フレッドがやれやれと首を振った。ハンクは渋々と銃を下ろす。
彼はクリムゾンで麻薬の流通ルートを解明するために、潜入捜査していた潜入捜査員だと話した。
「アンタが自称麻薬取締官だって事は分かった。だが、アルバート・バンディに対する強盗教唆がある。その申し開きはあるのか?」
「俺は強盗なんて唆してない」
「じゃあアイツの部屋にあった大量のブツはなんだ!」
「あれは荷物だ。一時的に奴の部屋に仮置きしてた。コインロッカーみたいなもんだ。3日後に別の場所に移送するつもりだった。ギャングからの足抜けを条件にな。それをアンタらがぶち壊した。あの時アンタに撃たれた奴は別のチームの捜査員だった」
「そいつは死んだ」
「何だと?」
フレッドと名乗っていた捜査官は、驚いたようにハンクを見つめた。
「病院で射殺された。顔に枕を押し付けられて」
「クソッたれ! カルテルの奴ら嗅ぎつけやがったな」
フレッドが舌打ちした。ハンクは彼が何を言っているのか分からず、苛々と靴のつま先を鳴らした。
「おい、アンタらは何をしようとしてるんだよ!」
「お前らパトロール警官は知らなくていいことだ。クソ。全部ぶち壊しやがって!」
その言葉に、ハンクはカッとして目の前の男の胸ぐらを掴んだ。ウィルがその場にいたら羽交い絞めにしてでも止めていただろう。
「此処は俺達の街だ。テメェら余所者に引っ掻き回されんのはごめんだね。いいか、もう一度聞く。【あんた達】は何をしようとしている?」
ハンクの迫力にたじろいだ捜査官は、戸惑いながら口を開いた。
「ギャングに潜入し、信頼を得たら、ギャングとカルテルを実質の戦争状態にさせる。そして潰し合い、戦力が低下したところを当局が叩く。それが俺たちの任務だ」
ハンクは耳を疑った。要は彼はスパイとして潜入し、ギャングで確固たる地位を得たら、DEAで押収していたカルテルの麻薬を手下たちに捌かせる。そしてカルテル側にもアルバニア人がギャングを使ってブツを盗み出したと流布する。そうすればメンツを潰されたカルテルは躍起になってギャングに報復するだろう。無論、アルバニア人も黙ってはいない。デトロイトの街は、カルテルとギャングたちの戦場になるのは明白だった。
アルバートは、その為の【生贄】だった。彼はそのプレッシャーに耐えられず、薬に手を出したのだ。それが、残酷な真相だというわけだ。
「ふざけるな! そんな事許されるわけねぇ! どれだけの人間が犠牲になるかわかってんのか!」
ハンクが怒鳴ると、捜査官は怒りを滲ませてハンクを睨み上げた。
「ふざけてるのはそっちだ! この街が今どうなってるかわかるか!? メキシコシティと同じだ! ドラッグ、暴力、レイプ! 一日に何件もドラッグがらみの殺しが入るはずだ! お前らも知ってるだろう! この街は地獄だ!」
地獄。その言葉にハッとなる。覚醒剤による強迫観念から幼い娘の目の前で妻を惨殺した男。レイプされそうになっていた少女を助けようとした青年は、生きたままガソリンをかけられて焼き殺された。
余りにも酷い現場の数々が、脳裏を駆け巡る。
「それでも、この街で懸命に生きている人だっている筈だ。アルバートもそうだっただろう。いつかこんな犯罪から足を洗って、家族と共に暮らす事を夢見ていた」
どんな人間も、過ちを犯す。罪は罰せられなければならない。けれど、悔い改め、人生をやり直す事も出来る。
フレッドは自嘲するかのように笑った。
「そんなのは理想論だ。たった一人の為に100人が死ぬのと同じだ。なら100人の為に一人を犠牲にした方がマシだね」
「俺は兵士じゃない。警察官だ」
市民の安全を守り、法の番人として、職務を遂行する。如何なる犯罪であろうと、未然に防がなければならない。例えそれが誰であろうとも。
