「……そうだ。おれたちは地獄へ堕ちる」
「しかし、おれたちに ここ以上の居場所があるか」
「ここはおれたちにとっては唯一無二の家」
「天国でもあり、地獄でもある」
「それが、おれたちの、」
「OUTER HEAVENだ」
――『国境なき軍隊』におけるBIGBOSSの演説
:1977年、キプロスのある病院にて
かつてゼロと呼ばれた老人はその日、入院している古い友人を訪ねた。
友人の名前はジャック、BIGBOSSの称号を持つ男。
今、BIGBOSSは、ゼロが手配した病院の一室で深い昏睡状態となり眠り続けている。
1975年、スカルフェイスのXOFが引き起こした『カリブの虐殺』で、『国境なき軍隊』の本拠地マザーベースを破壊されて逃げ場を失ったBIGBOSSを救い出したのは、なんとCIPHERの首領であるゼロだった。
ゼロの制御から外れて暴走し始めたスカルフェイスの毒牙から、BIGBOSSを匿う隠れ家として、ゼロは地中海キプロス島にあるイギリス海外領土のデケリアを選んだ。
ゼロの母国でもあるイギリスは、CIPHERが牛耳るアメリカにとっても同盟国だ。
まさか身内のイギリスがお尋ね者のBIGBOSSを匿っているとは、流石のスカルフェイスも思うまいし、気付いたところでそう易々と手を出せやしないだろう。
すこし二人にしてくれ、と人払いを済ませると、ゼロはBIGBOSSの枕元で語り始めた。
「ジャック、聞こえるか。いいところだろう」
スカルフェイスの人間爆弾で傷を負い、このキプロスの病院へと運び込まれてからもう2年ほど経つが、主治医の話によればBIGBOSSは一度も目を覚ましたことがないらしい。
ゼロの眼前で眠っているBIGBOSSの寝顔は、長いあいだ最前線で銃を握り続けた男とは思えないほど安らかだった。
「君を連れてくるのに苦労した。ここが見つかることはまずないが、一応、オセロットにも見張りを頼んでおいた。彼が一緒なら君も安心だろ?」
一方、ゼロがBIGBOSSへ向ける眼差しも優しい。
安らかに眠り続ける男に対し、まるで旧くからの親友であるかのように微笑みかける老人。
この病室に流れる時間は、暖かな春の日差しのように穏やかなものだった。これが世界を股に駆けていがみあう者同士の対面だと、はたして誰が思うだろうか。
「私は来ないつもりだったんだが……最後になるかもしれんのでな」
こうなるまで、君は会ってくれなかったからな。ゼロの呟きには強い自嘲が込められていた。どうしてこうなるまで会えなかったのだろう、君とはかつて親友同士だったのに。
「君を見舞うのは、あの時以来か。私達FOXの初任務で、君はザ・ボスに投げられてその腕を折られたんだったな」
それはジャックがBIGBOSSとなるよりも前、特殊部隊FOXの初陣となった『貞淑なる任務:ヴァーチャスミッション』での出来事だ。
かねてよりCIA上層部に対して含むところのあったゼロは、古くからの戦友だったザ・ボスと共に単独潜入任務に特化した特殊部隊FOXを立ち上げ、その能力を認めさせるためにヴァーチャスミッションを実行に移した。
“あるソヴィエト連邦の科学者の亡命を幇助する”という、FOXの栄光ある初任務は、FOXの共同創設者であったはずのザ・ボスの裏切りによって、無残な結果に終わった。
スネークの暗号名を与えられたジャックはザ・ボスによって散々叩きのめされ、ミッションのターゲットであった科学者はGRUのヴォルギン大佐に攫われ、その挙句に冷戦構造のバランスさえも崩して第三次世界大戦の危機を招き、あの忌まわしい『スネークイーター作戦』を引き起こした。
ゼロの母国、イギリスには“一石二鳥”という諺がある。
思えば、あのヴァーチャスミッションとスネークイーター作戦は、CIAとその背後にいた『賢者達』にとっての石だった。
CIAにとって目障りになりつつあった英雄ザ・ボスを抹殺し、CIAに反抗的なゼロを失脚させ、当時権力を失いつつあったソヴィエト連邦のフルシチョフにも恩を売り、さらには東側陣営が持つ『賢者の遺産』をも手に入れる。
奴らはあの一石で、何羽の鳥を落とそうとしたのだろう。
「……あの頃、私はね。君に黙っていたことがある」
