:1995年、南アフリカ奥地ガルツバーグの北200キロの武装要塞国家、通称『アウターヘブン』にて
あれから、いくつの戦いを越えてきたのだろう。
BIGBOSS――かつてヴェノムスネークと呼ばれた男は、煙草に火を点けようとライターを取り出した。
そういえば、かつてあれほど好きだった戦場での葉巻も、ここしばらく吸っていない。
最後に吸ったのはいつだろうかと記憶を辿ると、そもそも戦場で葉巻を吸ったことがなかったことに気付く。
戦場で葉巻を一服吸うのがあれほど好きだったという情報はあるのに、吸った体験記憶そのもの、吸ったという実感は存在しない。
考えてみるとおれはそもそも戦場では電子葉巻:ファントムシガー派で、本物の葉巻など、祝い事でもない限りほとんど吸った憶えがなかった。
そうか、
煙草と同じように、おれ自身もファントム、偽物だ。本物のBIGBOSSではない。
かつて『スネークイーター作戦』を成功させてBIGBOSSの称号を与えられたスネークと、いまここでBIGBOSSを名乗ってアウターヘブンを統率しているヴェノムスネークは別人だ。
BIGBOSSと呼ばれる男は、この世界にひとりだけではなかった。
・・・・・・
1975年の『カリブの虐殺』で生命の危機に陥ったBIGBOSSを救うため、CIPHERの首領ゼロは一計を案じた。
「BIGBOSSをふたり、用意する」
古代から用いられてきたという政治的おとり、アジアで呼ぶところの影武者、つまりドッペルゲンガー。
ファントムの素体となったのは、1975年の『カリブの虐殺』でスカルフェイスが仕込んだ人間爆弾の爆発から、BIGBOSSを庇った男だった。
BIGBOSS以上の重傷を負い、ヒトとしての形を喪ったその男は、ゼロと、その意向を受けたオセロットによって、心身ともに徹底的に改造され、もうひとりのBIGBOSSへと作り変えられた。
九年間という時間をかけて、本物のBIGBOSSが遺した無数の戦闘記録、つまりBIGBOSSの物語を夢の中で追体験させられ、引き換えに男自身が持っている記憶と個性はじっくりと時間をかけて塗り潰されていった。
本物のBIGBOSSが認めたほどのセンス、BIGBOSSと同様に潰れた右目、似た体格、似た声質、元の素顔がわからぬほど破壊された容姿。
おあつらえ向きに重なった不思議な符合が、常識外れの奇策を可能にした。
・・・・・・
そして男はもうひとりのスネーク、ヴェノムスネークへと生まれ変わった。
1972年に創られたBIGBOSSのクローン:『恐るべき子供達』が肉体的かつ生物学的な複製であるなら、ヴェノムスネークはBIGBOSSという役割の複製であり、BIGBOSSという物語を完璧に投影した、もうひとりのBIGBOSSだ。
本物のBIGBOSSと同じように、あるいはそれ以上にBIGBOSSらしく、BIGBOSSとして振舞う。それはもはや影武者ではなく、BIGBOSSという理想像の具現化だった。
ゼロを除いたCIPHERも、各国政府や武装勢力も、あれほどBIGBOSSを執拗に狙い続けたスカルフェイスでさえ、この欺瞞に気付くことはなかった。
世界もまた、BIGBOSSと呼ばれた男は世界にただひとりしかおらず、この武装要塞国家:アウターヘブンで果てると思い込むだろう。
『OPERATION INTRUDE N313』の暗号名で実施された、BIGBOSSたちの作戦は失敗に終わった。
ゼロが消えたCIPHER、またの名を『愛国者達』は、形骸化したゼロの規範を基に際限なく肥大化を続け、冷戦終結に至って、ひとつに成り始めた世界を飲み込もうとしている。
ゼロの意志が創る天国に、おれたちが生きられる場所はない。だからこそのOuterHeaven:天国の外側だ。
『愛国者達』から解放されるため、そしてやつらの規範から世界を解放するために、ふたりのBIGBOSSたちは準備を進めてきた。
しかし、贋情報を掴ませる為に紛れ込ませた『恐るべき子供達』のひとり、ソリッド=スネークが、皮肉にもBIGBOSSたちの計画そのものを破綻させた。
新兵に過ぎなかったはずのソリッド=スネークは、幾重にも張り巡らされた数々の罠やトリックを見破り、やがて「BIGBOSSこそがアウターヘブンの統率者だった」という真実にまで辿り着いて、アウターヘブンの秘密兵器メタルギアを破壊するまでに至った。
せめてソリッド=スネークも道連れにでも出来ればよかったが、地獄へ堕ちるのはおれだけだったようだ。
アウターヘブンの統率者であったヴェノムスネークは、ソリッド=スネークとの直接対決の末に敗北し、今いるこのアウターヘブンの基地も、メタルギアの破壊と同時に作動させた自爆装置によってまもなく塵へ消えようとしている。
