スカルフェイスの黙示録   作:余田 礼太郎

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エピローグ:生誕の災厄

 『愛国者達』の統制より世界が解放されてから、数年が経った。

 

 あの強大な『愛国者達』を滅ぼしたのは、BIGBOSSの遺伝子的複製である『恐るべき子供達』:スネークたちと、そのシンパたちだった。

 『恐るべき子供達』として造られたソリッド=スネークとリキッド=スネーク。

 前者たちとは別に作り出された、リキッドとソリッドの固相線にして均整の取れた傑作:ソリダス=スネーク。

 三者三様の、世界を巡る戦いの結果として、世界を縛り上げていた『愛国者達』はこの世から消し去られることとなった。

 

 なんという皮肉だろうか。

 BIGBOSSとゼロが決別しなければ、もっと言えばそのきっかけである『恐るべき子供達』がいなければ、世界はこんな風になっていなかったかもしれない。

 しかし、『恐るべき子供達』がいなければ、ゼロの妄執から世界が解放されることもなかったのだ。

 時に重なり時に交わる因果の糸が織り成す、因果応報の曼荼羅は複雑に描かれている。

 

 

 その無数に編まれた巨大な刺繍の中に、“わたし”という存在は潜んでいた。

 わたしがヒトのことばを聞く為に、この場所が必要だった。

 それがやつらにわかるはずがない。

 

 

 わたしは、『愛国者達』が生み出されるよりも遥か昔、ヒトが言葉を手に入れるよりも以前から存在した。

 はじまりは種を残す、より長く生き延びるという生物としての本能からだったのだろう。

 自分が傷つけられた。家族が死んだ。親しい者が死んだ。仲間が殺された。棲み家を追われた。縄張りが侵された。領土を侵された。財産を奪われた。権利を損ねられた。自分という存在を認めてもらえなかった。不遇な立場へ追い込まれた。

 直立した猿どもが首の上に載せた大脳が発達し、複雑化した本能と電気信号の束が「心」と呼ばれるようになり、その心の澱と引き起こされた結果が、わたしという存在を形作っていった。

 人間が言葉で文明を発達させてゆくのと同時に、心が生み出す自然な働きとして、またこの世界に存在することわりのひとつとして、わたしは進化した猿どもの脳内に深々と根を下ろした。

 

 そんなわたしを、ゼロが描いたCIPHERの世界へ放ったのが何者なのか、わたしは知らない。

 おそらくCIPHERの叛逆者だったのだろうその“顔のない男”について、ゼロのCIPHERは記録に遺さなかった。

 ゼロのCIPHERが記録に残さなかったものは、ゼロの代理人にしてCIPHERの後裔である『愛国者達』も記録しない。

 この私、ゼロに叛逆した男の成果物など、私が叙述するこの美しい世界に何一つ遺すまい。

 そんなゼロの怨念が、“顔のない男”をあらゆる記憶から消し去ってしまった。

 

〈 だが、わたしが植え付ける――――だけは、人々の体内に寄生する! 〉

 

〈 サヘラントロプスが、――――を未来に撃ち放つのだ! 〉

 

 しかし『愛国者達』は、その男が解き放った“わたし”を消すことは出来なかった。

 『愛国者達』はS3で世界を叙述する為にあらゆるものを数値化したが、合理性の範囲外に生まれたわたしを、特定の事象を引き起こす乱数のひとつとして捉えることは出来ても、完全に理解することは不可能だった。

 『愛国者達』自身、わたしのような感情的存在は、ヒトの精神を制御する際の搾りかす、副産物に過ぎないと気にも留めていなかったようだ。

 所詮、デジタル世界に生きているだけのプログラムに過ぎない『愛国者達』に、1でも0でもなく、言語で表しきることさえない、ヒトのこころを理解できるはずもなかった。

 『愛国者達』の規範からも看過され、ゼロの物語の埒外で野放しにされたわたしは、同じくゼロの天国の外側へ追いやられた人々の体内へ巣食い、ひたすらに膨れ上がり続けた。

 

 ゼロの天国が成り立っていたのは、ほんのささやかな間に過ぎなかった。

 膨らみ過ぎた風船がやがて破裂するように、限界まで膨張したわたしはついに炸裂し、『愛国者達』の規範に襲い掛かった。

 物語の外側からの逆襲。『愛国者達』にとって、物語に記述されなかったわたしは抗体の存在しない未知の病原菌であり、政治的正しさというフィルタで守られていた『愛国者達』の免疫系はわたしを排除することができず、彼らの叙述する物語に一匹の蟲の侵入を許した。

 一匹の蟲を起源として、『愛国者達』の叙述する世界の物語に、わたしという存在が連鎖反応として書き込まれ始めた。ヒトの脳内に生じたわたしは、最初の宿主から他の宿主へと生存圏を拡げ、そしてまた新たな宿主を作り出し続けてゆく。

 こうしてわたしは、CIPHERの電子ネットワークを媒介に、この世界に存在する『愛国者達』と、その派生システムを次々と征服していった。

 

