緋弾のアリア~裏方にいきたい男の物語~   作:蒼海空河

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東京上空一〇〇〇

 男性警官――に扮していたジャンヌは落ちついた口調とは裏腹に焦っていた。

 裏を掻かれたなんて生易しいレベルではない。

 大石啓という武偵の恐ろしさを先ほどから思い知らされていたのだ。我が身を持って。

(……我らは侮っていた。いや十分な警戒はしていたはずなのだ。警察と青島大五郎の名で騙す作戦が見抜かれたのはまだいい。まさかそれ以外の作戦全てを見抜いているなど……いやカマを掛けている可能性はある。だが事実なら、我が祖先を嵌めたピエール・コーションが赤子同然になるほどの狡猾さだ)

 ジャンヌたちは対大石啓用の作戦を三つ用意していた。

 

 変装と偽報によるトラップ。

 直接戦闘による妨害。

 そして敗北した場合の保険的な罠。

 既に前の二つは破られていた。

 

 チラリとケイを観察する。風が吹き、前髪がバサバサと揺れる。髪の合間から覗かせる大石啓の表情は不敵な笑みを浮かべていた。

 今すぐにでも殴りかかりたい衝動を抑えながら、ジャンヌは努めて冷静さを保とうとしながら思案する。

 

(初手で変装が見破られるのはいい。だが我らの言葉通りに屋上へとやってきた異常を気に止めなかったのが敗因か……。隙だらけで強者特有の威圧感も無い。しかし、それこそが昼行灯と呼ばれる大石家の策謀。夾竹桃と私の作戦を……それぞれのターゲットの為に用意していた作戦の場所を言い当てるなど……。策士が敵の策を見抜いて尚、相手の眼前に無防備を晒す……策に驕るわけでもない、勝利を確信しているからこそ我らと対峙したのだ。…………潮時、か)

 冷や汗が流れる。ごく自然な動作でジャンヌは左足を一歩踏み出し、ケイを睨み付ける。

 剣は使えない。屋上の隅に隠してあるからだ。ジャンヌは左手を握りしめながら前に出し、右手は腰の銃に手を掛ける。

 雰囲気が変わったのを察したのか、ケイもまた身構え、臨戦態勢を取った。

 ジャンヌの左手はケイから見て口元が見えない絶妙な位置。嵐と大きな風切り音のお陰で相手にまで声は届かない。心臓が鬱陶(うっとう)しいほどにビートを奏でていた。

 ぼそりと胸元に隠していたマイクに喋りかけた。

 

「夾竹桃、ルートOからTへ。飛び込む」

「……了解。タイミングは?」

「奴は群れ(グループ)で動く。狩りの瞬間に」

「……わかったわ」

 

 二人のやり取りが終わったのを見計らったかのようにケイが声が割って入る。

 

「こないのか? 折角の大舞台なのにお客さんが白けちゃったりするんじゃないすかね?」

「生憎女優でも役者でもない素人で緊張しているのだ。そういうのをDAIKONと言うのだったか?」

「そっちが大根なら、さしずめ俺は卸し金とかだなぁ……。主役にしちゃ下手過ぎとか言われて、舞台から降ろされそうだ」

「むしろ私が去りたいところなのだがな」

「ははっ! マジでそうしたいところなんだけど、なぁ? これもお勤めって奴なんで……」

 

 苦笑いしながらも、彼の拳銃は静かにジャンヌを見つめていた。相対する彼女は表面上、好戦的な笑みを浮かべて対応する。あくまでここが決戦の地と思わせるために。

 逃げる算段を付けていると見抜かれたら退路を塞がれ、さらなる窮地に陥る可能性がないとは言い切れない。

 ただジャンヌは己の実力が大石より劣っているなど思っていない。全力で戦えば勝機は十分にあると考えていた。

 しかし彼女は交戦することはしない。

(地下倉庫……夾竹桃はホテルと橋。この男がどこまで見抜いているかは不明だが、ここで意地を張るのは愚策。早急に道具の回収に向かい、作戦を練り直さなければ……)

 ジャンヌは地下倉庫。

 夾竹桃はホテルと橋。

 彼女たちがそれぞれのターゲットと戦うために練った作戦の舞台。それを彼は滅茶苦茶にすると、言外に匂わせる発言をした。

 

 相手の言葉を全て鵜呑みにするわけではない。

 しかし、盗聴、トラップ、他組織へのリーク――――自分たちの作戦を利用してどんな罠が仕掛けられているか判らない状況は非常に危うい。

 大石啓が生粋の策士であるなら、この圧倒的優位の状況を利用しないわけがない。自身も策士であると自負する彼女だからこそ判る。

 五階建ての屋上という開けていて、かつ限定された空間。最低でも敵のスナイパーがいて、自分たちを狙っている可能性が高いと。

 事実、彼の友人には“レキ”という名の凄腕の狙撃手がいた。そして空港にいる神崎アリア、遠山キンジ両名を除いても腕の立つ武偵の知り合いが複数名いる。

 特に彼を気に掛けているらしい教師陣が参加すると状況は絶望的となる。

 東京武偵高校の教師は性格はともかく実力面では彼女たちにとって脅威だった。香港マフィア貴蘭會(グイランフィ)の愛娘や血塗れゆとり(ブラッディーゆとり)などの元凄腕傭兵や元特殊部隊の教師がゴロゴロといる。

 策士である彼がもし根回しでもして連れてきたら――――想像するだけで寒気がする想いだった。

 

 どの道、自分たちの手札を見透かされ、敵の手札は予測しかできない。

 最悪を想定して行動しなくてはならなかった。

(……チャンスは一度きり。相手が焦れて動いた瞬間に――)

 ドクン……ドクン、と心臓の音は依然として収まらない。

 風が強いからか額から流れる汗は冷たく、滴が衣服を湿らせる。

 ジャンヌは静かに拳を握り、力を込めた。

 ケイは動かない。二人も動かない。

 ただケイのナナメ後ろに陣取っていた夾竹桃はガトリングガンを持ち直し、銃口を明後日の方向へと向けた。

 まるで決闘の邪魔はしないとでもいいたげに。

 

 

 

 一分、一〇分……はたまた数秒か。

 流れる雲だけが時間の刻みを知らせていた。

 しかし新たな闖入者(ちんにゅうしゃ)の出現と同時に、屋上は再び彼らの舞台と化す。

 バタンッ!!

 

「ケイッ! 援護に来たぜ!」

「大丈夫かい、大石君!」

 

 扉が開け放たれ拳銃を構えた武藤と不知火が突入してきた。

 そして一番早く反応したのは――

 

「ッ!? それを待っていたのよ!」

 

 屋上のドアに一番近い位置にいた夾竹桃だった。

 ガガガガガガッ!

