緋弾のアリア~裏方にいきたい男の物語~   作:蒼海空河

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嵐の前

 一つ。

 今の俺に発言が許されるのなら言いたいことがある。

 「誰か状況を説明してくれ」と。

 

 窓をバチバチと雨粒が叩く。

 病院特有の匂いと白成分が多い部屋の内装から俺は入院したのだろうとは察せられた。

 側の机にはTVが備え付けられており、どこかで見た俳優たちが「別れる」「待って」などと昼ドラ的展開を見せている。

 その白い世界の中で、強烈なほど自己主張する桃色髪に染めた(・・・)美少女が目の前で興奮していた。

 無論、性的な意味は皆無で、憤慨とか怒髪天を衝くとかそう言った意味合いのものを。

 

「な、なんとか言いなさいケイっ! 事と次第では、アタシはアンタを撃たなくちゃいけないわ!」

 

 アリアさんが犬歯を剥き出しにして頭上に白い煙でも吹きだしそうなほど荒ぶっておられた。

 その証拠に愛用のガバメントをこちらに向けて、キラリと銃口が俺を覗く。

 正直、怒られる理由がまったくと言っていいほど判らない。

 ふざけた妄想夢物語を見てしまった事実に気付いたところで起きたら、アリアさんからいきなり怒鳴られたのだ。

 

 最初は誤って手を握ってしまったことに対する怒りかと思って謝ったけど、どうもそうじゃないらしい。

 ズキリと額辺りが痛む。包帯、だろうか? 

 鏡が無いから判らないけど、巻かれている感触があった。

 あーと……とりあえず状況を整理しようか? 探偵科的な。

 

 最初にバスジャックがあった。それは覚えている。

 途中でぐるぐる世界が回って黒い棒かなんかにぶつかって意識がブラックアウトした感じなのも、残念ながら覚えてる。

 夢の内容もある程度は覚えているが、今は関係ないからいいとして。

 その後、目が覚めたら病室らしき白い部屋に居て、気付いたらアリアさんの手を握ってて、彼女が途端に真っ赤になって拳銃を向けられ今に至っている。

 普通に考えたら手を握ったことがアウトと言われたら、そうですとしか言いようがない――が、それに関してはスルーでただただ何かを吐けとおっしゃられるばかり。

 

 キンジや不知火とか他のメンバーは見られない。

 別件で居ないか、丁度席を外しているか判らないけど宥める人も説明する人もいない。

 ズキリとまた脳の奥底で鈍痛が走る。

 う……頭痛いし、少しボンヤリする。

 覚醒したばかりの脳みそは寝起きにも似た感覚をしきりに伝え、寝よう寝ようとベットに誘っている。

 ……なんだかんだでアリアさんも病院内で発砲するほど無茶はしないだろう。失礼なことをしたのなら後で平身低頭、謝ればいい。

 考えてみたら、春先から事故や事件の連続で下手すりゃ死ぬレベルの出来事ばかり。

 神経を擦り減らすような体験は常人の俺には荷が重い。

 身体の芯が鉛に代わったような、胸奥がズシリと重く、軋んでボロボロになっていく錯覚さえある。早めに休もう。

 

「悪いアリアさん……ちっと頭に響くからもう少し声のトーンを下げてくれると……。そうじゃなくてもここは病院だろ? 個室みたいだけどあんまり騒ぐと……ほらアレだし」

 

 そういうと彼女は「あ……」と声を漏らし、ドアの方を見る。

 丁度注意しようとやってきたのか、女性の看護師が入り口に居たが「今度は注意しますからね?」とばかりにこちらを咎める目で一瞥すると去っていった。

 よかった。とりあえず起きぬけの怒声スコールは逃れたようだ。

 看護師のおかげか、アリアさんは声のトーンを一段下げた。

 

「悪いわね……ちょっと興奮し過ぎたわ。貴族が聞いて呆れるわね。まずは御礼を言うのが先だった」

「御礼?」

 

 そう返すと、アリアさんは少し口元を緩めた。

 

「ええ。改めてありがとう。アンタのおかげで敵の攻撃から逃れられたわ。キンジが信頼するだけはあるわね」

「御礼って。別に俺は」

「別に気にしなくていいわ。ただの独り言と思って頂戴。アンタがあまり他者からの賞賛を喜ぶ人間でないことは知ってるしね」

 

 彼女は先ほどのこともあってバツが悪いのか、視線を少し反らしながらも「ありがとう」と言う。

 でも……俺なんかしたっけか?

 喉が渇いていたので、近くのテーブルにあった水差しにコップに入れ、水を口に含む。

 ゴクリと程良く冷えた水を嚥下(えんげ)しながら、心を落ちつけようとする。

 何か思い出せるかと思ったけど、そんな訳はなく……。

 記憶に残った映像はヘリから落下し、頭部の衝撃を受けたところで途切れていた。

 もしかしてまた変な誤解を受けているんじゃなかろうか?

 …………事情を聞いた方がいいな、これ。

 諦念という言葉を辞書で引きたくなる今日この頃だが、こういうことはしっかり聞き出して正さないと。

 そう思い口を開こうとした瞬間、ギロリ! とアリアさんの力強い視線が俺を映す。

 いや映すというより、刺し貫かんばかりに睨んでいた。

 スイッチを切り替えるように先ほどの緩い空気は霧散し、どこか詰問するかのごとく声音が硬くなる。

 

「――で?」

「で?」

「誤魔化さないで。さっきの寝言よ。あー……。あああ、あいあい……ッ!」

「アイアイ? マダガスカルの霊長類だっけ……?」

 

 猿をデフォルメしたような可愛らしさはあるけど、死や不幸の前兆を知らせるとかで怖がられてんだよな、あれ。

 最近の俺の出来事を考えると、ダース単位で居てもおかしくないくらいの不運には見舞われてるが。

 俺の言葉にアリアさんは顔を真っ赤にしたまま否定する。

 

「違うわよッ。あ、あい……あい……『愛しているよ……かなえ』って言ってたでしょッ。あれはどういう意味なの!」

「ぶはっ!? ゴホッゴホッ! ま、まさか……」

 

 おい。

 おいおい。

 おいおいおいおい!? それ夢の言葉じゃねえか!? 

