恋人未満な九歳差   作:黒マメファナ

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忘れられない相愛

 まずあったのは、沈黙。驚きに目を見開いて何も言えない幹人さんと、どこかその言葉を予想していたものの、見守ることしかできない美幸さん。そして、あたし。

 ──いや知ってたよ? 未練がましく机に指輪置いてあったし、写真もあった。でも、まさかこの状況でプロポーズまでとは……その真剣さを帯びた口調はさすがに口を挟めるものじゃなかった。

 

「ごっこ遊びはおしまいにしましょう? 今度こそ……ホンモノを見つけるのよ」

「杠葉……」

 

 幹人さんの瞳が揺れる。助けを求めるようにあたしを、そして美幸さんを映していく。でもそれじゃあダメなんだってのは、杠葉さんの話で嫌というほど思い知らされた後だったから。いや、あたしだって嘘だ、そんなの勘違いだって首を振りたい気持ちでいっぱいだよ。だけど、そんな子どものワガママで論破できるほど二人が過ごした時間は短くない。

 去年のクリスマスまでの約九年……そう九年。奇しくもあたしと彼の間にある年月と同じだけ、杠葉さんと幹人さんは一緒にいたから。

 

「これ以上、誰かの鏡でいるのは……おしまいにして。そうじゃないと、幹人くんは一生ごっこ遊びから抜け出せないの」

「幹人さん……お姉ちゃん」

 

 あたしが、あたしがあの時、幹人さんに甘えなければ……美幸さんも杠葉さんも、こんなに傷つかずに済んだのかな。大好きな幹人さんを悲しませて、傷つけてきた敵だと思っていた杠葉さんの口から出てくる言葉は、どれも幹人さんを本当に、心の底からやり直したい、間違いを正したいっていう真摯な想いばかりで……ここにあたしがいることが場違いなんじゃないかと思ってしまうくらい。

 

「俺は、俺は……」

「わかってるわ。今ここですぐ、とは言わない。今日はお暇させてもらうわね」

 

 そう言って、杠葉さんはコレは預けておくね、とクリスマスのラッピングが施された箱を置いていく。中身は、彼女が机に置いてあったものと同じ、指輪に違いない。

 そして、次にあたしの方をくるりと向いて優しく、けれどやっぱりどこかあたしにだけは一線を引いたように厳しく最後の言葉を残していく。

 

「大人になりなさい、奥沢さん。そして恋に曇っていない瞳で、幹人くんを見つめることね」

「お、お姉ちゃん」

「美幸は……今までごめんなさい。あなたに家族の温もりをあげられるのなら、私が頑張るわ」

 

 ああでも……やっぱり味方ではない。どんなに憐れみを向けられてもそれは感じてしまう。難しい立場にある美幸さんを取り込まれるカタチになって、あたしは家族を奪われたように茫然としてしまって。勝利宣言に近いものをこの場の余韻に残していく杠葉さんのその横顔を、あたしは眺めることしかできなかった。

 

「美咲ちゃん」

「美咲……大丈夫?」

 

 ──いや、味方がいなくなったわけじゃない。ここには幹人さんと美幸さん以外にも二人、あたしの側に立ってくれるヒトがいるんだった。花音さんはすごく苦しそうな表情で、こころはあたしを気遣うように眉を下げながら視線を向けてくる。だからあたしはまだ、まだ自分の想いを見失わずに済んでいた。

 

「幹人さん」

「……美咲。俺は、俺は……」

 

 十年の付き合いなんだから、杠葉さんが幹人さんを指した言葉は的確で正しいものだったんだろうなぁってのは、そうだよね。このヒトは鏡のようなものだったんだ。かつては杠葉さんの想いを映して……今はあたしの想いを映してる。だから、あたしができるのは願うことだけ。杠葉さんと同じ願いを、だけど少し違ってあたしの幸せでもある願い。

 

「杠葉さんの……言う通りだと思う」

「──そう、か。そうなんだな……」

「ごっこ遊びはもう終わりにしよ。間違いなら……それを正さなくちゃ」

 

 杠葉さんは幹人さんの気持ちを全て否定した。そこに彼の気持ちなんて存在しないってくらいの勢いで、強引にその虚像を砕こうとした。あたしはその虚像を砕くってことには同意する。他者に依存しない、本当の幹人さんが言葉を紡がなきゃ意味がない。

 

