嵐は止まない。
彼女にとって風は身近なものだった。
時に激しく、時に緩やか、時に破壊し、時に爽やか。
幼少より纏ってきた第二の家族と言えるかもしれない。
慣れ親しんだ風を全身に浴びながら、少女はただバスを見続ける。感情に蓋をしてただ見続ける。今はまだその時ではないから。
少年がヘリから降下していった。
下手をすれば即死もあり得る高度から自然に飛んでいく。降下というより、階段を一段降りるような気軽さだった。
少女はただ見続ける。
刻が来るまでただひたすらに――――
ケイより一足先に出発したアリア班。
ヘリで学園島の上空を縫うように進み、バスの近くまで接近する。
元々は滑走路を建設するために作られた
その上に作られた学園島は東西五〇〇メートル、南北二キロと細長く、バスや自転車を使わないと不便なくらいの距離があった。
視界の悪い嵐の中で、道路を走る長方形の物体――バスの姿をカメリアの瞳が捉える。
装備チェック、OK。敵狙撃兵などの存在、認められない。心拍数、やや高いが概ね良好。
ふぅ、と息を吐く。いつもなら手早く済ませていた準備。だが彼女の後ろにはいつもと違う要因があった。
仲間。
肩を並べ、苦楽を共にし、そして犯罪者を捕まえるための頼もしい――
静々と任務をこなすレキとはまた別の人たち。同級生の四人、不知火亮、武藤剛気、星伽白雪、大石啓。
アリアは身じろぎをして
間違って着てきた『SSサイズ、男性』と書かれたベスト。とても着心地が良い。ジャストフィット。英国では大柄な外国人用に調整されたブカブカ装備と違ってズレが少ない。
だが不思議と胸の奥から込み上げる怒りを覚え、ベストをぼすぼすと数回叩く。
何が彼女をそうさせるのかは繊細な年頃の乙女にしか判らない難題だろう。
一度両手で胸部に触れる。
ポフポフポフ
長い長い溜息を吐いた彼女は頭を左右に振ってバスを睨みつけた。今考えるべきは自分個人のことではないと切り替えたのだ。
風雨は激しいものの、この程度なら問題ないとアリアは直感的に判断を下す。
「アタシが先に降りるから、武藤、不知火の順番に降下してっ!」
「おうよ! ドンと来いだぜ!」
「いつでも行けるよ」
「じゃあ、アタシに続いて。三数えたら降りるわ。三……二……一……GO!」
ドアを開け、何の迷いもなく、彼女は空の人となった。
常人なら物怖じをしてしまいそうな高さだが彼女には関係ない。これ以上の修羅場など幾つも潜ってきた。臆する理由はない。
――もしイギリス時代の武偵たちが今の神崎・H・アリアの姿を見たらおかしいと呟くかもしれない。
理由は簡単なもので天才特有の独特な感性を持つ彼女に合わせるのが至難の技だからだ。
人材もえり好みするし、自分レベルのパフォーマンスを無意識に要求してしまう。
ただ今回に限っては状況が違う。
第一に時間がない。彼女の目的を達するためには是が非でも、この事件を解決したかった。
無論、欲を言えばSランク相当の実力を隠しているであろうキンジを引き入れて能力を図りたいという意図もあったが、運が良いのか悪いのか件のバスに乗り込んでいる。仕方ないと合流を優先することにしていた。
第二にキンジやケイと一緒に依頼をこなしたことが彼女の精神的なハードルを低くしていた。
ケイのいないところでキンジと喧嘩していたり、豪快な元警視総監がやってきたり、刀を持った女子が襲いかかったりと始まりから終わりまで騒がしい一日だったが、悪印象は少ない。
見えない心の天秤が無意識に“協力”という方向に振れていただけのこと。
誰でもできるとても小さなこと……だけど、アリアが無意識に選んだ行動はとても大きい。
その事実に気付かないまま、彼女はパラシュートを操りながら降下する。
雨粒がヘルメットに当たりバチバチを音を立てる。左右に結んだツインテールが意思を持ったかのように風を受けて暴れる。
それでもアリアは程よい高さからパラシュートを切り離し、風に吹き飛ばされないようにワイヤーを射出、固定。バスの上に危なげなく着地した。
雨で滑りやすい金属の床で落ちないようにしっかりと踏みしめる。
「先に入るわ!」
アリアは返事を待たず、迅速に行動を開始する。猫科の動物を彷彿させる、軽くしなやかな身のこなしでスルリとバスの内部へと入り込んでいった。
「二年の神崎アリアよ! 救助に来た――きゃぁ!? 荒い運転ねぇッ!」
一度バスが大きく揺れてフラ付きながらも姿勢を戻す。
助けが来たことに気付くと生徒たちは一様に明るい声があがる。
彼女の小さな体躯に不安げな表情を見せた生徒もいたが、Sランクの知名度ゆえか「二年の有名な先輩だ」「あのSランクの……」と小声で話し、胸をなでおろしていた。
周囲の反応には目もくれず、アリアはキンジを探す。すると肩を怪我して横になっている運転手と、その近くで必死に運転しているキンジを見つけた。
近寄りながら話しかける。
「随分ワイルドな運転するじゃないキンジ。レディをエスコートするには運転技術も必要よ?」
「アリアか!? お前が来たということは外の奴は倒したのか?」
「外? 何言ってるの?」
「お前こそ何言ってるんだ。この前、俺やお前を狙ってきたUZI付きのセグウェイ――アレの車バージョンが併走してただろう? 赤い奴だ。あれが窓を撃ちまくったせいで運転手が負傷したんだよ」
キンジの言葉にアリアは怪訝そうな表情を見せた。そんな話は聞いてないと言う風に。
「ちょっと待って。赤い車…………いえすぐ近くにはいなかった気がする。にしてもアンタ、電話じゃ何も言ってないじゃない」
「そもそも俺は電話なんて取ってないぞ!」
「どういうこと……?」
