スカルフェイスの黙示録   作:よよよーよ・だーだだ

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勝利への賛歌Ⅱ

 

:1975年3月15日 暗号名“キャンプ・オメガ”、屋外にて

 

 用事を済ませた“顔のない男”が建物を出ると、外は大雨だった。

 激しい雨粒が“顔のない男”を濡らしてゆくが、全身の触覚を皮膚ごと失っている男は気にもかけない。

 

 雨合羽を纏った部下たちを伴いながら“顔のない男”は、監視塔からの投光器で照らされる屋外の収容区画を歩いてゆく。

 収容区画では、風雨の中で吹き晒しにされた鋼鉄製の檻が並び、檻から出された囚人たちが鎖で拘束され、看守たちから痛めつけられながら、雨の中を裸足で歩かされていた。

 囚人たちに向かって、番犬として躾けられた獰猛な犬が吼えている。

 足元にはぶくぶくと肥った不潔なドブネズミどもが這い回り、檻の中からは生きた人間の饐えた体臭や、微かだが染み付いて離れない死体の腐敗臭が漂っている。

 

 “顔のない男”の一行が、檻から出された囚人たちの行列に差し掛かった頃だった。

 おそらく鎖が緩んでいたのだろう、歩かされていた囚人のひとりが、行列を外れて“顔のない男”に向かって飛び出してきた。

 囚人の男は何事かを叫びながら、“顔のない男”に飛びつこうとするが、追いついた看守にすぐ取り押さえられてしまう。

 

 地に伏せた囚人は、“顔のない男”を見上げながら、なにかを話している。

 それがどこの国の言語で、具体的に何を喋っているのかは、“顔のない男”にもわからなかったが、それが命乞いの類いなのは知っている。

 ここに入れられた囚人は、英語だろうとロシア語だろうとフランス語だろうと、誰もがいつも同じことを言う。

 おれは何も知らない、人違いだ、こんなことが許されると思っているのか、ここから出せ、たすけてくれ、おねがいだ。

 囚人の主張を存分に聞いてやったあと、“顔のない男”は看守たちに告げた。

 

「こいつを(Ketrec)に戻せ」

 

 言語が通じなくても、“顔のない男”が何を言ったのか、囚人は察することが出来てしまったらしかった。

 囚人の表情が見る見る内に絶望へ染まり、看守たちに抱えられて何処かへと連れて行かれてゆく。

 このあと、この囚人は脱走の咎で“治療”されてしまうだろう。ともすれば“事故死”してしまうかもしれない。あの囚人は運よく早晩に死ねるだろうか。

 運命が決した哀れな囚人の喚き声を尻目に、“顔のない男”の一行は収容区画を歩いてゆく。

 

 ここで繰り広げられている風景は、捕虜の取り扱いを定めたあらゆるルールに違反する、あってはならないものだ。

 しかし、このキャンプ・オメガにおいては違う。

 キューバ南端の租借地にアメリカ軍が築いたキャンプ・オメガは、アメリカとキューバ双方の司法から逃れた、いわばルールからの避難地だった。

 そしてアメリカ軍が実権を握るこの土地に巣食っているのは、なにもアメリカの諜報機関だけではない。

 CIPHERを筆頭に、各国から送り込まれた無数の諜報機関がアメリカ軍へ寄生するように入り込み、キャンプ・オメガでは日夜、国籍人種も問わず、尋問と拷問のフルコースが振舞われている。

 所在地は共産圏のキューバ、頭上で翻っているのは資本主義のアメリカ国旗、そして牛耳るのはCIPHERとその寄生虫ども。

 異常な事情と環境が、有り得ない光景を日常へ変えていた。

 

 “顔のない男”は、ひとつの檻の前で足を止めた。中にいるのはひとりの少年。年齢は15歳にも満たない。

 

「……“女”はすべて話した」

 

 “顔のない男”が声をかけるが、少年は見向きもしない。

 この囚人の名前はリカルド=バレンシアノ・リブレ。

 出身はコロンビア、『サンディニスタ民族解放戦線:略称FSLN』のメンバーを姉に持ち、BIGBOSSとその仲間たちの間では“小さな戦士:チコ”と呼ばれていた。

 チコは、初恋の女性パスがCIPHERに捕まったのを知り、仲間の制止を振り切ってこのキャンプ・オメガへ単独潜入、そして自身も捕えられて今に至る。

 しかしどこでもそうだろうが、殊にこのキャンプ・オメガは、初潜入には最悪の場所だ。捕らえられれば最後、人間の限界を超えた地獄が捕虜の心身を粉々に砕く。

 そんな判断もできないほどにチコは純粋で、無謀な子供だった。

 

「心配するな。おまえの希望通り、女はラクにしてやった」

 

 ほら、と“顔のない男”はポケットからカセットのプレーヤーを取り出し、檻へと放り込んだ。中には一本のテープが入っている。

 

「これがご褒美だ」

 

 “顔のない男”が投げたポータブルプレーヤーへ、チコは拷問で傷つけられた足を引きずって縋り付く。

 ご褒美、と言ったのは、“顔のない男”がBIGBOSSへ罠を仕掛けるにあたって、チコにも一役買ってもらったからだ。

 

