殺滅のソテイラ   作:すかろく

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どんなことでも、感想お待ちしてます。
ゴジラについてどこまでも語りましょう。




第4話 怨敵の不在◆

 もうじき、夜の帳が下りるだろう。

 

 惨劇も騒乱も無かったかの如く、稚内の町は静まり返っていた。残されたのは瓦礫と死体と――後は耐え難い臭気。濃密な血と死の香り、粉塵と硝煙が混じったものだ。

 

 この稚内の町から、ガバラは残らず掃討された。

 逃げ果せた(にげおおせた)個体は、皆無だ。それは間違いない事実として確認されている。それは即ち、世界に点在するガバラの群れの、その内一つを地上から絶滅させることに成功したことを示している。

 

 ……だが、果たしてこの戦果は誇ってよいものか? 偉大な勝利と呼んで差し支えないものか?

 

 稚内市南東の人口密集地にまでガバラの群れが到達することだけは避けられたが、逆に言えばそれだけだ。それより北部の、海沿いの街並みは残らず等しく蹂躙されている。死傷者の数など考える事すら恐ろしい。

 

 敵は殺せた。殺し尽くした。

 しかし守るべきものは一つも守れなかった。いや――()()()()()()というべきか。

 当然と言えば、当然だ。”赤イ竹(レッド・バンブー)”の戦略と大義は、怪獣を滅することのみに集約されている。民間人など、その視界に入っているかすら疑わしい。

 

 つまり、いつもの如く。

 例によって”赤イ竹(レッド・バンブー)”は、誰一人として喜ばない最悪の戦果を挙げたのだった。

 

 そんな”赤イ竹(レッド・バンブー)”の依頼遂行を監視・監督をするのが、今回ランドウに与えられた任務だった。……もっとも、何の雇用関係にもないランドウの言葉に耳を傾けるような素直な連中ではない。首輪の外れた猛犬の方がまだ理性的というものだろう。

 明らかに一国家公務員に放り投げていい任務ではなく、“上”のランドウへの扱いがどういうものかが嫌でも分かる。裁量の大きい責任ある仕事と評せないことも無かったが――物は言いようというのか。

 

 

「……吐き気がするな」

 

 

 ――物憂げな呟きと共に、ランドウは空を仰いだ。

 乱暴に止めたボートから、稚内港の地に飛び降りる。薄っぺらな革靴は高質な衝撃を爪先にダイレクトに伝えてきたが、今はその痛みすら心地よい。

 

 稚内の、光景。

 無表情に努めても、その内心に澱む苦々しい情動は隠せるものではない。

 崩れた家屋の隙間から伸びているのは子供の腕か。それが視界に入った瞬間、祈る神など持ち合わせないのに自然とランドウは手を合わせる。

 

「浮かない顔だな」

「……ハルオか」

 

 横に立っていたのはハルオ。一八◯を軽く超える長身に、短く切り揃えられた髪。軍服の上からでもわかる、一分の隙なく引き締められた肉体。

 汗を一拭きしながら、その猛禽のような鋭い双眸がランドウの顔を覗きこんでいた。

 

「覚悟はしていたが正直気が狂いそうだ」

「気持ちは察する」

 

 小さく首肯する、ハルオ。

 いつだってそうだ。ハルオはランドウの悩みや怒りを、笑いも否定もせずに淡々と受け止める。

 

「何故ガバラが稚内に現れたのか――疑問は尽きないが、答えの出ない議論は一先ず置いておこう。

 問題はこれほどの怪獣被害が日本国内で発生したことだ。ざっと見て死者は百人前後といったところか。俺も世界中の修羅場を廻ってきたが、この規模の被害となると記憶に久しい」

 

 そこでハルオは言葉を区切り、一息の後に言葉を続けた。

 

「――つまり、稀に見る最悪の怪獣被害という表現で、概ね間違いないだろうな」

「勘弁してくれ……」

 

 三〇年前の日本なら、これほどの死傷者数と経済被害額ですら日常的な範囲だったんだろうが……小さな声で続けながら、彼は壊滅した港町を見回していく。

 稚内の町――惨状は、ほぼそのまま放置されている。黒ずみ罅割れた瓦礫も怪獣の死骸(ガバラ)も、傍らに並ぶ人間(亡骸)も、そのままだ。これに対処するべき日本政府上層部は未だ混乱の最中にあり、正規の警察及び自衛隊の到着は更に遅れるという始末。

