男はある組織のリーダーだった。
とある目的のために組織を立ちあげた。
お互いに切磋琢磨し高め合う集団、といえば耳触りは良いが実際は無法者の集団。
端的に言えば犯罪者がまとまってお互いの技能を高め合うという、警察や武偵たちからすれば仕事のハードルをあげてくれる実に嬉しくない連中である。
男はある一族をずっと監視していた。自身の求める人間が生まれるのを長きに渡り待っていた。
そして季節が百回以上巡った末、彼が心から求めていた少女が誕生し計画を練り始める。
計画は完璧。
ほぼではない、文字通りの完璧。
男は人智を遥かに超えた
事実、自分の推理が誤ったことはない。
ある少年に自分の子孫である少女を巡り合わせる。反発しながらも少女と少年はお互いを認め合い能力を高めていく。そうすれば己が長年求めた目的が叶うであろう。大願成就のための算段はついていた。
計画発動まであと一年。
二○○八年、四月。
ヂリ……。ノイズが走る。
組織の少女二人は言う。
「あの男は気持ち悪い。近づきたくない」
「正体が見破られた。ムカつく」
データにはどこにでもいる少年だった。目的の少年とは違う一般人。
才能の片鱗も窺わせない凡俗そのもの。男は少年を思考の外に追いやった。世界に散らばるアリの一匹を気にする必要もない。
七月。
気まぐれにある麻薬組織を少年にぶつけることにした。
経験値は高い方がいい。手ごろな駒を操り日本へと誘導する。これでまた少年は一段高みへと登り、計画は盤石のものとなる。
ヂヂ……ヂヂヂ!
ズレが生じる。男の予想が僅かに変化した。
少年のほかにもう一人の存在がチラつくようになる。
予想通りの結果ではあった。男は暗闇の中、安楽椅子に座り、思考の海にその心を沈める。
髪の毛一本程度の事。誤差ですらないとして、男が気にすることはなかった。
しかし小骨に引っかかったようなもどかしい感情だけが、いつまでもあとに引いていた。
未来予知はあくまで
気のせいだろうと調べることはなかった。
時が動いたのは二○○九年、三月。
組織の少女たちが
利用価値のある人物を選定するためだ。
計画発動の秒読み段階に入り、男はPCに送られてきたデータに目を通す。キレ長の目つきの悪い少年が画像には映っていた。
「『武偵継続の意思アリ、GGG作戦対象と接触させることは容易』だと?」
男は不思議に思う。少年は兄を失い、心無い愚かな聴衆たちに翻弄され、絶望を胸に抱く。ドス暗い感情のまま少年は武偵への道を諦める。
……おかしい。裏で一枚噛んだのだから、彼はもっと失意に打ちひしがれるはずなのに。
自分に言いきかせるように、
(ふむ……しかし、これなら大丈夫だね。せっかく実った果実を慌てて収穫することもないし、このままなら…………?)