話が喰い違う。見えない糸が彼らを絡み始めていた。
アリア突入のあと、間髪入れずに男二人組も風に揺らされながらもバスに接近する。
武藤が着地し、不知火も着地しようとした瞬間――バスが強引な進路変更を行う。
三車線の内、中央から右へと。
急激な駆動に車体が数mm左のタイヤが浮き上がり激しく揺れる。
下手をすれば横転しかねない乱暴な運転に武藤が舌打ちをしながらバスにへばり付く。
「危ねえ!? んったくよぉっ、一体誰が運転してやがんだよ! 俺なら一○回轢いてやりたいくらいへたくそだなーオイ! そう思わないか、しらぬ――?」
振り向くともう一人の仲間の姿が見当たらない。バスに突き刺さったワイヤーだけが空しく有るだけ。
一般人なら茫然としてしまう事態だが、そこは修羅場を潜ってきた武偵高の生徒。転落のケースにすぐ思い当たり、慌ててバスの左側面へと寄る。
見下ろすと不知火はそこにいた。ヘルメットが外れている以外、外傷らしい外傷はない。
危険を瞬時に判断したのか、ナイフを抜き放ち、バスの壁に突き刺してなんとか道路に投げ出されないようにしていたが、いつ投げ出されるか判らない。
「大丈夫か不知火!?」
「は……ははは、なんとか、かな? しかし右腕がなかなかキツイね」
「待ってろ、今引き上げるからな!」
そうは言ったものの不知火のワイヤーを引っ張り、彼を引き上げよう踏ん張りが利かない。
金属の上では雨が摩擦係数を著しく減退させ、下手すれば自分が落ちてしまいかねなかった。別の方法が必要だった。
不知火の危険な状況はそれだけではない。
バスの左後部、時速八○kmで走る大型タイヤが、無慈悲にも回転している。
時折ケプラー製のベストをタイヤが激しく擦り、ゴムの焼けたような匂いが鼻先をよぎる。引き込まれたら骨は粉々、肉はすり潰されて生前の面影を残さない死体の出来上がりだ。
ハリウッド映画さながらのアクションだが、映画と違ってこちらは文字通りの命掛けなのだからシャレでは済まされない。
車輌科の武藤は慣れない展開に四苦八苦しながらもなんとかバスの中に入る。
中を見ると運転手らしき男が横に寝かされ、何故かキンジがドライバーに付いている。
「お前かよ!?」と突っ込みを入れたい気持ちを抑える。今は不知火が先だ。
顎に手を当て悩んでいたアリアも彼の危機に気付く。
ただ武藤がジェスチャーで「こっちは任せてくれ、爆弾は頼む」と伝えたのでそのままキンジのところに居た。不知火を引き上げるには純粋な力が必要。自分の方が適任だろうと考えた結果だ。
近くにいた一年に早口で伝える。
「そこの一年! 俺がそこのポールに自分のワイヤーを括りつけたあとで仲間を引き上げる。手を掴んだら後ろから他のヤツと協力して引っ張ってくれ!」
「あ、は、はいっ! で、でも先輩……あの外で――」
「いいから早くしてくれ! 俺は強襲科じゃねえから細けえ判断はあっちのツインテお嬢様に頼むぜっ!」
そう言って有無を言わさず手伝わせる。
武藤が手を伸ばす。大柄かつ腕のリーチもある武藤の手の範囲に不知火を納める。
不知火は歯を食いしばりながら、右手のナイフを握りしめ、左手を伸ばし、ハシッと力強く掴み返す。
「まったくバスに乗るだけでも大変だよ」
「キンジが運転してるみたいだな。あの野郎、死にかけたって文句言ってやる! 今度四人で『レッツゴーゴーカレー』の全乗せトッピングを奢らせようぜ!」
「なかなか手厳しいねぇ……じゃあ僕はスペシャルメニューで、も……?」
一台の車が真横を通り過ぎる。
引き上げられる瞬間、視界に入る。どうしようもない違和感が彼に警鐘を鳴らす。
ポタリ、と濡れた前髪から水滴が流れ落ちる……音がやけにはっきりと聞こえた。嵐で碌に聞こえないはずなのにだ。
不知火亮は人気者だ。弁当の差し入れやデートのお誘い、頼りにされることも多い。
だが周囲の女子が息を飲むほどの容姿や人当たりの良さなど所詮普通の高校では人気者でも、武偵高校では一概にも言えない。
武偵高の生徒は常に
『無能な仲間は敵より怖い』――戦争モノではよくボヤかれるお決まりのフレーズ。
彼が好かれるの真の理由は肩を並べ、背中を預けてもいいと思えるほどの実力者であることが一番の要因だ。
だからこそ気付く。誰も乗っていない車がいることに。
(無人の、車……ッ!?)
同時にアリアの叫びにも似た声が耳に届く。
「犯人のオモチャよ!? してやられたわッ!!」
「つ――!?」
「え、いや、どういうこと……」
一人事態をうまく飲み込めない武藤は手を伸ばしたままだ。
車内のどこかで、くぐもっているがやけに聞きなれた声が彼らに告げる。
『大丈夫だアリア。トラブルはガードレールにぶつけてガラスを割った程度だな。あとはガードレールにぶつけて風通しが良くなった』
キンジに良く似た……だが決してキンジが喋っていないはずの音声が、誰かの携帯から流れている。
声帯模写――アリアの掛けた携帯はそもそもキンジに繋がっていなかった。
運転していたキンジから話を聞いたアリアは自分たちが危険な状況に陥っていることに気づく。
スカートがめくれ普段は秘匿すべき純白の布が見えることも厭わず、アリアは太もものホルスターから拳銃を抜き放つ。
狙いはオープンカーに取り付けられたUZI。
だが裏を掻かれた格好の状況で、相手の銃弾が先に発射されるのは火を見るよりも明らかだった。
弾丸は発射される――――薬莢が排出され銃身から弾が解き放たれる直前。
その時、敵の銃口を注視していたアリアと不知火は視界の端で、何かが上から落ちてきたのを確認する。
まるで図ったようなタイミングで落ちてきた物体は、タイヤの下へと吸い込まれるように落下した。
ガツ!