 

 眉間の皴を深くするランドウ――怒りのままに、足元の瓦礫を蹴りつけた。

 未曾有の事態を前に日本政府の対処が遅れているというのなら、納得は出来なくても理解はできた。人命救助に記者会見に現場視察に今後の政策決定に、対処できない事項が山ほどで、だから身動きできないのなら、まだ……。

 

 しかし実際の事情は、その悪辣さは()()()()()に留まらず―― 

 眉間の皴を深くするランドウに、瞬きもない無表情のままハルオは言葉を投げた。

 

「繰り返すが、気持ちは察する。しかし落ち着け。世の危機や理不尽に義憤を抱く……理解できる衝動ではあるが、良いことなんか一つもないぞ」

「……俺の目の前で起こったのは民間人虐殺(ジェノサイド)だ。動揺するなという方が難しい」

 

 そうだ。問題なのは、その百人前後の犠牲者――その何割かが怪獣(ガバラ)ではなく、()()()()()()()()為されたということだ。それも、この先進法治国家(日本)で。

 

「どうして、こんな……」

 

 絞り出すような小さな声。この状況を前にして、空虚な哀悼を示すしかない自分への猛烈な嫌悪と恥辱。

 苦い情動と共に、ランドウは視線を脇に逸らしていく。破壊された街並みを視界に収めて、表情を歪めていく。

 

 ――その瞬間だった。

 

 

 

「文句があるなら、結果で語れ」

 

 

 

 さほど大きな声ではなかった。けれでも、不思議と通るその声は、とても低く、思わずびくりと身を震わせてしまう圧があった。

 

 

「オレより早く稚内の異常(ガバラの存在)に気が付き、オレより早く稚内に辿り着き、オレより早くガバラ共を皆殺しにできたというのなら、お前の文句を聞いてやらねぇこともない」

 

 

 割れ砕けたアスファルトに座す漆黒の巨躯――ジェットジャガーの、開口された背部操縦席(コックピット)から身を下ろしている()()。焼き焦げた地表がむき出しになった大地に立ち、瓦礫を踏み越え死者を踏み付けながらゆらりと歩いてくる。

 

 意図して、会話から外していた存在だった。

 

「……パネト」

 

 不思議な響きの名前。空を舞う翼を思わせる軽やかな響きに反して、その少女から受ける印象は真逆だった。

 一言で、粗暴。

 

 欠けた前歯をむき出しにした口元。

 油と硝煙に汚れた癖っ気の強い黒髪が、燃え猛る炎のように潮風に揺れる。

 身長はランドウの胸元にぎりぎりで届くくらい。手足も長いとは言えず、性別以前にその体格自体が決して荒事に恵まれたものではないのがわかる。

 

 動きやすさを優先したその薄い衣服に浮かび上がる肢体のライン。しかしこの女を()()()()眼で見る奴など存在するはずがない。そんな奴がいるとしたら、そいつはきっと、木の幹にだって欲情する変態だ。

 

 それは禍々しい気配もそうだが、何より彼女の痛ましさに起因する。

 

 先ほどの戦いであまりに無理な起動をパワードスーツ(ジェットジャガー)に要求した――いや、()()()()()()代償なのか。その四肢は歪に捩れた方向のまま硬直している。まっすぐ歩くことすらままならないようで、よろめく千鳥足でこちらに歩いてくるその有様。

 そして不自然に収縮を繰り返す瞳孔――歪に太い四肢に残る多量の注射痕、そして鼻腔を刺激するケミカルな臭いから察するに……これは致死量手前の筋肉増強剤(ドーピング)向精神薬(ブーストドラッグ)によるものか。

 

 ――総じて少女という属性から想起される柔らかさや瑞々しさ、曲線といった一切合切を削ぎ落とした装いは、哀れみを遥かに通り越して生理的嫌悪すら感じられた。

 

 それとも、人の身でありながら怪獣(神の化身)を下すのには、この程度の代償は当然とでも言いたいのか。隣に立つハルオを一瞥すれば、瞬き一つしない凪いだ表情のまま少女をじっと見つめている。

 

 

 パネト――パネト・ヘイトスピーチ。

 

 

