──それまでの騒動が嘘のように穏やかだった日常だったが、それもいつかは終わる時が来る。精算してない過去から逃げることはやはり不可能なもので、俺が溜め続けた借金は、ある日突然、取り立てられる時が来た。
「美咲、弁当」
「ああごめん、行ってきます!」
「行ってら~」
ハロハピの練習に行くために部屋からパタパタと出ていく美咲を見送り、俺は伸びをして美幸があくびをする。お前は出かけなくていいのかよ、と問いかけるとおにーさまを一人にしちゃ悪いと思ってとか言われた。いらん世話を焼いてくるな。
「今日は折角だからお兄ちゃんとデートするんだよ」
「あっそ」
「服買いにね!」
そろそろ秋物だも~ん、と美幸は着替えるために部屋に戻っていく。まだまだ秋というには暑い季節なんだが、常に季節を先取りしなきゃ売れねぇってのは辛いよな。一応俺だって販売業のはしくれだし、幾らおおまかな棚割りは上が指示してくるっつっても、店によって売れるもん売れないもんは違うってハナシなんだよな。
「あとさ、お昼は火鍋──」
「それは別のヤツとにしてくれ」
俺の胃と舌はお前より繊細なんだ。あんまりいじめると明日の仕事に差し支えが出るっつーの。却下するに決まってんだろ。
美幸はケチーとおどけてくる。最初はなんか遠慮してたっぽい美幸もすっかりこの調子だ。思った以上に、この緩くて幸せな家族ごっこは充実していた。
──それゆえに、俺は考えることをやめていた。今が幸せで、俺はそれに満足しちまってたんだ。
「いや~、まさか本気で一緒に選んでくれるなんて思わなかった~」
「お前が頼むからだろ」
「でも、前までの幹人さんだったら絶対店の前でスマホ触ってたのにさ」
確かにそうだな。でもそれじゃあつまらないからと美咲に言われてからは、なるべく似合うのを考えたりするんだよ。いつも美幸には服選んでもらって……というか今日もこの袋ん中の幾つかは俺の服も入ってるんだよな。
昼めしはラーメン屋にした。そのセンスはどうなのかと思うが、麻辣に惹かれたやつがいたもんでな。
「今度は美咲ちゃんの服探しに行きたいな~」
「それは二人で行ってこい。俺は置いてかれるだろ」
「もちろん! お兄ちゃんとのデートにピッタリな服探してきてあげる」
それは美咲が真っ赤になるぞと笑っていた時だった。美幸があっと立ち止まり前方を見て、俺もそこに視線を向けて、同じように立ち止まった。
どうしてここで出会うんだろう。そう思わざるをえない。けれど俺たちは過去に置いてきたものをないがしろにしすぎた……その報いを今受けてるのかもしれない。
「奇遇ね、二人で仲良く買い物? 美幸がそんな風にきょうだいというものに幻想を抱いていたなんてね」
「……お姉ちゃん」
「お姉ちゃん? 家を捨てて、
「やめろ杠葉」
偶然、そう誰かが追いかけたわけでもなく偶然、俺たちは
──なんでお前たちが幸せそうにしているのかと。
「姉を捨てた子と恋人を捨てた男、お似合いじゃない」
「お似合いだと思うんなら放っておけねーの?」
「身内の醜態を?」
「……お前」
「たかがひと月一緒に暮らしてもう身内ヅラ? 相変わらず手は早いのね?」
相変わらずってなんだ俺は奥手だ。と顔をしかめたら同じことを思ったようで美幸が何やら怪訝な顔をしていた。こんな時にそのリアクションはやめろ。確かに美咲には実質手を出してから付き合ったという見方もできれば、去年の冬からだから優に半年以上もキスすらもせずに付き合ってきたという見方もできるんだからな。
「はぁ……まぁいいや。借金取り立てならウチで話すか」
「お
「……一応、出てっただけでお前んちだろ」
