天才を諦めた家政婦と普通を求める天才   作:おいしい煎茶

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第一話

 濁った東京の空のもとで今日も中古の原チャリを走らせる。車体価格わずか3万円のおんぼろは今日も燃費の悪そうな音を響かせている。背中には配達用の大きな長方形のバッグ。黒地のバッグの中央に蛍光黄緑の社名がわざとらしく輝いている。

 26歳の誕生日はこれまでと変わらず空模様のように薄曇りのまま過ぎていくのだろうと思っていた。

 有名大学に進学し大手企業に就職したが、周囲の天才と自分の非才を比べ、何となく生きがいを見出せない日々に嫌気がさしてわずか一年で退職してしまった。そこから今はやりの日雇いの配達員として日銭を稼ぎながら何も生む出すことのない日常を送っている。

 自分の意思で仕事から逃げたにも関わらず特別なことは何もしていない。

 空虚な毎日をひたすら再生産しつづけている。

 

「すみません。配達に上がりました。」

 

「あ、やっと来た~。お兄さん、いつもありがとう~」

 

「道路が混んでまして。いつもお世話になってます」

 

 マイペースな性格なのだろうとはっきりわかるような声とピンクの髪が特徴的な女性の元に今日も配達をした。一回当たりの値段が安くないこのサービスを朝昼晩と利用する変わった人だからすぐに覚えて顔なじみとなってしまった。

 配達するたびに雑談する程度のなかにさえなりつつある。

 

「いつも思うんですけど、お金もったいなくないですか?いや、このサービスで稼いでいる自分が言うのもおかしい気はするんですけど」

 

「めんどくさくってさ。『普通』じゃないんだろうけどね」

 

 なぜかひどく自嘲気味に笑う彼女を少し不思議に思いながらもそうですかとだけ返した。

 そしてその日はそれ以上詮索することなく次の配達先に向かった。

 

ーーーーー

 

 翌日もけなげに配達を行っていた。何せまともな収入源はこれだけである。奨学金を返済しながら都内で生きていくためには働くしかない。企業に勤め続けていれば、と過去の自分を呪ってしまう後ろ向きな発想になるのは今にも降り始めそうな重苦しい曇天のせいだろう。

 いつもの女性の元に配達に向かう途中、夜になってついに降りだした雨はますます嫌な思考を加速させた。

 

「くそったれ、ばかばかしい」

 

 誰に伝えるでもなく吐き出した悪態は雨音に消える。

 

 朝からゴミ出しを忘れたり、朝の占いの順位が最下位だったり、なんとなく髪型が決まらなかったり。そういう有形無形問わない違和感がイライラを増幅させているように感じる。

 逃げた先の人生でなおも満足な人生を送れないとは、なんとも滑稽な話だ。

 

「ああ、くそ。今日は何やってもダメな日だ。さっさと届けて帰ろう」

 

 降りしきる雨の中ぶつけどころのない気持ちはむしろ自分の無力感をはっきりさせる。

 

 逆に曇り空は好きだ。皆一様に傘を差し、うつむきがちに速足で歩く。

 世界が均質化されてこの世から不平等がなくなったような気分になる。我ながらなんとも退廃的な発想だ。悪平等など何も救わないということは今までの短い人生から大いに理解している気でいる。だからこそ才能のある人間には尊敬も嫉妬もするのだ。自分んはどこまで行ってもそこにはたどり着けないと気が付いてしまってるから。

 

 ずぶぬれのまま女性の部屋のインターホンを乱雑に押した。濡れた前髪が額にかかってイライラする。商品を渡してさっさと帰ろう、部屋に食べ物あったかなと脈絡のないことを考えながら待っていた。

 

 いつもの女性が顔を出してありがとうと柔和な笑みで商品を受け取った後

 

「わ、ずぶぬれだ~。お兄さん、よかったらシャワーでも浴びて帰ったら~」

 

「え?」

 

 なんだか事態はよくわからない方向に転び始めていたようだ。

 

「いやいやそんな!悪いですよ!どうせ替えの服もないですし!」

 

 必死に首を振って断ろうとするも、彼女は食い下がる。

 

「いいじゃない、それくらい。ノブレスオブリージュってやつだよ」

 

「ヨーロッパの貴族か何かなんですか、あなたは…」

 

「まぁね~。あながち間違ってはないかなぁ」

 

 彼女は昨日『普通』という言葉に触れたときと同じように、最後の言葉は何となく自信なさげに聞こえた。触れてはいけないパーソナルな部分に踏み込んでしまったと察した僕は少しひるんでしまった。

 そのすきを彼女は見逃さなかった。

 

「とにかく!入った、入った~!」

 

「わ、わかりましたから押さないでください!」

 

 マイペースのように見えて、実はかなりしたたかな人物なのではないだろうかと背筋の寒くなる思いがした。今日は仕事を早めに切り上げようとしたツケが回ってきたのだろうか。

 

 お邪魔しますといって女性の部屋に入る。何度も食事を届けて見慣れたはずの玄関をくぐるのはなんだか変な気持ちになった。外の暗さから部屋の明るさに目が慣れてくると、少しづつ中の様子が分かってきた。

 

 ゴミ、ゴミ、ゴミ。

 どこを見回してもゴミだらけだった。3台も設置されているディスプレイとやたら高価そうなベッドの周辺以外はおおよそ人間が生活できる環境ではないだろう。パソコンの低く鈍い駆動音が家具らしい家具のない室内をより無機質なものに感じさせる。

 

