「すぴー」
そんな寝息がエドガーの直ぐ後ろ、閑散とした住宅街の中で小さく響いた。
「……誰もいねぇな」
指示を出されて住宅街に来たは良いものの、人はほとんど見当たらない。
「それもそうでしょ。この世界で生きてるほとんどの人間は罪人なんだから」
そう言って数歩後ろに立っているクラウスが右手の甲をエドガーに見せながら言った。
「ったく、わかりやすく居てくれりゃ楽なのによ」
その言葉は探す方の気持ちとしてだ。隠れる方としては簡単に見つかってはならないのだ。
「おーい、カルラ。起きろ」
そう言ってエドガーは身体を揺らすが、カルラは起きる気配を見せない。
直ぐに諦めて、エドガーは人を探すことにする。だが、どこから、どうやって探すべきか。
「全く、どうしたもんかね……」
「よし、二手に分かれよう!」
クラウスの提案を聞いて、エドガーは即答する。
「却下だ」
「どうしてだい?」
「そもそも、俺がお前と行動してんのは、お前だけじゃ対処できないかもしれない相手がいるからだろ」
そのために好きでもないクラウスとエドガーは行動しているのだ。
「まあ、地道に探すか」
そう言って彼らは一番近くにあった家のインターホンを鳴らした。
「…………」
返事も、誰かが降りてくる気配もない。
「まさか、もう天使にやられたか?」
そんな考えが脳裏に過ぎる。
「返事がないなら入ってみたほうが早いんじゃないかな」
クラウスはドアノブに手をかけて引いてみるが、扉は開かない。
「鍵が掛かってるね……」
「出かけてんのか?」
エドガーも扉の前に立ち、疑問を口にした。
「まあ、分かんないよね」
ガチャガチャとドアノブをいじる。
「おーい、誰かいませんかー!」
クラウスは扉を叩いて返答を待つ。
「レジスタンスなんですけどもー!」
そう告げた瞬間に勢いよく扉が開かれた。そこから現れたのは短い金髪の身長百四十センチメートルほどの幼い少女だ。服装は白色のワンピースを着ており、足は黒色のタイツに覆われている。
ただ、少女のその手には似つかわしくない黒色の鉄の塊を握られている。
一眼見れば直ぐにその正体に気がつく。それは、銃である。
胸元には金色の羽のバッジが付いている。
「げえっ、何で天使が!」
そう言いながらも即座にクラウスは能力を発動して少女を弱体化させる。
その瞬間に持っていた銃を取り落としてしまう。銃はゴトリと音を立てて、その場に落ちた。
「……ここは居住区だし、住んでて悪いかよ」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら少女は玄関でへたり込んだ。自分がクラウスに勝てないことを理解したのだろう。
「寧ろ、何でレジスタンスがここに居るんだよ。今日はオレは非番だったんだぞ……」
少女は悪態を吐く。
「もう良いよ……。殺せよ」
少女は目尻に涙を僅かに浮かべながら諦めた様にふ、と笑った。彼女の顔にあるサファイアの様な青色の目は死んでいる。
「どうする?」
クラウスがエドガーにそう尋ねると、エドガーは銃にかけていた手を下ろした。
「殺さなくて良いなら、それで良いだろ」
エドガーの言葉に少女は驚きの表情を浮かべる。
「レジスタンスなんてのは犯罪者集団だと聞いていたんだけどな……」
何と人聞きの悪いことか。
極悪集団であるかどうかは、誰がどう見るかによって変わるだろう。
「どうせ、神からの情報だろ」
なら、それは間違いだと。
「神の罪の認識はハードルが異常に低いんだよ。人を殺さなくとも、強盗をしなくとも。どれだけ軽いことでも、俺たちは罪人扱いされるからな」
隣人へ悪口を吐いた。ならばその人は潜在犯である。友達と喧嘩をして殴ってしまった。ならば、それは危険人物である。
