プロローグ 魔王の復活◆
定かなものなど、何もない。
善も悪も、法則も知識も、命も星も、そして神すら例外なく変わりゆく。
生まれて滅び、繰り返す。
永遠などどこにも無く、万物が移ろうこの宇宙で――ゴジラだけが、絶対で不変の唯一だ。
何もかもが曖昧なこの世界。
抗いようのないこの現実を前に、真に我らが信じるべきは、ゴジラを置いて他にない。
◆◆◆
時刻的にはもうすぐ夜明けを迎える筈なのだが、視界状況は極めて悪い。
そこかしこで昇る火柱、炭化し崩れ落ちたビル群が樹木のように立ち並び、むき出しになった大地が煌々と赤熱している。
しかし何より。
そんな事より。
致死量を遥かに超えた値の放射線を多分に含んだ濃い霧、その向こう側に投影された漆黒の影。天を貫き大地を震わせんと咆哮する――無視してやるには些か巨大が過ぎる存在を、黒木翔特佐はモニター越しに睨みつけた。
幻影のように揺らぎ距離感も濃淡も定かではないが、その姿を見間違うことは絶対にありえない。
猛禽を思わせる鋭い双眸は、寸分の狂いなくその“怪獣”を視界に収める。
――“ゴジラ”
人知を超えた完全生物。
ある人はそれを神の化身と仰ぎ、ある人は傲慢なる霊長の築き上げた文明への鉄槌と畏怖している。
100メートルに至るその体高、ビーム兵装を含めた最新兵器をも完全に無力化する強靭な肉体、体内に有する核融合炉が生み出す無尽蔵のエネルギーは国を、星を三日三晩でたやすく滅ぼす。
万人を殺すのが英雄で、皆殺しにするのが神だというのなら、成程これ以上にないほど適切な評だろう。
「ゴジラが、
「奴は、不死身なのか……」
補足紅いハザードランプと青白い濡れた質感のモニターのみが唯一の光源。空気が悪く薄暗いスーパーXIIIの操縦室。
同乗していた部下達がなにやら悲痛な呻きを漏らしたようだが、そんなもの黒木は歯牙にもかけやしない。異様な沈黙を保ったまま、高速で切り替わっていく下部モニターをじっと睨み付けている。
別に黒木と彼らの間でそれほどの差があるわけではない。状況が常軌を逸しすぎていて、あまりの混乱と驚愕が黒木に一周回って少しばかりの冷静さを与えたに過ぎないのだ。冷や汗を流しながら歯噛みするのはまったく同じ。
ただ強いて違う点を挙げるのなら、黒木だけは
異常値に達した放射線による電波障害が凄まじいが、幸いにしてスーパーXIIIのフルスペックに問題はない。状況を把握する上で何ら支障はなかった。
(――
人類が生み出した
それに対処するためには、あのゴジラといえど己の生存の道をかなぐり捨てる他に無かった。その本質は破壊にしかないことを踏まえれば、本来あるべき姿に戻ったとも言えるのかもしれない。
既に怪獣王は
怒りに震え、憎しみに咆哮し、その全霊を破壊に奉げた姿を一体何と表現したらいいのか。
体表温度は1000度を遥か彼方に通り過ぎ、血が蒸発し肉が炭化し、王冠たる背鰭すら溶かしながら戦う姿は、もはや“人知を超えている”などというモノではなかった。
あれは、闘争という概念が四肢を有した破壊の権化だった。如何に無限の進化を可能にしても、生命体としての枷に縛られているデストロイアなどでは、土台、荷が重すぎる代物だったと思いやる。そして同時に、自分たち人類が挑み続けていた怪獣の正体、そしてそれを生み出した人類の罪深さに身震いする。
デストロイアを蒸発せしめて尚、ゴジラは止まることがなかった。
