殺滅のソテイラ   作:すかろく

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第2話 禍乱の予兆

 ――稚内、という町がある。

 

 

 北海道の、オホーツク海に突き出た先端に位置する港町。

 厳密に表現するのであればノシャップ岬沿岸から稚内港まで、そして更に南東に広がる街並みのこと。

 日本最北端という地理的特徴で知られるこの地は、海流のもたらす海の幸とともに発展した静かな港町だ。必ずしも大都会と言えないだろうこの町だが、しかしある一点において異彩を放っていた。

 

 それが稚内分屯地。宗谷海峡の海に面した岬の突き出た先端に位置する自衛隊施設だ。

 

 元より稚内という町が北方監視の要所として興った背景を持つ以上、そこに軍事基地が築かれることは必然だろう。まるで冷たい海から稚内の町を護るかの如く位置するその分屯地は、れっきとした日本最北端の軍事拠点である。

 

 とはいえ基本的には北方監視任務を主とする非戦闘施設であり、荒事とは縁遠い非戦闘施設と言い切っていい。発足から七〇年。怪獣と呼ばれる魑魅魍魎の類が跋扈する末法の世になっても流血とは無縁、と言えばのどかさの程度は察せられる。

 

 

 

 そして、それはつい先日――宗谷海峡での船舶監視をしていた稚内基地分遣隊が、ノシャップ岬近くの海にて怪獣の死骸(バトラ)が打ち上げられているのを発見したという報告があっても変わらない。

 

 怪獣と言ってもあくまで動かぬ亡骸であり――そもそもその回収作業を行うのも彼らではなく、先に現場に到着して勝手に作業を進めた()()()()()()()()民間の怪獣案件処理専門会社の部隊だからだ。

 全ては待つだけの簡単な任務であり、そつなく遂行されるはずだった。

 

 だからこそ稚内の人々も、いつもに比べて自衛隊基地が騒がしいことに多少の違和感を覚えながらも、いつもと変わらない日常を過ごしていたのだった。

 

 

 過ごしていた。

 

 

 はずだった。

 

 

 ◆◆◆◆

 

 そうだ。

 いつも通りの毎日のはずだったんだ。

 今日の宿題をちゃちゃっと終わらせて、港で皆と遊ぶ約束をしていたのに。来月発売のゲームの話をしたり、ちょっと気になるあの子とお話ししたり。

 当たり前に毎日続くと思ってたのに、どうして今日は違うんだろう。

 

 どうして。

 どうしてこんなに、痛くて狭くて寒くて、苦しいんだろうか。

 

『伍長――小っこいガバラが、そっちに回り込んで――ぉぼぁっ!』

『待てアホ、そっちにもガバラが――ぐぅぇ、ぁ』

 

 聞きたくない知りたくない。

 なのにどうして。

 両耳を塞いでも聞こえてしまうのは、自衛隊さんの悲痛の叫び。それが誰かなんて知りたくもないのに――勝手に、ああ今のは本州の基地から派遣されたっていうおじさんだとか、今のは最近自衛官になったばかりの近所のちょっと怖いお兄ちゃんじゃないのかとか理解して(気が付いて)しまうのだ。

 

 嫌だ嫌だ、嫌だ。

 どうして、どうして、どうして。

 

 血で滲み、焦りと恐怖で狭くなる視界に映るのは土埃と硝煙と、飛び交う肉塊と血飛沫。砕けるコンクリート片と、冗談のように崩れていく駐屯地の建物。倒れる電信柱と、転がっていく車――高機動車っていうだって兄ちゃんが自慢してた。

 

 そして何よりも、腐臭を放つ粘液で覆われた、視界に入れただけで全身に悪寒が走る緑色の蠢き。

 

 ズボンが下肢に冷たく張り付くのはオシッコを漏らしたから。それを不快に感じる余裕もない僕の耳に、何かが潰れたような弾けたような、とても不吉で嫌な音が届いた。

 考えるより先に視線をそちらに向けてしまって、息を呑む。

 

 何のために軍人になったのか、これじゃ張り合いがねぇな――なんて、訓練場のフェンス越しに軽口をたたいていた兄ちゃんが、振り上げられて、振り下ろされていた。何度も何度も、アスファルト舗装に叩きつけられていた。

