第6話 黒白の巡合
◆0◆
――そこは、太陽の重力圏から遥か離れた宇宙領域だった。
達するには、仮に光の速さであったとしても100年は要するであろう銀河の彼方。即ち我々人類にとっては想像も及ばない程遠い空域の話であり……有り体に言えば無関係の事象である。
話は唐突だが、基本的に星々の運動とはより巨大な重力に引っ張られる形での回転運動であると表現できる。恒星などの巨星を中心とした公転運動。太陽系が最も身近で分かりやすい例として挙げられるだろう。
規模や程度に多少の差はあれ、宇宙の全てはこの秩序だったモデルを中心に構成されている。そこに例外はない。
その常識が、ここに木端微塵となって砕け散る。
その例外が、ここに特級の化外として具現する。
――そこは壊滅という概念が“結晶”となった星だった。
まずその星には、大地と呼ぶべきものが存在しなかった。
全てが微塵に砕けていて、
ならばこれはガスを主成分とした惑星なのかと言えばそうではなく……そもそも
確かに、どんなものにも終わりはある。星すら、やがて宇宙すらいずれは例外なく崩壊するというのは道理であろう。驚くべきことではない。しかしそれはあくまで手順を踏んだものだ。
これは如何なる物理で以てしても理解不能な壊滅の具現で、いや最早規模や数値という概念で測ること自体が不可能な域に達していた。
しかし何より不可解なのは、その壊滅的現象がどれ程の時間を経ても
そもそもこれは星が爆発したもの。つまり力のベクトルとしては内界から斥力が発生するのが当然で、有り体に言うのなら飛散した物質は周囲宇宙空間に飛び散るはずだ。
ならば、何故。
不可逆的な破壊を星に齎しながら、その痕跡消えることすら許さぬ――と、この宙域に留めているものの正体は何なのか?
それは重力。
星間ガスの濁流が、宇宙の静寂を破く響きと共に渦を巻く。その怒涛の中心にある存在こそが、
果たしてそれが1体の怪獣であることを、誰に認められるのだろう。
超磁場と熱波の嵐をものともせず、かつては星の核があったであろう中心部に平然と滞空する怪獣。
大きさとしては10キロメートルほど。この広大な宇宙の常識で測るのであれば、それほど巨大というわけでもないその怪獣は――しかしその大きさに反する壊滅的な存在感を秘めていた。
時空を湾曲させる程の超重力の奔流は、その怪獣が放つものだ。
それは星の残骸をこの空間に留めるだけに至らず、この惑星系一帯の公転軌道に不可逆的な崩壊をもたらす域に至っていた。それはつまり、この怪獣が生み出す総重力量が恒星のそれに匹敵していることを意味していた。周囲の星々が中心に座すこの怪獣に従い、その軌道を捻じ曲げていく有様は、さながら天動説の再現だ。
――その肉体は、一部の漏れもなく煌びやかな
結晶は禍々しくも美しい棘となり、その棘が折り重なって全身を構成している。如何なる原理かは不明だが、硬質な結晶で構成された肉体が鼓動するたび、その余波だけで出力数テラワットに至る紫電が迸る。
そしてその、とぐろを巻けるほどの長大な胴体に、細い手足。輝く宝石の瞳に、猛々しい髭。その全てが結晶で構成されているという点を除けば……全体的な姿形は、所謂“龍”に似ている。
最早それを知る者などいないが、それは此度壊滅した星における人型種族”ムウの民”が神と崇めていた存在――マンダに似ていた。
その結晶の怪獣に、決まった名前はない。
より正確に言うのなら、その時々によって名前は変わっていくという方が正しいだろう。
存在するだけで天文学的な破壊を齎すその怪獣は、それと同じ位に特徴的で奇怪な習性を有していた。
「宇宙最強にして唯一の生命」を目指すこの怪獣は、星々を渡った先で”最強”と見込んだ
此度もまた同様に、ムウ星にて神と崇められる怪獣マンダを”最強”と認識し、その姿をコピーした上で襲撃した。結果は言うまでもなく、この結晶の怪獣の完勝であり、そしてムウ星は物のついでと粉砕された。……そもそも崇める神が惨殺された時点で、ムウの民に明日など無かったかもしれないが。
いずれにせよ奇妙な習性と呼ぶ他なかろう。この結晶の怪獣は、その気になれば星1つを容易く粉微塵にする程の力を有する。つまりただ敵を滅ぼすだけなら、相手の能力・認識の射程外からその重力波で圧殺するだけでよいのだ。それが合理性というものだろう。
にも拘らず、あえて
怪獣として、いや如何なる目線から考察しても奇妙と呼ぶほかないその習性は、しかし少なくともこの結晶の怪獣目線では明快な理由が存在した。
この世界には、いわゆる「相性」と呼ばれるものが存在する。
力に勝るはずの巨人が小人に投石1つでやられるというように、「総合値」で上回る筈のものが、要素1つの過多により大逆転されるというのはよくある話だ。圧倒的に少量な物質が巨大な化学反応を連鎖的に引き起こすというように、身近な例では触媒反応も広義の「相性」と呼べるだろう。
そこで最初の疑問に立ち返ることになる。
遠距離から圧倒的な質量で圧殺する存在を、真に最強と呼んでよいのか?
