殺滅のソテイラ   作:すかろく

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第10話 祈りの崩れ◆

◆1◆

 

 茨城県つくば市、筑波山の麓。

 

 悪く言えば片田舎。しかし都会の喧騒とは程遠く、当然周囲に住宅地など存在しない。開けた平原地帯は三方面を山地で囲まれており、機密漏洩防止や拠点防衛、先端技術開発等諸々の事情には都合が良い。

 よって軍事拠点とするには打ってつけで、実際ここにはGフォース中央指令本部が存在している。

 

 鬱蒼と続く森の中、突如前触れなく近代的な高層施設が並ぶという珍妙な光景。

 わざわざ民間のゴルフ場やハイキングコースを潰してまで建設した大層な箱物は、しかし対怪獣戦の最前線の地位からGフォースが脱落して以降まともに機能しているとは言い難い。

 活気と呼べるものはなく、いっそ長閑とすら言えるだろう。

 

 しかし今日、この時に限ってはその様相が一変していた。

 殺気立っている。狂乱している。喧騒に満ちている。

 

 

「――なんなのだこれはッ、一体何が起こっているというのだ!?」

 

 誰かの狼狽した声が、Gフォース情報統括ルームに響き渡った。

 

 

 ――何の前触れもないあまりにも唐突すぎる宇宙怪獣の襲来により、日本は世界は混乱と恐怖のどん底に突き落とされた。

 

 突如飛来した大怪獣が叩きつける、圧倒的な殺意。桁外れという言葉をどれだけ重ね掛けしても足りない絶望的な存在感により、関東圏内全ての生命が恐慌の渦にかき回されていく。

 

 逃げ場など何処にもないと理解っていながら我先にと逃げ出す民衆。

 自死衝動すら引き起こす破滅の気配に抗うことせず、親子が友人が恋人が絶叫しながら互いの首を絞め合っている。

 流れる涙に、登る焔。あってはならない地獄的光景の具現だった。

 

 そして、それはGフォースとて例外ではない。

 破滅の気配は筑波山の麓にまで届き、恐慌の余波が隊員にも等しく襲いかかっていく。

 しかし……なまじ防人としての本分などを持ち合わせてしまったが故に狂うこともできず、皆が喉を枯らしながら口々に声をあげるのだ。

 

「上空の様相は依然として不明! ゴジラの存在は確認できません!」

「居場所の見当くらいはつかないのか!?」

「成層圏上空、空間電位、電波いずれも変動著しく、ラジエーション計測も困難……衛星との通信も不能となっています!」

「この爆発では目視での確認もできないか……ッ」

 

 押し殺そうとしても滲み出る動揺。事態の不明と混乱を叫ぶだけで、なんの解決にもなりはしない罵声が響き渡る。

 

 しかしそれを情けない姿と嗤う者はいない。

 

 戦況が凄まじすぎる。各種環境数値(パラメータ)が限界値を振り切れている。これについていける人間など存在するのか?

 この状況にあってもせめて事態の把握に努めようとする姿こそ流石と呼ぶべきなのだろう。

 

 割れ砕けた空目掛けてゴジラが文字通り()()()()、その数分後に成層圏上で観測された核爆発とも見紛う衝撃。そして東京湾に墜落してきたのは無傷の宇宙怪獣のみというこの現状。

 

 昨今宇宙怪獣の出現など珍しくもないし、それが地球を襲うのも最早お馴染みの展開ではある。しかしここで問題なのは、”それ”に地球の大地を踏ませてしまったこと。

 一◯◯メートルを超す大怪獣による人口密集地(東京)への強襲を許すなど、およそ考えうる限り最悪の展開だ。この三◯年間では一度もあり得なかった緊急事態である。

 それが人類の力だけで勝ち得た結果ではないことは既出の通り。この三◯年間の平和の真相とは、怪獣の悉くが人口密集地に近づくまでもなくゴジラによって撃滅されてきただけのこと。

 

 それは、つまり。

 

 

 つまりこの現状は、不滅の絶対守護神ゴジラが“敵”を殺しきれず、あまつさえ押し負けた事実すら示唆しうるのだ――!