 

 まるで重さなんて無いみたいに宙を舞っている。一八〇センチを超える上背の兄ちゃんの片足を掴んで持ち上げているのは、地面に座り込んでいるだけの“()()()”だ。

 

『――□□(ゲコ)

 

 衣服などとっくの昔に皮膚と一緒に飛ばされている。股は裂けて、身体の芯がへし折れて、肉が引き裂け、時折思い出したかのように血が吹き出している。

 

 人の形が、命が壊れていくのが面白くて仕方がない――“そいつ”はそんな様子で、その突き出した両の目玉を輝かせた。その横で別の“そいつ”が腹を抱えて笑っている。手足をばたつかせる度にアスファルト塗装に罅が入り、地表ごと抉り散らす。

 

 直立したカエルを思わせるその化け物は、しかしカエルには見慣れぬ巨大な牙と角や有していた。

 緑の表皮を覆う水張れは、その実弾丸だって通さないじゃばらの鎧。

 しかし何よりカエルと違う点は、そのサイズだろう。人を軽く丸呑みできる大口を持つ巨体を、果たしてカエル(生物)なんて例えていいのだろうか。

 ついでにぶぶぶぅ、と工事現場の騒音みたいにでかい屁をこいて、その勢いで2メートルほど宙に飛び上がる、そんな意味不明はやはり生物である筈がない。

 

「なんで……怪獣……」

 

 緑沼の食人鬼(ガバラ)――怪獣史の教科書でしか見たことの無い御伽噺が、小さいのから大きいのまで、何十匹と……数えきれないくらいに、稚内の町(僕の町)を覆っている。

 

 余りに意味不明で現実離れしすぎてる。訳が分からな過ぎて、僕もなんだかその惨澹な光景が面白くなってきて、思わず笑ってしまった。笑い声――実際には息切れみたいな音しか出なかったけど。

 こんな状況で呑気なのか不謹慎なのかわからないけど、とても素面ではないのだけは確かだった。

 

□□(ケコ)□□(ゲコ)

 

 ぷくぅ、と“そいつ”の喉に相当する部分が風船のように膨らむ。それと同時に唸りとも嗚咽もつかない、そして不自然に甲高い声が辺りに不気味に響いた。

 

 地獄だった。

 

 街中で、怪獣が暴れるなんて――そんなの三〇年前の大昔なんじゃないのか。怖い怪獣は全部、ゴジラがやっつけてくれるんだって先生だって言ってたじゃないか。

 町が壊されて、人が死んで、痛くて怖くて汚くて。

 体が震える。汗と涙で視界が滲む。体温が急激に落ちていく一方で、心臓が口から飛び出すんじゃないかってくらいに響いている。

 

 

『――□□(ケコ)□□□□(ケコココ)

 

 

 まただ。あいつは新しいオモチャを探しているんだ。辺りをキョロキョロ見回している。その突き出た眼球の油膜の如く透明に輝く光彩が、期待と愉悦に不気味に輝いていた。

 

「ひぃ――」

 

 思わず、声が出そうになった。

 恐怖だった。こんな怖いのは生まれて初めてだった。体中の骨を、直接手でこねくり回されるような感覚。

 

 思わず叫びだしそうになった口を押えて、横転した軍用トラックの陰に隠れる。身体を動かした瞬間、全身に凄い痛みが走ったけれど、見つかるよりは遥かにマシだ。

 そう、あれに見つかるのは、死だ。弄ばれて、千切られて、そして喰われるだけなら()()()()で――

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 折れた骨と裂けた肉を叱責し、四つ足になって這うようにして僕は進んでいく。とっくの昔に横転した高機動車に入り込む。音をたてないように気付かれないようにとか考えない。横倒しになった車内で悪戦苦闘しながら、運転席までたどり着いた。震えながら膝を抱えこむ。個々なら安全だと自分に言い聞かせた。

 

 焦りと疲労と恐怖で朦朧とする。視線を投げれば、人間餅つきに飽きたらしいガバラ二匹はあらぬ方向を向いている。

 今の内に何とかしないと――僕ですらそう思っていた、矢先のことだった。

 