 ”赤イ竹(レッド・バンブー)“とは如何なるものかと問われたならば、彼女を提示すれば事足りるだろう。

 ジェットジャガーを駆り、ガバラの群れを相手に単騎での討滅に挑んだ特級戦闘員。この先進法治国家(日本)で怪獣駆逐に巻き込み民間人虐殺(ジェノサイド)をやらかしたテロリストだ。千の報いも万の罵倒も、彼女のおぞましさを祓うにはあまりに軽い。

 

 ……そして、どうやら彼女はランドウに殺意に近い怒りを抱いているらしいということに理解が及び、彼はいつの間にかカラカラに乾いていた喉をごくりと鳴らした。ハルオから視線を戻し、ランドウはゆっくりと口を開く。

 

「……確かに、この稚内の惨禍を、効率よく収集つけることができたのは、お前たち“赤イ竹(レッド・バンブー)”しか存在しなかったことは認める」

 

 Gフォースは論外で、特生自衛隊は即応性にかける。

 そして現にガバラの群れが街中で暴れている以上――そして1匹でも残せば次の被害が確定的に明らかである以上、本来守るべき無辜の一般人を磨り潰してでも殲滅に徹するべき。そのロジックは理解できる。

 

「わかっているなら、何に悩みやがる? 気色悪い視界に入るな」

「何か、こう……お前は、人を死なせたんだ。つまり、悼む心を示すべきなんじゃないのか? 二度とこんな地獄は作らないという、被害者への誓いというのか」

「知らんなぁ。そもそもオレがやらなきゃガバラに()()()()()()()末路だろう」

「……手段を選ばない清濁併せ呑むやり方というのは、あくまで理想の実現や、可能な限りの穏当な手段を前提に置いて初めて肯定される」

 

 刺し貫くような剣呑な瞳を前に、ゆっくりと前置きして。

 

「つまり具体的に言うなら、お前に反省してほしいんだ。もっと違うスマートな方法がなかったかを吟味して、より犠牲者が少ない戦術を検討してくれ。そうでなければお前は、次の戦場でまた同じことをやらかすだろう?」

「そもそもオレは怪獣を滅ぼしたいのであって誰かを守りたい訳じゃない。見当外れにも程がある、雑魚が知ったような事を抜かすんじゃねえ」

「……ッ」

「こんなことで嘆くことなんざ何もねぇだろう? いいじゃねぇか。これで稚内は、数十年ぶりに日本本土で怪獣に襲われた街だ。日本最北端と合わせて記念が二つもありやがる。慰霊碑と記念碑セットで立てれば、観光庁が放っておかねーよ。ついでに、気色悪い萌えアニメとかアイドルとタイアップしようぜ。そうすりゃ脳髄の代わりに精液が詰まったキモオタやロリコンが股座おっ立てながら飛んでくる。復興費用なんてすぐ貯まるさ。収支的には十分プラスに傾くだろ」

「お前は――どうしてッ!」

 

 清々しいほど恥知らずな、人殺しの返答。冷静さの皮を剥ぎ棄てて思わずランドウは掴みかかったが――あっさりと躱され、逆に足払いで転ばされた。受け身もできずに正面から倒れこんだランドウを見下す少女は、そのつり上げた瞳を今度はハルオに向けた。

 

「お前もお前だ、ハルオ。こんな間抜けのカウンセラー役をする暇があるのか、つるむ相手は考えろ」

 

 水を向けられたハルオは肩をすくめ、何とも言えない味のある苦笑を返すのみ。舌打ち一つと共にパネトはランドウに視線を戻した。

 

「……それと一つ訂正だ」

 

 ぐい、と血走った両の瞳を近づけてくる。

 

「――『“赤イ竹(レッド・バンブー)”しか存在しえない』だったか? 違うな、()()()()()()()。オレの“この眼”以上に素早く怪獣の鼓動を見極める奴なんて、この地上にはそれこそゴジラしかいねぇ」

 

 “この眼”。

 それは何かの比喩表現を意味するものではなく、具体的な単語に繋がるものだ。脳裏の記憶と一致すると共に、ランドウは思わず口を開いていた。

 

「“()()()”……」

「あの三枝未希によって理論化されたシステムだな。補足するならば、確かにパネトの超能力適正は随一であり、対怪獣の感知能力の精度において及ぶ存在は皆無だろう」

 