それが認められるようになったのもつい最近のこと。美咲と恋人になって、杠葉のことに決着をつけねーとって話していたからこそ、この言葉が出てきた。借金の取り立てが突然やってきたのには驚くが、別にタイミングが最悪だったわけでもねーからな。
同時に、これを解決しなきゃ俺たちの家族ごっこは、いつまで経っても本当の平穏と幸せを手に入れることはできねーんだ。
「そういう意味じゃないんだけど……まぁいいわ」
「美咲ちゃんにも連絡しておく。必要でしょ?」
「……そうね」
多分今のタイミングで連絡したら余計なのが二人くらいついてきそうだが、まぁいいや。
美咲たちが来るまでの少しの間、
「……私はね、家族が欲しかった。お父さんやお母さんの言っていたことは、今なら少しだけわかるけど……それでも、疲れちゃった時に寄りかかれる家族がほしかった」
それを美幸は俺の中に見つけた。だから家を出てって、ここに来た。本当にこのひと月で笑ったり、くだらないことでケンカもちょっとして、でもお互いの毎日あったことを知れて、食卓を囲んで、たまにテレビの前で寝落ちした美幸がもたれてくるのを受け止める。そんな日常こそを美幸は求めていた。
「俺は、ケジメをつけたい。どういう風にとかは全然、逃げてたからな……わかんねーけど、やっと素直に好きって言えるやつができたから」
過去にケジメをつけて、俺は美咲と一緒に、そして美幸と一緒にこれからも家族ごっこを続けていきたい。いつかは美幸が離れて、美咲と俺が本当の家族になって……でもやっぱり俺たち三人がごっこを続けたことの幸せを、未来で笑って振り返れるようになりたい。
──それは、杠葉にも似たようなものを感じた。でも俺とお前じゃ、どうしようもなく大人過ぎたんだよ。
「もっと子どもみてーに素直になれば、泣きわめけばよかったんだ。一緒にいたいって」
「そうすれば……一緒にいられたの? あの日も……あのクリスマスも」
「杠葉」
「幹人くんの好きは、奥沢さんに向けている好きも、変わらない……ごっこ遊びよ」
グサリと胸を抉られる言葉だった。怒り、は少しある。けれどいつだってフラットで感情の読めねー普段の杠葉のまま、俺を抉ってきた。
──そのタイミングで美咲が帰ってくる。案の定こころと花音も一緒にいて、二人は熱の入りすぎる当事者たちじゃねー客観的立場としていてもらうことにした。特に花音は俺の味方をしたそうにしてたが、これ以上は杠葉に負担をかけるからな。
全員揃ったところで、と杠葉は今度は自分から口を開いた。そして矛先を美咲に向けていく。
「奥沢さん」
「……はい」
「彼とは別れた方がいいわよ」
場が凍り付く。美咲が教師としてじゃない、一人の女性としての喜多見杠葉から放たれた言葉は……別れろということだった。
その奥に個人的な感情はない。淡々とした杠葉の、熱されることのないクールで確実な根拠を持った言葉だった。
「……は? い、いやいや、なんでそーなるんですか」
「いずれ、あなたも私と同じになるからよ」
「意味わかんないんですけど……あたしは、同じには」
いえ、と杠葉は首を横に振る。同時にそれは奥沢さんのせいじゃないからとフォローも一緒に。
いずれ同じになる。それは美咲の尽力とかには関係なく、俺が俺である限り変わらないのだと彼女は突き付けた。
「幹人さんが?」
「私の時と同じ。彼はあなたのことをわかろうだなんてちっとも考えてないわ。ただあなたの熱に反応しているだけ。誰にでも同じよ」
そんな突き刺すような指摘に唖然とする美咲に向かって、杠葉は語りだす。俺が知らなかった。俺と杠葉の日常を杠葉から視たものを。
──そこにある、俺すらも知らなかった、俺の醜さを明るみにしようと。