翌日、幹人さんが休みということもあってあたしはさっそく、学校が終わったらそっちに行くからと連絡を送った。
美幸さんに吐き出して、あたしはもう吹っ切れた。もう迷いたくない。迷ったら負けな気がする。
──とはいえ、いざ幹人さんと対面すると思うと溜息が出るんだけど。ああ、あたしはホントに意気地なしだ。
「美咲、なんだかお腹が痛そうな顔してるわ!」
「……そりゃどーも」
実際胃が痛くなりそうなんだけど、あ、店の試供品の胃痛薬あったな……あ、でもストレス性じゃないからダメだ。ってそうじゃなくて、こころがあたしの顔を覗き込んでいた。お昼の時間、こころとはぐみと約束してたんだった。
「大丈夫だよ、こころ」
「そう? 彼と何かあったの?」
「……まぁ、あったといえばあった」
「え、みーくんカレシ?」
ちょうどタイミングのいいところではぐみが登場、あたしはカレシじゃないってとツッコミをしながら、中庭に移動し始めた。はぐみはなんだか目を光らせてねぇねぇ、こころんの言ってたカレって誰? とあたしに疑問を投げかけてきた。うえ、はぐみって案外こーゆーハナシ興味あるんだ。しまったな。
「カレは宮坂幹人って名前なの、美咲のバイト先のヒトなのよ」
「そーなんだ!」
「ちょ、こころ」
「いいじゃない!」
よくないじゃない! あたしはともかく幹人さんは隠してきてるのに、というかそれで今日来るとか言ったらややこしいどころの騒ぎじゃないからね? そんな風にこころの口を塞ぎながらなんとかはぐみをやり過ごしていると、そーなんだ、と後ろからほんわかした声があたしの耳朶を打った。
「その話、私も聞きたいなあ」
「……うげ、花音さん」
「その反応はちょっと傷つくよ……美咲ちゃん?」
しまった。花音さんにも説明せずに逃げてたんだった。あれ、これ薫さんも知ることになってハロハピコンプリートの流れかな? あはは、あはははは……笑えないんですけど。
花音さんが広げたレジャーシートにおじゃましますと座って、あたしに微笑んだ。あ、あれー、花音さんもしかして怒ってます? 怒っちゃってますよね?
「うふふ」
「……すみません。説明する暇もなくて」
「いいよ、美咲ちゃんが話してくれなかったら千聖ちゃんと喫茶店に誘うだけだもん」
花音さん、ヒトはそれを尋問と呼びます。とんでもなく逃げ場のない中で、あたしの味方は誰もおらず、あたしはそれとなく事情を説明した。
はぐみは目を輝かせて、こころはなんだか穏やかな表情で、花音さんは納得しきれてない感じであたしの話を聞いてくれた。
「美咲ちゃんは、そのヒトのこと……好きなの?」
「はい……って言っても、それに確固たる自信があるわけじゃないんですけど」
「ううん、好きに自信とかいらないんじゃないかな……?」
私だって、ドラムもそういうところから始めたわけだし、と注釈してくれる花音さん。そこにはぐみがちょっとだけ憧れているように、好きになるってどんな感じ? と訊ねてきた。うーん、そー言われるとあたしとしてもどんな感じかは言いにくいな、あたしって特殊な恋してると思うしなぁ。
「んー、なんだろ、ずーっと一緒にいたくなる……感じかな」
「そっかぁ」
「あたしも、その辺あんまりわかってないし……でも、好きって気持ちはホント」
「素敵だわ!」
「……こころ?」
あたしの照れ交じりの言葉に反応したのは花音さんでもなくはぐみでもなく、こころだった。瞳をいつもの如く、いやいつもの二割増しくらいの太陽の輝きを宿しながら立ち上がった。え、なに?
「だって、美咲の表情がとても素敵だもの!」
「……変わってる?」
「ええ! きらきらしてるもの!」
こころには違いがあったらしい。すごく元気いっぱいになって、こころはうずうずしだして、ついにグッと足に力を込めて芝生の上でバック宙をした。いやいや、なんで? こころは本当に時折行動が突飛でついていけない……じゃなくて!