何かが割れるような音と共に右側のタイヤが跳ね上がり、車は横転しないまでも片輪走行の格好となった。
オープンカーに固定されていたUZIは目測を誤り、弾丸は不知火たちの頭上を通り過ぎる。
そのチャンスを見逃すほど彼らは甘くない。
「武藤君強く引っ張るからしっかり支えて!」
「お、おおぅ!?」
「くっ、はぁぁぁぁぁっ!!」
右手のナイフを握りしめ、渾身の力で上体を引き上げる。
その勢いのまま、左手は武藤の腕を絡めるように掴む。
身体を捻り、右肩で武藤の胴体にショルダーアタックをした格好となる。刹那の時間、右手が完全にフリーとなり、腰に手を当てた。
素早くホルスターからサブマシンガンにも匹敵しそうな巨大拳銃を引き抜く。
H&K MARK 23――通称《ソーコム》。ドイツH&Kが開発した名銃であり、迷銃。海水に数時間浸けても使え、地球のあらゆる場所で作戦行動を行え、耐久性も抜群。ただしサイズはハンドガンにあらず、ハンドキャノンと称していい化け物拳銃。
そんな超重量の拳銃をいともたやすく手に持つと、コンマ数秒だけアリアの視線を盗む。彼女は目線だけ動かしただけで狙いは変えない。
誰がどこを撃てばいいのか――迷いが一欠片もない彼女に不知火は苦笑する。
(自分のやることをやり通すって感じかな。神崎さんらしい、一直線なやり方だね)
引き金に力を込める。
彼女が銃を狙うなら自分は別の場所を。
アリアの弾丸はUZIに。不知火の弾丸は敵のタイヤを撃ち貫く。金属片が飛び散り、走行に致命的なダメージを与える。パンクというより破壊といってもいいほどだ。
人間が操縦していたならまだしも、遠隔操作された車ではそれ以上走行することはできなかった。
操縦が利かなくなり、スリップしながら最後は横転する。車はうまい具合に道路を塞ぐことなく、道路の隅で黒煙を吐いていた。
不知火は一度、上空を見上げた。ヘリからケイの姿が見て取れた。
親指を立てて御礼の意を伝えた後、武藤に引き上げられる。
「やれやれ、爆弾も処理してないのに随分とぼろぼろになっちゃったな」
「水も滴るいい男って奴だろ。普段から爽やか過ぎるし、間を取っていいんじゃねーか?」
「だったら、勝利を祝うシャンパンシャワーの代わりと思うことにするよ」
「前借りもいいとこだな」
武藤がからかうような声に不知火は軽く肩を竦めた。
思い出されるのは不自然な車の跳ねあがり。あれがなければ死ぬ可能性もあった。
「大石君に助けられたみたいだね」
「あー、やっぱ何かしてたのかアイツ」
「たぶん車のタイヤに障害となる物を投げ込んだ、かな? かなりの速度が出てるし、うまく跳ねたんだろうね」
不知火に見えたのは何かしらの物体が車の下に落ちていったことだけ。
だが上空からケイが身を乗り出し、不知火たちを見ていた。何かしらやったのだろうと予想できる。
車は高速で動けば動くほど段差に引っかかったとき高く跳ねやすい。タイヤ目掛けて何か硬いものでも
爆弾の関係で時速八〇k/m以下にできないバスに併走してたのだから、タイヤで押し潰れない硬度でかつ数センチの大きさのモノなら跳ねる高さも大きくなる。
そのおかげで敵の射撃線から逃れることができたのだった。
「アイツらしーなホント。どうせなら直接拳銃で撃ちゃいいのによ」
「そっとサポートするのが彼流だし、いつものことだしねぇ」
「それもそうだな。いつものことか」
周囲の人間には判らないであろうやり取り。
二人にとってはいつものことで済まされていた。
裏方に徹すると言いながら、いつの間にか最前線にいたり、過保護じゃない程度に手伝う友人。
実際は作戦行動前に出歩いたら逮捕対象と鉢合わせしたり、お腹が痛かったから堪えていたら別の意味に捉えられたりしているだけだが。
ケイが聞いていたら断固抗議しそうな話題をしたあと、二人はキンジたちの元へと行く。
武藤がキンジの肩を軽く叩いた。
「まったく、お前が運転してたんかよ。危うく死にかけたぜ。ほら運転なら俺に任せとけ! 免停リーチ中だけどな!」
「リーチ一発、バスの通行帯違反でドラ一付きのザンク……減点三九点か? ……スマン」
「重い方の死亡事故三回分じゃねえか!? そこまでひどくねーだろこの野郎! 轢くぞ!」
「悪い、少し悪ふざけが過ぎた。……頼む武藤。爆弾はキッチリ始末するからバスを……みんなを頼めるか?」
いつもの軽いやり取りのあとで頭を下げる。
キンジ、ケイ、武藤、不知火の男四人メンバーで一番真面目な性格をしているのはキンジだ。
兄の死を乗り越えてでも武偵高に留まった彼は、もしかしたら学年で一番真摯に勉強や訓練に取り組んできたかもしれない。
バスジャックで役に立っていない自分を内心責めているのか、表情は険しく、拳は強く握られていた。
バックミラーやクラッチレバーの感触を手慣れた動作で確かめながら武藤は運転席に着く。
「飯、一回奢れよ」
「え?」
「依頼で迷惑掛けたら飯を奢るってのが、いつもの決まりだろ。飯食って糞して水と一緒に流すから、そんで手打ちにしようぜっ」
「そんな決まりあったか?」
代返やテスト範囲を教えるとかならやったことがあるが、これといって決まりを作った覚えがなかった。
チームを組んで依頼をこなすこともさして多くない
あまりチームを組まないキンジが思わず疑問の声をあげる。
「そこは流れで察しろよ! あー、とにかく俺は運転しか能がねーからあとは頼むぜ。お前なら俺ができねーこともできるんだからよ」
「そうか……判った。後は任せてくれ。犯人に吠え面かかせてやる」
「おう、頼むぜ! それに今日は
「もしかしてケイが来てるのか!?」
「そーいうこった。ま、頑張れよキンジ!」
「あ、ああ……」
手の甲をぶつけ合い、武藤はそのまま運転に集中する。
まっすぐ走っているだけなのに彼がハンドルを握った途端、車内の微弱な振動が収まる。周囲を警戒し、不審な車が居ないか確認しながら進む。
車輌科Aランク、武藤剛気――――運転技能は東京武偵高校の中でも指折りの実力者。車内全体に重くのしかかっていた目に見えない重圧が幾分霧散していた。
その姿を見たあとキンジは振り返る。不知火主導で爆弾の捜索に当たっていた。
マイペースなアリアは彼らと同じような場所を流さず、車内の側面やダッシュボードなどを漁っていた。
