【proof1.:Who is he ?~まずはじめに~】
オービット・グライシスという人間がいた。
いや。
いる。
彼という人物を語るにはあまりにも容易いものがあった。
否、なにも彼が歩んだ人生がそれほど順風満帆だった、というわけではない。
その環境がありふれたものであった、というわけでもない。
何かの伝統を守っていた、ということでもなく。
平凡。
それがオービット・グライシスという人間を言い表す言葉になるからだ。
彼はいわゆる普通の少年である。
能力は平均的でこれといって突出したものはなく。
山に囲まれた田舎で育ち。
極々普通な少年であった。
時に友達と一緒になって悪戯をして一緒に怒られたり。
困っている人を見かけたら積極的に手助けする。
母親思いで気さくな少年であった。
あの日までは。
それは全てをひっくり返す。
“普通”との永遠の別れ。
あらゆる事実が塗り替えられ。
【オービット・グライシス】という人間は特別となった。
「……なんで…なんでこんな時に」
それはあまりに悲痛なる声の形。
「今更どうしろって言うんだぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっっ!!!!!!?!???」
自分の世界が塗り替えられていく最中、少年は叫ぶ。
その瞳を妖しく光らせて。
◎◉◎◉◎◉
「ようやく、お目覚めになられましたか」
◎◉◎◉◎◉
目が覚める。
戸も閉め切られた一室。
薄暗い部屋の中に木で出来た蔀の隙間から入り込む光の筋が部屋中に舞う埃を映し出す。
その部屋に設えられていたベッドの上で少年――オービット――はしばし天井を見続ける。
また、あの時の夢か。
額に手を当てる。すると自分が汗をかいていることに気づき、うなされていたのだと思い知る。
全てはあそこから始まった。
全てを失い、全てを書き換えられ。
そしてこの世界と戦うことになった。
生まれつき、特異な体質だったこの身体では生き抜くだけでも一苦労したものだったが、さらにそこから戦うための力を、技術を、そして知識を身につけてようやく今の自分がある。
でも、まだ何も終わっていない。
力をつけても、技術を習得しても、知識を蓄えても。
世界というのは簡単に負けてはくれなかった。
戦いは今もまだ、続いている。
「……………」
目を瞑り、息を吐く。
そのまま体を起こそうとするが、まだ先の戦いでの消耗が激しいのかまるで身体の上に物が置かれたように体が重い。
「ご主人、いかがされましたか?」
すると、薄暗い一室の中でまるで鈴の音のような優しく響く声が聞こえる。
「……あぁ、リリア。戻っていたのか」
「はい。本日の明朝頃に」
召使の少女はやたらくぐもったような声をしているのは口元に何かで覆っているからか。なにせこの部屋は長いこと誰も使っていなかったため埃が多く舞っているおり、口元に布か何かで押さえているのかもしれない。
本当ならば今すぐ掃除を行いたいところなのだろう。
構わず召使の少女は言葉を続ける。
「汗が凄いようですが…お身体の方が優れないのですか?」
「……いや、ちょっと昔の夢を…悪い夢を見ただけだよ」
少年のその言葉に召使の少女は一瞬ピクリとしたが。
「左様ですか」
と、特に詮索することもなくさらりと流した。
パサリ、と衣擦れの音がする。
なんだかんだと長い付き合いとなる召使の少女、リリア。普段の珍妙な言動には日々少年オービットの頭を悩ませているが、こういうさりげない気遣いというか距離感には助けられている部分もあるにはあった。
「しかしここまでうなされているとは…もしや枕が硬くて寝苦しいのですか?」
「………まぁ、それもあるのかもしれないけれど――」
戸も閉め切られた一室。
薄暗い部屋の中に木で出来た蔀の隙間から入り込む光の筋が部屋中に舞う埃を映し出し――。
「一番の理由はお前だ。リリア」
そこに一糸纏わぬ姿の少女が現れる。
少年が寝ているベッドに馬乗りになって。
「………………………………………………………………」
沈黙が続く。
「……一応、聞くけど何してる?」
「夜伽を」
実にどストレートな返答だった。
ちなみにもう朝である。
「……冗談も程々にしてくれ。まだ身体も本調子じゃないんだ。さすがの僕も今はお前のツッコミ役には徹しきれないよ」