 轟音と共に黒髪の少女の手元から銃弾が乱射される。

 武藤と不知火は不審人物が居た時点に半ば反射的に戻り、壁を盾にしていた。しかしケイは動かない。

 何故なら――彼女は誰も狙っていなかったからだ。

 空中へと撃ちだされた無数の弾丸は屋上の貯水タンクを穿ち、内部の水が弧を描いて降り注ぐ。

 そしてジャンヌが右手を振り上げた。

 

「これが何代にも渡って受け継がれてきた我ら一族の冷気だ、大石啓!」

「な――ッ!? 冷たッ!?」

 

 水面を掬いあげるかのように斜め上へと振られた右手から冷気が発せられる。

 瞬時に凝固された水滴は氷霧と化して、屋上一帯を白い空間へと変貌させる。

 種も仕掛けもないその現象は――――超能力(ステルス)

 冷気を操ることのできるジャンヌが持つ奥の手の一つだった。

 超能力で作られた氷霧は濃く、伸ばした手の指先さえ見えない。

 ケイは寒さに震えながら両手でガードをしていると、何処か遠くから声が聞こえてきた。

 

「――今回は後れを取ったが次回も通じるとは思わないことだな。そちらの手練手管は十分に理解した。次に相まみえるときは我が祖先の名に賭けて貴様を必ず討つ。精々知恵を絞ることだ」

 

 そんな声が聞こえたかと思うと、霧が晴れた場所にはもう誰もいなかった。

 まんまと敵に逃げられたケイはぼそりと呟く。

 

「びっくり手品とか、捨て台詞とかはいいんだけど…………貯水タンクを壊すのはやり過ぎじゃねーっすかねお姉さん方よぉー。うぅ……寒い。もういいや、全部青島のおっさんのせいってことにしよう。うん」

 

 不思議と悔しそうな表情を見せず、ただぶるりと身体を震わせていたのだった。

 

 

 

 

 

 そんなケイの元に近づいてきた武藤と不知火。笑いながら肩を小突く。

 

「ったく、相変わらずスタンドプレーだなケイさん、よっ!」

「さすがは“円”のケイってところなのかな? 僕たちが来ることも判ってたみたいだしね」

「てて、痛いっつの! やめい武藤! つーか、ここに来たってことは……お前等も出張るつもりか? 俺だけかと思ってたんだが……」

 

 バンバンと大柄な武藤の張り手攻撃にケイがしかめっ面をしながら抗議の声を上げる。しかし途中からふと何かを思い出したのか、考えるように親指で自身の顎を撫でながら二人に聞いた。

 

「ああ、青島っておっさんとキンジから事情は聞いたぜ。な、不知火?」

「うん。ついでに協力しようって話。二人は別行動になっちゃったけどね」

「青島さんが言うなら俺が言うことはないけどさ」

「お、ゴネるかと思ったが、あっさり観念したなこの野郎。じゃあ、俺らにも一枚噛ませてもらうぜ?」

「改めて言わなくても、俺一人の我ままで周りの迷惑をかけるわけないって。そんで……どうするつもりなんだ?」

「アレを使う」

「アレ……?」

 

 武藤が指さしたのは――ジャンヌたちが乗り捨てていった警視庁のヘリだった。

 

「青島のおっさんが警視庁に掛けあって許可取ってあるからよ、ケイはあのコンテナっぽい何かの中に入って、そのまま飛行機にゴー! って寸法だ」

 

 そう言いながらコンテナの固定具を外す。

 内部は壁に寄り掛かれば足を延ばせる程度の広さで、小型化されたモニターや冷蔵庫などが納められていた。

 しかしケイは内部の様子を見るまでも無く、飛行機という単語に反応して焦り始めた。

 

「い、いや、ちょっと待て! 次、飛行機かよ!? 俺、ちょーっと飛行機とか嫌な思い出が――!」

「何言ってんだよ。この前も華麗なノーロープバンジー決めてたろうが。謙遜とかいいからさっさと入ってくれ。時間ねぇから。あとコンテナ、内側からでも開けられっから、向こうに着いたら出てくれな! 防寒具とか色々入ってるし、機長に話はいってるから貨物室から機内に出れるようにしているってよ」

 

 尚もケイは文句を言っていたが、武藤はそのまま押しこみコンテナを閉める。

 事態は急を要する。

 ケイの言い分は後で聞けばいいと考えていた。

 

「じゃあ不知火、わりーけど俺たちはちょっくら行ってくるわ。お前は学校に戻って通信係だったよな?」

「うん、そのつもりだけど……大丈夫かい? ヘリコプターって二人居た方が良い気がするんだけど……」

「これでも車輌科のAランク様だぜ? よゆーよゆー」

「そっか。それもそうだね。じゃあ僕は戻るから」

「おう! お互い頑張ろうぜ!」

 

 不知火と別れる武藤。しかし彼は歴戦の勇士ではない。

 勢いとノリで不知火に任せろと言ったが、その焦りの色が見えた。

 訓練時には手早く済ませる機器の確認もどこか余裕がない。

 

「電線が唸っていた。風速は体感一〇m/s、約五ノット前後、高度五〇〇フィートは必要か。っていたた……何で操縦桿がささくれてんだよチクショウ。あ~~っと計器に異常は……と」

 

 そこで区切ると武藤はいきなりパンッと己の両頬を張る。

 

「違うだろが俺! さっさと飛べって話だ! くそっ、バスにしろ飛行機にしろでけぇ事件が多すぎだぜ……!」

 

 知らず知らずのうちにチェックばかりで飛ぼうとしない自分を叱咤激励する。

 事件なら何度も経験してきた。しかし先輩方に色々気にいられてしまったケイと違い、逃走車の追走(カーチェイス)やこの間のバスの運転など、武藤が担当した事件は存外少ない――というよりもケイやアリアが異常なだけだが。

 Aランク武偵とはいえ、場数ではまだ学生の域を出ない。それでも犯人を捕まえてやろうという気持ちはちゃんとある。

 

「こんなところでビビってんじゃねぇぞ武藤剛気! 仲間(とも)がやるってんなら俺もやらにゃならねーよなぁッ! いよしッ……『羽田コントロール、こちらEC(エコーチャーリー)155、ユーロコプター、警視庁ヘリ。コールサインTP(タンゴパパ)17――』」

『こちら羽田コントロール――』

 

 操縦桿のささくれを手持ちのナイフで切り落としつつ、事前に青島から聞いたコールサインを用いて通信を開始する。

 本来は警察が操縦しないといけないのだが、緊急性があることと、元警視総監のゴリ押しもあって警視庁からの許可は貰っていた。

 バババババッとヘリのメインローターが動き出し、ホバリングを始める。

 対空無線のラジオチェック、現在のポジションを連絡し、AMA600便に荷物を運ぶ旨を伝え、航空管制官の指示に従う。

 いつものように操縦して仲間を送り届ける。そしてハイジャック犯を逮捕する。

 いつも通りのことをすればいいだけのこと。

 そう、いつも通りのはずだった。

 

 強風と東京の高層ビルに衝突しないように空を飛ばしていた武藤。

 しかし――――

 

 ドクンッ!