 下方に向けていた視界の隅に、影が落ちた。

 車内が暗くなる――その不吉の意味を理解する前に、車体は再び激しくシェイクされた。後部荷台に16人も載せられるって自慢してた中型トラックが、煙を吐きながら横転する。シートベルトなんて当然していないから、車内で激しく揺さぶられて、堅い天井に頭をぶつけた。その痛みを感じる間も与えられず、事態はどんどん進行していく。

 言うまでも無く、悪い方向に。

 

 ごつんごつん、という音が響く。音はどんどん大きくなり、車体に凹みと罅が入っていく。ばりばりと天井(ルーフ)が破られ、引き剥がされていく。

 

「――あ」

 

 僕は、息を呑んだ。名前すら知らない神に祈った。多分きっと、人生で初めて。

 籠った車内に光が通る。空いた穴から、狂気と愉悦を多分に孕んだ巨眼が覗いた。黒目がギョロギョロと上下左右に動き回り、やがて僕らと目が合った。

 

□□(ゲコ)

 

「――ひぃいいい」

 

 僕は、情けない悲鳴を上げた。

 そいつは、ガバラは、顔面から丸く飛び出した両の巨眼を三日月に釣り上げる。粘液を湛えた長い指を車内に伸ばしてくる。抵抗する間もなく宙に投げ飛ばされた。

 

 

 ああ、どうして。

 なんで、助けは来ないの?

 どうして、僕は僕達は、こんな地獄の底にいるの?

 

◆◆◆

 

 まず、一つ目の質問に回答するのであれば、それはガバラという怪獣が、通信を含めた全ての電子機器を沈黙させる強烈な電磁パルスを放射する異能力を有するため、稚内の異常が外界に正しく伝わっていないからである。

 そして二つ目の質問に回答するのであれば、これは単純に、神懸かり的に運が悪いとしか説明しようがない。

 

 

 稚内――ノシャップ岬沿岸から南東の稚内港までの町。

 都会とは言い難いかもしれないが、北方警備の要所として水産業を中心に発展しながら日本最北端の静かな町である。いや、であった。

 

 今はまるで、地獄の窯をひっくり返したような惨憺たる様相である。沿岸部を中心に、まるで津波が襲った後のように、道路も建造物もそして人も、全て等しく纏めて砕かれていた。

 破壊の痕跡は、南方方面にメインストリートを通って更に伸びていた。上空から見れば、ノシャップ岬の先端――つまり稚内分屯地を起点として、まるで巨人の爪が稚内の街並みを引き裂いているように見えるだろう。

 

 その蹂躙の爪先の最先端――まるで、緑色の車輪。

 

 或いは台風と形容できるだろう。旋回するだけで一軒家を微塵にし、直進するだけでアスファルトを砕き、のたうつだけで地響きを鳴らす。

 しかし想像できるだろうか? それは蠢く(群体)であり――構成している一つ一つが、巨大なカエルだという事実を。

 

 大きさはまばらだが、一番小さい個体でも体長三メートルを超えるだろう。その数は十や二○にはとても収まらない。カエルの形をした魑魅魍魎の群れ。小型ではあるが、間違いなく怪獣。

 

 名を、ガバラ。

 

 「国際指定絶対危険巨大生物」なる物騒な分類に、現状地球上の生物で“()()”指定されている怪獣である。

 

 そう、唯一。

 それは、あのゴジラを差し置いて――少なくともこの()()()()()()()()()、人間にとって最も危険な存在であることを示していた。

 

 ゴジラの恐怖支配の監視網を潜り抜け、怪獣としての生を謳歌する生存戦略を樹立した幾らかの特殊例。特級の希少種。その代表例が、稚内の街を蹂躙しているガバラだ。

 

 大きくなっても精々二〇メートル前後にしかならないこの小型怪獣は、三〇年前までは他怪獣の格好の餌でしかなかった。毒液や電磁波を発する以外に大した異能力も有さない、怪獣の食物連鎖(ヒエラルキー)における最底辺。

 下等生物の例に漏れず怪獣としては繁殖力が強い程度しか見るところのない脆弱種だったからこそ、人類からもさほど重要視されていなかったのだ。

 

 それが今、脅威となっている。

 

