あたしから見た杠葉先生は、優しい人、って感じだ。
背は高めで、二の腕や太もも、腰回りは引き締まっていて、でもかわいらしいところもあって、くるりとカールした肩甲骨まである髪をポニーテールにしているのを解いてスーツじゃなくてふわっとしたスカートで街で歩いていたらさぞかわいいんだろうな、と思えた。
「では、奥沢さん、こちらの問いの答えをお願いします」
「あ、はい」
生物の時間にそんなことを考えながらぼーっと先生を見てたらにこりと笑われて当てられた。うげ、聞いてないのバレた。けど生物関連はゼミで専攻してたくらいに美幸さんがめっちゃ詳しいから答えわかっちゃうんだけどね。
すらりと答えると先生はちょっとだけ驚いたように瞬きをしてから何事もなかったようにまた続きを始めた。
──何を考えてるかわりにくいところも、なんだか美幸さんに似てるなぁと思いながら、あたしはその時間を杠葉先生の観察に費やしていた。
「……はぁ」
そして費やしてたら呼び出された。なんてこった。真面目にノートも取ってるのに理不尽だ、横暴だと言いたいけど、これも何かの縁、チャンスだと思って集めたプリントを持って杠葉先生についていく。職員室に通され、先生はご苦労様と微笑んだ。画になる笑顔だなぁと思う。そんなことを考えていたら、どうしたの? と首を傾げられた。んーどうしよう、美幸さん、なんか説明してたりするのかな。
「いえ……えと、杠葉先生って、美幸さんのお姉さんなのを、つい最近知ったので……」
「……美幸? あら、じゃああなたはあそこでバイトしているの?」
おお、一瞬だけ目が細まった。ホントに美幸さんとそんなに仲がいいわけじゃないんだね。でもあたしがそんなに知ってるわけじゃないと判断したのか、杠葉先生は家も近いのよ、なんてのんきな話をしていた。
「じゃあ今度買い物に来てくださいよ」
「……妹が、美幸が買ってきちゃうから、行かないのよ」
下手な嘘だ。いや、あたしが全部知ってるからそう思うのかな。幹人さんのこと、美幸さんのこと、あたしは全部知ってて、実はそんな幹人さんと両想いになったのがあたしだなんて、思いもしてないだろう。
「美幸と、仲がいいのね?」
「まぁ、時間帯被るんで、直接の先輩、みたいな感じです」
「あら夜なのね、夜道には気をつけないとダメよ?」
なによりびっくりしてるのはあたしが泊まりに来てたことに気づいてないことだよね。確かにあの日にいたはずなのに、あたしは一度も顔を合わせてなかった。それがちょっとだけ怖かった。こんなに明るい表情の先生に、暗いものがある気がして。
「それじゃあ、あたし……これで」
これ以上足を踏み入れない方がいい。幹人さんのためとは言え、なんかあたしの手に余る存在な気がして一歩引いた。
──だけど、その判断は遅かった。待って、とさっきより湿気を帯びた声がした。引いたところからぬるりと、まるでおぞましいモノに足を掴まれた感覚があった。
「はい」
「あなた、美幸の、ううん、
「……っ」
愛憎渦巻く、とはこのことなのかと思う瞳だった。瞳孔がさっきよりもほんのわずかに開いて、あたしを捉えてくる。背中に汗が流れる、あたしはその言葉の意味がつかめなかった。呑まれてしまった。
そうして、感情を拗らせた杠葉さんはお返事は貰えるのよね? と首を傾げた。どこか真っ黒な穴を覗き込んだような笑顔が、あたしの足を竦ませた。
「……誤魔化して通用、しませんよね」
「ええ……あなたと美幸が幹人くんの……いえ、
「お呼ばれ、じゃないんですかね?」
「誤魔化しは通用しない、と確認したのはあなたよ?」
お手上げだ。しまった、ラスボスにうっかりエンカウントしちゃったらしい。そろそろ暑くなってきたっていうのに、その瞳には寒々しいものを感じた。