 ま、マジで!? ベラっちゃってのか俺!?

 

「さっき寝言で言っていたこと。しかも、あ……アタシの手を握り、ながらッ。どどどういうことか、洗いざらい吐いて、もらうわよっ」

 

 わなわなと身体を震わせ、今にもアリアさんの感情が爆発するのは秒読み段階だった。

 つか、寝言聞かれてたとか、恥ずいっ。恥ずかしい!?

 やべぇ、布団にくるまって転げ回りてぇッ!

 あんな思春期の妄想たっぷりの夢なんざ話せるわけがないだろっ。

 しかも胸触って最後は拳銃でしたとか、どう言えばいいんだよ!

 

 い、いや待て、必ずしも、これは悪いことではないんじゃないか?

 彼女――アリアさんは話すうちにみるみる顔を真っ赤にさせていき、今にも拳銃を乱射させかねないほど動揺しているように見えた。

 一つ、思ったことだが。

 実はアリアさんが俺のこと好きで、だから違う女性の名前を呼んで起きたから怒ったとか言う素敵な意味での夢パターンは………………ねえな。

 ねーわ、うん。頭が痛いからって脳みそが茹だってはいない。

 

 武藤情報だと、アリアさんは一〇人居たら一〇人が「可愛い」「綺麗」と称するレベルの超絶美少女で、子供っぽく、怒りやすく、プライドが高くて取っ付きつきにくくても男子人気は高い。俺も似たような感想だし。

 そんな彼女がキンジに出会って以来、ちょこちょこと後を付いてまわり、行動を共にしている。数ヶ月前では、そんな噂はこれっぽっちもなかったのにだ。

 下世話な考え方だけど、少なくともキンジと『一緒に居たい』程度の好意は小さな胸の奥に秘めていると思っていいだろう。

 口論している場面を何度か見たが、ケンカするほど仲が良いってパターンに見えた。

 俺などアウト・オブ・眼中(死語)だろう。

 ……少し悔しいとか思ってないからな! なんで俺や武藤はいつも女子の視線からスルーされるんだとか、不知火とキンジが目立ちすぎだろとか思ってないからなッ!

 その癖、武偵女子たちの死線には晒されるが。

 ノリでCVRに侵入(のぞき)を敢行したときは真面目に死を考えた。

 

 脱線した。

 とりあえず、だ。

 だったら正直に話せばいい、のか?

 

 ……いや待て。それはそれでやっぱり駄目だろ。

 俺にだってプライドはある。

 一から一〇まで馬鹿正直に話すのは無しにするとして。かいつまんだ事実をそのまま話すことはイコール俺が夢の中で彼女さんを妄想した寂しい野郎って吐露するのと一緒だ。

 ついでにその事実が武藤辺りに知れ渡ってみろ。絶対アイツはからかってきやがる。つーかする。

 安っぽい意地だけど、守りたいものだって俺にはあるんだ。

 バチバチと窓を叩く雨音が弱まる。

 外の方の騒音が少なくなったせいだろうか。病室に備え付けられたTVから声がよく聞こえる。

 そっと視線を動かすと、画面では夕陽をバックにトレンチコートの男と着物を着た女性が向かい合っている。昭和臭極まりない。

 

『ねえ、あンた。あの女とはどういう関係なの? アタシじゃ駄目なのかい?』

『……あいつは昔の女。ただそれだけだ……いや、忘れてくれ。俺はやはり一人。誰とも幸せになってはいけない野郎だった。じゃあな……』

『待って! あンたの過去は知らないけど、関係ない! だから――』

 

 背を向けて去っていく男。男は歩いているのに、走っている女性が何故か追いつけないというシュールなお約束を見せながらCMへ突入していた。

 清涼飲料水のCMを見慣れない武偵服を纏った二人の少女が笑顔でこなしているのをスルーしながら俺は考えていた。

 これ、イケるんじゃないか? いやむしろこれしかない!

 目の前でぐるると唸る猫科の肉食獣様の毒気を抜く素敵な案を今思いついた。

 幸運ってのは意外なところに転がっているもんだ。TVを見なきゃ到底思いつけなかった。

 すぐさま行動に移す。

 

 俺はわざとらしいかなと思いつつ、少し重々しい声音でアリアさんに言う。

 俺の雰囲気を察してか、彼女も身を正した。

 

「なんて言うか、あれだ。恋人、みたいなモノだったんだ」

「……はぇ? え、え、嘘……ほ、本当に?」

「……一緒に散歩したり、射的をやったりとか、な。でも一夜限りの過ち……夢だ。もう思い出すことも……いや違う」

 

 被りを振る。力無く、夢破れた若者のように。

 全ての青春をそこに置いてきたとばかりに。

 高二のクセに何やってるんだって後でジタバタする羽目になるのは別の話。

 

「もう……思い出せない。顔すらも覚えてないんだ。笑える話だよな。恋人みたいってなんだよってさ。彼女と出会う事ももう無い、だろうな」

「ケイ……アンタ……」

 

 ふっとニヒルに笑ってみせる。

 嘘じゃない。うん嘘じゃないぞ。

 (夢で)散歩したし、射的もやりました。一夜限りの夢だし、夢だからか、記憶も曖昧になってるから思い出し辛くなってる。夢の住人に出会う事もないしな!

 まあしかし。

 作り笑顔とか、それこそ相手を騙すプロである特殊捜査研究科(CVR)的な演技とかは苦手なので、口元がひくひくいっている気がする。

 たぶんキンジや不知火、あと武藤相手でもこの時点で嘘かよって突っ込みが入ると思う。

 でもそれはそれで良し!

 シリアスはシリアルにでも変えないと気が済まない。

 ダウナーになりがちな雰囲気を払拭するためのギャグだと思っていただけたら最高だ。

 「判りやすい嘘付かないでよ!」「すんません、ちょっと夢でそんな感じの見てしまって……」と濁しながら喋る算段。あえて彼女を少し怒らせたあとで謝る。

 夢の内容より嘘付いたことに怒りが集中するだろうし、詳細な内容まではスルーするのではないだろうか?