「なんなんですか、この部屋…」

 

 僕は混乱気味に、質問するとも独り言ちるとも言えない声でつぶやいた。

 なぜ自信満々に人を部屋にあげたのだろうか。毎日宅配を利用する資金力から多少なりともきれいにしているとばかり思っていた。

 汚れた部屋が過去のいやな記憶を引きずり出そうとする。

 

「家事、全然できなくてさ。いや違うか。できるんだけど、やっても仕方ないからやらないんだ」

 

「そう、なんですね…」

 

「部屋なんていいから早くお風呂入っちゃいなよ~。その間に乾燥機かけとくし、使ってないシャツとか貸すから」

 

 彼女の勢いに負けてそのまま風呂場に向かった。やはり最新式のシャワーや一人暮らしにしては大きいバスタブなど彼女がある程度裕福であることが様々なところから感じられた。何をしている人なんだろう、という疑問が頭をもたげた瞬間に彼女のあの辛そうな表情が思い出され陳腐な野次馬根性は胸の奥にしまった。

 風呂から上がり用意してあったバスタオルで体をふく。自分の家のタオルとは違う甘いにおいに気が遠くなりそうだった。

 

「お風呂いただきました」

 

 彼女はキーボードを動かす手を一瞬とめると、はーいといつもの気の抜けた返事をした。そしてまたすぐに自分の作業に戻ってしまった。

 

「…この後どうしますか?」

 

 僕は所在なさげにそうつぶやくと彼女は食事でもしようかと動かす手を留めず提案する。なんとも自分勝手な招待主だと困惑していると、カターンとひときわ大きいエンターキーを叩く音が響いた。

 そしてぐるりと大きめの回転椅子を回すと、ぴょんと椅子から軽快に飛び降りた。

 夜にも関わらずなんともアグレッシブな家主である。

 

「お寿司と中華、どっちがいい?」

 

「…多分ですけど、出前の話ですか?」

 

「もちろんだよ。お嬢様でも出前くらい注文できるよ~」

 

「いえ、別に疑っているわけではないですけど。じゃあ中華で」

 

 僕はメニューの中で最も安いラーメンを注文し、彼女は聞いたこともないような炒め物セットを頼んでいた。

 

 普段は出費を抑えるために自炊生活を送る僕にとっては当たり前のように出前を注文しようとする彼女とやはり住む世界が違うのだと感じた。一人鼻歌を歌いながら最新式のスマートフォンを操作する彼女に何となく羨望とも憧憬ともつかない気持ちになったのはなぜだろう。どうしようもなく自分にはもっていないものを全て持っているような直観がしてしまった。努力から逃げ、せこせこと日銭を稼ぐ現在の自分と会社を辞めることなくある程度自由の効くお金を手にしていたかもしれない仮定の自分。

 他人の家にいてもどうにもならない自傷に走ろうとする精神に我ながら辟易とする。

 彼女は我関せずといった態度でスマホをいじっているから特に問題にはならなかったが。

 

 その時ピンポーンと軽快な音が部屋に響く。出前が届いたのだろう。いつもは自分が押しているはずのインターフォンを他人が押しているというのはなんとも奇妙な気持ちである。

 

 二人で食事を始め、僕はかねてから質問したかったことを彼女に投げかけた。

 

「なんで、ここまで僕によくしてくれるんですか?食事代まで出してもらっちゃって」

 

「お、お兄さんのほうから本題に入ってくれるとは嬉しいな。実はねお兄さんのことを利用させてもらおうかと思ってるんだ~」

 

 思いがけない発言に僕が眉をひそめていると、彼女が言葉をつづけた。

 

「見ての通り私の部屋、汚いでしょう?その掃除をしてもらいたくって。もちろんバイト代は出すよ?いつも身なりをきれいにしてるお兄さんならきっと生活力高いだろうなと思って」

 

彼女が差し出したバイトの条件が書かれた紙を見て僕は仰天した。

 

「いや、こんなにいただけないです!それに僕は特別家事ができるとかではないので!」

 

「そうかな?いつもシャツの襟もとはきれいにアイロンがけされてるし、肌やつめの状態も良いから栄養もしっかり取れてる。でも仕事のお給料はそこまで良いとは思えないからうまく家計をやりくりしてるんだろうな。言葉遣いからそれなり以上に学のある人だろうなってわかるよ。会社を辞めたは良いけど次に何がしたいか分からない現状って感じかな?」

 

「…っつ!!」

 

「…信じられないし気持ち悪いよね?でも私は『普通』になることを諦めたわけではないから」

 

 これは脅迫だ。ここまで自分の境遇を見破られて僕に選択権などあるはずがない。断ればどんな法服が待っているか分からないような底知れぬ恐怖を感じる。

 でも僕にも意地がある。

 

「わかりました。でも条件があります」

 

「うん?なんでもいいよ、言ってみて?」

 

「このお給料をいただくのでしたら、あなたの家政婦として雇っていただけませんか。そうでなくては釣り合いが採れません」

 

 この天才に一泡吹かせてやるのだ。

 

「ふふっ、あははは!!お兄さんおもしろいね~自分から雇用条件を厳しくするなんて想像できなかったよ。やっぱり世間の普通は難しいなぁ」

 

「では認めていただいたという認識でいいですね?」

 

「わかったよ~お兄さんは今日から私の住み込みの家政婦ってことだね」

 

「はい、そのように…え?住み込み?」

 

 こうして天才を諦めた家政婦と普通を求める天才の奇妙な生活が始まった。

 

 


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