「俺は、デトロイト市警の警察官としてお前を拘束する」
「何だと?」
「お前達のやろうとしてる事は、テロ行為に等しい行為だ。お前を署に連行し、全てを上に報告する」
フレッドが信じられないという眼でハンクを見た。ハンクは構わずフレッドの手に手錠をかけて、駐車場を出る為に歩かせた。
「お前、後悔するぞ」
「悪いが、俺は反省も後悔もした事はないんだ」
ハンクは笑った。が、その笑顔が凍りついた。
「あ……」
駐車場を出るところで、前を歩くフレッドががくりと膝をついた。何が起こったのか一瞬わからなかったが、赤い光の線が無数にフレッドの胸に伸びているのを見て戦慄した。すぐに身を翻して、車の陰に飛び込む。
見ればフレッドが糸の切れた人形のようにうつ伏せに倒れていて、その身体の下からは黒いどろりとしたものが流れていた。
狙撃だ。しかも、複数いる。
「こちらアンダーソン巡査長! 現在モール跡地の立体駐車場で狙撃を受けている! 敵は見えない! 向かいのビルから撃たれている。参考人が撃たれた。誰でもいい! 応援を寄越してくれ!」
《本部了解。SWATを派遣する》
応援を要請したが、いつ来るのかはわからない。自分が物言わぬ死体になってから来る事も充分あり得る。ハンクは舌打ちした。弾はマガジン3本。到底見えない狙撃手相手に敵うわけが無い。
重い発砲音が響く。銃弾が空気を切り裂く音と同時にすぐ近くのアスファルトが破片を撒き散らして抉れた。
銃撃が途切れた隙を見計らい、車の影から銃を持つ手を狙撃手が居るであろう方向へ向けて五発撃った。相手を牽制しつつ、場所を移動したかったからだ。しかし、その目論見は脆くも崩れ去った。二台のピックアップトラックが通りを猛スピードで走って来るのが見えた。武装した男達が荒々しいスペイン訛りの英語を怒鳴りながら降りてくる。
「ちくしょう! 最悪だ!」
恐らくカルテルの連中だろう。自分達の売り物を盗まれたと思い込んだカルテルは、過激な報復を仕掛けてきたようだ。
激しい銃撃に、車の陰から出られそうにない。みるみるうちに、車が穴だらけになり、ガラスが砕けて頭に降り注ぐ。マシンガンまで持ち出してきやがったな。とハンクは口汚い言葉で悪態をついた。敵の数はおよそしかわからないが、十数人はいるだろう。
打開策を考えていると、けたたましいサイレンを鳴らしながら、パトカーが銃撃からハンクを守るように滑り込んできた。一瞬だけ、攻撃の手が緩んだように感じた。
「ハンク!! こっちだ!」
パトカーの運転席のドアを開け、ショットガンで応戦し始めたウィルが叫んだ。
「遅いぞ!」
ハンクは相棒の姿を見て安堵したと同時に文句を言った。
「二人であの人数を相手にするなんざバカのする事だぜ」
「同感だ!」
「うじゃうじゃ湧きやがって! ハンキー! あと何発残ってる?」
「マガジンが一本だ。お前は?」
「ショットガン五発。マガジンが二本」
「絶望的だな」
「違いない」
二人はこの絶望的に不利な状況の中で、可笑しそうに笑った。
「俺が援護する。ハンキー。あのトラックの陰まで後退しよう。奴らじわじわと間合いを詰めてきてやがる」
「わかった。死ぬなよ」
「そっちもな。よし、スリー、ツー、ワン、行け! 行け! 行け!」
ウィルが上半身を乗り出してショットガンを構え、男達へ撃ちまくる。それと同時にハンクは陰から飛び出した。無我夢中でトラックに向けて駆けて行こうとした時だった。
「ぐっ!」
くぐもった悲鳴が聞こえた。振り向けば、相棒が車体に背をもたせ掛けるように倒れていた。胸の辺りを抑えて、顔を歪ませている。冷水を浴びせかけられたような衝撃が、ハンクを動揺させた。
ウィルが撃たれた。彼の所に戻らなければ。
「ウィル!!」
「来るな!!!!」