 咄嗟に思いついたにしては素晴らしい流れだ。

 だから怒られても、まあいいかなと無責任に思っていたのだけど……。アリアさんの反応はそのどれも違っていた。

 期待した反応と違い、肩を落とし、カメリアの瞳は髪に隠れて窺えない。

 

「ちょっと待ってよ……ママ……ねぇ、ママ。この大事件(ヤマ)をアタシにどうしろって言うの? 祝福すればいいの? 逮捕すればいいの? 判らない、判らない……ッ」

 

 肩を震わせて俯くアリアさん。

 ただ事じゃない。

 

「ちょ、ちょっとアリアさん? そんなに動揺しないでくれよ。ブラック――」

 

 ――ジョークだから。

 そう訂正しようとした瞬間。

 ガラリと中途半端に開いた扉を一気に開け放つ闖入者がやってきた。

 

「おーいケイ! 目ぇ醒めたってなぁ! 武藤剛毅さまがわざわざ見舞いに来てやったぜぇー! 授業サボる口実だけど」

「武藤君、授業に出ない代わりに単位は下がるから意味ないよ? まあ何はともあれ無事そうでよかったよ」

 

 最初に見えたのは武藤の暑苦しい顔で不知火の爽やか笑顔。

 更に後ろからいつもの陰気ながら整った面の男――キンジがコンビニの袋を手に下げながら入ってきた。

 

「軽い脳震盪(のうしんとう)って聞いてたから大丈夫だとは思ってたが……無事目が覚めてくれてホッとしたぞ。無茶し過ぎだケイ。ホラよ」

「おっとっと。ん、これ、あったかいな……お? おおーっおでん缶じゃんか!」

「お前、こういう珍しい缶モノ好きなんだろ。ケバブも買ってきたから一緒に喰おうぜ」

「あ、キンジ俺にもくれや! 腹減ってしょーがねーんだ!」

「武藤は駅下のカレー屋でカツカレー特盛り奢っただろーが! 自分で買えよ」

「こちとら慣れねぇ運転で疲れてんだぞー。友達甲斐のねーやつ!」

「財布に優しくない友達なんてこっちから願い下げだ!」

「あはは、まあまあ二人とも落ちついて」

「お、おうありがとうよ。でもそれよりアリアさんがだな――」

 

 キンジの心遣いはもちろん嬉しいし、みんなが見舞いに来てくれたのも嬉しい。

 ただアリアさんの様子が明らかにおかしかった。

 タイミングが悪かったとも言っていい。

 気になったのでそちらの方を見ると、

 

「判らない……判らない。だったら……そ、そう! 無かったことにすれば……。か、風穴……風穴風穴風穴っ。縁切り風穴ストーム……ッ!」

 

 アカン。噴火直前だ!?

 アリアさんはキンジたちの後ろに回っているから彼らからは見えない。俺だけが彼女の様子を垣間見ることができるが、俯き加減でド怒りゲージを絶賛上昇中だった。

 もしかしなくても、俺は地雷を踏んづけてしまったのだろうか?

 

 だが結果から言うと彼女の怒りが暴発することはなかった。

 ポンッ

 キンジがくるりと振り向くと、アリアさんの肩に手を触れたのだ。

 誰にも気づかれてないと思ってたのかいきなりの事態にきょとんとした表情で上を見上げる。

 背を向けたキンジの表情は窺い知れないが、不知火がスルリと俺の耳元まで口を寄せて呟く。

 柑橘系の香水がふわっと鼻につく。

 

「不機嫌な子猫は遠山君に任せるといいよ。彼は神崎さんとケンカ慣れしてるからね」

「いや助かったけど……近い、近い。近いから。不知火ちっと退けって」

「おっと。すまないね」

 

 別段悪びれた様子も無く不知火が離れる。

 スポーツ飲料水のCMにでも出てきそうな爽やかフェイスなままだった。

 ……悪い奴じゃないというか普通に良い奴ではあるんだけど、コイツって人のパーソナルスペースを超えて近づいてくるのがなぁ。なんというか、残念要素だよな。一部女子たちは大歓喜するが。

 教室とか食堂だとキンジが被害を被ってるらしいし。

 武藤はどうしているのかと思ったら、我関せずといった風で見舞い品であろうバナナを失敬してやがる。

 俺の視線に気づいて「ああ、バナナ貰ってるぜ! 美味いな!」とか抜かしていた。

 今はそれどころじゃないけどさ。それ俺のだろ。勝手に喰うなって。

 

 

 

 いろんな意味で良い友達な二人に対して自然と溜め息が出る。

 肝心のキンジの方を見ると、アリアさんがこちらを指さしてわなわなしていた。

 

「き、キンジ! あ、あ、アイツ! ママの、ママのっ!」

「ストップだアリア。ここは院内。医者と看護師の職場(ナワバリ)だ。風穴は自重しておけ」

 

 猫というより犬でも撫でるような仕草でキンジがアリアさんの頭をポフポフ叩く。

 お前、なんていうか落ちついてるのな? 女子嫌いじゃなかったのか?

 それともアリアさんが特別なのだろうか。子供っぽい容姿をしているから子供と接している感覚なのかもしれないが。

 彼女はそんなキンジの態度に少しだけ、頬の赤みが消え……るかと思ったが微妙に別の色に染まっている感じがする。

 何色とは言わんけど。彼女の髪色とかに近い。

 アリアさんは動揺したように視線を彷徨わせる。

 

「でもっ、でもっ!」

「白雪は延期していた恐山の合宿で県外に行っちまったし、レキは何処かにドロン。不知火と武藤は別件の依頼が完了してなかったし、俺は俺で余所との対応は苦手だ。ケイは負傷したから言わずもがな」

「え、ええ」

「警察と消防に、武偵たちとの現場検証。武偵殺しの証拠品探しに交通整理や関係各所への報告書の作成、提出。数日間は掛かる作業を昨日一日、それもほぼ一人で全てこなしたんだ。悪いとは思ってるし、感謝してる。ただ疲れやストレスはあるだろうけど、今はケイやみんなと今後について相談するのが先だ。お前との“契約”でも武偵殺しは最優先事項なんだからな。……頼むぜ、相棒(パートナー)?」

「ふ、ふんッ。判ってるわよ! でも勘違いしないでね。アンタは相棒じゃなくてアタシのドレイよ。奴隷と書いてパートナーって読むんだからッ! それと、ケイッ!」

「はいっ!?」

「……さっきのことは聞かなかったことにするわ。裏も取れてない情報だし、ね。以後この話題を口にすることは厳禁するわ。いいわね?」

「い、いえす、まむ」

 