既に臨界点を迎えた体内の核融合炉は、核炎の地獄――50年前の夏の再現を、東京に、いやこの地上の全てに齎そうとした。ゴジラの本質が人類への復讐と警報だというのなら、なるほど相応しい結末といえようか。
臨界を突破した高熱は大気を一瞬でプラズマ化させ、加速度的に収束した放射線は
(それは、防いだ。
黒木率いる陸上自衛隊の擁する冷凍兵器により、想定しうる最悪の事態は阻止された。
それでもゴジラの崩壊は止まらない。総身から東京を今後百年は死の街にするに十分すぎる放射線を撒き散らし、骨さえ残さずに溶解していったのだ。
そう、ゴジラの死だ。
あのゴジラが、死んだのだ。
人類を脅かし続けた魔王の玉体は、白い死の霧となって星空に融けていった。
はずだった。
のに。
「ガイガーカウンターの放射線量が加速度的に下がっていく……」
とても納得できるものではなかった。なにかを静かに噛み締めるように顔を歪める黒木。
ありえないと理性は悲鳴を上げている。理解できないし、したくもない。それでもごまかしは止めるべきだ。事実として、
モニターの誤作動などでは断じてない。この、重く肌に張り付き肺すら犯す威圧感。理屈では説明できない、骨の髄、肉の髄、魂の髄まで染みこんだ忌々しい感覚。無論、それでも理性で納得できる代物ではないのだが。
焼き焦げ、半ば炭化した土を剥き出しにした東京に、しかし何ら意に介した様子もなく佇む
濛々と立ち込める白い蒸気。しかしゴジラが鬱陶しそうに小さく、その尻尾をぶぅんと振ると共にそれらはあっさりと霧散していく。
茫洋とした煙の向こうから、その姿ははっきりと浮かび上がった。
断じてこれは幻などではない。数キロメートル離れたモニター越し、
これがゴジラだ。
これがゴジラでなくて、何だというのか。
導き出される結論は一つ。思考の隅に追いやられていたピースがかちりとはまった。
「……ジュニアか。親を喰らって蘇ったか」
ほんの数分前までジュニアの亡骸を示していた光源が、ディスプレイ上から消失している。
融解したゴジラから放たれた熱核エネルギーがジュニアの亡骸に照射され、ジュニアがゴジラとして進化して蘇ったとでもいうのか。
(いやあるいは、
ゴジラの最期の咆哮は、死ぬならば人類諸共という黙示の
そう、つまり、これは意図せず起こった奇跡ではなく。
(ゴジラが――自らの命と引き換えに
あるいは、始めからこれが目的だったのかもしれない。
今となってはその真実はわからないが、いずれにせよこれが信じがたい現象なのは間違いない。
どれだけ莫大なエネルギーがあろうとも死者が蘇っていい筈がない。あれらは天の法則から外れた天魔の類なのだからその程度は納得しておけとでも言いたいのか? ふざけた理屈である。
地上の生命40億年の歴史に中指を立てるに等しい現象が、それでも間違いなく、黒木の眼前で確かに起こっていた。
もはや恐怖すら感じない。
思わず苦々しい笑みが漏れた。諦めからくるものなのか呆れからくるものかは分からない。分からないのだが、しかし
そうだ、おまえはそうあるべきなのだ。
あらゆる理屈を置き去りにして、すべての解釈を粉砕する。人類の都合や常識など歯牙にもかけず、こちらのせせこましい小細工を圧倒的暴力で粉砕していく。それこそがゴジラなのだ――!!
仰ぎ見よ、数分前までは東京と呼ばれていた燃え去り焼き焦げた大地の向こう――新生したゴジラが身じろぐごとなく佇む姿を!