答えは否――”相性”を考慮していない。
例えば、の話をしよう。
この結晶の怪獣が認識外からの重力圧殺を行ったとする。しかしもし、それで殺した相手が「己の視界に収めた存在を確殺する」という類の異能を持っていたらどうする? 自分が勝利したのはたまたま相手の異能から逃れたからに過ぎず、それは真に誇れる勝利とは言えまい。勝利の価値に毀損が生じる。
逆もまた然りだ。絶対的質量を有する圧倒的強者が、予想もしない角度からの不意打ちで敗れるなど認められるか?
いずれも認められない。
だからこその”対等”なのだ。
相手の姿形を模倣し、互いに最低限対等な立場に引き下ろすことで言い逃れのできない勝負をする。
……相手の了解を得ずに姿を模倣した挙句、勝手に土俵に叩き落とす行為をそもそも”対等”と呼んでよいのかという疑問はあるが、つまりはそういうことであった。
結晶の怪獣は、ゆっくりとその鎌首をもたげた。ぶるぶるとその身を震わし、歓喜とも絶頂ともとれぬ咆哮を上げた。宇宙の静寂を引き裂く絶叫は物理的な波動となり、周囲に漂う星間ガスのプラズマを一撃で霧散させた。
己が勝利したが故の喜悦の叫び。また一歩、己が最強に近づいた故の悦びの身震い。
この広大な宇宙でたかが星1つを潰して何故粋がれるのか、虚しくはならないのか――という常識的な疑問を挟む余地など欠片もない。
繰り返すが、しつこいようだが、怪獣に常識は通用しない。
怪獣が「こう」と決めたことこそが絶対の法則であり、既存物理を歪めるほどの異能となるのだ。そこに疑念を持つのは、何故己の右目で左目を観察することができないのかと苦悩するようなものである。
しかし。
『――――、――――――――――――■』
不意に、歓喜と興奮に震わせていたその身が停止する。
全ての怪獣が標準的に備えている超感覚が、その異常事態を伝えていた。
宇宙全ての銀河に散らばっている己の細胞の一欠片の、その内1つが
細胞の一欠片といっても、この規模の怪獣ともなればそれが山脈一つを軽く吹き飛ばすエネルギー量を当たり前に有する。それが敗北した? なんという得難い強敵か。いいやそうではなく――それ以前に。まさか。己の細胞が、何ゆえ
それほどの重大な相手だというのか。その相手に、何かしら
なんだそれは、意味が解らない。
細胞一欠片の身で粋がり戦いを挑み――それで、敗けたと? それで
なんだその決着は。
結晶の怪獣は、その身を凄まじい嚇怒に震わせた。
怒りの波動は奈落的な重力エネルギーの噴流となり、周囲空間10万キロメートルに漂っていた
同時に、その姿形にも急速な変化が訪れた。
長大な胴体は小さく、しかし引き締まったものに変化していく。同時にその分の結晶が小さな手足に流れていき、やがて隆々とした逞しい四肢に変貌を遂げた。面貌にも変化が訪れる。猛々しくも神々しさを放つ神龍の面から、殺意と怨念に満ちた悪竜の貌へ。そして背部の結晶は折り重なるように連なっていき、スパイク状の背鰭に変貌した。
”己の一欠片”の今際の記憶の残滓を辿り、
全長こそマンダよりも随分小さくなったが、吹き上がる絶望的な圧力はその比ではない。数倍、数十倍――いや数万倍か。
嗚呼、それを人が見たなら何と言っただろうか――――。
新生した怪獣の怒りの咆哮、一括と共に周囲空間を文字通りに
目的地は、銀河の端っこを静かに彷徨う小さな青い星。そこにいる、黒い、黒い怪獣だ。
結晶の怪獣と比べるとサイズこそ遥かに劣るようだが、そこに込められた熱量は並大抵のものではない。
素晴らしい許せない面白い腹立たしいぞ、なんだそれは――人型種族にはおよそ理解も定義もできない混沌とした情動が重力の怒涛として溢れ出ていく。
俺より強いやつに会いに行く。
一言で簡潔に言ってしまえば、そのためだけに100光年の彼方から突撃してくる怪獣。
安直ではあるが端的に、嘗て地球人はそれをスペースゴジラと呼んでいた。
◆1◆
唾を吐いて捨てる様な、舌打ち。
「――オレが怪獣を皆殺すと誓うのは、奴らが”敵”だからだ」
否定の念しか籠らない声。