 

「かッ!? なん、だ?」

 

 不自然なまでに心臓の音が身体の全身を叩くような錯覚を覚えた。

 吐き気とともに風邪をひいたような寒気に襲われ、ぶるぶると両手が彼の意志に反して震え始める。

 眼下に映るビル群がまるで風に揺れる柳のように歪曲し始めた。

 新種の風邪を発症したわけではない。極度の焦りが生み出した幻覚でもない。ましてや高所恐怖症などあるわけない。

 がくりと船をこいだように首が傾く。その視線の先には、先ほど切り落としたささくれがあった。

 それはキラリと鈍く光りを放つ。

 

「ぐ、はぁっ……はぁっ……針、じゃねえか……ッ! 俺の……グッ、アホ野郎……奴ら、神経毒……仕込んで、やがったんだっ!」

 

 蛇毒に酷似した症状と針。そこで相手がすぐに逃げかえった真意に武藤は気が付く。そして絶望的な事実にも。

(もう東京湾を抜けた……俺がドジって死ぬのは仕方ねぇ……でも……ケイは……)

 ケイが指摘しなかったということは彼もこの事態を予測していなかったことは容易に想像できた。

 つまりこの状況を知っているのは武藤、そして罠を仕掛けた犯人たちだけ。

 

『TP17、羽田コントロール』

「……エマー、エマー……リーズン……パイロット、トラブル……」

『TP17、羽田コントロール。こちらまで飛行できますか!? TP17!』

「………………」

 

 無線からは管制官が必死に呼びかける。しかし、もう武藤が言葉を返すことさえ億劫になっていた。そもそも耳に届いているかも怪しい。

 グラリと身体が泳ぐが慌てて、ヘリの操縦桿にしがみ付く。

 プロペラ音から伝わる振動さえ、彼の意識を揺さぶるには十分だった。

(ぁ……電車に揺られてる……みてぇだ、な……)

 激しい運動の後に電車の座席で寝たくなる心地良い感覚。

 

 睡魔が寝よう、寝ようと耳元で(ささや)く。

 倒れてしまえば楽になると身体が叫ぶ。

 パイロットを失ったヘリが斜めに傾き始めていた。一定以上の角度で傾けば、一気に墜落していくだろう。

 

 視界が黒に塗りつぶされていく。霧がかった意識の中で彼はある物が視界に入った。

 薄暗闇にあってやたらと輝く桃色のネオン管。ホテルだった。

 あんな特徴的な建物は思春期の男子なら大半が判る。ラブホテルという名の代物。

 そのとき武藤はふと誰かを思い出した。

(ああ……そういや……アイツ(・・・)に……エロビデ貸してたっけ、な……返して、もらわねぇと……?)

 アイツ。アイツ。アイツ。

 アイツとは誰か?

 決まっている。

 お人よしでいつも猥談で盛り上がる友人。

 好きなAV女優の話題で喧嘩し合う悪友。時には覗きの共犯者。時には頼もしい仲間。

自分(テメェ)の……ケツは、自分(テメェ)で拭かなきゃ、意味ねえだろうがよぉっ!!!)

 彼自身にもプライドの一つや二つはある。だからこそAランク武偵として名を連ねているのだから。

 どんな乗り物だって乗りこなし、こと仲間を現場へ送り届けることに関しては人一倍の誇りがあった。

(ちっぽけな誇りかもしれねぇが……ッ! 送るためなら地獄行きの列車だって現場に走らせてやるぜぇっ!)

 だからこそ、どんな手を使ってでも現場に辿りついてみせる。

 歯を食いしばり、全力で操縦桿を傾けた。ヘリと共に傾いていた身体は徐々に平行になっていく。

 意識が一瞬遠のいただけで、彼が思っているよりも時間は経っておらず、まだ姿勢制御が利く範囲だった。

 

 しかし予断を許さない。危機的状況は続く。

 視界は薄目で見渡したように狭く、暗く、ぼんやりしていた。

 パイロットに必要不可欠な視力が未だに戻らない。むしろ気を許した瞬間ブラックアウトすらしかねない状態だ。

 朦朧とした意識で彼は目的地である羽田空港へと向かう。

 

『T……7っ! エマ……ッ…………状況……消防…………墜落…………ッ!』

 

 管制官の焦りを含んだ声がどこか遠くから聞こえてくる。しかし武藤には届かない。

 一心不乱に羽田へと向かうだけだ。ヘリでの飛行訓練で羽田に降りたこともある。

 建物や空港内を照らす誘導灯を頼りにすれば、勘だけでも目指すことが彼には可能だった。

 ポツリ、ポツリとフロントガラスに水滴が当たり、雨が降り始めていた。

 元々悪天候だったとはいえ、視界が更に遮られることに舌打ちをしながら、おもむろに左手を操縦桿から離した。

 震える手でナイフを持つ。

 

「おれ……が…………とど……ける、ん……だ。……ダチの……ため、に……グッ……」

 

 自身の出せる渾身の力を込めてナイフを足に突き刺す。

 皮肉にも普段から鍛えていた筋肉の所為で太ももの表面を傷つけるに留まった。しかしそれで十分だった。

 武偵高のズボンが紅く染まると同時に、脳に痛みの電気信号が伝わった。

 そのおかげか霧がかった視界に光が差す。

(俺とケイとじゃ体格が違う……針に塗れる毒にも限りがある……意識はまだ、保てるだろうがぁ! へばんなよ武藤剛気!)

