「フゥーッ…フゥーッ…」
森の中で荒ぶる声。
刀傷のオークは己が失った左腕の断面から流れ出る血を止めるために着ていた服などを千切りその断面を覆うようにして止血を図っていた。
結果、血は止まりはせずに布からも滴り落ちるがそれでも幾分かマシなくらいにはなった。
今すぐ多量出血による死は免れた。
「フゥーッ…フゥーーッ……」
今、刀傷のオークが行っているのは呼吸法による精神統一。怒りに呑まれていた自分を一度落ち着かせようとしている。
これにより冷静な頭を取り戻して感情任せな行動に身を溺れさせないようにしようとしている、というのもあるが目下の目的は興奮状態では血の巡りが早くなるために出血量が多くなることを防ぐためでもある。
「フゥーーーーッ……………オノレ、エルフ、メガ……」
未だ自分の腕を切断したのはエルフだと考えている刀傷のオーク。
幾度かの呼吸で平静に戻りつつも怨敵に対する私怨が消えたわけではない。
ユルサヌ。
その炎は未だに燻り続けている。
ユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌ。
鳴りを潜めかけていた怨嗟の炎が再燃しだす。
刀傷のオークの目的はエルフの捕縛。
オーク族の繁栄のため、力を得るためにかつては滅びたとされる尽きることがないとされる魔力を保有するエルフ族はどうしても欲しい。
そのため、なるべく無傷の状態での捕獲が必須とされているわけなのだが。
ユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌユルサヌ。
心は矛盾する。
一度点いた炎は勢いを増す。
頭では分かっていても感情はままならない。
芯にある部分が理屈などを置き去りにしていく。
ユルサヌエルフッ!!
そしてその火が黒く強く輝きだす。も。
ガクッ。
「!?」
膝をつく刀傷のオーク。
視界もぼやけ始め輪郭もはっきりとしなくなり、頭の血の巡りもドクッ、ドクッ、ドクッ、と痛いほどに早くなるのを感じる。
見ると止血していた左腕の断面からまた出血量が多くなっており、立ち止まったその場で血だまりが出来る程になっている。
このままいけばエルフの元にたどり着く前にまず間違いなく絶命するだろう。
そのことを悟ったオークもまずは血をどうにかしなくてはならないと判断する。
止血はなんとか出来たとしても問題は出血量。血を失いすぎている。
取り戻すには今すぐに栄養源となるものの摂取だが、あいにく近くにそれとなってくれるようなものが見当たらない。
探しに行こうにも血を失いすぎた体ではまともに動くことも出来ない。
まさに八方塞がりな状態。
意識も次第に保てなくなりつつあるところで。
刀傷のオークの懐から何かが転げ落ちる。
それは布に包まれていた。
布には夥しい数ほどの文字のような文様のようなものが記されており、中には小瓶のような土器が入っている。
それがオークの目の前、視界に映る。
エルフ捕獲の任に就く前。刀傷のオークはこれを渡されていた。
なんでも中には強力な力が封じ込められているらしく、緊急時以外でこの封を切ることは許されないと仰せつかっていた。
生き残りのエルフ一人に、矮小である亜人のゴブリン相手にそのようなことは起きないだろうと思っていた刀傷のオークは中身の力に頼ることなどないだろうと高をくくっていた。
だが、刀傷のオークは敵を見誤っていた。
エルフには逃げられ。
知ることはないが仲間はやられ。
そして今、自らも死にかけている。
もはや躊躇などしていられなかった。
オーク族の繁栄。
エルフの捕獲。
そして私怨。
さまざまな想い、目的、思考が錯綜する中で刀傷のオークは藁にもすがる思いで。
その封を切る。
暗転。
刀傷のオークの命が尽きた。
◎◉◎◉◎◉
「……………?」
森の中。
黒コートの少年の歩みは止まる。
二体のオークとの戦闘を終えた少年はその足で刀傷のオークの元へ向かっていた。
しかし、土地勘のない森の中で無闇に動けば迷うことはもちろん負傷しているとはいえ向こうからの奇襲に遭うこともあり得る。
どっかの黒メイドは地図が書き換わるほどに森を吹き飛ばすなんてことをするがもちろん少年にそんな芸当は出来ない。というか出来たとしてもやらない。
そこで少年は魔眼を開眼させたまま移動していた。
魔眼・真円の瞳は魔力を視ることが出来る。
オーク族のようにニオイなどを媒介にして抽象的な捉え方をするのではなく、直接感知が出来るのだ。
そのため先のオーク二体も魔眼でその魔力を感知することでいずれにしても先手を打つことが出来た。
そして今向かう刀傷のオークも同様に魔眼での位置の捕捉をしていた。訳なのだが。
反応が消えた…?
そのオークの魔力が消えた。
魔力を生命力とするこの世界で魔力を消失したということはすなわち死を意味しており、この場合ならば刀傷のオークは死んだということになる。
だが、命を失ったばかりであったとしてもしばらくは体内に残る魔力は残留するもので。
いきなり全てが消失することなどない。
ドドドドド。
地響きが聞こえる。
遠くから、質量あるものが移動するような。
ドドドドドドドドドドド。
地響きは大きくなる。
速く、確実にこちらに向かってくる。
なにか、来る。
少年は身構えた。
魔眼は依然としてなんの反応も示していない。
だが、明らかに“なにか”はやってきている。
「っ!?」
少年は失念していた。
少年は知っていた。そのことを。
知っていた、故の油断なのか。
いずれにしても。
脅威というのはいつどこで生まれるのかは分からない。
あの時きまぐれで助けた小動物が後になって人々を殺す猛獣と化すことも十分にあり得るのだ。
脅威は、すぐそこにいるということもあるということも。
◎◉◎◉◎◉
巨大な手が少年に迫る。