「同じものを愛せず、同じものを憎めない。だから”敵”だ。敵はそこに存在するだけでこちら側を蝕んでいく。寛容? ありえない。同一化? 以ての外だ。敵を殺すことに敵だから以上の理由なんてそこにはない」
誰が喋っているかなど言うまでもなかった。
パネト・ヘイトスピーチ――ひび割れに血の滲む唇を吊り上げながら、嘲笑うように言葉を綴っていた。笑っているのは口元だけなのだが。
小さな会議室。ぶらりと力なく立っている彼女。その刺し貫くような眼差しの先にあるのは、上背も歳も同じくらい。けれでも見た目も印象もまるで対照的な、もう一人の少女だった。
不安とも困惑ともつかぬ表情を浮かべながら視線をさまよわせる少女――癖のないまっすぐで鮮やかな金髪がまず目を引く彼女は、
「怪獣との融和? 気色悪ぃなふざけていやがる、そんな考え方をする奴がいること自体が不快極まる。オレの敵だ」
その横で頭を抱えているのがランドウで、会議室の奥の扉からまっすぐ伸びる廊下で眉間に皴を寄せているのがハルオ。
――そして険しく目を細めているのが、一際目立つ紅色の薄衣に身を包む小さな
“
ここに至るまでの経緯を説明するのは少々――いやかなり難しい。
(……どうしてこうなった)
帰りたい、切実にそう思う。
ランドウは天を仰いだ。
時刻は数分前に遡る――
◆2◆
「――こちらがゴジラの……赤ちゃんの頃の姿だそうで、周りからは”ベビー”と呼ばれていたと聞きます。これは、Gフォースの蔵書室から特別に持ってきて頂いた映像なんですよ」
「は、はぁ……今はもう面影が欠片も残っていませんね」
楽しげな声と共に、ディスプレイ上のパネルが過去の映像を代わる代わる投影していく。映し出されているのは、分類としては違うことなく怪獣だ。
つまり忌むべき存在――しかし、女性研究員スタッフに甘えるようにその身を擦り付けるその姿、周りからの苦笑の視線を意にも介さずハンバーガーに夢中になるその姿。全高は2メートル程度で、子猫のように眼をくりりと瞬かせる姿からは、”化外”と忌み嫌うべき要素はまるで感じられなかった。
思わず、可愛らしいと素直にそう感じる。ランドウでさえだ。
”ベビー、ベビー”と呼ばれるたびにその瞳を七色に輝かせ喜色を表すその姿。これならば、少々ばかり手間のかかる愛玩動物としか認識できないだろう。これが
成長か進化か、或いは成れの果てと呼ぶべきかは知らないが……殺意と怒りだけを爆発させながら怪獣を残らず殺滅せんとする今の巨体に、その名残など欠片もない。
しかし不思議な話ではないだろう。怪獣に限った話ではなく、どんな動物も生まれた時の見てくれだけは無垢だ。獰猛な肉食獣でさえ、赤子の頃は愛らしい。
異種動物さえ惹きつけてしまうその容姿は、しかしあくまでそれが生存戦略として有利故のものに過ぎない。その本質は、己の獰猛な牙を包み隠す偽装にある。
実際、記録によればこの後”ベビー”は
――しかし目を輝かせながら画面を見つめる少女にとっては違うようだ。
「30年前とは違い、何故ゴジラが人間社会を襲わなくなったのか……大人たちはそれが解らないと不信に駆られています。
しかしその答えは簡単です――”今の”ゴジラは、人間を決して恨んでなどいないから。赤ちゃんの頃、こうして人との優しい関わりを持った記憶を、その温かさを覚えているから――だから人間社会を襲わない。
まるで人類を守ろうとするような一連の行動の根底は、そこにあるのだと私は固く信じているのです」
何を言えばいいのか、沈黙するランドウを尻目に言葉を続けるのは黒木ソテイラ。“
……今の状況を説明するなら、ランドウはそんな彼女と、会議室にて何故か怪獣の記録映像の鑑賞会をやっているということになる。
意味が、よく分からない。
それを理解するには少々ばかり込み入った事情を説明する必要があった。
……”稚内事変”と名付けられたあの事件から少しばかりの時間が経ったのは既出の通りだ。
ランドウの懸念よりも、国民の――世界の動揺は大したものではなかった。
所詮は、他人事だからか?