 消えそうになる意識を不屈の精神で無理やり立て直す。

 時折吹く突風と震える腕でヘリが激しく揺れるものの、武藤が操縦するヘリはそのまま羽田空港へと向かっていくのだった――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁはぁ……なんとか間に合ったか。スケジュール通りにいかないもんだな」

 

 息を切らしながらキンジは予約していたチケットで搭乗手続きを始める。

 橋に仕掛けられた爆弾は二、三m程度クレーターを形成していたが、走って通行する分には問題なかった。

 ただ青島は爆発の影響で玉突き事故を起こしていた人々を助けるためにキンジと別れていた。

 武偵微章を係の人間に見せて、アリアの乗っている飛行機に搭乗した。

 

「それにしても、『空飛ぶリゾート』と名高い超豪華旅客機のファーストクラスとかどれだけ金持ちなんだ、アイツは。俺みたいな庶民には一生縁がなさそうだな……」

 

 通常の飛行機よりも通路は広く、歩いている乗客たちも金やダイアなどの装飾品を当たり前のように身につけている。

 乗務員さえどこか気品を漂わせていた。

 上級生のクラスに迷い込んだような落ち着かない気分になりながら、キンジは奥へと向かう。

 そのままアリアが予約していたファーストクラスの個室に入った。

 

「来たわねキンジ。状況を説明しなさい」

「出会いがしらの命令口調は気になるが……まあいい。『武偵殺し』がケイに対してアクションを起こした」

 

 仁王立ちで待っていた小さな桃色姫のいきなりな質問に溜め息を吐きながら、端的に起きた出来事を話す。

 

「ケイに!? 本物が現れたって訳じゃないわよね」

「ああ。おそらくだが、お前が言うイ・ウーっていう組織の仲間だろう。そっちは武藤と不知火が応援にいった。ただ到着した時点ではケイが追い詰めていたらしくてな、不知火たちの到着で状況不利と見たんだろう……すぐに逃走したそうだ」

「ケイが、ね。ふぅん……」

 

 キンジの言葉に一瞬眉を動かすアリアだがそれ以上は何も言わなかった。キンジは特に気付く様子はなく話を続けた。

 

「それと空港の件なんだが……」

「それも理解しているわ。どうせ事件が起きてないから対処できないって言われたんでしょ?」

「……ご明察だ」

「でしょうね。銃規制の解除で犯罪件数が急上昇しているのに、根本的な防犯意識はぬるい国だもの。それが悪いとは言わないけれど、奴らにとっては良いカモだわ」

「耳が痛いばかりだな」

「いいわよ。ふふっ、それに……だからこそ、アタシたちが『武偵殺し』をとっちめられるんだからねッ」

「期待しているところで悪いが、俺はあまり役に立たないと思うぞ」

 

 まるで『武偵殺し』はもう逮捕できるかのように言い放つアリアにキンジが釘を刺す。

 しかし彼女は信頼したかのように真面目な表情を崩して笑う。

 

「だったら体育倉庫のときのような底力に期待しているわよ? あれは並の凡人には出来ない技なんだからね!」

 

 ピッ! と指を差しながらごそごそと自分の鞄から何かを取り出していた。

 

「あれはだから――」

「んー?」

「……いや、何でもない。お前、ももまん買ってきてたのかよ……」

「ええ。戦の前には腹ごしらえって言うらしいしね。……ん~~~っ、アンコと生地が絶妙ねぇ~♪」

「お前は大物だな、ホント……」

 

 いつの間にか取り出していたももまんを頬張るアリア。キンジが苦笑いしながら隣の席に座った。

 しばらくするとスピーカーからアナウンスが流れ始める。

 

『本日はAMA600便に搭乗していただき誠にありがとうございます。当機はまもなく離陸します。お客様は今一度シートベルトの確認をお願い致します――』

「そろそろだな」

「そうね」

 

 残りのももまんを片づけながらアリアは席に着く。キンジもそれに倣いながら腰にあるシートベルトを付ける。

 そのとき個室のドアがノックされ、キャビンアテンダントが入り口のドアを開ける。

 

「失礼したします、お客様。シートベルトの確認は大丈夫でしょうか?」

「ああ、大丈夫だ」

「はい、ありがとうございます」

 

 やや背の低いキャビンアテンダントはにこりと微笑みながら、ドアを閉める。

 

 そこで一度沈黙が室内を支配する。動きだす飛行機。拳銃とナイフの位置を確認しながらキンジは深呼吸をした。

 

「ふぅ……(いよいよ、か。ヒステリアモードじゃない状態で敵うか判らないが、『武偵殺し』も人間だ。絶対にとっ捕まえてやるからな!)」

 

 座席の真上にシートベルトのサインが点灯している。これが消えれば、飛行機内を自由に動ける。

 決意を胸に気合を入れなおしていたキンジに、アリアが話しかける。先ほどとは違い、厳しい表情を浮かべながら。

 

「ねぇ、キンジ。ちょっといいかしら」

「どうした? 作戦の確認か?」

「ある意味、そうね。ケイに関してよ」

「ケイ? アイツがどうしたんだよ」

「…………アタシは、信頼してる。体育館で魅せた銃弾を見てから回避する動き。バスの中で率先して動ける行動力。友達や兄のために戦うアンタは間違いなく武偵らしい武偵よ、キンジ」

「なんだよ藪から棒に。お前が褒めるなんて気持ち悪いな」

 

 真剣な顔でキンジを見上げるアリア。付き合いは短いが、彼女の性格上相手を褒めるという行為が非常に稀だろうことは容易に想像できる。

 

「うるさいわね、いいから聞きなさい。今回、アタシたちが飛行機を舞台にしたのは『武偵殺し』をおびき出すためだったわね?」

「今更過ぎるが……そうだな。でも、それがどうしたんだ?」

「『武偵殺し』について調べていた途中で変な情報を見つけたの」

「変な情報?」

「十二月、浦賀沖海難事故」

「……ッ。それが、どうしたんだ」

 

 世間の理不尽な言葉に踊らされた忌々しい事件。

 今も次々と起きている大小様々な事件事故に、マスコミやその他大勢の人間も興味を失ったようで波が引くようにいなくなった。

 しかし何度耳にしてもキンジの心が晴れるわけがない。ギリッと歯の奥で軋む音がしたが、表情だけは平静を装う。

 

「武偵局ではこのシージャックの件は『武偵殺し』と関連性が無いとされているの」

「……どういうことだ? 俺は確かに二人組の武偵に聞いたぞ。調査済みってことじゃないのか?」

 

 当然と言えば当然の疑問だった。

 キンジに情報を与えた武偵がそのまま武偵局に報告しないわけがない。

 意図的な情報の秘匿は時と場合によっては罪にもなりかねない。最悪、共犯者として裁かれる可能性すらある。百害あって一理無し。報告をしないなどありえない。

 キンジの問いに、アリアは厳しい表情をしていた。

 

「もっともだけど、事実そうなの。だけどアンタが言ったことは嘘とは思えない。だって事実、監視カメラにアンタたちは映っていたから。でもその人たちが誰かを武偵局に問い合わせても判明しなかったの」

「監視カメラの映像って……いやさすがSランク武偵さまってところか。それで?」

「武偵局のデータベースに改竄(かいざん)された形跡があったわ。鉄壁のセキュリティを誇る武偵局の、ね」

「武偵局のか!? だが一体どうして? 武偵局だって民間のハッカーや情報管理専門の武偵が二四時間見張っている。そのセキュリティを破るのは容易じゃないはずだ」

「……判らないわ。特化した技能を持つ人間ならできるかもしれない。武偵局に内部犯がいる場合もある。だけど、確実にそれを行うことのできる連中はいる」

「誰だ?」

「日本政府よ」

「な……ッ!?」

 