 

 

 Gフォースという組織の大義を考えるならば歓迎するべき事態なのに、まるで足元が崩れていくような奈落的感覚に襲われるのは何故なのだろう。

 

「……せめてゴジラの生き死にくらいは判別つかないのか」

 

 冷や汗を滝のように流す一人の士官が吐き捨てるように……しかしどこか縋るように呟いた。

 押し黙るばかりで誰も反応を示さないが、その言葉はこの場における多くの者の思いを代弁するものだ。

 そう――誰もがこの状況におけるゴジラの生存を望んでいた。

 

 それはあのゴジラですら敵わなかった存在に自分たち(人間風情)が及ぶはずもないという戦力的判断ゆえなのか。それとも……

 

「くだらん妄言をぬかすなよ。あの程度でゴジラが滅ぶはずがない」

 

 押し潰されるような雰囲気を断ち切る厳しい声は、麻生孝昭少将のものだった。

 情報統括ルームの奥、その司令官の席に深く腰掛ける老将は、この喧噪と重圧の中で不気味なほど沈着な態度を保っている。

 落ち着き払った……とまでは決して言えないが、少なくとも周囲の青年士官たちのように取り乱す様子はない。

 

 眉間の深い皴、机の上で鬱血するほどに握りしめられた五指――むしろ、その苛立つような視線は、不毛な議論に騒ぎ立てる者たちにこそ向けられているようであり。

 

「ゴジラという存在が如何なるものなのか、その力がどれほどの絶域に至っているのか、仮にもGフォース隊員の一員でありながら理解があまりにも浅すぎる。

 なるほど見通しの立たない壊滅的状況なのは確かだろうが……そこでよりにもよってゴジラの生死から議論を始めるなど、解釈違いにもほどがあるな」

 

 字面こそ狼狽える士官たちを叱咤するようであったが、内容はただ若者を罵るだけのものでしかない。この状況において事態解明の助言でも命令でもないのだ。

 どこか他人事のように語る様を前にして、彼らが我に帰るのに数瞬要した。

 

「し、しかしあれほどの爆発! 地上で確認できるのがあの謎の結晶の怪獣のみという現状を鑑みれば――」

「スペースゴジラだ」

「は?」

 

 ため息一つと憂いた視線を士官に向けてから、中空電子モニターをじっと見やる。関東圏内を恐怖に叩き落とす破滅的存在感を秘めた白銀の怪獣。

 

「わからんのか。クリスタルで構成されたその姿形は、記録とまったく異なるものに成り果てているのは確かだろうよ。しかしゴジラを模したその姿。そしてこの殺意、この戦意――防人の端くれならば見誤るなどあり得ない。

 察するところ、三一年前に福岡で撃破された個体の亜種……いや、本体と評するべきか」

「なっ」

 

 全ての者たちが驚愕に息を呑む。

 

 三◯年以上前のことだ。巨大怪獣が立て続けに人類の前に姿を現すという想像を絶する激闘の時代があった。怪獣災害の全盛期であり、同時にGフォースにとっての栄光の時代でもある。

 当時確認された強大な怪獣たち、そして彼らとゴジラの死闘の記録は「バーサス世代」と語り継がれているのだ。

 

 他を隔絶したその力は三〇年経った今も全く色褪せることなく――スペースゴジラは、その世代の中においても更に際立つ超絶個体である。

 

 ゴジラを模した怪獣が宇宙からやってきたからという安直で端的なネーミングだが、だからといってこの怪獣の危険性は生半可からは遥かに遠い。

 あのゴジラを一度は完封し、更に当時最新鋭の対怪獣ロボット兵器であったMOGERAとの二対一を演じながらも完全に圧倒した戦闘力は、あの完全生命体(デストロイア)とすら双璧をなす。

 ()()()()()()の幼少とも因縁深く、そんな存在が今こうして地球に再襲したのは何の因果なのか。

 

 想像するだけで寒気がする。果たしてどれだけおぞましい惨禍がこの地上にまき散らされることになるのだろう。

 だから士官たちが冷静さを完全に失い、詰め寄るように叫んだのも無理はないのだ。

 

「やかましいぞ、なにをそこまで慌てることがある」

「あ、麻生司令は何故そのように落ち着いているのですかッ!? これは緊急事態という言葉すら生温い!」

 

 それは当然の疑問であった。

 三〇年前の時点で既に傑出した実力を有していた特級の化け物が、さらに力を増してこの星に現れたのだぞ? 三一年前の辛勝とは、あくまでも二対一の条件下によるもの。それを踏まえて現在の戦力差を考察するのなら、もうゴジラに勝機はないというのが妥当な結論になる。