所詮誤差――――そう考えたとき。
途端、彼は心臓を鷲掴みにされた感覚を覚えた。一寸先すら見通せないまっくろな霧が晴れていく。
彼は気付く。
なぜ私は誤差を誤差であるとしか認識しないのだ、と。既にあり得ない。
未来予知すら可能とした推理力、
(誰が原因だ? いや……誰などと、火を見るより明らかだ。大石啓――彼しかあり得ない。まさか僕の予想を外させた上に、日本から遠く離れた僕の疑問を挟む余地を与えないなどと。…………ふ、ふふふ。少し興味が湧いてきたよ)
だからこそ日本へ向かう。データでは見えないなにかを見極めるために。
そして件の生徒――大石啓が目の前にいた。
大石啓は爆弾事件に巻きこまれ、一人で先に学校へと向かい、放課後は書類の記載ミスで居残りさせられ、途中で他の生徒と雑談したあとこの道を歩く。
予定調和。推理した通りの流れ。そこにはなんら脅威的な気配を感じさせない。
なにもおかしい部分は見当たらず。
男は空気の流れやアリ一匹の気配すら感知する。
相手の能力を正確に読み取っていく
身体能力――特筆すべき点はない
射撃才能――武偵高校では下かた数えた方が早い。
不審人物への対応――隙だらけで、瞬き一つで首を狩れる
エトセトラエトセトラエトセトラ……。
(これは酷いな。よく今日まで生きていたくらいだ。しかし……どんな正確無比のコンピューターでも、バグは発生するもの。彼は世界に生まれたバグでありノイズであるのかもしれない。処理した方がいいのだろうね……)
大石啓の殺し方など一○○○○通り以上を容易に考えつく。
だが同時に試してみたいと思った。
大石啓という存在のおかげで少年は別の強さを手に入れつつある。
絶望の闇の中、少女が手を差しのべた手を握り、次第に得ていく強さとはまた違うものを。
きょとんとした顔の大石啓に男は全力で叩きつける。“殺意”という名の暴力を。
鳥たちは本能で危険を感じ、慌てて飛び去っていく。
並みの者ならあまりの恐怖に身を縮こませ、嘔吐し、昏倒するだろう。
空気は震え、風となって吹き荒れる。
「今ここで…………死んでもらおうと思う。修正可能な内に、ね」
条理予知は未来を覗く。
大石啓は腰を抜かし、背を向けて一目散に逃げていく――自分はその姿に嘆息し、投擲したナイフの一撃で彼の心臓を貫く。
定められた運命のレール。
男は懐に手を入れナイフを取りだそうとした。
一枚の葉っぱが舞いあがる。
ゆっくり……ゆっくり……と一秒を何十倍にも引き延ばした感覚の中、せめて苦しまないようにと指に力を込めたその瞬間――
「おおっと思わず手が滑ったーー! 秘技『ハンドシャッター』!!」
(な――ッ!?)
パキーーーッン!
レールも時間も運命も、ガラスが砕ける音とともに崩れ去っていった。
大石啓は腰を抜かすことも、逃げることもせず、ただ背を向けた。逃げることはしない。ただ立っていた。
両手の親指と人差し指で長方形を作っていただけ。
だがその事実こそが……たったそれだけのことが驚嘆に値した。
(私の
いや、正しくは二回――もう一人の少年、遠山キンジの一件も含めれば既に二回。
驚愕の事実に固まっているとケイは男の様子を見て首を傾げた。
「……お兄さん
「ああ、ばっちり視えた、ね」
君に未来を破られる姿をね、と内心で呟く。
太陽は翳り、月が姿をぼんやりと表す。男はもう一度推理をし始めた。
しかし彼の行動の前提条件に“偽り”“騙し”という名のフィルターをかけると、まるで違った答えが出てきてしまう。
二重にブレた答えに男は感嘆する。
「素晴らしかったよ。極東の島国に来てこんな出来事にあうとは」
パチパチと賛辞の拍手を送る。
自分の能力を破った少年がいるなど予測できなかった。
「す、素晴らしかったのか。アンタ見た目によらず凄いんだな……。まあ、嫌いじゃないけどな、そう言う奴は」
「気が合うみたいだね。ところでさっきに指を長方形にする行動は意味があるのかい?」
「ああ、あれ? カメラがないときに使う俺流のワザでさ、心でシャッターを切るってーの? ああして写すと不思議と忘れないからな」
「ふむ、自己暗示術か。普通だね(……いやまてよ)」
男はいまの情報に裏の意味があるのではと考えた。
心音、脈拍、体温に乱れなし……嘘は言っていない。
しかし嘘を言っていないという嘘をついているのなら?
