――ある日唐突に、滅びが訪れる。
せめてそこに何かの伏線があってほしかったと望むのは、滅びゆく者の泣き言にすぎない。
それとも何かしらの前触れさえあったなら、対処はできたとでも言いたいのか。
嗚呼、なんと愚かしすぎる負け惜しみか。予兆が起こった時点で全てが遅いと気付くべきだ。
前提としてそれだけの能力があったのならば、そもそも滅びの因子など生まれなかったのに。
◆1◆
すごい疲労感だ。
俺の全身を巡っているのは、さては血ではなく疲労と憂鬱ではなかろうか。
本日何度目かのため息でこのストレスを吐き出せないかと試みるが、排出されるのは二酸化炭素と水蒸気だけだった。
……最近はずっと、やりたくもないことばかりやらされている気がする。
俺は、矢口蘭堂はずっと
しかしそれが今や”
「くそ」
思わず毒ついた。嗚呼、ハルオ――俺の苦悩に正面から耳を傾けてくれるのはお前だけか。
あちらこちらに跳ね回る思考。頭を振って今やるべきことに切り替えた。
会議室を飛び出してしまったソテイラを追い掛けて1時間。
中々見つからない彼女を探す過程で、抱え込みすぎた仕事を同時平行で済ませていたらすっかり夕暮れ時になってしまった。
そんな意気消沈といった具合で2階の廊下を進んでいるとき、視界の隅に映った人影。
見れば、中庭の煤けたベンチに縮こまる様に座り込む少女の姿があった。ぼんやりとした視線をひび割れた壁に向けている。
やっと見つかったという安堵よりも、申し訳無さの方が勝った。
そりゃあショックを受けているに違いない。あんな非常識という言葉も生温い、どうかしているパネトの暴言。あんな悪意を目の当たりにすれば……。
きっとヒトの、世界の善性というものを当たり前に信じて優しい理想を掲げていたに違いない少女にとっては、あんな狂人の存在自体が裏切りだ。
あくまでも彼女は、まだ15歳の少女なのだから。支えてやるのは大人の役割だろう。
しかし父親と折り合いが悪いだろうことは察してはいたが、まさか名前を聞いただけで泣き出すほどだったとは。
黒木翔――面識こそないが、その英名はあの芹沢博士にも並ぶカリスマとして聞き及んでいる。
活動規模や怪獣への即応性こそ”
そんな父娘の思想が相容れないのも当然で、不仲になるのは言うに及ばずか。
一息と共に、俺は声をあげた。
「――ソテイラさん!」
今俺たちがいる都民ホールは、全部で4棟の建物で構成されている。それらは四方を覆うように配されていて、中心にその中庭はあった。どの角度の日差しも建物に遮られていて日当たりは悪く、どことなく湿った雰囲気が漂うその空間。
大丈夫なのかと不安になりながら、階段を駆け下りて錆び付いた出入り口から中庭に足を踏み入れた。
……しかしこう、呼び掛けたは良いものの。
そこからなんと話を展開すればいいのか解らない。同僚の不始末に謝罪するべきなのか――それとも、まずは慰めるべきなのか。自分より一回りは歳下の少女にどんな気遣いが必要なのか見当もつかず、暫し黙り込んでしまい……。
「やり切れない気持ちって、こういうこと、なんでしょうか」
途切れ気味の言葉。それが自分に話しかけているものだと暫し気づかず、俺は目をぱちくりさせる。
「それは……」
「好きなものを好きだと、世界もそうあってほしいと言いたかっただけなんです。最初は1人で始めたことでした。お父さ……いえ、父への反発もあったのかもしれません。私はあの人の事が大嫌いですから」
そこで初めて、俺は彼女が何を見つめているのかを理解した。
「でも、次第に同じ思いを共有してくれる人が増えて、“
虚空に向いていると思っていた瞳――その先には渡り廊下の窓があり、そして更にその向こうに広がる景色こそが、彼女がじっと見つめるものだった。
ガラス越しにうっすらと映る、人がごった返す目抜き通りと広場。装いも年齢もバラバラだが、そこに概ね2つの集団が向かい合っているようだった。
窓は締め切っているし距離もだいぶあるので、細かい会話の内容などまでは解らない。しかし彼らのその表情や仕草からは、どうにも一発触発――ただならぬ雰囲気がひしひしと伝わってくる。
片方は”
暴動への発展を警戒していたのか、事前に配備されていた警察隊が必死になって押しとどめている故に、何とか
あれが昨今急増しつつあるという、反“
派閥というほどの確固たる集まりではないが、そういった世論が形成されつつあるのは確かである。
曰く、怪獣は断固滅ぼせそれを受け入れるなどあってはならない――怪獣という絶対的な脅威が存在する現状、そういう考えは確かに一定数存在していた。その最右翼が“
