真・恋姫†一刀無双 ~初出会は少女仙人-混沌の外史~   作:カメル~ン

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第➌➊話 呂布来たる

 

 

 ついに(エモノ)―――捉える。

 

 いつの間にか、『魔王』さまの『狩り』は佳境に入っている模様だ……。

 

(逃がさないわよ。『おっぱい×8』の覚悟はいいかな?)

 

 何への何の覚悟なのか、もはや怖くて想像も付かないシロモノな気がする。

 緒はすでに影すらなく、『堪忍袋は破れる為にある』―――そんな造語の出現すら感じさせる。

 いや、もはや前後の事はどうでもいい雰囲気が、喜びが、この者から伝わって来ていた。

 

(ふふふ、楽しみ♪)

 

 彼女の小顔な表情に愛が溢れ、『ニヤリ』が止まらない。

 もちろんこの人物は、雲華である。

 

 それは突然に感じられた。

 間違いなかった。『彼』と一緒に温泉に入って、彼が彼女の濡れて透けた白い湯浴み着姿を、その『絶対領域』を見た時と『全く同じ』波長な気の溢れ出す感覚であったから。

 だが、ダガダ、その時よりも随分と気が大きいのは……ドウ言ウことダロウカ。

 『とてもカワイイ』を、五回言って表現シテくれた自分以上ノ存在ガあるトデモ?

 加えて、ここは穏やかな日の光が射している。つまり今はまだ昼間なのに、ダ。

 

(―――ブチン)

 

 一瞬周囲へ『魔王』さまの嫉妬による、両眼を蒼く光らせての暗黒闘気風の雰囲気が満ちる気がした。従うジンメが恐怖する。

 二人は予州潁川(エイセン)郡長社(チョウシャ)県の街を目指し、西へと街道を進んでいた。今の位置は予州魯国から兗州済陰(セイイン)郡へ入ろうかという辺り。

 彼の気を感じた位置は、ここより西方へ優に五百里(二百キロ)以上離れているが、巨大な人の気の集まっている場所、都の洛陽付近であることは感じ取れた。

 

(今、『見に』行くからね♪ ―――クビト●●●ヲアラッテマッテテネ)

 

 彼女の握る手綱に力が入っていく。二頭の木馬の脚は早まっていった。

 

 ―――先程、何かがモゲる(引きちぎる?)ような音が鳴ったかに思えたのは、きっと気のせいだろう……クワバラクワバラ。

 

 

 

 その街並みの西側の外れを、黄河に流れ込む沁河(しんが)が通っている。

 司隷河内郡の治所は、温の街の東北東六十二里(二十五キロ)の懐(かい)の街である。そこに太守朱儁将軍の居城懐城がある。三里(一・二キロ)四方程の城郭に周辺を街が囲む。

 ここは懐城の宮城内、謁見の間。

 

「ふん、あの跳ねっ返りめ……仕方のない娘だな。張(ちょう)のヤツは半泣きだろうなぁ」

「まあ、涼風(リャンフォン:朱皓)ちゃんらしいですけど~」

 

 その姿は、立てば七尺四寸(百七十センチ強)ほどの女性らしい体形の上背。気功拳使いとして動き易いズボン風な前垂れの付く胴着仕立てだが、太腿の側面部に大きな窓が空く、朱色と黒の部分染めのある装飾の抑えられた実戦的な服装。まだまだ若く見える凛々しい鼻の通った表情に、鮮やかな朱色の腰下まで続く緩いウェーブのあるポニーな髪。それを簪ふうな金装飾付きの髪留めで止め右頭部寄りへ小さ目の頭冠を被っている。

 そんな朱儁将軍は、太守席の右の肘掛に片肘を付きつつ、娘からの自分勝手な手紙へ渋い顔を傍に居る長女で朱皓の姉の朱符(しゅふ)へと向ける。

 次女の目付にと付けている、朱家に代々仕えている千人隊長の張は、温の街に置き去りの模様だ。

 

「でも、母様が北郷殿についていなさいと言ったのですから~。仕方ないのでは?」

「だが、敵陣の洛陽までついて行くとは思わなんだわ。よほど気に入っているのだな」

「ふふっ、涼風ちゃんが気に入った北郷殿って、どんな方なんでしょうね?」

「……そなたも興味があるのか?」

「私もあの子の姉ですから~」

 