 ゴジラの手により、長らくガバラを脅かしていた巨大な――つまり()()()怪獣は殲滅され、怪獣を取り巻く環境(ヒエラルキー)はひっくり返った。そして、いつだって著しい環境変化に素早く適応し、進化を遂げるのは小動物からだ。当然、そのセオリーは怪獣にも当てはまった。

 

 天敵がいないが故に余裕が生まれ、過剰な繁殖力は群れを作りだす。電磁波操作能力はスキャニングソナーや電磁パルス、サイレンサーにステルス機能、通信傍受に、果てには群れを統率する脳波ネットワークにまで進化した。

 

 そして確立したのは、個体としての己を磨き力をひけらかすのとは、真逆の在り方。群体として種族として、只管までにゴジラから隠れ潜み逃げ回り――そして、人を喰らう。力を蓄える。怪獣としては異端も甚だしい在り方こそが、ガバラを繁栄へと導いていた。

 

 それが姑息で狡猾な在り方なのは間違いないが、だからと言ってガバラは逃げて隠れるだけの脆弱種ではない。

 その最も恐るべきは数でも隠形でもなく、その周到さと残忍さにあるからだ。

 

 ガバラが群れを成して襲うのは南半球の発展途上国を中心とした、主に人口過疎地だ。それはガバラが寒さを苦手とするという理由もあったが、何より対怪獣関連軍事技術を発展させているのは北半球の先進国だから。

 強力な軍事力を有する先進国を筆頭に、“目立つ処”には決して近づかない。海の底から人間を観察し、国際社会における立場の弱い国や地域を見繕い――勝てると確信してから、襲い掛かる。

 逆に言えば、それ以外に彼らの行動に法則性など皆無だ。

 滅ぼし喰らうモノには、国も地域も人種も思想も貴賤も一切関係ない。何の兆候も無く病のように現れ、嵐のように徹底的に破壊し、泡のように消えていく。

 

 冷戦状況にある国際情勢故に、怪獣の襲撃を受ける他国を助けようという機運は当然皆無だ。寧ろ援助しようとすれば武力介入と解釈されかねない。

 それはつまり、ガバラの襲撃に対する適切な対処法とは何か――世界で統一した経験則(マニュアル)が蓄積されないことを意味していた。

 

 はっきり言うなら、巨大化を追求し暴れるだけしか能のない怪獣などより、遥かに手の付けられない存在だと言える。

 ガバラによる直接的・間接的被害による年間死傷者数は全世界で約五千人。しかし政府が把握できていない事例を含めれば、更に一千人は増えるだろうというのがアナリストの推測だ。

 

 しかし先進国――特に日本の、それも高緯度地域に分類される稚内などには関係のない脅威の、筈だった。

 

 

 にもかかわらず、稚内の町は今まさにガバラによって襲撃を受けている。

 

 

 高緯度地域にあるというだけでなく、ここは北方監視の要所たる稚内分屯地が存在する町だ。確かに実力部隊の所属よりも情報部隊の方が遥かに多く、どちらかといえば監視任務を主たる非戦闘施設ではあるが、れっきとした先進諸国の軍事拠点には間違いない。

 

 どう解釈しても、これは従来のガバラの生態(セオリー)に反する異常事態でしかなかった。

 

 最早何もかもが間が悪いとしか、表現できない。

 半日ほど前に――宗谷海峡での船舶監視をしていた稚内基地分遣隊が、ノシャップ岬近くの海にて怪獣の死体(バトラ)が打ち上げられているのを発見した。

 

 政治的判断が絡んだ一悶着。その末に、先走った民間の組織が自衛隊に先んじて怪獣を回収してしまった――という、やや無理のある筋書きが仕上がった。ともかくその令に従い、稚内分屯地にて部隊は武装することも無く待機していた。

 

 時刻としては、平和な夕暮れ時といったところだった。

 誰と戦う訳でもない、退屈極まりない任務だったはずであり――そこを、ガバラの群れが何の前触れも前兆もなく強襲した。

 

 予測も回避もしようがない、意味不明の襲撃。総勢三〇体を超えるガバラの群れが、ノシャップ岬の西海岸から上陸した。

 