 ましてや人間如きに何ができると……そう考えてしまうのは当たり前のことであり。

 

「だから、お前たちは何を懸念しているのだ」

 

 ……彼らは決して愚か者ではない。

 確かにこの三〇年間、平和の中で最前線の命のやり取りから遠ざけられて育った未熟者(ルーキー)の世代だろうが、だからといって軍属が馬鹿に務まる程度の仕事に堕ちたわけではないのだ。

 彼らはこの切迫した事態を正しく認識していて――だからこそ混乱するしかない。

 

 眼前に立つ老将が、何故こうも落ち着いていられるのか。果たしてこの男が、何を考えているのか。

 

「ゴジラは既に死んだものとみるべきでしょう。ならば――」

「ゴジラは敗けん」

 

 麻生はそんな彼らに、何を言っているのだお前たちはと言わんばかりの、まるで若者の無知と不覚に呆れる様な視線を向けるのだ。

 

「繰り返すが、なにを言っているのだお前たちは。何故ゴジラが敗れると思うのだ。何故ゴジラが滅びると思うのだ。何故そんな思考に至ってしまうのだ」

 

 見ていろよ、と言わんばかりに中空電子モニターをじっと睨みつける老将。

 

「人類がどれだけ憎み、どれだけ戦い続けたと思っている。それでもなお届かない絶対存在がゴジラなのだ。こんな程度で滅びてたまるかよ」

 

 ゴジラを深く嫌悪しながら、まるでどこか誇らしく感じているようなその言葉。

 

 常日頃からゴジラを諸悪の権化と罵るその口で、ゴジラの絶対性を讃えている。その異常性。矛盾している(ダブルスタンダード)としか言いようがなく、しかし当人の中では正しく全うに理屈が通っているのだ。少なくとも、当人の中でのみは。

 

 狂人を見るかのような周囲の視線を意に介さず、麻生もまた彼なりに状況の整理を進めていた。最悪の現状だというのは彼も同じ意見ではあるのだから。

 

 ……何せ今、東京には怪獣共存派(コスモス)による年に一度の定期大会が開催されようとしていたところだ。

 世界中から東京に集結した信者たち――常日頃と比べて人が多いということが何に繋がるのか、それは語るまでもないことだろう。怪獣との融和を唱える狂人共など、どうなろうが自業自得というのが麻生の正直な意見だが。

 

 そんなことより輪をかけて不味いのが、この瞬間東京を守護する最前線に日本所属の最精鋭部隊――つまりは黒木特将率いる特生自衛隊がいないこと。

 現在そこに配されているのが、あの悪名高い”赤イ竹(レッド・バンブー)”の野良犬どもだ。大会を迎えるにあたっての首都防衛を外部組織に任せてしまうという、三〇年前なら絶対にありえなかっただろう判断ミス。

 無論のこと、あんな傭兵崩れどもがこの混乱時に一致団結して民間人を守るなど有り得ない。混乱に乗じた略奪紛いすら有り得ると麻生は考えていた。

 

 ……麻生に言わせるのならば”赤イ竹(レッド・バンブー)”など、そもそもが小物(ガバラ)の群れを狩ることで武名を挙げた無法集団でしかない。真の絶対的存在である大怪獣を前にすれば、散り散りになって逃げ出すのが関の山。

 

 三◯年前ゴジラの暴威に臆することなく立ち向かい、散っていった勇者たちとは何もかもが違うのだ。

 

(そうだとも……あんな輩が幅を利かすなどあってはならない。見敵殺滅だと? よくぞ言った)

 逃げず怯えず明日の地平(ゴジラのいない世界)を目指して戦った自分たちと比べるまでもないのだ。

 

 悔しい。今のGフォースに一〇〇メートル級の大怪獣とまともに打ちあえる戦力など無い。相応の兵器の有無以前に、そもそもそれを適切に運用できる人員が存在しない。時間稼ぎすらできないだろうというのが正直な所感である。

 

「何をしているのだ黒木よ……」

 

 だからこそ、麻生は特生自衛隊の出動を望んでいた。黒木翔率いる、疑うことなく日本最強の対怪獣精鋭部隊。()()()()の灼熱を共有できる数少ない戦友の到来を、切に切に望んでいた。

 