キンジと武藤の会話が終わるのを待っていたのか、不知火が話しかけてくる。
「話は終わったようだね」
「ああ、不知火も悪い。俺の下手な運転の所為で――」
「それは言いっこなしだよ。それよりもっと建設的な話をしよう。状況を確認するよ。僕たちは学園島~お台場間の橋を渡りきっている。さきほど連絡があって警察や武偵局が交通規制を行っているんだけど、東側は別の交通事故があって大渋滞。最終的にはレインボーブリッジに向かうことになるかもしれない」
「まだ時間はあるが……予断は許さないか。確か燃料がやばかったよな?」
「だね。燃料メーターが二割弱だから……三〇分くらいかな。正直やばいね。学園島は曲がり道が急だから戻れないとして、お台場も台風とはいえ会社員やカフェの従業員とかが多い。唯一行けるのがレインボーブリッジだけど橋を渡り切って南にいけば品川、北にいけば東京駅……どれも最悪の事態になる。日本至上類を見ない大惨事に。事件を解決できなかったら僕らは、マスコミのフラッシュを嫌というほど浴びる羽目になるだろうね」
「写真を取られて一面を飾るより、額縁に入ってお通夜の方があり得る状況だけどな……」
「無能って花束を添えられてかな? 死人に鞭打ちようなことはされたくないなぁ。……ここで、食い止めないとね」
「もちろんだ。それで爆弾の場所なんだが……アリア、ちょっといいか?」
「なによ」
キンジがアリアを呼ぶとぶすっとした表情で答える。
携帯の件で武偵殺しにまんまと騙されていたせいだろう。険呑な目つきでずっと爆弾を探していたのだった。
「爆弾なんだが、たぶんバスの真下ある。ほぼ確実に」
「ふぅん……随分断言するじゃない。まぁ確かにアタシもそんな
その言葉にアリアの目が猫のように細められる。
訝しげというより、興味を惹かれたのか、言葉のそっけなさとは裏腹に何処か期待するような目でキンジを見上げていた。
キンジはもう一度考える。探偵科で一体自分は何を学んできたのか。数ヶ月の努力は無駄にしたくない。
脳は断片的なピースを迅速かつ正確に拾い上げていく。推理学や犯罪心理学など分厚い資料を片手に勉強してきたのだ。今こそ役立てるとき。
(車内……アリアたちの降下……犯人のポリシー……時間……解除……それにケイの存在。ならば選ぶべき解決方法は――)
彼女が顎で次の言葉を施すとキンジは額に掌を当てて何かを考えるような仕草をしつつ話す。
「そう、だな。爆弾があったと判ったとき俺はみんなに指示していくらか室内を改めたんだ。敵の妨害もあって進まなかったが、判りやすいところにはなかった。それにアリアたちが上から来たのなら天井にないことも証明している」
「ええ、そうね」
銃口で狙われ、慣れない運転と後輩ばかりの車内。
自分が守らなくてはならない――その極限状態でも彼は事件を解決する糸口を探っていた。
だからこそ話すべき内容はすぐにまとまっていた。話は続く。
「そして相手の攻撃だ。犯人は遠隔操作したUZIでこちらを攻撃したが、どうも窓より下を狙ってない気がする。つまりバスの下部に設置した爆弾に弾が命中することを嫌ったのかもしれないってわけだ。愉快犯的な思考もあり得るが……武偵殺しは尻尾の欠片すら見せない狡猾な奴だ。何かしらの意図が含まれていると考える方が自然だろう。爆弾の場所を特定したら、あとは解決方法についてだが――」
スラスラと答えていくキンジにアリアは目を見開く。
咄嗟に声を出そうとしたが音がうまく喉を通らない。くぐもった断片が息と共に吐かれるだけ。
トクンと、鼓動が聞こえた。
彼女の小さな胸の奥にあったあやふやな答え。
勘では判るが、理屈が解らない。一という答えが存在し、即座に一と答える彼女に方程式など解せない。天才であるがゆえに凡人を納得させる
でもキンジの答えにはその“理屈”が存在した。
言われてみれば簡単な理論。コロンブスの卵に例えるのもバカバカしい。
しかし彼女は喜色満面な顔でキンジを褒める。
「キンジ……アンタ、やるじゃない! そう、そうよ! アタシはこういうパートナーを――」
「アリア、済まないが話を続けていいか? もう時間がない。事態は切迫してるんだ」
「え? そ、そうね! 奴隷のクセに判ってるじゃない! ……そ、それでどうするのよっ」
一瞬事件のことなど忘れてしまいそうなほどの驚き。条件反射か照れ隠しか、ついつい奴隷と言ってしまっていた。
ちょんちょんと自分の人差し指をつつき合いながら、大人しくなる。
舞い上がってしまった自分を内心で叱りつつ、アリアは続きを聞くことにした。
よく観察すれば、耳先がほんのりと染まっていることが判るだろう。
端から見ていた不知火は苦笑しながらも特に口を挟まない。誰も馬に蹴られたくないのだから。
キンジはそんな彼女の様子に小首を傾げつつ、気にせず続けた。
「続けるぞ……と。とりあえず不知火は下に爆弾があるか確認して貰っていいか? 床にハッチらしきものがあるから見れるはずなんだが……」
「OK。じゃあ少し様子を見てくるよ」
そう言って不知火は作業を始める。キンジはそのままアリアと向き合った。
「……正直、爆弾を解除する時間は無いと思う。だから別の方法で解除した方がいい」
「ちょっとキンジ。少し矛盾してるわよ? 解除できないって言いながら別の方法でって……」
「悪い、言い方が悪かった。爆弾なんだが……おそらく適当な器具を用いて取りつけているんじゃないかと思うんだ。爆弾をバスの下に溶接なんて真似は絶対しないだろうし、磁石でくっつけるのも途中で落下の可能性がある。離れないように強力なタイプを使えば磁気による誤作動の可能性も高まるしな。だからホームセンターで買えるような固定器具とネジでも使って、両端から固定しているはずだ」
「なるほどアタシも判ったわ。つまりアレね……器具を壊して――」
「そうだ。ドライバーとかで外してもいいんだが、最悪体温検知とか触れただけで爆弾が起動するタイプだと目も当てられない。銃弾で的確に撃ち貫いた上で、うまく海に落下させる。一定速度以下で爆発するとしてもバスが加速していれば、バスから離れてから爆発するまでにはタイムラグがあるはずだからな」
キンジの言葉は常識的に考えて、あまりにも分の悪い賭けだった。