しかし”稚内事変”の遺族がその流れに加わって以降、世論として確固たる勢いを持ちつつある。怪獣の驚異とは決して対岸の火事ではない、ということを良くも悪くも誰もが認識したのだ。
怪獣の脅威を間近で体感することが多い立場上、俺の価値観もどちらかと言えばそちら側に寄っているといえる。
しかし、だからといってあんな様相には共感なんて欠片もできやしない。
なんてことだ――思わず眉を顰めてしまう。
「その内、“
「……心中、お察しします」
怪獣を仮想敵とした軍拡競争――終わりの見えない戦いを厭う者が現れるのは当然だ。でも一方で、その被害を目の当たりにした者が警戒を強めていくのも当然だろう。そして両者は、言うに及ばず相容れない。
その対局構造に世故に長けた者たちが分け入ってきたなら、話は更にこじれてややこしくなる。収集をつけるなんて不可能だ。
そして勿論、これはどこの誰が間違っているというわけでもない。思い描く”祈り”が人によって異なるだけの話。
それだけの話、なのだが……。
端的に。
なんて、醜い。
世界はどうあるべきなのか。誰もが唯一の答えを求めていて、愛と寛容を謳う者たちがおぞましく罵り合う。見ていて気分が良いものではない。
その構図の象徴ともいえる広場からは、殺気だった雰囲気、怨念めいた息づかいさえ聴こえてくるようだった。
思わず顔を歪めてしまう俺に気づいてか、ソテイラはぽつりぽつりと漏らすように言葉を続けた。
「それなのに、周りには知らない人がどんどん増えて、いつの間にか反発されることも増えて……殺人予告なんかも凄いんですよ?」
「……なっ」
正気か――こんな、二十歳にも満たない少女相手に。病んでいるとしか言いようがない。
目抜き通りの群衆に目をやれば、確かに彼らが頭の上で上下させているプラカードには、ソテイラを口汚く罵る内容のものが散見される。
思わず天を仰いだ――なるほど、俺は大馬鹿だ。
オタク的ともいえる唐突な怪獣語りに困惑するあまり、所詮はまだ子供だからな――などと一瞬でも思ってしまったあの時の自分を殴りたい。
聡い子だ。正しく世界のあり方を認識できる聡さを持っている。そしてそうであるが故に苦しんでいる。
元々細身なたちだったと記憶はしていたが、その頬のこけ具合に、目元に色濃く刻まれた隈。
その華奢な背中にあまりに多くを背負わせている
いや、そもそも第三者でしかない俺が、そんな勝手な同情を寄せること自体が彼女への侮辱であろうか。
そんな自虐めいたことに思い悩んでいたら、いつの間にか表情に出てしまっていたらしい。おろおろとソテイラが慌てた声を上げた。
「あ、いえ、でも……だからうれしかったんですよ、今日は遠慮なく好きなことについて好きなだけ語れました! だってランドウさんも、私と
そうやって、彼女にあまりに踏み込んだ憐憫の情を持っていたからだろうか。
言葉にできない……けれど確かな違和感を彼女の言葉に抱いたのに、そんなものは錯覚にすぎないと捨て置いてしまったのは。
「真っ先にこれをいうべきだったのに、遅れてしまいました――先ほどは、私の同僚が大変な失礼を」
きょとんとした少女の顔は、ややあって合点がいったような苦笑に変わる。
「えへへ……私だってすっごい情けないところ見せちゃったから、おあいこですよ。急にお父さんのこと言われちゃって……流石にあれは堪えました。ランドウさんの前で言っていいのか分かりませんが……凄い人がいるんですね」
「世の中には多種多様な人間がいるもは確かですが、アレは特級です。信じがたい愚か者。あんな極論にソテイラさんが惑わされるようなことは断じてあってはならないでしょう」
いつかハルオに言われた言葉をそのまま受け売りしながら、内心俺は胸を撫で下ろしていた。沈んでいた彼女の表情も、見ればだいぶ柔らかいものに変わっている。
思ったよりもパネトのことで傷ついてはいないようだ。勿論、だからといってこちらの不始末には変わらない。俺は下げた頭の角度をさらに深くした。
「俺からもきつく言っておきますので、どうかご容赦ください。いやまぁ、アレは言って聞くような女ではありませんが」
「良いんです。あの人と話して、私なりに考えて……ようやく見えてきたものもありますから」
なんだろうか。
彼女の声音が、そこで少し変わったような気がした。
どこか遠くを見ているような声、そこにほんの少しばかり不審を俺は抱いてしまって、思わず顔を上げた。
「あそこで言い争っている人たちも、そしてパネトという女の子も……本当はみんな、何を信じるべきなのか解らないんだけなんでしょうね。