 何をしているのだ早く来い。詳しく知らんがあそこにはお前の娘とやらもいるのだろう。

 見せつけてやれよ、あの時代の猛者の力を。私の隣で無能に間抜け面を晒している若造共に。そして、あの忌々しい”赤イ竹(レッド・バンブー)”の野良犬共に。

 

 そして、その果てに君臨しろゴジラ。

 お前の不変の暴威で以て、スペースゴジラを粉砕してくれ。お前の絶対性が天下に改めて知らしめられたその暁に、散っていった戦友たちの名誉が――あの時代を生きた私達の栄光が取り戻されるに違いないのだから。

 

 

 ……最悪の現状という認識は、確かに他の隊員たちと麻生とで同じではあった。

 しかしそこから至る結論が、あまりにも斜め上を行き過ぎている。

 

 

 果たして、彼は気づいているのだろうか。

 過去の栄光に縋り、そうやって己の慰めとする。

 彼の魂は常に過去と共にあり、決して今を生きていない。そうである以上、彼がこの刻々と変化する火急の事態に対処することなどできやしない。少なくとも彼の言うところの若造の方が遥かに弁えているし、彼の言うところの無法者の方がまだ役に立つだろう。

 

 そんな彼の都合に合わせて物事が進むはずもなく、そして次の瞬間それを証明するかのように事態が引き起こされた。

 

「なっ――」

 

 突如すべての者が絶句した。

 中空モニターに映し出されたのは信じがたい光景――画質も悪く電波障害(ノイズ)も著しいが、断じて見間違いなどではない。

 東京湾にて破滅の気を吐くスペースゴジラに、一機のパワードスーツが突貫を始めたのだ。吹き飛ばされては突撃を繰り返し、供回りも援護もないままたった独り猛り狂っている。

 

「な、何をしているのだあれは……!?」

 

 国を滅ぼし星を砕き、一つの星系を征するに至るとさえ謳われる神獣に、人が生身で突撃している。

 当のスペースゴジラすら、戸惑うように動きを止めているほど。一周回ってその時間稼ぎが狙いだったのではないかと邪推したくなるが、そうではないのは明白だ。勝てると自惚れるが故の無謀ですらないのだろう。

 

 だって、遠く離れたモニター越しからでも届くのは、猛り狂うような怒りの波動。木霊する怨念じみた咆哮は幻聴ではない。

 装甲を拉げさせ、四肢がへし折れ、血を流しながらなんども突撃する様は、あまりにも壊滅的で呪わしい。勝機も手段も関係なくただひたすらに”敵”が許せないと刃を振るうそれが、”勝利”を掴むためのものであるはずがない。どう考えてもただの愚行。

 なのに、どうして目が離せない。

 

「あれは確か、”赤イ竹(レッド・バンブー)”所属の……」

 

 ――気づけば、さっきまで皆を襲っていた破滅の実感が和らいでいた。

 

 スペースゴジラが放っていた、皆滅びろという絶死の波動。物質化するほどの濃厚な気配が、確かに薄らいでいるのだ。

 関東県内を覆っていた恐慌の余波が僅かながらでも希釈されたことで、人々が理性を取り戻していく。

 

 それが一体どういう理屈なのか、何を示唆するものなのか。今後の事態を具体的にどう左右させるのかも解らない。

 とはいえ、概ね喜ばしいものなのは間違いなさそうだが……

 しかしそれに対して苛立つように眉間に皺を寄せていくのが麻生。

 

 生身で怪獣に突撃する――()()()()()()周りの若造共がいきり立ち驚愕の声を上げているということ自体が、彼にとっては許しがたい解釈違いだから。

 

 権藤、結城――ああ、他にも沢山。仲間を守るために生身で果敢に怪獣に挑んだ勇士など、三〇年前には数多くいたとも。その命がけの雄姿を不出来に真似(パロディ)されたようで不愉快極まりない。

 

「断じて、あんなものではない……ッ」

 

 偉大な怪獣との戦いとは、須らく栄光に満ちているべき。それがあんな呪わしい見世物に堕ちているのは、一体どういうことなのだ。

 若い士官たちは興奮ぎみに身を乗り出し、食い入るようにモニターを見つめるのを腹立たし気に横目で睨みつける。

 

「あれはいったい……あれが噂に聞く”見敵殺滅”なのか?」

「”怪人”パネト・ヘイトスピーチのことか!?」

 