バスの真下に潜り込みドライバーで外した方がまだ確実性がある。触れただけで爆発するデリケートなものなら既に爆発してたっていいのだから。
あまりにもアグレッシブな意見。しかしアリアは肉食獣のような笑みでキンジを見上げる。
獰猛な猫科の動物――虎とさえ思えるような好戦的な笑みで。
「最高に良い考えだわっ! キンジ、やっぱりアンタはできる人間よ。アタシが保障してあげるっ」
「……体育館の一件なら買い被りだと言っておくぞ。それより、目敏いお前なら呼んでいるんだろう? 狙撃科のエースを。ケイまで呼んだんだ。アイツを呼ばないわけがない」
「
「お前それ、俺の金じゃねえだろうなっ! まったく。……俺だってもう少しベターに事を進めてもいいとは考えていた。個々の能力に頼らない作戦でもいいかと思ったんだが時間の問題もあるし……ケイがいるなら安心してできるからな」
「ケイ? なんでアイツが関わってくるの?」
キンジの言葉にアリアが疑問の声を上げる。彼女なりにケイを分析はしていたが、いまいち判らなかった。
行動は何処かチグハグ。だが抑えるべき点はちゃっかり抑えている。
アリアの疑問そうな声にキンジは答えた。
「他者のフォローなら……そう安い言葉だが、天才的だ。神懸かり的だな。来て欲しい時に居てくれる、助けて欲しい時にやってくる、窮地になったら割って入れる。そして俺たちが失敗しても、ケイが居ればちゃんとシメてくれる。任せた背中は戦車砲すら貫けないほど重厚で頼もしい……そんな奴だ」
照れくさそうに鼻を擦って微笑むキンジ。
世の中には絶対など存在しない。だがキンジの言葉ははケイに対する絶大な信頼で溢れていた。
『仲間を信じ、仲間を助けよ』――武偵憲章第一条にもあるもっとも大切な条文。チャリジャックでも彼女はキンジを諭す言葉として使っていた。
しかし共に犯罪者たちと戦い、窮地を切り抜けてきたキンジと書類による経歴と猫の依頼以外で彼を良く知らないアリア。
元より孤独に戦ってきた。だから彼女の口から出たのは釘を刺す言葉だけだった。
「……ケイが凄いだろうことは判るわ。数字でも現れてるからね。猫の一件でも確かにその片鱗らしきものは見えた。ただアタシにはキンジがそこまで信頼できる根拠がまだ判らない。武偵は全力で仲間を助けるという信念は必要だけど、同時に
「いつも強気なお前らしくないな。それに変な言い回しだ。……言っておくが、俺は馬鹿なんだよ。どうしようもねーくらいに、な。ごちゃごちゃと考えても、いつも堂々巡りになっちまう。さっきの素敵過ぎるドライブでもな。ただ、運命を切り開くのに必要なものだけは……理解してる」
「なによ、それは」
一度言葉を切るキンジ。瞑目し、深く長くゆっくりと息を吐く。
彼の瞼の裏には過去の自分が映っていた。流されるように生きてきた昔とはいえない、ごく最近の姿。
ピッ! と右手の人さし指を立てる。
眉を顰めたアリアがその指を見ていると、彼女の鼻先をちょんと突く。
「熱いラーメン喰って、友達に愚痴ることだ」
目が点になった。そしてジト目でキンジを睨む。
「あのねぇ、ふざけないでよキンジ」
「さあな。ただ今に思うとあのときのケイには随分救われた。自身の心一つで見えない運命なんてポンポン変わるんだ。悩んだってしょーがねえだろ」
アリアは彼の言葉を胸の奥で反芻する。
――運命。
古今東西、似たような言葉はどこの国にもある。
それは小説、ドラマ、映画、時には政治家の口から放たれるある種ありきたりで耳タコな常套句。
そして思い出す。
実家では出来そこないと蔑まれてきた。弱い自分を護り続けてきた優しい影。大切な家族。
理不尽な運命に抗おうとして日本へと訪れたのではないか?
自身がそれを認めてどうするの、と自戒した。
「それがアンタが信頼するケイの姿?」
「そうだ」
「そう……なんかちょっと、羨ましい、な。アタシはずっと一人だったから」
「何言ってんだよ」
「え?」
今度はキンジが心底呆れたように言う。
「押しも押されぬ天下のSランク武偵様だろ。凡人な俺からすりゃ喉から手が出るほど羨ましいぞ。それと、お前だってもう俺たちの仲間だ。一人じゃねえだろ、なあ?」
「美少女の仲間なら大歓迎だぜ!」
「既に戦友なんだから仲間以外の何物でもないね?」
武藤がニヤリと笑い、不知火は相変わらずの爽やかフェイス。
キンジが拳を出して、無理やりアリアの拳にコツンと当てる。
アリアはあうあうあうと掠れた声で呻く。普段なれないシチュエーションにしどろもどろになっていた。
ぷしゅぅと頭の上で白煙があがる。
「ケイが始めた頑張ろうの合図だ。……レキへの連絡。不測事態時のフロント役。緊急時には爆弾処理の代理もアリアじゃなきゃ難しい。頼むぞ」
「あぅ……あぅあぅ」
「アリア?」
「――は!? そ、そそ、そうね! アタシがいないと始まらないわねっ! それじゃ早速連絡しておくわっ」
「ああ、事件解決と行こうぜ。不知火あったか?」
「うん、あったよ。とびっきりの奴がね。たぶんカジンスキー型プラスチック爆弾だ。推定容量三五〇〇立法センチ……電車が吹き飛ぶレベルだよ、これ」
「……まともに炸裂すれば、タルにナイフ刺してぶっとぶ海賊オジサンの体験を生で味わえるってわけだ」
「ただし衝撃や爆炎で五体満足には飛べないだろうけどね」
「子供のおもちゃにしちゃ笑えない話だ。どの道、さっさと処理しないとな」
そのとき、忌々しい機械音声が彼らの耳に入った。
『有明 コロシアムの 横を右折しやがれです』
犯人から突如の要求。無視すれば遠隔操作で爆破されかねない。
目の前には二手に分かれた道。キンジが急いで声をかける。
「ちっ! 武藤、聞いたか!?」
「わあってら、お前ら! カーブするぞ! 左側に寄れ!!」
「きゃあっ!?」
「アリア!」
コロンと転がったアリアをキンジがうまく胸元へ納める。
武藤の声に反応して瞬時にキンジたちを含めた生徒たちは左側に寄る。
減速で爆発するタイプの爆弾が取り付けられている以上、速度を緩めるわけにはいかない。
ブレーキをほとんど踏まずにコーナーへ突っ込む。一瞬ハンドルを逆に切り、即座に戻す。
クラッチレバーも小刻みに操作。乗用車とは比べ物にならないGに武藤が腕力と技術で巧みにいなしながら曲がる。
ギャリィィィ!
