真・恋姫†一刀無双 ~初出会は少女仙人-混沌の外史~ 作:カメル~ン
張飛。その可愛らしい表情と小柄な体に似合わず、身長の倍は優にある愛用の丈八蛇矛を携える彼女は、すでに人知れず武力において大陸でも三本の指に入る程の武人だった。また知性と言うものに縁遠い彼女だが、戦に於いては鋭い感と戦況の見極めに加え、部下への指示も的確で将としての資質は高いものがあった。
しかし一方、満腹での睡眠時には結構油断し隙が出来る癖があった。今も周囲へ千人ほどの殺気を放つ兵の接近に気が付けないでいた。先ほどまで移動中の馬上にも拘わらず落馬しないのは、野生児の身体能力故であろう。商隊長の桓の叫び声に漸く周囲を覆う大勢の殺気を察知し、彼の元へ馬を寄せて行った。
三日前の夕方に、沛国北方の街道に出て公孫賛の元へ向かうため、一時黄巾党勢力から迂回するように西へ向かって移動を開始した劉備と張飛は、その夜に徐州黄巾党の残党ら数十人程に襲われていた『運び屋』の桓率いる荷駄隊一行を助ける。関羽のことも有り、張飛の振るう蛇矛に黄巾党へ対する怒気が混じり、空腹にも関わらず残党達はあっという間に蹴散らされていた。
その武勇を見込まれ洛陽まで護衛してくれれば駄賃を弾むと桓に乞われると、公孫賛の元までの旅費が得られると考えた劉備の同意によって今に至っていた。この二日の間に、着ていた血に染まった服についても洗濯することが出来、二人はかなりマシな格好になっていた。
しかし、またしても周囲へ多くの兵を相手にするような事態になるとは思っていなかった劉備は焦っていた。
(これも、私の判断の所為なの……?)
だが、今はそれどころではない。
桓が、この兵に追われる状況が起こる事情を隠していたのではないかと、一言詰め寄るために馬を寄せて行った。
並走する商隊長の桓へと詰め寄る二人だが、当の桓はそんな事情を知るはずもなかった。
第一、荷にはご用達の印のある筵(むしろ)も掛けてあるのだ、昼間なら一般の者は恐れて道すら譲り近付くことすらないはずである。
それに寄せて来る兵らは遠目に見ても、黄巾党のように適当な装備ではなく、皆統一のとれた兵装を身に着けていた。明らかにどこかの名のある軍勢と思われる。
後ろより迫る兵団には馬に乗る兵達もいて追い掛けて来ていた。並ばれるのも時間の問題に見え、逃げ切れるものでもなかった。
「と、とりあえず事情を話すアル!」
運ぶ品は十常侍への納品物なのだ。並みの諸侯らでは手は出せないはず。そう思い桓は劉備らと共に直ちに減速し始める。劉備も不安ながら今は従うしかない。張飛は一応用心として劉備を守るために臨戦態勢へと入っていく。桓達は、それらの荷がすでにすべて接収対象になろう事を知る由もなかった。
この時、桓らの目に後ろの兵達だけなく前からも多くの騎馬が隊列を組んで近付いて来るのが見えた。桓らは少し慌てるものの荷駄隊を左へと寄せる。
すると前方からの騎馬隊の一団は、こちらの荷駄隊の後方の所属不明な千程の兵らに気が付いたように急激に歩を緩めていった。
ここに皇甫嵩軍伏兵隊の曹軍包囲陣が完成する。
皇甫嵩軍からすると、最低でも洛陽を含めた事が落ち着くまで、荷駄隊の十数名は拘束対象であった。逃げるようならもちろん死んでもらう事になる。
そういう考えの千人隊長田(でん)がまず、荷駄隊の方を片付けるべく兵らを伴って確認に出て来た。東の空の明るさが紺からどんどん薄くなってきており、新月の夜の闇に比べると周囲も随分見やすくなりつつあった。
荷駄へ掛けられた筵に押されているご用達の印に気が付きつつ、目線を荷駄隊の前に立った商隊長と思われる桓へと向ける。
「これらの荷は如何なる物だ?」
その将は、自らの名を名乗る事も無く告げたその言葉に、中央への恐れが無いような強い雰囲気があった。事情が分からない桓は答えるのみだった。
「はいぃ、十常侍さまからの要望により急ぎ洛陽へお届に上がる途中の品物でございます」
「ほぉう、そうか。では、これらは接収―――」
ここまで田は言いかけたが、前に見える曹軍騎馬隊がこちらへと急に土煙を上げ突撃を掛けて来る様子に言葉が止まり、曹軍の進路先を塞ぐ後ろの味方側兵団へ向くと、同時に上げた手を曹軍の方へ振り下ろしながら続けて叫んでいた。
「槍隊、前へ出ろぉーー!」
霊帝の乗る馬車を守る、曹軍の騎馬隊百人隊長の向(しゅう)は、進む街道の前方から来る荷駄隊に続き、さらに奥へ……数百人から千人規模の兵団の出現と思われる異変に気付いた。同時に後方を確認すると――そちらにも千人近い兵団の影を見止めたのだった。
「敵襲だーーーーー!」
彼はそう叫びつつ自分の落ち度を後悔し掛けていた。
東へ出発する際には筆頭軍師の荀彧より直接、東方面に敵影無しという事を聞いてはいた。
しかしそれに安心せず油断なく走ってきていたが、五十里(二十キロ)以上走り抜け、敵影などないことからここ数里は僅かに眠気も交じり少し油断が芽生えて来ていたのだ。もっと警戒していればという思いが湧く。
だが今、自分の個人的で愚かな考えに浸っている時間などない。
一度、隊へ徐行の指示を出すが、前方では遠目に荷駄隊へ兵団の指揮官が尋問をしているような様子が見て取れた。
これらの纏まった兵団はおそらく董卓側の兵団に間違いないだろう。捕まれば任務は―――霊帝を生きて陳留まで届けるという大事を果たせない。
ここはもはや前方で僅かに隙がある今、強行突破しかないと考えられた。
「全騎、強行突破するぞ! 続けぇーーー!」
自分の油断が後方を取られての完全包囲に繋がったと感じた隊長の向は、修羅となって進んで行った。
田の号令に、兵団の一部から荷駄隊の少し先へ、曹操軍の騎馬隊寄りに道を塞ぐ形で百五十人程の槍の一隊が小走りに進み出ると、隊列を形成する。
その徐々に戦場化する街道の状況に、桓と商隊の者らは納品先の事もあり荷を捨てて逃げるわけにもいかず、しかし居れば命は無さそうだという恐怖、さらに周囲は兵らに囲まれて封鎖されているという事もあり、ただその場でワタワタとしていた。
一方張飛は、特に慌てる事も無く落ち着いて劉備へ訪ねていた。
「お姉ちゃんどうするのだ?」
その言葉の答えに劉備は、先の自分の判断への焦りを思い出しつつ迷いもあったが中立的な判断をしていた。自分も含め夜食も食べていたしお腹いっぱいの張飛がいれば、逃げるのは難しくないだろう。だがまず護衛の約束があるし、もうすぐで洛陽だったのだ。駄賃が貰えれば公孫賛の所まで旅が出来る。
そう考えを纏めてから張飛へと答えた。
「とりあえず、まず桓さんらをしっかりと守る形で様子を見ようよ。洛陽に付ければ白蓮ちゃんのところまで行けるお駄賃が貰えるし」
「分かったのだ。オジさんたちはいい人達だし、守ってあげるのだ。それにお金がないと旅の途中でご飯が食べれないのだ。それはとっても困るのだ……」
張飛にもご飯が食べれるお金の大事さは身に染みて分かっていたのだ。そう言う意味でやる気も出てきていた。
そうしていると、騎馬隊と槍兵らとの間で戦闘が開始された。騎馬隊側も槍を持つ者ら二十騎近くが前面を固めて円陣から鋒矢の陣に変えて突撃する。百騎とは言え曹軍の精鋭であった。その為、正面にいる歩兵数十人の槍隊らを蹴散らしていた。曹軍は穴の開いたところを広げて機動力で突破していこうとしていた。
「弓隊、構え!」
どこからかそんな声が聞こえて来た。
曹軍の向は、前に広がった空間へ脇を固めてくれる槍を抱えた騎馬兵らと進んで行こうとした時、その目の両端に街道脇へ並ぶ少し離れた草の影から兵達が立ち上がるのを捉えていた。
その兵らは皆――矢を番えていた。
「放てぇぇーーー!」
槍の歩兵列を突破した曹軍の騎馬隊の前方は、少し先に荷駄隊が右に止まっている為、道幅と共に隊列幅がやや制限されるところに向かっての収束進行に気を取られる。その僅かな距離にて、街道両側面から田の声の合図による矢の集中砲火を受け曹軍は馬ごと討ち倒されていた。
それにより街道は塞がってしまう。突進が止まり立ち往生する騎馬隊の隊列へ脇に残った皇甫嵩軍の槍兵らが側面より襲い掛かっていった。
討ち倒された兵馬らの中から向は曹軍の百人隊長の意地を見せるかの如く、矢を三本受けつつも修羅の形相で這い出して来ていた。さらにその周囲に寄せる兵らに渾身の剣を見舞って討ち倒していく。他の曹軍の騎馬兵達も動けるものは向に続いた。
荷駄隊近くで繰り広げられる地獄絵図に、桓を始め商隊の護衛の者らのほとんどは荷駄車の脇に隠れて震え上がっていた。
一方洛陽側より追って封鎖した皇甫嵩軍千人隊長の郭(かく)率いる隊は斥候が言っていた馬車を抑えようとしていた。
一体誰が乗っているのかを確認し、人物によってはこの場で死んでもらう事になる。この馬車に乗っているのが、重要な人物であることは間違いないだろう。
十騎程の騎馬兵を郭が連れて馬車へ迫ろうとすると、曹軍側は馬車を見捨てる事なく逆に後方の騎馬数を厚くする動きをしていた。最後まで近寄らせないという意志が見えていた。
だが曹軍はその進路の先で、隊列の進行が止められた様子で急激に減速し、止まったのだった。
郭は共に迫った十名程の騎馬兵達とその追っていた曹軍手前、七丈(十六メートル)程の所で止まると、後ろからの配下の歩兵らが追い付いて来るのを待ちつつ、馬車の周辺にいる騎馬兵らへ挑発するように声を掛ける。
「馬車の中の人物を渡しなさい。そして降伏すれば命は助けましてよ」
「断り申す。この逆賊どもめ、恥を知れ! 我らは曹軍の精鋭なり。命を惜しむものなど一人もおらぬわ」
曹軍側の十人隊長の一人と思われる兵が言い返してきた。
実は皇甫嵩軍伏兵隊の千人隊長でも、この戦いについて漠然とした指示しか受けていなかった。計画が漏れることを危惧した皇甫嵩は、今日この地を通る曹軍の旗を持ち、千人以下の場合のみその兵団を討てという形で命じていた。
皇甫嵩は部下からの信任も厚いため、その命に郭らは曹操軍を討とうと忠実だった。だが、いたずらに自分の隊の兵らを戦わせることはしない。降伏させ、この隊の隊長とこの馬車の人物を討てば十分な戦果と言えるのだ。部下らにも浸透していていたのだ、『効率よく、無理はしない』という主君の考えが。
郭は曹軍からの発言で、すでに田と二人してある程度今日の戦いについて予想していたが、この戦いの真の概要を確信する。
