理由
事実なるものは存在しない。在るのは解釈だけだ。
――フリードリヒ=ヴィルヘルム・ニーチェ『権力への意志』より
弾丸の代わりに情報が、兵士の代わりにスパイが暗躍する諜報の世界。
出所も怪しい虚実不明の情報が、人と人の間を駆け巡ってゆくうちに、まるで小説のような物語を創り上げることがある。
あなたたちが好きな、伝説の英雄:BIGBOSSの冒険譚や、不可能を可能にする男:ソリッド=スネークの逸話、さらにはそのソリッドのミームを引き継いだサイボーグニンジャ:雷電の闘いも、そういった怪しげな情報が無数に積み重なるうちに語られるようになった物語だ。
そしてこれからわたしが枕話として語ろうと思っている、“顔のない亡霊”の噂も、そういった奇妙な話のひとつであった。
この怪談は第二次大戦からしばらく経った、東欧のある国で語られたものである。
本題に入る前に、その国の歴史を書いておかねばならない。
その国は、自らが選ぶ機会に恵まれない国であった。
たとえば1919年、革命により社会主義国家として独立しようとしたが、それから一年も経たぬうちに隣の強国:ルーマニアの介入を受けて政権が倒されてしまう。
さらにその後のルーマニアとの戦争で結ばれたトリアノン条約により、領土の3分の2を他国へ奪われてしまった。
1930年代に入り、ドイツとイタリアの後ろ盾によるウィーン裁定でルーマニアから北トランシルヴァニアなどを取り戻したが、今度はその代価として第二次大戦中に枢軸国へ引き込まれた。
大戦末期になって枢軸国の敗北が濃厚になると、その国は単独講和に乗り出そうとしたが指導者が失脚。
ファシズムに迎合した者たちによる白色テロ支配を受けることになる。
その後ソヴィエト連邦を首魁とする東側陣営がやってきてナチスを追い払ったものの、それが幸福な事態とは必ずしも言えなかった。
戦後もソヴィエト軍はその国に駐留し続け、政治の背後には常にソヴィエトの意向があった。
その国の人々からすれば、支配者がナチスからソヴィエトに変わっただけだったのだ。
そして1956年。
官僚政権による抑圧と搾取に対して、民衆が反発したことから事件は始まる。
大規模な抗議活動を起こした民衆を、政権や駐留のソヴィエト軍兵士たちは抑えることが出来なかった。
先に引き金を引いたのは秘密警察、つまり政権側だったという。
発砲を火蓋に、抗議活動は、権力と民衆の両者による武力衝突へと発展してゆく。
暴徒と化した民衆によって秘密警察へのリンチが行なわれ、人々は勢いに任せて、国内に駐留していたソヴィエト軍を追い出そうとした。
当然、宗主国ソヴィエトが黙っているはずもない。ソヴィエトは、民衆の行動を“ファシストによる反革命”と断じ、軍事力で捻じ伏せようとする。
この強引にも見えるソヴィエトの対応にも、事情がある。1953年のスターリンの死である。
スターリンの死後に発生したスターリン批判の流れを受けて、東側衛星諸国はかねてより鬱積していた不満を燻らせつつあった。
この情勢の中で生じた、その国の動きにも、ソヴィエトは強権的な態度にならざるを得なかった。
ソヴィエトとしては、主人に逆らうものがどうなるか、東側の世界へ見せつけてやらなければならなかったのだ。
たとえそれが、社会主義の正義にそむくものだったとしても。
引き起こされた結果は凄惨を極めた。
首都で繰り広げられた激しい市街戦と、制圧と殺戮。舞い戻ったソヴィエト軍を後ろ盾とした秘密警察による報復。
民衆の組織的行動は、主要メンバーが次々と処刑されたことで骨抜きにされ、官僚政権はより強大になって復活を遂げた。
難民となり世界中へ散っていった国民は、数万にも及んだという。
その国を舞台に繰り広げられたこの血みどろの事件は『1956年の革命』、あるいは『ハンガリー動乱』と呼ばれている。
件の、“顔のない亡霊”が出没するようになったのは、その動乱の最中だった。
最初の犠牲者はハンガリー人だった。
当時のハンガリー人としては裕福に暮らしていたはずの健康な中年の男が、橋の上から転落死した。
遺体を調べた医者たちは首をかしげたらしい。なぜなら男は、橋から落ちるより前に事切れていたからだ。
中年太り以外には持病もなく、脳卒中の気配もない。突然に心臓が停まったとしか言い様がなかったが、もちろん心臓に持病などもっていなかった。
この男について特筆することがあるとすれば、第二次大戦末期からソヴィエト軍に通じて諜報活動を行なっていた、などという真偽も出処も怪しい噂があったことだった。