「う~ん、なんだかとっても動きたくなったの!」
「そ、そっか……ごめん全然わかんない」
そんな感じで、あたしの昼休みは半ば尋問のような質問攻めで終わっていった。花音さんには今言ったことは白鷺せんぱいにも話してもいいことを伝えて、解散した。はぐみには口止めしても無駄な気がするけど一応内緒にしといてねと言い含めておいた。
──そわそわと部屋を行ったり来たりすること数分。漸くチャイムが鳴って俺は美咲を部屋に招き入れた。
そわそわすんのも、美咲が来てチャイムが鳴るのも、久しぶりすぎて、変に緊張しちまう。と、同時に話したいこと、という事前の連絡と、おじゃましますという言葉に少しの痛みを感じた。
「どうぞ」
「どうも」
久しぶりに顔を合わせた気がするけど、その表情が俺の気のせいかもしれないけど、他人に感じてしまって、俺はこの胸の衝動をなんとか堪えた。
喜多見からはなんのヒントも貰えなかった。いやほぼ答えに近いヒントとして、昨日の美咲と喜多見が一緒に帰っていくときに、じゃ、女二人で恋バナしますんで、と言われたからな。ただ、やっぱりいなくなるってわかるのは怖い。美咲が、いなくなるってことが怖い。
「……お茶、いるか?」
「いい」
「そっか……」
でも、俺は覚悟を決めないといけないのかもしれない。美咲はあいつじゃないから。美咲は美咲の恋があるなら俺は嫌だと言う側じゃなくて応援する側じゃないといけないんだから。
──二人でいつも食べていた机で向き合う。長い沈黙があって、そんな静寂を切り裂いたのは、やはり話があると言った美咲の方だった。
「あのさ……」
「……なに?」
「この間のこと……ごめん」
頭を下げる美咲に、それはいいと返事をする。あのうなされた夢が何かあったなんて思ってもないし、俺としてはその時に美咲になにもしてやれなかったし、俺がごめんって言いたいくらいだ。
「みき……ん、宮坂さんは悪くないよ。あたしが勝手に、夢と現実がごっちゃになっちゃっただけ」
「そうなのか……?」
「うん……実はさ」
そう言って、美咲はやや震える声で夢の内容を教えてくれた。いつもの日の中で俺が突然美咲に対して恋人ができたことを告白する夢、美咲のことを感傷を押し付けてるだけの夫婦ごっこだと断じた夢を見たこと。その間に何かを隠してるような感じがあったけど、俺が予想してたこととは全く逆の言葉に、驚きの声を上げてしまった。
「……どしたの?」
「いや……てっきり」
「あたしにカレシができて愛想を尽かしたと思った?」
「……喜多見から聞いたのか」
うん、と返事をする美咲。おのれ喜多見、アイツ美咲にべらべらとしゃべりやがって。恋バナってのも完全にブラフじゃねーか紛らわしい言い方だな。
──だが、その肯定で疑問、誤解、全てが氷解し、俺は笑うことができた。張りつめてたものが緩む感じがした。
「びっくりさせんなよ……俺は、美咲がてっきりそれで今までの関係がヤバくなったのかと」
「……それで、あたしの前ではフツーでいようとしたの?」
その問いかけに俺はそりゃあな、と答えた。美咲が俺のことをなかったことにしねーと新しい恋が始められねーってんなら、俺はそういう態度を取る。そう決めてたからな。
すると、美咲はばーかと肘をついて笑った。
「寂しいならそう言ってよばーか」
「なんだと? だいたいお前が──」
「──あたしは寂しかった」
お前が何も言わねーから、と大人気なく詰ろうとしたところで、美咲は急に年下の顔で内心を露わにしてきた。
じっと俺を見つめ、その瞳がだんだんと潤んでいく。涙が溜まって、頬を伝い始めていた。
「あたし、みきとさんに、きょぜつされた……って思って、寂しかった……っ、寂しかった……から」
「……美咲」
「どこにもいかないで……あたしの、近くにいて……みきとさん」
項垂れた頭に手を伸ばして撫で、それじゃ足りないと俺は机の反対側まで行き、美咲を抱き寄せた。
──あの時だって、初めて美咲と会った時だってこんなにわんわんと泣いたりしなかった。堪えるように、押し殺すように鼻を鳴らしていた。それだけは鮮烈に記憶に刻まれてる。なのに、目の前にいるコイツは、まるで幼い子どものように声を上げて泣いた。俺の腹に顔をうずめて、安心したようにしばらく泣き続けていた。
「……あはは、こんなにめっちゃ泣いたの、久しぶりかも」
「ごめんな美咲……俺」
「いーの。あたしはもう謝ってほしいわけじゃないからさ」
「……わかった。ならもうちょっと甘えててもいい」
「ダメ、今日はご飯作んないと。どーせロクなの食べてないでしょ?」
図星だったから何も言えなかった。けど、美咲も嫌がってる様子はなかったからお願いするよと笑った。
──じゃあパスタね。トマトソースの。そうやって目元を赤くした美咲が笑って、立ち上がって、最後に一度だけ俺に抱き着いてからいつものようにフライパンを取り出していく。
初めて作ってくれた時と同じトマトソースのパスタは、今日は少しだけしょっぱかった気がした。