 スネーク、助けて。

 “顔のない男”の巧みな誘導で追い詰められ、チコは自分たちの本拠地について喋るのと引き換えに、救助要請を発する権利を与えられた。

 もちろんあの律儀なBIGBOSSは仲間を、ましてや自分を信奉している子供を見捨てたりはしない。憧れの英雄が、CIPHERに囚われた自分を助けに来てくれる。

 “顔のない男”は「BIGBOSSが助けに来たら、警備を手薄にして、おまえを黙って逃がす」と言った。

 だがその油断が命取りだ。あのBIGBOSSの英雄的な活躍で、“顔のない男”は報いを受けることになるだろう。そうだ、きっとそうに違いない。

 “顔のない男”から与えられた選択肢にチコは飛びついた。

 

「おまえは仲間を売った」

 

 “顔のない男”はチコを見据えながら、容赦なく事実を述べた。

 おまえが英雄に掛けた希望は、自分に都合がいい、如何にも子供らしい妄想で、現実は違う。

 もちろんあの律儀なBIGBOSSは仲間を、ましてや自分を信奉している子供を見捨てたりはしない。

 あの英雄は、CIPHERに囚われたチコを助けに来るだろう。

 たとえ、それが罠だとわかっていても。

 

 ましてやチコだけではない。

 ここにはCIPHERがかつてBIGBOSSの下へ送り込んだ工作員パシフィカ=オーシャンことパスもいる。CIPHERと対立するBIGBOSSなら、CIPHERの手がかりになるパスの身柄をなんとしても押さえたいはずだ。

 そこへチコからの救難通信が入ればどうなるか。

 

「これでおまえも、一人前の兵士だ」

 

 大人になるというのは自分の生き方を自分で選び、そして自分で決めることだ。

 つまるところ、チコ、おまえは我が身可愛さに、おまえの英雄と仲間と、そして愛する女を敵へ売り渡すことを選んだのだ。

 

「大丈夫、家には帰れるさ。おまえのBOSSによろしくな」

 

 “顔のない男”は収容区画を後にした。チコが、カセットの録音に耳を傾ける。

 

 

 移動する車中で“顔のない男”は考える。

 チコに渡した“ご褒美”とは、チコがキューバのキャンプ・オメガへやってきてから捕らえられ、女囚パスと共に“顔のない男”から拷問を受ける一部始終を録音したテープだった。

 その背後には、アメリカ史上最大の冤罪事件といわれる『サッコ・ヴァンゼッティ事件』を題材にした映画のエンディングテーマが流れている。

 

 この曲は、無政府主義者の移民だったことに対する偏見により、不条理に冤罪を着せられて処刑された二人の男へ捧げられた。

 「もう一度生まれ変わっても、わたしは同じ生き方を選ぶだろう」と自らの信念への潔白を貫き通したニコラ=サッコ。

 処刑直前まで自分たちの無実を訴え続けたバートロメオ=ヴァンゼッティ。

 ふたりの移民は冤罪で処刑された。だが彼らは死をもって、この世界に訴えたのだ。罪の無い人間を殺す社会がここにあると。

 そんなあなたたちに捧げよう、ニコラとバート。わたしたちは忘れない。最期の瞬間はあなたたちのもの。その犠牲はあなたたちの勝利になるだろう。

 この曲『Here's to you』は繰り返し繰り返し、そう歌う。

 

 だが、ニコラとバートが有罪となってから50年以上経っても、ふたりに勝利は訪れなかった。

 ふたりの犠牲は忘れられ、冤罪も偏見も不条理も何一つ無くならず、世界は未だに何処かで誰かを犠牲にして生き延びている。

 

 1964年、ソヴィエト連邦領内で“彼女”の身に起こった出来事もそうだった。

 あの時も世界は、第三次大戦の惨禍から免れるのと引き換えに、ひとりの女性の人生と尊厳を陵辱した。

 いや、彼女への陵辱は今も終わっていない。ゼロやBIGBOSSを筆頭とする、彼女の遺志を継ぐと称した者たちが、死してなお彼女を弄び続けたからだ。

 その結果がCIPHERであり、ゼロとBIGBOSSの対立であり、今の惨憺たる世界だった。

 だから、わたしが始末をつけてやろうというのだ。“顔のない男”は世界が犯した罪を清算しようとしていた。

 そして今度こそ彼女――『ザ・ボス』に安らかな勝利を。

 

 ヘリの発着所に着いた“顔のない男”は、停めたクルマのサイドミラーで身なりを整えると、顔を覆うように帽子を目深に被る。

 配下の兵士たちは、既に出撃準備を済ませていた。その仕上げとして“顔のない男”は、自身が乗り込むヘリに描かれた『XOF』のマークを塗り潰す。

 

 兵士たちには、部隊章をはじめとして身元に繋がるものを全て処分するように指示をしてある。

 これから起こることは“特定の誰か”ではなく、“誰でもない誰か:Anonymous”によって行なわれなければならない。

 先発隊は既に仕事を終え、現地で本隊の到着を待っている。

 手引きした科学者:エメリッヒ博士は、自分が利用されていることすらわからない世間知らずだ。

 難攻不落のイーリアスがギリシアの木馬を迎え入れて壊滅したように、破滅の使者たる我々を手厚く歓迎してくれることだろう。

 “顔のない男”が兵士たちに告げる。

 

「……『トロイの木馬』が潜入した」

 

 作戦名:トロイの木馬。

 奇しくも、CIPHERが作り上げた電子ネットワークの世界で猛威を奮うことになる侵入型マルウェアと、同じ名前と手口だった。

 

「海賊討伐にゆくぞ、乗れ!」

 

 “顔のない男”に率いられ、CIPHERの隠密部隊XOFを載せたヘリがキャンプ・オメガから飛び立った。

 行き先はカリブ海、ミッションは『BIGBOSS率いる“国境なき軍隊”の殲滅』。

 

 

 

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