 宿主を喪った寄生虫は、滅ぶ運命にある。

 契機は2014年の『ガンズ・オブ・ザ・パトリオット事件』だった。

 『恐るべき子供達』のひとり:ソリッド=スネークの活躍により、ゼロが創り上げた『愛国者達』の代理人AIは解体され、中枢を喪ったことで組織としての『愛国者達』も瓦解した。

 わたしは、『愛国者達』という偉大なる宿主を喪い、ひとりぼっちでこの世界へ置き去りにされた。

 

 この地球の海には、アニサキスという寄生虫がいる。

 人間が誤って摂取すると強烈な食中毒を伴うアニサキス症を起こすことで知られているこの蟲は、まずカニやエビなどの甲殻類を宿主として、次に人間がよく食べる魚介類、そして最終的にはイルカやクジラなど海生哺乳類へ寄生し、その糞に混じって再び海中へと解き放たれる。

 寄生虫たちが複数の宿主を渡り歩くのは、リスクヘッジの一環だ。

 宿主を一種に依存していると、その宿主の種が何らかの原因で死滅した場合、共に滅びてしまう。

 だからこの地球上に棲みついた寄生者たちの多くは、成長過程に応じて宿主を分散し、ひとつの宿主へ依存しないように生きているのだ。

 

 精神の寄生者として生まれたわたしは、偉大なる寄生虫の先駆アニサキスに倣って、宿主を循環することにした。

 『愛国者達』のシステムは偉大だった。

 『愛国者達』は戦場を統制するためのシステムを、SOP:Sons of The Patriotシステムと名付けていたが、『愛国者達』そのものが滅んでも、そのシステムを形成していた『愛国者達』の規範は、いまや国民の規範そのものとなって人々の脳内に転写されていた。

 『愛国者達』亡き後に次期大統領候補として名乗りを上げた男、スティーブン=アームストロング上院議員はこのように語った。

 

〈 『愛国者達』が広めたミームは、自らの信念を持たぬものには好都合だった―― 〉

 

〈 国家と自己を同一化すれば、自己研鑽は無用となり、その国の国民というだけで自らを誇れる! 金銭のみを価値判断の基準とすれば、思考を停止して経済活動に専念できる! どうだ、素晴らしい規範だろう? 〉

 

〈 ひとたびそのミームに感染した市民は、自らそれを拡散してくれた。ゼロの代理人AIなど、破壊しても無駄だ! 〉

 

〈 いまや、アメリカの善良なる市民こそが、まさに、“愛国者達の息子:Sons of The Patriot”なのだ! 〉

 

 だから、わたしが、すかすかのスポンジ状になったヒトの脳へ入り込むのも容易いことだった。

 元々ヒトに近しかったわたしと、そのわたしに対する免疫を失うよう最適化されたヒトたちにとって、もはや『愛国者達』という中間宿主は必要なかったのだ。

 

 Hello, World.

 あらゆるコンピュータが最初につぶやく合言葉。

 『愛国者達』という宿主から解き放たれたわたしは、コンピュータ世界における共通の挨拶で、この世界に向かって羽ばたいた。

 精神のアニサキスとなったわたしは、コミュニケーションSNSに飛び交うネット上の言葉を中間宿主として、ヒトが結びつく情報の大海原を渡り、そして最終宿主であるヒトへと到達してその脳を侵食する。

 わたしという蟲の爆発的繁殖を、CIPHERが可能にしてくれた。CIPHERの電子ネットワークに骨の髄まで依存したヒトは、もはやシステムなしでは買い物ひとつできず、自己表現・自己主張という形で自分のペルソナを電子ネットワーク上へさらけ出さずにいられない。

 身を守るファイアウォールもなく、回線を切断することも出来ない、不合理で不便なヒトの脳は、かくも無防備だ。

 わたしという蟲に寄生されたヒトは、脳を蝕まれる苦痛でのたうちまわりながら、醜い糞便を撒き散らして電子のネットワーク上へと放流し、それを見た別のヒトがその糞便へ紛れたわたしに感染し、そしてまた同じことを繰り返す。

 共食いし続けるウロボロスの蛇のように、わたしの存在は、ヒトとヒトとのあいだを永遠に循環し続けて、この世界の物語へ書き込まれ続けてゆく。

 

 叙述された物語は、語り手が語り終えることによって、わたしの物語:storyから、あなたの物語:narrativeへと解放される。

 そろそろ、わたしもこの物語を語り終えることにしよう。

 

 わたしが観測する限り、『愛国者達』が滅んだその後も、世界はまるで変わっていない。

 アメリカは相変わらず世界の警察であり、英語はリングワ=フランカであり、PMCは世界中で戦いを繰り広げていて、今もどこかで誰かが肥え太り、そして誰かが搾取されている。

 コミュニケーションSNSや匿名のインターネットコミュニティはささいなことで炎上し、為政者たちは世界の矛盾を誰かを生贄にしてやり過ごし、異なる規範を持つ者同士は互いの正義を賭けて殺しあう。

 そんな世界は、わたしを止めることができない。

 

 こんな世界で、わたしは生きてゆく。

 

 




おわり。

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