Hunky Dory Day   作:栗粉塵爆発

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Hunky dory day3

応援のパトカーが到着し、バンディの部屋はあれよあれよという間に捜査現場と早変わる。入り口には「Keep Out」と書かれた黄色いテープが張られ、証拠保全用のジュラルミンのケースを肩に下げた警察官や、現場写真を撮影する鑑識官であまり広くはない部屋は騒然となった。

 

 二人は傷の手当てを受けながら、担架で運ばれていくギャングのメンバーらしき男を見つめていた。あの状態では暫く取り調べも無理だろう。

 

「厄介なことにならなきゃいいがな」

 

 数人の警官がマットレスから大量の白や茶色のパッケージを取り出して、写真に収めるのを見てウィルが言った。

 

「何故シナロア・カルテルのブツがクリムゾンのメンバーのヤサにあったのかが判らない」

 

 ハンクの言葉にウィルが頷いた。クリムゾンの規模は確かに急速に拡大しているが、シナロア・カルテルの母体はその数十倍だ。

 シナロア・カルテル。麻薬王『エル・チャポ』が率いるメキシコ国内最大の犯罪組織。そしてその影響力はメキシコ国内に留まらず、アメリカの他にも、治安の網を掻い潜るように今や50ヶ国にまで及んでいる。

 

 コカイン、大麻、ヘロイン……ありとあらゆる薬物を密輸し、軍隊並みの武装で固めた彼等は、もはや警察では対応しきれないことが多く、メキシコ内部では軍が取り締まりに乗り出している。が、所詮イタチごっこだ。一度取り締まっても他の隙間からドブネズミのようにすり抜け、増殖してゆく。

 

 武装もさることながら、カルテルの恐ろしさは徹底的な報復と暴力にあった。敵対者、裏切者は見せしめに家族、必要とあらば飼い犬まで酷く陰惨な方法で拷問し、殺害する。ハンクは新人警官の頃、カルテルの報復と思しき現場に立ち会ったことがあった。

 夥しい血痕と何人かの人体の破片が散らばる部屋の中を見た瞬間、駆け足で外へ出て、昼に食べたチキンブリトーと再会した。殺人課の刑事から皮肉気に『デトロイトへようこそ』と言われたのを今でも覚えている。

 

 また最近、ダラスでパトロール中の警官が襲われ殺害される事件が多発している。その多くが未検挙、未解決だが、カルテルの犯行という線が濃厚であった。

 

「クリムゾンは、シナロア・カルテルとは敵対してるはずだ。奴らと繋がってるのはアルバニア人だからな」

 

 ウィルが顔を顰めた。彼の言うアルバニア人とは、アルバニア・マフィアの事だ。奴らもカルテルと同じくらい凶悪で、容赦がない。コソボ解放軍とも繋がりがあり、主にヨーロッパで勢力を拡大していたが、近年は合衆国にも勢力を伸ばし始めた。アルバニア人達は密輸した武器をストリートギャングたちにばら撒き、ここ数年、ギャングたちを使ってカルテルと縄張り争いを繰り返していた。

 

 

 ハンクは手当てを終えた救急隊員に礼を言うと、バインダーに挟まれたバンディの照会記録をぺらりと捲った。

 二人は黄色いテープを跨いで部屋の中に入る。丁度薬物事件担当の刑事が到着したようだ。部屋の中は銃撃戦で滅茶苦茶だった。

 

「バンディはケチな売人の一人だった。どう考えてもあの量のブツをカルテルから盗む度胸も度量もないはずだ」

 

 マットレスに隠された麻薬は、末端価格で少なく見積もっても80から100万ドルはするはずだ。

 

「それほどのブツを盗んだ男が、何故強盗殺人なんてリスクを犯したんだ……?」

 

 ハンクが呟く。その言葉にウィルはにやりと笑った。

 

「さて、次はどうするかね? ワトソン君?」

「うるせぇな。【ロジャー】。今考えてるよ」

「お前が? メル・ギブソンだって? 冗談は顔だけにしてくれよハンキ―!」

 

 そう言って笑うウィルの肩を拳でついた。ふと、バンディの部屋の隅、倒れたサイドボードの側に裏返しになった写真立てを見つけた。跪いてそれを手に取り、埃を払う。するとバンディらしき男と、若い黒人女性、2歳くらいの子供が写っていた。

 

「バンディは別居してるんだったな」

 

 ハンクがウィルを見た。汗を拭い、黒いブルネットの髪をかき上げて彼が首肯する。

 

「照会記録ではな。だが、何らかの連絡を取ってるかもしれない。明日、バンディの妻の所に行ってみよう」

 

 鑑識や刑事達が来た今、パトロール警官の自分たちにできることはもうないに等しい。二人は物々しい雰囲気の現場を後にした。

 

――――――

 