 それこそ最新鋭の軍事用レーダーだろうが――どこか懐かしむような声音で、ハルオが情報を付け加えた。

 第六感、エスパー、魔術、呪い、ESP――呼び方や定義など何でもよい。要するに普通ではない力、目に見えない不思議な力の総称だ。本来それらは想像上の代物であり、科学文明の発達とともに忘却の彼方に駆逐されていった産物の筈だった。

 

 ……その存在が実証され、れっきとした兵器としての研究と運用が始まったのは何年前の事だろうか。

 

 「超能力」と呼ばれる存在がいつからこの地上に存在したのか――有史以前から人類にひっそりと備わっていた力なのか、それとも怪獣出現に伴うものなのかは極めて興味深い命題だ。しかし、最早誰もそんなことに頓着しない。

 

 人類初の超能力者とされる三枝未希。彼女をメインユニットに据えたTプロジェクトが一定の成果を挙げて以来、諸国は対怪獣兵器と並行して自前の超能力者の「開発」に勤しんだ。

 それは()()()()()()()でだ。怪獣という国を砕き星を制する怪物が跋扈する狂気の中で、世界は火力兵器に変わる新たな力に飢えていた。

 

 パワードスーツ(ジェットジャガー)などという狂気の兵器も、本質的には超能力者のポテンシャルをフルスペックで発揮する選択肢の一つでしかない。

 

 だがそれでも――

 

「倫理を根こそぎ無視してヒトを唯の兵器として扱うこと。そんな姿は、果たして三枝未希が望んでいた在り方なのだろうか」

「くだらねえ」

 

 ハルオのどこか憐れむような視線。それに対しての返答は、唾を吐き捨てるが如き悪態だった。

 

「三枝未希だと? ()()()()()()()()()()のことなんざ知るかよ。

 そもそもとっくの昔にくたばった人間だろうが。死人に汲んでやるべき思いなんざこの世のどこにもありやしない」

「……」

 

 言い方はともかくとして、パネトの言う通り三枝未希は故人の身だ。

 超能力開発の機運における最重要人物であり、同時に武力に依らぬ怪獣対策を提唱した平和の伝導者は既にこの世を去っている。

 

 今から十五年も前の話になるのだろうか。

 聖女とも謳われたその末路――ランドウはあくまで話として聞くばかりなのだが……

 

「誰にも文句は言わせないし邪魔させない。いたとしてもねじ伏せる。ガバラ(いじめっ子怪獣)? そんな肩書ぶら下げた雑魚に拘う暇はない――そう、オレは、必ずゴジラをぶち殺す人間なんだから」

 

 拒絶と否定。ランドウの思考を中断させたのは、怒りの念のこもった言葉だった。

 

 話はこれで終わりだといわんばかりに、そっけなくパネトは踵を返して死屍累々の瓦礫道をふらつきながら進んでいく。ランドウは、その背中を苦し気に見つめることしかできなかった。

 

「……間違っているのは、俺なのか?」

「そんなことはない、怒りを覚えるお前の方が妥当だ。あんな極論に惑わされる必要はない」

 

 本当に、そうなのか?

 

 論破されたとは、全く思わない。

 

 “己の所業に物申すなら同じだけの能力と戦果で応えろ”――パネトの主張は、雑にまとめるならそういうことだ。十分以上に筋の通った意見ではある。

 しかし、その憎しみや敵意が先行し過ぎた、結論ありきの言葉。相手の共感を限界まで排した押しつけがましい罵倒は、ランドウの心に納得よりやるせなさしかもたらさなかった。

 

 そうだ、例えどれだけの戦果を挙げたところで、人命を巻き込みながらさも当然と笑う姿が正しい訳がない。だからランドウは、言い負かされたとも論破されたとも思ってはいない。

 

 しかし、ならば少女の気勢に気圧されてしまったのは何故だ? 己の無力を突き付けられたからか?