曹操軍と董卓軍が洛陽を守っていた。その曹操軍を待ち伏せするのだ、その意味を概ね知ることが出来る。そして今こちらを逆賊と言うのなら霊帝に弓を引いたという事なのだろう。だが賄賂などを好まず、腐敗していた中央に明るい未来を見いだせなかったであろう主君である皇甫嵩の考えに、郭はこれからも従うつもりである。
「それは残念ですわね。ではせめて精一杯戦いなさい」
すでに郭の後ろや周辺には数百の槍や剣を振りかざした兵達が追いついて来ていた。郭は右手を上げるとその手を曹軍へ差し向ける。
「攻撃開始ですわ!」
まず前列の少し後ろより現れた百程の弓隊により曹軍側へ矢が一斉射される。かなりの近距離からの射撃に撃ち落としや避けることが余り出来ずに、十騎以上を討ち取っていた。
そのあとに槍や剣をもつ歩兵らが切り込んで行く。
このため馬車の後方傍でも激しい切り合いが始まった。矢が数本突き立った馬車はもがくように可能な限り前進してこの戦闘場所からの距離を取ろうとしていた。
馬車の内側に矢じりが突き出した様子に、呂布からの一撃が思い出され趙忠は手の打ちようのない現状から錯乱気味であった。そんな精神状態では御者席へ顔を出し、そこに座る兵士へ無理な催促をすることしか出来なかった。
「は、早くこの場から逃げて頂戴。陛下が、霊帝様が、空丹さまが襲われるぅ~~!」
「し、しかし、前も後ろも塞がれております」
「では、脇へ、横へ逃げるのです!」
「そちらへは馬車の走れる道がありません」
「では、ど、どうすればぁぁ~!」
「申し訳ありません」
「あぁぁぁーーー、だ、誰か、皇帝陛下を、霊帝様を、空丹さまを助けてぇ~~~!」
無情にその声は周りの殺し合いな喧騒が広がる、朝の澄んだ空へと響くのだった……。
そう、響いていた。
そしてその声を僅かに聞いて、大きく反応した者がいた。
「……皇帝さま?」
その人物は桃色の髪を揺らし、ゆっくりとその声の方へと振り返っていた。そして……可愛らしく口許へ右手の人差し指を当てつつ小首を傾げた。劉備玄徳である。
劉備は前漢の景帝の第九子、中山靖王劉勝の庶子の劉貞の末裔という。祖母劉雄が兗州東郡范県の令、母も州郡の官吏を務めていた。だが母が幼くして亡くなると、叔母のいる幽州涿郡涿県にて彼女は育ったが末裔の証として、母より宝剣『靖王伝家(せいおうでんか)』を受け継いでいる。事情は分からないが皇帝と言うのなら一族の末席として一先ず助けなければならない。
その叫び声は曹軍の騎馬兵らに囲まれた馬車の御者台へ顔を出している者から聞こえていた。何度か聞くと、今の皇帝である『霊帝様』だと聞こえていた。
だがこんなところに本当にあの皇帝が居るのだろうか。同時にその疑問も湧いてくるのだった。
(確かめないと……)
しかしこの混戦の中、馬車まで行くのは容易ではない。それに攻める側は兵数が圧倒的な上に統率が取れていた。助けるとしてもとんでもない事になるだろう。
だが――劉備である。
身内を助けるのに理由はいらない。『正義は我にあり』なのだ。その考えは頑なであった。
「鈴々ちゃん、馬車の中の人が皇帝さまかどうか知りたいんだけど」
「う~ん。鈴々一人なら大丈夫だけど、お姉ちゃんを連れて馬車の所までは難しいのだ。それにお姉ちゃんから遠くへ今は離れられないのだ」
張飛は劉備の安全が第一で、荷駄隊の桓らやその他は余力の範囲内での話なのだ。戦場化しているこの街道周辺で、劉備を一人には出来なかった。
「何かいい方法ないかな」
「んー、分かったのだ」
張飛の目には歩いてすぐ先の傍に――千人隊長の田の姿を捉えていた。
「ねぇ、あの馬車の中にいるのは誰なのだ?」
「ん?」
周辺の自軍の攻撃に指示を出していた田は不意に左真横より声を掛けられた。いきなりそこに現れ質問されたことに、田とその周辺の兵らは一瞬固まった。
その姿に見覚えがある。先ほど荷駄隊の護衛の馬に乗っていたヘソ出しの短いズボン調の服を身に着けた小柄な赤毛の幼さの残る可愛い女の子だ。だが左手に握るは対照的な長くゴツい重そうな蛇矛であった。
先ほどから突然に始まった戦いに、荷駄隊の連中は道の脇で震え上がっているものだとばかり思っており監視だけしていたつもりだが、この少女は怯えも無くただそこに悠然としていた。それに周りの者に気付かれずに、いきなりここまで現れる身のこなしは尋常では無いと身構え、田は警戒した。
「な、なんだ貴様」
「貴様じゃない、鈴々は張飛なのだ。張飛と呼べ。あ、でも今は、それはいいのだ。あの馬車の中にいるのは誰なのだ? 教えるのだ」
小娘が千人隊長の自分へ一方的な問答である。当然な答えを田は返す。
「知らぬ。まず貴様に教える必要はない。一介の護衛風情が、私に大層な口を利くな」
自分を張飛と呼んでくれないことや、聞いた内容を教えてくれない事に少しカチンと来ていたが、張飛は答えが『知らない』と言われた時にと考えていた行動へすぐさま移る。
「だから隅っこにでも引っ込ん――」
そこまで言いかけると、田は後頭部へ強い衝撃を受けてその意識を、張飛の弱めな右手手刀で刈り取られていた。その様子に周囲の兵が動揺し、張飛から大きく下がる。
張飛は倒れ込む田を速やかに右肩へ担ぐ。
「みんな聞くのだ。この隊長さんは預かったのだ。馬車まで道を開けるのだ」
張飛の作戦は大胆だった。敵の将をまず抑えてしまおうと考えたのだ。
「鈴々ちゃん、すごいすごい。これなら馬車の傍まで行けそうだね」
劉備は周りの兵が唖然としてる中、満面の笑顔で張飛の元へ寄って来る。天真爛漫というべきか傍若無人と言うべきか……。
敵の将を捉えているのだ、馬車の傍の曹操軍へも敵ではないと最高の主張が出来て近付き易い。おまけに死んだ訳では無く意識が無い為、部隊の者は容易に劉備らを攻撃出来ないでいた。どうやら敵の将は自分がいなくなった時の指示を明確にはしていないようだった。
田が率いていた前方包囲面側の曹操軍への攻撃が止まる。
矢を背中等に三本受け、さらに肩や足を掠るように切られた傷があるが、曹軍の百人隊長の向はまだ修羅の形相で戦っていた。しかし、敵の兵らが道を開くように下がり、前方から現れた敵の将を担ぐ張飛と、桃色可憐な劉備には面食らったようであった。敵の兵らが周りに下がると、向(しょう)と数人の曹軍の兵が残った。その者たちへ劉備は尋ねる。
「馬車の中の方は本当に皇帝さまですか? 私の名は劉備、字は玄徳と申します。先日まで黄巾党の乱に於いて義勇兵の一軍を率いていました。私の家は中山靖王劉勝の庶子の劉貞の末裔と聞いております。皇帝さまであれば、一族の末席として私の家に伝わる宝剣『靖王伝家』に誓ってお助けせねばなりません」
劉備は腰の『靖王伝家』を向らへ見せていた。それは明らかに普通の剣の作りではなかった。
「某は曹操軍百人隊長の向と申す者。こちらへ」
兵らをその場へ残し前方を見張るよう告げると、向は自ら馬車の傍まで下がり劉備らを連れて来た。
中からは趙忠のすすり泣く声が時折聞こえている。
その後方、二十丈(四十五メートル)程の所では後ろからの包囲軍からの兵との戦闘が行われていた。道の脇の遠くを見ると、逃がさないように包囲する敵兵らが見えていた。
向は御者席横の入口から車の中の趙忠へ話を通していた。敵の将を捕まえ進路前方の戦いを停止させて、陛下の遠戚一族の劉備がやって来たと。
すると、趙忠が涙を拭きつつ御者台へと姿を現した。今は藁にも縋る思いである。劉備は向と位置を代わり傍へ寄って行く。
「私は霊帝様側近の十常侍が一人、趙忠です。貴方が一族の劉備殿ですか」
「はい。中の方は霊帝さまなのですね?」
「……そうです。今は逆賊董卓の配下、呂布の剛弓の矢を受け負傷され意識が戻っていません。しかし、私が『伝国の玉璽』を預かっています」
趙忠は少し馬車の中へ身を引くと懐から、豪華な金糸で編まれた袋より上部は丸く下部は四角い形の印を隠すように取り出した。一辺が四寸程。上部の手で持つところに5匹の龍が絡み合った見事な彫刻が施されていた。印には『受命於天既壽永昌』と刻まれている。
「皇帝陛下を、霊帝様を、空丹さまを助けてぇ……」
馬車の中で劉備に向かって俯き頼むその趙忠の背後には、竹と縄で吊られるように作られた寝台が見えていた。
「分かりました。この劉備玄徳、霊帝さまを守りましょう! ……ところで、趙忠さん、十常侍の方ですよね? 今日の朝に洛陽へ届くように食材を山ほど注文していませんでしたか?」
「へっ? ……え、ええ確かに」
「えっと、それ何とかしてもらえます? もう洛陽へ行っても無駄そうなので……(御給金、御給金!)」
「はぁ」
この事態にも桃色な天然がさく裂していた……。彼女にとって旅費の確保も重要であったのだ。
とりあえず、陳留まで行けば曹操にでも頼んで何とかして取り計らうということで、趙忠との話がまとまると、桓らの荷駄隊と共に陳留へ移動することにした。
劉備は、曹軍の隊長向へその準備をするように、そして前方の敵兵に道の両脇へ半里下がる様に指示する。
次は後方を封鎖したまま戦闘を続けている敵兵団の対応をしなければならない。劉備と張飛は馬車の後方へ、気絶した敵の隊長を足だけ縛り担いだまま移動する。
「戦いを止めるのだ! お前たちの将は捕まえているのだ! 戦いをすぐに止めるのだーー!」
張飛の大きな声が戦闘してる周辺へ響く、すると敵の指揮官らしき女の子の武人が叫ぶ。
「田(でん)! ……お前達、殺したのですか?」
「ううん、まだ生きてますよ」
劉備はニッコリと笑顔で答えていた。その余裕のある笑顔で逆に狂気を感じた。
それは田と周辺の兵らは腕が立つはずなのだ。そもそも千の兵らが居る中で、良く見たところ田も含めて無傷で捕まえているのだ。この者らの腕が想像できた。
「くそっ。……皆、戦いを一時停止して下がれ!」
皇甫嵩軍千人隊長の郭(かく)の命と田の状況に兵らは統率が取れていることを示すように速やかに戦いを止め、後ろへ下がり隊列を取っていく。
郭は劉備らの前に少し距離を残して立つ。
「……その者をどうするおつもりです?」
「生きてお返しします。但し条件があります。この地域から速やかに撤退してください。そうすれば安全と思われる場所まで移動したところでこの方は開放します。開放に伴い貴方を含め、二十騎ほどは当分付いて来てください」
この指揮官も居なければ、この後臨機応変な対応は出来ないだろう。
劉備は、そうも考えてにこやかに話を伝えていた。
それは将一人を犠牲にして戦果を挙げることも、普通の事だという事を知らないかのように。彼女は当然飲まれると思っているのだろうか?