 余人には伺い知れぬ怒りに身を震わす麻生だったが、”パネト”――そう、聞いた瞬間。

 麻生の眼が、不意に大きく見開かれた。思いもよらぬものを聞いたかのように息を呑む。

 

「……パネト?」

「はっ……”赤イ竹(レッド・バンブー)”所属の名うての構成員。まだ二十歳に満たぬ少女ながら、かの組織最大の武功を挙げる特急戦闘員と聞き及んでおります」

 

 羽音の様な不思議な響きの名前は、麻生にとってどこか聞き覚えのある響きを伴っていた。

 怒り一色に染まっていた思考が一瞬の間だけ忘我の境に入る。

 しつこいくらいのゴジラへの執着を思わず捨て置いてしまうほどの、理屈を超えた何かの違和感。 

 

 

 

”麻生司令、この子の名前は――というのですよ”

 

 

 

「三枝……?」

 

 

 唐突な沈黙に隣に立っていた隊員が不審げに見てくるが歯牙にもかけず、食い入るようにモニターを凝視する。

 

 待て、どういうことだ。

 いやしかし。

 あの時の子供の、今の歳は――

 

「まさか、三枝の――」

 

 一体どういうことなのか。彼しか知り得ぬ所以なのか、理屈を超えた直感が何かの辻褄を導き出そうとしていたまさにその瞬間であった。

 情報統括ルームに響き渡る通知音。関東全域を覆っていた電波障害の余波が薄らいだことにより、外部との通信網が回復したのだ。

 

 そうして届けられた通達により、今度こそ麻生の顔は驚愕に歪められることとなる。

 

「稚内臨時分屯地より緊急の一報が――稚内港より、バトラ復活ッ! 現在東京湾に向けて飛翔中とのこと!」

 

「なん――だとっ!?」

 

 一体何が起こっているのか。戦況は未だ混沌としているが、それでも解っていることは唯一つ。

 

 

 

 少なくとも、彼らはこの物語の主役ではないということだ。

 

 

◆2◆

 

 そして同刻、東京湾。

 

 周囲の絶望も混乱も知ったことではない。

 奈落的に渦を巻き天を登る、漆黒の超重力――それを神懸かり的に掻い潜りながら、少女はパワードスーツ一つで脇目も振らずに突貫を繰り返す。

 

 言うまでもないことだが、こんな行動に意味はない。

 

 実際、少女は思い知らされることになる。

 己が挑もうとしているものがどれほどの存在なのかということを。

 

 超重力の檻に捕らわれて、全ての骨が例外なく砕けていく。全身の血肉が沸騰していく。手足が捻じれて戻らない。

 星を砕き、星系を統べる力は、紛れもなく神と評するべきものだ。

 東京湾に凝然と仁王立ちする一二〇メートルの巨体に、近づくことさえできずに吹き飛ばされていく。

 

 何という身の程知らず。

 話にならないほど当たり前の展開。

 きっとそれは、少女だって理解ってはいるのだろう。しかし――いやだからこそなのか。

 

「知ったことかよ怪獣は死ねェ!」

 

 無力を噛み締め涙を流すなど有り得ない。いやそもそも、この少女は勝算と呼ぶべきものを端から勘定に入れていない。

 ()()()()()()()()

 自分が認められない、自分と違う属性を有する”敵”なるモノが脅威としてそこに存在する――その現実が許せない。掻き毟って掃除してやらなければ耐えられない。

 ただその一念だけで、人間風情が今もこうして救いがたいほど壊滅的で奈落的な焔を燃やす。

 

 なるほどその精神性は確かに驚嘆に値するのだろうが……だからといって、土台無理なものは無理なのだ。

 

 気合と根性だけで怪獣を倒せるのなら誰も苦労しない。呪わしく吠えれば怪獣に届くというのなら、全人類から何十年と呪われ続けたゴジラは果たして何億回死ぬことになるのだろう。

 

 結局こうして無様に転がりながら時間稼ぎに徹するしかないのも当然で……しかしだからこそ、そこに疑問が生まれる。

 

 何度も言うが、その気になれば星一つを容易く粉砕するのがスペースゴジラという怪獣だ。

 そんな存在を前にして、人間風情が曲がりなりにも時間稼ぎができる(戦り合えている)こと自体が理屈に合わない。凄絶な様相に成り果てながらも、それでも少女の肉体が現状()()()()()()()()()()こと自体が不可思議である。

 

 その理由は、大きく分けて二つあった。

 