 絶句した。情報を管理すべき政府が個人情報の抹消を行うなど通常ならありえない。

 それが事実なら国家の信用問題にも発展しかねないデリケートな話題だった。

 

「待ったアリア。政府が情報を意図的にいじるのはまだいい。綺麗事ばかりで回るほど世の中が単純じゃないのは判っているつもりだ。だがやる意義があるとは思えない。リスクに見合うリターンがない。いくらなんでもその考えは荒唐無稽(こうとうむけい)じゃないか?」

「太陽はなんで昇る? 月はなぜ輝く? 当たり前のことばかりに捉われないで。いいキンジ? 真実は鏡のように平面じゃない。だけど裏側は必ず存在するものよ」

「…………だが、やっぱり判らんぞ。何が言いたいんだ」

「バカキンジモードじゃまだ無理かしらね……。小一時間ほど説教したいくらいだけど飛行機が離陸したら『武偵殺し』を捕まえなきゃいけないし、今はまあ、いいわ。それじゃ答え合わせしてあげる」

 

 コホンと一呼吸置くとアリアは言った。

 

「――ケイはエージェントよ。おそらく日本政府直属の」

「…………は?」

 

 ポカンと大きな口を開けるキンジ。

 普段となりの席で武藤などと猥談に興じる友人が裏の顔はエージェントでしたなどと、一時代前の漫画の話かと思えるほど突飛なものだった。

 だがアリアの表情は真剣そのもの。むしろなぜ判らないとばかりに溜め息を吐いた。

 

「はぁ……どうして鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしているのよ。考えれば判るでしょう? ケイは、たぶん公安警察ね。あるいは……天皇家の近衛である可能性もあるかもね」

「待て待て待て!! ケイが? どうしてだ? アイツは一般中学出身(パンチュー)だ。接点なんてあるわけない」

「だからこそ、よ。アンタやみんなは色々感覚がマヒしているみたいだから解説してあげる。大前提として、アンタが言ったようにケイは一般中学出身よね?」

「ああ、そうだ。普通の学生だった。だからエージェントとか変だろうが」

「そこから騙されているのよ。いい? ケイは入試でSランクと認定されたわよね? アンタもSランクを取っていたけど、このランクは人数制限があるの。つまり学校で高得点を取ったからって軽々しく与えられるほど安くない。優秀な人間がいればいるほど、Sランクの門は狭まっていく」

 

 武偵たちのランクはEから始まり、Sランクが最高のランクとされている。

 ただしSを超える(ロイヤル)というランクがあるにはあるが、それは伝説上のランクであり、凡人が得られるものではない。

 Rを除いたランクで、最高位であるSランクが武偵たちが目指す頂点の一つに代わりはなかった。

 

「それだけケイが優秀だってことだろ? 拳銃の暴発を利用した弾丸は…………あ~、体育館での俺でも、避け切れなくて額に傷を負うほどの精度を誇っていたんだからな」

 

 微妙に記憶が曖昧になるヒステリアモード中の自分を思い出しながら答える。

 目敏いアリアはその言葉にぴくりと眉を動かす。

 

「……その話は初耳だけど、まあいいわ。キンジ、今のあなたの話は核心を突くものよ」

「どこがだ。普通だろう?」

「アンタは少しは常識を考えなさいよ。武偵中学だからマヒしているの?」

「男子寮に泊まり込もうとした、お前にだけは言われたくねぇっ!」

「アタシはスカウトに来ただけだもの。むしろ常識的だわ」

「お・ま・え・なぁ~~~!」

 

 反論するキンジの言葉をサラリと流す。

 憤っていた彼を冷静にさせたのは彼女の一言だった。

 

「拳銃」

「は? だからなにを言って――」

「拳銃よ。一般人は拳銃なんて普通扱えないわよ? 武偵中出身でもない限り(・・・・・・・・・・・)。無論、銃社会の海外で滞在経験があったり、元自衛隊生徒とかの例外はあるけどね? さて……ケイは一体どこの中学出身(・・・・・・・)だったからしら?」

「――ッ!? ……まさか」

 

 思わず声を漏らした。そして気付いた。

 キンジは自分基準で物事を考え過ぎていたことに。

 武偵中出身の自分――入試で来ているのだから相手(ケイ)も使えて当然という誤解。

 ヒステリアモードの自分――優秀なのは理由があるかもしれない。なら自分に近い能力を持っているからだという結論に至った誤解。

 

「迂闊ねキンジ。戦場なら風穴空いて死んでいるわよ。……まあ、ケイの注意逸らし(ミスディレクション)とでもいいましょうか。それが完璧な形で作用していたことも原因の一つね。一応、事前の試験には射撃検定もあるわけだし使い方を理解しているんだって、大前提を利用している辺りが嫌らしいわね」

 

 射撃は訓練よりも才能に寄る面も大きい。元はただの猟師が伝説的なスナイパーにもなれば、万単位で弾を撃ってきた選手がオリンピックで入賞できないことだってある。

 しかし、それでも訓練と経験もやはり必要だ。

 少なくともその日初めて拳銃を握った人間が今まで訓練を重ねてきた武偵の卵たち相手に大立ち回りすること事態が既におかしい。

 それは入試だけではない。その後のケイの活躍でも同様だった。

 若いときから訓練を重ねてきた、ある種世間一般とは少しずれた価値観を持つ武偵高校の生徒たちだからこそケイの異質さを真に理解できなかった。

 

「そうだ……俺も勘違いしていた……。ケイが教官を倒して、拳銃も使えて当然と……いや、教官を倒したこと事態、本来ならあり得ないのか? 古い武家だとは聞いていたが……」

「どちらにせよまともな訓練も無しで、体育館で見せたアンタの動きを捉えるのは至難の業よ。それに青海の一件もあるわ」

「青海? あのとき何かあったか? イヌハッカの香水を事前に注文したことくらいしかないはずだが……」

「あったわ。これはアタシも最初見過ごしていたのだけどね。猫……一列に並んでいたわよね?」

 

 青海での猫探し。結果的には青島氏の情報で見つけたが、アリアが言いたいのはそのことではない。

 ちょこちょことケイの後ろをついてきた猫たちの様子だった。

 

