きていた時以来……ぅ……で……その……あ、あれ、な、涙が……ご、ごめん……なさい……。」
途中からポタポタと大粒の涙を床の絨毯にこぼしながら、泣いてしまった。
必死に両手で涙を拭おうとしているが、それでも涙は次々にあふれ出してきている。
お風呂に入る、たかがそんなことでこうなってしまう彼女がどれだけ追い詰められていたかが切実に分かる。
俺は、そんなアリーの肩に手を優しく置き
「ほらほら、泣くな。今から楽しい夕食の時間なんだから。泣いてたら味が分からなくなるぞ?」
「ひぐ……で、でも……って、ふぇ? ゆ、夕食……?」
ずっと泣き続けていたアリーだったが、夕食という単語聞くと、急に泣き止んだ。というか、びっくりしすぎたって感じだが。
真っ赤な目を真ん丸に見開き、信じられないことが起きていると言った風にワナワナと震えながら、
「あ、あの、その夕食……というのは?」
「今から食べるんだよ。俺と君の二人で。あ、ほらちょうど来た。」
「え……。」
外からノック音が鳴り、数人の使用人によって、確かな腕を持つ料理人によって作られた様々な食事が運び込まれる。
それをアリーは、口をぽかんと開け、呆然と見つめている。気づいてないのかもしれないが、その口端からは少し涎が垂れている。多分だけど、これは指摘しないほうがいいよな。
その後、手際のよい使用人によって準備が済んだ後、俺たちは席についた。
「……あ、あの本当にいいのでしょうか? こ、こんな豪華な食事を、何かの間違いでは? そうです、間違いですよ、もう一度よく考えてみてはいかがでしょうか?」
そう言いつつも、視線はしっかり食事に固定されており、見ていて笑い出しそうだ。後、なんかやたらと饒舌になっている気がするし。これが素なのだろうか?
俺はそんなアリーの目を改めて見つめ、言葉を投げかける。
「そうだな、じゃあ一つ教えてくれないか?」
「教える……何をでしょうか?」
俺の問いにアリーはゴクリと喉をならし、緊張したように見つめ返してくる。
「名前を、ね。君の口から直接聞きたくてね。」
「……え、そんなことでいいのですか?」
しかし、俺の真剣な眼差しを確認し、何か感じることがあったのだろう、コホンと咳ばらいをした後、まっすぐにこちらを見つめ返し
「……私の名前はアリーです。……お父さんとお母さんがくれた大切な名前です。」
胸に手を当て、そう答えるアリーの目は、過去を懐かしむように、ここではないどこかを見ていた。おおよそ子供には似つかしくないその表情は、しかし不思議ととても画になり、俺も一瞬、その光景に心を奪われた。
……その年で、親の死をも完全に受け入れている、なんて強い子なんだろうか。
「そっか……いい名前だな、アリー。俺の名前は佐藤かいとだ、よろしくな。」
「佐藤かいと……様。」
アリーは、手を組み、キラキラとした目で俺のことを見つめてきて、まさかの様付けときた。
「いやいや、様はよしてくれ。あと敬語もなしだ。」
「ええっ!? で、では私はどうやって話せば??」
「普通にタメ口でいいだろう、できないなら夕食は抜きだ。」
「そ、そんな!?」
「……冗談だよ、だからその泣きそうな顔はやめてくれ。……でもいずれはタメ口でお願いするよ。じゃあ、いただきます。」
「……あ、え、えと。い、いただきます。」
アリーは、この後もまた、久しぶりのまともな食事を食べれた感動で泣いてしまったが、その後の食事では、たどたどしくあるものの会話も生まれ、初めてアリーの笑顔を見ることができた。
その笑顔は、疑いようもなく、心からの笑顔だった