「――ブチ殺す」

 

 捩れ狂う空間から生み出される不可視の刃を、まるで始めから解っていたかのようにジェット噴射で回避する。

 それは技の”起り”を見切ったなどという次元ではない。まるで未来予知したかのような確信に満ちた挙動は、勘や経験に依る部分もあるのだろうが、それらは本質には非ず。

 

 パワードスーツのバイザー越しに爛々と瞬く狂眼と、怪獣の鈍く輝く白銀の双眸が正面から交差した。

 

「来いよ石ころ、得意なのは黒トカゲの物真似だけか?」

 

 少女が読み取っているのは、怪獣の殺意。それはなにかの比喩表現――ではない。

 

 パネト・ヘイトスピーチという少女が最大の武功を挙げるに至る由縁の一つである超能力。感知能力に分類されるその異能は、怪獣の戦意のベクトルを読み取ることで神憑り的な第六感へと昇華される。

 人知の及ばぬ行動原理を有する故に、人類が培ってきた戦術・戦略がまるで意味をなさないというのが怪獣の厄介さの一つである。ならば、その精神性を直接読み取ることができるのなら、果たしてどれだけ過大なアドバンテージが得られるのか。

 

 それこそが第一の理由。

 まさに対怪獣戦における超能力の有用性が示されている光景であったが、この世にリスクや代償のない力などない。

 

 端的に負担の問題が存在するのだ。

 人ならざるモノの精神に触れ続けることで、人間が受ける精神的ショックは計り知れない。生死の間際を潜り抜ける度にその理性は揺さぶられていく。

 ましてや今相手にしているのはあのスペースゴジラ。太陽を直視し続けるようなものであり、今もこうして正気を保っていること自体が――そもそも正気の人間は生身で怪獣に挑むのかはさておき――少女の怪物的精神性を指し示している。

 

 だからこそスペースゴジラは手を出さない。興味深いとでも言いたげな視線を投げるばかりで、ただ凝然と立ち竦むばかり。

 対等の立場で勝利してこそ真の最強と掲げられた信条こそが、第二の理由だった。

 

 下等な知的生命体の分際でこれほどの妄念と殺意をぶつけてくるなど、この結晶の怪獣の数千年にも及んだ殺戮行脚においても例がない。流石にこれを図体に任せて踏み潰してお仕舞い、などとは塩試合にもほどがあろう。

 とはいえ流石に「対等の土俵」にまで落ちてやるつもりもないが故に、こうしてじっと自滅を待つような真似をしているわけだ。

 

 ……何とも怪獣には似つかわしくない、有り体に言ってしまえば俗っぽい姿勢。

 ある種幼稚的でさえあり、大多数の怪獣が有する超然とした精神性とは程遠い。掲げた信条こそ雄々しいが、その真実は相手をどこまでも下に見るが故の遊びに他ならないのだ。

 

 それを理解してしまったから、屈辱と怒りのままに少女は吠え上げる。

 

「ぎゃおおおおおおおおおお!!」

 

 人か獣か、それ以下か。少女の喉から発せられているとはとても信じられぬ畜生じみた咆哮。

 掠れた声と血走った瞳。折れた手足を知るかと駆動させる姿はなるほど大したものだが――

 

 やがて当然の結末として、限界は訪れた。

 

「ぁ……」

 

 まず力が抜ける。パワードスーツの制御が不能となる。無限に湧き出るような殺意も尽き果て、意識は途切れていく。

 

 重力の渦に捕らわれたまま逃れることもできず、砕けていくパワードスーツ。そうして糸が切れたように放り出される生身の少女からは、見るもの全てを殺滅せんとする獰猛な戦意は感じられない。

 小鳥のさえずりの様に小さな呻きを上げながら力なく手を伸ばし……何も掴むこともできないまま墜ちていく。

 

 一人の少女としての弱さと儚さを、怒りの炎に転化させるだけの精も根も尽き果てた。

 四散するパワードスーツの残骸と自身の血しぶきが視界いっぱいに広がっていく。そうして呑み込まれて、海面に叩きつけられて――

 

 

 

「オレは……オレはどうして、私はこんな……」

 

 

 

 死と絶望の底で、うわ言のようにパネトはぼんやりと呟く。それに何の意味があるのか。果たして、誰に向けた言葉なのか。

 

 その表情は伺うことはできないが、まさか、泣いている――のだろうか。

 