よく大人が使う、嘘は言っていないが本当のことも言っていない、という文言だ。
凡人ならそれでも嘘をついているという後ろめたさから、動揺の兆しを見抜くことは可能。だが相手は自分すら騙し通そうとする少年だ。
全てを予知する頭脳が『“嘘”の可能性』というフィルターを掛けると一つの事実が浮かび上がる。
(条件付き完全記憶能力――――いや条件も過ちで、純粋な完全記憶能力を持っている、か。それくらいできなければ私への対応もできないだろう)
男は自戒する。大石啓という少年を過小評価していたことに。そして安穏と生きてきた自分に対して。
この結果も十分に予知できたはずなのだ。
昔と今の自分は……違う。
昔は初代リュパンと吸血鬼などの強敵たち相手に自らの能力全てを振るい戦ってきた。
今は静かにただ安楽椅子に座って計画を待つ老人染みた生活。
どちらが時代の自分がよりキレていたのかは明白だった。
もちろん体感としては、経験も加味して今の自分の方が優れていると思っていた。
だが人間は自分の都合の良い風に物事を捉えがちだ。自らも知らず知らずの内に、世界で一番だという錯覚の泥沼に嵌っていたのではないか?
(深淵を覗く者は自らもまた覗かれていることを忘れてはならない。僕は常に相手の未来を覗けると知らず知らずの内に自惚れていたのだ……彼に覗かれていることも気付かずに。栄枯盛衰――私もまた消えゆく定めにあるのかもね……)
だからこそ男は少年を知る努力をしようと思った。
探偵は未知なるものを暴かずにはいられない。
なぜなら男は誰よりも優れた探偵であるという誇りがあったのだから。
「そういえば君はさっき風が吹いたときになにも感じなかったのかい?」
その風は殺気という強烈な悪意に満ちたもの。並の武偵なら肝を冷やし、心臓を縮ませるもの。
だがケイは涼しい顔だった。
「風ねぇ……どーせ吹くなら盛大に吹いて欲しいもんだなぁ。あんなそよ風じゃなくてさ。どっちにしろ期待外れには違いないが」
「ははは、期待外れかッ! それはそれは、とても辛辣だね。紳士を自認する者としては申し訳ないな」
「紳士だからこそ、じゃないのかな。どのみちアンタと考えを同じくすることはないだろうけど」
「おっと振られてしまったか」
男はあわよくば組織の勧誘も、と考えていたが先に釘を刺されてしまった。
嵐のような殺気はそよ風と断じ、答えの先読みすらしてしまう。
重要なのはいまも偽り続けるという面の皮の厚さ。大胆不敵。
条理予知は脳に囁く――これはただの凡愚で普通の高校生でしかないと。
だが事実は彼に告ぐ――殺気に対して運命を粉砕した輝きを忘れるなと。
(表と見せてかけて裏。裏と偽り表。表と騙して裏――――『いつも自分をきれいに明るく磨いておくように。あなたは自分という窓を通して世界を見るのだから』とはかの劇作家であったが…………彼の窓は黒く塗りつぶされ、四方を暗黒に包まれたブラックボックスのようだ。実に興味深い)
これは組織の女性陣に評判が悪いのも当然だ、と男は言葉には発さずに評した。
女性は無意識下で男性には誠実であることを望む。本人たちは認めないが、彼女らは捻くれ者でいて割と純情だ。どこまでも裏をかく大石啓との相性は日常でも戦場でも最悪の部類だった
気づくと相手の視線が徐々に鋭くなっていった。
ケイは男に対し忠告する。
「アンタのような奴は嫌いじゃないし、いまはなにもしない。…………だけど実際に行動してしまったら俺はアンタを捕まえなくちゃいけない。特に外見だけで判断するアンタは、な」
「……舐めてもらっては困るな。中身も見た上で判断しているさ」
「短時間でなにが判るっていうんだ。初対面だけどあえて言わせてもらうぞ。早漏な男は嫌われるんだぜ?」
「この国には『一寸の光陰軽んずべからず』という言葉があるそうじゃないか。いや……この場合は時は金なり、かな。急ぐ理由は僕にもあるのだよ」
「俺はじっくりと時間をかける方が好みなんだけどな。どの道……争う運命にあるわけだ」
伝えた言葉――それは宣戦布告。組織のリーダーに面と向かって強い意志を見せつけた。