否、そうではなく。
それは――「死者125名で
なるほどこの国らしい、実に巧い表現である。
この甚大な被害と、それに後手に回った日本政府の不手際は隠しようがない。ならば国民の批判の視線を、政府から稚内分屯地の自衛隊員の犠牲に向けさせて寧ろ美談に変える。“英霊の犠牲”を称えることで、何より論点を「軍備緊縮の世論こそが彼らの犠牲を招いた」と誘導することができるのだ――。
更には衆目を“
(狂したプロパガンダ。煽り煽られる姿は先の大戦と何も変わらない)
何せ証拠は何一つとしてない。当時の稚内が”民間人を守る防人の戦”などとは程遠いものであったことを示す電子記録はガバラの妨害電波により破損しているし、そもそも目撃者は全員死んだのだから。
稚内に浮き上がったバトラの死骸――これの国際社会への引き渡しに今尚時間がかかることを不手際と責める声も少ないのもまた、海外からの同情も集まったからだ。
(しかし成程、片桐総理らしいやり口だ)
衆目に“
しかしこれで、良くも悪くも日本政府と“
怪獣退治のために文句も言わず地球の裏側まで突撃する有難い狂人――という都合の良い扱いでは収まりはつかないのだ。
そして“これ”はその一環と呼べた。
日本を中心に飛躍的に勢力を拡大させる
例年行われる、信者達が東京に集まりモスラの祈りを捧げる、彼ら最大の定期大会――通称”モスラ祭”は、その1週間で参加者はのべ500万人を超える一大イベントとなりつつある。
しかしそれに比例する形で警備の問題が悩ましく膨れ上がる。
「怪獣との融和」という昨今の世界情勢に真っ向から否を突き付ける姿勢は、世界各国勿論日本も含めて反感を抱かれやすい。それは政府高官から一般国民、老若男女貴賤を問わずである。それでも長年「怪獣による民間人の被害」が少ない域に留まっていたが故に、反発は穏やかなものだった。
しかし”稚内事変”以降、それらは一変する。
彼らは人々を襲う怪獣を賛美するカルト宗教だという意見が広がったのだ。反発世論はより攻撃的となる。それに対して
「融和」を唱える者達が態度を硬化させ言い争う姿――見ていて気持ちの良いものではなかった。
何れにせよ、今年の”モスラ祭”は何か好ましくない事態が起こるのは間違いない――それが反対デモの類ならまだましで、テロや暴動等なら冗談ではない。
ましてや、もしそんな混乱時に怪獣が東京に現れればどうなるか――首都防衛という観点からすれば大きな問題だ。しかしかといって、特生自衛隊を首都防衛配備に駆り出すような大事にはしたくない。そもそも自前の軍隊を、その戦力を衆目にさらすことにまず抵抗があるのだ。
……と、ここで頼りにされたのがやはり”
”モスラ祭”が数日後に迫るにあたって現在東京湾を囲う様に配備されているのは、”
……今日は歳もそう離れていないランドウが直々にその護衛の段取りのミーティングに来たのだったが、始まったのは何故か満面の笑みの怪獣トークだ。どれだけ堅い話が始まるのかと用意していた資料は、ここに至って一度も開いていない。
「すみませんランドウさん勝手な勢いで語ってしまって……やっぱり、変に思っちゃいましたか?」
