ヴァイオレットの道行きークリム・アンデルセンの課題論文ー 作:あじたまんぼー
ブーゲンビリアの花言葉は
ライデンを襲った大戦から100年。その百年は残念ながら、平穏ですぎることは無かった。大戦の後、各地で民族自決、ナショナリズムが隆盛し、ライデンシャフトリヒだけでなく、近隣の国だけではない。世界を巻き込んだ大戦争が始まる。また多くの人々が犠牲になった。終戦後もつかの間の平穏が訪れるが、その次にやってきたのが資本主義と社会主義との対立。世界大戦で使用された核兵器が使われるともいわれた次なる世界大戦と思われたが、社会主義陣営の崩壊によって冷戦は終結。ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンが生きていた時代から約100年。ようやく一時の平穏は訪れるも、世界は平和にならない。その後にやってきたのは列強たちのしがらみから解放された後の、民族と宗教間の表面化された対立である。
クリムとエドナが幼い頃の見たのは、そんな醜い
「おねえちゃん…」
「大丈夫…お姉ちゃんがついているから…大丈夫…」
幼い少年のクリムの手を引きながら、二歳年上の姉のエドナが気丈に笑いながら、歩く。彼らがいるのは戦場。ライデンシャフトリヒを襲った大戦でもなければ世界大戦でもない。はたまた、冷戦の間の小競り合いでもない。民族と民族が殴り合い、違う宗教同士で殺し合う先祖返りした醜い戦争。そこに大義も正義もなく、ただ延々と垂れ流される怨嗟と憎悪を生みだす生産性のない地獄。幼い二人が身を寄せながら歩いていたのは、そんな地獄の最大戦線、ダカールである。世界大戦と冷戦で疲れ切っていた世界各国が助けに行けるはずもなく、戦場にいる市民たちは無残に殺されるのを待つしかなかった。この地域は、多数の宗教の施設があったこともあり、宗教間の争いも激化。武器を持たない市民の中でも神の存在に否定的になる者もいた。
「大丈夫…大丈夫…だから…」
今尚近くで響く銃声。罵声を浴びせながら殴る音。幼き二人にしてみれば、この世の地獄とはこのことである。救いのない地獄にエドナも次第に涙を流しながら声を震わせる。本当ならば、二人を優しく抱きしめてくれる両親や優しい人々がいるはずだが、それも全て奪われた。目の前で両親が焼け果てた家屋の下敷きに、近所の隣人たちも、悪意によってすり潰された。
目の前で見せられた容赦無い悪意によって、二人の心は限界だった。泣き疲れて尚も涙を流し、声がかれて尚も嗚咽が喉を通り過ぎる。そんな二人の目の前に、
榴弾が迫っていた。
遠い記憶に苛まれるように、クリムは目を覚ました。息も上がり、汗でシーツも濡れていた。
「サイアク…」
これまでが、全て夢であるとわかった途端に、クリムはいつものような不機嫌そうな表情に戻って、直な意見を述べた。そして、シャツをめくり左脇腹に残る傷を眺める。その大きな傷跡は大規模な内戦が起きていたダカールで、逃げ回った末に榴弾の爆発に巻き込まれた時のもの。姉曰く「生きていたのが不思議なくらい大穴が空いていた」とのことだが、死の一歩手前で踏みとどまったらしい。あの戦場で、ライデンシャフトリヒ含めて救援をよこせる余力のあった国は非常に少なかったが、二人は運良く極東の島国「扶桑国」の医療部隊に回収されて一命を取り留めた。その後、難民を受け入れていたライデンに流れつき、そして劇団「ソレイユ」の総支配人であるフューリー・アンデルセンの養子となり、実の子のように接してくれた。しかし、あの紛争に関する記憶に関してだけは、彼にとっては思い出したくもない大きな傷跡なのだ。それが良い思い出でも、悪い思い出でも。
「蓋をしなけりゃ思い出してしまう。難儀だよなー。パソコンのデータのように消去できれば良いのに。」
「そんなことしたら、誤って消した時大変でしょ?」