 稚内分屯地は宗谷海峡の海に面した自衛隊施設だ。地理的関係で言えば、海からやってきたガバラの群れが真っ先にかち合う場所となる。そうである以上、彼らがガバラを民間地に近づけることなく初動対応で対処することは決して不可能ではなく、同時に必須でもあった。

 

 だが、無理だった。暗く冷たい海の底から現れた魔手は、数秒もかからず自衛隊を瞬殺した。

 戦う準備をしていない部隊への奇襲だったから――という以前の問題だろう。

 あくまで彼らは監視任務に重きを置く部隊であり、怪獣関連の荒事とは縁遠い。数、練度、性能、経験――ガバラに対処するには何もかもが決定的に足りていない。

 

 そもそもこの稚内の地にガバラの足を踏ませてしまった時点で致命的なのだ。明らかな異常事態であるにもかかわらず住民避難が完全に出遅れていること。そしていつになっても外部からの緊急出動(スクランブル)がないことがその証左である。

 ガバラの有する規格外の電磁波操作能力。あらゆる物理的波動に干渉するそれを複合的に組み合わせたジャミングフィールドはガバラを守る結界となり、外界への稚内の異常の伝達が遅延される。

 

 だが、そんなことは、もう、笑えるほどにどうでもいい問題だ。

 防人の敗北は――その後ろで震える無辜の民の虐殺に繋がるという、当たり前な事実に比べれば。

 

 事前にポリスラインや標識を置いて人払いしてあったとはいえ、二○○メートル以内に住宅地が広がる港町だ。ガバラ達は止まることなくフェンスも塀も千切って分離帯も一飛びし、稚内の町にその身を躍らせた。

 

 後はもう……言わずもがなというところであり。

 どれだけ破壊と殺戮を繰り返し、血肉の山を築き上げたところでまだ足りぬ。稚内の町を呑み込む魔蛙の群れ。

 これより更に血が流れることとなる。命が潰えることとなる。

 

 

 

 正確には、それはガバラの群れが成すのではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()が為すのだが。

 

◆◆◆

 

 掻き毟る音に、溢れる涙。

 

 独特の鼻につく臭いが稚内に満ちていた。それは血の臭いであり、煤の臭いであり、瓦斯厘(ガソリン)の臭いであり、何より粘液の臭いである。

 分屯地の分離帯の向こう。切り開かれた稚内の町。遮蔽となる建物がなぎ倒されているため、幸か不幸かその光景がよく見えた。

 

 怪獣が、民間人を襲っている。

 先ほどと比べて、更に広い範囲である。被害範囲は稚内分屯地から南に向かって一キロメートル圏内にまで広がっていた。路線バスは横転し、家屋は崩れる。逃げ遅れた高齢者が踏みつぶされる。アスファルト舗装を踏み砕き、障害物を微塵にしながら稚内の町を南下していく。

 

 範囲こそ広がってはいるが、行われていることには何の違いもありはしない。

 

 ガバラ達が、逃げ惑う市民を動くオモチャと言わんばかりに追い回し虐殺行為に勤しんでいる。お互いにどれだけの人間を食い殺せるかという冒涜的な競争に熱をあげる。稚内という広い遊び場をどこから壊し尽くせば(しゃぶり尽くせば)いいのか、その選択肢のあまりの広さに頭を抱え、寧ろそんな己こそが世界一不幸だと涎を垂らしながら煩悶する。

 

 途中で民間人を喰らって腹ごしらえしたり()()()()するので、実際にはその進軍速度は遅々としたものだ。よって、未だ稚内港から南方面の人口密集地にまでは被害が及んでいないのが幸いだったが、しかしこれも時間の問題だろう。

 ジャミングフィールドの影響により、その混乱が先方に正しく伝わっていないのだ。結果として人々の避難は遅れ、被害と混乱が加速度的に広がっていた。

 “何かが起こっているらしい”――とまでは認識するが“その次”の行動がない。人々はガバラの姿を遠くに見据えて初めてこの異常事態を認識し、そしてその時点でもう遅い。

 

 いずれにせよ逃げ惑う人々も含めて、その大半が現状を正しく理解できていないことだけは間違いなかった。しかし、一体誰がそれを責められる? この緊急事態に対処するべき稚内分屯地所属部隊(プロフェッショナル)ですら壊滅している。