「あ、ああ、そうだな。確かにケイの後ろをカルガモの親子みたいに一列で付いて来ていたが、あれも何かあったのか?」

「アコーディオン現象って知ってる?」

「それは知ってるぞ。確か先頭車両の減速などが原因で、後列になるほど渋滞を引き起こしやすくなる現象のことだな」

「知っているなら話は早いわ。ねえ……彼の後ろにいた猫たち、列を乱したりしなかったわよね?」

「猫……が? いや待てよ……?」

 

 その日のことを思い出そうと考え込む。

 キンジとアリアが前に居て、その後をケイが付いて来ていた。

 そして駅のホームで彼らが渡った後、駅員に呼び止められていた。

 猫は六匹。綺麗な隊列でケイの後ろでにゃあにゃあと鳴いていたことが脳裏に浮かび上がる。

 普通ならそれだけのこと。しかしアリアが言いたいのはそのことではないだろう。

(アコーディオン現象……? ん? そういえばケイの歩き方は――)

 キンジの脳の奥底から記憶の断片が水泡のように浮かび上がる。

 ふと思い浮かんだ疑問の声が口から洩れた。

 

「歩調、か?」

「ビンゴ。そう、ケイの歩調よ。イヌハッカの匂いに誘われても猫は本来自分勝手な動物。少しでも先頭――この場合付いて来ているケイの歩調に乱れがあれば、そこら辺をバラバラになったり、詰まったりしてもおかしくない。なのにケイは違った」

 

 相方が分かってくれたことに口元を緩めて笑った後、慌てて厳しい表情に戻すアリア。

 そんな少女の様子にまったく気付かず、キンジは自身の言葉を再度言いなおした。

 

「歩調……そうか歩調か。猫すら乱れさせない完璧な歩調で俺たちの後ろを歩いていた……通常ならアコーディオン現象なりで乱れるはずなのに。一般中学出身のケイがそれを行った。そういうことだなアリア?」

「え!? え、ええ! そうよっ。行進はただ歩くだけの動作じゃない。前と後ろの緻密な連携――地面に足を着くタイミングは一定に、だけど歩幅はミリ単位で調整しつつ、隊列は乱さないよう気を配る絶妙なバランス感覚が必要よ。それが出来るのは、専門教育を受けた警察や軍人……自衛隊の人間だけよ。武偵は連携はするけど、独立独歩が基本で己の力で未来を切り開く個人主義。歩調なんてみみっちい訓練はしないわ。それをケイは日常生活でさも当然のように行っている。おかしいわよね」

「認めたくないが……確かに、な。俺も思い当たる節がある。以前麻薬組織を捕まえるときにケイが囮役をしていたときも、その歩き方は一定の速度でタイミングが測りやすかった……」

 

 考えながらキンジ自身、ケイがエージェントという線はむしろ可能性としてはあるのではないか? と思い始めていた。

(前にケイも言っていたが、俺のヒステリアモードはどこぞの創作主人公みたく、発動条件もその恩恵も常人と比べりゃ少し変だ。同じSランクを取ったケイも無意識に同列と考えていたが……なんて思考の落とし穴だ。特殊な訓練を受けた人間という方が現実としてはむしろ可能性が高いと言うのに……)

 当人のいない間にとんでもない結論が出されようとしているが、それを止める裁判官などいない。当然、被告たるケイもいない。

 アリアの弁は止まらない。

 

「それだけじゃないわ。カメラが趣味というのも周囲の疑念を消すアクセントの一つね。一見普通な趣味で一般人を装えるけど、それはどこに居ても“撮影しています”で誤魔化せるカモフラージュにも成りえる。政府の人間と秘密裏にコンタクトを取っていても疑われにくい。そしてアタシがエージェントと確信したのは、さっき言った武偵局のデータベースについてよ」

「……そういえば、最初に言っていたな。一体誰の情報だったんだ?」

「大石杏子――ケイの母親の情報よ」

「ケイの、母親!? だがケイの母親は事故で他界していると聞いているぞ? 情報を消す必要なんてないんじゃないか?」

 

 ケイの両親は若くして鬼籍に入っている。それはケイ自身から聞かされたことのある話だった。

 キンジも両親を亡くしている。それゆえにちょっとしたシンパシーなどを感じているが、それは於いておいても疑問に思う至極当然だろう。

 だがアリアは首を振る。

 

「もし、違っていたとしたら?」

「違って……?」

「武偵はある日突然いなくなる――アンタは知らないの?」

「たまに長期任務でいなくなる奴は知っているが……」

「詳細はアタシも知らない。けれど武偵高の人間は犯罪を起こしたとき、極一部の関係者にしか情報を教えないように、退学、転校時はひっそりと消えていく。ならプロの武偵は?」

「…………ケイの母親は武偵を辞めた?」

 

 キンジの言葉にガクリと肩を落とすアリア。

 

「なら辞表を提出すればいいだけでしょ、もうっ! そうじゃなくて、もし政府が死んだことにしないといけないレベルの超極秘任務を請け負っていたら? ……あるいは武偵局の汚点となる、犯罪者に身を堕としていたら?」

「まさかケイの母親は……大石杏子は――」

「生きている――そして強襲技能だけでなく、諜報関連の情報収集にも長けたケイがそれを知らないはずがない。元々自身の情報流出を抑えるタイプよ。彼が誰にも語らず、武偵高で技能を磨く。可能性は二つ」

「一つは母親と同じく何かしらの任を負っていて、武偵高校に在籍している……?」

「当たり。もう一つは……」

 

 そこでアリアは躊躇うように言い淀んだ。

 歯に衣着せぬ言葉が多い彼女でもその言葉は軽々しくいえない。

 それを察したキンジは何も言わなかった。

 そして意を決して、彼女は話す。ケイの目的を。

 

「彼女、大石杏子は――イ・ウーかまたは別の犯罪組織に汲みしている。ケイはそれを止めるためか、手掛かりを探すためか。そのために武偵高校に来ているというもの」

「なんてこった…………そうか、だからケイは……」

 

 思い出されるのは冬での一幕。ケイが武偵高校を辞めるという旨を話していた。

 だがアリアの推理が正しいとするなら?