 裏なんてそもそもないから実質、許してくれたのだろう。

 ちょっとふざけ過ぎた。

 反省しよう……。

 後でアリアさんを宥めてくれたキンジには御礼を言っておこう。

 とりあえず彼女に気付かれないように、片手で謝罪の意を伝えるとキンジも手をひらひら振って「気にすんな」と口パクで伝えてくる。持つべきものは理解のある友人だと改めて思った。

 ふしゅる~と怒気を萎ませたアリアさん。

 そんな中、最初に口を開いたのはキンジだった。

 

「悪いな……無茶させちまった」

「いやキンジはなんも悪かないと思うけど。ただまあ……なんだ。空は色々危険だなって思ったけどさ。飛ぶ系の依頼はしばらくお断りだな」

「ケイは良く飛び降りるもんな。自重するのはいいことかもな」

「降りたくて降りてねーっての。状況がそれを許さないって奴だよ」

 

 転落とか墜落とか滑落とか。

 ……落ちてばかりだな俺。どうして武偵高校は落ちなかったんだろうか? 幸運の女神様、理由をプリーズ。

 キンジは椅子に座りながら、自分用に買ってきたのであろうケバブを食べる。

 アリアさんも静かだと思ったら、後ろでももまんをもふもふ食べていた。キンジが買ってきたのだろう。ほっぺたに付いたアンコを付けている様子がとても可愛い。

 

「そこは済まん。……それで本題なんだが、その前に一つ」

「ん? なんかあったのか?」

「ああ。SSRの方からなんだが、ケイって水晶のストラップを持ってたんだよな? 白雪とレキの証言から判ったんだが」

「……持ってたっちゃ持ってたな。ヘリから落っことしたけど」

 

 意外な話題に少しきょとんとしつつも言葉を返す。

 キンジも少し困ったような表情だった。

 SSR――超能力捜査研究科は他の部署と違って秘密主義というか、普段何をしているか全く判らないからなぁ。

 

「それなんだが、どうも連中がよく判らないことを喋っててな」

「よく判らないってどういうことだ?」

「専門用語が多すぎて俺も判らなかったんだ。まあ端的に言えば、ケイの物らしいそのストラップが割と御利益のある代物らしくて、連中が研究したいから譲ってくれないかって話、なんだが、どうする? 無理にとは言ってなかったが」

「三〇〇円の代物だったんだけど……御利益、ねぇ」

 

 白雪さんにはいるならあげるって言ったし、あげてもいいんだけど……。

 でも悲しいかな。人間の性だろうか。

 欲しいからくれと言われると、逆にあげたくなくなるというか、御利益という言葉に少し惹かれるものがあった。

 最近、運不運が絶不調な俺にとっては例え雀の涙ほどでも運気が上がりそうな話題が欲しかったともいう。

 だから返してもらうことにした。

 

「ん~~っ。だったら、まあ返してもらうかな? 最近は散々な目に遭ってばかりだし、御利益があるってのは眉つばだけど」

 

 そういや母さんもその手の幸運グッズには目が無かったな。毎年、夏冬二回必ずおみくじを引かせようとするし。

 信心深い家系って訳じゃないんだけど「困ったら事があったらおみくじを引くと良いよぉ~?」とか言ってたし。

 厄祓いも兼ねて神社にでも御参りに行くのはいいかもしれん。

 そんなことを考えていると、キンジが懐から何かを取り出した。

 青と赤を基調とし、中央には金糸の文字。

 交通安全。

 掌に収まるそれは、何処からどう見ても御守りだった。

 

「そうか。だったら御守りも買ってきたからそん中に入れておくぞ」

「御守りて」

「大切な仲間が入院したんだ。そんくらい普通だろ? それとまあ、日頃から世話になってるから御礼とでも思ってくれ」

「んー、ならありがたく頂くけど……あれ? 水晶のストラップってそこに収まるほど小さかったっけか?」

「さすがに車のタイヤに投げ込んだら割れるだろ。それで、だ。本題なんだが……」

 

 ……ん? なんかキンジの言葉に違和感が……気のせいか?

 俺、水晶は落っことしたって言った気がするんだけど。

 ただキンジの言葉の意味を考えるより先に、次の話に移ってしまっていた。

 室内にいた他の連中の情が引き締まる中、話の腰を折るのもいけないかと思い、結局俺の疑問を言葉にすることはなかった。。

 アリアさんも口を動かすのを止め、キンジの方に顔を向ける。

 

「犯人――武偵殺しは、チャリジャック、バスジャックと短期間で二件の事件を起こしている。模倣犯にしろ真犯人にしろ、この調子でいけば次の事件もそう遠くない内に事を起こすと考えていいだろう」

「アタシも同感よ。武偵殺しは次もまた事を起こすわ。挨拶代わりのチャリジャックにしても、武偵高の生徒を狙ったバスジャックにしても、犯人サイドから見れば上々の成果を出してる。既に一部では犯人を見つけられない武偵や警察に対して、市民からの風当たりが強くなってるのも面白くない事態ね」

 

 マジかよ……。

 いつ誰が狙われるなんて判ったもんじゃないな、おい。

 

「俺たち武偵高の生徒が狙われる可能性はかなり高いってか? ……やってらんねーなホント。次もあり得る可能性が高い事件とかきついし。もう空を飛ぶようなことはしたくねーなー」

「おいおいケイ。ヘリで現場に急行することは多いんだからそういうなよ」

「キンジ。お前はバスに乗ってたから判らないんだって。ヘリは……あれだぞ? 宙に浮いてるんだぞ? 落ちたら怖いだろ? 航空機っていうか空って嫌な予感しかしないじゃんか」

 

 俺が重々しく言うと、何故かキンジは溜め息を吐いた。

 トントンと二、三回人差し指を叩く。指信号とかの意味はまったくない。

 おい、呆れたようにこれ見よがしに「ふぅ」とか言うなよ。

 