 母へと向かって、薄朱な腰上程のストレートロングな髪へ少し大き目な朱地と金装飾の頭冠を被る朱符はニッコリと微笑む。彼女の文官らしい服装は、朱い生地に白と金装飾で統一されていた。

 そんな様子の長女を見ながら朱儁は考える。

 領地内の西方周辺を騒がせ、大きな問題となっていた百人を超える凶悪な盗賊団を、取締り役職の就任当日にほぼたった一人の武力で一蹴し、全員を無傷で捉えたという北郷なる人物の武量とはどんなものかと考え、武の立つ娘の朱皓を温の街へと向かわせたのだ。

 そして、帰ってくるとあの跳ねっ返り娘がベタ褒めである。ああ見えて負けん気が強く、母朱儁との稽古ですら中々参ったと言わないのだが、『いやいや、完敗してきました~』と、それも―――嬉しそうにであった。

 

(涼風を完封するほどとなると、本気の私をも上回るか……)

 

 朱皓との修練は基本のみで戦っているが、手を抜いてはいない水準なのだ。

 彼が娘へ最後に見せた間合いの外から来た一撃の踏み込みは、残像しか見えないほど鋭かったと言う。

 

(そしてあの子が、すぐに反撃できないほどの痛撃を……それも本気じゃなかったらしいからな。その前には本気の拳気を片腕で『軽く』弾き飛ばして見せたり、娘の両足へ気道を封じる技も見せたというし)

 

 あの拳気は、普通の人の身だと深く抉るほどの威力がある。朱儁は若き時に、山野の村々を襲っていた巨大な野生の熊をその拳気で仕留めたこともあるのだ。

 そして今の朱皓は、その当時の自分の威力に負けてはいない。

 

(本物の、完全な硬気功ということか……歳は涼風に近い少年と言う。男では珍しくまさに気功の達人の域に達しているな)

 

 目線を右へと外しそんな考え事をする母へ、小首を傾げ朱符は声を掛ける。

 

「母様?」

「ん? あ、ああ、温県への兵の話だったな」

 

 霊帝派である朱儁将軍の勢力はすでに、反董卓で動くことは既定路線である。すでに周辺の街へも予備役の招集についての号令をかけ始めている。

 だが、全軍五万超のうちの三万を揃えるにも一週間は掛かる見通しだ。温県に朱皓が率いた二千は、この城の即応部隊の半数である。そのため、一時この城はかなり無防備になった。

 まあ今は予備役の第一陣が集まり始めており、すでに万を超えている。しかし全軍が揃うには、少なくとも半月は掛かる模様である。

 とは言え、そこまで待ってもいられないのが現実の問題なところだ。

 

「はい。今のところ曹操殿からは共闘の話は来ていません。まだ退却の途中でありましょうし、一度体勢を整え直してから動くでしょう。ですが、曹操殿とは言え一諸侯では董卓の今の規模を相手にするのは厳しいでしょうから、近々共闘の話は来るでしょう。それを促す為にも温の街へ兵を」

「そうだな。我々は地理的、規模面で曹操殿以上に厳しい。だが今は、反董卓の動きが早く大きくなるよう動くべきだ。曹操殿に先んじてでも前線を固めなければならん。特に温は洛陽に近く大きな街で重要だ。先の二千に加え、今日明日にでも早急に八千は送っておこう」

「分かりました。早速準備が出来次第、四千ずつ送り出しましょう。それで温の将はどうします?」

「……ん? ふふふっ、もう張に代行をさせればでいいのではないか?」

「母様ぁ。(あぁ……張殿、お可愛そう……やぱり親子ね)」

 

 まだ、董卓軍の動きを知らない二人は、切迫した雰囲気には至らない。

 朱符は母をジト目で見るが、朱儁は、ふははと笑っているだけであった。

 

 

 

 

 

 

 夕刻前に動き始めた呂布と張遼らは、温からほぼ南、黄河から半里(二百メートル)ほど南の位置に陣を敷きつつ、陳宮との合流を待った。

 張遼は偃月刀を握るも一騎、日が落ちる寸前の黄河の南岸に立つ。そうして茶色く濁り荒々しい黄河の流れを静かに眺めていた。

 昼間の雨で湿った草の匂いを緩い風が運んでくる。

 

(さぁて……どんな戦いになるんやろなぁ)

 