だから、レジスタンスは、エドガー達は神への反逆を始めた。
「ーーああ。オレも犯罪者の仲間入り、か……」
そう言って少女は右手の甲を見る。
そこにはエドガー達と同様、黒色の三角形が浮かび上がっていた。
「……悪かったな」
原因はきっとエドガーと話をしてしまったこと。罪人と話し、罪人の思想に触れてしまったこと。
「これって消えねぇんだろ」
その通りだ。
一度でも、神の意思に背いたのならば罪人は死んでも罪人だ。
「なら、オレも連れてけ。オレを助けてくれ」
このまま、この少女を放置などしてみれば、彼女は近いうちに排除されるだろう。
「死にたくないんだよ」
今にも泣き出してしまいそうな少女が、彼らの目の前にいた。
「なあ、アンタら……」
住宅街を歩く四人。
静かなこの場所では呼びかける声もやけに大きく聞こえる。
「アルマだったか……」
道中、互いに最低限の自己紹介をしてお互いのことを把握した。と言っても、大したことなど知ることはできない。クラウスが臍の良さについて熱く語り、アルマがどん引きしたくらいの物だ。
「能力を教えてくれよ」
アルマがそう言うと、クラウスが答える。
「あのねぇ、僕は君がその証を持っているのは認めたけど、仲間だとは信じてないからね。どうしても信じて欲しいって言うなら自分の能力を先に言うことだね」
アルマの右手の甲にある黒い三角形に指を指しながら、クラウスが言うと、アルマもその言葉に納得したのか説明を始める。
「オレの能力は経験値増大。まあ、技能の習得速度が上がるって言う能力だ」
それを聞いたクラウスは嫌そうな顔をした。そして、その理由も直ぐに口から出た。
「うわー、ハズレ能力じゃん……」
呼吸をするかの様に、馬鹿にする様にクラウスは相手を煽る。もはや、クラウスは人を煽らなければ生きていけないのだろう。
「よくそんな能力で僕たちと戦おうと思ったよね!」
そう言ってクラウスは馬鹿にする様に笑いながら、彼女の頭をペチペチと叩く。その行動にストレスを感じたのか腕を掴んで、クラウスを地面に投げて、右腕に横十字固めを決めた。
「あはっ、あははっ……。全然痛く……、痛い痛い痛たただだだだ!」
技能の習得速度が上がっていると言う事からか、この横十字固めも結構な練度であったのだろう。クラウスは中々抜け出すことができない。
「離せ! ちょ、痛い、痛いって! 抜けないんだけど!」
ミシミシと腕が悲鳴を上げている。
「程々にしておけよ」
自業自得だとエドガーが溜息を吐く。
「誰かぁ! 誰か、助けてぇ! 幼女に腕を壊されるゥ!!」
クラウスが必死に叫ぶと、その場に大量の天使が現れた。現れた天使達は全員が黒色のスーツを身に纏っている。誰一人として目立った者は居ない。
「…………」
無言でエドガーはクラウスを見る。クラウスも流石に責任を感じたのか目を逸らした。アルマもこの光景に呆気にとられたのか、横十字固めを解いていた。
「ーーおい、カルラ起きてくれ」
そう言ってカルラを揺さぶると運良く、都合よく、カルラは目を覚まして、アイマスクを外した。
「んぅ?」
彼女の目には大量の天使が映る。
「お前の能力で一気に終わらせてくれ」
そう言われて、カルラは辺りを見回した。包囲する全ての天使を認識する。
数は十五。
「クラウス、能力は使うなよ……」
そう言いながら目配せをすると、クラウスも意図を理解して頷いた。
「能力を使う間を与えるな! やれ!」
天使のリーダーと思われるスキンヘッドのサングラスを付けた体格の良い男がそう指示を出したが、遅い。
既にカルラの能力の発動準備は終えている。
「ーーほら、これが当たりの能力ってやつさ」
全ての天使はその場に転がった。銃を捨て、何もする気力がない様に。
