ヴァイオレットの道行きークリム・アンデルセンの課題論文ー 作:あじたまんぼー
プロローグ
「…」
民を苦しめた大戦から既に100年が経ち、戦争の傷跡も数多の技術革新の下で隠れ、人々は先の大戦の記憶を忘れ去るには充分で、穏やかな時が流れている。
「…」
ここはライデン国立大学。ライデンシャフトリヒが誇る名門大学であり、数多くの研究者を輩出する学問機関である。そこのとある研究室で静かにうなだれている青年がいた。社会学部社会学科、バーリー=キャロル教授の研究室。ライデンシャフトリヒでも有名な社会学者で歴史学者である彼の門弟である、今回の主人公、クリム・アンデルセンは未だに決められずにいるゼミナールの論文の主題について悩ませている。そんな彼の前には、クリムの師であるバーリーが静かに紅茶を嗜んでいた。
「先生」
「なんだね?」
机に頭をこすりつけながら師に話す門弟に、師は茶菓子をつつきながら返した。
「これ決まってないの、マジで俺だけですか?」
「それは先週も聞いたな。」
「デスヨネー…」
静かに返す師の言葉に、再び机に頭をこすりつける門弟。彼が悩んでいる論文。二年生から三年に上がるために必要な必修科目だったりする。成績優秀で特待生となっているクリムだが、この論文で何を書こうかを決められずに残してしまったながれである。
「ライデン屈指の秀才がここまで悩むとは…何を悩んでいるのだね。」
「…正直、何を書いてもそつなくこなせる自信があります。ですが、この論文は来年の卒業論文、ひいては修士論文や後の研究に尾を引くと考えると、どうしてもやりたいことが多すぎて…」
ライデンが誇る秀才は、本気で研究をしたいものを選びかねているようだった。それを見かねたバーリーは、小さく息をついて、近くの本棚からとあるファイルを取り出して、それをクリムに渡した。
「これは…ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン…。ヒューマンドラマの?」
「そう、君のお姉さんが主人公の役をやっているもので間違いないよ。」
「史実を基にした作品とは聞いていましたが、とはいえ、このファイルの内容は?」
クリムは、ファイルめくりながらバーリーに聞く。
「私の祖母が、その原作の小説を書いた人でね。それは、実際に取材に行った時にヴァイオレット本人から聞いた彼女のこれまでの人生さ。それを私の父が纏めて家宝にしたものさ」
よく見ると、ヴァイオレットが歩んできた人生の略歴が書かれているようだった。
「そんな大事なものを、どうして俺に?」
浮かんだ疑問のまま、クリムはバーリーに聞く。バーリーは、それに
「ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンが歩んできた道を、君の眼で見てみてほしい。私も同じことをしたが、恥ずかしながら明確に感じ取ることが出来なかった。しかし、君なら。戦争を知る君ならばなにか見えるかもしれない。」
真剣な眼差しを向けて言った。そしてすぐにいつも見せる飄々とした表情になって、
「もうすぐ夏休みだろう。旅行気分で論文を書くのはなかなか乙だと思わないかい?」
と、からから笑いながら言った。
クリム・アンデルセン。二年生の課題論文の題名は「ヴァイオレットの道行き」。この質的調査は、クリムにとって人生の変わる程の体験になることをその時の彼は知る由もなかった。
こうして青年は、100年前の道へを歩むのであった