射抜くような黒瞳が男を映す。
男は笑みが止まらない。
かつてヨーロッパを中心に世界のありあらゆる強敵と、推理を、武力を、情熱を、全身全霊をかけて戦った青春の時代。
男は神に感謝した。
身体が熱い……冷静なはずの男は高らかに笑った。
賛美歌の代わりとでも言うように。
「はっはっはっ、何もかもお見通しというわけか。だけどそれでも言わせてもらおうか……運命を曲げることは叶わない、と」
大石啓という存在を改めて観察する。
未だに虚実の混じった対応をとる。男の眼にはそう映った。
彼はどこまで見通しても“表”だった。裏など存在しない。
しかし諺でもある――真実は小説よりも奇なり、と。
どんな推理も条理予知を破った真実には敵わない。
大石啓は演じる。
凡人のごとく、あまりにも判りやす過ぎる。とても幼稚で……単純で……あけっぴろげであった。
(だがコインの両側が表などあり得ない。裏の裏が表であると誰が言う? 叙述トリックに近い騙し方、リチャード・ニーリィの殺人症候群のような少年だ……。構えていれば判る正体も、真実か虚実かが判らなくなっていく。…………実に面白い! 帰ったらまずは己を鍛え直そう。組織のリーダーとしてではない、一人の男として最後の戦いに勝つためにね)
男は歩み始める。やるべきことは終わったとばかりに。
久しぶりに全身の血液が煮えたぎる。高揚した感情を発散するために少しでも身体を動かしたかった。
だが横を通りすぎたとき、ケイは男を呼びとめた。
「待てよ」
カツンと男の皮靴がアスファルトの地面を叩く。お互いに顔を合わせない。
ケイは上着のポケットに両手を突っ込みやや猫背の姿勢で。男は着こなしたスーツに背筋をびしっと伸ばしながら。
すれ違った形で彼は言う。
「武偵憲章第三条――『武偵は強くあれ、ただしその前に正しくあれ』だったか……。だがアンタのような漢は割と好きな部類なんだ。でも俺には俺なりのポリシーがある……出会い方さえ違えば最高の親友にだってなれたかもしれない。なのにやめないなんてとても残念に思うぜ……」
旧知の友を思いやるような発言。男は無法者でいくつもの罪を犯していた。最悪、死刑さえあり得るほどに。武偵と犯罪者――次に二人の運命が交差するときは、お互いに拳銃を突きつけ合う間柄となっているだろう。
「ならばこう返すよ。武偵憲章第九条――『諦めるな、武偵は決して諦めるな』と。僕は武偵じゃないけどね。……長年追い求めてきた目的の果てが、理想がそこにはある。君のポリシーに反するなら……僕は揺るがない信念で立ち向かうとしよう。願わくばお互いにとって後悔の無い終わりを。ではね」
コツコツコツ――――――男は夕陽を背にして去っていく。
カツカツカツ――――――ケイもまた、振り返らずに歩く。
運命の三女神ナレチニツァがいるならこう告知するだろう――『二人は宿命のライバルである』と。
最後に男は呟く。
「大石啓――初代リュパンすら破れなかった私の推理力を二度も凌駕した我が生涯最期のライバルよ。
男――シャーロックは夕闇の中へと静かに姿と消していった――――
歩いて数分。
ケイはふぅーっと細く、長く息を吐いた。
街灯が点いた下。徐々に夜の帳が降りはじめた。
「いきなり話しかけられたときはびっくりしたけど……ホントなぁ。嫌いじゃねえんだけど。
思いだすのは風と背後で聞こえた悲鳴。
音が空気に伝わり、耳朶に届いたとき脳は女性だと判断した瞬間、彼は振り向きざまに起きているであろう桃源郷を求めた。
事実、女性の秘境を瞼に焼き付けることができたのだが、
「黄色帽子装備の小学一年(推定)のくまぱんはさすがにアウトだ。まさか声掛け事案とかやってないよな、あの外人さん。親同伴だったから大丈夫だとは思うが……次に出会ったときに犯罪行為をやってたら紺色の正義の味方に説教してもらおう、うん……ん?」
あんまりな評価を下されている男だった。そんなケイの視線の先に変わった組みあわせの二人組がいた。
黒髪にキレ長の目の男子。そして桃色ツインテールの少女。
(あれ、キンジと……アリア、さんか?)