先ほどまで血みどろの戦いをしていた郭は渋い顔をする。
そして、彼女は一つ確認する。
「生きて返してもらえるのですね? 我々も含めて」
「はい。私、劉備の名に掛けて約束します」
郭は一つ溜息を付くと答えた。
「分かりましたわ。……その条件を飲みましょう」
おそらく皇甫嵩以外の軍団ではこの条件を飲まなかっただろう。彼女たちは『無理はしない』のである。曹軍の数が千人以上なら見逃す予定で、元々今回は条件付きの戦闘だったのだ。
しかしこれは後々大きな決断となる事だった。郭は馬車に誰が乗っているのかまだ知らない。知っていれば戦闘は続行されただろう。主君の為に。
郭は、隊の三百人隊長の一人と田配下の二百人隊長の一人に、弘農郡へこの街道以外の経路で分散して引き上げるように早々と指示を出した。
一方曹操軍は残り四十騎ほどになっていた。先を急ぐため、酷い怪我をしているの者は元気な兵とこの場の外れに水と食料を渡し十数名残していくことになった。陳留へは三十騎で移動する。向は背中と肩に三本もの矢を受けていたが、傷が固まる前に矢を抜くと、布を強く巻いて止血し帯同すると言ってきた。
桓らの荷駄隊も一緒に陳留へと移動することになった。
これに敵の郭ら二十騎が付く。
時間を惜しむように、この不思議な軍団は陳留方面へと足早に移動し始めた。
華雄の率いる騎馬兵団八千が東門に到着したのは、曹操軍の最後の隊である夏候惇と夏侯淵の隊が東門を離れてから僅か一刻程(十五分)後だった。
曹操軍は先方から後軍まで二刻強(三十分)程掛けて順次出発して行ったという。
隠れていた董卓軍の斥候が状況を知らせてくれた。
「ううむ、何という事だ。もう少し進撃速度を上げるべきだったか」
出来れば補給が容易な洛陽での戦いで決着を付けたかったところである。何と言っても速度重視なこの騎馬兵団に食糧関連の輜重隊は付いていないのだ。
また、長安からの長駆ということもあり、戦闘への余力を考えるとかなり抑えながら走らなければならなかった。止むを得ないがこれから今一度追撃することになる。
曹操軍も連戦で疲労困憊している今が好機なのだ。こちらも多少疲労があるが、十分有利な状況だろう。それに曹操軍は歩兵隊を含んでいる。まだ出たところという報告もあり騎馬隊で追うなら追い付くのは容易であろう。
情報はもう一つあった。曹操の本隊が出る、今から半時(一時間)以上前に馬車を円陣で囲う形で百程の騎馬の一隊が出て行ったという事だった。
それは速度重視の隊である。華雄の騎馬隊でも厳しい距離の差になって来ていると考えられた。
だがその数であれば、確か皇甫嵩将軍の伏兵が発動するはずである。騎馬隊とは言え百では二千の伏兵に対抗できまいと容易に推測できた。馬車と騎馬隊百について、華雄は伏兵側へ任せる事にした。
では追撃に出ようと思うがその前に……と華雄は百人隊長の一人を呼んだ。
「華雄様、お呼びでしょうか?」
「おう、お前の隊はこの場へ残って呂布殿や荀攸殿らが来たら、我が隊が洛陽を離れて追撃する故、補給を頼むと伝えるのだ。それまで一応曹操の陣を調べておけ」
「はっ、分かりました」
そう告げると華雄と騎馬兵団およそ八千は、曹軍をどこまでもという勢いで追撃を開始する。始動した馬脚群により激しく土煙を上げながら。
土煙が収まるのを待たずに残った百人隊長は華雄の命に従い、隊を東門のやや南に築かれた曹操の陣へと進めた。そして馬止へ馬を繋ぐと、曹操軍の残していった陣内を部下らと分担して確認していく。
急いで出て行った様子も有り、多くの兵糧や重量のある装備類、天幕等の資材は捨て置かれていた。
「隊長、これなら掘り出し物が色々ありそうですぜ」
「……手に隠せるもの以上の持ち出しは認めんぞ。身の程は弁えておくように皆へ言っておけ。華雄様の戦いもまだ終わっていないとな」
「へい」
将軍の話も持ち出され、神妙な表情になった部下らと共にさらに調査を進める。
一刻(十五分)ほどすると、荀攸、皇甫嵩、呂布の隊が東門へと現れた。
部下からそれを聞いた華雄隊の百人隊長は、確認途中の曹操の陣からすぐさま同じ董卓軍である呂布将軍の所へと向かった。相手はあの飛将軍であり、多少緊張気味に訪れる。
だが……すでに馬上で静かにお休みのようであった。呂布もまた落馬することなく器用に寝続けていた。
そのことを呂布配下の百人隊長に告げられると、やむなく荀攸の所へ向かう。こうなると戦いでも起こらない限り、呂布は当分眠りから覚めないのだ。
荀攸の所へ行くと、彼女はまだ当然起きていた。
「荀攸様、華雄様より洛陽から離脱した曹軍の追撃を行う旨と、それに伴う兵站の確保をお願いしたいとの事でした」
「そうですか、分かりました。直ちに手配しましょう。武名髙き華雄将軍の騎馬隊八千なら曹操軍に止めを刺せるでしょう」
「はっ、よろしくお願いいたします。現在我々で曹操の陣を調査しております。まとまり次第お知らせいたします」
「分かりました」
報告を終えると華雄隊の百人隊長は足早に去って行った。一応略奪は禁止されているが戦時下なれば多少は目を瞑られる。とは言え部下の行動が気になるのだろう。
そして華雄の武を称えつつ言った荀攸だったが、色々と心配事があった。
まずこの大計画がいくつも大きく狂ってきていたことだ。皇帝を取り逃がし、曹操とともに洛陽から脱出されていた。しかし圧倒的な兵力と地理条件ではまだ十分討ち果たせる状況ではある。現在まさに強力な兵団が追撃に向かっていた。
その華雄は自分の武に自信を持っている。統率力も高く、確かに騎馬隊八千での総力なら疲れている曹軍と曹操までも屠れるだろう。だが……彼女は自尊心が高過ぎ、加えて柔軟な思考の持ち主ではない。そして曹軍には夏候惇を初め武に優れた武将達がいる。一騎打ちを挑まれれば、華雄はどうするだろうかと。
荀攸は、陳留の方角を静かに眺めるのだった。
再び曹操の陣の調査に戻った華雄隊の百人隊長は、戻りを待っていたかのように慌てた部下から声を掛けられる。
「た、隊長……お、女の遺体が……箱に……」
「なに?!」
部下のとんでもない言葉に、確認のため百人隊長は急ぎその場へ赴いた。
他にもすでに数人の部下がそこへ駆けつけていた。
それは上級な将官の天幕だと思われた。なにやら華麗な衣装の入った箱に埋もれるように、隠されているようにそれは見えた。
(女を弄んだあげくに無礼討ちにでもした死体の隠ぺいか?)
