天才を諦めた家政婦と普通を求める天才   作:おいしい煎茶

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第三話

「今日は何をするんですか」

 

 いつもの調子で彼女、広町七深に尋ねる。先日、江ノ島に小旅行をして以降毎日のように二人で様々な場所を訪れた。浅草や横浜など観光地を中心にまさしくデートらしいデートを重ねた。まるで二人のいびつな関係性を取り繕うように。

 しかし今日はいつもとは違うようだ。

 

「ん、なんにもしないよ~そんな毎日遊んでたら疲れちゃうって笑」

 

「…まぁそれもそうですね、お互いやらなきゃいけないことやりつつ、まったりしますか」

 

「そうしよ。『普通』っぽくていいじゃん」

 

 まただ。彼女の悪い癖。

 『普通』という言葉を彼女は好んで使い、彼女自身もそうなりたいと思っているような発言が目立つ。

 しかし僕には何となくその言葉に嘘を感じる。手が届かないとわかっているにも関わらず、わざと目指すことでおどけているようなうすら寒さを感じる。その言葉の裏を知ろうとする勇気は今の僕にはないのだが。

 

 トン、トン、トン。

 キッチンに立ち軽快に包丁を動かす。

 今日は作り置きの総菜を作るつもりだ。僕が外出しているときに彼女が軽く食べられるものを用意するためである。比較的大型の冷蔵庫には整然と食材や料理が並んでいる。キチンとラベリングされてどこに何があるか一目でわかるようにしているつもりだ。

 

 判別しやすいことは大事なことだ。少しでも間違いのリスクを減らすことができる。自分もあの天才たちと自分が違う次元にいると判別できなければ今も苦悩の中にいただろう。いまのまどろみのような幸福の中に身をゆだねる環境に存するなど決してかなわないものだったはずだ。

 

「下ごしらえはこんなものでいいかな」

 

 一息ついた瞬間にふと聞こえるパソコンのタイピング音。誰かが自分と生活圏を重ねている安心感。

 笑みをこぼしてまた調理に戻る。

 

「よっし。今日は品数増やしてみましょうか…!」

 

 笑顔はモチベーションへとつながる。

 

 

ーーーーー

 

 

「お兄さんは優しい人なんだろうなぁ」

 

 ブルーライトを上半身いっぱいに受け止めながら、彼女は手元を見ることなくパソコンを打ち続け独り言ちる。十本の指が発言とは無関係に動くさまは無機物的ですらあるのだが、その指からはじきだされる利益はすさまじいものである。天才・広町七深にとってどの企業や業界が業績を伸ばすのか数的データから予想するなど造作もないことであり、家事をする時間がいらなくなったことで今まで以上に精度の高い取引が可能になっていた。

 

「ん…?」

 

 そんな彼女にも合理性からあまりに逸脱した行動、つまり追い詰められた普通の人間の行動はわからないものである。

 

「うっそ、なんでこんな株が売られてるの?!こんなの大損しちゃうよ~!」

 

「これだから株は難しいんだよ!」

 

 恨み言を叫びながら全力でタイピングをする。

 

 唐突に発生した負債に驚く彼女だが即座に立て直しを図る。

 刻一刻と値が変化する株式市場においてはほんの数分の油断が命取りとなるのだ。

 

「むぅ~~~~!!!これでどうだ!だめ?!?!?」

 

 そんな時後ろの扉が開き、怪訝な顔をした同居人が入ってきた。

 彼はふぅ、と一息つくと

 

「今日は平穏無事な一日になると思っていたのですがね」

 

 そうつぶやいて彼女の代わりにパソコンの前に座り、猛然とした勢いでタイピングを始めた。

 

 

ーーーーー

 

 

 彼が家事をしているときに隣の部屋から聞こえてきた大きな声。

「むぅ~~~~!!!」

 そのあまりに唐突さに驚いた彼は思わず菜箸を取り落としそうになった。

 

「なんなんですか、もう…」

 

 彼女が株の売買によって生計を立てているという事実を彼は知っていた。

 そもそも株は緻密な予測力とそれを実現できるだけのデータ収集力、そして時代の潮流を読む力だろう。

 

 彼女が圧倒的に優れているのはまさに、この読みの力である。「何となく」というある意味感触的な部分で株の動向を見極めるのだ。もちろん株の初心者が利益をきちんと出すための方法としてはかなり「普通」ではないはずだ。本来経験によって賄うはずの部分を天性のセンスによってまかなっているというのだから。

 

 逆に彼は少しずつ努力を積んできたタイプの人間である。

 自分自身が非凡であることを自覚しているからこそ天才に差をつけられないように自分を律し研鑽できるような人間である。一位になり、絶対的な栄誉を手にすることはできないまでもきちんと評価される立場にいつづける。そこまで努力できること自体が才能だと称してくれる人もいたが、彼にとっては付け焼刃の言葉に過ぎなかった。

 

 まさに月と太陽。陸と海。

 互いに必要な、なくてはならない存在なのだろう。

 

 そもそも人間が「誰かがいなくてはならない」という状況が異常であるということに本人たちは気が付いていないのだが。

 

「この値の動きは…大方、破産しそうな企業が最後に大博打を仕掛けたってところでしょうかね」

 

「そう…なの…?お兄さんよくわかるね…?」

 

「大学で経済学をちょっとかじっていましたので。センスないので株には手を出しませんでしたけどね」

 

「そっか~」

 

 どことなく安心したように広町はつぶやく。

 

 

 

ーーーーー

 

 

「…これで不足分くらいは回収できたはずですね。それにしてもあなたは結構お金持ってるんですね」

 

 驚きをもって彼女に話しかけるが、返事はない。

 不思議に思って彼女のほうを振り向くと、

 

「ぐすっ…ぐすっ…!」

 

「何泣いてるんですか?!ちょっおなかでも痛いんですか?」

 

「不安…だった。怖かった…。こんなこと初めてだから、本当に一文無しになっちゃうかと思った…」

 

 彼女は彼に抱きつき、子供のようにぐずり上げる。

 自分自身の力による敗北を、本質的な敗北を知らない彼女にとっては衝撃的な体験だったろう。

 

 彼はそんな彼女の頭を優しくなでる。

 

 まるでそうするのが当たり前のように。

 はまるべくしてはまるパズルのピースのように。

 

 二人の間にしっとりした、肌にまとわりつくような、粘度を帯びた空気が流れる。

 

「お兄さん、今日、しよ…?」

「僕も今まさにそう思っていました…」

 

「「もうすべてがどうでもいいや。この人さえいてくれれば」」

 

 あぁ、また

 歪み、朽ちていく。

 




ねっとりした文章を目指しました。

批判、罵倒、クレームでも感想ならなんでもお待ちしております。

宜しくお願いします!
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