二人はケイに気づくこともなく闇の中へと消えていった。
追いかけようとも思ったが、そもそも遠目なうえに、暗くなり始めて本人かどうかの判断が付かない。
アリアは特徴的な髪色で本人だと断言できるが、キンジは
結局ケイは二人を追うこともなく帰途に着いた。
帰った途端、即日配達でやってきた業者から受け取った品――スペシャルネコセット。
真空パックのマタタビの茎、粉末マタタビ、原材料イヌハッカと書かれた意味不明な香水五個という謎構成に、お金を無駄にしたことを思い出し、また落ち込むのは別の話である――
「ねえ、どこまで行くのよ。いくらアタシが魅力的な美少女でも英国紳士ならもう少しまともな対応をするものよ?」
「あいにく日本男児なんでな。それにレディがトランクに着替え一式を詰めこんで片手に男子寮に突撃するなんてしないだろう。いきなり『アタシのドレイになりなさい!』とかぬかすし。話を聞いてやるだけでもありがたいと思えよ……」
街の灯りにキラキラとピンク髪を反射させる少女と目つきの悪い男子生徒。
アリアは不満げな声音でキンジに文句を言う。
キンジは自信過剰な相手の物言いに、がっくりと肩を落としながら小さな公園へと入っていった。
何が起こったかというと、男子寮の自室にいたキンジの部屋に突如やってきたのだ。
しかも理由がまるで判らない。何故判らないの? と逆に聞かれるくらい。
泊まる気まんまん、準備万端で強襲してきた小さな侵入者に、キンジは話をちゃんと聞くし、
場所を変えた理由は幼馴染である白雪が原因だ。
白雪はキンジが他の女子を仲良くすることを極端に嫌う。それで過去に何度も大暴れしたことがあった。
理由が判らないという鈍感さを発揮しつつも、とにかくアリアと白雪を近づけてはならないということだけは本能的に理解していた。
危機感を抱いたキンジはぶーたれるアリアを無理やり連れだして人目の付かない場所で要件を聞こうと思ったのだった。
実際、彼らが男子寮を離れた数分後に白雪がキンジの部屋の前でインターホンを押していたので間一髪と言ってもいい。
公園の一角――街灯の頼りない灯りがブランコを照らす。
アリアとキンジは手近にあったという理由でそこに腰を下ろした。
「……で昼間助けてくれたことについては御礼は言うし、感謝してる。それに、お前の、あー……とにかく大変失礼もしたしそれについては謝る。だけど、それでなぜ俺の部屋にやってくるんだ?」
「アタシの要件はただ一つ。アタシのパーティにフロントマンとして入りなさい。そこで一緒に武偵活動をするのよ!」
チームの最前線で戦う負傷率トップの過酷なフロントマンにキンジを指定した。
ビシッと指を指す。一方的な物言いに普通なら敵愾心の一つも湧くだろう。だが存外、彼の心に反感の念は少ない。
武偵殺し――兄の仇の存在こそがキンジに一考の余地アリと思わせていた。
一度は絶望という名の泥沼にどっぷりと浸かり武偵の道を諦めかけた。
しかし友の助けもあり、心の闇を祓い、険しい地の底から這い上がることができた。身も心も千切れるような苦痛、挫折を覚えたからこそ強くなれる。
精神的に成長し、感情よりも理性を優先できる術も多少だが身に付いていた。
「強襲科、なあ。協力云々はともかく強襲科自体は別に悪くないんだが……」
「なによ不満があるの――――って満更でもない様子かしら?」
拒絶されることを想定していたらしいアリアは意外そうな顔を向ける。
キンジは悩むように腕を組みながら、
「そりゃ、元々強襲科として去年の十二月までは過ごしてきたからな。見知った奴も多いし。いつも死ね死ね言う輩ばっかりだけどいい奴らばかりだよ。転科しろって言われたら強襲科以外は勘弁してもらいたい」
「ふ~ん、ちょっと拍子抜けね。もっと抵抗するかと思ったから断り辛いように押し掛けて来たのに」