緊張気味に、遺体の入ったすでに蓋のずらされた朱塗りな箱の中をゆっくり覗いていく。死後数日経てば大変な事になるのだ。見たくないがこれも仕事であった。
そっと見てみた。
遺体の目は閉じられていた。
それは――とても可愛らしく美人の凛々しい少し小柄な女の子だった。髪の毛は黄色で短めのツインテールクルクル巻き毛であった。
だが死体の割には……全く痛んでいなかった。
恐々と百人隊長は手の部分に触れてみた。手触りが皮膚に近い感触であった。
しかしそれでも気が付いた。これは『人』ではないことに。
「……人形……か……?!」
周囲の部下はそれを聞いて少し安堵する。
そうそれは、死んだか眠った人にしか見えなかったが等身大の人形だったのだ。
この時代、玩具の小さな人形ぐらいはあった。だがこういった等身大のものを愛でる趣味はほぼない。せいぜい信仰の対象になる神像ぐらいである。
百人隊長は……怖くなった。それは余りに精巧すぎたのだった。
彼は箱から後ずさるように離れると一言部下らへ告げた。
「そいつを後で――――森にでも捨ててこい」
生ごみや不要なものの処分は、ある程度現場の責任者に一任される。
夏候惇が心血を注いで作成した、等身大の華琳様人形はこうして捨てられてしまったのである。
そして、何かが始まろうとしていた……。
すでに卯時(午前五時)を迎え、空は少しずつ日の出に向かって白み始めていく。周りも薄明るくなってきていた。
曹操軍は、森の脇や草原の中に敷かれた比較的平坦に整備されているこの幅広い街道を疲れつつも全力で、もはや補給が得にくい不利な洛陽を早く離れるべく本拠地の陳留を目指していた。最低でも洛陽方面へ向かっている援軍と合流しなければならないのだ。歩兵らも今しばらく駆け足での移動となる。
夏候惇は後軍の先頭近くに、負傷した夏侯淵が横になっている荷馬車に並んで移動していた。
そこで夏候惇は、右のこめかみへ一筋の冷や汗を流しながら、ふと思い出してしまっていた。
「……秋蘭、れ、例のモノはどうした?」
その『モノ』という発言により、瞬間に夏侯淵もトンデモナイことを思い出していた。いつも冷静なはずの夏侯淵も慌てた声を上げる。
「あ、姉者……皆に気付かれないように……姉者の天幕に隠したままだ……」
そう、等身大の華琳様人形の事である。今回洛陽への駐留は袁紹が再び戻るまでの数ヵ月という事だった。黄巾党の乱も落ち着き、洛陽には大陸中の服飾が集まってくることも有り、大きな問題は無さそうだと考え持ってきてしまっていたのである。
昨夜は夏侯淵も夏候惇も緊急で即刻出陣したため退却の荷を全く纏められず、洛陽からの退却時に陣へ戻ったら真っ先に持ち出す予定だったのだ。だが、夏侯淵の命に係わる呂布との戦いと、大きな負傷で二人の頭から完全に注意が飛んでいたのだった。
もう少し時間があれば、総退却となり天幕から兵糧、武具まですべて持てる物は移動させたはずだったが、それも出来なかったのも大きいところだ。
「うぅっ、今から……引き返して―――」
「姉者、気持ちは分かるが無茶を言うな。おそらく陣はすでに董卓らに占領されているはずだ」
「くっそう……」
夏候惇は目を閉じ手綱を握る拳を震わせ、その無念さに必死で耐えていた。
夏侯淵は『また作ればいい』とはとても言い出せなかった。あの人形がどれほどの手間で作られているのかよく知っているからだ。
その骨格の一つ一つの削り出し具合から、手足の指先の、爪の形成、表皮部分の組み上がりの姿までが曹操と瓜二つだっだ。さらにまつ毛、眉毛、頭髪等、そしてあんなところのケまでの大部分が―――風呂や閨でコッソリコツコツと集めた曹操本人の実毛なのだ。
そこまで揃えるのは並大抵ではなかった。夏侯淵ももちろん全力で協力していた。二人の希望と執念が籠った人形と言える。
それを持ち出せなかった事実に、まさに身内の一人を亡くしたような、お通夜のような二人の気持ちと雰囲気になっていた。
そこに、陣の後方から伝令が馬を寄せて来ると告げる。
「将軍方へお知らせします! 後方より董卓軍の騎馬隊と思われる兵団が接近して来ます。その数、八千!」
「分かった……奴らめぇ、絶対に許さん!!」
その表情は血の涙も流さんばかりであった。
夏候惇は、その無念の元凶の接近を聞いて―――再びキレていた。
「姉者……私の分まで頼んだぞ」
「おうっ!」
珍しく夏侯淵も、キレていた。
夏候惇は夏侯淵へ兵を百程付けると、彼女の乗る荷馬車をそのまま街道の先へと進ませる。夏候惇らもその後をしばらく進み、街道でも丁度谷のように狭くなっている場所を見つけると、その場所へ後軍三千の兵達を街道が中心に展開させ封鎖する。
また少し洛陽側へ戻った街道上にそのうちの七百騎ほどの騎馬隊が突撃隊形と言える長蛇の陣を取って待ち構える。もちろん先頭には夏候惇が『七星餓狼』をすでに抜き放ち、洛陽方面の道の先を睨み付けていた。
そしてその目に華雄の率いる董卓軍騎馬隊の一団の姿を捉える。八千騎が上げる砂煙は遠目にも確認できた。
夏候惇は突撃する好機を静かに……怒りを力に変えて待っていた。
先を行く夏侯淵は、馬車に横になりながら中軍の曹操へ早馬を出す指示をする。そして自分も中軍へ追いつくべく速度を急速に上げさせていた。
華雄は街道の前方に兵が展開されているのに気付く。そろそろ追いつく頃合いだと考えていた。そこは街道を中心に道が狭くなっているところのようであった。なるほど多勢を待ち受けるには良い場所である。
「ふふふっ、おそらく夏候惇辺りか」
華雄自身、曹操と共に夏候惇が、皇帝から黄巾党の乱での武功に因って奮武将軍司馬の官職を受けていることを知っている。機会があれば是非ともその武勇を見たい相手であった。相見(あいまみ)えるのを楽しみにしていたのである。
(踏み潰す前に一当てしておくか)
そう考えると華雄は隊列を手前で止める。そして一騎で悠々と曹軍の前に出て行った。
「我が名は華雄である。董卓軍の将なり。そちらを率いるは奮武将軍司馬の夏候惇か?」
華雄は愛用の戦斧『金剛爆斧(こんごうばくふ)』を曹軍へ差し向ける。
夏候惇は俯き気味にゆっくりと前へと馬を進めた。そのため表情は良く見えない。互いの距離は二十二丈(五十メートル)程だ。
「…………ぉス……」
「ん? なんだ?」
夏候惇の言葉がいまひとつ聞き取れなかった華雄は聞き返す。
すると夏候惇は顔をゆっくりと上げる―――修羅の顔を。
「この夏候惇が……お前を倒ス! 董卓軍は許さん!」
「馬鹿な………」
華雄はこの距離で夏候惇の雰囲気に戦慄を覚えた。それはまさに呂布のような圧力を感じたのだ。有り得ないと言う思いが口から言葉を漏れさせた。
次の瞬間、夏候惇は『七星餓狼』を振り上げ華雄へと鋭く差し向けると叫んでいた。
「騎馬隊、突撃だぁーー! 私に続けぇーーーー!」
その敵からの号令に、華雄も慌てて後ろの全軍に指示を出す。
「おおっ、こちらも全軍前進! 曹軍を踏み潰せぇーーー!」
華雄は自分から一騎打ちを挑もうと思っていた。だが、挑む前に戦いは始まってしまった。しかしお互いに先頭でいるため、形的に初めは一騎打ちに近い状況となる。
「はぁーーーーーー!」
「うおおおぉぉぉーーーーーーー!」
互いに馬が接近し間合いに入ると、渾身の一撃の打ち合いとなった。
夏候惇は右手で間合い一杯に愛刀を振り下ろす。華雄は右手と長い柄を脇で締めた形で『金剛爆斧』を右側側面から掬うように合わせていく。
金属が凄まじい勢いで激突する音が鳴り、猛烈に火花が辺りへ飛び散った。
その結果、華雄が馬ごと夏候惇から見て左側へ一丈(二・三メートル)ほど動かされていた。正確には華雄が夏候惇の一撃の威力差に激しく馬上より飛ばされそうになり、馬が引きずられるように寄れたのだ。華雄の右手は夏候惇の渾身の一撃で完全に痺れていた。
(馬鹿な。な、なんという威力の一撃なんだ。呂布殿に近い威力か?!)
膂力にも自信のあった華雄は驚くと共に感心しかける。だがそんな暇などない。夏候惇からの次の一撃が迫っていた。しかしもはや力の差を感じて、『金剛爆斧』を使って全力で受け流すしかなかった。先ほどよりも軽く弾くような金属音が響く。
呂布の強さと一撃の威力を知らなければ、夏候惇の二撃目でやられていたかもしれない。
華雄はその後数撃をすべてまともに受けずに、鋭く力を逃がす形で凌いでいた。
間もなく、それぞれの後方より騎馬兵団が接近しぶつかり合った。そして混戦になっていく。
華雄が当初からいい勝負と前のめりに攻撃へ出ていれば、元の自力で勝る夏候惇によりもう勝敗は一騎打ちの形で付いていたかもしれない。だが夏候惇が見せた憤慨中の一方的な勢いに、華雄が警戒し呂布の強さに対して考えていた防御に上手く徹したため、将同士だけでの決着にならなかった。
こうなると、兵団の力の差になって来る。
夏候惇は数撃で華雄を倒せると踏んでいた。董卓軍の騎馬兵数は夏候惇率いる曹軍の騎馬数の十倍以上なのだ。しかし将の華雄が居なくなれば、八千いようと敵ではなくなる。
とはいえ、事は思い通りに行かない場合も多い。勝負ごとに絶対はないのだ。
今居る場所はまだ側面から回り込めるほど幅が広いため、華雄側は曹軍を押し包むように動こうとしていた。
その動きにさすがに夏候惇も不利を感じた。
(ふん、ならば見せてやろう)
この位置に停滞するのは不味いと考え、突撃の攻勢に切り換える。
夏候惇は華雄を力づくの一撃で、脇へ避けさせると華雄率いる董卓軍の中央へ切り込んで行った。
それはまさに苛烈である。華雄の武を以てしてなんとか受け流せたが、普通の兵らにそんなことは不可能だった。
夏候惇の周囲は竜巻の様相で前に居る者は、切られると同時にその突進力と剣の威力で側面や後方へ吹っ飛んでいく。後ろに続く騎馬兵らも夏候惇の士気と指揮で死兵に近い能力を発揮した。その突破力は異常だった。
華雄の騎馬兵団は夏候惇の隊を覆うように両翼へ広がった為、中央が薄くなっていた事もあり、夏候惇隊は難なく一方的に突貫し後方へ抜け出していた。
華雄側は一気に百五十程は死傷者が出ていることだろう。
夏候惇は隊を反転して後方より再び攻撃する為、街道の土手を下りその脇の腰ほどの草の生えた荒れ地へ入る。馬自体は田んぼのような明らかに体が沈むほどの悪路でない限り速度は些か落ちるが移動に大きな支障はない。騎馬兵の多くは少しの崖なら下れるほどなのだ。
華雄は夏候惇を自軍奥へ見失い動きが取れなくなった。前方へ出て、封鎖している陣へ攻撃を掛けるべきかとも考えるが、どう見ても先に強力な夏候惇を抑えることが重要だった。ただ、今の兵数ではヤツの姿を捉えるには多すぎた。華雄は兵団内からの伝令により夏候惇らは後方へ抜けたことと多くの犠牲が出た事を知る。
