緋弾のアリア~裏方にいきたい男の物語~   作:蒼海空河

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双子の愚者

 時は全ての人々に平等だが、機会(チャンス)という気まぐれ者は実に不平等だ。

 運の良い者、実力のある者、富める者…………誰にだって尻尾を振るし、そっぽを向く。

 しかし武偵に失敗は許されない。

 僅かなチャンスを逃さず確保すること。常にアンテナを立て、時流を読み、そして勝利する。

 上を目指す武偵にとって必須の技能。

 そんな生徒を育て上げるための方法の一つがある。

 

 ワンデイミッション。

 特殊科目。

 蜃気楼。

 

 呼び名は様々だが、共通していえるのは学校の掲示板にあがるとすぐに無くなってしまうという事。

 ○○して欲しい等の依頼形態もあれば、一日研修と称してプロの技能を学べる機会もある。

 だが地雷も多い。

 ボランティアをしただけで、単位がロクに貰えないものや、先生方のお使いなどトンでもない内容まで。

 そして一人の少女は内容不明の科目を履修した。

 指定された時間に教務室に来い……ただそれだけ。実に怪しい。

 

「う~ん、こりゃしくったかー?」

 

 誰もいない、靴音だけが支配する暗い校内を怖がらずに歩く少女が一人。

 ポニーテールにした金髪を揺らしながら、独り呟いた。

 武偵高校中等部三年火野ライカ。

 気軽に受けた講義だったがどうもきな臭い。

 いや、最初から怪しくはあった。

 しかし掲示板に張られたときに面白そうだと思い、履修したのが運の尽き。

 夜中の学校に来いなどと一方的に連絡を受けたのだから無理もないだろう。

 半ば諦めつつ担当の教諭がいる部屋へとやってきた。

 ノックをする。

 

「三年の火野ライカです。先生いますかー?」

「入れや」

「……入ります」

 

 声を聞いて一瞬声を詰まらせながらも入る。猛烈に嫌な予感がしていた。

 そして中の人物を見て、心の中で嘆息した。

 強襲科の主任、蘭豹だったからだ。

 怪力無双で武偵の中でもかなりぶっとんだ人種に分類される先生。

 素手でバスをひっくり返した、酔った勢いで学園島を僅かに傾かせたなど人外級の噂がたつ女傑。

 凄まじいスパルタっぷりに歯に衣着せぬ物言い。

 そんな先生が居たのだ。終わった……と諦めても仕方がない。

 覚悟を決めて室内に入ると、他には誰もいない。

 自分だけか、と更に絶望していると、

 

「おどれでしまいやな」

「へ? アタシ以外にもいるんすか?」

「某がいるでござる」

「って上!?」

 

 どうやっているのか、忍者のように天井に足を付け、真っ逆さまにぶら下がる女生徒がいた。

 シュタっと足音を感じさせずに降りる。

 口元を隠し、さらに季節外れのマフラーで身に付けた様子はある意味清々しいほどの……。

 

「バカがいる」

 

 一刀で斬って捨てた。

 

「馬鹿ッ!? 出会いがしらに失礼でござる!」

「だってもう夏も近いのにマフラーしてるとか……口調もおかしいし……」

「心頭滅却すれば夏もまた涼しでござるっ。口調は昔からでござる」 

「ええーでも」

「ぴーちくぱーちくはしゃぐなアホ。尋問科にでも送りつけたろか!」

「すいませんでした(ござる)」

 

 くるくる回した拳銃を突きつけられたからか直ぐに謝る二人。

 尋問科はその名の通り逮捕した犯人を尋問するための技術を専門に習うところだ。

 心理学から人体学まで幅広く習うため、武偵でもかなり特殊な部類に入る。

 一部では拷問方法も習っているという不穏な噂もあるのでお世話になりたくないのが普通だ。

 気を取り直して蘭豹は話し始めた。

 

「最初に言うが、大当たりやひよっこども」

「そうなんですか?」

「火野よォ、一応言ってやるが、そういうのを調べ上げるのも武偵の仕事の内なんやぞ」

「い、いや~、直感で選んだんでー」

「チッ、まあ強襲科ならそれでもええか。おい……ええっと風魔陽奈(ふうま ひな)神奈川武偵高付属中学やな」

「そうでござる。あと諜報科でござる」

「やっぱり他校生かー。こんな特徴的な奴ぜってーいないし」

 