「確信犯かよ!?」
「作戦よ。それにしてもちょっと予想が外れちゃったわ」
「予想?」
ブランコに乗りながらキーコキーコと前後に動かすアリア。スカートから覗かせる物騒な
「アンタ、今は探偵科の
「Bランクは出来過ぎだ。あれはケイのサポートがあったからこそできた。俺の実力はDランク、良くてCランクがいいとこだ」
それは半分当たり、半分外れといったところだった。キンジの能力は決して低くない。
兄の仇である武偵殺しを死に物狂いで探した。
午後に行っている探偵科の講義はまさに犯人の捜索術、追跡術、プロファイリングなどの技能を学ぶもの。より身を入れて授業に取り組んだ。そのせいで国語や数学の成績が落ちていはいたが。
元から才能もあったのだろう。だからこそセグウェイに追跡される窮地の状況でも自身が助かる方法を思いつくことができた。
凄腕の武偵で高い医療技術を持つ兄。同学年の武藤、不知火、白雪はAランク武偵。ケイは二つ名持ちで数多くの事件を解決してきた実績を持つ。
周囲の人間のレベルが高すぎるゆえにHSS発動時以外の、自身の能力を過小評価する傾向にあったが限りなくBランクに近い実力を既に身に付けていた。
「ケイ? それって大石啓のことよね。アイツがなんかしたの?」
「……俺の住所を調べ上げたのもそうだけど、お前どれだけ調べてるんだよ……」
「アタシは三学期から使えそうな奴は調べていたの。アンタはノーマークだったけど、大石啓については十分な資料を集めているわ。それより話を逸らさないで。試験のときになにやったの?」
キンジとケイが仲が良いことは知っていた。
諜報科Bランクの風魔陽奈に餌付け、もとい報酬を払って調べ上げていた。
だがなぜランク考査に彼の名前があがるのか?
アリアはそこに興味を持った。
キンジはぶっきらぼうに言う。
「別に大したことじゃねーよ。筆記の手伝いに……実技の情報収集考査で、アイツが試験官の目を逸らしたおかげで試験時間を必要以上に取れたってだけだ」
「はぁ? 今回の情報収集って……たしか試験官が臨時に立ちあげたブログを僅かなヒントから探し出せってお題目でしょう。どう関わるのよ」
「い、いいじゃないか、そんなこと」
カチャッ!
黒光りする二丁の銃口がキンジを狙う。
「ごちゃごちゃまどろっこしいのは嫌いよ。言わないなら顔面にもう二つ鼻の穴を追加してやるわよ! それと告げ口とかつまらない真似はしないと誓うわ」
「……チッ、めんどくさい奴」
半ば脅迫まがいの文言に舌打ちをするキンジ。
身体はミニマムだが態度はビッグな少女にぽつぽつと話す。
「ケイが試験中にエロサイトを見て試験官にドヤされてたんだよ」
「………………さ、さいっっっっっってーーーーね!!」
アリアの中でケイの株が大暴落を起こした。
ガラガラとなにかが崩れ落ちる幻聴が本人には聞こえていた。
ジト目にプラス冷気が含み始めたところでキンジが慌てて弁解する。
「ま、まて事情はあるんだっ!」
「どんな訳あるっていうのよ! しし試験中にっ! え、ええ、ええええエリョサイチョを見てるとかフザケ過ぎじゃないっ!!」
ガチャンとブランコから勢いよく立ち上がり、顔をリンゴよりも真っ赤にしながら噛みまくるアリア。
目線は丁度同じ高さだった。
「アイツはどうも武偵ランクを上げたがらないんだよ」
「それと試験がどう繋がるのよっ」
「いいから聞けって! その一件でケイは強制的にEランク確定になったんだ。無難にこなせばC、Bくらいはいけるはずなのに。担当官との問答をしている間に時間が終了していたんが、前代未聞のことで相手も頭に血が昇っていてな。ヒントらしきキーワードをボロボロこぼしてたんだよ。終了の合図は試験官が通達するまでってなっているし、ヒントを言いまくり。ごちゃごちゃしている隙を突いた結果として、探偵科の成績は大幅に上がったってわけだ」