というわけで、どこまで知ってるのかわからないんだから、あたしとしてはあんまりしゃべりたい内容じゃない。というか殺されそう。
「……まぁ、今はいいわ。どうやら私のことも知っているようだし」
あ、しまった。幹人さんとの関係を疑うべきだった。本当に杠葉さんは
でもさ、賢そうな言い回しで牽制するだけ。それで幹人さんを傷つけたんだってなら、言い返さないと気が済まない時だって、あたしにもあるっての。
「元カレさんとの関係を把握されただけで生徒にボロを出すんですね」
「……元カレ?」
そこで初めて、机の上にチェーンに通された指輪が光ったのが見えた。最初はオシャレかと思ってたけど、よくよく考えたら教師という立場でそんなことするわけない。そもそもそういう意図にしては、シンプルすぎる。
そうしたらあれは? 幹人さんがああいうのも持っていないことは知ってる。でもあれがもし、幹人さんのものだったとしたら、あたしは余計に引けない戦いに足を突っ込んでいることに、ようやく気が付いた。
「私は──」
「──元カノです。あなたは幹人さんの元カノです」
「……っ!」
よっぽどのことがないと表情が動かないやつ、とは聞いてたけどやっとまともにあたしでも完璧に把握できる感情を出してくれた。動揺してますね。でも、これ以上は正直職員室でする話じゃないよね。
丁度いいタイミングでこころがやってきて、あたしに向かって抱き着いてきた。ごめん、利用させてね、こころ。
「うわっ、こ、こころ?」
「美咲ー! 先生と用事かしらっ?」
「終わったところだよ、行こ、こころ」
「ええ!」
何かを言いたそうにしてたけど、流石にあたし以外の生徒に怒りや嫉妬を見られるわけにはいかないようで、何も言わずにあたしに視線だけを送ってきた。
でも、確認できた成果はあった。同棲して結婚を考えた恋人、ってのは思いの他簡単には他人だと思えないってこと。そりゃよっぽどのことがあったらわかんないけど、少なくとも美幸さんですらそうなんだから、杠葉さんにとってもそうだってこと。
「……大丈夫かしら、美咲」
「ん、そうだね」
「あたしは、杠葉先生も笑顔にしたいわ!」
もう一つ。この一見能天気に見えるお嬢様は実は関係者ってこと。流石にそこまで把握はできなかったみたいだけど。こころはちゃんとあのタイミングであたしに声を掛けてくれていた。
「今日はバイトはないのよね?」
「うん……こころも来る?」
「ええ、花音も、呼んでいいかしら?」
「もちろん」
あたしは、自分の気持ちを秘密にしすぎた結果一度、幹人さんを惑わせた。美幸さんが仲介してくれなかったら、きっと杠葉さんがそうじゃなかったらきっとあたしは今頃、あのバイトをやめてる。だからあたしはもう秘密にはしません。
好きなヒトを誰にも渡したくないって思うなら、ちゃんと幹人さんと向き合ってあげてください。棘を抜けるのは、杠葉さんしかいませんから。
──あたしは確かに無条件で盗られるのは我慢できないけど、だからって幹人さんに棘を残したままなんて、絶対に嫌だから。
「こころ」
「なぁに?」
「先生も笑顔にしたいよ、あたしはさ……」
「そうね、世界のみんなを笑顔にするのよ!」
こころの宣言にあたしは強くうなずいた。
やっぱり、あの日こころに出逢えてよかった。あの日、こころのハチャメチャな提案を否定しなくてよかった。諦めなくてよかった。正しくないと知ってもいいものがあると知ってよかった。あたしにとって、この明るい世界全てが、こころと幹人さんに貰ったものだから。
だったら今度はあたしが二人に、そしてみんなにその貰ったものをあげる番だから。あたしなりの世界を笑顔にする方法、見ててね。