 何も一校だけに依頼や講義が来るとは限らない。

 東京以外にも同一の内容が掲示板に張り出されていただけのこと。

 ぺらぺらと紙をめくる蘭豹は詳細を説明する。

 

「続けんぞ。今回おどれらに出した内容は『夜間実戦見学』一時間だけで締め切った。その内容は東京武偵高校の生徒と一緒に、プロのお手伝いをするってー内容や」

「本当に当たりじゃん! やった!」

 

 喜色満面のライカに、無表情を装っているが拳でガッツポーズをしている陽奈。

 武偵では一年学年上の先輩に勝つことを上勝ちといい、それだけ凄いことを示している。

 一年の差はそれほど大きく、技術に隔たりがある。

 しかも武偵の技術はメシを喰うための種になるため、上級生になると自然と隠すようになっていく。

 後輩と先輩が組むツ―マンセルの特訓制度、戦徒(アミカ)もそうした背景があると言われている。

 

 逆に言えば、後輩の立場の者たちからすれば得る物ばかりだ。

 技術だけではない。

 実力者と知りあえば、将来頼りになる相棒や上司になる可能性もあるし、渡りを付けることもできる。中には人脈を駆使して有力者を紹介する武偵までいる。

 一石二鳥どころか三鳥にも四鳥にもなる。

 これほどオイシイことはない。

 

「今回の標的は大陸でヤクを売りさばいていた新興の麻薬組織『プリツ二ェツィ グルピェーツ』ロシア系の組織や。直訳して『双子の愚者』。そいつらが東京を舞台にケンカ売って来やがったからちっと砂にするってのが今回の作戦や」

「砂ってリンチじゃないですか……。でも、なんか、はしょってないですか?」

「ひよっこに全部教えるわけないやろ。とりあえず複数箇所を同時に突入、そして警察と武偵局の面々が大暴れするが……このとき少数をワザと逃がす」

「逃がすでござるか?」

「そうや。目的は秘匿事項だから言わんが……まあネズミだけが目的じゃあないってことや」

 

 蘭豹は地図を広げる。

 ほとんどが四角形……倉庫街の地図だ。

 南側が海で単純そうだが、微妙に曲がりくねって動き辛い地形になっている。

 

「薄く広げた網の一つがオマエらが見学する予定の(キロ)チーム。全員一年や」

「一年ですか……」

 

 その言葉に少し肩を落とすライカ。

 できればプロはダメとしても二、三年がいるチームの方が望ましい。

 戦徒を狙うには一年上と知りあうのは悪くないが、今のところその意思もない。

 当たりの中の外れを引いたと思った。

 だが蘭豹は何が楽しいのか、愉快げに笑っていた。

 

「普通に考えりゃあ外れやろーなぁ。申し込み順で配属チームを決めたから最後だったお前らは一番下の一年に決もうたんやし。だが、くく……」

「アノー何がおかしいんですか」

「某にはさっぱりでござる」

「Sランク二人にAランク二人、Cが一人」

「へ?」

「その一年チームの構成がや。どや、まだ外れだと?」

 

 ポカンと口を開けたライカ。

 Sランク武偵――天才の称号。次元を超越した化け物。武偵を志す人間なら一度は称されたい。

 さらに(ロイヤル)ランクという至高の頂きはあるが世界に数人しかいない階級など現実離れしている。そんなのは大統領とか芸能界の大御所みたいなものだ。

 そのためSランクこそが身近でかつ、まだ現実的な……夢を見れるランクだった。

 それが同チームに二人。大犯罪者でも確保しにいく編成だ。

 陽奈は陽奈で無表情で驚くという変な芸当を見せつけていた。

 

「東京でSランク……もしや師匠が……」

「そういや遠山は神奈川から来てたんやな。先輩か」

「戦妹でござる!」

 

 風魔陽奈は遠山キンジの戦妹だ。

 中学時代、戦闘訓練でキンジにやられて以降、契約を結んでいた。

 キンジは基本女子との接触を嫌う。中学時代に女子から酷い目にあったからだ。

 ただ陽奈は諜報科には珍しい素直な性格でそれゆえに関係も良好。

 師匠と慕った相手が今回のような大規模な作戦に出ている――その事実が彼女のやる気に火を付けた。

 