千人隊長を急ぎ四人呼ぶと、それらにこの先の街道を封鎖しているところを攻めるように伝える。
華雄は兵を二分し、身軽になって夏候惇と対戦することにした。今、一塊状の自軍の数を減らしたかっただけなのだが、頭の固い華雄にしては合理的な案だった。
夏候惇が、街道先の味方の援護に向かえばそれを後方から襲い、こちらへ向かって来れば、その間に封鎖している陣へ向かった四千の騎馬兵団で勝ちが拾える手になるのだ。
その夏候惇はというと迷わず華雄と対することを選んだ。やはり将を抑えればこの場からの曹操ら中軍後方への進撃はとりあえず止められるのだ。
殿として今は勝敗よりもより重要な事だった。
そして今、どうやら兵を分割するためか陣形が定まらず、混乱気味と見た華雄の隊へ再度後方より突撃する。その際、目立っていた千人隊長を一人、二人と切り倒していった。
だがその動きに割って入ってきた華雄によって、千人隊長の三人目以降は倒せなかった。
「おのれ、夏候惇!」
自分では無く配下の指揮官を倒しに来た事に怒りを口にしたが、夏候惇は軽く流す。
「ふん、お前を倒した先か後かの事だ、気にするな。それよりそろそろ華雄、お前の番だ! 一騎打ちで決着を付けよう」
並みの武将の発言なら怒りのまま問答無用で受ける所だが、呂布並みの者と戦えるかと考えると容易には踏み切れないでいた。
華雄としても情けなく許せない事だが、呂布のあまりの段違いな強さだけは認めているのだ。
『呂布には勝てる気がしない』
呂布の凄さをこれまで間近で見ているからこそ、そう感じてしまうのだった。夏候惇は呂布以上では無い。その証拠に―――すべてなんとか受け流せているからだ。呂布の突きには受け流しきれないものがあったのだ。とはいえ全力の受けに回った状態で、ギリギリな相手も呂布以来である。
呂布との経験が頭と肝を冷やさせていた。この夏候惇の膂力とスピードは、攻めに回っては受け切れるものではないと判断していた。
「残念ながら、そうもいかん。ここでの目的は一騎打ちではない。貴様ら曹操軍の殲滅だ」
夏候惇は、故意にニヤけながら武人として強烈な挑発の一言を放つ。
「華雄……逃げるのか?」
「……何とでも言え。個人的なことは後に回させてもらおう。そうだな……曹軍が貴様のみになったら喜んで受けてやろう」
華雄としては屈辱だが、将としての筋は通っていた。
人形を失ったことで怒り狂っていた夏候惇だったが、華雄の筋の通った回答にいつしか自分も冷静になりつつあった。
知的な駆け引きは出来ないが、それぞれの戦いの局面に何が重要かは良く知っていた。
ここは一騎打ちでなければ、華雄とだらだら戦い、留まって時間を食うのは明らかに夏候惇隊としては不利になる。今は自身の隊は一か所に留まらず、縦横無尽に粉砕して回るのが最良の手だと思われた。
だが、街道先を封鎖している隊へは手は貸せない状況だ。間違いなく向かった瞬間後方を取られるだろうから。
あの狭まった地形位置へ配置に付かせた時点から、急ぎ陣内の後ろで馬防柵を作らせているが、どれほどの数が作れ効果があるか。あとは二千三百の曹操軍の粘りに期待するしかなかった。ここを突破されれば残りの曹軍兵数ではこの董卓軍騎馬兵団に対抗しえないだろう。
まさに踏ん張りどころであった。夏候惇は自分の最善を尽くすのみである。
「では、曹軍の騎馬戦を見せてやろう」
「こちらも受けて立とう」
華雄側も後方で隊列が出来上がりつつあった。
四千対七百の騎馬戦が始まった。
曹操軍二千三百の隊は千人隊長らの指示に、近くの竹林と間近に迫った山沿いの木々から材を集め、それらを縄で組み合わせて急遽作成した多少歪な馬防柵数十を、まず街道を中心に封鎖するように横一線に設置すると、次にそれが蓋のような浅くコの字を作る様に設置した。そのコの字の内側へ槍隊と弓隊の一部を配置し、コの字の外側の陣内に剣を持った主力千五百と残りの槍隊と弓隊らで包囲するように董卓軍を待ち受けていた。
華雄隊の半分、四千の騎馬隊は寄せて来る状況から槍を持つものを先方位置へ配置して、数に物を言わせて馬防柵の配列を突き崩すように攻めて来るだろうと思われた。
曹軍は柵側に籠り、まずありったけの矢を射かけて出来る限り董卓軍の出血を強いる。さらに接近するものから槍隊の集中攻撃に晒し、多対一で個々に討ち取る。侵入、突破しようとする騎馬を剣を持つ歩兵隊が死兵となって集団で襲い掛かる。そういう指示が出ていた。
初めの一刻(十五分)程は両者距離を取っての矢の打ち合いであった。
だがその後、矢が切れた董卓騎馬兵団は一点突破を図って来た。突破に対する当初の損害は目を瞑る、前の死体を乗り越える勢いで次から次へと騎兵を繰り出してきたのだ。一点への多勢の圧力にその周辺の馬防柵は押されて配置が崩れ出し、その箇所を中心に間もなく侵入路が数か所に増え、そのすべてから進攻され始める。
幅の狭い場所で封鎖した為、寡兵でも同数以上で対峙出来る利点が唯一の救いだったが、それでも元々騎馬兵という強力な兵に加え、兵の減少を考えずに押し込める許容量の兵数差がジワリと出て来ていた。
それから一刻(十五分)程経つと、すでに柵内への侵入数は二百騎を数えていた。こうなると多対一の戦いに中々持ち込めず、騎馬兵に対して弓兵や歩兵の一対一も至る所で起こり、曹軍側は討ち取られて行く数が増え始めていた。
それは今後改善されることのない、時間と共に悪化していく状況が千人隊長らにも予想できた。
それでも予想に対して奮戦するも現実を覆すことなど出来ず、さらに一刻(十五分)後には二百以上は討ち取られ、曹軍の敗色が濃厚になりつつあった。
すでに、横一線に設置していた馬防柵はほぼすべて撤去、破壊されてコの字に配置していた柵も多くが破られて騎馬の侵入を許していた。
このままではもはや―――。
そう千人隊長が思っていた時だった。
柵中に侵入して来ていた騎馬兵が馬も伴うがごとく急に柵外の董卓軍側へ吹っ飛んで行った。それが続けざまに何回も繰り返される。それは巨大な鉄球によって起こされていた。
「みんな頑張れーーー、援軍に来たよーーー!」
中軍に曹操、荀彧といた許緒であった。
元気な声と共に五百を超える曹軍が柵内へ侵入して来ていた董卓軍の騎馬隊へ襲い掛かって行った。
「許緒様!? 中軍を守っておられたのでは」
千人隊長は許緒の参戦に驚き尋ねる。
「秋蘭様が中軍まで伝令を出してくれたんだよ。『もしかの時は華琳さまは私が守る。今でも弓は十分撃てる』って」
「そうでしたか。……危ない所でした。ありがとうございます」
「惇将軍は?」
「前方にて七百騎で華雄率いる騎馬隊四千を押させておられます」
「じゃあ、ここを守るのが僕の仕事だね」
許緒は夏候惇の所まで出る必要はないと判断した。
董卓軍は許緒と援軍によって、一気に士気を取り戻し二千五百まで増えた曹軍にこの狭地にて押され始めていく。
華雄と夏候惇の兵団同士での戦いは、夏候惇の異常な突破力に華雄は兵数で大きく上回りながら苦戦していた。
どう隊列を、陣を組んでも夏候惇の突撃は止められなかったのだ。華雄自身も正面に何度か立ったが、押し返す事が出来ないでいた。弾き飛ばされるか、受け流すしかないのだ。華雄以外では夏候惇へ近付く事は死を意味していた。度重なる突撃を受け、華雄側はすでに千人近くが死傷している。
夏候惇側はまだ五十程である。冗談ではなかった。
(ここに張遼がいればな。この兵数で神速の騎馬の陣形と攻撃ならば、あの夏候惇でも抑えられようものを)
思わずそんな弱音を考えてしまうほどだった。
だが夏候惇側も実は厳しい状況だった。兵数が少ないという事はそれだけ、隊の皆が必死に多くと戦わねばならなかった。いくら強いと言っても体力には限界があった。
夏候惇も体中が痛くなってきていたのだ。長時間張遼と戦い、限界を超えて呂布と戦い、今も怒りに任せて限界近くで戦っているため、酷くはないが体中の筋肉が細かい断裂を思わせるような悲鳴を上げていたのである。
隊の兵達も徹夜に加え厳しい連戦の為、体力が限界に近付いてきていた。
呼吸を整えつつ僅かな休憩も兼ね、街道傍の荒れ地にて華雄の隊と少し距離を取って突撃の隊列を整え直していた。
(体力的に考えて董卓軍の兵数を一方的に削れるのは後数百だろう。そのあとは……ふふっ、潰し合いか)
夏候惇には深く考える事などない。最終的にはいつも殺るか殺れるかしかなかった。
華雄にはまだ夏候惇側の疲弊が見えていなかった。
また止められない夏候惇の脅威に隊の士気は下がっていた。このままでは、四千もいた騎馬兵団が本当に磨り潰されかねないと。
そして――街道の先を攻めていた四千の騎馬隊側から伝令が来た。
「申し上げます! 曹軍の援軍として武将の許緒率いる五百名以上の部隊が加わり、苦戦しております」
「なにぃ?!」
華雄に迷いと焦りが見えていた。この時点で自軍の死者はまだ千に届いていない。十分動ける騎馬兵は六千六百程はあった。一方曹操軍は多く見ても三千二百程度しかいない。
しかし倍の兵を誇りながら、どちらの戦況も良いところなく……不利な感じすらあったのだ。
(敵援軍は本当にこれだけなのか? これ以上来れば……)
冷静な判断が出来れば陳留からの援軍には時間を要し、このまま時間の経過で、じわじわと攻勢に出れるところなのだが、当初から夏候惇の悪鬼のような度重なる威圧を受けて、不安が過剰に心へ広がっていた。
(惨敗………。洛陽にはすぐにでも大軍が編成されよう。今大きな打撃での敗北を受ければ将軍としてこの後、戦場から遠ざけられるやもしれん……それだけは避けねば……)
ここで対峙してすでにかなりの時間が経過している。曹操は取り逃がした感が強くなってきていた。それは、より大規模な対曹操戦がこれから始まるという事なのだ。
さらに街道先の戦場より追い打ちを掛けるような伝令が来た。
「大変です! 千人隊長の趙(ちょう)殿、許緒からの大鉄球の直撃を受け討死!」
「おおっ!?」
その報告が決意させる。
「くっ、曹軍め。……最後に目に物見せてくれるわ!」
華雄は伝令へ向かって、隊へ戻り千人隊長らへ伝えるようにと『ある』指示を出した。
街道先の董卓軍騎馬兵団へ伝令が帰ってくると、彼らは攻め込んでいた曹軍の陣内から柵の外へと移動を始めた。
それを見た許緒は夏候惇の所まで追撃に出ようかと考えたが、董卓軍は陣から少し離れた位置に長蛇の陣の隊列を作っていく。
(えぇっ? 陣形を整えて再度の陣内への突撃!?)