「でも、あたしは知ってる。幹人さんがただただあたしや杠葉さん、みんなの気持ちを反射してるだけじゃないってこと」

「……どういうことかしら?」

 

 だって、あたしはあのクリスマスの日の幹人さんを知ってる。本気で、本当にどうでもよかった。死んだっていいとすら思っていたあたしに対して、幹人さんは()()()()()()()って言ったんだから。

 

「そんなの、別に俺は……」

「ホラ、あたしは()()()()だなんてこれっぽっちも思ってない。あの時、幹人さんはあたしを抱きしめてくれた。それ自体はあたしの寂しいって気持ちを映しただけかもしんないけど……おっきな意味を持ってるんだから」

 

 幹人さんは、怖がって鏡を置いてその後ろに隠れてるだけ。そうなるまでに何があったのかは知らないけど、鏡なだけじゃない。どこかに、本当の宮坂幹人さんがいるはずなんだ。それをあたしは知ってる。あたしはその幹人さんに触れたことがあるから。

 

「杠葉さんの言う通りごっこ遊びは終わり。あたしは……ごっこじゃなくて、幹人さんとホントの恋人に……ううん、家族になりたい」

「でも、俺は」

「え、幹人さんあたしのこと嫌いなの? いっぱいキスしてくれたし、ほら……えっちも。なのに嫌い?」

「……美咲ちゃん。なんか話逸れてない?」

 

 逸れてないですー。確かに、そこまで確認取る必要はなかったかもしれないけどさ。でも、あたしが言いたいのはただ許可されたから、ただあたしが幹人さんのことを好きでそういうことをしてほしいからした、だけだって思えないってこと。

 

「どういうことなの、美咲」

「触り方がなんかやらしいって言うか、熱い感じって言うか……うーんなんて言ったらいいんだろ」

「触り方が……?」

「ふ、ふえぇ……美咲ちゃん、そういうの、こころちゃんにはダメだよお」

 

 あ、つい。でも、あたしが言いたいのはただただ鏡として映してるだけって、思えなかったなぁってこと。

 だって、ハジメテの時……あの時の瞳をあたしは一生忘れない。あの透き通った、欲を孕んだあの瞳を……ってのを伝えようとしていたら杠葉さんに話が逸れてるわよ、と不機嫌そうに言われた。

 

「俺は、その言葉に頷ける自信がない。それも、美咲の期待に応えただけって言われれば、そうなのかもしれねーし」

「ふうん。そんなつもりであたしを抱いたの? へえ……?」

「い、いやっ! だって……俺は」

 

 もう、ホント、いつもいつも言ってる気がするけど……今日こそは力いっぱい、気持ちをいっぱいに込めて言ってやる。思いっきり嘲るように、思いっきり蹴とばすくらいの勢いで、あたしは息を吸って、そして吐き出した。

 

「ばーっか!」

「ば……なんで」

「いいじゃん。好きなら好きって言えば、どーせ、杠葉さんのこともまだ忘れられない、とか考えてるんでしょ?」

「う……なんでわかるんだよ」

「ばーか、ばか、ばーか……わかるって。あたしだって、幹人さんのことずっとずっと見てたんだから」

 

 十年には遠く及ばない、一年にもならない時間だけどあたしは、杠葉さんが見てこなかった、失った悲しみを持っていて、それがあたしや美幸さんと関わっていくうちにどんどん元気になっていく幹人さんを見てきたから。

 

「そうだな……俺は、一度だって杠葉を忘れたことなんてねーんだ」

「あたしを抱いてる時もね」

「……あなた」

 

 はいはい。黙ってますよ。忘れられるわけないよね、だって、幹人さんにとってはクリスマスのあの時、あの瞬間まで一緒にいることが当たり前で、名前を呼ばれることが当たり前で、愛し合ってるってことが当たり前だったんだから。そんなんだから、ちょっとくらい妬かせて余計なことくらい言わせろばーか。

 

「いなくなって、美咲を代わりにしていく中で杠葉があの時言ったこと、わかんねーってなったことがたくさん、ホントにたくさんあった。けどな、わかったこともたくさんあるんだよ」

「わかったこと?」

「ああ、杠葉がどんな気持ちで俺の傍にいてくれてたのか、とか。なんで怒ったのか、とかな」

 

 それ、概ねあたしと美幸さんのおかげだけど、と言うと美幸さんがそーだよ~と唇を尖らせた。うるせーじゃないよ、だって幹人さん、杠葉さんにしたミスをあたしにもしてるんだからさ! 