戦闘意欲を、好戦性を奪う能力。それがカルラの能力の正体である。
「終わった? おやすみ……」
戦いが終わって、カルラは欠伸をしてからアイマスクを付け直す。
「あ、ちょっと寝るなって……」
エドガーがそう呼びかけるが、カルラは夢の世界に旅立ってしまった。
天使と出会すことは想定内の事態である。
「流石にダメだよな……」
エドガーはアルマを見ながらそう呟いた。
天使と出会したからと言って、このまま帰っては問題があるだろう。
住宅街を探し回ってはいるが、外には人が見当たらず、家のインターホンを鳴らしてみる。
天使が出てきたら面倒にはなるが、エドガー達はレジスタンスの名前を出す。それでも誰も出てこない。
「全然見つかんないね」
「何処にいんだよ……」
歩き回ったせいで、エドガーは疲れていた。何せ、クラウスよりも負担が大きいから。
「あれ、もう疲れたんだ? エドガーって貧弱だね!」
いつもの様にクラウスが笑うが、それに対して言い返す気力もない。
「……はあ、もう良いんじゃないか? 多分いないだろ」
これだけ探しても見つからないということは、きっとこの住宅街にはもう誰もいないのだろう。
「もう戻るか。……アルフレッドに連絡しよう」
エドガーはそう呟き、ズボンのポケットに入れていた携帯電話を取り出した。その瞬間に着信が来た。
表示されたのはアルフレッドの名前だ。
「あ? アルフレッドから?」
疑問を覚えながらも応答する。
「はい、もしもし? こちらエドガー」
『ーーノイマンがこっちに現れた。今、ジョセフが戦っている』
「マジか……」
ノイマンの出現は相当なレベルの危険を感じさせる。
『押され気味だが、こっちは何とかする。お前の方は?』
「こっちは特に問題はないな」
保護したのがたった一人、それも天使だったという事以外に。
『そうか、ノイマンが現れた以上、余り悠長にはしてられないだろう。気をつけて基地に戻れ。……本当に能力が効かないとはな』
それだけ言ってアルフレッドは通話を切ってしまった。
アルマとクラウスがこちらを見ていた。
「今、誰と連絡してたんだ?」
「アルフレッドって奴だ」
アルマの質問にエドガーが答えるが、アルフレッドが誰なのか分からずにアルマは首を傾げた。
「アルフレッド?」
「僕らの、一応リーダーみたいな奴だよ」
クラウスは一応という言葉を強調して答えた。
「ーーで、アルフレッドはなんだって?」
クラウスは先程の通話を耳にしていた訳ではない。どんな内容の話をしていたのか、彼に走る権利があるだろう。
「ノイマンが現れたらしい。こっちも早めに撤収したほうがいいかも……」
その時だった。
ザッ、ザッ。と地面を複数人が歩調を合わせて進む音が聞こえる。現れたのはスーツを着た者や、ラフな服装の者。天使のバッジを付けた者も居れば、そうでない者もいる。
「な……?」
その光景に呆気にとられた。人数は二十人を超える。
何かがおかしい。何かでは無い。決定的におかしいのだ。
「あれ、僕たちが探してた、お仲間が出てきてくれたみたいだけど……」
異様な雰囲気を感じ取る。手の甲に黒色の三角形があるのも認識できる。
エドガー達が違和感を覚えているのは、何故、天使がいるのに彼らが処理されないのかという点だ。
「神に、…………」
ポツリと先頭に立っていた眼鏡をかけた男性が漏らす。
「信仰を!」
その男は天使ではない。
胸にバッジなどついていない。寧ろ、その手には黒色の三角形が浮き上がっている。
「神に信仰を!」
「神に信仰を!」
「神に信仰を!」
「神に信仰を!」
「神に信仰を!」
「神に信仰を!」
「神に信仰を!」
「神に信仰を!」
まるで集団催眠を受けている様に思える光景だ。全員が全く同じ言葉を叫んでいる。