少し恥ずかしそうな顔で、向かい合う席から顔を覗き込んでくるソテイラ。
顔を赤くする上目遣いからは、テレビで見た衆生を前にしても臆することなく言葉を発していた凛とした姿からは想像もできない。……いや或いは、こちらの方が素なのかもしれないが。
「いえそのようなことは……ああ、いや
「はい……わざとではないんですけど、その、ランドウさんはすごく解りやすいから」
薄く微笑むソテイラ。彼女は世界最高域の
己の思念を離れた相手に伝えるだけでなく、逆に周囲の人間の感情や思考の波を読み取ることもできる。
とはいえ、どれだけ他者の心を読み取れるかという程度は、個人差や対象との相性の要素によるところが大きいという。……しかしその中でもランドウは稀に見る程”読みやすい”タチなのだそうだ。ソテイラが意図せずとも心が漏れてしまうほどに。……素直、ということにしておこう。
「勝手に心を読んでしまったことは謝罪します。でも、私がランドウさんにこの映像をお見せしたのは、ランドウさんに私個人の考えを自分の言葉でお伝えしたかったからです」
訝し気に眼を細めるランドウを尻目に、視線をディスプレイに移していく。
「不謹慎と言われる事は間違いないですし、自分でもどうかと思う性分なのですが……私は怪獣が好きです。
ダイナミックな存在感、人知の及ばない生命の輝き……人間に災いをもたらすこともあれば、逆に幸を齎すこともある。Gフォースはかつて怪獣の徹底駆逐と、そして霊長の誇りを取り戻すことに息巻いていたそうですが、私はそんなことはもう無理だと思っています。これを前に、人類が再びこの星の覇権を握ろうなどと、そこに意味はあるのでしょうか」
紡がれる言葉には一切の迷いもない。彼女自身が常日頃から何度も何度も繰り返し続けている本心だということはよく理解できた。
「怪獣と人間の融和……決して不可能だとは思いません。私たちを害するものの方が遥かに目立つのは事実ですが、しかし友好的とされる怪獣が少なからず存在するのもまた事実」
――人類に友好的な気質を持つ、とされる怪獣のことか。
怪獣というのはどれもこれも、基本的に人間と共有できる価値観や思考、情動は少ない。だからこそ相容れず滅ぼしあう仲な訳だが、その一方でそうでないものも存在する。その代表例が、以下に並べられる存在だ。
“賢王”――コング
“聖王”――ガメラ
“女王”――モスラ
彼らもまた、国を滅ぼし星を割るほどの権能を持つとされる、文字通りの王。
危険性の判定ならそのいずれもが”魔王”ゴジラに匹敵すると見られている、特級域の怪物達だ。
しかし……個々に事情は異なるものの、彼らは文明圏への攻撃・破壊活動と呼べるものを一切行っていない。人語を解すると考えられている彼らは、寧ろ積極的に人類に交信を図っている節さえあるという。
「私はそれがいずれ来る人類の新しい進化の形なのだと信じてやみません」
強い口調で言い切るソテイラ。
聡い子だと、強く実感する。ランドウなどより遥かに確固たる理想を見据えている。それは
(しかし彼女の理想の果てに”人間の尊厳”は存在するのか? それは人間が怪獣の軍門に下り奴隷になるということではないのか?)