 

「それがうるせーっての……んで、杠葉が何を望んでたのか、俺に何を期待してたのかわかった。つい最近……あいつらのおかげだけど」

「それじゃあ、答え合わせくらいしましょうか?」

「しなくても、もうわかってんだろ……杠葉」

 

 ええ、そうねなんて言うけれどその顔は、今にも泣き出しそうだった。なにせ十年だもんね。遠回りの恋だった……って感じなのかな。やっと好きなヒトに自分の気持ちを伝えられたって安堵の涙。その瞬間だけ、あたしには杠葉さんが制服を着たあたしと同じ歳くらいの子どもに見えた。

 

「ごめんな杠葉、もっとちゃんと、デートとか行けばよかった。好きって言えればよかった」

「そうよ。あなたはいっつも、私と並ぶとスペックが、とか言い訳ばかり連ねて……一度だって、あなたに好きだなんて面と向かって言われたこともなかった」

「わかってなかったんだ。杠葉が……俺のことをどうして好きになってくれたのか。なんで……家族になりたい、とまで思ってくれたのか」

 

 そういうとこあるよね、幹人さんは。ホントに、一体杠葉さんと会う前に何があったのやら……ってのは今は関係ないよね。

 杠葉さんも親の教育で他者に甘えることができなかった、助けを求めることも。だからその想いも不満も胸に降り積もらせることしかなかった。そうして出来上がった杠葉さんの外面を、幹人さんは歪んだ形で映してしまってたんだ。

 

「──でも、俺にとって……今の俺にとって夫婦、とか家族って言われて思い浮かぶ相手は……杠葉じゃない」

「幹人、くん」

「ごっこだったのかも知れねーし、それに反論なんてできるわけねーけど、今の俺を、ここまでバカで欲張りにしてくれたのは……美咲なんだ」

 

 それだけは、杠葉の気持ちを受けたわけでも、美咲の期待に応えたわけでもない。そんな風に弱々しく笑う幹人さんに、杠葉さんは何かを言おうと口を開いて……そして、それを一旦閉じてからため息を吐いた。

 

「バカね、本当に」

「だよな」

「ええ、本当に……バカなのよ、幹人くんは」

「ごめん」

「──っ!」

 

 あーあ……うん、今だけは見過ごしておこう。十年間、あたしがまだピカピカのランドセルを背負ってた頃から今日までの時間、ずっと、ただずっと愛したヒトに、愛してくれていると思っていたヒトにフられたんだもんね。ここでむっとするのは、幾らなんでも大人気がない。いやあたしまだ子どもの範疇だからヤキモチに喚きちらしてもいいのか、あ、どうしよっかな。ここであたしもわんわん泣いて空気ぶち壊しても許される? ない? やっぱりない? 

 ──という冗談はさておくとして、杠葉さんはこのひとときだけは、愛するヒトの腕の中に納まって子どもみたいに泣きじゃくって、幹人さんがそれを優しく包み込んでいた。

 

「お姉ちゃん……よかったね」

「美幸さん」

「……ん? な~に? 私のかわいい義妹(みさき)ちゃん?」

「もうちょっとで追い出すところだったよ、裏切者(みゆき)さん?」

「うぐっ!?」

 

 モヤモヤは愛しの義姉で発散しておくとしよう。なーにが私は恋する乙女の味方だからね、だよ。思いっきり杠葉さんの訴えに流されてたクセに!

 よよよと泣きかれ、言い訳を超早口で並べてくる美幸さんをあしらっているとその様子を、目許を腫らした杠葉さんがきょとんとした顔で見ていた。

 

「……美幸、あなたってそんな風に甘えるのね。知らなかったわ」

「……甘やかしてくれるって、知っちゃったから」

「姉として謝っておくわ奥沢さん。うちの愚妹が迷惑をかけているわね」

「本当に」

「そこは社交辞令でしょ!?」

「違うわよ?」

「肝心なところで美咲を放っておくからだな」

「いやおにーさまがそれを言いますか?」

 

 雨が降って、上がって、空に虹ができているように。杠葉さんはなんだかすっきりと晴れやかな顔をしていた。きっともう、雲はかからないんだろうな。

 これで二人はやっと、過去という借金を返済しきった。随分と延滞したせいで利息がついていたけど。過去を返済して、幹人さんは未来へと向かおうとしていた。

 

 

 

 

 

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