 事態を正しく認識し、冷静にこの危機に対処しよう――などと一般市民に要求するのは、あまりにも酷であろう。

 

 数分前まで当たり前だった平和が地獄の色に塗りつぶされている。その、あまりに激しすぎる落差。

 この町はあまりに深い混乱と混沌に堕ちていて、もはや収集をつけることは不可能となっている。強い負の感情に支配されて、ある人は呻き、ある人は乞い、ある人は縋っている。

 行動も感情もてんでばらばらであり――しかし求めているものは、皆が全く同じものだった。

 

 助けを。

 

 自分達をこの窮地から救い出してくれる助けを、人々は只管(ひたすら)なまでに希求していた。

 逃れようのない死と恐怖から救い出してくれる助け。余りに悲惨で絶望的過ぎる状況を解決してくれる存在。

 

 街の何処か、片隅で、少年が泣き叫びながら懇願する。四方をガバラに囲まれ全身を弄られながら、四肢がちぎれ飛んだ自衛官の亡骸に縋りつきながら。

 稚内という町に渦巻いていた無力への嘆きと強者への恐怖と理不尽への怒りが、何の打算もない真摯な祈りの言葉に繋がっていく。仮面のバッタヒーローでも、銀色の巨人でもいい。奉げられるものは何だって捧げるから――と。

 

「――助けて」

 

 強く瞑目して、天を仰ぐ。

 

 それは間違いなく魂から発せられた偽りなき真摯な祈りであり、

 だからこそ、当然のように神は応えたのだった。

 

 都合のいい奇跡という超常現象が起きるには十分すぎるほどに、稚内という器に破壊と死と苦痛と恐怖が満ち過ぎていたから。

 

 ああ何たる奇跡。何たるご都合主義であろうか。

 

 

 

 ――呼び出されたものがガバラなど比較にならぬ悪鬼羅刹、死神、狂人の類でなかったならばの話だが。

 

 

 

『死ね――――――――――見敵殺滅。皆殺しだ化外ども』

 

 

 

 ――そして、稚内の町が沸騰するような、物理的衝撃が襲った。

 

 とても重く、そして硬く重いものが、ものすごい勢いでぶつかってきたような。アスファルト片を巻き上げ、家屋を基礎ごと吹き飛ばす。

 ガバラじゃない。まるで、隕石のように、天から何かが落ちてきたようであった。激しい雷鳴のようなそれが、注ぎ込んで植え付けてただひたすらに気持ちいいと笑っていたガバラ凡そ一〇匹の肉体を、まとめて吹き飛ばした。

 

 ――少年は地響きのようなそれを、最初は地震かと思った。次に耳殻を揺らす轟音で、隕石が落ちてきたのかと思った。次に閃光と共に少年の体は捩れて真っ暗になった。その向こうで、彼は、確かに声を聴いた。

 

 

『死ね死ね死ね、死ね。肉片も残さない必ず滅ぼす、オレの姿を目に焼き付けながら死んでいけ怪獣――』

 

 

 声。

 肉声ではなく何か機械を通した様なくぐもった声だったが、込められたその感情を見誤るなどありえない。あまりにも重くどす黒いそれは、凄まじい怨念と殺意に満ち満ちていた。ただ相手を否定するしかない言葉の羅列はまるで呪詛のようで、物理的な波動すら伴っているように感じられる。巻き上がる風が、街そのものの震えと錯覚するほどに。

 

 群れを統率する脳波ネットワークの作用で数百メートル先の仲間に異常事態が瞬時に伝わる。ガバラ達は手慰みにしていた犠牲者たちを放り投げ、一気に臨戦態勢に入った。異常の震源地に突き出た両目をぎょろりと向ける。

 

 噴煙の向こう――稚内分屯地があった場所。白いアスファルト舗装を割り砕きながら軍用ヘリポートに“それ”はぬらりと直立していた。

 

 輪郭も定かではないが、まず目を引くのはその異形のシルエット。黒く鋭角的な外観は、怪獣(ガバラ)の有機的な曲線とは明らかな対照を為していた。

 刃のように鋭いプレートが集合してできたような剣呑な姿。ガバラより少し大きい程度の人型であるが、放つ異形異質の重圧(プレッシャー)は、ガバラにとって玩具でしかない人間と同じ存在である筈がなかった。