その立場上、怪獣の暴威を間近で体感することが多いのがランドウだ。そんな彼にとって「怪獣との融和」という考え方は、内容の妥当性は納得はできても……心底からの共感は難しいというのが本音だった。
(いいや、そもそも――)
果たしてこの少女は――人を悪意のまま貪り蹂躙する
誰にも読み取れないほどの心の奥底で、ランドウ自身も意識しないまま、そんな邪な思いを抱くのだった。
しかし何故そんな話を、初対面のランドウに――この悪名高い”
訝し気に眉間に皴を寄せるランドウに、新たな声がかけられる。
『それは貴方が、同じように世界の在り方に心を痛め、同じように唯一つ定かなる答えを求めて彷徨い続ける人だからでしょう』
小さな、しかし不思議と際立つ声だった。
天から降ってきたかと思う柔らかな響きを伴うその声は、事実として人間が発する言葉ではない。視線をその方向に投げれば、そこに想像通りの存在があった。小さく驚嘆の声を上げるランドウと、喜色を帯びた声を上げるソテイラ。
「――モル様ロラ様! いらしておいででしたか!」
『はい、久しぶりですねソテイラ。そして、初めましてランドウ様』
「……っ」
ランドウと向かい合う形で隣接された机の上空に、まるで重力など感じない様にふわりと降り立つ2人の妖精。
緋色の薄衣に身を包んだその姿態は精々20センチメートル位のもので、そんなあまりに非常識な存在なのに、そこには一切の不自然さを見いだせない。
何故ならば。
視界に入れた瞬間に直感的に悟るのだ――彼女たちは何よりも正しく、そして世界の調和を司る者なのだと。
データでは知っていたが、まさか本当に、生で見ることになるとは――
瑕疵など欠片も見出だせない、美しき造形。こんな殺風景な会議室に似合わない、華やかな存在感。
しかしそれは、目にうるさい華美さなどとは程遠いものだ。そういう圧迫感を齎す類いのものではなく、寧ろ雄大な景色を見た時に感じる清々しさ――つまり自然美に近いものであった。
妖精――モル、ロラは、ランドウから見た左右それぞれが、カーテシーに似た独特の礼をする。
”
人間側の環境汚染やゴジラの活発な活動によりその眠りは妨げられた形になるが――この30年間、彼女らは手の平を返すように積極的に市井と交わり続けている。
未来予知能力で人類に仇なす怪獣の存在や災害を予見するのは当たり前。避けられぬ悲劇が起こったならば世界のどこであろうと飛んでいき、その慈愛の歌で悲嘆にくれる人々を慰撫し続ける。精神的な支えだけでなく、その数千年を超える膨大な知見が人類側の文化・文明に与えた恩恵は数知れない。
”
何ら示し合わせることなく、モルとロラが同時に口を開く。
『ランドウ様、立場は違えど貴方もまた、ソテイラ同様、この世界に歪みを見出す存在です。この
実は貴方とこの場で話をするようにソテイラに申し付けておいたのは、私たちなのですよ』
雲の上のような存在が、所詮何者でもない自分如きに話しかけている事実に戸惑う。自分達が目をかけているソテイラの、そのたまたま近くにいた人物への形だけの労い、という訳では決してない。
ランドウの困惑をよそに、ソテイラが興奮と共にランドウに駆け寄ってくる。
「ランドウさん、私は憎しみや不信に瞳を曇らせ、誰も彼もが互いを”敵”と見なすこの世界を変えたいんです」
『私達は貴方様こそが、真にこの世界の”■■”たる器であると――』
「――――くだらん馴れ合いだな。お前らまとめて死んだほうがいいよ」
突如として会議室のドアが蹴破られた。同時に仰け反りそうになるほどの、沈むような怒りの念。
向けられた感情に、脊髄に電撃が走るのを感じた。こんな情動を発することができる人間は、少なくともランドウは1人しか知らない。他にいるなら、連れてきてみろと言ってやる。
それを高感度な
ぎりぎりと歯を軋らせる音は、もう随分と慣れ親しんだものだった。
「……パネト」
”やってしまった”と言わんばかりに頭を抱えるハルオの姿が、後方に続く廊下の曲がり角に見える。
碌なことにならなそうだから、ここには必ず近づけないという話ではなかったか。
「
パネト・ヘイトスピーチと黒木ソテイラ、決して会わせてはならないと事前にハルオと示し合わせた2名の、あってはならない会合であった。
――そして、冒頭へと戻る。
会議室のパイプテーブルを挟んで向かいあう両者。先程までは和気あいあいと理想を語り合っていた会議室は、その面影なく吹き荒ぶ異様な空間となっていた。