その光景をエドガー達が見るのは初めてだったが、どうにもアルマが見るのは初めてではなかったらしい。
「に、逃げるぞ!」
アルマがそう急かして走り出そうとする。
「どうしてだい?」
クラウスが目の前にいる集団を見ながら、そう尋ねる。答えを求めていたわけではないのかもしれない。
「……ちょっ、待って。これ、確かにヤバいかも」
「どうしたんだよ?」
エドガーは理解できない。
ただ、クラウスは叫ぶ。
「逃げるよ!」
焦りを見せる。
「おい、だからどうしたんだって!」
走り出したクラウスの後を追いかけて、エドガーも走る。
「僕の能力が効かないんだよ!」
その瞬間にエドガーは考える。
何故、クラウスの能力が効かないのか。手の甲に黒色の三角形が現れるのはチップがある人間だけ。天使もチップがあるからこそ天使なのだ。
故に答えは自ずと絞られる。
「……先に能力が使われたってか」
その答えに頷いたのはアルマだった。
「そうだ。オレはあの能力を知っている……」
その顔は恐怖に濡れていた。
「あれはーー」
話そうとして、それは遮られた。
「『神に信仰を』」
その言葉が目の前で囁かれる。
囁いたのは黒色の修道服を着た茶髪の、笑みを絶やさない女性だった。胸は豊満、腹はほっそりとしている。
十人が見れば、十人が美人であると言えるほどの美貌であった。
身長は百七十センチを僅かに上回る。
着ている修道服の左胸のあたりに黄金のバッジが付けられていた。
潤いのある唇を動かして、そんな彼女はエドガー達に囁いた。
「は? 神に信仰だと?」
エドガーとクラウスの手が自らの持っている銃に伸びる。
神への信仰などあるわけがない。
「ーー私は『信仰』の天使、アレクシア。貴方達に神罰を与えましょう」
その瞬間にエドガー達の抱く感情は全て敵意に変わる。銃を抜き取って、銃口をアレクシアに突き付ける。
そして撃とうとする。その直前に、アレクシアの前にアルマが立った。
「神に……」
アルマの口からポツリと声が漏れた。
それは先程の集団が叫んでいた言葉と、アレクシアが囁いた言葉と完全に同じだ。
「神に信仰を」
その目は空。
「邪魔しないでくれよ。……やっぱり信用ならないな、天使ってのは!」
そう言って銃を発砲しようとするクラウスをエドガーが蹴り飛ばして止める。
エドガーの蹴りにより、クラウスは倒れ込んでしまう。
「痛ったぁ! ちょ、何するんだよ!」
倒れ込んだままクラウスはエドガーを睨む。
「馬鹿か! 撃つなっての! どう考えてもアイツの能力だろうが!」
確実にアルマの意思ではないだろう。
「えー。でもさ、どうするんだよ?」
完全にエドガー達に対する敵意がある。確かに殺してしまうという方法もある。
「あの天使を倒せば済むだろ……、多分」
そう言ってエドガーは構える。
どうにもアレクシアの能力が二人には効かなかったのか、効かせなかったのか。
「まあ、僕の能力があの天使に効かないわけがないんだけどね!」
そう言ってクラウスが能力を発動するとアレクシアは弱体化させられ、その場に膝をついてしまう。
「これが、クラウス・シュナイダーの能力……! 厄介ですね、……ですが!」
彼女を守る様に何人もの人間が取り囲んだ。
「おいおい、こっちもとんでもない事になったな……」
「大丈夫なのかい?」
クラウスが質問をすると、エドガーはその心配を鼻で笑う。
「誰に聞いてんだよ。俺の能力舐めんなよ」
そう言った瞬間に能力にかかった者達がエドガーに殺到する。連携はまるでなっていない。バラバラで穴だらけだ。
「神に信仰を!」
迫る彼らの攻撃を完全に避けながら、銃を構える。その方向は地面。
その隙間を、その空間を、エドガーは完全に把握した。
トリガーにかけていた人差し指を引く。
パァンッ!
