恋人未満な九歳差   作:黒マメファナ

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安定しない情緒

 朝、いつもの苦手な満員電車に乗り、ほんの数分揺られて二駅ほど。俺は通い慣れちまった店へと出勤する。今日は鍵開けじゃねーから、のんびり歩いて事務所に行くと、既に鍵開けをしていた化粧品担当の先輩がおはよーと手を振る。

 

「おはようございます駒沢(こまざわ)さん」

「ん、宮坂は今日も元気だね」

「まぁ、若いんで」

「そうね」

 

 そうねと笑う先輩は四つ年上の今年三十路突入なんだけど、そうは見えないエネルギーがあるよな。当たり前な気もするけど俺より背も五センチくらい小さくて、あんまり年上な雰囲気がしないから俺は付き合えてる気がする。年上の女のヒト、苦手だし。

 

「いや~、にしてもさぁ」

「なんです?」

「宮坂は最近ツヤツヤしてるよね~、やっぱり、コ・レ?」

「違うし言い回しが古いですよ」

 

 小指を立てる先輩に、俺はあきれ顔で返事をした。駒沢さんは美咲とも仲がいいからそういうことを言ってるんだと思う。パートさん方が出勤してきて、賑やかになる。朝礼をして、店を開けて、今日も俺の戦いが始まる。

 ──ここから、六連勤ほど。

 

「……それで、一日目から忙しくてこのザマなんですね」

「うるせー」

 

 やるぞと気合を入れてから早数時間、さっきまで制服姿だった黒髪ボブカットが俺の上から呆れ声を降らせてくる。コイツしれっと俺の前で着替えてたけどなんで平気なの? 俺は密かにお前が変態なんじゃないかって疑い始めてるんだけど。

 

「なに、コーフンする?」

「しない」

 

 ガキの下着姿でコーフンするかっての。じゃあいいじゃんと妙に納得がいかないんだけど反論もできない理論、というよりもはや暴論を振りかざしてくる。まぁもう着替えちゃってるし、気にもしてないからいいんだけど。

 

「まぁ、泊まる時は万が一見られてもいいようにしてるし」

「……どういうことだよ」

「……ばーか」

 

 なんでそこで返事がばーかなんですかねばーか。

 既にタイムカードを切っている美咲は、俺に向かってだれてないで指示くださいと冷たい瞳をしてくる。ホントこの女かわいくない。

 

「んじゃあ……レジは?」

「今日はないよ? というかなんも書いてないんだけど」

「なんで?」

 

 と首を傾げる。今日のシフト作ったの駒沢さんじゃなかったっけ。あのヒトがそんなくだらないミスするようなヒトだと思わないんだけど。

 じゃあわざと白紙? なんでこんなクソ暇な時に限って? 

 

「じゃあ、あたしの判断でいいってことですか?」

「いやそれはダメだろ」

「じゃあ指示ください」

 

 といってもやっぱり納品も足りてるから期限チェックとかその辺かなと考えてると丁度シフトを作った駒沢さん本人が事務所のドアを開けて美咲ちゃんおはよーと笑顔を浮かべた。

 その笑顔は俺にとって確実な悪意がある気するのは気のせいでしょうか。

 

「駒沢さん、あたしのシフト真っ白なんですけど」

「あーそれ? 美咲ちゃんは自分の好きなようにしてていいから」

「は? ちょっと駒沢さん」

「宮坂?」

 

 目が怖いです先輩、黙ってろってか。ええ黙らせていただきますとも。そう言って上体を起こしてパソコンに向き合っていると、美咲は意を決したようにそれじゃあ、と俺の方を見た。なんとなく予想ができてたよ、この展開。

 

「宮坂さんの作業手伝いでも、いいですか?」

「うん、いいよ。じゃあそれで、宮坂も」

「……わかりました」

 

 そう言って駒沢さんはじゃあお先、と手を振った。早番いいですね。俺なんかフルですよフル。たまには代わってほしいけど、そんなこと言ったって俺と駒沢さんじゃできることが違うので言わないでおく。

 それじゃ、と更衣室に消えていく駒沢さんを見送り、俺は溜息をついた。

 

「……なんか、ごめんね」

「美咲が謝るイミわかんねーけど」

「だって」

 

 あーあー、お前の泣き言とか迷いとか聞きたかねーんだけど。今業務中だし、万が一事務所に誰か来たらなんて説明すりゃいいのかわかんねーんだからさ。

 ──そう思いながらも美咲、と名前を呼んで、その髪を撫でちまうのはよくねーことなんだろうけど。

 

「落ち着いたか?」

「……ん」

「正直手がいっぱいだから、美咲が手伝ってくれるんだったら助かる」

「……ん」

 