 

(違うな)

 

 ランドウは頭を振った。

 

 認めてしまったからだろう。今の世界は、命や正義を至上に置けるほどに易しい代物ではないのだと。()()()()が、目前にある。

 

「あの馬鹿女だけでも頭が痛いってのに……」

 

 ――水底から伝わるような重く、低く響く音。

 

 稚内港の船着き場に、見慣れぬ輸送艦。そしてそれを囲うようにして停船している掃海艇――いずれも宗谷海峡を渡って稚内にたどり着いた、“赤イ竹(レッド・バンブー)”の本隊だ。

 

 小さな漁港にはあまりにも不釣り合いな、巨大すぎる戦争兵器。()()()()()()十分以上に目を引く剣呑な代物ではあるが……しかし普段は見られないが故に目を引いているだけなのも事実だ。要するに珍しいというだけの話であり、これはあくまで常識の範疇。

 

 問題はその後ろ――輸送艦に()()()()()()()()モノこそが、あまりにも異常だった。

 

 知らず、全身に力が入った。喉をごくりと鳴らす。

 

 

「――バトラ、か」

 

 

 まるで鯨の座礁(打ち上げ)の様な間抜けな構図であったが、その実態は、そんな生易しいものでは断じてない。

 

 まず目に映るのは、蓮の葉の様に海に広がる巨大な黒翼だ。翼開長はおそらく二百メートルには達しているだろう。軽空母にすら匹敵するその巨翼は、勇壮な雷の意匠で華々しく彩られており――しかし、今は力なく水面に浮かぶのみである。

 全体的な姿形こそ蝶や蛾などの鱗翔目に似ているが、この怪獣に――バトラに、花から花へと舞う優艶なイメージを持つ者など皆無に違いない。

 

 それほどまでに毒々しく、攻撃的な属性に満ちていた。

 

 太く肥大化した腹部の先端に設えられた、禍々しい鋏刃。不自然なほどに太く長い六肢を覆うのは、鋭く尖ったカギ爪。よく見れば、その細い胴体それ自体が折り重なった刃で構成された代物であることが分かる。

 最早これを”蝶の怪獣”などと呼ぶことは不適であろう。

 攻性という概念をたまたま蝶の形に積み上げたのが、バトラという怪獣なのだ。

 

 三十三年前、()()()()との連携によりゴジラを――正確に記すなら()()()()()()を、一時的とはいえ圧倒し、北の海に封印せしめるに至った怪獣。

 当然ランドウが生まれていない時分の話だが、その逸話は長き怪獣史における屈指の伝説として連々と語り継がれていた。

 

 まさに存在の位階が数次元異なる、特級の化外。

 同じ怪獣という分類だが、有象無象(ガバラ)などとは比較すること自体がおこがましい。最早出現自体が珍しくなった、国を滅ぼし星を制するに至るとされる百メートル級の神獣だ。

 

 ……しかしながら。

 

「死んでいるな」

 

 圧倒的な存在感に気押されるのは事実だが――この怪獣は、既に死んでいる。

 確認するように念を押すように、ランドウは傍らのハルオに視線を向けた。

 

「それは間違いない事実だ、ランドウ。中々の威容ではあるが、かつて魔王を封じた神獣の、その成れの果てに過ぎない」

 

 ゴジラとの激戦の果てに相討ちとなり、共に北の海に沈んだのが三十三年前。

 そう、これは魂を失った肉塊に過ぎず、本来海の底でバクテリアに分解されるのを待つだけだった腐乱死体に過ぎない。実際、鼻につく悪臭と瘴気は百メートルほど離れたランドウの元にまで漂っていた。

 

 しかしこのおぞましい亡骸こそが、今の日本政府が何よりも求めてやまないものなのだ。

 ガバラの強襲によって破壊され尽くした稚内の実況見分でも僅かに生き残った重傷者の捜索でもなく――優先されたのは、怪獣の死骸(バトラ)の回収。

 

 

 ――その肉体を解析し、その力の真髄を探り、日本政府のものとせよ。

 

 

 人類にとって「ゴジラを封印した怪獣」とは、それだけの重みを持つのだ。

 是が非でも日本が独占しなければならない。他国の介入を許し横取りされるなど以ての外。いつかゴジラが人類に牙を剥いたその日に備えて――()()()()()()()()()()()()()()()ために。日本が他国に一歩でも先駆けるがために。そして何より、それこそが積み上げられた犠牲者への哀悼であると信じる故に。

 

 ……バトラという怪獣は「地球意志の代弁者」であると語り継がれている。もしそれが真実ならば、これは最悪の涜神行為に他なるまい。神をも恐れぬ恥知らずの所業――しかし誰もそれを躊躇わないし、咎めもしない。

 

 ――今の人類ならば、もし仮に神そのものが現れたとしても、きっと同じことをするのだろう。

 