そんな一つの音が鳴り響く。
「何処に撃っているのです、かーー」
当たらない。
そう慢心をしていた彼女の腹を銃弾が貫通した。
「は? え? な、どうして……?」
彼女は熱くなる腹を抑える。腹から溢れ出る血は修道服に染みを作っていく。ジワリジワリとその染みは広がる。
銃口の延長線上に彼女がいたわけではない。弱体化し、座り込んでいたアレクシアの腹に当たったのは、地面に当たった弾丸が跳ねたからだ。
「おいおい地味だけど、俺だって一応幹部なんだ。弱いわけないだろ」
そして、アレクシアは気絶してしまう。それを確認してエドガーは銃をしまった。
「あれ? 俺たちは、何を……」
先程までの記憶が無いのか、頭を押さえながら、一人の男性がそう呟いた。彼だけでは無い、他の者も当たりを見廻し、現状を把握しようとする。
しばらくすると混乱が起きる。天使と犯罪者が共にいる空間だ。混乱が起きるのも当然だろう。
「て、天使!?」
驚きの声を上げて、彼らは仰反る。
天使の攻撃が始まると思われた。
しかし、それは直ぐに解決する。アレクシアが気絶した事で、別の能力がかけられる様になったからだ。
クラウスが能力を発動させ、天使達を弱体化させた。
弱体化した天使達は、先程のアレクシア同様、地面に倒れ込んでしまう。
「……よし、逃げるぞ!」
「君たちも死にたく無いなら付いてきてね!」
エドガーとクラウスが叫ぶと、彼らは雪崩の様に走り出した。
「おい、アルマ! 行くぞ!」
エドガーはそんな彼らの中にいたアルマを見つけて、彼女の手を引いた。
結局のところ、保護した人間は十人を超えた。保護した人達と共に基地に戻るがアルフレッドたちはまだ戻ってきていないようだ。
連れてきた者たちを、レジスタンスの非戦闘要員に任せて、エドガーとクラウスは食堂に向かった。そこにアルマもついて来た。
食堂に四人が入っていくが、人はそこまでいない。
「なあ……。なあって!」
つまり、三人は今回の任務は終わり暇である。もう一人、カルラも居るが、彼女は寝ている。カウントする必要はないだろう。
「なぁんで、アルマはここに居るのかな?」
クラウスは先ほどから声をかけてくるアルマにそう尋ねる。
「お前に話しかけてない」
むすっとした表情を見せると、アルマはエドガーの方へと向き直った。
「ははっ、僕も嫌われたねぇ……」
食堂のテーブルに右肘をつき、その手を顎に当てる。
「で、何だよ?」
エドガーが目の前に立っているアルマを見る。
「あ、あのさ……」
「いや、立ちっぱじゃなくていいからな?」
そう言うとアルマはエドガーの座っている隣の椅子に座って、体をテーブルの正面ではなく横に向けてエドガーを正面に捉える。
「……で、どうした?」
座ったのを確認するとエドガーがそう尋ねる。
「何で殺さなかったんだよ……。アレクシアに操られた時点で……」
殺されてもおかしくないと考えていた。あの瞬間に、アルマは、自分は死んでしまうと意識が消える前に考えたのだ。
なのに、今も生きている。
「僕は殺しても良かったんだけどね!」
クラウスが朗らかに告げた言葉に、アルマは目尻に涙を滲ませる。
「……別に、殺す必要は無かったからな」
別にアレクシアという脅威を排除するために大量殺人をする必要がない。それはエドガーの能力があればの話だが。
「まあ、生きてて良かったな」
そう言ってエドガーはアルマの頭をポンポンと優しく叩いた。
「うぅ……」
突然に泣き出したアルマにエドガーは驚く。
「な、どうして泣くんだよ?」
「良かったぁ……。殺されなくて良かった。この変態だけじゃなくて良かったぁ……」
そう言ってアルマはクラウスの方へと指を指しながら、エドガーに泣きついた。
「え、何? 僕だけだと何か問題あったのかな?」
本気でわからない様であったが、間違いなくクラウスだけであれば、アルマはこの場にはいなかっただろう。