「ケイ……冗談は後にしてくれ。それと墜ちる可能性は低いだろう。武偵高のヘリは定期的に車輌科や装備科の連中が練習がてら点検、整備している。JACDEC指数――航空会社の安全性の指数に換算すれば、東京武偵高校は0.010相当だったはずだ。世界ベスト10で日本のどの航空会社より安全だぞ。まあ犯罪者とドンパチするから、その要素を入れると数値は別の値になるだろうが。とりあえず武藤とかが操縦すればまず安心だな」

「おう、陸海空なんでもござれだぜ! この武藤剛毅様が操縦する泥ヘリはタイタニックと同程度の安心さだ!」

「いや違うだろ!? 安心じゃないだろ!? 空と海は牛丼と海鮮丼くらい違う! あとどっちにしろ沈むじゃねえか!!」

「あはは……なんかシリアスなのに変な空気になったねぇ」

「…………馬鹿ばっかじゃない」

 

 アリアさんに呆れられたぞこの野郎。武藤はニヤけてるからワザとだし。

 そしてキンジ。お前は見当違いだからなー。

 俺が心配してるのはヘリが墜ちることじゃなくて、俺が落ちることだってーの。

 苦手なんだよ航空機関係はさ。

 両親が亡くなって以来、あの手の乗り物はガチで嫌な感じがして落ち着かない。

 こう、安全に思えないっていうか、第六感的な何かがガンガン警報を鳴らすような気がするというか。

 でも警戒してる時に限って何も起きないんだよなーこの手の勘って。

 油断すると銀行強盗&武偵たちの撃ち合いゾーンに突入したり、先輩に連行されての強制依頼パターンに入ったりするから始末に負えない。

 いや逃げろよって話だけど、大概逃げ場がない状況に陥るから無理。日本はいつから犯罪大国になったんだよホント。

 ……話が脱線しそうになったが、キンジがゴホンと咳払いをしながら何事もなかったように話を続けた。

 

「とにかく、だ。武偵殺しはシージャックに始まり、チャリジャック、バスジャックと続けて事を起こした。次も事件を起こす可能性は高いだろうな……」

「……待ってキンジ。今、シージャックって言ったわね? 武偵殺しって。情報(もと)の精度は確かなの?」

「おいおいアリア、お前こそ何言ってるんだ? 俺は兄……いや去年の一二月に事件が起こった時、武偵局で二人組の武偵に『シージャックの犯人は武偵殺しだ』って聞いたんだぞ?」

「待って。それが本当なら――――もしかしてッ!」

 

 アリアさんが目を見開き、何か喋ろうとしたその瞬間。

 

「すみません。もう少し静かにしていただけないでしょうか? 学生とはいえここは病院です。他の患者の方々から苦情が出ていますので……」

「あ……」

「すいません……」

 

 アリアさんは続けようとした言葉を飲み込んだように口を閉じ、キンジは頭を下げて注意をしにきた看護師に頭を下げていた。

 話の腰を折られた上に、武藤と不知火は別件依頼の招集。警察のお手伝いは大変だなぁ。

 結果として俺の退院に合わせて、武偵殺しについてもう一度相談をしようということになり、この場は御開きとなった。

 消化不良。そして事態は思わぬ方向へと推移していくことになる――

 

 

 

 

 

 ■  ■  ■  ■

 

 

 

 

 

「おい、アリア。一体何処に行くつもりだ」

「いいから付いてきなさい。知りたければ自分で探すのが武偵でしょ? わざわざ教えてあげるんだから感謝しなさい」

「……わかったよ。だがキチンと教えてくれよ。俺はケイほど頭が良くないんでな。その服装も含めて説明してもらうぞ」

 

 アリアからの返事はない。そのことに本日三度目の溜め息を吐いた。

 ケイの病室を退出し、武藤や不知火とも病院前で別れたあと、キンジはアリアに半ば強制的に連れていかれていた。

 アリアは一度女子寮へと戻り、おめかしして出かけていた。

 中身は相変わらずのままだが、白地に薄い桃色のワンピースは普段の美少女ぶりから、更に輪を掛けて彼女を美しく魅せている。

 初めてアリアの私服姿を見たキンジが息を飲んでしまうほどに。

(馬子にも衣装というか、元が良いだけに少し整えるだけでびっくりするほど化けるなコイツ。一瞬ヒスりかけた自分が恨めしいぜ、まったく)

 四度目の溜め息。

 兄の仇が現れ、友人が大変な目に遭ったというのに普段と違うアリアの姿に揺さぶられる能天気な自身の心が憎くさえ思える。

 人知れずキンジは五回目となる悩ましげな息を吐くのだった。

 

 空は曇天のままだが、雨は止んでいる。しかし一部の隙もないほど敷き詰められた灰色の空はいつ振りだしてもおかしくない。

 水たまりを避けながら彼らは歩く。

 東京都内の雑踏。

 足早に歩くサラリーマン。友人と談笑している女子高生。コンビニの前でたむろしている若者。見慣れないのかキラキラした目で周囲の建物を見上げる外国人らしき銀髪の少女たち。

 そして眼光鋭く周囲の人間を観察している黒スーツの男はキンジたちに目をやると、スッと路地裏へと消えていった。

(……ヤクザか。ああいう手合いは彼我の戦力差を見極める嗅覚が高いからな。大方アリアの威圧に距離を取ったってところか)

 相手からすればキンジから漂う勝てそうで勝てない飲み込まれるような雰囲気――強者の匂いに気負わされた部分もあるが、自分なりの推測を行う。

 どうせ狂犬(アリア)からは逃げられない。

 そう悟ったキンジは職業病からか、周囲の人間を観察しながら歩いていた。

 目の前の小さな背中はこちらの歩調に合わせる気などなく、人ごみをするすると縫うように歩いていく。

 小学生クラスのちびっ娘さと歩幅の狭い彼女が、一般的な男子高校生クラスの身長を持つキンジを置いていく速さは異常だ。

 キンジは遅れないよう、気持ち足早に後を追っていった。

 カツンと革靴はアスファルトを小気味よく叩く。

 

「ここよ。入るわよ」

「ここは……警察署じゃないか」

 