「そんなの結果論じゃない! 大石啓――あーー、もう面倒だわっ。そのケイって奴の大ポカ、エロ猿がアホなだけってことでしょ!」
「だからなんだ」
「え?」
落ちついた口調でハッキリ言った。
「俺は運良くBランクになって、アイツはEランクに落ちた。しかもその悪行が一部で広がっていて一年の中にもケイの実力を疑問視する声は広がっている。依頼の誘いもかなり減ったし、今では断り続けてばかりだが誰も気にしていない。着々と武偵高を去る準備が整っているってわけだ。全てはアイツの計画通りにな」
「ちょっと待って、それ初耳なんだけど。ケイは武偵を辞めるつもりなの?」
「そうだ」
「……そう。勿体ない気もするけど、それも良いのかもしれないわね。実力不足も否めないし」
「おい……何様のつもりだお前。ケイは十分凄いだろうが」
ムッとした顔で少女を睨む。
友人が貶める発言にも聞こえる。
一年以上の付き合いのある友を今日知り合った少女が訳知り顔で言われるのはシャクに障った。
「実際そうでしょ? 自転車でセグウェイに体当たりした勇気は認めるわ。立派な武偵ね」
「当然だろ。ケイの
「だけどそれとこれとは別よ。筋肉、判断力、反射神経、動体視力、CQC、射撃技術、格闘技術etcetc――――朝のアンタに比べたら全てにおいて彼、大石啓は見劣りするわ。最初はアンタと一緒にスカウトしようかと思ったけど…………本人が辞める気なら無理に止めるつもりはないわ。やる気の無い奴に興味はないし、引き止めるほどの魅力も感じない」
「俺の所には無理やり押しかけておいてか?」
「論より証拠。アンタはアタシの目の前で実力を見せた――あの動きは凡人が一生掛かってもできない、一握りの天才じゃなきゃね。もちろんケイが駄目ってわけじゃないわよ? 実績という数字の上では確かに凄い。最近は依頼をこなしてないから実戦で観察する機会はなかったけど、何か光るものはあるのかもしれない。だけどアタシには判るの。彼は一般人レベル――凡人だってね」
「根拠は?」
「勘よ」
「勘かよ……」
「アタシの勘は結構当たるのよ。そうじゃなくとも今、求めているのは最前線で戦えるフロントマンよ。それもアタシの背後を任せられるくらいのねっ。それは遠山キンジ――アンタよ! 九九回の事件で一度も犯人を逃したことの無かったアタシから、初めて逃げおおせたアンタだからこそ信用できるの。光栄に思いなさい!」
「俺は犯罪者じゃないっての……」
宣言しながら、ふふふっと楽しそうに笑うアリア。
その表情はまるで初めて頼もしい友人を得たという親しげな雰囲気で、白雪とはまた違った魅力の少女にキンジは思わずそっぽを向いた。
なぜか心臓が高鳴り、性的興奮――HSSが発動しかけたからだ。
昂ぶる感情を鎮めるために、キンジは慌てた口調で本題に戻す。
「と、とにかくだ! 少なくとも武偵殺しに関しては全面協力してもいい」
「当然ね! アンタはもうアタシのパートナーなんだからっ」
「ただし、要求が一つある。報酬といっていい」
「報酬ってアンタねぇ……」
「お前は俺に協力しろと“依頼”した。ならば
「言うじゃない! まあ筋は通っているし……いいわ。ならアンタはなにを要求するのかしら?」
キンジはじっとアリアを見る。
考えているのか数秒の時が経つ。
アリアはその目線が自分の身体に向いていると勘違いしたのか、頬を真っ赤っかにしてバババッと両腕で身体を隠すようにした。
「あ、あああアンタッ。まままさか性的よよ欲求とか――――」
「――――ケイにもう一度、武偵の魅力を思い出して欲しい。その上で武偵を諦めるか判断して欲しい。そのための協力をお前にもお願いしたいんだ」
「へ?」
間抜けな声がアリアから漏れた。
キンジは真剣な目で語る。ただ友のために。