 翌日。鉛のような雲が市内を覆う中。二人が乗るパトカーは、ウエストサイドの大通りを走っていた。

 廃墟と落書きだらけの壁、空き地ではヒップホップを響かせて、若者たちが即席のゴールでバスケットボールに興じている。

 だが、パトカーを見る人々の眼は、警戒と敵愾心に溢れている。フードを被った黒人の少年がパトカーに向かい中指を立てる。ハンクはため息を吐いた。無理はない。白人の警官が二人、パトカーで巡回しているのだ。この地区に住む半数以上の住民は黒人で、デトロイトの中でも貧困率が高く、いわゆるスラム街として知られている。治安も言わずもがなである。

 

「住所はこのあたりだ」

 

 ウィルはバンディの妻の住所が書かれたメモをもう一度見た。ジェシカ・バンディ。いや、今はジェシカ・ノーランと名乗っているはずだ。

 

「バンディの妻はまだ旦那が死んだことを知らないはずだ」

 

 二人がアルバート・バンディの訃報を知ったのは今朝出勤してすぐだった。彼は留置場内で自分の上着の袖で首をつっていた。ジャンキーには良くあることであるが、家族にはその死を知らせねばならない。半ば厄介払いのような形で、彼の事件を担当していたウィルとハンクにお鉢が回って来たのだった。

 バンディの身元引受人は母親になっていた。まだ別居中の妻に連絡は入っていないだろう。

 

「いつまで経っても慣れねぇな。これは」

 

 ハンクは流れる街並みを見ながら言った。配属されてから今日まで、数えきれないほどの訃報を被害者遺族に伝えてきた。その場で泣き崩れる者、何故と詰め寄る者、怒りを露わにする者。警察官になって職務に対する不満もない。むしろ使命感さえ感じていたが、

 大切な家族の命が奪われたと伝えるその時だけは、ハンクにとって酷く辛い仕事だった。

 

「慣れなくてもいいことだってあるさ。大事だぜ。そういうことは」

 

 ウィルが諭すように言う。彼はハンクより警察官としてのキャリアも長い。問題児だと言われているが、誰よりも正義感が強く、警官としての誇りを持っていた。だから決して人種で人を差別することはなかったし、罪を犯した人間は平等に扱い、更生への手助けもしていた。ハンクはそんな彼を尊敬していた。

 

 

 

「この家だな」

 

 ウィルがそう言ってブレーキをかけた。白い壁の古い家の前で停まる。子供用の自転車がペンキが剥げたウッドデッキに無造作に置かれていた。

 

「気が重いよ」

 

 シートベルトを外したハンクが言った。「俺もだ」とウィルが答える。

 二人は玄関に立つと、チャイムを鳴らした。二回ほど鳴らしてみれば、中から子供特有のパタパタという足音が聞こえた。遅れて、大人が歩く音。

 

「何か」

 

 黒々とした髪を結いあげた若い黒人女性が睨み上げるようにしてドアを開けた。明らかに警戒していた。

 

「あー……お忙しいところすみません。ジェシカ・バンディさんで宜しいですか?」

 

 ウィルが申し訳なさそうに言った。名前をさりげなく強調したのはわざとである。

 

「今はノーランよ。で? 何か用」

 

 ジェシカがムッとしたように【ミス】の所を強調した。

 

「失礼しました。ミス・ノーラン。少しお時間をよろしいでしょうか」

 

 ジェシカは渋々うなずいた。あっという間に警戒心を解いた。ウィルはこういう駆け引きが上手い。ハンクは隣で感心していた。

 

「手短に済ませてよね。どうせアイツがなんかしたんでしょ」

「では手短に。今朝、貴女のご主人、アルバート・バンディさんがお亡くなりになりました」

 

 淡々としたウィルの言葉に、ジェシカは意味がわからないと言った様にぽかんとした後、すぐに驚きに目を見開いた。

 

「嘘よ……何で……」

「アルバートさんは昨日、強盗殺人の容疑で逮捕されていました。重度の薬物の中毒症状もね」

 

 ハンクが口を開いた。信じられないとジェシカが叫ぶ。

 

「彼はサウスストリートの薬局で店員を一人射殺した後、30分間車で逃走し、警官に向けて発砲した。そして今朝、留置場で亡くなっている状態で見つかりました」

 

 お悔やみを。とハンクが言うと、ジェシカは顔を覆った。小さく嗚咽が玄関に響く。

 

「彼……彼は側から見たらロクでもない奴だけど、絶対に人殺しをするような人間じゃない。本当は売人から足を洗いたかったのよ……」

 

 ハンクとウィルは互いを見つめた。彼女は自分達が知らない事を知っている。

 

「宜しければ、お話を聞かせて頂けませんか。彼の不名誉を晴らす為にも」

 

 ウィルの言葉に、彼女は少し戸惑ったような素振りを見せたが、ややあって「何もないけど。話だけなら」と招き入れてくれた。

 家の中は雑然として生活感に溢れていたが、意外にも掃除が行き届いていて、不快な感じはしなかった。

 

 

「コーヒーしかないけど」

 