 アリアが立ち止った先は、新宿警察署。

 彼女は窓口で手続きを済ますとキンジを連れて奥の部屋へと入っていった。

 場所は面会室。

 冷たいアクリル板で遮られた先に、彼女はいた。

 女性らしい曲線を描いた髪に、オニキスの瞳。透き通った白い肌。アリアの使う拳銃のグリップに埋め込まれたカメオにも似たような姿の女性が描かれていた。

 そう――アリアが大人になったを想像すれば彼女のような姿になると、キンジは不思議と思えた。

 

「……もしかしなくても、アリアの母か姉か?」

「あらあら姉だなんてうふふ♪ アリアの母のかなえです。ボーイフレンドさん」

「い、いや俺はそういうのじゃ――」

 

 唇に手を当ててクスリと上品そうにほほ笑むアリアの母、かなえ。

 それだけの仕草だけでも男性を魅了するだけの美しさを彼女は持っていた。

 ドキリとしながらキンジは目を逸らす。

 その様子がアリアの感情を逆なでし、怒りか照れか良く判らない感情をそのままに顔を真っ赤にして言葉を被せる。

 

「マ、ママ! コイツはそういうのじゃない、ないからッ! ただ候補というか、ドレイというかパートナーっていうかッ。そんな感じの!」

「あらあら~? ちょっとからかっただけなのだけど、本当にそうなの? ママはとても嬉しいわ」

「待てアリア!? なんかドツボに嵌っているぞ!」

「アンタは黙ってて! とにかく!」

 

 アリアは二本の尻尾(ツインテール)と共に首をぶんぶん振ると、強引に話を続ける。

 だがいつもの上から一方的に言い放つ姿と違い、どこか愛らしさや子供っぽさが目立つ。

 それだけでも目の前の女性がアリアにとって特別で正しく母親なのだろうと理解できる光景だった。

 コホンとワザとらしく咳払いをすると、アリアは真面目な表情で話し始める。頬に赤みを残したまま。

 

「『武偵殺し』が日本で、しかもこの近くで事件を起こしたわ。隣のコイツも、その被害者。チャリジャックにバスジャック立て続けに起こしているの。だからアタシは狙い通り『武偵殺し』を捕まえる。そしてママに掛けられた懲役八六四年を七二四年まで減刑させ、最高裁までもつれこませるわ」

 

 横で聞いていたキンジはその言葉に目を丸くした。

 同時に疑念が湧く。

(アリアは母親のために『武偵殺し』を捕まえようと躍起になってたのは判った……だがおかしい。目の前の女性が犯罪を犯すような人物じゃないのは馬鹿な俺でも判る。それが懲役八六四年? 懲役一四万以上のギネスに乗る様なレベルじゃないとはいえ、どれだけの冤罪を重ねられたらそれほどの年数になるんだ……? もしかして組織的な、何か作為的な意図を持っての状況じゃないか? そう例えば、組織や団体を遥かに凌ぐ超法規的な国家レベルの――)

 考え込むキンジ。

 母の冤罪を娘が無罪とするための話。

 その会話に違和感を感じた。とんでもない内容だがあり得ない話じゃない。しかしどこかピントがズレている、と。

 彼は気付かない。今自身の起きている変化を。

 脳は真相を探るために目まぐるしく回転し、ありとあらゆる可能性を掬いあげんと部分的なヒステリアモードを発動していたことに。

 疑念という名の手が暗闇の中を探り続ける。

 指先が何かをかすめた感触を得た。だがその真実に届く前にアリアとかなえが話し始め、キンジは首を振った。考えすぎだと。

 今考えるべきは目の前の彼女たちと『武偵殺し』。

 トンデモ理論は脳の片隅にそっと片づけた。

 アリアの声に集中する。

 

「ママを陥れたイ・ウーの連中を……全員、刑務所を叩きこんで。そして、助けるから」

 

 固い決意を口にした。

 絶対に救ってみせると。

 いつもの傲慢さなど欠片も無い。

 ただ母を想い、真剣な表情で語ったアリア。

 言葉は短いなれど込められた意志はダイヤモンドでも砕けないと思わせる。

 かなえはそんな彼女を諭すような口調で話す。

 

「……イ・ウーは一人一人誰もが強く、狡猾な連中の集まりよ。アリア、今の貴女でも敵わないくらいに。正式な『パートナー』はいないのでしょう? それでもたった一人で――」

「アタシは――」

 

 チラリとキンジの方に目をやった。

 そして深呼吸を一回。ゆっくり息を吐く。

 仲間。

 自分は一人ではない。

 肩を並べられる人がいるのだ。

 

「それでもアタシは戦う。隣のコイツ……キンジは出来る奴よ。あと大石啓っていうクラスメイトもね。無駄な動きはあるし、無理ってすぐ愚痴るし、無能なフリをしてばかりだけど」

「おいこらお前な――」

「――でも、アタシの直感が囁くの。大丈夫だってね。だから安心してママ! どんな犯罪者だってアタシたち(・・)は負けないわ!」

「アリア、あなたは……」

 

 明るい笑顔で言い放つ。

 無邪気で年齢相応の笑顔。その顔には信頼という二文字が浮かんで見えた。

 キンジの鼓動が意図せずして高鳴る。

(くそ、不意討ちは卑怯だぞアリア。待ち伏せ(アンブッシュ)を喰らった気分だ)

 さりげに指信号(タッピング)で「調子に乗らないこと!」とキンジに釘を刺しながらだったが、それでもその言葉に答えないわけにはいかない。

 遠山家は古く昔から弱きを助け、強きを挫くために生きてきたのだから。

 亡き兄の想いを継いだ。頼りになる友が自身を絶望から救い上げた。そして強引ながらも信念を貫く少女が目の前にいる。

 立ち上がらなければ男じゃない。

 

「改めて、俺は遠山キンジと言います。アリアの言っている通りです。イ・ウーだかまいうーだか知らないが負けるつもりは――ない。ケイっていう奴もSランク相当の凄腕武偵だ。他にも頼りになる仲間がいる。だから安心して欲しい。『武偵殺し』だってすぐしょっ引いてやるさ」

「キンジ、アンタは」

「そういう“契約”だろ? 一蓮托生、お前にゃケイに武偵を思い留まってもらうために依頼したんだ。Sランク武偵様がまさか尻尾を巻いて逃げだすなんて言わないよな?」

「……ふんっ、当然よ! みんな風穴空けてやるんだから!」

「空けたら死ぬだろうが。ほどほどにな」

「そう……私が思っている以上に、アリアは成長しているのね。それはキンジ君のおかげかしら。それとももう一人の彼も一枚噛んでいるのかしらね……」

 