「そうでもない、と思われますが」
「…………?なんにせよ。早く降りてくれ。重い」
「お断りします」
実にハッキリ断られた。
この召使は自分の立場を本当に理解しているのかと主人である少年は心配になった。
「とも、言いますが。だからこそ、とも言えますね」
「……………………………………どういうこと?」
なんだか嫌な予感しかしないが、聞かなければ良いものをオービットは聞いてしまう。聞いてしまった。
「普段のご主人であれば私を足蹴にして縛り付け、外に放り込むプレイに移行することなど造作もないことでしょう。えぇ、えぇ。それも一つの愛なのだとお見受け致します。しかし私としてもご主人の直接な寵愛を受けたいのです。飢えているのです。もう堪らないのです。そこになんと、今、ご主人が魔力の消耗で床に臥しているではありませんか。弱っているではありませんか。今のご主人は必要最低限のことしか出来ないはず。そこで昨日の晩頃に思い立ったのです」
少女は少年の顔を恍惚とした様で眺めて。
「あ、これ絶好の好機では?と」
やっぱり聞くべきじゃなかった。
主人が弱っているところをつけ込むなど召使の風上にも置けない性悪メイドである。
しかし当の本人はそんなこと気にも留めないどころかそもそもそんなこと考えたこともなさそうである様子。
ちなみにこの場合の「必要最低限」というのは多分だが抵抗とかそういうことではない気がする。
多分、「そういうこと」の方である。
「それではさっそく…」
一通り言い終えた生まれたままの召使の少女はそのまま顔を近づけてきた。
手元もなにやらよからぬところに当たっている。
「いや待てまてまてまてまてまてまてまてまて!!待って!洒落になってないから!洒落にならないから!一旦、落ち着け!そして離れて!」
謎の恐怖感に少年は必死の抵抗を見せるも却ってそれが召使の少女のなにかに火を点けてしまったようで。
「んふふふ。恥ずかしがっているのですね。でも大丈夫です。怖いのは一瞬。後のことはこのリリアに任せて楽にしていてください」
より状況は悪化する。
「おい待て!マジでやめろ!………………え、ちょっ、本気?これ本気のヤツ!?」
「このリリア。主人に向かって偽りを語りません」
「だれかーっ!!だれか助けてーっっ!!!」
生まれたままの召使の少女の力も増していく。
少年の最後の防波堤もあとわずかで決壊寸前であった。
「んふふ、んふふふふ。さぁ、ご主人。観念してこのリリアと甘い一時を。そして新しい世界を見ましょう」
「やだーっ!!こんな感じでするのやだーっ!!」
「んふふ、んふふふふ、んふふふふふふふふふふふふふふ」
目を爛々とさせたままに、召使の少女は迫る。
そして。
「いやーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!」
「ソイツから離れなさーーーーーーいっっっ!!!」
「ヒィイヤァアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!??」
突如部屋に眩いほどの閃光が迸る。
その光に晒された召使の少女はまるで浄化された魔物のような声をあげるとパタリとベッドの脇に倒れこむのだった。
部屋の扉が開け放たれ、そこに立つ人物が一人。
「こ、こここここここここ声がす、するからな、なになに何事かとおもっ、おもおもおも思ったら!な、なななななななななな何してんのよあなたたち!!?」
そこには長い金色の髪をおろし、端正の整った顔を茹ったように紅潮させながら言う寝間着姿のエルフ、アレカがいた。
そのまま溢れそうなほど豊満な胸を揺らしながら部屋に入ってくる。
一方、その魔力の性質より光の魔力にめっぽう弱いリリアは。
「おのれ………またしても私とご主人の邪魔を………!だがご主人の正妻ポジションは誰……に…………も…………………………」
と、酩酊したように呻き声のような声を発しながらそのあられもない姿を晒し続けていた。
さらに一方のオービットはというと。
「あぶなかった……本当にあぶなかった………もう少しで……」
と、なにやら独り言のように呟きながら涙を流していた。
「本当になにしてたのよあなたたち…………」
場が混沌とする中で、寝間着のエルフの呆れた声が聞こえるのだった。