ウィルが普段なら考えられない鬼気迫る声音で叫んだ。足元のアスファルトに銃弾が跳ね返り、ハンクはトラックの陰に隠れざるを得なかった。
「アンダーソン巡査長から本部!! レスター巡査部長が撃たれた! 応援はまだなのか!!!! 囲まれてる!! ちくしょう! ウィル! 絶対に助けるからな!」
ハンクは銃を撃ちながら、ありったけの声でウィルを元気づけた。胸の傷を抑えている手から、夥しい血が流れていた。失血により、顔色も酷く悪い。
痛みに息を喘がせながら、ウィルはマガジンをハンクのいるトラックへ滑らせた。
「使え。今の俺には使えない」
ウィルは、死の瀬戸際にあっても、自分に出来る限りの全てをもって、ハンクを助けようとしている。ハンクは、絶対に死なせないからな! と叫びながら、マガジンを装填してひたすらに撃った。
ウィルに近づこうとする男の頭に命中し、もんどりうって倒れた。だが他からも激しい攻撃に晒され、すぐに身を低くしなければならなかった。
残弾はあと2発とマガジン一本。キリがない。このままでは、二人共ここで死ぬだろう。
絶望がハンクを支配しようとしていたその時。
夜の闇を切り裂くようなローター音と旋風が辺りを覆い、視界を灼く白い光が、男達を包んだ。
SWATのヘリが到着したのだ。
遅れて装甲輸送車が4台、カルテルの連中を取り囲んだ。
「行け! 行け!」
黒い戦闘服を着たSWAT隊員達がハッチから降りてきて、素早く動き出す。
鍛え上げられたSWATの機敏で正確な攻撃に、カルテルのチンピラ達が為すすべなく斃れてゆく。
ハンクは、その間にウィルの側まで匍匐で近づいた。酷く出血しているが、まだ息はある。
「ウィル! ウィル! しっかりしろ! 大丈夫だ! SWATが来たぞ!」
「……ハンキー」
「喋るな。酷い怪我だ。大丈夫、一緒に帰ろう」
弱弱しく息を喘がせるウィルの身体を抱え、抱きしめる。蒼白な彼の顔がぼやける。視界が酷く滲んでいた。
「なぁ、ハンク。また、ギアーズの試合を観に行こうぜ……」
「ああ。ああ。分かってる。レイモンドも一緒にだ!」
「ひでぇ顔だ……泣くなよ。相棒」
「もう……喋るな、ウィル、頑張ってくれ……」
溢れる涙を拭う事も出来ず、ハンクはただただウィルを励まし続けた。ようやく救急隊が到着した頃にはウィルの意識は既に無く、酸素マスクを装着され、ストレッチャーで慌ただしく救急車に乗せられてゆくのを茫然と見つめる他なかった。
――――――
そして、病院で手当てを受けた後、暗い顔で署に戻ったハンクを待ち受けていたのは、あまりにも信じたくない報せだった。独立記念日を祝う花火の音が酷く遠くに聞こえた。
署長室の前のソファに座るハンクは、酷く憔悴していた。肩と頭に怪我を負っていたが、軽傷で済んだ。しかし、心に負った傷は軽くはない。
家族同然の相棒を失ったのだ。ハンクは哀しみと、怒りに満ちていた。
「アンダーソン。疲れているところ悪いが、来てくれないか」
殺人課のジェフリーが署長室から顔を出した。そして「その……ウィルの事は、残念だった」と目を伏せた。
「ああ。ありがとう」
ハンクは疲れ切った身体を引きずりながら、署長室に入った。中には署長、ジェフリー、薬物犯罪課の刑事と見慣れない男が居た。プエルトリコ系、見た所4、50代、仕立てのいいダークグレーのスーツを着ている。
「DEAのレイエス特別捜査官だ。今回の件を担当している」
署長の紹介に、スーツを着た男がハンクをじろりと見た。
「ハンク・アンダーソン巡査長だな。ウチの捜査員と接触したという情報が入っている。捜査員を失った今、君達が得た情報が必要だ。我々に提供してもらいたい」
レイエスは淡々と言い放った。まるで感情のない機械のようだ。ハンクははらわたが煮えくり返りそうになった。