タイヤが擦れる音が車内に響き、生徒たちは必死にポールや座席にしがみ付く。
(さすが車輌科の優等生。絶妙なコーナリングだな)
ふう、と一息。冷や汗を拭うと胸元にちょこんと治まる猫が一匹。
上目遣いでキンジを見上げている。
ぶるぶると震えているが寒いというより、体温が急上昇しているのか顔が沸騰したように赤い。
「おい、アリア大丈夫か? 何処か打ったのか? お前は胸部のクッション少ないし、気を付けろよ」
「あ……あ……あ……ん、たねぇっ……ッ」
あちゃあと不知火が額に手を当てながら嘆息する。
武藤は「天誅だな」と小悪魔な顔で俺は知らんと運転に集中する。
「そそそそそれは胸っ! むねっムネのことを言いたいのね! アタシはまだ成長期がある、あるから! ひ、ひんにゅ――いえ、少し慎ましいだけよ! さっきは凄いと思ったけど、アンタはレディーの扱いがなってないわ! 調教風穴っ! 風穴、風穴、風穴すぺしゃるトルネード!」
「どわあああああああ!? こんなところで乱射しようとするな馬鹿!」
「は・な・し・な・さ・い・よ~~~~っ!!」
「離したら撃つだろうが! わ、わかった! 後でももまん買うから! ももまんピラピッドを形成するくらい買うから治まれ! 俺はまだしなくちゃいけないことがあるんだよ! お前もそうだろ!」
「ふーっ! ふーっ! ふーっ! …………。わかったわ。ちょっとカッとしちゃったけど、今は銃を納めておくわ」
「
アリアの言葉に後でどうなるのかを想像して、ガックリくるキンジ。
いざとなったらバックれようと決意しながら、目で上を示す。
「上?」
「ああ。アリアの携帯を傍受&妨害したことと言い、さっきの指令といい、どこかに中継するためのアンテナが取り付けられている可能性がある。外せば爆弾の遠隔操作を防げるかもしれない」
「……待ちなさいっ! それにしたって――?」
パチパチパチ
キンジが
最後は神妙な顔つきで頷いた。だが声だけは怒気を強める。
「――それにしたって無謀よ! アンタは何も分かってない!」
「さっきからあーしろこーしろって煩いな! さっさとアリアは後発組と連携を取れるようにしろよ!」
「判ってるわよ馬鹿! もういい! 勝手にすれば!」
「そうさせてもらう」
「それじゃあ僕の防弾ベストを渡すよ。車内の後輩君たちも不安がってるし、下手な混乱が起きないよう車内で彼らの面倒を見ておくよ」
「済まないな。それじゃあ借りるぞ」
キンジはアリアとの会話もそこそこに、不知火から防弾ベストを借りて上へ向かう。
ヘルメットも欲しいところだったが、万が一を考えて武藤は付けたまま。
アリアも連絡するために必要。不知火は転落時に失っているので、ボディだけは守れる状態で昇っていった。
(『盗聴、敵残存の可能性あり』――――あとは予想が的中しないことを願うばかりだが)
キンジには一つの仮説があった。
もし、それが当たっていたらこの作戦はおろかケイたちにも危害が及びかねない。
意を決して昇り切ると、
ビュオウ!
突風で思わずたたらを踏んでしまう。
額や頭に雨粒が当たり、水滴が垂れて視界を塞いでくる。
腕でしきりに拭いながら、風に飛ばされないようにしゃがむ。
手さぐりで探すこと数十秒。
バスの右側面。塗装と同色でカモフラージュしているが、妙な突起物を見つける。
「やっぱりあったか。よし……これならイケるか……?」
ベレッタを取り出し、至近距離から一発。残骸はバラバラと海や道路の上に落ちていった。
場所は既にレインボーブリッジ。時間も残り少ないが他の仲間たちならやってくれるだろう。
このまま事件が終わってくれればいい――そう願った矢先、首筋にゾワリと冷たい手が這うような嫌な予感がした。
咄嗟に横っ跳びをすると、
バララララララララッ!!
幾重も通り過ぎる鉛の弾丸が彼の横を通り過ぎる。
「やっぱり来やがったな! 素直に終わらせてくれるとは思ってなかったが……ッ!」
転がりながら、バスの中央部分で起き上がり、片膝を突く。
逆側の左方向を見ると、先ほどと同じようなオープンカーが二台。
おあつらえ向きにUZIも取り付けられている。
悪天候の、しかし黒光りした銃は確かな存在感を放ち、キンジを睨んでいた。
拳銃を片手に姿勢を低くしながら考える。
(盗聴器か何かでこちらの情報は手に入れているだろう。バスジャックは既に最終局面だ。これ以上の追加はないはず。こいつらがヘリに銃弾を乱射したらシャレになんねえからな。釣れてくれたのはありがたい……あとはどう処理するかだな)
悩んでいると聞き覚えのあるアニメ声が届く。
「こんの馬鹿キンジ! ヘルメットも被らず囮なんて危ないことして、冷や冷やしたわよ!」
「悪いアリア。下手に喋ると盗聴されると思ったからな……」
「判ってる。そしてこいつらを始末すればフィニッシュってのもね。合わせるわよ!」
「了解だッ!!」
彼我の距離10m前後。
ヒステリアモードでないキンジでも銃を連射すれば当てられる距離。
最悪、二丁拳銃のアリアが撃ち漏らしを始末してくれるだろう。
勝利を確信し、拳銃を構える。
(残念だったな、武偵殺し! どうやら俺たちの作戦勝ちのようだ)
そして引き金を引く――その瞬間。
ドンッッッッ!!
