「母さん!」
少年は野を駆ける。
一面が白い花に埋め尽くされた丘の上で、ただ一人佇む女性の元に。
白の花弁が舞う中で、女性は少年の姿を捉えると微笑を浮かべて手を振るのだった。
それに応じて少年も手を振り返す。
「あははっ」
穏やかな時間。
二人の親子だけの幸福な時の流れ。
年相応な無邪気な顔を浮かべて少年は一刻も早く女性の元に向かうために足を速く動かす。
「オービット」
女性の口から少年の名が呼ばれる。
「はい!母さん!今そちらに向かいますから!」
「ダメよ」
そこで否定の言葉を掛けられる。
女性は首を横に振り――。
「まだ、こちらに来ては――」
◎◉◎◉◎◉
「っ!!?」
現実。
少年の眼前には巨大な手が迫っていた。
その手が少年を頭から飲み込まんと覆いつくそうとしたところで――。
バクンッ!
少年は済んでのところで回避に至る。
そのまま巨大な手から距離を取る。
――今、死の予感がした。
少年は逸る胸の鼓動を押さえながらに考える。
おそらく、あのまま掴まったら死んでいた。
少年は自分でも説明がつかない予感があった。
魔眼の力があれば今の一撃とて少年には容易に躱せるはず、それであったとしても死の感覚が訪れるのを感じたのだ。
咄嗟の回避行動を取った。
あれは一体なんだ?
少年も初めて見るものであった。
見た目は何かの巨大な手そのもの。
しかし手首の辺りから腕はなく完全に手のみで自立活動しており、さらには各指の関節はめちゃくちゃで触腕が如き様相で蠢かしており、その巨大な手を引きずるようにして指の力だけで移動をしている。
生き物――のように見えなくもないがそのビジュアルからしてもこの世の生物とも思えず、少年の印象からして『まるで無茶な実験を繰り返して生み出されたクリーチャー』に見える。
巨大な手のような生物はしばらく周囲を探るようにその指を蠢かしていると。
グパァ…ッ、と。
手の甲辺りから切れ目のようになっていたところから口のようなものが現れる。
『うpぼグrがぎgぎぐがzごガrごぉおオoおrおオオおaおおおtおオおwっッっっ!!!!!!』
およそ鳴き声とも言葉とも思えぬ音を発するとその巨大な手は少年に向かって行進する。
「くっ!」
少年はまだ言いしれぬ不安を抱えたままに武器を構える。
構えた武器は柄の部分にワイヤーが繋がっている短刀二本。
真っすぐこちらに進行する巨大な手に対抗するように少年も駆けだす。
「ハァッ!」
接触しそうな距離まで接近したところで少年は一気に巨大な手の上を飛びすさぶ。
そして伸びたワイヤーは巨大な手を覆うようにして――。
スパンッ。
直後に切断の音。
ボトボト、と肉片が落ちる音が聞こえると少年の口から安堵の息が漏れ出る。
「フゥーーー……何だったんだ一体…」
未だ得も言われぬ不安を胸に、少年は一度未知の生物の遺骸を調べてみようと振り返り――。
その眼前には巨大な手のひらが映っていた。
「っ!!?」
バクンッ!
まるで飲み込むように閉じられる巨大な手。
そのまま勢い余ったのか転がるようにして森の木にぶつかり、ひっくり返る。
しかし、開けた巨大な手の中にはなにもなく――。
「ハァッ…ハァッ…」
木陰で息を切らす少年の姿はあった。
咄嗟に体を透過させて地面の中に逃げ込んだことで躱せたけど…。
木陰から覗き込むように少年は巨大な手のような生物の様子を見る。
未だ巨大な手はひっくり返した虫のようにその触腕のような指を蠢かせていた。
どういうことだ?確かに斬った感覚はあったはずなのに…。
直接見たわけでなくとも巨大な手を斬った感覚はあった。だが巨大な手のような生物のどこを見てもその痕跡らしいものは少年には確認出来なかった。
「…試してみるか」
言うや少年は短刀を懐にしまうと次は腰に差した鞘から軍刀を引き抜き、手に構える。
そのまま巨大な手がいる方向に向けて上段斬りの構えに入る。
「…一ノ構え」
呼吸に合わせて軍刀を振り下ろす。
「『稲妻落とし』!!」
すると少年が振り下ろした先がまるで落雷でも落ちたように衝撃が走る。
衝撃は続き、そのまま延長線上にいた裏返しのままの巨大な手のような生物を真ん中から両断する。
「…………」
左右に分けられた巨大な手はそのまま沈黙するかと思われた。
すると。
「っ!!?」
ウゾゾッ、と。
左右に分かれた巨大な手が共に身震いするように動き出す。
切断面からは細い管のようなものが伸びており、それが左右のものと組み合わさると複雑に絡まり合うようにして繋がっていき――。
そして、切断されてからわずか数秒の間でその異形な姿を取り戻した。
「ウソだろ…っ!?」
少年がその衝撃的な光景を目の当たりにして驚愕している間に、巨大な手のような生物はようやく裏返しの状態から起き上がることに成功すると、すぐさま少年の元にその触腕のような指を這わせる。
「こっちの位置も把握済みか……クソッ!」
悪態をつきながら少年も応戦するために軍刀を片手に握りしめ、駆けだすのだった。