 ぶっきらぼうなジェシカの言葉に、ウィルがにこやかに「ええ。頂きます」と言った。

 二つのカップにコーヒーが注がれる。いつ淹れたのかもわからない冷めたコーヒーに、ハンクは礼を言いつつも、とても口をつける気にはなれなかった。

 

「アルバートさんの事をお聞かせ願いますか」

 

 草臥れたソファから少し身を乗り出して、ウィルは彼女の目を見つめた。

 

「……彼は、アルは勤めていた自動車工場が閉鎖されてからずっと悩んでいたわ」

 

 ジェシカはぽつりぽつりと話し出した。

 アルバートは、以前は自動車工場で真面目に働く良い父親だった。だが、企業の破産と共に工場は閉鎖され、彼らは途方に暮れた。退職金すらも払われず、職を失ったその日から彼らの生活は一変した。アルバートは酒に溺れ、家のローンも光熱費すら払えない日々が続いた。だが、ある日の事だ。

 

「彼のハイスクール時代の同級生だと言う男が訪ねて来たの」

 

 ハンクはウィルを見た。ウィルもハンクを見て頷く。

 

「彼はフレッドと名乗って、アルと飲みに行ったわ。翌朝家に帰って来たアルがこう言ったの。『仕事が見つかった』って」

 

 まさかそれが薬の売人だなんて思わなかった。ジェシカはそう言って項垂れた。

 アルバートはそれから売人として生計を立て始めた。気づいた頃にはもうクリムゾンのメンバーとなっていて、後戻りはできないという事を悟った。

 

「アルはお酒が切れると酷くうつ状態になって、売人をやめたいってずっと泣いてたわ。本当は真面目で優しい人よ。工場が閉鎖されなければこんなことにはならなかったのに」

 

 最後の方は涙声になったジェシカをウィルは沈痛な表情で見た。ウィルにも家庭があった。同じくらいの息子もいる。

 

「彼と最後に連絡を取ったのはいつですか?」

 

 ウィルの傍らに立つハンクが聞いた。ジェシカは真っ赤な眼をして彼を見上げる。

 

「つい最近よ。彼は『大きな仕事を任された』って言ってた。これが成功すれば足を洗えるって……お願い、刑事さん。彼は麻薬に手を出すような人間じゃないの。信じて。何か訳があったのよ」

 

 悲痛な声で二人に訴えると、ジェシカは激しく嗚咽した。ウィルが立ち上がり彼女の背をさする。ハンクはこの瞬間が苦手だった。

 

「ノーランさん。フレッドとアルバートさんが行った店を知っていますか? 少しでも手掛かりが欲しいんです」

 

 ウィルが彼女の背をさすりながら、この上ない優しい声で囁いた。ジェシカは徐々に落ち着きはじめ、呼吸を整えた。

 

「ええ。ええ。知っているわ。ここから車で15分くらいの所のパブよ。でもそこは黒人ばかりのパブだから白人の警官は警戒されるかもしれないわ」

 

 ジェシカはウィルが差し出したメモ帳に住所を書いてくれた。デトロイト市警に勤務する警察官は、まだ過半数が白人である。ハンクは面倒なことになるなと心の中で舌打ちした。

 ウィルが立ち上がる。もうこの家で得られる情報は無いという合図だ。

 

「ありがとうミス……いや、バンディさん。貴女のおかげで真実に近づけた」

「彼を嵌めた奴を一刻も早くぶち込んで。お願い」

「ええ。お約束します。コーヒーをありがとう」

 

 二人はそう言ってジェシカの家を後にした。庭にバスケットボールを持った少年が不思議そうに彼等の乗ったパトカーを見送るのがカーブミラーに映っていた。

 

「あんな安請け合いしてよかったのか」

 

 ハンクにはウィルの心境がわからなかった。どうしてあんな凶悪な犯罪を犯した売人の家族に肩入れするのかが。もっと強く尋問すれば、違う情報が引き出せたんじゃないかと思っていた。

 

「なぁ。ハンク」

 

 ウィルがハンドルを操りながら言った。その声音は穏やかであるが、ぴん、とした信念のようなものを感じて、思わず彼の横顔を見た。

 

「俺達は警察官だ。市民の安全を守り、犯罪者をぶち込むのが仕事だが……真実を明らかにする事も、俺達に与えられた、俺達にしかできない仕事だ。アルバートは本当は、良い夫で良い父親だった。何かが、奴を狂わせたんだ。それを明らかにしてやらんと、彼の家族も、彼の魂も未来に進めないじゃないか」

 

 ハンクはハッとした。アカデミーを出て、凶悪犯罪が毎日のように起こる日常に少しだけうんざりしていた。何故警察官になりたかったのか。それを忘れていた。

 

「……そうだな。アンタの言うとおりだよ」

「よし。これからフレッドとやらに会いに行こう。歓迎されるかはわからんがな」

 

 ウィルは喉の奥で笑うと、アクセルを強く踏んだ。

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