握った両の拳は肌が白くなるほどだった。
「アイツは武偵高の誰よりも真摯に、真剣に、真正面から武偵として向きあい戦っていた。だけど……俺が……俺のせいでアイツは武偵の道を諦めたんだ。女々しいかもしれない。迷惑かもしれない。だけど…………ケイのお陰でまっとうな人生を送り始めた奴らも多いんだ。俺だってうじうじと兄さんの後ろ姿ばかりを見て、周囲の頼もしい仲間たちに目をやらなかった……そんな糞ったれな人生まっしぐらな俺を助けてくれたのがケイだ!」
「…………アンタ」
「俺はたぶん初めて武偵として生きるか悩んだ。普通の高校生として生きるかどうかを。理不尽な連中の言葉に耳を塞ぎながら何度も何度も……。そして戦い続けることを決意した。だけど……ケイはもう…………武偵に絶望していた。辞めるとハッキリ言った。無理に武偵になってくれ、とは言わない。ケイに助けられてばっかりの俺が口出しをする資格はない。だけど、もう一度だけ振り返って欲しい……お前の側には多くの仲間と救われた人々がいるのだと。だから――」
キンジは兄に憧れ、その背中を追う事ばかりしていた。
武偵という仕事の闇の部分に目をそむけ、流されて武偵を目指していた。しかし今は違う。
殉職や市民の弾圧もあるだろう――それでも前を向いて生きると決意した。ダイヤモンドでも砕けない意志で突き進むと誓った。
だからこそ――
「これは俺の自分勝手で子供染みたエゴだ。でも……ケイは武偵として将来誰にも真似できない境地に至る――そう確信しているし、信頼しているんだ。だからお前…………いやアリア、協力して欲しい。俺への報酬であり依頼は『大石啓の武偵への道をもう一度考えさせる』。これだけだ」
「随分、曖昧な要求ねぇ……」
「駄目か?」
「アタシを誰だと思っているの? アタシは神崎・H・アリア! 英国の由緒正しい
「そ、そうか……(雷と泳ぐことは苦手なのか)」
「そうと決まったら、ソイツの家に突撃よッ! アタシが風穴空けるって言えばきっとすぐ思い直すに違いないわ!」
「それじゃ脅迫じゃねえか!?」
「ちょ、ちょっとは・な・し・な・さ・い・よ~! ドレイのクセにナマイキね!」
「勝手にドレイにするなよ! ちゃんと作戦は練ってあるんだっての」
拳銃を両手に飛び出そうとしたアリアをキンジが後ろから羽交い締めにして数分。
足のスネや腕を齧られつつもなんとか平静を取り戻したアリアにキンジは、自分の考えていた作戦を伝える。
それを聞いたアリアは最初は驚いたように目を見開いたが、徐々に呆れた感じでキンジを見ていた。
「……アンタ、戦いのときは冴えてるクセになんでそんな作戦を思いつくのよ。それって最低でも留年、最悪退学もあり得るんじゃない?」
「あれはちょっとハイになってたというか……まあ兎に角だ。今のアイツはどんな依頼でも断りかねない。だからこそ断り辛い条件を加えれば一、二件は引き受けれくれるはず。それにケイは女の子に弱いからな、アリアの美少女っぷりなら意見を通しやすいはずだ」
「まどろっこしいわねぇ」
「お前が猪突猛進過ぎなんだ。下手に意固地になられたらアウトなんだからな。とりあえず作戦は明日から行う――いいな?」
「判っているわよ。その代わりアンタもキチンと働きなさいよ」
「判ってるさ。全力でやらせてもらうさ。これからよろしくな」
「ええ」
自然と手が伸びて二人はぐっと握手をした。柔らかい感触をキンジは感じ、固くゴツゴツした手をアリアは感じ、少しだけ赤くなった。
作戦の段取りを決めたあと、二人は寮に戻る。
夜遅くなって帰るのが面倒になったのかアリアが泊まると言い出し「帰れ」「帰らない」と口論しながら。
まるで十年来のケンカ友達のように――
煩悩>推理、これ大事(笑)
ケイVSホームズの勘違いをどうするか凄く悩みました……。