 ケイは周囲に多くは語らない。普段はヘラヘラと軽い口調が目立つ彼。しかし大切なことは言外に伝えてくる。

(ケイ、お前は……。武偵高校を去らないといけないときのための予防線を張っていたのか。だけど……いつかいなくなるかもしれない、それを俺には教えてくれた。兄を亡くして悲しみに暮れていた俺の……心の負担を少しでも軽減するために。ちくしょう、水臭いことしやがって……)

 別組織の人間なら、命令一つでいつか武偵高校を去らなくてはいけない日が来るかもしれない。

 ある日突然煙のように姿を消すより、前以て言った方が衝撃は少ない。それがケイなりの心遣いだとキンジには思えた。

 彼は頷く。ならば自身がやるべきことは決まっていた。

 

「アリア、この事件が終わったら――」

「ダメよ」

「え?」

「ケイに協力しようという話なら……難しいわ」

「どうしてだ。俺はアイツに借りがある。だったら」

「そうなればケイはいなくなるわよ? 任務を果たせば武偵高校から去らなければなくなる。それでもアンタは……いいの?」

「ッ! それは……」

 

 アリアはキンジの反応を見ながら一言一言ゆっくりと話す。

 逡巡するキンジ。だが次に顔を上げたとき、彼の顔に迷いはなかった。

 

「それでも、俺は何度もケイに救われた。恩を仇で返すようなのは遠山家の男じゃない! それが俺なりの誠意って奴だ!」

「ふふっ、良いこと言うじゃないキンジ。アタシも同感よ!」

「は? お前、反対じゃないのか?」

「バカ言わないで。そもそもケイが武偵高校から居なくなるのはアタシも困るのよ。そ、その……お母様とのことだって色々あるし……お母様が幸せになってくれるならケイとの、こ、こ、こここ恋仲を娘として応援しないでも、ないと、思ったり思わなかったり」

 

 恋、という単語辺りで初心なアリアは耳を真っ赤にしていた。幼いながらどんな想像をしたのかは誰にも判らない。

 ただ声が小さかったのでキンジは首を傾げていた。

 

「なんか最後辺りの声がちっちゃかったが」

「う、うっさいわねバカキンジ! とにかくッ! アンタからの依頼は『ケイが武偵を辞めるのを思いとどまらせる』ってのが条件でしょ! ケイが誰であれ、この目的が変わることは無い。とりあえず、ケイからのアクションが無いなら不用意にこの件を突くのは止めましょう。最悪、正体がバレたら即撤退って可能性もあるんだから」

「うおっ!? わ、わかったから拳銃を抜くな。窓を撃とうとするなよっ」

 

 照れ隠しか、怒りからか太ももから拳銃を抜き放つ。

 キンジは一瞬見えた桃色の生地を必死に忘れようとしながら彼女を御宥めていた。

 だがその瞬間、飛行機が大きく揺れる。

 

「アンタが恥ずかしいこと言わせようとするから……きゃあ!?」

「くぁ!? な、なんだ!?」

 

 座席に背中を打つ二人。乱気流にしてもその揺れは激し過ぎた。

 揺れた瞬間の角度は滑り台の角度にも匹敵するほど傾く。さらにジジジと音を立てたかと思えば、照明が消え非常灯の薄明かりが室内を照らし始めた。

 ドアの外から数人の悲鳴が聞こえたが、何故かしばらくすると聞こえなくなった。

 その様子に二人は顔を見合わせる。

 

「せっかちなお客さんね。紳士ならもうちょっと品位があるわ」

「……仕掛けてきやがったか」

「これだけ揺れているのに機内放送が無いのが証拠よ。揺れは収まった。行くわよキンジ!」

「言われなくても!」

 

 シートベルトを外して立ちあがる。

 個室のドアの両サイドで一度立ち止まる。

 キンジが瞬き信号(ウインキング)で自分が先に行くことを伝える。

 アリアが頷くと、キンジはゆっくりとドアを開けて廊下に出る。足もとを見ると乗客や乗務員が倒れていた。

 目を凝らすと周囲には白いモヤが漂っている。それを見て反射的に袖を口に当てた。

 

「催眠ガスか!?」

「口元を抑えてキンジ。空調は機能しているから、すぐ動けるはず――ッ!?」

 

 ゴロロロロ!

 真っ白な閃光が窓から機内を照らす。腹の底から響くような雷の音が轟く。

 キンジは眩しさに目を細めながら前方を警戒していた。

 

「手は動く、めまいもない、大丈夫か。ここは飛行機では尾翼に近いほうだったな……。機内放送がないということは『武偵殺し』は機長室辺りか? どう思う、アリア――」

 

 そう言って振り向く。しかし彼女が居ると思っていた場所にその姿は見受けられない。

 疑問に思いながら視線を下げる。

 すると、ふるふると小鹿のように震えながらアリアは(うずくま)っていた。

 キンジは驚きながらドアの近くにいる彼女の所へと慌てて駆け寄る。

 

「アリアッ!? 大丈夫かッ」

「あ……あうぅ……」

「まさか『武偵殺し』の攻撃か!? クソッ、何処に――」

 

 その時、背後に誰かの気配を感じた。

 だが振り向く前に、背中に衝撃を受ける。

背面攻撃(バックアタック)!? ……チッ!)

 軽く、押しのけるような感触。咄嗟の行動だった。アリアが小柄なお陰もあって彼女を左腕で抱き上げると、そのままキンジは部屋へと転がり込む。

 勢い余ってアリアとキンジの顔が急接近する。唇に一瞬だけぷるんとした瑞々しい感触を覚えるが、彼がそれを意識する余裕はなかった。

 『武偵殺し』

 兄を斃した犯罪者。並の相手ではないことは重々承知だ。

 焦っているのに頭の中は鮮明でクリア。次々とやるべき行動が思い浮かぶ。

 右手で勢いよく立ち上がったと同時にくるりとスケーターのごとく一回転。左脇のベレッタに指を引っ掛けて空中に抜き放つ。

 アリアを抱きしめ直しながら、拳銃をキャッチし、そのままドアの方へと銃口を向けた。

 万が一撃たれても、そのまま動けるように強く強く抱きしめる。

 ふわりと鼻をくすぐる微香。女性特有の柔らかい感触が伝わってきていた。

 視界の隅で黒い何かを捉える。

 それはスッとドアの後ろに隠れた。

 

「…………」

 

 心臓がやけにうるさい。

 キンジの心臓とアリアの心臓がお互いの鼓動を伝えあう。アリアはもぞもぞと身じろぎをしていたが、キンジは無意識の内にギュッと彼女を抱きしめた。

 一秒、二秒、と時間は過ぎていく。

 だが、こない。不規則な足音は遠ざかり、聞こえなくなった。

 

「……こない? いや誘っているのか」

 

 キンジたちにとっては絶望的な、そして敵にとっては絶好の機会。攻撃しない手はない。

 それをやらないということは敵は先に待っているのだろうことは容易に想像がついた。

 

「どうやら俺たちは招待されているようだ。どうするアリア……アリア?」

 

 胸元に視線を向ける。そこにはぷるぷると小動物のように震える少女、ではなく。

 

「~~~~~ぁ……ぁ、ン……たねぇ……ッ」

 

 今にも爆発寸前という風にぶるぶると小刻みに震える子鬼がいた。

 何故かゴゴゴと噴火直前の重低音が響く錯覚を覚えた。

 どうにかしないとこの小さな火山は鉛製の噴石を撒き散らすだろう。特定の対象だけに。

 

「息が詰まるところだったのよ! いえ、それよりアタシをだた抱いて、しかもッ。しかもッ、ききききききき――ッ!」

「キス? ああ、それは――(……あれ、どうして俺はこんなに冷静に……)」

 

 相手は小さくも凶暴な猛獣アリア。風穴パーティがゲリラライブのごとく開催されたら命が危うい。

 逃げようという選択肢が思い浮かんだが、そこで己の異常にやっとのこどで気付く。

 ドクドクと煩く鳴っていた心臓がどういう意味を持っていたのか?