 明日になるが今回最初で唯一の要害と言えるであろう、この黄河の渡航を控える。川幅は一里は優にあり、流れもかなり速い。さらに、昼間に上流へも雨が降った影響もあってか、いつもより水嵩が増してきていた。それでも渡れない状況では無い。

 張遼は、すでに周辺の村々から配下に指示を出し船を集め始めていた。

 盧植の後軍五千も合わせれば兵数は九千百程おり、渡るのは往復を繰り返してのそれなりな手間となる。

 今回は馬も多い。馬を渡すには兵よりも大きな船が必要でもある。

 幸いこの地域は渡航の要所でもあり、何万もの大軍ではない事から急な船の徴集でもなんとかなりそうであった。

 それとは別に副将ながら張遼は、先程呂布に一言告げていた。

 

「恋、明日、黄河を渡るのはウチの部隊からやで。ええやろ?」

 

 呂布を先に北岸へ送ると、そのまま突撃して行きそうであったので、一応釘を刺しておく意味もあった。

 呂布は順番には関心が無い様子で頷きながら答える。

 

「分かった」

 

 日が沈み、張遼が川岸から陣内へ戻って来た頃、陳宮の中軍二千が到着する。弓隊と歩兵と輜重隊である。

 

「お待たせしましたです! 恋殿、霞殿」

「一応、この辺りが陣地の定番やし、すぐにメシにありつけるように土竈の準備と火起こし始めてるで。船の手配もついでにやってるわ。まだ途中やけどなんとかなるやろ」

 

 張遼が、船の手配や陣と竈の準備の進捗を陳宮に伝えた。呂布は基本、こういった事はしない。配下の百人隊長の孟(もう)か陳宮がいつも行っている。今回も百人隊長の孟が動こうとするところを、張遼が「ウチがやるからええで」と告げていた。

 早速夕餉の支度の材料が輜重隊から配給されていく。

 食事の用意が出来ると、呂布の幕舎へ張遼と陳宮も集まっての夕食を取る。

 

「温の地に強い奴っていたっけ? 音々は、誰か知らんか?」

「強いかは別として……確か、県令は王渙、地域の有力者は『司馬家』『常家』『趙家』辺りですぞ。都の官僚の一人でもある司馬防は割と名が知れてますな。彼女は黄巾党の乱の一段落で、都から故郷へ休暇に帰っていたようなのです。説得し損ねてますな。有力者達は恐らく県令側へ着きそうです。それと流石に朱儁将軍は、まだ出て来ていない気が。精々、次女で武が立つと聞く朱皓辺りというところでしょう!」

「ふぅん。まあ大きめな街の温を落とせば、次はイヤでも朱儁将軍辺りが出て来るっちゅうわけやな」

 

 張遼は嬉しそうにニッコリしながら、豪快に酒を飲み干していく。

 

「あと、県令の王渙は度々王匡を都から招いていた様ですから、おそらく王匡の配下らもいる事でしょう!」

 

 幕舎の中央奥へ静かに座り、食事へ夢中になっていた呂布が、ゆっくり目線をあげて一言呟く。

 

「逃がさない」

 

 それは、静かな口調であったが、傍の二人には極刑的な宣言と等しい言葉に聞こえていた。

 

 

 

 

 

 夜が進み黄河を越えて温県へと、この世界の終末のような状況についての伝令が届けられる。戌時正刻(午後八時)頃のことだ。

 

『今夕刻前、董卓配下の飛将軍呂布が急遽、洛陽より軍を率い河内郡へ向けて北上進攻を開始。副将には張遼将軍。恐らくすでに黄河南岸まで到達している模様。なお、兵数は先方と思われる騎馬二千以上を確認―――』

 

 温城の謁見の間。

 朱儁軍将代行の張と県令の王渙が、夜にも関わらず緊急の伝令と聞き、広間へ慌てて入って来ると奥へ並んで立つ。

 先ほど夕暮れ前には、治所の懐から追加で温の街へ四千の兵が到着し、この街の朱儁軍将代行を張に任す旨の木簡が届けられてきた知らせをこの場で同様に受けていた。

 そして今は、昨日潜伏させるべく送り出していた街人風な衣装の兵が、とんぼ返りの様に帰って来ると、絶望的な内容が吐き出されてくるのをただ聞いていた。

 県令の王渙と張は静かであったが、それは咄嗟に言葉が何も思い浮かばなかったからであった。

 報告の言葉が終わり、しばらく静寂があった。

 報告の兵が怪訝に思い、下げていた顔を上げたのを見て漸く王渙の口が動いてくれた。

 