汗をぬぐいながら呟くクリムに、心配したのか部屋まで様子を見に来たエドナが言葉を投げかける。表情こそ飄々としているが、その声音には心配の色が伺えた。
「珍しいわね。滅多に夢にうなされないアンタがそこまでになるなんて。…今日の目的地?」
「多分」
姉の心配を隅に追いやりながら、クリムは汗で濡れたシャツとタオルケットを纏めて着替える。姉も空気を読んで扉を閉めて続ける。
「ライデンシャフトリヒ陸軍…。その准将様の邸宅。あそこに行けば、映画や小説では見えなかった彼女の肖像が見えるかもしれない。でも、それ以上にアンタが一番嫌いなものを見ることになるのよ?」
「好き嫌いなく食べてきた俺が、何を嫌ってるってんだ?」
「戦争よ…」
エドナのその言葉を聞いて、支度をしている手を止めた。そして改めてわき腹の傷を見やる。
「俺たちは、あの戦場を無力に逃げ回った。逃げる前は、愛を教えてくれた父さんも母さんもいた。…もう微かにしか覚えていないけど」
「そうね。」
「彼女は、ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンはそもそもの親からの愛を受け取る前に、戦争の道具になった。」
「えぇ。」
「前に言っていた「似た境遇」ってやつだけど、決定的に俺達と彼女は違う。一つは、俺たちは逃げることしかできなかったこと。そして、親の愛というものを知っていたこと。教授に頼まれて始まったことだけど、この悪夢ではっきりわかったよ。親の愛、姉さんからもらった姉弟愛。それを当時から感じていた俺が、そもそも愛を知らなかったヴァイオレットの道を辿ることに意味があるんじゃないかなって。」
クリムは、そう言ってから支度を終わらせた後に扉を開ける。そこには、まだ弟離れが出来ずにいる心配性の姉が泣きそうな顔で立っていた。
「相変わらずの心配性だね。もうお互い酒を飲める歳でしょ?それに、俺は曲がりなりにもキャロル学派の一員だよ?今更戦争の話を聞いた所で倒れることは無いさ。」
そう言って、肩を震わせるエドナの頭を撫でた。
「最も、必要な事とはいえ、戦争の話を聞くのは嫌だし、覚悟はいるんだけどね…」
そして撫でたその手で軽く姉の頭をチョップしてから、
「今日オフでしょ?帰ったらサーモンのキッシュが食べたいな。」
にこやかに言ってから、クリムは降りた。
「…」
一人取り残された廊下で、エドナは佇んでいた。クリムが戦争の傷を抱えながら生きていること。そして、戦争を身近に置いていたからこそ話を聞くことすらも怖くてできなかった。それはエドナも同じこと。寧ろ、物心がしっかりしていた分、クリムよりも抱えているトラウマは大きい。だからこそ、悪夢でうなされていた弟を見て、毎晩弟を抱きながら泣いていた自分を思い出していた。そして時折思い浮かぶのだ。姉を守るために、榴弾を受け入れた弟の姿を。そして泣いてしまう。ヴァイオレットを演じていた新鋭の名女優の一人であるエドナがもつ致命的な心の弱み。クリムよりもそれに苛まれているのだ。
「…ったく、弟のくせに、ナマイキよ…」
それなのに、恩師の背中を追って走っていく弟を見た以上は、姉がこれ以上立ち止まってはいけない。そう思いなおして、瞳にたまっていた雫を拭ってそう呟いた。
「…住所は、ここでオッケー?」
家を出て一時間ほど。クリムは自慢のバイクを走らせて、街のはずれの屋敷の前に立っていた。生垣には美しいブーゲンビリアの花がクリムを出迎えていた。屋敷の入り口で少し深呼吸して、インターホンを押した。
「すみません、お邪魔します。ライデン国立大学社会学部社会学科二年生のクリム・アンデルセンです。エレン・ブーゲンビリア准将は予定通りにおられますでしょうか。」
戦乙女の生みの親であるブーゲンビリアの屋敷に踏み入れた。
花言葉:『情熱』『あなたは魅力に満ちている』『熱心』『あなたしか見えない』
まだ続きます