多くの馬を使えなくし兵を倒したが、それでもまだここを攻撃する董卓軍は三千四百はいた。馬防柵の配置も今は有って無いがごとき配置位置だった。
許緒は曹軍歩兵らに、残っている馬防柵を可能な限り配置し直させ、再び防御攻撃の態勢を取らせた。
一方、夏候惇も少し遅れて伝令により許緒の援軍について知らされていた。
「そうか分かった。そのまま季……仲康(ちゅうこう:許緒の字)に陣をしっかり守る様に伝えてくれ」
「はっ」
夏候惇は許緒の援軍に口許を緩めていた。
これで華雄を抑えている間は、街道先を突破される事は無いだろうと思った。
だが、変化が起ころうとしていた。
華雄の率いていた隊は、遠目に街道先の別働隊の再編成状況を見ていたのか、それが整ったと見るや街道周辺に隊列を組んでいた場所から怪我人らも連れて―――洛陽方向へゆっくり移動し始めたのだ。
それに対し、街道先の曹軍に対峙する隊列は曹軍陣側を向いたまま、まだ動かない。
「何だ……?」
そろそろ華雄の隊へ再度突撃しようと、その動きを街道脇の荒れ地から見ていた夏候惇だったが怪し気な動きに様子を見る。
てっきり華雄の隊は一度移動して位置を変え、また隊列でも編成し直すのかと考えたがそうではないようだった。撤退のようにも見え、そのまま洛陽方向へ移動が続く。
夏候惇はその華雄隊を追わなかった。殿の任としては、それよりもまだ残っている残り半分の董卓軍の方を見る。華雄隊が十分離れたら街道先の残っている敵を攻撃するつもりでいた。だが洛陽方向に動いていた華雄隊の動きは間もなく止まる。夏候惇隊の動きをまだ確認出来る位置だった。後方から襲われる可能性が高いため、街道先の董卓兵へは攻撃できなくなった。
その時、街道先の曹軍陣側と対峙していた董卓軍が動き出す。
夏候惇は気付いていない―――先ほど戻る敵の伝令に伴い街道の反対側の土手に隠れつつ華雄の騎乗する馬が街道先へ移動して行ったことを。
街道先の董卓軍騎馬兵団は、曹軍陣地へ突撃した。
その先頭には華雄が立ち、彼女の『金剛爆斧』が正面の二つの馬防柵を一撃で薙ぎ払い周囲の曹軍兵らを蹴散らしていく。
「うわぁぁーー、華雄だぁ! 敵将が現れたぞぉ!」
敵将の突然の登場に、曹軍陣内は驚きの声が上がる。夏候惇将軍はどうしたのだという不安とともに。
先駆けとして圧倒する武力で侵入して来た華雄に対し、許緒は巨大鉄球の鎖を握り、振り回しつつ問いかける。
「僕は許緒。惇将軍はどうしたの?!」
道が狭まった奥のこの位置からだと、夏候惇の姿は確認できなかったのだ。普段の愛らしい目ではなく、その瞳には殺気が籠っていた。
「さぁて、知らんな。人の心配より、自分の心配をすべきではないのか?」
華雄は悠然とそう言いつつ、愛用の戦斧の剛撃を馬上の上段から許緒へ見舞った。咄嗟に鉄球を投げ合わせぶつけていく。
だが、許緒の大鉄球『岩打武反魔(いわだむはんま)』は戦斧にはじき返される。
「うわっ」
「むう、威力はかなりのものだな。だが、まだまだだ!」
続けて華雄の『金剛爆斧』が風を切り唸りをあげて右斜め上段より許緒を襲う。許緒は鉄球と鋼鉄の鎖を使ってなんとか受け凌いだ。
守備側の要の許緒が完全に抑えられてしまい、曹軍兵達は華雄に続く騎馬兵の突入が容易には止められない。
だが、董卓軍の動きがおかしいのであった。
その動きはこの陣を崩そうというものではなかったのだ……そう、董卓軍全騎馬兵が許緒一人に群がっていった。
華雄は曹操の追撃も、夏候惇隊を負かすことも、この陣を破ることもあきらめたのだった。だが、『手ぶらでは帰れない』のである。
所望したのは許緒の首だった。
すでに日が登り始めていた。東の空に時折山裾から見える朝日が眩しい。今朝のこの地の空はほぼ快晴である。
卯時正刻(午前六時)はもうとっくに過ぎているであろう。曹軍百人隊長向(しゅう)率いる三十騎と劉備らが護衛する桓の荷駄隊、そして霊帝の乗る馬車らは、あれから平原や山間の中を通る街道を順調にひた走り、もう数里で虎牢関という木々の少ない険しい所まで来ていた。
まだ気絶していた皇甫嵩軍千人隊長の田は両手を前で、両足は膝を曲げて其々足首と太腿を繋いで縛られ、目隠しとさるぐつわもされ、張飛の小柄な背中へ背中合わせで括りつけられ馬に乗せられていた。
皇甫嵩軍の郭ら二十騎は少し離れてついて来ていた。
劉備が隊長の向のところへ馬を寄せていく。
「向さん、そろそろあの人を離してあげようかなぁと思うんだけど」
向は少し難しい顔をしたが、「わかりました」と全体へ停止の声を掛けた。生きてここまで来れた状況は、劉備の協力のおかげであることに間違いない。それにこの先の関を越える際に何かあるかもしれないのだ。今は劉備の考えを尊重して問題は減らしておいた方が良いと判断した。
劉備は昨夜……と言いうか数時 前に、荷駄隊の商隊長の桓らと共にこの先の虎牢関と汜水関を越えて来ていた。通るのは許可証が必要なので結構大変なのである。ここまでくれば、時間的に彼女らが兵達を再び集めてという事はもうないだろう。問題ない、そう考えたのだった。
二十歩(二十七メートル)ほど離れたところに郭達の騎馬隊も止まった。
劉備と張飛は捕えていた田を郭達らとの中間点付近まで担いで行き、縛ったままの田へ気付けを行って目を覚まさせるとその場を離れた。気が付いた田は、体を縛られ目隠しとさるぐつわの状態に、訳が分からず地面上でもがきだしていた。
郭達数名が近寄り田に数言声を掛けると落ち着き、拘束を全部外されていった。
田はゆっくり立ち上がると劉備や張飛らの方を睨むように一瞬見たが、背を向けて郭達と二十騎の仲間のところまで戻ると、兵から馬を譲られそれに跨った。そして間もなく皇甫嵩軍の一団は静かに去って行った。無様に負けた者が何を言っても意味がないのを知っているのだ。
「では向さん、先を急ぎましょう」
「はい、行きましょう」
皇帝を連れた曹軍と劉備ら一行は、ほどなく虎牢関へたどり着く。
その建物の偉容さは少し離れた位置からも伝わって来る。圧倒的な城壁の高さと幅を誇る関である。谷間を埋めるように聳え立つ現代の巨大ダムのような見栄えであった。水圧の事は考えないので弧を描かず横へ真っ直ぐに建造されている。高さは十二丈(二十八メートル)、幅百三十丈(三百メートル)以上、厚さ十八丈(四十一メートル)。幅四丈半(十メートル)、高さ三丈(七メートル)の大門とその脇に荷馬車や人が普通に通れる小門があり、抜けるまでに分厚い三つの扉が通路の前後と中間部分にある。扉は上部から内部串刺し式で、からくり的に固定する形であるため扉部分に閂は存在しない。
さらに関の分厚い壁の中には矢間通路や部屋も多数作られており、一万以上の兵が関自体だけに立て籠ることが出来、両面どちらからの攻撃にも対応できる構造であった。当代最も強固な関である。
ここの大門は通常閉められており小門だけが基本、日の出から日の入りまで開いている。そのほか許可証を持つものは夜中でも通ることが出来た。
そして、常時七百程の兵が詰めている。
向は心配していたのだ。ここにも董卓側の手が、すでに回っているのではないかということを。封鎖されれば、七百の兵でも短時間なら一万以上の兵でも十分相手に出来るだろう。
向ら一行が関の小門の前まで行くと、守衛の者らは当初普段と変わらない応対であった。向の心配は杞憂だった。董卓らは今回の重大な計画の漏えいを防ぐために知る人数や決行場所を絞っていたため、洛陽以東にはほぼ手を打っていなかったのだ。
だが、曹軍の向ら一行の返り血を浴びている状況に、守衛らにも緊張が走っていた。守衛隊長が、気持ち少し距離を取り問う。
「そのご様子……曹軍の百人隊長の方とお見受けするが、何があったのか?」
「洛陽にて……董卓が皇帝陛下に反乱を起こした次第」
「なっ―――――」
事の大きさに、守衛隊長は絶句する。向も自らの隊の血まみれな姿に下手な言い訳は出来なかった。
「我ら曹軍は陛下の側に立ち応戦中なのだ。先刻、ここを我が軍の早馬が通ったと思うが? 我らはここを抜け、陳留に向かわねばならぬ。速やかに通していただきたい」
守衛隊長は引き継いだ直後なのか、早馬について認識していない様子で横の衛兵らに確認する。そして間もなく要件は不明だが早馬通過の件は事実だと知ったようだった。
「話は分かり申した。だが、しばし待たれよ。ここは関守衛総長の判断を仰ぎたい」
事が事だけに、守衛隊長だけでは判断出来ない問題なのだ。その申し出に向も理解できるが、面倒の可能性もあった。とは言え強行突破は容易では無く最後の手段である。
「分かった。時間が惜しい、急ぎお願いする」
その言葉と共に、ずっしりとした砂金の入った袋、大と小を渡すのも忘れない。これは出発時の荀彧からの指示であった。
向は、陛下の同行についてはまだ伏せていた。敵か味方か不明なためだ。
守衛隊長は足早に関の中へ確認の為に入って行った。
先ほど、劉備らにより人質の将を解放したことはやはり正解だった。
引っ掻き回されて、早々に不審者一行として通行拒否な面倒事になり兼ねない恐れがあった。
この状況で通行許可が出れば、ここが霊帝の味方側とある程度判断も出来る。陛下の同行についてはそのときに明かせば、続いてここを抜ける主君曹操らへの協力をも得られるかもしれない。
向はそう思っていた。
「なに?! 京兆尹太守の董卓殿が皇帝陛下へ反乱だと……本当なのか?」
「はい。状況から嘘だとは判断出来ませんでした。曹軍の早馬も要件不明ながら確かに夜中に緊急で東側へ通過しております」
守衛隊長は関守衛総長の周(しゅう)の執務室で状況を報告していた。
「私としては特に問題はないと思いますが……通過を許可いたしますか?」
「……よかろう。陛下側に立つ者たちを通さぬわけにいくまい」
そう言いながら、周は机の上に置かれた大きめの砂金袋を眺めていた。この男、賄賂が嫌いではなかった……。
守衛隊長は関守衛総長の返事を持って再び小門の前へと現れた。
「通過の許可を頂いた。それとこれを。汜水関守衛総長宛に一筆竹簡を書いてくださっている。お持ちになり早く通られるが良かろう。向こう側までお見送りしよう」
向ら一行は直ちに足早で、床を含め頑強な岩を整然と組み合わせて作られている長い小門の通路を抜けていく。
小門を東側へと抜け一行は一度そこで止まる。すると馬車から肩口や裾に金糸の入った豪華な装いの趙忠が姿を見せた。
「私は霊帝陛下側近の十常侍が一人、趙忠です。虎牢関の皆さんへはこの馬車におわす陛下の為に、まもなく西からここを通る曹操殿への協力を希望します」