果たして正しい”祈り”がなんなのか、どこにあるのか……気が付いてない」
彼女はやはり穏やかに微笑んでいた。
柔らかで慈しむ様なそれは、この広い世界で彼女が唯1人あのモスラという神に選ばれたのも当然だと納得させられてしまうものだ。
しかし何故だろう――その優しく抱擁するような雰囲気から、まるで慈愛の言葉を囁きながらふんわりと首を絞めつけてくるような不気味さを感じてしまうのは。
「――だったら、私が救わないと」
俺から目を逸らすことなく、少女は真っ直ぐに潤んだ瞳を向けてきた。
その濃い深い色の眼に垣間見えるのは、底知れぬ謎めいた光。
なんだ、どうした。
思わず、俺は一歩後ずさる。
「世界が私の思い通りにならないのは、理想をきちんと伝えていなかったからなんですね。今日、あのパネトという女の子とお話しして気が付きました」
「……?」
俺の反応を待つことなく言葉を並べる彼女。
恍惚とした表情は、まるで疑いなく祈りに殉じる巫女の様だった。膝をつかんばかりの聖性をそこに感じるのは確かだが、俺はその姿に何か致命的な
「大いなる存在――神たる怪獣と1つになり、それをもって救いとする私の祈り。
「――何、を」
しかしその違和感を形にできず、俺は狼狽えるばかりで。
そんな俺を待つことなく、いや視線すら向けることなくソテイラはすくっと立ち上がった。その瞳は天啓に打たれたように輝いていて、迷うことなく真っ直ぐ歩いていく。しかし何処に――?
「決めました、あの人たちとお話ししましょう」
「は?」
呆けた声と共に、その視線の先を真っ直ぐ辿っていき――窓の先の、言い争う群衆。
……その意味を理解するのに数秒の時間を要した。
「まさか――あの連中と!? いやそれは危険すぎます!」
「どうしてですか?」
いや、貴女の名を口汚く罵倒する、あのプラカードが目に入らないのか!?
あんな暴徒一歩手前の連中の前に”
そんな常識的なことがなぜわからねぇという罵倒を、喉元でなんとか抑え込んだ。
「話し合えば分かり合えますよ、あの人たちは不信に駆られているだけだから。怪獣を、隣人を恐れすぎているだけなのです。でもそれは間違った祈りです。可哀想です……」
気を揉む俺を知って知らずか、少女はふふふと微笑むばかりで――しかし違うそうじゃないだろう。軽く深呼吸して息を整える。
「あの中には――先日の稚内の被害で、家族や友人を無くした人が沢山いる。彼らが怒りと不信を爆発させているのは、偏に怪獣に大切な人を奪われた悲しみ故です。そんな人たちの前に貴女が立って、”怪獣との融和”を唱えたところで、彼らをいたずらに煽りたて傷つけるだけなのではないですか? 短慮はおやめください」
「……そうですか、それはすごく可哀想です」
短い言葉には、しかし心底からの哀悼の意が込もっていた。それはよくわかった。
しかし。
「ならば尚のこと、ですよね。
私の掲げる祈りで癒してあげたい。喪失の悲しみと怒りで心を満たしても、何も生まれないのだから。それは”
胸の前で両手を握り、祈るように目を閉じる。口元の優しい微笑からは、彼女が何らとして疑問を持っていないことは明らかだった。
「私はね、ランドウさん――三枝未希に、なりたいのです」
俺の解釈は何もかも的外れで、今まで彼女に抱いていた心象が悉く崩れていく。
いや違うのか――余人には計り知れない使命感を抱き周囲を巻き込もうとするその姿。
最初に彼女を見たその瞬間から疑問があったのは確かなのに、俺はそれに気づかなかっただけなのだ。
だってそうだろう。
この世界で真に正しいものが何かなんて誰にもわからないし、そんなものが果たして存在するかも怪しい。千差万別の視点の集合体に他ならないこの曖昧な世界の中で、どうしてそんな風に、疑うことなく自分の”祈り”の正しさを確信できるのだ。
そうやって相手の間違いを正すと掲げて、結果何度も争いが繰り返されてきたわけだけど、そこに正しさなんて無くて、それは価値観の押し付けでしかないことを俺たちは知っているんじゃないのか――。
ベクトルは違えど、この少女もまたパネト・ヘイトスピーチ同様の異常者に他ならなかった。その圧倒的な事実に、俺は身動き一つとれずに立ちすくんでしまう。
迷うことなく中庭を進んでいく少女。その後を追うことすらできずに――
しかし不意に、その足がピタリと止まった。
考えを改めてくれたのかと一瞬期待したが、そうではない。
ゆっくりと顔を上げていくソテイラ。その視線の先、見ているのは建物の上階? 違う、空か。いやもっと上の……?