「高尚なお題目は必要ない。憎むから”敵”が生まれるんじゃない。”敵”がいるから憎しみが生まれる。敵を憎むのに理由はいらない。そして怪獣は全部敵だ滅ぼさずにはいられん」
死人ですらもう少し色があろう土色気の顔に、掠れた声。捻じれた手足でまっすぐ立つことすらおぼつかない。そのくせ血走った双眸だけは真っ直ぐに正面に立つソテイラを凝視している。それに対してソテイラは不安と困惑を隠せないという様子でたじろくばかりだった。怯え切ったその瞳は当然の反応だろう。ランドウとしては見守るしかない。
ややあって言葉を選ぶように、ソテイラはゆっくりと口を開いた。
「突然何かと思いましたが。……ええ”見敵殺滅”――貴女の事は知っています。”
そして、小さく咳払いをして。
「貴女の仰りたいことは理解できます。相手への憎しみや不信が先にあって敵を生み出すのではなく、状況が敵を作る。取り返しのつかない感情のすれ違いとはそこから生まれる。しかしだからこそ、”敵”なるものとは、そもそも本来分かり合えるに違いなかった存在だったのではないかと思いませんか? それは利害や立場が生み出す状況の違いが生み出した幻想にすぎないのに、そんなものに捕らわれるのは愚かで何より非生産的でさえあります。価値観の違いなど些細な問題です。わかりあえるし、認め合える。そうするべきなのです。怪獣とさえ――」
「は、ははは。意味が分からん理解できん、気持ちが悪いぞ吐き気を催す」
机にもたれるようにして身体を支える少女は、乾いた笑いと共に続ける。
「やはり、狂人の発想だな。自分と意見や価値観が違うヤツを認めようとする意味が分からない。ソイツは、お前にとって不利で不愉快なものを周囲にばらまき伝染させる悪性腫瘍だ。価値観ってのは伝染病なんだよ。駆除しないと、この世にお前が嫌いなものが満ちていく危険性があるとは思わないのか? 怪獣なんか特にそれだ。奴らがいるだけで人間にとって重要な資源がどれだけ砕かれていくという? 奴らは歩く災害だ。生きている不良債権だ。そうさ、怪獣に限った話じゃない。人間含めてこの世には滅ぼさずにはいられない”敵”が多すぎる。無論、その中にはお前たち”怪獣との融和”を唱える物狂い共もしっかり含まれているよ」
あまりの放言に、思わず動揺。言葉を失う――すぐに童顔を朱に染めて、ソテイラは椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「……っ、わかりませんっ! どうしてそこまで極端なものの考え方をしてしまうのですか?」
心底から貴女が解らないから知りたいのだ。貴女と分かり合うために――そう懇願するようなソテイラの表情。憂いとも哀憐ともとれる揺れる瞳。
差し伸べられたその思いは、しかし舌打ち一つと共に拒絶される。その表情も仕草も向けられる感情も、その全てが癇に障ると言わんばかりの白けた表情。ささくれだった指先で頭をぼりぼりと掻き毟りながら。
「嗚呼、しかしこれでも妥協してやっているんだぞ? 本当はお前たちを皆殺しにしてやりたくて仕方がないのに、お前たちの様に酔狂なことを標榜する狂人達があまりにも多すぎる。多数派だ。これには勝てない。仕方がないから今だけは視界に入れないでやっているオレの寛容と忍耐は、もう少し評価されてしかるべきだと思うのだが。ああ、そもそも黒木ソテイラ、お前には――」
もうそこまでにしろ、我に返ったランドウがそう制さんとした時はもう遅かった。
ソテイラのかさかさに罅割れた唇が、歪んだ弧を描く。
「お前にはオレと同じ、”怪獣殺し”の血がたっぷり流れているじゃあないか。なあ――黒木翔、お前の親父殿がどれだけの怪獣を殺し続けたと思っている? 怪獣との融和を唱えるなら、まずはその身に流れるくっせぇ血を根こそぎ入れ替えて禊を済ませるところから始めるべきだと思うんだが。ああそれとも……」
「――父さんの事は関係ないっ!!」
悪意に満ちた声を無理やりかき消す様な、きつく強く震えるような金切声。
あまりに大きな声で、思わずランドウは中腰のままぎくりと視線をソテイラに向けた。パネトですら不審にその眉をひそめている。
「父さんの事は……あんな人の事は、関係ないよ……」
それは、初めて見る表情だった。
天使のように柔らかな少女に、こんなにも激しい情動があるとは信じられなかった。目元を歪めながら唇をかみしめるその表情は、泣きじゃくっているようにも苛立ちにかきむしっているようにも見えた。
負の情動が激しく深く爆発して流れ出しているのは間違いなく、それは彼女自身でも止められない様子で……。