決して豊かではないハンガリーの経済状況の中でもこの男が贅沢に暮らしていられるのは、それを飯の種として政府高官相手に恐喝を行なっていたからではないか。そんな噂が僻み混じりに囁かれていた。
司法解剖を経ても男の死因ははっきりせず、検死報告書には“急性の心不全”とだけ書かれて処理された。
この突然死を皮切りに、ハンガリーを拠点として暗躍していた諜報員や軍関係者、現地の兵士たちが、あらゆる勢力を問わず奇怪な死や失踪を遂げていった。
突然の卒中、心不全、事故死、失踪。ハンガリー国内で吹き荒れた民衆と秘密警察の報復合戦に乗じて、人間が理由もないまま次々と消えていった。
噂によれば、これら一連の出来事すべてが“顔のない亡霊”による殺人だというのだ。
怪死や不審な失踪があまりにも続いたため、ハンガリーの秘密警察はおろか、ソヴィエトの諜報機関までもがこの“亡霊”の調査に乗り出したという、嘘か本当かわからない話もあった。
ソヴィエトの動向はさておき。
噂は人々の口から口へと伝えられ、語り手となった人々の不安を糧とするように、噂の中の亡霊はますます正体のつかないものへと変貌していった。
東欧で活動していた各国の諜報員は、この“亡霊”への恐怖で震え上がったという。
その亡霊の顔だけは決して見てはならない。その亡霊の顔には、見た者の死相が映るからだ。そんな風に人々は噂した。
“顔のない亡霊”の都市伝説は、真相もわからぬまま月日を経て、1960年代に入る頃には完全に忘れ去られた。
・・・・・・
以下は、一本のカセットテープの要約および抜粋である。
基となったテープがいつ、どのようにして録音されたのかは定かではないが、前後の内容から鑑みるに時期は前世紀の米ソ冷戦期の中頃、捕虜を尋問している最中における尋問者の
テープは、しわがれた男の語りから始まっている。
「……わたしの村には、
「わたしは毎日ともだちと、親たちが働くその工場に行っていた」
「わたしに在るのはその場所だけ。世界はひとつだった……」
「……ある日、遠くの空から、爆撃機の音が近づいてきた」
「爆弾は工場に墜ちた。敵のスパイが『この村で兵器を造っている』と喋ったのだ」
「工場は燃え、わたしたちは外を目指した」
「そのヒトたちで、工場の出口は塞がった」
「『あつい』『あつい』」
「大人たちの脚を掻き分けて前に進もうとしたが、腹を蹴られて床に倒れた」
「わたしは、あの人たちが燃えた煙を、身体中に吸い込んだ」
「家族を呼ぶわたしに、燃えた油が降り注いだ」
「わたしの名前が聞こえた……それも、聞こえなくなった」
「運ばれた病院で、わたしを看ていた看護婦は、毎日のように廊下で言っていた」
「『ころして あげた ほう が いい』」
「これが、わたしが思い出せる最後の母国語。わたしが生まれた村の“ことば”だ」
「村は外国人に占領され、わたしは、わたしに残った最後のわたし、」
「“ことば”を奪われた」
「油を浴びた わたしの皮は、なにかをまともに感じることがなくなった」
「他国に捕まり、この顔をまた拷問に焼かれても。わたしは、未だにあの工場で焼かれている」
「煮え滾った菜種油を全身にかぶっているこの痛みだけが、今でも感じることができる唯一の、」
「わたしがここにいる“世界との接点”だッ……!」
「……ふふ。あの売国奴どもの言うとおりだった」
「そう。わたしたちは兵器を造っていた」
「戦場から運ばれてくるライフルの山を直しては、また戦場へ送り返していたんだ」
「祖国の勝利のために」
「いや、」
「わたしたちが暮らしていた、あの小さな、
「……わたしは死ぬわけにいかなかった」
「なぜなら わたしは、もうこの世にいないあの人たちの、最後の希望だからだ」
「このわたしが何も成し得なければ、あの人たちの“遺志”さえ、この世から消えてしまう」
(布の覆面を剥ぎ取るような、衣擦れの音)
「……さあ、どうだ。わたしが見えるか」
「さあ、言ってみろ。何に見える」
「ん? 貴様の目の前に、何が見える」
「……ふふ、んふふふ。そうだ」
「そう。
「これがわたしだ。顔を喪くしたこの髑髏が、わたし自身だ」
「わたしの決意表明、わたしたちの証しだ!」
「国も、ことばも、顔も喪ったが、」
「この髑髏だけはまだ喪ってはいない……」
「だから、わたしは自分に課した」
「わたしは、このされこうべを掲げて生きてゆく」
「その為の痛みや努力には、一切の救済も成果もない」
「決して報われることはない」
「それでも、わかっていても、わたしは……」
「『在りもしない希望を見据えて、この灼熱の世界を進むのだ』と」