鉛の巨山を幻視する、有り得べからざる巨体。闇夜よりも深い、漆黒の外皮。その背に掲げられた、この地上のどんな豪奢絢爛な宝石よりも眩い輝きを放つ白銀の
しかし何よりも、その面貌。
どんな地上の生命よりも克明な激しい感情に満ちたその面構えは、黒木達を始めとする戦士達にとって網膜の裏にまでこびり付いたものだ。
憎悪とも悲嘆とも取れず、禍々しくも悲哀に満ち、悪鬼とも求道者とも形容できない貌だった。そして、その双眸。輝く二つの眼球に浮かぶのは、殺意でもなく、憎しみでもなく、狂気でもない。そんな次元を遥かに通りこした――激しく深い、名状し難い暗黒色だった。
その双眸を見た瞬間、黒木は思わずぶるりとその身を震わす。それは恐怖だけでなく、ある種の法悦にも似た名状しがたい強い感情故に。
そうだ、嗚呼、全ての人間が、確信した。
――
ゆっくりと、ゴジラが身じろぎする。
そのわずかな震えをモニター越しに感知しただけで、脊髄を直接こねくり回されたような衝撃を黒木は感じる。戦車や戦闘ヘリのフロント越しに直接“それ”を視認してしまったものは、それこそ死にたくなるほどの緊張に襲われただろう。
冗談でも比喩でもなんでもなく、ゴジラの一挙一動だけでこの場にいるすべての人間の命運が決まるのだから。
「……ッ! こちらスーパーXIIIッ! ゴジラの――」
だというのに、いやだからこそか、無線に手を伸ばしたのが僅かに遅れた。
各種計器が異常値を発する。空間電位が急上昇。気圧に明らかな変化が訪れる。いや、そんなことはどうでもよかった。
黒木にとって、兵士にとって――いや人類にとっては、その瞬間だけは機械などよりも遥かに精密にその魂で以て感知しうると確信するものだったのに。
ゴジラが、重々しくその面貌を天に向けた。夜の闇雲に染まり、星すら見えない暗澹とした空。
その背に携えた王冠が、美しく眩い光を発する。
青く、透明な色。純然たる破滅の色。
美しく、究極的であるが故に、それ以上に例えられない不吉な色。
そして。
「―――――――――――――――」
咆哮。轟音。
世界が揺らぎ、軋む音。それは大気を震わすどころではなく、世界その物を直に震わせているもの。
異次元の熱核エネルギーが圧縮され、無形の力は極光となって
理屈も法則もなく、ただ只管までに途方も無い光と力の濁流が、一条の光となって天に昇る。空を覆う暗雲の全てをプラズマ化させ、周囲に押しのけていく。
――放射熱線。
天地を揺るがすなどという生易しい表現では語れない力の奔流を前に、世界が昼間のように照らされた。
深い地の底から響き渡るような振動と、大気を掻っ切る衝撃が周囲数キロメートルに渡って破滅的な蹂躙を齎していく。爆音と共に周囲を旋回する軍用ヘリが吹き飛ばされ、地鳴りは戦車隊の戦列を揺さぶっていく。それらは天地を繋ぐ極光の、ほんの余波に過ぎないのだが。
過分に過ぎるその力は、この新たなゴジラが地上を支配する新たな王であると知らしめるには、十分すぎる号砲である。
あまりに過ぎる衝撃に数瞬竦み上がり、そして次の瞬間。
『――ああああ……ああ、嗚呼、ゴジラ! ゴジラ! ゴジラがやってきた!!』
……嗚呼、そうだ。
たとえ何が違ってもどれほどの輪廻を重ねようと、この怪獣が人間にとって善性に位置する存在である筈が決して無かった。その身に満ちる物その身が齎す物は、その総てが人類にとっての不吉に相違なかった。
周囲に展開された軍勢に加速度的に動揺が広がる。元より残弾も燃料も尽き、増援も期待できない以上ここで彼らにできることなど何もない。ただゴジラの動向に黙して従うしかない。先ほどの暴威を前に、唯一機体の安定を成功させたスーパーXIIIも、これ以上の戦闘続行は不可能だ。黒木の背後の座席に座る部下達も、コンソールの操作すらままならず嗚咽する。
『あ、馬、鹿な。こ、んな――ッ!?』
何かを喋ろうとしても、舌が切なくのたうつのみ。その動揺は痛いほどに理解できる。身体全身が熱くなり、心臓がはち切れんばかりに心拍を打っているのは黒木とて同じなのだから。しかし熱を増していく身体に対して、不思議とその思考は水を打ったかのように鎮まっていくのは何故なのだ。
いや、それも当然だ――だってゴジラなんだから。
ゴジラだからむしろこの程度は端から当たり前で、当たり前のことに心を乱す必要など何もない。