「ーーうん、お前、一回地獄に堕ちたら?」
泣きついてきたアルマの背中を撫でながら、蔑む様な目でクラウスを見る。
「君、失礼すぎない?」
眉尻が下がり、彼は不機嫌そうな顔になる。
「普段の行いのせいだろ」
そんなエドガーの素っ気ない一言が食堂に小さく響いた。
「それより、お腹空かない?」
クラウスの言葉にエドガーもそういえば、という様に肯いた。時刻的にも夕方になるほどの時間帯だ。
「俺はシチューな」
「オレも!」
エドガーとアルマが立ち上がるクラウスにそう言った。
「え、僕に使いパシリさせるつもりなの?」
疑問を口にすると、エドガーとアルマが肯いた。
「べ、別にエドガーでもよくないかな?」
「あ? 俺はここでアルマと話してるから」
そう答えると、クラウスが手を揉みながら、ニコニコと話しかける。
「僕が話し相手になってあげるよ!」
「お前と一緒。嫌だ」
アルマがキッパリと断るとクラウスが仕方なしに取りに行こうとする。
「クラウス」
そんな声が聞こえてクラウスは振り返る。その方向には左目だけアイマスクをずらしたカルラが座っていた。
「私もシチューよろしく……。ビーフね」
そう言って再び、アイマスクを付けてしまった。
「あ、はい」
もう何も言うつもりが無いのだろう。別にこんな事で言い争っても意味はない。エドガーに良いように使われるのは気に入らないが、我慢しよう。喧嘩などしたら、寧ろ、カロリーを使う。
「オムレツとビーフシチュー。あと、クリームシチュー二つ」
食堂の厨房担当の一人にそう告げると調理を始める。
「あ、クラウスさん。戻ってて良いっすよ。自分持ってくんで」
「え、本当? ありがとね!」
クラウスは元気そうに席に戻って行った。
「あ? もう戻ってきたのか? 何も持ってきてないみたいだけど?」
「持ってきてくれるってさ」
そう言いながら、クラウスは席についた。
「そういや、アンタら元・天使なんだっけ?」
アルマがそう質問をすると、エドガーが頷いた。
「ああ。……まあ、そりゃあ知ってるか」
「そっちのカルラが『怠惰』で……」
そう言って、カルラを見ながらアルマがそう呟いた。
「ん? 何だい、それは?」
クラウスは何のことか分からずにそう尋ねるとアルマがしっかりと答える。
「神が大罪人たちを示す罪名だとか言ってた。クラウスは『嫉妬』。エドガーが『強欲』」
「へー、僕たちそう呼ばれてたんだね」
クラウスは腕を組みながら、微笑を浮かべた。
「他の奴らは?」
エドガーがそう尋ねるが、直ぐに後ろから声がかけられて、話を中断して振り返った。
「ーーあ、エドガー達、戻ってたんだ」
声をかけたのはエレオノーラであった。
「エレオノーラ!」
そう言いながらクラウスはエレオノーラの前に片膝をついて、彼女の手を握りながら見上げる。
「会いたかったよ!」
「私は別にそんなでも無かったけど。おかえり」
苦笑いを浮かべながらエレオノーラはそう答える。その瞬間に感激したのか、クラウスは涙を浮かべる。
「最高かよっ……! ただいま、エレオノーラ!」
両腕を広げるが、エレオノーラは「じゃあ」とだけしか言わず、食堂の出口に向かっていった。
エレオノーラが居なくなって二十分ほどすると、皿を持った青年がエドガー達のいる席に向かって皿を運んでくる。
「お待ちどうです!」
そう言って青年がテーブルにそれぞれの頼んだ食べ物の入った皿とスプーンを丁寧に置いてから、厨房に戻って行った。
「いただきます」
エドガー達はスプーンを持ち、食事を始めた。流石のカルラも食事中は起きているのだろう。アイマスクを取ってとてつもない速度でビーフシチューを口に運んでいく。
ものの数分で食べ終えたカルラはアイマスクの位置を戻して、再び眠りについた。
その横でゆっくりとクリームシチューを口にしたアルマは、
「うまい……」
