あたしは、なんて言葉をかけるのが正解なんだろう。向かいにいる幹人さんの表情がわからない。
美幸さんは美幸さんで複雑そうな顔をしてる。義兄になるって信じてたヒトと、お姉さんの両方にそんな大事な事実を数ヶ月間、隠されてきたんだから、当然だよね。
「……今考えると、くだらない喧嘩だよな。俺も杠葉も、なんであんなにイライラしてたのかわかんねーくらい、くだらない」
「そう、だね。あたしは、杠葉先生の真意は、幹人さんの言葉だけじゃ測れないけど」
「そりゃ俺もだな」
ともかく、幹人さんの話じゃ、幹人さんの視点でしか伝わってこない。幹人さんの想いしか伝わらない。だからあたしは美幸さんの方に視線を合わせた。
美幸さんならなにか知ってる気がして期待のまなざしを向けると、美幸さんは幹人さんがいる右側に視線を向けながらくだらないって思ってるのも、幹人さんだけだよと指摘した。
「……そうですよね、あの時の先生、すごく痛そうな顔してました」
「だって、普段から幹人さんに会わないようにしてたんだもん」
「そうだよな、痛いのは杠葉だって同じだよな」
その言葉にズキっと胸が痛んだ。そうだ、杠葉先生はまだ幹人さんのことが忘れられてない。勢いだけでなにも伝えれてないから当然だけど、杠葉先生の中にも幹人さんがいて……幹人さんの中にも杠葉先生がいる。
──二人はまだ、両想いのままだ。その事実にあたしの心臓は穴だらけになったみたいだった。
「幹人さんは、ヨリを戻そうとか、思わないんですか?」
気付いたら、自然とそんな言葉が口から出ていた。ホントはそんなことしてほしいわけない。そのまま忘れて、あたしのことを見ていてほしい。
花音さんも美幸さんもあたしの気持ちを知ってるから少しだけ悲しそうな顔をしていた。それをあたしが口にしなきゃいけなかったことが、苦しかった。
「……どうだろうな」
「宮坂さんは……先生のこと、好き、なんですか?」
「それがわかんねーんだよ……フラれてから、時間が止まったみてーにさ」
好きという気持ちに似たナニカはまだ幹人さんの胸の中にある。でも、それ以上にクリスマスの日、家に帰ってきても誰もいなかった失望と、怒りをずっと抱えてるんだ。あの日の幹人さんは、手にクリスマスケーキを抱えていたから。幹人さんは申し訳ないって気持ちはあったんだ、でも幹人さんは杠葉先生の怒りを量り間違えたんだ。
「お姉ちゃんの怒りは、別にクリスマスから始まったことじゃないからね」
「そう、なんだろうな」
「その辺は美咲ちゃんの時に言ったことと全く同じことなんだけど」
「……そうだな」
──言葉を尽くさなかった。言葉にせずに察してほしいばかり、お互いの存在と都合の良さに甘えて、結局ちょっとしたすれ違いで決定的に関係が崩れてしまう。美幸さんが口にした言葉は、そのまま幹人さんの過去とも関係のある言葉だったみたいだ。
「巡り巡って、まさか二回同じミスをしてるなんて、おにーさまはドジだねぇ」
「器用だろ」
「いやそれ全然器用じゃないから」
「……ごめんなさい」
あたしなんてそのミスの当事者なのにそうやっておどけられるとイラっとするんだけど。隣の花音さんがまぁまぁと宥めてくれてなかったらあたしだって言葉を荒げそうになるくらいイラっとするから。
「ばーか、ばーかばーか」
「そんな子どもみてーに」
「どーせ、子どもですー、ばーか」
子どもって言葉は嫌いだ。幹人さんに言われると九歳差に壁を作られている気がして、泣きたくなるから。
ばーか、ばーかって言葉で強がりたかったのに、ちょっと泣きそうになった。じわりと目頭が熱くなってきた。
「あー幹人さん美咲ちゃん泣かせたー」
「な、まだ泣いてませんって」
「ほら、まだってことは泣きそうになってる」
「うるせーよ外野もう出てけ」
そう言って、幹人さんはあたしの手を引いて他の二人、特に美幸さんに向かって聞き耳立てんなよと忠告して、寝室の扉を閉めた。
──二人きりの空間、なんだか懐かしい雰囲気のまま、幹人さんはベッドに座り、あたしがその隣に座った。
「……ごめんな、美咲」
「なにが?」
「杠葉のこと……黙ってて」
何かと思ったらそんなことかとあたしは溜息をついた。泣きそうで、もっとこう、なんだろう、優しく抱きしめて泣かせてくれる雰囲気かなと思ったら、やっぱり幹人さんからあたしに触れてくることはない。泣いてたりしたらそりゃ頭を撫でてくれたり、抱きしめてくれたりはするけど。
「いいよ……辛かったんでしょ?」
「そうだけど、よくよく考えたら黙ったまま、美咲を受け入れてたんだなって思ったらさ」
「……そっか」
あたしは全然気にしてないよ。幹人さんの辛いこと、あたしは上手に聞き出せないから。幹人さんを傷つけてしまうから。だから、あたしがしてあげるのはいつだって、傷つける言葉なんかじゃなくて、助けてあげるだけなんだ。