 我が子の成長を目を細めながら言葉を漏らす。

 その言葉にアリアが反応した。

 

「ねぇ、ママ。ママは……その。ケイのことを知ってたりする? 今日話したこと以外で」

 

 アリアの言葉に一度きょとんとするかなえ。すると彼女はにこやかに答えた。

 

「ええ、もちろん(・・・・)知っているわ。だって以前から知っているもの」

「え……?」

 

 ピシリ、と空気が凍った。

 以前から、知っている。

 アリアはケイのことを母に話したことは無い。

 なのに彼女は知っているという。

 つまり以前から親交があったことに他ならない。

 聞かなくてはいけない。

 ケイが言っていた恋人発言。一夜の間違い。二人の間に何があったのか。自分の勘違いではないか?

 だがアリアが疑問を口にする直前。

 かなえの後ろに控えていた警察官が腕時計を見ながら口を開く。

 

「神崎、時間だ」

「ま、待って! ママ、ケイと一体何が――」

「時間だ!」

「ッ! ママに乱暴するな!」

 

 両サイドから警察官がかなえを拘束する。

 引き摺られながらかなえは最後に、

 

「彼は……大切な――」

「ママッ!!」

 

 バタンと金属製の扉は閉じられた。

 後に残されたのはアリアとキンジだけだった――

 

 

 

 

 

 トボトボと街中を歩く。

 アリアは喋らない。キンジも喋らない。

 ポツポツと雨が降り始めていた。

 アスファルトは湿り気を帯び、道行く人々の歩調も速くなる。

 そんな中、早くなることのない二人の歩み。

 

「……どんな犯罪者だって捕まえてみせる。事件だって解決してみせる」

「アリア?」

 

 ボソリとアリアは小さな声で喋る。

 

「でも、こんなのどうやって解決すればいいのよ……ねえキンジ。アタシは……どうすればいいの?」

「ど、どうすればか。男女の色恋は……その…………すまん、俺も専門外だ……。悪い」

「別にいいわよ……そこら辺を期待してないし……」

「すまん。ただ、そうだな……月並みだが、家族会議というか、親兄弟と相談するのが一番かもしれないな」

「家族、会議」

 

 家族という言葉にどこか暗い笑みを浮かべる。

 だがハッとしたように顔を上げる。

 

「家族……イギリス……つまり。これなら、もしかしたら」

「アリア……?」

「ふ、ふふふふ。そう、そうね。かか家族会議! やらなくちゃいけないわ! 正直ケイをとっちめたいけど喋るなって言った手前、理不尽に責めるのはいけないものね。ママの想い人だったらアタシが悪者だし! だから……だから一度戻らなくちゃいけないわ。イギリスに!」

「お、おいアリア?」

「そうと決まればこうしちゃ居られないわ! キンジ、アンタも協力しなさい!」

「どういうことだ?」

「メモを渡すわ。後はこれに沿って行動して頂戴」

 

 まるで周囲の目を遮るようにアリアはキンジの側に寄る。

 かさりと音を立てる紙の感触。

 行動そのものに意味があると判断したキンジはさりげない動作で渡されたメモの内容を盗み見る。

 

「これは……! …………なるほど、な。確かにその通りだ。俺は俺で動く。ケイには?」

「怪我をしてるのに無理して呼ぶわけにはいかないわ。ただ、もしかしたらこういう状況をケイが望んでいたのかもしれない。これも計算の内だったらお手上げね、ホント」

「可能性は十二分にある。いや……アイツはたぶん予測しているな。俺たちと武偵殺し。最終決戦の舞台を」

「どうしてそう思うの?」

「ヒントを出していたからな。もしかしたらとは思っていた。とりあえず、これ以上の話は後にしよう。雨が降りだしたおかげで雑音が多いが、俺たちの会話を盗み聞きされないとは限らない」

「そうね。アンタの言う通りだわ。じゃあ後は――」

「ああ。……じゃあ面倒な依頼を片づけるとしようか。お前は母の、俺は兄の分もノシを付けて返してやろう」

 

 ニヤリと不敵に笑うキンジに、アリアもまた犬歯を覗かせて好戦的に笑う。

 鬱憤がたまりにたまっていた。

 相手の策に踊らされて、自分たちの学校近辺(ナワバリ)を荒らされて、友人には身を挺して守られて。

 だからこそお返しをしようと笑う。

 

「特大の風穴祭を開催してあげる」

「俺たち武偵の意地を見せてやる」

 

 二人の武偵は己のため、友のため、家族のために動きだす。

 迷いの無い足取りで歩み出す。

 雨脚はまだ弱い。それは嵐の前の静けさにも似ていた。

 大きな嵐が、東京の空を目指していた――――

 

 

 

 

 

 ■  ■  ■  ■

 

 

 

 

 

 ザ・退院!

 そして本日は病院から出たばかりなので学校無し!

 アリアさんたちからのメールで、武偵殺しに関しての集まりは来なくて良いとあった。

 怪我してる俺に無理はさせられないと。良い友人たちばかりで頭が上がらない。今度飯でも奢ろうかな。

 まあそれはそれとして。

 とにかく寮で一日静養だ。素晴らしい。

 お休みという言葉がここまで甘美で蠱惑(こわく)的な響きがあるなんて。

 相変わらず四人部屋なのに俺一人という寂しい部屋だが、まあそこは仕方ない。

 巷じゃ呪い部屋とか入った人間が依頼中に不運な目に遭いまくるとかいうふざけた噂のせいで誰も入寮したがらないんだからなぁ。

 俺からすれば馬鹿らし過ぎる。

 むしろ快適で良い部屋なのに。

 まあ電波の入りが悪いのか、通話不能になったり、TVに変なノイズが入ったり、あと他の部屋の物音がやけに聞こえる気はするけども。

 てか部屋のことはどうでもいいとして、本日の予定を決めようじゃないか。

 

「外出できない天気が悪いからどうでもいいし、休めるだけでも儲けもんだなー。でも、なにすっかな。うーん…………」

 

 ……やばい。

 なんも思いつかん。

 ワーカーホリックでもないのに休日することないって駄目だろ俺。

 ゲーム……最近やりたいのがない。

 TV……昼間に面白い番組なんてないだろう。

 勉強……休みにまで学校と同じ環境とかやめてくれ。ほどほどが一番。

 読書……手持ちの時代劇モノは全て読破しちまった。

 

 いや待てよ?