胸に手をやり深く息を吐いた。
(今のは、“体内放射”――恐らく
体内放射。
限界まで収縮・圧縮・加速させた熱核エネルギーを口腔からではなく、
当然骨は軋み血肉は焼き焦げ表皮が弾け飛ぶわけだが、
しかし逆に言えば望まれて使用されることが滅多にない技なのは確かなのだ。それでもあえて肉体への負担を度外視して体内放射を放ったということは、
つまり。
確かに、あれは、違うことなく
しかし、まだ
察するに、まだ力を制御できていない。その総身を巡る溢れんばかりの
地から響き渡るような低い音を立てながらも、実際、その巨体の動きはどこか緩慢で――こちらの存在には気がついている筈なのに、リアクションは見られない。いや、そもそもこちらを見ようとすらしていない。視界にすら入っていなのだ。唯、どこか茫洋とした視線を天にやるのみ。
「……なら、することは一つだろう」
ここにいる者は皆、勇敢な人間ばかりだ。
一たび喝を入れてやれば目を覚まし、命を惜しまずゴジラに突撃するだろう。武器などいらない。誰もが四肢だろうが内臓だろうが、それこそ魂だろうが喜んで切り捨てると断言できる。
しかし同時に、今ここで命というカードを切るべきではないとも確信できたのだ。
泣き叫びながら
ああ、しかしそれでも。
僅かな逡巡の後、黒木はインカムに口を寄せた。
「……こちらスーパーXIII、黒木。特佐という立場ではあるが、この場において部隊の指揮を執りたい」
低く、しかしよく通る声。しかし、重く硬く、鋼のような強い意志が込められた声音。インカムの向こうのざわめきが、さざ波のように静まり返る。
「遺憾ながら、スーパーXIIIにはこれ以上の戦闘に耐えうる燃料もなければ、残弾も尽きた。貴官らの現状も同様と推測する。現状の兵装で“あのゴジラ”に相対するのは不可能だ。ならば、するべきことは一つであろう。可及的速やかな撤退を貴官らに命令する。以上だ、越権行為を謝罪する」
『なっ……しかし、それは』
動揺の声が広がる。
黒木翔――“特佐”という浮いた立場であり、単独行動と命令違反の常套者。しかし同時に、誰よりも効率よくゴジラに対処してきた男。
そんな男が、逃げろと言っている。
『……それは』
それはできない、できるはずがない。
しかし。
「
祈りや誇りを束ねてゴジラを倒せるのなら苦労はしない。
巨大なトカゲを神足らしめているのは、人のそういう度し難い信仰心にも似た恐れ故にだ。ゴジラの復活は想像を絶する驚異的な現象ではあるが、結局のところやることは何一つ変わらない。現実的な手段で対処するだけだ。
「貴官らの決意を軽んずるわけではない。しかしながら、ここであの“若い”ゴジラに対して不用意に干渉すること自体が脅威と見るべきだ。こうして回避できた核爆発やメルトダウンの危機を、もう一度引き起こすことは、本意ではあるまい」
『それは……』
そう、ゴジラの復活という現象を一先ずおけば、核爆発による人類滅亡どころか、放射能による東京の大規模汚染すら防ぐことができたのだ。その時点で十分な成果と判断できる。
だからこそ、
「……今は、引くのだ。引くべきなのだ。いずれ、“アレ”とはまた相まみえるだろう。だが、今はまだ」
抑え込む様な声音ではあったが、そこにどれだけ強烈な感情が込められているのかは明白だった。
込められた感情は、言い表すにはあまりにも複雑で雑多であり、しかし
インカムと通して――その言葉に刻まれた思いが、全ての
「今はまだ。しかし、いつか、必ず」
ゴジラを必ず絶命させるという決意と宣誓。
「……ゴジラ」
――はるか遠い地平線。ゆっくりと身震いする、まるで黒々とした溶岩が硬化してできたような巨体。まるでこちらを視界に入れず、その存在すらも認めていないかのように天を睨む。
そして。
「――――――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
咆哮。雄叫び。
それは再び地上の王者になったゴジラの勝鬨なのか、孤高の存在故の慟哭なのか。知的生命体には与り知れず――そして永劫理解しえぬものなのだろう。
ゴジラの二次創作が書きたいと思ったのは数年前のことでした。
その時思いついたタイトルは「ゴジラ対シャークネード」。
タイトル以外何も思いつかなかったので、即座に没になりました(´・ω・`)