「は……………」
向がこの合間でと、守衛隊長がいない間に趙忠へお願いしていたのだった。
その彼女の言葉に守衛隊長は……唖然としていた。まさか、である。
「「「「ははぁっーーーーー」」」」
次の瞬間、守衛隊長と周辺の兵らは皆、その場で平伏する形や膝を付いての礼を取っていた。趙忠はそうでないのだが、恐怖と悪名の高き十常侍である。それだけでも、畏れ多いのだが、皇帝までも馬車内に居ると言うのだ。一般の守衛や隊長には、まさに『とんでもない』事だった。その知らせを受けた関守衛総長の周も、執務室から門外まで飛び出して来て平伏していた。
これでどうやら、虎牢関は霊帝と曹操寄りの拠点として反撃の大きな足場になりそうである。向と劉備ら皇帝一行は、異常に恐縮する雰囲気の漂う中を見送られつつ東の汜水関へと急いだ。
董卓と賈駆、張遼らは新しい漢帝国の朝日を、洛陽城の南正門である豪奢で勇壮な平城門の前に広がる広大な平城門前広場で、その眩しい光を受けようとしていた。今日この後新たな元号が新皇帝の名において定められる予定である。
ここには今、二万程の兵が整列待機していた。
陳宮と盧植はまだ城内掌握のために中へ留まっている。
すでに荀攸から東門付近についての報告により、霊帝および曹操らを東方面に逃した事が伝わっていた。
「んー、思い通りにいかないわね……。ごめんね月、最低でも霊帝だけは洛陽で討ち取っておきたかったけど……作戦を立てた私の責任だわ」
「ううん。詠ちゃんを初め、みんな頑張ってくれたと思う」
「実際、敵ながら曹操の将や兵らは強かったでぇ。ほんま楽しかったわ」
「そうね……正直、曹操やその将らがここまでやるとは思ってなかったわ。大体恋に正面から挑んだ将が二人とも生き残るなんてちょっと信じられないわね」
「それはウチも同感やなぁ。でも呂布っち、手加減してないって話やろ? ウチでもほんまに死ぬ気でいかんと一合であの世行きやからなぁ」
「とにかく、今は洛陽の中を完全掌握することが一番よ。華雄の結果もまだわからないし。あとは例の協力関係の話をすぐに纏めないと」
董卓も頷いた。長安に続き洛陽という超巨大都市を支配下に組み込もうとしているが、董卓勢力単独ではどうしようもない。やはり同調する諸侯や新皇帝を指示する勢力を早急に取り込んで大陸全土を一刻も早く一つに纏めなければならないのだ。
一国に二君はいらない。
先の穢れ切った君は、生きているなら早急に排除しなればならない。
そうしなければ戦いの要因が残り、人民らに平穏を提供できないのだ。
そして、この洛陽とその周辺地域には、霊帝やそれに仕えた者達寄りの有力者がいるのである。それが曹操であり、朱儁将軍であり、そして袁紹や袁術らである。
それらも同時に刈り取る必要があった。
しかし現在はまず足場を固めるべく、数千の兵らを洛陽内に居る不穏分子の有力者ら捕縛へと向かわせていた。
「霊帝と曹操を討っとったら今夜は大宴会やったんやろ?」
「そうよ。でももうそれどころじゃないかもね。曹操が生き残ったら、いつ来るか油断できないわよ。皇甫嵩殿と椿花、それと恋……はもう勝手に寝てるわね。霞、あなたも先に休んでてちょうだい」
「へいへい。ふわぁ……そうさせてもらうわ」
張遼は、天幕から欠伸をしながら出ていくのだった。
「月も奥で横になってていいわよ。その仮面や甲冑も大変でしょ? 今しばらくは待つだけだしね」
「うん、少し休んだら交代するから」
「ありがと」
董卓も先は長いかもしれないと素直に従い、まず体を休めることにし天幕の仕切られた奥へと入って行った。
「月の為にも、今回の曹操の将の力や戦力を再検討してすぐに次に備えないと」
賈駆は、一人呟くと休む間を惜しんで対曹操戦の計画を見直し始めた。
そのころ洛陽の街中では色々な事が起きていた。
この洛陽には各諸侯から中央の状況を調べに来ている者らが人知れずいる。今、『董卓軍が夜襲により洛陽城へ侵入占拠する反乱に及び、城外や西郊外にて曹操軍と戦った。曹操軍は東へ脱出中。霊帝の安否所在は未だ不明』という世を震撼させる情報を携え、馬に乗った旅人や荷車を引いた商隊に扮した者達が、各門の通行規制解除を待って大陸中へと旅立っていく。
一般の市民らや役人らも、皇帝を襲った反乱を諸侯が起こした事に騒然となろうとしていた。また夜中には街中を大勢で軍が走る地響きのような音と振動に、皆外へ出ることも出来ずに恐怖していたのだ。これからの物価や生活はどうなるんだと言う思いも含めて……。
皆の様々な不安の黒い影が、日が昇り始めた都である洛陽に広がって行きつつあった。
そして、そんな洛陽から霊帝支持派で単独、もしくは私兵らと共に脱出しようとしている者も大勢いた。多くは包囲され捕まっていったが、中には協力者や守衛責任者らへ賄賂やコネを使うもの、また百を超える私兵を持ち、武勇に秀でた者の中には都を実力で脱出する者も何人かいた。
その中に何進大将軍に仕えていた王匡(おうきょう)もいた。
彼女は私兵達からの分散した手引きと、持ち前の武勇で包囲網を自力で突破し、騎馬兵数十騎を引いて洛陽を脱出した。
彼女が向かったのは、北東方向―――朱儁将軍の領地である司隷河内郡であった。
雲華を失い、その戦いの後遺症により無気力状態で三国世界の大陸中央を彷徨っていた一刀が、街で暴れた賊を倒したことから世話になっているここ河内郡温県の司馬家は、いつもと変わらぬ朝を迎えていた。
滞在から七日目。
今朝、洛陽では董卓らが起こしたトンデモナイ動乱が始まったが、ここ温県にはまだ届いて来ていない。
そのため、一刀もいつもと変わらない。
司馬家の八令嬢らを始め、家主の司馬防にも熱烈な感じで気に入られ、『家族』らしか住んでいない屋敷内の最高級の客間が一刀の自室になっている。
昨夜は亥時(午後九時)過ぎには司馬防と共にその客間の寝床へと入り、そのままぐっすりと―――すぐに寝るわけがなかった。
二人は若い男女なのである。相思相愛とも言え、そして夫婦のように同じ屋根の下で暮らしている。
亥時である。夜は長いのだ。子時正刻(午前零時)前に寝るとしても時間は一時半(三時間)近くもたっぷりとあった。
なので―――
いっぱいおっぱい他、色々といろんな事やいろんな所を楽しんでしまっていた……。
冒頭から寝台に上がった司馬防はその豪華な打掛を下ろし、この時代によくあったなというそのハレンチ極まりない下着を至近距離でまざまざと披露してくれる。それは桃色スケスケ下着であった。両開きなパカリ構造はないが、胸布や腰布の中央縦の部分の透け具合が尋常ではないモノであった。隙間を糸で大きく閉じてるだけ……そんな感じに見える。その縦線の上部を飾る小さ目のリボン風な装飾が可愛く、それが欲情をそそるのだ。
一刀は思う。いつも一体どこから探してくるんだろうと。
そして披露が終わると、数度の長く濃い接吻の後、司馬防は一刀へせがむのだ。
「一刀殿……さあ……脱がせてくださいな……」
「う、うん」
背中から司馬防を抱くような位置に座り、ナデナデモミモミしながら少しずつ胸布から外していった―――。
そして最後はすでに見ていない所はなく、そのまま二人は横になり……サワサワナデナデスリスリモミモミチュッチュペロペロクンカクンカしていない所も無いと言える状況へと進んでいった……お互いに。
彼女は何回天国に到達したのだろう……一刀からの行為はそんな熱いものがあった。
もちろん、一刀もそれなりに到達していた。司馬防は豊満な体の全てで返してくれるのだ。
散々二人は子作りには及ばないながらも営みを楽しんだ後に、互いの心地よい温もりと疲労感の中、静かに眠りに落ちたのだった。
天気は、少し曇っていたがまずまずのようであった。
一刀は今日も卯時(午前五時)過ぎには一人でこっそり起きて、この屋敷の使用人長の一人である銀さんに隣の客間で着替えさせてもらった後に、きちんと鍛錬を行った。
決めたことはちゃんとやって行きたかった。雲華の生き様の様に後悔無く、そして恥ずかしくないように。
もちろん、夜の営みでも……どう言う訳か子作り行為まで考えると、『神気瞬導』が使えなくなるため、ポイントでは時折『我、無心なりィィィィ!』と耐えるのだ。コレに彼は強烈に精神が鍛えられていった。
もはや確実に新たな精神世界への悟りが開けそうであった。
鍛錬を終え客間へ戻り体を拭い、『寛ぎの広間』へ向かう。司馬防ではなく、いつの間にすり替わったのか司馬家八令嬢の一人、絶世の美女な三女の『司馬孚』と共に。
起きた時から何かがおかしかった。まぁ……なにか、では無いか……。
朝、銀さんを静かに呼ぶために客間の折り畳み戸の扉を少し開けると―――廊下に司馬孚がにこやかに立っていた。……いつからいたんだろう。いや、気で二刻程(三十分)も前からそこにいたのは知っていた。
「おはようございます、一刀様」
「お、おはよう、蘭華(ランファ)」
しばらくの間、一刀へ静かでにこやかに微笑むと、彼女は立ち去った。
(えっ、それだけぇ?)
意味が分からなかった。
そして一刀が、修練を終えて庭の竹林のある場所から客間の廊下まで帰ってくると―――廊下に『また』司馬孚がにこやかに立っていた。
「何か私に御用はありませんか?」
「いや。……今は特に」
「そうですか」
そのまま一刀へ静かでにこやかに微笑むと彼女は再び立ち去った。
一刀が銀さんに汗を拭ってもらい着替えて客間を出ると……また司馬孚がにこやかに廊下へ立っていた。
「何か御用はありませんか?」
「ええっと……」
一刀にはなかったが、彼女には『ある』のだろう。
「今日は、何の日でしょう?」
彼女はにこやかに……攻めて来た。彼女の表情は穏やかに見えるが―――すでに我慢の限界なのだろう。
(何の日だろう?)
一刀は、目を瞑り頭を少し左へ傾げて眉を寄せながら考えるが、正直分からなかった。
「お母様、優華(ヨウファ)姉様、お母様とくれば……次は?」
一刀は漸くピンと来た。夜のお話のようである。まだ早朝なんだけれど、もう言ってきすか……? だが、彼女にとっては死活問題なのだ。
「悪い、今日の分のお守りをまだ預かってないんだ」
「えっ」
夜の伽を指名する意味で決まった、一刀から渡された者がその日の夜のお相手を示す『お守り』は、最近の家内を預かっている八令嬢の長女である司馬朗が朝食の後に一刀へ渡してくれている。なので一刀はその『お守り』を今、持っていなかったのだ。
彼女のにこやかだった表情が一気にトーンダウンしていた。すでに少し泣きそうである。
(ええっ。そ、そんなにぃ?)