 そういや去年寮に引っ越ししたとき、開けてない段ボールとかあったよな。

 面倒だから仕舞ったままな気がする。

 部屋が適当に整理はしているけど、掃除がてらその手の代物を片すのもいいかもしれない。

 よし、そうしよう!

 そんじゃ物置の扉を開いてーと。

 四〇cm四方の大きめな段ボールを部屋に置いて、ベリベリと取っちまおう。

 

「う、ごほごほっ! 埃すげーな。しかも何故かへにゃってしているし。後で捨てた方がいいかもなー。ん、これは……DVD?」

 

 何かと思ったら時代劇モノのDVD。

 時代劇は好きなジャンルだ。

 まあ実家のVHSとかDVDの大半がその手のジャンルだったから観るもんがそれしかなかったとも言うが。

 水戸黄門、暴れん坊将軍、銭形平次などなどあったけど、さてこれはなんかなと。

 んー真っ白?

 いやディスクケースに何か張ってある……?

 

「『状況変動性体質に於ける考察用資料、其の一?』なんじゃこりゃ。しかも母さんの名前が書いてあるし」

 

 …………ちょっと見てみようか。

 い、いや亡き母の形見みたいなもんだし、気になったからな!

 真っ白のDVDとかもしかしてアレな内容の物を期待とかはしていない。うん、たぶん。

 これは正当な理由のある脱線であり、掃除を放棄したわけではない。

 息子としてDVDの中身を改める必要があると思う訳でして……つか誰に対して俺は弁解しているんだ。

 と、とにかくDVDをプレイヤーに入れて、スイッチと。

 

 ぶぅーんと鈍い音を立てながらディスクを読み込む。

 そしてTVの電源を付けて見てみるとタイトルが出てきた。

 達筆な文字にやたらと時代がかった雰囲気。

 

『二時間スペシャル~赤穂浪士四七士、主君に殉じた男たち~』

 

 あー、これは。

 

「赤穂浪士かー。母さんが一番好きだった話か。……ついでだから見ようかな」

 

 日本を代表する時代劇モノの一つ、赤穂浪士四七士。忠臣蔵とかの方が一般的だろうか。

 内容は主君が江戸で吉良上野介を切りつけたことに端を発する騒動。

 部下の大石内蔵助を御家再興を目指し各方面を働きかけるも不可能となり、部下からの仇討ちの催促、周囲の人間からの期待を抑えきれなった。

 そうした経緯を経て主君の仇打ちを決意し、吉良を討つという内容だったはずだ。

 母さんは週に一回はこの手のDVDを観るほど好きだったなー。

 かく言う俺も、この大石内蔵助が昔から不思議と好きだった。

 以前は他人と思えない感じがしたんだけど。

 今は周囲の人間に押されて仕方なくって部分がどうしようもないほど共感を覚える。

 こう色々流されてどうしようもないってキツイよな。上司のために頑張ってたはずで再就職先だってよりどりみどりだろうに。

 まあ俺の勝手で無責任な考えだから御本人様が聞いたら怒られそうだ。止めておこう。

 お、主君が吉良を切りつけたな。ここからも始まるのか。

 

 ――二時間後――

 ……掃除をほったらかしにしてDVD観賞タイム入ってしまった。

 結局、二時間丸々TVにかじりついちまった。

 物語はもう終わる。

 男たちの復讐は終わった。

 

『あら楽や 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし』

 

 主君の墓前で捧げる辞世の句。

 場にいるのは四六人。

 たった一人、寺坂信行(てらさか のぶゆき)だけはいない。

 諸説あるがこの話では、足軽という低身分の寺坂が名家の吉良を害しては公儀に憚りがあると襲撃メンバーから外したようだ。

 このシーンだけでも胸に来るものがある。

 男たちは墓前に全てを告げて去っていく。

 

 目指すは武士の最期を飾る舞台。

 画面は暗転し、切腹のシーンに映る。

 くそッ、何度か観たはずなのにどうして涙が止まらないんだ!

 もっと別の未来はないのかよ!

 

『極楽の 道はひとすぢ 君ともに 阿弥陀をそへて 四八人』

 

 主君も入れて四八人。

 天に向かう友たちと。

 ただ淡々と全てを悟ったかのように告げる辞世の句。

 そしてスタッフロールが流れ物語は終わった。

 

「……ぷはぁッ! やばいな、クソ。やっぱ日本の映画っていいや。男たちのかっこよさが良く判る」

 

 渋カッコイイを突きつめるとああいう風になれるんだろうな。

 今の俺じゃ絶対成れることのない理想の姿だ。

 まあ、死ぬのは嫌だから、なかなかこういうことは出来ないんだけど。

 

 時間は……うわ、夕方だし。もう暗くなり始めてる……。てか途中で他のDVDも見つけたのが不味かった……余計に散らかしちゃったし。

 

「掃除がメンドーだ…………ん?」

 

 ピンポーン

 インターホンが鳴らされる。

 なんだろう?

 キンジたちでも来たのかな?

 そう思ってみると、

 

「白猫宅急便でーす。判子をお願いしまーす」

「ああはいはい、ちょっと待ってくださいなっと」

 

 特に注文とかした覚えないんだけど、誰からだろう?

 荷物を受け取り、二、三会話を交わしたあと玄関の扉を閉じる。

 要冷蔵の文字と辞書ほどの大きさの白い箱。

 伝票を見てみる。

 文字は……正直に言うと、小学生が書いたような、ぶっちゃけ言えば汚い文字だった。

 そして外国語も混じっている。

 差出人はなぜか二人分の名前。

 ミミズののたくったような文字で解読するのに数分かかったが、ようやく読めた。

 

「アレーシャ・スロヴァ&リューシャ・スロヴァ……この名前は確か………………ああ! あの娘たちか!」

 

 それは去年の夏。

 俺がトイレ地獄を味わっていたときに逮捕された双子の少女たちの名前だった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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