「ふざけるなよてめぇ! てめぇらの作戦とやらで何人の人間が死んだと思ってる! 俺の相棒もその一人だ!」
ハンクの怒声が、静まり返った真夜中の署内に響き渡る。だが、レイエスは片眉をピクリと動かしただけで、表情すらも変えることはなかった。
「その件については、遺憾に思う。君の相棒は残念だった」
「こいつっ!」
「よせ! ハンク!」
レイエスに掴みかかろうとしたハンクをジェフリーが押しとどめ、嘆願するように冷徹な捜査官を見つめた。
「レイエス特別捜査官。彼の言うとおりです。貴方達のやり方は乱暴すぎる。このままではカルテルとギャングだけではない、一般市民にまで被害が及んでしまう!」
「君たちは何か勘違いをしている。この国は既にメキシコ、コロンビアから流通される麻薬によって骨まで蝕まれている。救うには既に無傷では済まないところまでに」
レイエスは、かつかつと靴音を鳴らして、署長室のドアへ向かった。
「麦畑を食い荒らす蝗の群れを一匹残らず殺すには、麦畑ごと火を放つしかないのだよ。他の麦畑を守るためにはな」
アンダーソン巡査長には、後日正式に出頭要請書を出す。今日の所は失礼する。そう言い残して、レイエスは署長室を後にした。後には、沈黙だけが彼等を支配していた。
「ハンク。今日はもう帰れ。後は俺達に任せろ」
ジェフリーの言葉も耳に届かないくらい、やり場のない怒りがハンクの胸に広がっていた。
俺は、俺のやり方で、この街に巣食う犯罪者共と対峙してやる。絶対に。誰一人、見捨てるものか。俺達は、警察官なのだから。
ウィリアム・レスター警部(殉職時 巡査部長)の警察葬には沢山の弔問客が集まった。地元紙は彼の人柄や功績を称え、彼はデトロイトの英雄だという言葉が、紙面を飾った。
しかし、ハンクからすれば、それは酷く薄っぺらくて寒々しいものにしか聞こえない。
葬儀の時、彼の妻はハンクの手を握り、涙を流しながら「貴方のせいじゃない」と言ってくれたが、罵詈雑言を浴びせてくれた方がよほど気が楽だったかもしれない。息子のレイモンドもそうだ。
遺影を持つ手を震わせながら、必死に泣くのを堪えている姿を、ハンクは正視できなかった。
葬儀場から少し離れたベンチで、ハンクは暫くぶりのタバコをふかした。サラが二人目を妊娠したからタバコは暫くやめだと照れくさそうに、相棒が寄越したものだった。
懐かしい香りが、ハンクを包んだ。
「ウィル。すまない」
捧げ銃が静かな墓地に鳴り響く。紫煙が虚空に消え、赤い煙草の灯火が地面に落ちた。そして、晴れ渡る空から落ちるはずのない雫がぱたり、ぱたりとベンチに滲んで、低い嗚咽が昼下がりの墓地に響いていた。
────────―
数年後。ハンクは巡査部長に昇進していた。同時に殺人課へ転属となり、日々凶悪な事件と向き合う生活は、パトロール警官だった頃の数倍は忙しかった。
「現場はこちらです。アンダーソン刑事」
「ああ。状況はどうだ」
「酷いもんです。現場は風呂場ですが、血と酸のプールですよ。しかも生きたまま……」
「カルテルの仕業だな。奴らは報復には一切容赦しない」
ハンクはあれから、特定の誰かと組む事はなかった。ウィル以上の相棒など考えられなかったし、これ以上目の前で相棒を失うのを見たくはなかった。
古びたアパートの廊下を、制服の警官が先導する。ハンクはラテックスの手袋をはめると、物々しい黄色いテープで仕切られたドアの前に立った。すると、部屋の中から、若い警官が飛び出してきた。
廊下の隅でうずくまり、酷くえずいていた。現場を汚すまいと部屋の外まで飛び出したのだろう。
「大丈夫か? リード」
仲間の警官が彼に声をかける。ハンクは昔の自分を思い出し苦笑する。未だ吐き続ける彼の背を見つめて呟いた。
「デトロイトへようこそ」