「……ひどいよ」
肩を震わせる少女は、込み上げるような低い声で一言そう漏らして会議室から飛び出していった。ランドウの横を走り去る際に「ごめんなさい」小さな呟きを残しながら、ソテイラは廊下を真っ直ぐに走っていく。
しばしランドウは茫然としていたが、数秒経って我に返る。
「ったく――この、ああ、もうこの馬鹿、立場ってものを、糞が、もう少し考えないのかッ!?」
もつれる舌を必死に回す。パネトに唾を吐く勢いで叫び散らしながら、ランドウはソテイラを追いかけていった。
◆3◆
「パネト、ランドウの言う通り立場を考えろ。彼女の心証を悪くすることに”
「それは組織としての体裁の話か? 関係ないな」
ハルオの諫めの言葉もどこ吹く風という具合で、パネトは視線すら向けなかった。そもそも彼女は怪獣を殺滅すること以外にこれといった執着を示さない。
身体を支えさせていたパイプテーブルから上体を離し、ふらつきながら歩きだす。
「あの女が、おんな腑抜けた理屈を並べられるのは、所詮は現実を知らないからだ。”敵”がいることを知らないからだ。そこに戦場があって敵がいる事実を知らなければ、知りさえしなければ、オレだってもっと優しい人間になれただろうよ。それとも――」
踵を返して、パネトはじろりとハルオを睨みつける。
「……お前まで、オレを否定するのかハルオ」
怒りの籠ったその声と視線は……しかしどこか、憂いと怯えの色を帯びているように見えるのは錯覚だろうか。
歯をむき出しにする怒りの表情の陰に、幼子のように身を震わせる姿を垣間見てしまったからか。ハルオはもう何も言わずに頭を振って、しっしと手を振ってパネトを会議室から追いやった。
深いため息と共に、ハルオは用を為さなくなった会議室内の崩れた配置を元に整えていく。ディスプレイに投影されていたベビーゴジラの映像に何とも言えない苦い視線をしばし向けた後、プロジェクターの電源をオフにする。
……ハルオは先程の両者の言い合いの際、引き止めもしなければどちらの味方をするということもなかった。彼はランドウとは違い、パネトを制するだけの実力はあったしそれをするべき立場でもあった。それでも尚黙って眺めていたのは、無気力故ではなく――あえて、
……そう、ハルオ・サカキは常に物事に対して距離を置いたところに立っている。相手が何に悩んでいても怒っていても悲しんでいても決して深入りせず、一歩引いたところから言葉を投げる。決して感情を表に出したりはしない。
しかしそれは何事にも無関心、知らんぷりというのとは全く違うのだ。彼とて人が犠牲になれば悲しみ、理不尽には怒りを覚える真っ当な感性はある。しかしその本心は決して見せず、積極的に構うことはしない。
その在り方が無責任と言われれば否定しようがなく……しかし、それで不始末が起こったならば躊躇なく己の首を差し出す所存でいた。
それは彼が、
ふと、ハルオは顔を上げて向かい側のサイドデスクに視線を投げる。そこには、先ほどから一切の存在感を出すこともなく一連の騒ぎを黙って眺めていた
しかしその時。
『ハルオ・サカキ殿』
その背に、声が投げられる。
天井の女神とも違わぬであろう響きを帯びたその声は、常人であれば畏敬に打たれることは間違いないだろう。しかしハルオはそれに構うことなく足を進める。
『言い換えましょう、
ぴたりと、その足が止まった。その全身が、びくりと硬直したのが分かる。
『私達がこの30年間、人類と関わるべきではないと理解しながらも交わり続けたのは、何より貴方の存在を確かめたかったからです。貴方とお会いしたかった。そう、全てはこの瞬間のためだけにありました。この会合も、元とは言えばその為だけのものです』
隠しきれない動揺は、しかし煮えたぎる情動に変わってハルオを突き動かした。凄まじい速度で振り返り、両の眼球を背後に浮かぶ妖精に向ける。
『どうか、異世界からの転生者――こことは異なる世界における”■■”だった人よ。どうか、私たちに教え――』
「何が聞きたい」
遮ったのは、低く響く太い声。
息苦しく澱むような、ハルオのその無表情。しかし鬱血するほど握りしめた拳と、むき出しの歯を見ればどういう情動を抱いているかは火を見るよりも明らかだ。
「もう一度聞くぞ、何が聞きたい」
答えによっては――。
一歩ずつ妖精たちに近づいていく。両者の視線が交差する。
ハルオは目を細めた。
握りしめたその拳を振り下ろし、肉塊にしてやることに一切の躊躇いはないという眼光だった。