二日後。
「んっ………」
窓から差し込む陽光に迎えられながら眠れるエルフ、アレカはベッドの上で目を覚ます。
「………あれ、あたし」
確か朝食を取ろうと人族の料理を作って三人で食卓を囲って…………………。
…………………………………………………………………。
なぜかそこから先が思い出せない。
「んぷっ…」
思い出せないが何やらとんでもないものを目の当たりにしたような感覚。ずっと狙われる生活を過ごしてきた彼女にとって久しぶりに訪れた平穏の中で時折見せる陰りが夢の中にでも出たのだろうか。
と、解釈することにした。
「…とりあえず……顔でも洗おう……」
まだ足取りもおぼつかない中、なんとか立てたアレカはそのまま部屋を後にし、近くの湖で洗顔に向かうのであった。
◎◉◎◉◎◉
ポッカ村・湖畔。
この村の湖はかつては生活用水として使われていたということもあってか、廃村である今も水は澄んでおり、そこに住む動植物も生気に満ちていることがわかる。
まさに生命の水と言えるだろう。
目を覚ますために顔を洗いに訪れた寝起きのエルフも着ている服をだらしなくしながらもそこの水を手ですくい、顔に当てる。
水の冷たさと森に囲まれた新鮮な空気に晒される心地良さも相まって眠っていた頭が一気に起きる。
心が休まる。
…………そんな心地になれたのもいつぶりだろうか。
久しく忘れていた安寧の時に浸る悠久を生きるエルフ族もこの時は少しだけ胸が高まっていた。
……久しぶりに身体を清めようかしら。
自然と共に生きるエルフ族の習性の一つに自身の身体を川の水などで清めるというものがある。
元は自然界の魔力との結びつきを強めるために行われていた習慣のものであったとされるが、アレカの世代では人族で言う湯浴みをする程度の認識になっていた。
特段しなくてもそもそもの自然との結びつきが強いために必要がないのではあるが、人族が風呂に入らないと気持ちが悪いように、エルフ族もまた水による清めを定期的に行わないと落ち着かない。
それはアレカも同様であった。
しかし、逃げ続ける日々の中で常に警戒を継続していなければいけなかった環境の中で彼女の日課を行えるほどの余裕などあるはずもなくーーー。
辺りをキョロキョロと見渡す。
よし……誰もいない………わね。
念入りに目視で人影などがないかを確認した後、今度はエルフ特有の特徴を持つ長い耳を澄ませる。
エルフ族の聴力は人族のものと比べると十キラール先の小動物の足音まで聞き分けられるとも言われている。
これは森に生き、自然と共にあるエルフ族だからこそ、狩の際に遠くにいる獲物をすぐさま察知するために備わった能力とも言える。
うん………二人は今は母屋の方にいる………わね。
周囲には誰もいないことを確認出来たアレカはある場所へと足を運ぶ。
「あったあった」
彼女が向かったのは村と森とを繋ぐ橋の下。
アーチ状に作られた橋の下では湖に繋がる川が形成されている。
ここは以前、隠れ家として身を潜めていた時にアレカが偶然見つけたところだ。
「さて……と」
改めて周囲に誰もいないことを確認し、それを終えるとおもむろに自分の着ていた服に手をかける。
「んしょ………っと」
衣擦れの音。
一応は借り物であるため汚れないように丁寧に畳んでおく。
そして生まれた姿のまま川の側に屈み込む。
「んっ……」
まだ寒さが残る季節、その身に冷水とも言える川の水を浴びたアレカはそのまま川の中に入る。
「………ふぅ」
冷たさよりも気持ち良さが勝り、寝そべるように水に浮かぶ。
昔はこんな風に何の気兼ねもなく水浴みしたっけ。
遠い、かつての故郷での記憶。
その情景に彼女は一人想いを馳せる。
逃げ続ける日々の中じゃ………こんなに無防備な姿をおめおめと晒すことは出来なかったものね………。
次に想起するは逃走の日々。
命からがらに逃げ延び、多くの犠牲を払った地獄のような時間。
忘れたくても忘れられない思い出、記憶。
………みんなは今どうしてるかな。
そして思い浮かぶのは仲間たちの顔。
ザッポにトギーは大丈夫かしら、グルルとハギラはまた喧嘩とかしてないといいのだけど、ググとガギラニはまだ身体が本調子じゃないから無理してないといいのだけど……。
あれから数日、アレカは仲間のゴブリンたちに会っていない。
そもそもどこにいるのかも彼女は知らない。
聞かされていない、というよりも彼女自身が聞かないようにしている。
怖いのだ。
自分という楔から解き放たれ、ようやく安寧の時を過ごせるようになったというのに、そこに自分が戻ってきてしまったらまたみんなを危険の渦中に巻き込んでしまうのを。
彼らの生活を壊してしまうのを。
守っていたのではなく守らされていたのだということを。
自分が全ての原因だったのだということを。
アレカに迫る脅威は依然去ってはいない。
ただでさえ希少であるエルフ族。その存在が明るみに出れば必然、彼女を手に入れようと躍起になる者も現れてくるというもの。
それが発端でまた争いが生まれるということを彼女も分かっていた。
そのため、そうならないようにするためには彼女自身がどこか遠くの人気の無いところで息を潜むように隠れ住むしかなくなる。
そうならざるを得ない。
でなければ。
それに………。
と、アレカは水に浮かんだまま長い耳を澄ます。
「まだ、問題は残っているみたいだし、ね」