「これは某も下手なマネはできないでござる! 早く、早く行くでござる!」

「待て風魔」

「ぐえ」

 

 今にも駆けだしそうな……というよりも走りだした陽奈の襟元をすばやく掴んで引きよせる蘭豹。

 カエルが潰れたような声をあげ、苦しむ陽奈。

 実力はあるのにこういう部分がマイナス評価となってBランクに留まっているのだが、本人はいつ気付くのか……。

 咳きこむ少女を横目に話を続けていく。

 

「Kチームのリーダーは大石啓、諜報科のCランク。サブリーダーは不知火亮(しらぬい りょう)で強襲科のAランクだ。キチンと動きを見ておいとけ。ちったー勉強になるやろ」

「けほけほっ……なぜにCランク……某より低いでござる」

 

 陽奈の呟き。

 キンジの実力を知る彼女からすれば、先輩の彼の名がないのを不思議に思った。

 先輩だが自分より低ランク。よくも悪くも中堅クラス。なにか理由があるのか?

 蘭豹は特に気にせず話す。

 

「おどれはBランクだったか。しかし噂くらい把握していると思ったんやが……」

「噂でござるか?」

「あ、それ聞いたことある。確か強襲科のSランクをとったのにすぐ諜報科にいったとかなんとか」

「師匠と同じSランク!? でもなぜCランク武偵なのでござるか?」

「まったく普通の動きしかしねえからや。教諭たちから、優等生で問題児って言われてんな」

「真逆の評価ですね……」

 

 優等生で問題児。

 噛みあわない二つの評価。

 含みのある言葉に二人は疑問そうな表情だった。

 蘭豹は資料らしき紙を取りだす。

 

「Sランクとつけたが、入学以降は射撃も格闘の並レベルで体格も標準。国語や数学などの一般科目は常に九十点台やし、武偵の大原則である不殺の心得に関する行動は順守するから、生徒指導は二重丸。世にも奇妙な記録をうち立ててやがるんだわ」

「記録でござるか? でもそんなびっぐにゅーす、聞いたことないでござる」

「……凶悪犯罪十一件連続達成中。なのに無射撃制圧で消費弾丸ゼロ。近接格闘を駆使したわけでもない。いつのまにか(・・・・・・)犯罪者どもを制圧。その鮮やかな手並みが上の耳にも届いていてな、二つ名の検討もされ始めてるって噂のホープや」

「二つ名ってどんだけヤバイ先輩なんですか……」

 

 二つ名とは真の意味で凄腕の称号であり強者の証。

 それは武偵にとっても犯罪者にとってもだ。

 ヨーロッパでは双剣双銃(カドラ)のアリアという凄腕のSランク武偵が存在し、その名は遠く日本にも届き始めている。

 その仲間入りとするかもしれない男がリーダー。

 波乱の予感しかしない。

 ライカと陽奈はえも知れない不安を抱きつつ、蘭豹に連れられて現場へと向かうことになったのだった。

 

 

 

 

 

 大都会東京某所。

 昼間はサラリーマンたちが電車に我先にと乗り、首都高速は車が奏でるエンジン音が晴れた空に轟く。

 だが奴らは確かに存在し、人々の幸せをかすめ取ろうと暗躍する。

 凶悪犯罪が増加した日本の闇。裏にうごめく法を犯す者たち。

 港で働く男たち相手に商売をするコンビニの光。暗闇にポツンと浮かぶ店の灯りは弱く、闇の深さをよりいっそう強烈なものにしていた。。

 

 ……その闇を払うのは警察であり、我らが武偵の仕事。

 

 ライトを消し、エンジンも極限まで吹かさない。

 蘭豹の運転した車が港近くで止まる。

 

「行ってきい。帰りは先輩に頼れ」

「はいっ」

 

 ここは既に戦場だ。

 それを理解している少女二人は各々の武器を携え、車を飛びだす。

 指定された場所へ歩いて五分。

 何処からか声が聞こえた。

 工場の中か周囲のドラム缶か。

 声というヒントがあるのに、まったく位置を特定できない。

 無意識に冷や汗が出た。

 