ゼロはBIGBOSSに対しても多くの隠し事をしていたが、そのうちのひとつが『カリブの虐殺』を招き、結果BIGBOSSから多くのものを奪ってしまった。
その責任は果たさなければならない。
「あの頃、私はFOXの他に、ザ・ボスも知らない非正規の部隊を持っていた。それを昔からの副官に任せていたんだ。それがいけなかったのか、あの男になにかされたようだ。おかげでどうも……」
私もここを患ってね、とゼロは自らの頭を指した。
「どうもダメらしい。物忘れは君も知るとおり、まあ、前からだし。今はまだいいんだが、どうも、だんだん、そうなるらしい」
さっさと起きてくれないと君のこともわからなくなるぞ、と軽やかに笑う表情とは裏腹に、ゼロの病状は深刻そのものだった。
1976年にスカルフェイスが送りつけてきた毒蟲は、年老いて弱ったゼロの頭脳に致命的なダメージを与えた。
すぐさま胃洗浄、最新鋭の医療施設へ身柄を移して血液透析まで行なったものの、解毒はおろか蟲の種類の特定さえできなかった。
あのときスカルフェイスは『少し猶予を残してある』と言っていたが、今のゼロにどれだけの時間が残されているのか、それすらもわからない。
「……私のことはいい。だが君に、あの“顔のない男”がしでかしたことを許すわけにはいかん。彼は、アフリカに飛ばしたよ。もうアメリカに帰って来ることはないだろう」
近頃のゼロは、静かに眠って過ごすことが多くなった。
立って歩くことが出来なくなって、車椅子に頼るようになったのを皮切りに、物を持とうとして手がもつれたり、物事を整理しようとしても頭に靄がかかったようで考えがまとまらず癇癪を起こしたり。
今こうしてBIGBOSSに話しかけることさえ、なかなか言葉が出てこなくて酷く苦労している。人間としてのゼロの意識が、終わってしまう日が近づいてきているのだろう。
「ジャック。君のその、ちょっとした休憩が終わったら、いつのことかわからんが、その時はもう私は此処にいないだろう」
自分が完全に終わってしまう前に、できるだけのことはすべて終わらせてきたつもりだ。
CIPHERの完成形『愛国者達』については、もうひとりの腹心アンダーソンに任せてあるし、その為に重要な遺伝子の研究も、スネークイーター作戦以来の友人:クラーク博士が進めている。
あとはジャック、君が目覚めてくれればいい。
「君にも見つけられないところにいる。ただ機械の中に、墓石みたいに、私の場所を刻んでおこう」
ゼロはこの後の自身の身柄を『愛国者達』に預けるつもりだった。
脳の病状が進んで廃人になったゼロは、『愛国者達』の采配によって身辺の記録をすべて抹消され、身元不明患者:ジョン・ドゥとして世界中の医療施設を転々と彷徨い続けることになるだろう。
その正体と正確な座標を把握できるのは、ゼロが創った『愛国者達』の中枢だけ。
どこまでも責任感が強く、そしてどこまでも他人を信じられないゼロは、自分が壊れてからのことでさえ、誰かに任せることが出来なかったのだ。
「……友よ。ふ、ふふふふ……どっちが、先だろうな? どっちが……」
ゼロと呼ばれたこの老人、本名デイビッド=オウの消息は、この病院におけるBIGBOSSとの面会を最後に途絶えている。
スカルフェイスに襲われたゼロは、大規模な情報操作を行なって行方を晦ました。
以降、BIGBOSSに発見されるまでの40年近くものあいだ、誰もゼロの所在を見つけ出すことが出来なかった。
:197x年 無意識と意識の狭間で
おれは、夢を見ている。おれがおれであるという意識が、消え去る前に見た光景。
その夢の中では、BIGBOSSの相棒:カズヒラ=ミラーが、おれを呼んでいた。
「死ぬな、BOSS!」
その時、おれは死にかけていた。おれの周囲で医者たちが、意識不明のおれに救命処置を施している。
カリブ海にあった おれたちの家、『国境なき軍隊』のマザーベースは、CIPHERの実行部隊の奇襲攻撃を受けてあっけなく瓦解した。
多くの仲間を犠牲にしながら、崩れ落ちるマザーベースから脱出することに成功したおれたちだったが、CIPHERの悪意から逃げ切ることは出来なかった。