 

 

 例えるのであれば――甲冑か。

 

 

 より多くの敵を殺滅することを最優先に設計されたそれは、しかし兵器特有の合理的機能美一切をかなぐり捨てている。

 異様に細く伸びた四肢に、身じろぐ度に互いに干渉して音を鳴らす程全身に敷き詰められた刃。煙の向こうで危険信号(ハザードランプ)の様に赤く輝くのはバイザー状の視覚センサーで、歯をむき出しに食いしばっているように見るのは顔下半分の排気口だ。

 

 ぎしり、という音と共に甲冑が動き、煙の向こうからゆらりとその姿を晒す。身の(プレート)が軋れ合い、獣が唸るような音を立てる。それは決して大きい音でもはっきりした音でもないのに、その不快で不気味な音は稚内の町に不思議と響き渡った。

 稚内の町に転々とするガバラ達。謎の甲冑とは一番近い集団であっても、一○○メートル程度は離れている。お互いが点に見える十分な距離を保っているのに、街を支配していくのは異形異質の緊張感。

 

 ガバラ達は四肢を大地につけた臨戦態勢のまま、突如現れた侵入者に(おもて)を向けた。

 

 実を言えば、この時ガバラはその生態(セオリー)に反する――つまりはらしからぬ振舞いに手を染めていた。

 

 大胆な電撃戦こそがガバラの本質であり、このような予想外の事態に対しては即時撤退するのが生態(セオリー)だ。彼らは欲深く下劣な生命であるが、同時に恥知らずが故の潔さを生来的に会得している。

 

 だからこそ、ガバラという怪獣に過ちがあったとすれば、この瞬間に他ならないだろう。

 

 海沿いの町である以上いつでも撤退は可能であり、何より相手は一人だ。数的戦力差は圧倒的であり――それ以前に気配で分かる。

 相手は見てくれこそ奇妙だが、人間であると。

 少々の驚きはあったが。それでも人間とは彼らにとっては玩具なのだ。ガバラは怪獣としては下等種に分類されるが、決して脆弱種ではない。人間程度に過剰に警戒する臆病者が、怪獣として覇を唱えるなどありえない。

 

 つまりは相手を一人の”人間”と見たが故の不覚である。

 だからこそ次に起こった事態は、必然となるだろう。

 

 

 距離を保ったまま対象を囲うように配する。そしてまだ生きている人間を持ち上げ肉の盾にする。これは彼らがよくとる戦術であった。泣き叫ぶ人間を前にすると大抵の人間は硬直してしまうのだ。子供であると尚のことよろしい。“これ”でどれだけの軍隊が葬られてきたことか。

 

 これぞ、一部の隙も無い完璧な陣形である。 

 

 

『死ね』

 

 

 甲冑が百メートルの距離を躊躇いなく詰め、一切の逡巡なくガバラを抱える子供ごと切り刻んで殺さなければ、の話だが。

 

 

 

 




 ゴジラというコンテンツはその人気に反して、二次創作がとても少ないと思います。
 それは何故かと言えば、偏に難しいからでしょうね(´・ω・`)

 いや、本当にゴジラは難しいんです。
 ゴジラの二次創作書いてる人ならウンウンとうなずいていただけると思うのですが、ゴジラって……基本的に人の言葉は喋らない主観の表現は難しいので、行動の説明はすべて三人称で済ませる必要があります。だから怪獣を中心にしたドラマは作りにくい。
 おまけに人倫に則った道徳的・常識的な行動はしない存在なので、一般的な起承転結におさめるのも難しい訳ですよ。よく槍玉に上げられる「人間ドラマ」がないと、そもそも話を成り立たせるのがキツいんです。

 他にもゴジラ二次創作を執筆するにあたって難しいポイントは幾つもありますが……特に重要なポイントは「リアリティラインをどこに置くか」だと思います。

 設定の一貫性やリアリティは追求すれば限りがありません。しかし専門家でない以上必ず知識に穴はありますし、そもそもゴジラという存在が虚構な以上どこかで必ず破綻します。
 リアリティに拘り過ぎれば唯の設定集になり、面白さがなくなってしまいます(僕の作品が面白いとは言っていない)。




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