困惑のままその意味を問いただそうと、俺は視線をソテイラに戻した。
そこにはやはり穏やかな薄い微笑、ではなく――汗ばみ張りつめた表情に、強く結んだ唇。
見上げた先の空に、唐突に亀裂が走った。
ひび割れに沿って大空は軋むようにずれていき、整合性を失った空は破片となって砕け散る。その割れた窓の向こうに広がる漆黒の空間――あれはまさか宇宙空間なのか!?
眩暈すら感じる冗談のような光景、言葉を失うという騒ぎじゃない。
立ち眩みの様な感覚と共に、膝から崩れ落ちた。
なんだ、何が起こっている!?
「――――来た」
その焦りと恐れが隠し切れない乱れた声で、ようやく俺は尋常ならざる致命的な事態が、己の与り知れぬところで進んでいることを理解したのだった。
◆2◆
そして時は同じくして、東京湾。
夕暮れの空がひび割れて、その向こうから垣間見える漆黒の宇宙空間。一筋の光すら許さぬ暗闇が広がると共に、壊滅的な存在感が鼓動となって伝わってくる。
それと同時に、茜色に染まっていた海面が徐々に徐々にと暗闇に沈んでいく。
――しかしそんな闇色よりもなおも深くどす黒く、鈍く瞬く不吉な眼光。
湾に停泊する強襲揚陸艦。”
比喩ではなく文字通りに天地が崩壊する光景を前にして、しかし少女はただ喉から呪う様な唸り声を上げるのみ。
それは恐怖が故、焦燥が故か?
「ぶち殺してやる」
どちらも否である。端的に言えば煮えたぎる殺意が故に、少女は歯を軋らせその身を震わせるのだ。
この規模、この破壊――仮にこの場に
それが理解できないのか理解った上で無視しているのかは知らないが、はっきりしているのは唯1つ。手段の是非も力の有無も関係ない。このパネトなる少女はその生身で、
何があっても止まらない。その衝動の赴くままに、少女がゆらりと一歩を踏み出した。まさにその時。
突然に、石火の勢いで彼女は振り返った。
あれだけ執拗に殺意を燃やしていた天空を眼中から外し、視線を暗闇に沈む東京湾の海に釘付けにする。
傍目から擦れば意味不明。
まるで、天変地異の具現と化した空を
限界まで見開かれた両の瞳。その先に果たして何があるのか――
答えは、水平線の彼方に現れた。
空の様相をそのまま映し、暗闇に沈みこむ東京湾。その遥か遠くの水平線の黒面が、うっすらと青白い光に照らされたのだ。
波に揺らめき揺蕩う様な光。オーロラを思わせる幻想的な輝きは、やがて力強く脈動する白熱に変わっていく。
「……ははっ」
それと共に、ゆっくりと少女の口端が吊り上がっていく。凄絶な表情が、苦笑するようなものに変わっていったのだ。
打って変わって機嫌よく笑う姿。……しかしそれが先程よりも遥かに深く不吉な気配を宿しているのは、何故なのだろうか。
笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙をむく行為が原点であるというのなら……きっと、それが答えだった。
くくく、とくぐもったような笑い声。
「”敵”を前にしておまえが居眠り決め込むなんざありえない。そんなの解釈違いにもほどがある」
眩い光は心臓の鼓動のように強弱し、凪いでいた海面も今やそれに合わせて津波のように揺れ動いている。
「――――来た」
瞬間、大地を踏み砕くような爆発音と地響きが響き渡る。
次瞬、果てのしれない怒涛と共に、東京湾の漆黒の海が文字通りに左右に割れた。
空が砕け、海が割れる。まさに驚天動地の超展開としか言いようがなく、救いがたいことに事態はそれに留まらない。
津波のように迫る水の壁が、次いで発生した圧倒的な衝撃波によってまとめて霧散したのだ。
そして剥き出しになった海底――地平線の彼方までもが空の暗闇に沈んでいる中、そこには唯只管までに圧倒的な”力”があった。
一体何が起こっているのか。これ以上に恐ろしいことが、何があるというのか。
愚問なり、問うまでもなし。
直立するは黒鉄の巨体。総身に纏わせる
おお、偉大なるかな聖三文字!
ご唱和ください、神の名を!
――ゴジラ、ゴジラ、ゴジラがやってきた!!
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――ッ!!」
海を大地を大気を東京の街そのものを揺るがす大轟咆と共に、一瞬その姿が掻き消えた。
見れば、天までも貫く青い光の柱。
海から登場するシーンを執筆する時はマジで脳内でゴジラのテーマが大音量で流れてました