「ね、幹人さん」
「ん?」
「杠葉、せ……さんのことで痛いのはわかってますけど……後ろを向くのはやめませんか?」
「そう……だな」
幹人さんが触れられないなら、あたしが触れていく。手に触れて、腕に触れて、肩に触れて、あたしは幹人さんの頬に触れた。
もう、杠葉さんのことを聞いたあたしは止まらない。杠葉さんが傷だっていうなら、あたしがその傷を塞いでやるんだ。
「あたしは、幹人さんが好きですから……前を向いてください」
「好きってな、お前……」
「年齢差なんて関係ない……あたしは感傷とかじゃなくて、本気で幹人さんが好きです」
「……美咲」
忘れて、なんて言わない。忘れられないのはわかってるけど、だからっていつまでも後ろを向いても辛いだけだから。
──あたしは、幹人さんを笑顔にしたい。あたしなりのやり方で、あたしなりの、間違えた正しくない愛し方で。
「夫婦ごっこじゃなくて、あたしは通い妻でもなんでもいいから、恋人でいたい。恋人として、傍にいさせて」
「……美咲」
抱きしめて、抱きしめられて、その手には確かにあたしを想う気持ちが込められていた。
──ああよかった、あたしは、許されたんだ。やっと零れた涙は、幹人さんが掬って、そっとあたしの唇に落としてくれた。
「はぁ!? うそでしょ?」
「嘘じゃないです。別にあたしもそれでいいし」
それから一夜が明けて、あたしは喫茶店で美幸さんにあったことを報告した。あたしたちはお互いの気持ちを打ち明けた。
そして、最後はキスをした。キスまでしたんだ。ちゃんとお互いが両想いだってことを確かめ合った。
「……なのに? 付き合ってないの?」
「はい」
「なんで?」
「なんで……? なんででしょうね」
あたしが聞きたいくらいですけど、と苦笑いをしたら溜息をつかれた。幹人さん曰く、やっぱり俺の歳で女子高生と付き合うのはそれ相応の覚悟がいるとのこと。逃げられたっぽいけど、あのまま追いかけてもいい結果にはならなさそうだし、あたしとしては、今はまだ幹人さんと両想いで満足だし、というかむしろそれでも幸せがパンクしちゃいそうだ。
「はぁ……」
「いや美咲ちゃん? 溜息をつきたいのは私なんだけど」
「幸せが逃げますよ?」
「うわ今初めて美咲ちゃんに腹が立った」
とにかく、幹人さんとしてはあたしのことも大切だけど、今はまだ杠葉さんの時についた傷を引きずってるから、中途半端は嫌だってこと。
──それにはあたしも同意だ。あたしだって、まだまだ、傷は完治してないから。
「そういえば」
そんなことは美幸さんもわかってて煽ってきてると思うから、話題を転換する。アイスコーヒーのグラスを机に置きながら、美幸さんはどしたの、と首を傾げた。幹人さんの気持ちは確認した。美幸さんも別に杠葉さんのカレシじゃなくても、バイト先の先輩として笑顔でいてほしいって気持ちがあることも。
じゃあ杠葉さんは? あの場にいなかった彼女は、幹人さんのことをどう考えてるんだろう。
「……お姉ちゃんが話したがると思う?」
「まぁあたしだったら露骨に話を逸らしますね」
「でしょう?」
まぁそうだよね、杠葉さんにとっては思い出したくもない過去ってことだからね。つまり美幸さんすら、杠葉さんの本当の気持ちは知らないってことだ。はぁ、そうすると想定しうる最大で最悪の展開が回避されてるわけじゃないってことか。
「美幸さんはあたしのこと、応援してくれますよね?」
「うわ、美咲ちゃん腹黒だよ、それはさ」
なんとでも言ってください。幹人さんにとって元カノ、美幸さんにとって家族、最悪の場合あたしは孤立無援状態になるんだから、それはなんとしてでも避けたい事態だ。それに、幹人さんが立ち直ってきた今更出てきて、はいそうですか、って渡せるほど、あたしは大切な場所にすらほどほどの人生なんて生きていたくないから。
「はぁ……複雑な立場」
「じゃああたしのことは応援しなきゃよかったんじゃないですか」
「私は恋する乙女の味方だもん」
「恋バナ聞きたいだけじゃないですか」
あたしのツッコミに美幸さんは当たり前でしょと言い出した。美幸さんは人当りがいいし明るいのにミステリアスなところがあって、背が高いのに胸はあるしで、男性にも女性にもモテる要素がてんこ盛りなのに本人の恋バナは聞いたことないな。
「う~ん、高校の時に一人だけかな?」
「え、そうなんですか?」
「あ、付き合ったりとかはないよ? 高校の時にすれ違う子がいてね、名前とか全然知らなかったんだけど──」
まるでここまで頑張ったご褒美と言うような感じで、美幸さんは語ってくれなかった美幸さんの恋を教えてくれた。よかった幹人さんじゃなかったんだ、と言ったら、でも今すぐ特定の誰かって言われたらなぁ、と流し目をされた。む、ライバルはこれ以上いりませんから、その昔の恋を叶えててよ、応援してるからね、