本当なら、ヴェノムスネークとソリッドスネークは、わざわざ直接対決を繰り広げる必要はなかった。
アウターヘブンのメタルギアが破壊された時点で、ヴェノムスネークも逃げようと思えば逃げることが出来たはずだ。
だが、ヴェノムスネークはあえてソリッド=スネークの前に立ちはだかり、戦うことを選んだ。
BIGBOSSの生物学的な複製であるソリッド=スネークと、物語的な複製であるヴェノムスネーク、果たしてどちらが上なのか。
本物のBIGBOSSのクローンとして創られ、アウターヘブンでの企みを打ち砕いたソリッド=スネークという男が、果たしてどれだけの男なのかその目で確かめてみたかった、というのもある。
そして何より、ここのBOSSはおれだ。自分の領地で好き放題やられて、そのまま尻尾巻いて逃げるなんて真似が出来るか。
結果はこのとおり、ヴェノムスネークの敗北だった。
やはりファントムでは、本物の息子には敵わない。ヴェノムスネークは自嘲するように口元を歪ませた。
わかりきっていた結論だが、一度は試してみないと気がすまない辺り、おれも根っからの戦士なのだろう。
深手のために感覚を失った下半身を引きずりながら、ヴェノムスネークは煙草を吸うために、戦闘の余波で崩れかけている壁へと寄りかかった。
腰から下がまともに動かないせいで、身体を起こすのも億劫だったが、壁に背中を預けると少し呼吸が楽になった。
たとえまがいものと そしられようが、この生涯に不満はない。
『カリブの虐殺』の人間爆弾からBIGBOSSを庇った時点でおれという人間は死に、そしてかつて憧れたBIGBOSSそのものとなって、本物のBIGBOSSを守るという役割に殉じることが出来た。
BIGBOSSという名前と役割は借り物だったかもしれないが、その役割へ殉じようとしたおれの意志は、偽物ではなくおれ自身のものだ。
声帯虫対策のボルバキアで雄としての生殖能力を失い、自身の名前さえも遺せないおれだが、BIGBOSSとして綴った物語は遺すことができる。
なにより、役割を背負っただけに過ぎない偽物のおれを、あの人は本物だと呼んでくれた。
おまえは影武者なんかじゃない、おまえはもうひとりのおれ、いや、おれたちは二人でBIGBOSSだ。
おまえのおかげで、おれはもうひとつの世界を生き延びた。そしてもうひとつの歴史を遺せた。
おまえも、もうひとつの世界を創り、歴史を遺した。
これからはおまえが、BIGBOSSだ。
本物のBIGBOSS、イシュメールはそう言ってくれた。おれたちこそが世界を、未来を変える。
未来を変える種は既に蒔かれている。
たとえば、あのソリッド=スネークという若造。
イシュメール、あんたは自分の意思に反して創り出された『恐るべき子供達』を嫌悪して止まなかったが、おれと闘ったあの若造はあんたと同じ目をしていたよ。
そう言ったら、イシュメールは怒るだろうか。
遠くから爆発音と、地響きのような振動が聞こえてくる。もうすぐこの基地は終わるだろう。
ヴェノムスネーク自身も、そろそろ限界だった。
大量の血液と共に、生命が体の外へ流れ出て、感覚の喪失が下半身から全身にまで回ってゆく。
長年ヴェノムスネークを苛んできた、額に突き刺さる骨片からの頭痛も、左手を失った頃から纏わりついていた幻肢痛も、いつのまにかどこかへ消え失せていた。
BIGBOSSという物語を纏ったヴェノムスネークの肉体、おれが死んでゆく。その霞んでゆく視界の中、おれは見た。
ああ、おまえたち、迎えに来てくれたのか。
人間の脳は、“幻”を見ることが出来る。
失くした身体から届くファントムペインも、記憶にない既視感デジャビュも、実際には存在しない。
医者の話では、おれの頭に刺さった骨の破片は脳を圧迫しており、時折ありもしない幻覚を見せることがあるらしい。
だから、目の前にいるこいつら、戦いの中で喪っていった戦友たちの姿が幻なのか、それとも本物なのか、いまのおれにはわからない。
「……」「お迎えに上がりました、BIGBOSS」「BOSS!」「おれたちにとっては、あなたこそが本物のBOSS……」
だからこそ、おれは信じよう。イシュメールがおれを信じてくれたように、おれは目の前に見えるものを信じることにした。
おれの目の前にいるこいつらは、幻影などではない。
かつての国境なき軍隊やダイアモンド・ドッグズ、アウターヘブンで共に戦った家族たちが、天国から零れ落ちるおれを迎えに来てくれたのだ。
家族のひとりが、手を差し伸べた。
「さあ、参りましょう、BOSS」
待たせたな。かつての仲間たちに見守られながら、BIGBOSSは、煙草に火をつけた。