「なっ――!?」
「きゃ――!?」
爆音。後に見えたのはバス後部から立ち昇る黒煙。
一瞬、雨の降る方向すら捻じ曲げた爆発に思わず二人はしゃがみこむ。
バスは蛇行するも直ぐに立て直した。
(まさか、ここまで読んでたのかっ!? 糞ったれ!!)
キンジは素早く被害状況を確認するが角度の関係で見れない。
しかし煙の量とバスの速度が緩んでいないことから、威嚇用か、もしくはキンジたち武偵の隙を作るためのものではないかと予想が付く。
そして二人に向けられる銃口。いつでも撃てるぞとばかりに狙いを定め続けていた。
何故すぐに撃たないのか?
犯人の意図は読めないが楽観視できる状況ではないことだけは確かだった。
先の衝撃でキンジとアリアの拳銃は手元から滑り落ち、腕一本分くらい離れたところにある。手を伸ばせば届く範囲だが、それを許すほど敵は甘くないだろう。
自分の狙いが読まれていたことに、キンジは歯ぎしりをする。
(どれだけ多くの人々を弄べば気が済むんだ! 武偵殺しめっ!)
ヒステリアモードでなくてもイケると思っていた。
スラスラと作戦が思いつき、勢いのまま進めていた。
だがそれこそが罠。
まるで夏の蚊。誘蛾灯に引き寄せられ、自滅していく様は今の自分達にそっくりだ。
横を見ると、アリアもどう出るか迷っているようだった。
万事休すか――そう思った。
だが同時に不思議と大丈夫という気持ちも心の何処かにあった。
まだ大丈夫。
その時。
そうその時。
ヒュン!
嵐で周囲は轟音が響く中。軽い風切り音が二人の耳に届いた。
黒い影が二人の目の前を横切ると同時に、
カカァァァンッ!!
二度の打撃音が鳴り、UZIが無理やり明後日の方向へとねじ曲がる。
顔を上げると彼は空からやってきた。
レインボーブリッジのコの字状の柱――アンカレイジ部の頂点にフックを掛け、ワイヤーの伸長限界まで伸ばし、敵の銃口を逸らした。
途中からフックを外してグルグルと回転する姿は宙投げだされる人形のようにも見える。
だが力がまったく入ってない姿は逆にいえば自然体とも言えた。
そして彼はバスの金属盤をたわませながら着地する。
ただ着地はしたものの、バスは高速で動いている。
ピタリと止まることはできず、滑るように移動してキンジに背中を預けるような格好でぶつかり、ようやく止まる。
やってきたのはもちろん大石啓。
ヘルメットはしておらず、腰には拳銃もなく丸腰。ただ静かに立っていた。
ケイはやや俯き加減に敵車輌の方をぼんやりと見ていた。
「助かったぜケイ。あと悪い……ちょっとしくじった」
「…………」
「ケイ……? おいっ、お前頭!」
「血だらけじゃない!?」
「…………」
キンジとアリアが驚きの声をあげるが彼は答えない。
前髪が顔に張り付き、額からはだくだくと血が流れ出している。
鮮血が顔面をしとどに濡らし、赤黒いお面みたいになっていた。
顎先から朱に染まった水滴がポタ、ポタ、と斑点を作っていく。
そしてケイに反応したのは彼らだけではなかった。
ぎゅるんっ!
二丁のUZIがケイに照準を合わせる。
まるで待ってましたとばかりに彼の命を奪わんと銃口は顔の付近を狙う。
それは先ほどのキンジとアリアを狙った時の比ではない。
無機質な機械。だが、その奥には武偵殺しの確かな“殺意”が如実に現れ、今ここで消そうとする意思が存在していた。
銃口の動きで反射的に距離を取ったキンジとアリアは足もとの拳銃を拾い上げる。
「とりあえずじゃがみなさいっ!」
「悪いが手当は後だ! 今は――」
その時、ずっと黙っていたケイがスッ、と手をあげ喋り始める。まるで手出し無用とばかりに。
「…………必要ない……な?」
「アンタは何言ってんの! いいから後ろに下がって――」
だがアリアが言い終わる前に敵の攻撃が開始された。
バラララララララララ!
ケイと二丁のUZIの位置は丁度、正三角形を描いていた。
彼から見れば、両サイドから襲う銃弾。
弾丸の数は合計で三〇発以上。
高さの関係で敵の銃弾は下から上へ撃っている形となる。とはいえ亜音速のそれは普通なら避けることは困難――のはずだった。
フラ……ユラ……フラリ……ユラリ。
ケイが動き始める。船でも漕いでいるかのように、右に左に、前に後ろに。斜めに中腰、しゃがみもした。
端から見れば奇怪で、酔っ払いが千鳥足で自宅へと向かう姿にも思えた。
でも重要なのはその結果――――全ての銃弾を紙一重で避けていく。
ズボンに一条の焦げ跡を残し、防弾ベストの表面を削り、耳横を通り過ぎ、前髪を数本散らしながらも直撃を避ける。紙一重というより皮一重というギリギリの回避。
皮膚には赤い線が幾重にも走る。
だが目線は前だけを注視し、まるで意に介さない。
「な!?」
驚愕で声を漏らしたのはキンジか、アリアか。
命中精度の甘い軽機関銃とはいえ、命を狩り取るには一撃あれば十分だ。頭部に命中すれば高確率で重傷、直撃なら即死もあり得る。
だが、当たらない。彼は確かに居た。居るはずなのにまるで弾丸だけがすり抜けていく。姿が見える
弾が尽きたのか、排熱処理のためか、敵の射撃が止まる。
ケイもピタリと止まる。
しかしフェイントだったのか、最後の一撃とばかりに二つの銃身から火を吹き、命を奪う鉛の弾が発射された。
長年の経験とセンスからそれが危険なコースだとアリアが察知する。
(不味いわ! 動きを止めた瞬間の油断、顔面に直撃コース! くっ、間に合うかしらっ!?)