 これは、誰が間違っているという話でもない。

 分かりやすい元凶など、どこにもない。()()()()()()()()()()――()()()()()()()というだけ。世界が歪んでいるのは確かだけれども、望ましいのは現状維持。今日も、これだけの犠牲を出して、尚。

 

「パネト……ああ成程、確かにそうだな」

 

 深みを増していく眉間の皴。遠くの港でバトラを眺める少女の姿を視界に収めながら、ハルオの反応を待つことなくランドウは言葉を紡いでいく。

 

「お前の理屈を肯定するつもりなど欠片もない。けれど――実力も実績もない俺が綺麗事を掲げられる程、この世界は易しくはないよ」

 

 その、苦し気な表情と己の無力に苦悩する姿は、あまりにも()()()()()()()と重なるものがあったから――ハルオはその危うさこそがよろしくないと、眉をひそめる。

 

「ランドウ、これは俺の経験則なんだがな。人の悩みの大半は、当人の有能さを示すことで驚くほど簡単に解決可能だ。なんだっていいから、まずは強くなれよランドウ。居場所に悩むなら、まずは能力を示せ。世界に憂うなら、世界に嘆きをぶつける前に出世してみろ。俗な話だが、捨てたものじゃない」

「……俺と殆ど同い年だろうに、随分知ったようなことを言うんだな」

「わかるさ――何せ自分自身の事だからな」

 

 ランドウの未熟を諫める、ハルオの視線。

 しかしそれは、どこか不思議な響きを帯びていた。

 

 優しいような、険しいような。何かを懐かしむような、それでいて強く後悔しているような。ランドウの青さに苛々しながら羨望するような、あらゆる感情がない交ぜになった瞳。

 

 ハルオは誰にともなく、声に出すことなく、呟いた。

 

 

(――もしかしたら、お前こそが)

 

 

 しかし、嗚呼しかし、だけれども……。

 もし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――そこにランドウの救いなどあるのだろうか。

 

 

(この世界の“■■”たる器なのかもしれない)

 

 

 

◆◆◆

 

 ――稚内港から数百キロメートル離れた海。

 

 時刻は夕暮れを過ぎて、空は闇に近い昏いオレンジに染まっていた。海は黄昏の色を反射して、波の動きに合わせ暗く揺らめく。

 

 誰も見ていない。視界にすら入らない程に遠い。“赤イ竹(レッド・バンブー)”は勿論、どの国の監視網からも外れている水平線の彼方――曖昧で薄暗い闇を、やがて一点に凝縮したようなどす黒い点が見えた。

 

 黒点はゆっくりと隆起していき、それに合わせて周囲の海水が冗談のような勢いで、津波の様に巻き上げられていく。鯨か海坊主か――やがて“それ”がその(おもて)をゆっくりと持ち上げた。

 

 恒星級の熱量が圧縮された黒鉄の外皮が鳴動すると共に、海水は一瞬で掻き消える。それと共に壊滅的な存在感を秘めた漆黒の巨体が、ゆっくりとその姿を曝していく。

 

 

 ――ゴジラ。

 

 

 粘つく感触の生温い潮風は、ゴジラの外皮に触れた瞬間に沸騰し猛獣の唸りの如く吹き荒れる烈風に変わる。凪いでいた海は今やひたすらまでに不気味にうねり、発狂的なまでに鳴動していた。

 

 先ほど稚内港に打ち上げられたバトラも、ああ成程、確かに百メートル級の怪獣なだけあって有する神性は中々のものだろう。しかしこの魔王と比較すれば、それは数段見劣りすると言わざるを得ないだろう。質量が違う。怒りが違う。有する熱量が違う。浴びた呪いと、それに釣り合う奪った全ての命と壊した全ての夢の数の桁が違う。

 

 存在するだけで悲劇と混乱を世界に齎していく魔王は……しかし、何をすることもなく、その面貌を稚内の方面にじっと向けるのみ。

 

 先刻、稚内に襲来したガバラの群れは残らず“赤イ竹(レッド・バンブー)”――いや、パネト・ヘイトスピーチの手によって討滅された。

 ゴジラはこの地上に存在する凡ての怪獣をその悉く徹底的に絶滅させる天敵だが、ガバラはその特性上、例外的にゴジラの討ち漏らしが多い存在である。……しかしその狼藉に最後まで気が付かない、という間抜けを曝すことは断じてありえない。

 どれだけ離れていても間に合わなくても関係なく、群れの一端だけでも執拗に追い詰め、消し炭にするのがゴジラという存在だ。

 

 しかしであれば、一つ疑問が生じる。――此度、ゴジラは何故稚内に近づこうとさえしなかったのか?