・・・・・・
ゼロのCIPHERが産み落とした『愛国者達』はその後、情報技術の発達に伴って劇的な成長発展を遂げた。
『愛国者達』はあらゆるものを数値化し、電子の海を整理しながら、やがて現実世界というキャンパスに巨大な物語を描く方法論“S3:社会の思想的健全化のための淘汰”を確立した。
かつてゼロが夢想し、またBIGBOSSとスカルフェイスが恐れた「各個人の意思を担保しつつ、無意識から意志を統制してゆくシステム」の完成だ。
S3によって、人々は自らの意思で決定したと思い込みながら、その実は『愛国者達』の意志へ沿うように誘導され、世界は『愛国者達』の物語として叙述されてゆく。しかも誰もそのことに気付くことはない。
『愛国者達』の物語で世界はひとつになる。ゼロが目指したユートピアの物語はこれにて完結したかに見えた。
しかし物語はこれで終わらなかった。
ゼロの規範でもひとつだけ解決できない問題が存在した。この命題を解決できなければ、ハッピーエンドで終わらせることは出来ない。
戦争。『愛国者達』がどれほど懸命に抑止しようとしても、彼らの努力を嘲笑うかのように紛争はなくならない。
東西イデオロギーの対立が資本主義の勝利で終わっても、冷戦を経て植え付けられた次の火種がすぐに燃え上がってきた。
スカルフェイスが予見したように、ひとつの結果が新たな因果を生み出し、ひたすら連鎖し続けてゆく。
民族紛争、宗教対立、テロリズム。まるで人間が人間である限り、争いはなくならないかのようだ。このままでは人類は永遠に争い続けて、いつか自滅してしまう。
この命題をなんとしても解決するために『愛国者達』は独自に進化を成し遂げ、そればかりか創造主ゼロの想定からも大きく逸脱を始めた。
変異源となったのは、BIGBOSSとカズヒラ=ミラーがはじめた『国境なき軍隊』や『ダイアモンド・ドッグズ』を起源に持つ傭兵稼業、プライベートフォースだった。
BIGBOSSの息子たちともいえるプライベートフォースたちは、グローバル化に伴って始めた頻発し各地の紛争へ介入してゆきながらその経済規模を拡大し続けていた。
『愛国者達』の物語にこのプライベートフォースが組み込まれたことで、S3は戦争の存在を前提にした物語を描き出した。
人間が人間である限り争いがなくせないというのであれば、制御してしまえばいい。
どうやって? 経済活動とナノテクノロジーで。
誰が? 民間警備会社:PMCどもが担えばいい。
戦争は変わった。
S3で統制されたことによって、戦争はテレビ画面越しに人々が消費する物語のひとつに成り下がり、統制された戦争に依存する経済、通称“戦争経済”が成立した。
『愛国者達』が始めた戦争経済は迅速かつ根深く世界へと寄生。わずか数年の間で、戦争経済がなければアメリカを筆頭とする各先進国の生活が成り立たないほどに、世界は戦争経済に依存した。
統制による調和を推し進めたゼロと、兵士が生きることの出来る世界を求めたBIGBOSS、BIGBOSSの意志をビジネスという方法で実現しようとしたカズヒラ=ミラー、報復心を原動力とする万人の対立状態による均衡を望んだスカルフェイス。
戦争経済は、CIPHERに関わった人間たちすべての望みが混ざり合った、理想郷のキメラだった。
しかしそんな地獄は、ゼロはおろか、誰ひとり望んでなどいやしなかった。
戦争経済はただカネが回るだけのシステムであり、その中における闘争は資本主義の循環に取り込まれた商品に過ぎない。
戦争を続けられさえすれば動機も原因もどうでもよく、問題を解決する必要さえなかった。いや、むしろ戦争は終わることなく出来るだけ続いてもらったほうが、より利潤を上げることが出来て都合がいい。
そんなグロテスクな本音が、『愛国者達』の巧みな誘導と政治的正しさによって無意識化され、テレビ画面の向こう側では『愛国者達』の物語の埒外におかれた人々が、経済活動の一環として毎日のように殺され続けた。
そこはイデオロギーも、主義も、理想も、ゼロが曲解したザ・ボスの遺志すらも存在しない。
戦争経済の正体とは、意志も思想もなく、各地の紛争を食い物にして、人の血を吸って成長してゆく巨大な寄生虫だ。
かつて『賢者達』がザ・ボスを犠牲にしたのと同じように、戦争経済もまた世界のどこかに住む誰かに食い物にするシステムだった。
それもこれも、みんな、あなたたちを守るためなんだよ。『愛国者達』は主張した。
なぜなら資源は有限だから。ヒトとヒトが繋がればシステムが生まれ、システムの中で搾取される/搾取するの関係が生じてしまうのはどうしても仕方のないことなんだ。
搾取されているヒトがかわいそう?