(……あぁ、そういうことか。気付かずに成っていたのか。ヒステリアモード、に。それも、普段よりもかなり強烈な奴を)

 高速で回転する思考はアリアそのキスを鮮明に思い出させる。普段なら忌避する行為だが、この状態になるとむしろ嬉々として行ってしまう恐ろしささえあった。

 キンジは興奮するアリアに手をそっと取り、姫に(こうべ)を垂れる騎士のように膝を突く。

 落ち着かせるように努めて穏やかな口調で話しかける。

 

「こんな事故みたくキスしてしまったことは謝る。すまない。だが俺たちが今すべきことは他にあるはずだ、アリア」

「にゃ!? にゃにゃにゃッ、にゃに、手を、取って……?」

 

 沸騰しかけていたアリアだったが、キンジの様子がおかしいことにすぐさま気が付く。

 真っすぐ見つめるキンジの目を見て、体育館での事が自然と思い出された。

 

「アンタ、バカじゃない方のキンジ! 覚醒したの!?」

「ああ、火事場の馬鹿力って奴かもな。だが頭の中は水面のように落ち付いている」

「ふ、ふふふふふ……そう、やっと本気になったってことね、キンジ。状況は理解しているわね?」

「もちろん。アリアが雷に怯えていて――おっと」

 

 本気ではないもののアリアのパンチが鼻先をかすめる。

 キンジは軽やかにスウェーで避けていた。

 

「そ、そこは気にしないで! 余計な口は風穴空けるわよっ」

「悪い悪い。……俺が見えたのは黒いスーツの人物だった。頭に何か被っていた気がするが、それ以上はさすがに判らない」

「追撃しなかったのは挨拶程度のちょっかいかしらね……。でも先頭の機長室にいるかと思ったのに、後ろの方から来たのは予想外だったわ」

「それも含めてこちらの意表をついたのかもしれないな。どの道、俺たちがやることは一つだけだ」

「ええ、行くわよキンジ!」

「了解だ!」

 

 獰猛な笑みを浮かべ、どこか生き生きした表情でアリアが駆け出す。

 キンジも負けじと、ベレッタ片手に後ろを追走する。

 時折遮蔽物を利用しながら敵の罠を警戒しつつ進む。

 機内は静かで、乗客たちはガスにやられたのか皆壁に寄り掛かったり、廊下に倒れ伏していた。

 そして開けた場所に辿りつく。カウンター、そして奥にはワイン、ブランデー、日本酒など様々な銘柄の酒が置いてある。

 クラシカルな雰囲気を醸し出している広場のカウンターの上に女性がいた。

 ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべ、キンジたちに語りかけてくる。

 

「随分、のんびりときやがってくれましたねぇ?」

「……お前が『武偵殺し』か」

C'est vrai(そのとおりよ)

 

 その女性は先ほどシートベルトの確認にやってきた女性だった。

 女性はカウンターから降りると広場に中央で立ち止まる。そして顔を向けるとおもむろに自分の顔を引っぺがす。

 

「アンタ!?」

「ぬるい、ぬるいよオルメス。こんなにも遅いとリコりん退屈で……暇つぶしに誰かを殺したくなっちゃうかもしれないよー?」

「理子。お前が犯人だったのか」

 

 特殊メイクの下から現れたのは同じ同級生の峰理子だった。

 だが普段の天真爛漫な様子とは違い、どこか歪んだ笑みを浮かべながらキンジたちを見つめている。

 

「くふふっ♪ キー君、どんかーん。色々ヒントは上げてたのにスルーしちゃうんだから。今みたいに鋭いキー君じゃないときはダメダメなのかな?」

「……ッ!(コイツ、俺のヒステリアモードのことを知っているのか!?)」

 

 理子の言葉に警戒心を強める。キンジはヒステリアモードのことを他言したことはない。ケイにさえ未だ伝えられるにいる。

 それなのに何故か相手が知っている。

 いつでも迎撃できる態勢を取りながらキンジは理子の背後(・・)に視線を移した。

 

「騙されたよ理子。まさか『武偵殺し』が二人(・・)いるなんてね」

 

 二人――そこ言葉に訝しげな表情を彼女は返した。

 

「……何を言っているのかなキー君。『武偵殺し』はアタシ一人だよ?」

「なら後ろにいる奴はイ・ウーのメンバーってわけか」

「何を言って――ッ!?」

 

 コツリ、と足音がした。

 話が噛みあっていない。

 不審に思った理子が慌てて振りかえる。

 

「――誰だおまえッ!?」

 

 驚愕に目を見開きながらも理子は反射的に、相手のみぞおちを狙って掌底を繰り出す。

 だがその人物は受け止めるでもなく緩慢な動作で手を上げると、今度は素早く、そして無駄のない動きで彼女の攻撃を打ち払った。

 

「……ふ」

「――な、がは!?」

 

 相手に寄り掛かるような不思議な動作で、逆に理子の胸元にショルダーアタックを喰らわせた。

 たまらず理子は距離を空けながらキンジたちを睨みつけた。

 先ほどとは打って変わって乱暴な口調だった。

 

「なるほどテメェら、挟み打ちでヤルつもりだったんだなオイ」

 

 憎々しげな様子で話す理子だったがアリアもキンジも驚く。

 

「待って。アンタの仲間じゃないのそいつは?」

「そうだ。それにそいつはさっきこっちに攻撃を仕掛けてきた奴だった」

「何? 実はもう一人いましたって話? ハッ! もう一人いる、ってか。陳腐な推理小説みたい。……おい、そこのタイガーマスク! テメェ一体なにもんだ!」

 

 理子を攻撃した人物――黒いスーツにプロレスラーが付けてそうな虎のマスクを被った人物はくぐもった声で呟いた。

 

「…………戦い(パーティ)の招待状は必要か?」

 

 キンジとアリア、理子、そしてマスクを被った謎の人物が一堂に会す。

 東京上空一〇〇〇フィート。大都会が眼下に広がる日本の首都の上で、彼らの戦いが今始まる――――




投稿遅れて申し訳ありません。

勘違い強引かなと悩み始めたら止まらなくなりますね、ホント。

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