不覚にもあまりの鮮やかな回避術に呆けていた。拳銃を持ちあげるも間に合わない。
銃弾がケイの頭部を目がけて迫る。
雨も風もものともせず、空気を切り裂き、
「…………本当に、いいんだな? ……やっちまっても」
笑顔。満面の笑み。
しかし獲物を狙うような、獰猛な笑みでもなく、冷笑や誤魔化すような苦笑いでもない。
愛おしい恋人でも見つめるような、優しい瞳。
あまりにも場違いな表情にアリアは、ケイが誰かに問うているようにも思えた。
ふと思い出すのは以前キンジから聞いた犯罪者に情けをかけるという話。
(犯人に……同情、している?)
判らない。
ただ常人の計り知れない彼なりの信念の元、こぼれ落ちた言葉なのだろうとだけ察せられた。
ケイはゆっくりとのけぞる。
同時に右手を持ち上げ、腰のあたりを通り過ぎる。
撃ち返そうと言うのか?
だがホルスターには愛用のシグはなく、空を切った手はそのままむなしく前へ突き出すだけ。
緩慢な動き。とても間に合わない。でも笑い続ける黒瞳の奥には、完全勝利の未来しか映していない。
ビュオォォォォォンンンッッッ!!
風と呼ぶには生易しい、烈風とも言える強烈な風が彼らを襲う。
そしてケイの目と鼻の先まで迫った弾丸は――――
キキィィィンッッッ!!
彼の目の前で火花を散らし、弾丸は二つとも足もとへめり込んだ。
そして細長い円筒状の物体――新品の鉛筆を縦に三、四本ほどくっつけた長さの何かが、クルクルと回転しながらカランと軽い音を立ててアリアたちの足もとに落ちる。
ケイは揺るがない。
さらにのけぞった姿勢は西部劇のガンマンのようであった。
しかしテンガロンハットなど被っていないし、拳銃すらない。
無意味な動作。だがゆっくり差し出していった右手は次の瞬間。
ハシッ!
拳銃が現れた――――否、
確かに空から落ちてくるのが見えていた。
だがそれを事前に投げ、バスに着地し、敵の銃弾を避けた後で、拳銃を見ずキャッチする。
あまりの曲芸技にさすがのキンジも、ケイのこなした荒業にどう表していいか判らなかった。
(拳銃を投げたのは銃弾を避けるために身を軽くするためか……? いやそれよりあの、曲芸だ。
キンジの疑問に答える者はいない。
ケイは拳銃をUZIに向けながら、優しく――乙女の柔肌でも触るように静かに、しかししっかりとした手つきで、引き金を引き、シグは火を噴く。
飛び出した弾丸は二つの軌跡を宙に描く。
それは二丁のUZIの銃口へと正確に入り込み、爆発四散した。
そのままケイはグラリと後ろに倒れ込む。
慌てて近寄るキンジたちにケイはポツリと呟く。
「
歯ごたえの無さを嘆いたのか、別の意味があるのかは分からない。
キンジたちがそれを問う前に、彼は空中にもう一発銃弾を撃ち込み、そのままガクリと気を失った。
「おい、大丈夫かケイ! ケイ!」
「あまり揺らさない方がいいわキンジ。転倒時に脳震盪を起こしている可能性もある。ゆっくり横にして。どの道、ヘリが来たみたいだしね」
「ヘリ?」
キンジが急いで助け起こすと、ヘリのプロペラ音と共にドラグノフを構えたレキがやってくる。
ケイが撃った銃弾は狙撃の合図だと数瞬して判った。
彼女はいつものように呪文を唱える。
とても澄んだ声で。
――私は一発の銃弾――
――銃弾は人の心を持たない、故に何も考えない――
――ただ、目的に向かって飛ぶだけ――
ドラグノフから発射された弾丸は、雨を貫き払いながら寸分違わぬ角度でバスの下へと向かう。
ガキン!
取り付けられた爆弾の固定器具を正確に破壊し、四角いケースに入った爆弾は火花を散らしながら道路を滑る。
撃つ角度も調整したのだろう――橋のガードレース下をキチンとすり抜け、海へと落下していく。
最後は一際大きな爆発音がキンジたちの後ろで響いていた。
バスジャック事件を解決した後、バスの上に大の字で倒れたケイは目を覚まさなかったが、応急手当をした白雪曰く「気絶しているだけ」で命に関わるものではないと言ったので一同は胸を撫で下ろしていた。
そのままレキたちが乗っていたヘリの乗せられ病院へと搬送されていく。
キンジや不知火はケイの安否を知るためヘリに同乗し、武藤は運転手が負傷していることもあり、不満顔ながらそのままバスに残っていた。
アリアも仲間の容体が気にはなったものの、チームリーダーという立場だったので警察や武偵局の人間が来るまで待たなくてはならない。
レインボーブリッジはケイが破壊した車の件もあって、封鎖されている。
乗用車が通らない橋の上で、アリアは武偵殺しに繋がる手掛かりがないか、事件現場で調査をしていた。
拾いあげるのは一本の矢。
「なんでこんな物があるのかしら……?」
金属製の矢尻には二つの弾痕。ケイの目の前で弾丸を弾いた正体だと容易に想像はできる。
ただどうしてそんなモノがここにあるのか? 誰が放ったのか?
悩みながらも証拠物件の一つとして回収した。
このあと、警察、武偵局、東京武偵高校の鑑識科やなぜか
悩んで悩んで結局ケイが負傷する羽目に。
次回はイ・ウーのあの人がちょっと出たり、ケイの起こした勘違いの原因やらになります。
出来たら一巻の勝負のところまで行けたらなー、なんて。たぶんこのペースだときついかもですが……。