「今宵の月は?」

「ウサギが踊る宴会場」

「……君たちが見学にきた子猫ちゃんたちか」

 

 目の細い短髪の学生がゆらりと背後から現れる。

 

「東京武偵高校中等部三年の火野ライカです(背後……ッ。一年上の先輩はどれだけ強いんだ)」

 

 夜の散歩にでも行くような足取り。

 見えない実力差を感じた。

 貴公子がお姫様を敬うように、片膝をついて右腕を胸にあてる。

 

「今夜のエスコート役を仰せつかった遠山キンジです。よろしく。……陽奈も久しぶりだね。また一段と綺麗になった」

「ししし師匠っ!? そそそういうお戯れはよしてほしいでござるっ!?」

「おっといけない。余りの綺麗さに口が勝手に賞賛を始めてしまうんだ。ごめんね?」

 

 見上げてウインクをする姿は実に様になっていた。

 

「~~~~~っ!」

 

 陽奈はボンッと湯気を出して硬直していた。

 凄くキザだな、とライカは内心で思う。

 悔しいのは素直にカッコいいという感想を最初に抱いてしまったことだ。

 白馬にまたがって来ても違和感が無い。

 犯罪者がいるかもしれない地域で場違いなやり取り。

 しかしキリッと表情を引きしめ、装着していた小型インカムでなにやら二、三回と話すと、

 

「少しトラブルがあったようだ。とりあえず二人ともこのインカムを付けてほしい」

「判りましたけど……犯罪者(ホシ)ですか?」

「……本部では作戦の連絡は来ているけど、それとは関係ない。ちょっとしたじゃれ合いさ」

「じゃれ合い……?」

 

 キンジは質問には答えず、それじゃあ行こうか、と施す。

 少女二人がついていく。

 角を曲がるとそこは入り組んだ絶妙な位置だった。

 東西に曲がりくねった隘路。しかし車が通るスペースはある。

 車輌を置ける適度な広さに、丸見えになってしまう海側には小屋が建ちならぶ。

 北側は廃工場の壁。ドラム缶などの敵の射撃線と視界を防ぐ道具もあり、最高の拠点であった。

 

 三人の武偵がいた。

 足音に気付いて振りむく。

 爽やかに笑みを浮かべた男が最初に声を上げた。

 

「君たちが見学の子たちか。僕は不知火亮、強襲科の一年だ。今日はよく勉強するといいよ」

 

 僕たちもプロの仕事をお勉強しにきたんだけどね、と茶目っけのある表情で言う。

 キンジもキンジだが、こちらも格好いい。

 少し頬を染めたライカ。

 隣のガタイのいい男が続く。

 

「おっ、女子二人とはいいな! 武藤ってんだ。飛行機、船舶、車とか、乗り物のことならなんでも聞いてくれよ!」

「あ、はいっす」

「どーせ楽な仕事だ。肩の力抜けよ、後輩」

 

 がっはっはっと人懐っこい笑顔。

 だがさりげなく自分の実力をほのめかしていた。

 乗り物のスペシャリストの車両科でも一年で車以外の技能を持つ生徒は多くない。

 誇張でなければ相応のセンスか経験の持ち主だ。

 そして肩にドグラノフを担いだ少女が抑揚のない声で簡素な自己紹介を行う。

 

「……狙撃科一年レキです」

「レキ殿はSランクの凄腕スナイパーでござる」

「遠山先輩の他にいたSランク武偵の一人なんですか……」

「僕は運が良かっただけさ。そこまで凄いとは思わないよ」

「いえ! 師匠は凄いでござる! 絶対、凄腕武偵として世界に名を轟かせるに違いないでござる!」

「ふふ、レディに期待されたら答えなくてはいけないね」

 

 キンジが前髪を払い決める。

 その様子に武藤が困惑した表情で見つめる。

 

「……キンジィ、お前ちょっと様子おかしくね? たま~に変な口調になるよなお前」

「これも俺さ。それに今はもう一人の方を気にした方がいいんじゃないかい?」

「もう一人って……もしかしてリーダーの大石啓って先輩ですか?」

「そうそう。それで武藤……名古屋のとトラブルを起こしているって本当かい?」

「名古屋?」

「そうだ! 名古屋の……女子校のリーダー格とケイがメンチ切ってんだったっ。とりあえず来てくれ!」

 