 猫の手でも借りたい、というヤツだ。実際に美咲の手は頼りになり過ぎるほど頼りになるんだけどな。

 しばらく撫でていてもまだ下を向く美咲に今勤務中だ、と声をかける。

 

「今日も泊まってくんだろ?」

「……いい?」

「いつも言ってる。好きにしろよ」

「……ん」

 

 最近の美咲は妙に様子がおかしいことが多い。何かあったんだろうとは思うが、俺はそこに踏み込むだけのエネルギーを持ってない。俺にとって、美咲がかけがえのない存在だったとしても、恋人でもなんでもない、ただ夫婦ごっこをしてるだけの関係だから。

 ──いつまでも続く関係じゃないからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は対して手伝いにもならなかったような気がする。あたしはずっと集中できなくて、どこかで上の空だった。最近、なんか情緒不安定だ。

 十時になって、お店が閉店する。事務所にあー疲れた~、とやってきたバイトのヒトがあたしを見てぱっと笑顔に変わって、美咲ちゃんもお疲れ~と手を振って、タイムカードを切った。

 

「今日も旦那の手伝いで残業?」

「旦那……別に、宮坂さんはそんなのじゃないですよ」

「あは~、照れちゃって、かわいー」

 

 大学三年生の彼女は学生バイトなのにそれなりにいるから何かとあたしを気に入ってくれてる。曰く女は三度の飯よりも恋バナ、だそうでいつもあたしと宮坂さんを()()()()()()に収めてからかってくる。あたしにはわかんないや。

 

「おい喜多見(きたみ)、早く着替えろ」

「はーい」

 

 更衣室に消えていく喜多見さんを見送って、あたしはタイムカードを切った幹人さんのすぐ近くまで行く。

 優しくて大きな手が、お疲れ、とあたたかくあたしの頭を撫でてくれる。情緒不安定になったあたしにとって、幹人さんに触れてもらうというのはそれだけで安堵感に繋がる。だからって長時間抱きしめられたり、一緒に寝るのはムリ。ドキドキしすぎてどうにかなりそうだから。

 

「……ありがと、み、宮坂、さん」

「元気出たか?」

「うん」

 

 素直に頷いたあたしに幹人さんはならよし、と笑った。太陽……には届かないけどキラキラした笑顔だった。これがあたしがあげられた笑顔なんだっていうのは、ちょっと自惚れかもしれないけど。

 ──幹人さんが初めて笑顔を浮かべた時はもっと、無理をしてる感じだった。傷ついたあたしに手を差し伸べてるくせに、一番傷だらけなのは彼だった。だからあたしはその傷だらけの手をとって、一緒にその傷を塞いできた。だからあたしも笑えるんだ。

 

「そーいえば、宮坂さんと美咲ちゃんっていつの間にか仲良しでしたけど、なんで?」

「さぁな」

「えー教えてくださいよ~、ね、美咲ちゃんも」

「ナイショです」

「うわ~アヤシイな~」

 

 口には出せないけど、まず順序が逆なんですよ。バイトをして幹人さんと知り合ったんじゃなくて、知り合ったからあたしはこのバイトを始めたんです。歳の差は離れてるし、幹人さんは地元のヒトじゃないし、でも一緒の電車に乗るしってことで、喜多見さんは頑張って推理しようとしてる。けどその順序が逆な限り絶対に分からないと思う。

 結局考えは纏まらなかったようで、喜多見さんはお疲れ様です~と帰っていった。

 

「……送ってかなくていいの?」

「喜多見を?」

「うん」

 

 喜多見さんかわいいし、こんな遅くに一人で帰らせるのはどうなのという意味を込めての言葉だったけど、幹人さんは大丈夫だろ、と駅の方へと歩き始めてしまった。なんでそんなに、とあたしは幹人さんの前に立ちふさがる。

 

「この時間に美咲連れまわす方があぶねーよ」

「そう、かもだけど……」

「それに喜多見は歩いて二分とこに家があるからな」

「……そうなの?」

 

 そう、と幹人さんはからかうように笑ってきた。

 なんで知ってるのか聞いたら、ずいぶん前に送ろうと提案してたらしい。早く言ってよばか。また空回りをしたあたしに、幹人さんはそんなことより腹減ったよとまた笑ってくる。

 

「今日は生姜焼き」

「重いなぁ」

「今日あたしはもう出かける前に食べてきてるから」

「りょーかい」

 

 確かにこの夜に生姜焼きは重い。でも、これから六連勤の誰かさんには、倒れてなんてほしくないから。あたしなりの頑張れって意味がこもってる。

 ──でも、やっぱりあたしは重いのかな、ってちょっと思うことがある。重い女は嫌だ。もっと気楽に過ごせるヒトになりたいな。重くなっても、あたしの想いが幹人さんに届くことは、きっとないんだろうから。

 

 

 

 

 

 

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