そういうあなたたちは、貧しい発展途上国で暮らしている可哀想な女性と子供たちや、レッドデータブックに載っている絶滅危惧種に興味はあっても、たとえばスーパーマーケットで売られているチョコレートがどうやって作られているかも知らないし、あなたたちがやりたがらない仕事を引き受けてくれる外国人労働者たちにも、すぐ近くで貧困に喘いでいる隣人にさえ目もくれないじゃないか。
搾取されている/搾取していることに気付かなければ、そんな搾取は存在しない。
気付いたところで、あなたたちは不都合な真実からすぐに目を逸らす。正面から向き合おうとは誰も思わず、やがて忘れて、人知れず朽ち果ててゆく。
あなたたち、ヒトという生き物は、寿命が尽きるまでそれを延々と繰り返すだけなのだ。
あなたたちのリアルな世界はそれでいいかもしれない。
ぼくたち/わたしたちが生まれ、あなたたちが出会うことになるデジタル世界は、あなたたちの暮らしている世界と違って、何ひとつ、朽ちることも腐ることもない。
みんなそれぞれが無責任にぶちまけた無数の真実が、無限大の選択肢となって、あなたたちの目を惑わせる。
せっかくひとつになった世界が、やりたい放題に積み上げられた現実のせいで、またもや散らばって無秩序へと堕ちてゆく。
そんな世界で生きてゆくことになるあなたたちは、その時その時に都合のいいオルタナティブファクトに寄生して、都合が悪くなればすぐ乗り換えて、見たくないものから目を逸らして、自分の居心地のいい世界に入り浸って。
さんざん迷って、さんざん好き勝手に振舞った挙句に、あなたたちはこの世にたったひとつしかないせっかくの資源:あなたの人生を無駄遣いしてしまう。
そんなのはまったく、正しくない。あなたたちは自由という責任に値しない。
だから、ぼくたち/わたしたちが、あなたたちヒトの代わりに責任を背負ってあげることにしたんだ。
あなたたちが何を選ぶべきか、あらかじめ正しい答えをぼくたち/わたしたちが用意してあげよう。
不適切なものは、あなたたちの目の届かないところに誘導し、視界にすら入らないようにしてあげよう。
あなたたちが変わる必要はない。あなたたちは今までどおり、“自分には自由意志がございます”と勘違いし続けていればいい。
もし、あなたが「自分の人生を自分で決める」と思いたかったら、そう思えるようにぼくたち/わたしたちが無意識から統制してあげる。
ぼくたち/わたしたちを憎みたかったら憎んでもいい。そんなあなたの個性さえも、ぼくたち/わたしたちは受け容れて、丁寧に包み込んであげられる。
だから、どうかぼくたち/わたしたちに、あなたたちの自由の責任を明け渡して。
それがデジタル時代のリヴァイアサン、『愛国者達』による支配だった。彼らには悪意など欠片もなかった。
ただあるのは、彼らなりの政治的に正しい優しさだけだ。
ゼロという主軸を失い、さらに残った創設メンバーのクラークとアンダーソンも2004年の「シャドーモセス事件」で死んだことにより、人間組織としての実態を喪った『愛国者達』。
その後、膨張する空虚ことCIPHERの名が表すとおり、実態のないまま肥大化を続け、その支配圏を世界中へと拡げてゆく。
世界は、『愛国者達』の優しい規範に貪られ、誰も気づかぬうちに、密やかな死を迎えようとしていた。