 

 人間達に先を越された、というのも理由ではある。

 

 ゴジラは常軌を逸した怪獣(同類)の殺戮者だが、奇妙な合理性を両立させている。例え鼻先に怪獣が暴れていたとしても、もし先んじた人間達が問題なく対処しているのなら、そこには一切興味を示さず次の戦場を求めて彷徨する。

 先んじた“赤イ竹(レッド・バンブー)”がガバラに対処している(見敵殺滅を為している)以上、稚内に上陸する理由はもうないのだ。

 

 ――だが、ここにもう一つの理由が存在した。

 

 限界まで鍛え上げられた鋼の右腕――だらりと下げられたそれが握りしめているもの。

 潰れたトマトの様に原形をとどめていないが、それは50メートル級の中型怪獣の頭蓋であった。中身が外に漏れだし、元の外観などまるで定かではないが、その濃い緑色の外皮だけはうっすら確認できる。

 

 そう、先ほど稚内で暴れていた個体とは大きさがまるで異なるが、これもまたガバラである。

 基本的に軍備が遅れた人口過疎地域しか襲わない慎重さを習性とするガバラがなぜ稚内を襲ったのか、その答えがここにあった。ガバラは――”進化”していたのだ。

 

 この巨体――メガニューラにとってのメガギラスに相当する存在だろうか。

 

 電磁波能力を介したネットワークにより高度に組織化された群れを統率するために生まれた“長”。“蛙の王(エルダーガバラ)”とでも名付けるべきか。今回の稚内(先進国)への襲撃は、その試金石とするものだったのだろう。

 

 ゴジラが稚内に現れなかったのは、“これ”の存在を感知したからだ。そして群れより優先して叩き潰すべき存在――根幹であると看破した。

 結果、肝心要となるエルダーガバラはこうしてゴジラに殺滅された。二重三重の電磁パルスによる隠遁術はあっさりと破られ、ガバラ(群れ)の目論見は失敗に終わったわけだ。

 

 別段驚くべきことではない。“赤イ竹(レッド・バンブー)”同様に、ゴジラもまた対怪獣戦で出し抜かれたことなど一度もない。これはゴジラにとってはいつも通りの、当然の戦果に過ぎないのだ。

 

 しかし……だとすればここで疑問がもう一つ。

 

 ガバラはそもそも、ゴジラの圧政に対して、個としてではなく群れとして耐え忍ぶことを生存戦略とした怪獣だ。その在り方は長らく一定の結果を挙げていた筈であり……だとすれば、今のガバラにとって望ましいのは変化ではなく現状維持の一択の筈。

 

 確かに高度な組織統制のためには司令塔が必要、という理屈は妥当だろう。それでもあえてこのタイミングで必要なものではあるまい。端的に言って解せない、急激な変節と呼ぶべきものだ。

 慎重を是とするガバラが、何故この局面でハイリスクな道を選んだのか? 当のガバラが滅びた以上、最早その答えは誰にも分からない。

 

 しかし間違いなく断言できることがある。

 

 

 ――何かが、変わろうとしている。

 

 現状維持を是としていた世界が、少しずつ、ほんの少しずつ――何か致命的な方向にずれ始めている。開きつつある地獄の窯。これは、その予兆なのだと。

 

 

 その右掌に都市一つを蒸発させるに足る熱量を圧縮させて、灰すら残さずガバラの残骸を消し去った。空間を融解させるほどの地獄的な熱量を総身から垂れ流して尚、ゴジラの瞳はじっと稚内に向いていた。

 

 それは、不思議な瞳だった。

 

 静かに凪いでいるようにも、凶暴な感情が渦巻いているようにも見える。衆生に救いをもたらす仏の様にも、あらゆる人倫を冒涜する悪魔のようにも見える。

 そして、きっとその全てが正解だった。

 

 

 

 やがてゆっくり唸るように、その瞳を空に向けた。

 

 

 

 

 ――――敵は、どこに。どこにいる、“■■■”。

 

 

 




さらっと流しましたが、三枝未希はこの作品のおける超重要人物の1人。
パネトのセリフの通り、既に作中では故人なのですが……

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