 

 

 

 

「寒い、痛い、怖い。もう、わからない。どこにいるの――未希姉さん」

 

 

 

 

 

◆3◆

 

 そして、同刻。

 上空五〇キロメートルという常軌を逸した高度に於いて。

 

 成層圏界面。温度は氷点下に達し、大気が真っ白に凍りつく。

 触れるものを全てを切り裂く冷たい突風が、怒涛の如く吹き荒れる世界。命の温かみとは無縁の場所で、その巨大な生命は怒りに歯を軋らせていた。

 

 重力というものを当たり前のように無視しながら、浮かび上がる灼熱の巨躯。黒鉄の魔王――ゴジラ。

 一体如何なる理屈に基づき空を飛んでいるのかは不明だが、間違いなく解っていることはただ一つ。もはや如何なる物理的制約も、ゴジラという生命に枷を嵌めるには至らないということだ。

 

 であるが故に、疑問が一つ。

 数分前に切り落とされた四肢の再生はとっくに終えている。ならば一刻も早くあの結晶の怪獣への逆襲に向かうべきなのに――獰猛に凶眼を瞬かせながらも、じっと蹲るばかりなのは何故なのか。

 

 臆したのか、怯えたのかというと無論そうではなくて……ただ、魔王は考えていたのだ。

 一体如何にして、あの結晶の怪獣を滅するべきなのかと。

 

 先の熱線攻撃で”あれ”が仕留めきれなかったことは魔王にとってそれほど驚くことではない。死ぬこと以外は擦り傷などというが、彼らほどの領域に踏み込むともう死ぬことすら些事となる。

 一度死んだと? なるほど承知した――()()()()()()という理屈である。

 意味不明な暴論だが、そもそも己の意思一つで物理を捻じ曲げるのが怪獣だ。それが一〇〇メートル級ともなると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()死ぬことなどありえない。

 

 ましてやあれは、千年に渡って星を食らい暗黒巨星に匹敵する質量を手に入れてしまった化外である。それに等しい桁の命を有することは自然であり、一度殺した程度では物の数にもならない。そして質量のみならず、戦闘経験という観点でも間違いなく魔王の遥か上を行っている。

 

 そうして客観的に計算を積み上げていくと、なるほど未だ地球という星一つすら持て余している若き怪獣王の勝算は極めて低いと言わざるを得ないだろう。

 

 しかし実のところ、魔王にとって”そこ”はまるで問題ではなかった。

 実力が己の千倍だというのなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 命を千個持つというのなら、()()()()()()()()()()()()

 

 だから実力差などというのは端から眼中にはない。……問題なのは、己の戦いを通してこの星の”小さきもの”を数多く巻き込むことが魔王にとっては本意でないということだった。

 対等の土俵で勝負するという信条と同じように、この魔王も己の振る舞いに一つの縛りを設けている。地上の命を全て燃やし尽くすほど熾烈な長期戦にもつれ込むことは、決して望ましい選択肢ではない。

 

 ならば、どうするのか。

 

 突如として、魔王の赤熱していた肉体が漆黒の色に戻っていく。熱量を下げたのかというと、真実はまるで真逆だった。

 

 魔王の体内で壊滅的な勢いで連鎖する核融合反応。生成される総エネルギー量は既に超新星爆発の域にすら達していたが、奇妙なことにそれは周囲環境に一切影響を及ぼしていない。陽炎のように噴出する熱炎がまるで針を巻き戻すかの如く、生成されていく度に魔王の身体に集まっていくのだ。

 

 光の一切すら漏れ出ることがないからこその漆黒の肉体。

 これは”先代”のゴジラが作り出した赤熱化(バーニング)形態の、更に一歩先を行くもの――

 

 それは地球表面を何百回と燃やし尽くすに足る光熱が、完全な形で凝縮されていることを意味していた。

 事実上の体内温度は億度にすら達している。桁外れという言葉も生温い――いやそもそも、このゴジラという存在を”桁”という概念で量ろうとすること自体が既に不遜だろう。

 

 この日この瞬間、太陽系に新たな恒星が出現した。竜の形をした星は、高らかに吠え上げる。

 

 

 

 一撃で万回殺す。

 

 

 

 明晰に回転する魔王の頭脳は、遂に結晶の化外を滅ぼすための完璧な回答を導き出した。

 

 

 




いや、その理屈はおかしい


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