接客業は、己を売る戦いだと感じる。
営業もそうなのかもしれないが、俺はその世界に身を置いていない以上、接客業にそんな印象を抱いて仕方がない。
作り笑いを浮かべて、毎日毎日、そんな接客とバイトどもを纏めるための店長業務も並行してやらなきゃならんのだから、本当に参る。それでいながらそんな作業をできる人員は五人もいやしないんだから、嫌になって突然辞めだすのも無理はないよな。
「はぁ……」
──いや辞めんな。俺が困るっつーの。ばーかばーかと一言くらい文句を言ってやりたい。同エリアとはいえ別店舗だ。そんなこと言えやしないけど。
ともあれおかげで店長がいなくなって俺はデスマーチ状態。割とホワイトだからとバイトに言いくるめていたのに一転ブラックに早変わり。もうこの店いっそ不思議なことが起こって黒い太陽に焼かれて燃えねーかな。
「はぁ……」
当たり前のように溜息は漏れる。そりゃ話し相手がいないんだから独り言ってのもまぁ虚しいし、鼻歌か幸せを逃がすかのどっちかくらい。ひどい世の中だ。こんだけ働いても、俺の給料はあがりゃしない。そりゃそれなりに稼いでるけどな。
「
「わかった、今行く」
事務所のパソコンで事務作業をしているところに、ひょっこりと黒髪をボブに切りそろえたバイトが俺を呼んだ。彼女は奥沢美咲、ウチのバイトの中でも若い方で、そして高校生にしてはそれなりにちゃんと働いてくれるヤツ。そう、奥沢は真面目で、店長代理をやらされてる俺を何かと助けてくれる、気の回るヤツだ。
「ホントに今日はラストまでじゃなくていいんですか?」
「お前高校生だろーが」
「はぁ、いっつも別でつけてもらってなんだかんだでいますけどね」
そんなの知ってる。知ってて、たまには高校生らしく十時より前に帰れっつってんの。今日は他にもいるし、悔しいことにそんなに忙しいわけじゃないんだから。
十時閉店のウチで高校生を十時過ぎに退勤させたなんてバレたらマジで問題なんだからな。
「それじゃあ、あたし、今日は九時半で帰りますんで」
「おう」
「……あのさ」
彼女が何かを言いかけたところで、恰幅のいい運送のお兄さん……もう四十代だけど、お兄さんがお疲れさん、と元気に挨拶をしてくれる。
──今日も多そうだな。嫌になる。
それと同時にレジヘルプの業務連絡が重なり、彼女は俺に何かを言うわけでもなく、バックヤードから出ていった。
「どうした! 元気ないぞ元気!」
「……まぁ、最近連勤っスから」
「店長さん、二店舗掛け持ちなんだろう?」
「ええ、そうなんです……こっちにはほとんど来ないんですけど」
大変なのはあのヒトの方なんだけどな。でもあのヒトは超が三つくらいつくやり手だ。そもそも元々の経歴も、いくら大卒歴が俺の方がいいっつっても入って四年目のペーペーに比べること自体が間違ってるんだろうが、本部勤めの経験もあって、今は人員不足のココのエリアに降りてきてるだけ。そんなヒトに任せたと言ってもらえるんだから俺は頑張れてるようなもんだ。
「頑張れよ、宮坂さん」
「ありがとうございます」
受領のサインを終え、事務作業詰めの鬱屈した気分を晴らすために伸びをしてからバックヤードから店内へと出ていく。
すると白髪の爺さんにちょっとと呼び止められ、商品案内を頼まれた。
──まだバイトだった頃は、これが割と好きだったんだよな。客の話を聞いて、案内して、ありがとうと言ってもらい頭を下げる。そうしたら時々、また来てくれて俺に挨拶をしてくれる、なんてこともあったりして、そんな客の話を聞きながら笑う。楽しかった。社員になりゃ、もっとそれが多く繋がれるって思って就職したのに、俺の心は妙にカラカラだ。
ヒトは空腹は何日か耐えられるが、渇きは何日もやってられない。急速に死に近づいていく。
「はぁ……」
客に聴かれないようにそっと、俺はまた溜息を吐き出した。現実ってのはやっぱり、理想よりもはるかに色の滲んだものなんだなーってのは、大人になった証拠なのか。
もう俺には理想が重すぎるほど、弱っちまってるのかな。そんなことを考え、俺は彼女の背を見つけた。
「納品、した方がいいよね」
「頼む」
「りょーかい」