一刀は思わず、司馬孚へ体を寄せて手を握り慰める。
「あの蘭華、お守りを預かったらちゃんと渡すから、ね」
「……本当ですか? 約束ですよ?」
一刀の言葉を聞いた瞬間に、彼女は復活した。……彼女も彼が『お守り』を預かる時間は知っているはずで……女の涙に可愛く謀られたというべきか。その彼女のジッと見つめて来る視線がやたらに熱い。
「あ、ああ。約束するよ」
「一刀様ぁ」
司馬孚に抱き付かれながらの廊下を南へ『寛ぎの広間』の方へと向かって行った。
もちろん一刀は―――間近な司馬孚の匂いをクンカクンカしながらである。
彼のハレンチ紳士振りも、相変わらずであった。
夏候惇は何か違和感を覚えた。華雄の率いていた隊の動きが『止まった』のだ。
(将が居るにしては些か動きが無意味過ぎるな。それならもう一方の隊へ移って―――)
夏候惇はハッとした。
「全隊前進! 直ちに前の騎馬兵団を粉砕し、街道先のもう一つの隊に後方より全力で突撃する! 華雄を撃つぞ、私に続けぇー!」
「おおぉーーーーー!」
夏候惇隊六百余は鬨の声を上げると、夏候惇の騎馬を先頭に一直線で敵兵団へと駆け出して行った。
許緒は華雄と対峙する自分の後ろを囲う殺気群に気が付いた。いつの間にかに騎馬兵らに包囲されていたのだ。
(まさか……突撃の狙いは……初めから僕?)
許緒の目が苦々し気に細まる。彼女は非常に厳しい現状を認識する。今は一騎打ちでは無い。全ての手が正当でそれが兵法である。
後ろを囲う騎馬兵らは皆、剛槍を手にしていた。
曹軍の千人隊長も、許緒へ攻撃が集まっていることへ気付き、兵の一隊を差し向けていたが、その間へ董卓軍側の騎馬隊が分厚い壁を築いて取り巻いていた。
すでに先程から許緒は華雄の苛烈な攻撃を受け止め凌ぎ、前面から手が離せない形だった。
それは―――背中に感じた。一つではない衝撃。
何か一斉にズブリとめり込んでくる感覚であった。
「がっ」
激痛に思わず許緒は……振り向いた。それは大きな隙だったが、華雄はあえて『見せて』やった。
刺さっていた。自らの背中に十数本の剛槍が。
だが、驚いた顔をしていたのは―――騎馬兵達の方だった。
それは良くて一寸弱(二センチ)程刺さったところで、それより先へは進まなかったのだ。
許緒の小柄ながら皮膚下に広がる柔軟で鋼のような背中の筋肉が剛槍の侵入をそれ以上許さなかったのだ。出血も槍ごと筋肉を締めることで最小限にする。
「ぬ、抜けない……だと。バカな」
「よくもやったなぁ。後で覚えてろ!」
そう台詞を吐くと許緒は前を向いた。なぜかその目線は一瞬、華雄の右後方を見たが再び華雄を睨み付ける。
「これで……僕に勝ったと思わないでよ。まだ、戦えるから!」
「ほぉう、敵ながら認めざるをえんな。その闘志、見事だ。せめて我が手で葬ってやろう」
「それはどうも。でも―――後ろからお迎えが来てるよ」
「あ?」
許緒の指摘に、後方の音を華雄の耳が拾う。それは、すさまじい味方の阿鼻叫喚の声と共に。
「季衣ぃーーーー、無事かーーーーーー!」
もちろん夏候惇の声だった。
その瞬間、華雄の余裕ある表情が一気に蒼白へと変わった。
(もう一方の隊は何をしている! 夏候惇を後方から牽制、攻撃すれば―――いや、今は)
働きを期待された先ほどまで華雄のいた隊は、すでに夏候惇に突貫され混乱の最中で動きが取れない状態だった。
しかし最早それどころではない。華雄は振り向いた。
人が散々に舞っていた……。
槍で突かれて持ち上げられるとかではない。剣だ。剣で切り下げる、切り上げる、横に薙ぐ……それが嵐や竜巻の如く連続することにより、その状況を作り出していた。
華雄はその光景を日頃から戦場で並ぶ同僚の戦いでよく見ていたから知っていた。
(この敵には絶対勝てない―――)
思わず華雄の声は震えた状態で叫んでいた。
「ぜ、全軍、直ちに洛陽へ撤退するーーー!」
ここは体裁にこだわっている場合ではなかった。騎馬兵の多くを盾にして華雄は洛陽へ逃げ帰っていった。帰り着いた時には、強力で重要な騎馬兵の八千のうち実に三千騎以上失っていた。
夏候惇は後を追わなかった。気持ち的にはどこまでも追いたかった。
許緒が万全なら殿を任せ追う事も出来た。
だが、殿の任と許緒は『戦える』と言っていたが彼女は重症だったのだ。その体でも敵を陣外に叩き出すまで戦い続けた。
それが終わり力を抜くと刺された背中の十数箇所から少なくない血が流れ出していた。
思わず膝を付いてその場に蹲る。
背骨にも二本刺さっていた。幸い棘突起と呼ばれる、神経の通る椎孔に影響のない部分であったので後遺症の残るものではなかった。
だが最早、酒で傷を洗い縫合し、安静に横にならざるを得なかった。
「ごめんなさい、惇将軍。敵将を討つ好機だったのに」
「気にするな。来てくれて助かった。今は休め。季衣が元気になったらいつでもカタキは討ってやる」
そう言って、横になる許緒の頭を優しく撫でた。
夏候惇と許緒の殿による華雄の撤退によって、洛陽動乱戦は一旦の集結をみる。
だがそれは、董卓対曹操の……より大きな戦いへの前哨戦に過ぎなかった。
数千の軍隊が移動する街道。
遭遇する場合、商人や旅人らは接近前に隠れるように譲るしかない。避けなければ間違いなく踏み潰されるのだから。それに敗残兵などに出くわせば商人らの荷駄隊などは略奪にも合う危険性が大きかった。なので、軍の隊列には基本近付かないのが普通の事であった。
司馬家守衛の楊(よう)は、司馬朗の士官の返事を携え、洛陽に駐屯すると聞いた曹操に届けるべく、日の出と共に洛陽へと馬に乗って出発する。彼女はすでに陳留から汜水関と虎牢関を西へ抜け、その先の街道はずれにある小さな街に宿泊していた。
もちろん……洛陽動乱の事は何も知らない。
この日の街道はおかしかった。
洛陽まで後六十里(二十五キロ)程の街道にて、戦いがあったような跡を通ったのだ。それもまだ血が渇いていないところがあったり、街道土手の脇にはすでに盗まれたのか鎧を剥がされた遺体がまとめて残っていたりしていた。まだ一時(二時間)も経っていないのではないだろうか。この地域には黄巾党の残党は残っていないはずである。しかし楊は洛陽へ行くのを急いでいた。周囲を注意しつつ先へ進む。
そんな中、彼女は洛陽方向より足早に駆けてくる旅人から、すれ違う手前で声を掛けられた。
「武人の方、間もなく千程の敗残兵ような兵達とその後にも少し離れて五百程が東に向かってここの道を通るぞ。どこかへ退避した方がいい」
「そうですか。お知らせ感謝する」
旅人は足早に道を東へとそのまますれ違って去って行った。楊は戻る訳にいかないので、やり過ごそうと周辺を見回すと、街道を下りた少し外れに林を見つける。
馬首をそちらに向け走らせ、急ぎその林の奥へと移動し静観した。
時刻は辰時(午前七時)頃であった。
楊は三十分ほどでその隊列を静かにやり過ごすと、洛陽へと再び街道上へ戻り馬を走らせる。
楊は気付かない。やり過ごしたのが―――曹操の一行だという事を。
つづく
2014年11月21日 投稿
2015年03月15日 文章修正(時間表現含む)
2015年03月22日 八令嬢の真名変更
2015年03月28日 文章修正
解説)華雄
歴史上、字すら『不詳』。カワイソス。
正史では出生不詳で董卓配下胡軫の部下となっている。
そして、孫堅の討伐に向かった初平2年(191年)、特に活躍することなく首を取られている。
演義では大活躍ですね。でも董卓討伐時、関羽に結局は首を取られますけどね……(汗
解説)悪路に強い?馬の崖、坂落とし
某動画サイトに昔の米兵らが高さ十メートルほどの短い距離を崖下りしているのがありました。訓練と思われますが、一種の度胸試しみたいな感じですね。
安全の為か岩場では無く、土がむき出しのところで、その降り口は垂直に近い形です。
人が乗った馬が一頭ずつ、順に下って行くのですが、半分ぐらい落馬、馬も滑落してますね(笑
でも、馬も人も慣れれば行けそうな感じでした。二、三十人やってましたが死んでる人や馬はいませんでしたし。
解説)虎牢関(ころうかん)と汜水関(しすいかん)
実は『虎牢関』は『汜水関』(しすいかん)とも呼ばれ、唐の時代に置かれた関所のひとつ。二つあったのではなく同じものだったというのが事実。
虎牢とは西周の穆王がこの地で虎を飼っていた事に由来するとか。
なお後漢時代には関所ではなく要塞が置かれていた模様。この地は険しく防衛に適していたことから歴代の王朝で防衛施設があった。
まあ、当外史ではふたつちゃんとありますよ。
洛陽から東北東に約百里(四十キロ)の位置に『虎牢関』、その二十里(八・五キロ)東に『汜水関』と。そしてその東側の先は黄河を望む官渡へと続いてゆく―――。
某MAPで洛陽の東北東五十キロほどの所を見ると河南省鄭州市ケイ陽市に虎牢関村や汜水村があったりします(笑
IF)皇甫嵩軍の伏兵を虎牢関に向かわせて先に関を抑えてしまえば良くない?
虎牢関上からの見張りや斥候が東西両方面へ交代で常に出ていて、所属不明な二千もの兵の接近には間違いなく気付きます。
兵団で関へ寄せて行って、皇甫嵩将軍の兵達だと明かしても、正式な中央の命令書が無い限り関の建屋内部へ入れてもらえることはまず無いでしょう。
二千程度の兵では強引に攻めても返り討ちです。
なので、この時点では結局虎牢関の手前で曹軍を待ち伏せることになります。
謎)王匡
Y●hooで『王匡』と検索すると『東京』になるのは何故?(笑
何かがおかしい。バグってるぜ。
推測)後遺症の残るものではなかった
おそらく戦いの多い三国時代でも『どうすれば人間が壊れる』か『死ぬ』かは研究されていたと考えられる。『治す』ことは出来ないが、治る怪我かどうかは同様の怪我からの経過や治った症例結果の積み重ねで分かったのではないだろうか……。
まあ華佗もいるしね。
結果)洛陽動乱ー洛陽の戦い
この戦いで董卓側は、兵数は曹操側の損失を超える騎馬兵三千を含む六千以上失ったが将に大きな怪我はなかった。対する曹操は、四千程の兵数で済んだが、夏侯淵、許緒は重症であった。特に夏侯淵は右眼を失うことになった。