 車の向こう側へと向かった武藤とキンジ。

 ライカと陽奈は一度顔を合わせたあと、後を追うように走っていった。

 

 

 

 黒髪をツインテールに纏めた名古屋女子高の一年、鯱国子(しゃち こくこ)は腸が煮えくりかえるような思いだった。

 

「なんとか言ったらどうだ、ああっ!? 東京の! さっさとここを明け渡せ。インポ野郎!」

「うわっ……」

「これはなんとも……」

 

 犬歯を剥きだしにして怒る。

 手は既に二丁の拳銃に手がかかっている。なぜかリボンも持っている。

 後ろの仲間らしい少女たちも、その剣幕に右往左往していた。

 だが三脚椅子に腰をかけた男は動じない。

 武偵にとって拠点は重要だ。

 

 天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず――――孟子より

 

 絶好のタイミングより、好立地が勝り、土地よりも人の輪こそが一番だという。

 少女は己の実力に絶対の自信があるのだろう。

 なら次に欲するのは地の利。

 あとは犯人が迷い込む天の時が揃えば申し分ない。

 それゆえに中には他人が見つけた場所を強引に奪おうとする者の現れる。

 実力主義の面が強い武偵。

 我の強い武偵は仲間でもチームではない人間には争うことを辞さない人だっている。

 

 周囲の視線を集めた二人は両極端だった。

 烈火のごとく猛る女に、静かにたたえた水面のように座る男。

 椅子に座った人物こそ大石啓だと理解したライカと陽奈は……背筋が凍った。

 ゾクリ……!

 二人は同時にその男を見て心が竦むような感想を抱く。

(優等生で問題児!? どう見たって問題児じゃないか! 今にも拳銃を抜きそうな雰囲気だよ!!)

(……まるで抜き身の刀……。今にも相手を切り刻まんとする妖刀のような男でござる!?)

 相手の殺気は全身を射殺すように激しく鋭い。

 ……しかし動じない。

 項垂れるような姿。表情を見せない。

 いかなる烈風も瞬時にかき消していた。

 ボソリと呟く。

 

「…………話しに、ならねぇ……」

「だったら痛い目にあってもいいんだな……オイ、ナイフを貸せっ。サイレンサーで胴体撃たれるのと、薄皮をじっくりと切られるの、どっちがいい?」

 

 心臓に拳銃を突きつけ、冷たく月光を反射するナイフは男の首筋に触れる。

 武偵同士のいざこざに過ぎた行為。

 思わず飛びだしそうになったライカ。

 

「――ちょ!?」

「待った」

「え?」

「伊達や酔狂でSランクを取ったわけじゃない。無意味に挑発をする男じゃないよ、彼は」

 

 キンジが彼女を止める。

 だが余裕そうで、彼もまた一筋の汗をかいていた。

(いつもは武藤と一緒に騒ぐような男なのに、なんだこの圧力は……。これが、大石啓という男の本気、か)

 昼間と百八十度違う。

 近くで見ていたヘッドホンの少女は呟く。

 

「……風が吹かない?」

 

 その声は誰にも届かず、事態は進む。

 不知火も武藤も止めることができず、ただ見ているしかできなかった。

 そして鯱が白銀の刃を振るう。

 ジ、ジジ……電灯が瞬き、灯りが消えた。

 暗闇。誰も動けない。

 二人を再び照らしたとき、静止していた。

 

「なぜ動かない」

 

 首元に添えた命断つ凶刃に身じろぎ一つしなかった。

 鯱は名古屋でも上位の腕前を持つ武偵だ。

 人間なら誰しも危険を冒されると判っていれば条件反射で動くはず。

 殴ると言われて、視界の半分を塞ぐほどまで拳が迫れば避けようとするだろう。

 本気の殺気に、躊躇ない攻撃に反応一つしない。

 

 ――初めから止めることを予測していたとしか思えない。

 ケイはゆっくりと口を動かす。

 

「………………動くつもりがないからだ」

「仲間の安全と任務成功のために、か?」

 

 けっして動くことはできない。

 仲間を信じ、仲間を助けよ――リーダーの男は言外に不退転の意思を示していた。

 沈黙。

 鯱はふうッ……と深いため息を吐いた。

 