──そんなこんなでなんとか最後まで耐え抜き午後十時を過ぎ、俺は店の鍵閉めをする。これで業務は終わりで、大学生のバイトとパートの男にお疲れ様です、と別れを告げる。ま、何人かは明日も会うんだけどな。と苦笑いをしながら電車に乗り込みほんの二駅、ほんの数分の間だけ立ったまま目を閉じて、俺は自分のマンションへと帰宅した。
「ただいま」
自分の家のドアを開けると、おかえりと柔らかな声がした。一時間半前に見た黒のボブカット、髪留めはもうつけてないけど、俺はソイツの笑顔に水を注がれたような気分になった。
シチューできたけど、先にお風呂にする? というあどけなく聞いてくる彼女に、俺は精一杯の笑顔で応えた。
「ありがとな、美咲」
「なに、急に」
「疲れたから、言いたくなるんだよ」
なにそれ、と美咲はあきれ顔をする。こんな風だが、俺と美咲は別に恋人じゃない。流石に九歳離れた女子高生に手を出すほど落ちぶれちゃいない。ひょんなことがあって、俺は美咲に助けられて、美咲も俺に助けられた。だから、切れない縁になってこうして新婚ごっこを続けてるだけ。
美咲の親御さんは美咲を大層信頼してる。だから男の家にこうしてメシを作って、あまつさえ泊まっているとしても、間違いがなきゃいい、美咲が泣いちまうことがなけりゃいいってスタンスを取ってる。それでバイト先まで受けてってのはやりすぎだと思うんだけどな。
「なに? あたしにムラっときたとかやめてよ?」
「ねーわ」
「ホントかなー?」
「ねーって、ガキに欲情するかよ」
せめてもうちっと色っぽくなってからにしやがれと俺は美咲が用意してくれたシチューをスプーンで掬って、よく煮込まれた野菜を咀嚼する。柔らかくて、温かくて、なんつーかほっとする味だ。こんなん女子高生が出せていい味じゃねーよ。
「どう?」
「結婚したいくらいの味だな」
「……ばーか」
お前バカバカ言い過ぎだからな。おかげで俺もふとした時に思わず口から出そうになるんだからやめろよな、ばーか!
冗談とはいえ二十代ももう後半になる俺が18歳未満に結婚したいは犯罪な気がするけど世の中の目は俺の家の中にまで行き届いているわけがなく、美咲が怒るだけで処理されていく。
「あ、そうだ。明後日休みだよね」
「そうだな」
休みじゃなかったら連勤が十を超えるのでどうか休みであってほしい。ブラックに手を染めるなよ。
美咲はそこでもしよかったらなんだけど、と前置きを置いた。別に俺は休みに出掛けるタイプだから遠慮はするなよとは思うんだけどな。
「暇だったらさ、ハロハピのライブ、来ない?」
「ハロハピ……美咲が着ぐるみやってる?」
「うん」
掛け持ち先のキグルミバイト。いやまぁウチがサブなんだけど。そこで出会ったお嬢様となんやかんやあって今はそのミッシェルとかいうキグルミでバンドを組んでDJをしているらしい。バンドでDJってなんとなくイメージないんだけど、それは俺がバンド知識ないだけか?
確かに、俺はこれまで話で聞いてきたけど実際に見たことはなかった。そして興味がないわけじゃない。こうして俺を助けてくれる美咲が大切にしているものを、知りたいってのもある。
「ん、わかった」
「あ、ありがと……み、み……」
「ん?」
「み、宮坂さん……」
「おう?」
なんでもごもごさせてんのか知らないけど、こっちこそゴロゴロ一日を過ごすって性に合わないから助かる、ありがとって言いたいくらいだ。
春風吹く、学生は春休みという時期。美咲が高校二年生になった年、俺と美咲の環境は激変する。
美咲が巻き込まれるものに巻き込まれ、美咲が見るものを一緒に見て、美咲と一緒に成長する。それまで俺を助けてくれるだけだった彼女が、さまざまなものが合わさっていく。
「で、どっちが先にお風呂入る?」
「美咲でいいよ」
「……何もしない?」
「何をする余地があったんだそこに」
「覗くとか、お風呂飲むとか」
「そんなこと思いつくとか……さては変態かお前」
「──っ、ばーか!」
今はただ、こうしてじゃれあうだけだけどな。
これがまた何かと楽しいから困る。性的対象じゃないからこそ、こうやって軽口が叩けてかつ年下だからこうして笑えるのかな、なんて思いながらただ俺は美咲がくれる幸福が多すぎて、溜息がでた。