おれがキャンプ・オメガから救い出した女:パスは、CIPHERの手で人間爆弾に作り変えられていた。
パスの体内に仕込まれたプラスチック爆弾による爆発と、それに伴うヘリの追突で、おれたちを載せたヘリは墜落。
それでもなんとか生き延びた おれたちは、瀕死の重傷を負ってコロンビアの民間病院へと運び込まれた。
「血圧、低下しています!」「挿管、はやく!」「急げ、手遅れになるぞ!」
医師たちが慌しく、そして懸命に、死にかけのおれを救おうとしている。
「Arrest! 心室細動だ!」
医者のひとりがおれの服を裂き、胸元を開いて、電極を押し当てる。
クリア! 医師の掛け声と共に、おれの胸を強烈な電気が駆け抜け、身体がのたうつ。
心電計の電子音が伝えてくるところでは、おれの心臓は小刻みに震えながら、止まりかけていているらしい。
このままだと、おれは呼吸が出来ずに死ぬ。それでもおれを死なせはしないと、医師は必死に死神と闘い続けていた。
「ダメだ、もういちど!」「クリア!」
おれの身体がふたたび跳ね、叩き込まれた電気ショックが、勝手にくたばろうとしているおれの心臓を叩き起こそうとする。
電気ショックをぶち込む、胸骨を押す、薬を打つ。それを幾度も繰り返す。
医師たちの苦闘のおかげだろうか。おれに繋がれた心電計の電子音のリズムがぴっ、ぴっ、と規則正しさを取り戻し、おれの心臓がようやく生き返ったことを報せた。
しかし、心臓が再び動き出したのに、おれの意識は戻らない。隣に寝かされているミラーが、おれの状態を医師へ尋ねた。
「どう、なって、いる……?」
ミラーの顔は血みどろだった。
ミラー、いや、カズ。今のおまえは、おれの心配などしている場合じゃない。爆発の直撃こそ受けなかったが、ヘリの墜落でミラーも深手を負っていた。
カズ、おまえこそ、いまこの場で意識を失ってもおかしくないんだ。おまえこそ寝てろ。
興奮状態のまま、医者たちを怒鳴り続けているカズに、そう言ってやりたかったが、今のおれには出来ない相談だった。
医者は、伝えるべきかどうか逡巡しつつ、ミラーにおれの現状を教えた。
「心拍は回復しましたが、蘇生までの時間が長かったので……未だ昏睡状態です……」
意識がないとはいえ、とりあえずおれは死ななかった。最低ではあるが、最悪の状態ではない。
大切な相棒が死線を乗り越え、生命の窮地を脱したことで、緊張が解けたカズは安堵したように息をつく。
そしてカズは、眠っているBIGBOSSの向こうから、こちらを見た。
眠っているBIGBOSSを挟んで、おれとカズの視線が重なる。
「……そっちは?」
カズに言われた医者たちが、ようやく こちらの方を見る。
医者は、先ほどBIGBOSSの心拍を取り戻したときよりも、輪をかけて言い辛そうな様子で、ミラーに言った。
「頭部に、骨の破片が……刺さっていて……全身に破片が……右目を……左腕も……――」
ああ、もう、限界だ。
医者とミラーの会話を背景に聞きながら、おれの身体から力が抜けてゆき、意識と記憶が暗転して、無意識の闇へと落ちてゆく。
せっかく助けた男が目を閉じようとしているのに気付いた医者たちが慌て始めているが、心配するな、死ぬわけじゃない。ただ、少し眠るだけ。
昏睡に向かう意識の最後のまたたきで、おれは思った。
あそこで眠っているBIGBOSSがおれなら、それを見ている“このおれ”は、いったい、だれなんだ。
1975年の『カリブの虐殺』で重傷を負ったBIGBOSSは、それから9年もの昏睡状態を経て、1984年に見事復活を遂げた。
九年ぶりの昏睡から目覚めたBIGBOSSは、喪った左腕を機械に置き換え、ミラーが立ち上げた新たな組織『ダイアモンド・ドッグズ』へと復帰、伝説を取り戻す闘いに挑んでゆく。
復活したBIGBOSSの新たな物語は、小説『白鯨』をなぞらえていた。
『白鯨』に出てくる船長“エイハブ”の名を符丁として背負い、ダイアモンド・ドッグズという捕鯨船に乗り込んで、かつて自身からすべてを奪ったモヴィディック:CIPHERに向かって血みどろの報復戦を挑むことになる。
報復の鬼と化した彼を見た人々は、こう呼んだ。罰せられた猛毒の蛇、ヴェノムスネークと。
粗忽長屋。