という感想を漏らした。そして、二口目、三口目とスプーンでシチューを救って口に運ぶ。
「うまい! 今までで一番うまい!」
「大袈裟だなぁ。そこまで美味しいかなぁ? 今まで、どれだけ質素な生活してたんだい?」
クラウスがそう言った瞬間にお玉が彼の後頭部に衝突して、テーブルに突っ伏す体勢となった。
「まあ、美味しいのは認めるよ、うん。ここの食事は一番さ!」
クラウスは後頭部をさすりながらそう言った。その時に投げたお玉の回収に来たシェフはクラウスをひと睨みすると、何も言わずに戻って行った。
「全く、態度が悪いなぁ……」
やれやれと言いたげにクラウスは肩を竦める。それを呆れた様にエドガーは見ていた。
「基本、自業自得だからな」
エドガーの言葉を肯定する様にアルマも頷く。
「なあ、エドガー」
「ん?」
「コイツ、性格悪くない?」
そんな事、エドガーが否定するわけがない。
「ああ、最低だ。コイツは間違いなくぶっ飛ばされた方がいい」
エドガーの言葉には実感が篭っていた。
アルマがクラウスの性格が捻じ曲がっていることに気がつき、エドガーは仲間が増えた様な気がした。
人の事を嫌いになるのに時間は関係ないだろう。それこそ、クラウスは初っ端から様々な汚点を見せているのだから嫌われても仕方がない。
「君たちは僕を何だと思っているんだ! 悪口とか言われたら傷つくんだぞ!」
「傷つけよ」
返す言葉はとても短く、辛辣なものだった。
「酷いよ! 僕が何をしたって言うんだ!」
本気で自分の無罪を信じているのだろうか。そう、誰もが疑問を覚えそうなものだが、この男、本気で自分は悪くないと思っている。
「…………」
ひどく冷めた目でエドガーはクラウスを見ていた。
「ちょ、何でそんな目で見るんだよ!」
今までの言動を振り返って欲しい。
「ほら、失礼だと思わないのかな! 僕たち仲間でしょ? 親しき仲にも礼儀ありだよ?」
「お前の求める礼儀を払うつもりはねぇから安心しろ。寧ろ、唾を吐きかけるのがお前に対する正しい礼儀だとすら思ってる」
そこまでと聞かれるかもしれないが、エドガーは冗談で言ったつもりであった。しかし、割と本気で唾を吐きかけてもいいかも知れないと言った後から思い始めていた。
「唾を吐きかけられる礼儀って……。あ、いや、待てよ。エレオノーラにも……。はっ、それはそれでアリかも知れない!」
閃いた、と言う様な顔をしてクラウスは言い切った。
「…………」
軽蔑の視線が二つ、クラウスに突き刺さる。
そんな事をしていると、食堂に入ってくる影が一つ。
その影はそれなりに大きく、男であることは直ぐに分かった。
「よっ……」
声をかけられるより少し前に、男の正体を理解する。
「あ、ジョセフ……って、おぉう、どうした傷だらけじゃねぇか」
エドガーは傷だらけのジョセフを見て驚いた。
「いやぁ、ノイマンは強いな。避けてんのに、ちっとでも当たるとコレだよ」
そう言ってできた切り傷を見せつける。切り傷は赤く、血が溢れそうに見えてグロテスクだ。
「食事の場なんだけど」
エドガーの注意にジョセフは笑う。
「はっはっは! 今更だろ? ……ったく、死ぬかと思ったぜ」
その言葉にエドガーとクラウスが反応した。
「本当にチップ無いんだよね?」
能力無しでそこまでの実力を誇るとは、到底、人間とは思えない。
「知ってんのお前だろ?」
「まあ、無かったけどさ……」
信じたく無かったのだ。
ここまでの脅威がいると言う事を。
「で、ノイマンには勝てんのか?」
エドガーがそう聞けばジョセフは真剣な顔つきで頷いた。
「アレが、アイツの限界なら勝てる」
そこに嘘はない。ジョセフはノイマンに勝てると、確信を抱いていた。
「まあ、俺はもう治療に行く。あー、痛ぇ……」
そう言うくらいなら、直ぐにでも治療に行けばよかったものを。そう思いながら二人はジョセフの背中を見送った。