「…………あーあー判った判った。ここまでされて引かない方がカッコ悪い。名前、なんていうんだ?」

「大石、啓」

「テメエの面と名前、覚えたぜ。いつかお礼(・・)にいくからな」 

「…………」

「結局最後まで顔を伏せたままか。いけすかない奴だ。……おら戻るぞお前ら!」

「は、はいっ」

 

 肉食獣を彷彿させる凄絶な笑みを最後に浮かべたあと名古屋の一団は去っていった。

 犯人に遭遇してすらないのに、精神的に疲れる。

 知らず知らず肩に力が入っていたライカと陽奈。

 キンジがそっと耳元で「問題は無くなったから自己紹介しないと」と暗にケイのところへ行くよう指示する。

 微妙に近寄りがたい。だがチームリーダーなのだ。挨拶しなければいけない。

 おずおずと近づいていった。

 

「あ、あの?」

「…………ああ」

 

 気だるげに返す男子。

 適当に切りそろえた髪の奥で瞳だけがらんらんと不気味に輝いていた。

 眉間にシワがよって不機嫌そうだ。

 自然と口調は早くなった。

 

「と、東京武偵高中等部三年の火野ライカっす! 今日はご指導ご鞭撻よろしくお願いします!」

「神奈川武偵高付属中学の風魔陽奈、諜報科でござる。先輩の技を見学させていただくでござる!」

 

 彼女たちの声が周囲に響いていた。

 

「大声あげるな……響くだろ……」

「あ、すいません!?」

 

 バッと頭を下げる。

 だがそれ以上のお叱りの声もない。

 後ろに下がってしばらくは沈黙がその場を支配した。

 遠足に来たわけでない。

 各人、周囲の警戒を怠らず、拳銃を片手にそのときを待った。

 

 ……ザ……ザザ……うさ……ザザ……

 

 音が聞こえる。

 車輌からの通信。武藤がヘッドホンに神経を集中し、内容を覚える。

 窓から顔を出した。

 

「連絡があったぞ。『ウサギは小屋から飛び出した。飼育員は急げ』だとさ。…………俺たちの出番だぜ」

「……そう」

 

 ケイの近くの壁に腰を降ろしていたレキは音も無く立ち上がる。

 そのまま歩くと思われたが立ち止り、振り返った。

 

「大石さん」

「……なんだ」

「“風”は貴方を知らないといいます。どうしてなんでしょうか?」

 

 コテンと首を傾げる。表情は読めない。

 

「……風なんてしらん……吹かないのが、一番いい」

「そうですか」

 

 ヘッドホンに手を当てる。コクンと頷いた彼女は何を言うでもなく、闇に消えていった。

 そのあとを不知火が追う。

 

「それじゃ僕とレキさんは潜伏しつつ、周辺警戒に入るから」

「おうよ。キンジはフロントマンだな」

「ああ。武藤とお嬢さんたちとケイはここで待機――」

 

 そこまでいいかけたところでケイがゆっくりと立ち上がる。

 一陣の風が、夜を駆け巡った。

 

「臭いな……」

「くさい?」

「こっちだ」

「お、おい!? ケイっ勝手に行くなって!」

 

 突如の奇行。

 武藤の制止に耳を貸さず、両手をポケットに突っ込んだまま道を進む。

 武藤は今回オペレーター役も担っている。

 連絡役として車輌から離れられない。

 仕方なくキンジに頼む。

 

「今日のアイツはおかしい。頼むぜキンジ」

「判ってる」

 

 愛用のベレッタを片手に後を追おうとしたキンジに後ろから少女たちが声をかける。

 

「あ、あの自分たちもついて行っちゃダメですか!」

「師匠の働きを間近で見たいでござる!」

「……う~ん、どうする?」

「不知火が周囲を警戒しているし、二、三年のチームとも連絡は取り合っているから、まあ大丈夫だが……キンジの判断に任すぜ」

「そうかい。じゃあレディのたっての願いだ。叶えるのが紳士の役目だね」

「それじゃあ――」

「背後を警戒しつつ、ケイを追う。行くぞ!」

「はい(ござる)!」

 

 三人はケイのあとを追うのだった――

 

 

 


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