「……ご苦労……下がって今日は城で休むといい」

「はっ」

 

 報告の兵が下がる。かの者は明日再び洛陽へと戻って行く。

 張が蒼白な顔で、不安げに王渙を見ると指示を口にする。

 

「まず……朱儁将軍への使いを……そして千人隊長以上と知識者を招集して対策を……」

「……ですね」

 

 間もなく王渙の「誰かある! 火急だ! 県尉(治安の長)と、全ての千人隊長らを呼びなさい。あと、筆と木簡を」の声が広間に響いた。

 それから半時(一時間)後に、温城内の屋敷の広い横八丈(十八・五メートル)縦十丈(二十三メートル)程な一室で、二階まで吹き抜けの高い天井から掛けられた一丈半(三・五メートル)四方程の黄河以北の温周辺の大きな地図を前に、千人隊長達と知識人ら二十名余が集まって来ていた。司馬家からは司馬防、司馬朗、司馬懿が来ている。また、ここには王匡も王渙の兵の一部を任され、配下五十余を加えた兵団の千人隊長として参加している。

 今日の昼間に温城で行なわれた董卓勢力対策会議(軍議)で、司馬朗が中心に考えた策が街防衛案に採用と可決されていた。

 司馬家は日頃から街会議にて進言し、万一に備えて街周りの農地や用水路について縄張りへ取り込んで整備してきている。公共事業など建設面での才のある司馬馗と司馬朗、そして司馬懿、司馬孚も知恵を出し合っていた。

 それを生かす時が……ついに来てしまった。

 だがそれでも呂布相手の良策は、まだ出されていなかったのだ。

 正直、呂布一人に対して、一万も二万も兵を充てることは、寡兵な勢力の朱儁軍では難しいことであった。

 いきなり『呂布の襲来』と聞き、手の打ちようを思い付けず皆が地図の前で沈黙する。

 多くの者が呂布について、黄巾党の乱での噂を聞いていたのだ。圧倒的な、まさに『人中の呂布』『飛将軍』の強さを。司馬家の面々は、噂に加えて司馬防から百騎で万の兵を幾度も蹴散らした実績記録を知らされてもいた。

 また先日の洛陽動乱でも、精強で知られる曹操軍配下の夏侯淵将軍に重症を負わせ、一人で猛将の夏候惇将軍、許緒、典韋を引き上げさせたと伝わって来ていた。

 

 ―――誰にも止められない。

 

 そんな怪物が、この街への侵攻軍の『大将』で出て来るのである。

 加えて配下も副将が張遼将軍……彼女も黄巾党の乱では一度も敗走したことが無いと聞く将であった。そして先ほど追加で陳宮率いる二千も加わったとも伝わって来ていた。さらに都の東門近くでは、数千が集まりつつあるという伝令まで届いている。

 場に、重い空気が広がって行く。

 

「伯達殿……何か飛将軍への良い案はないですか」

 

 県令王渙の、首を絞めてくるような内容の言葉を受け、聡明な司馬朗も窮する。

 

「ええ……そうですね……ええっと……」

 

 一瞬、ある(この街の英雄的)人物の事が頭を過るが、戦えばまず『死んでしまう』という対戦相手にその愛しい名を出すことなど出来なかった。今、この場に居なくて良かったとすら考えていた。目線を僅かに、母へ向けると司馬防も小さく顔を横に振る。想いは同じである。

 その時―――

 

「姉さん、呂布は私が引き受けましょう」

 

 名乗りを上げたのは、これまでの対策会議で一度も発言の無かった、妹の司馬懿であった。

 しかし、相手はまさに人知と超えている呂布。頼りになる妹の申し出とは言え、まさか自分の代わりで無謀にも受けたのではないかと思え、心配になり声を掛ける。

 

「でも、仲達……」

 

 そんな、姉司馬朗の心配そうな表情と声に対して、司馬懿は口許を緩めて力強い言葉を返す。

 

「これから突貫での大掛かりな準備の必要は有りますが、実行時に兵はそう多くいりません。誰も強大な呂布に勝てないのは、『人』の極限である者に、『人』で対処しようとしたからです。だが、やつも『人』の範疇には収まる者。なれば、自然の猛威には勝てないでしょう」

「「「「おおおーー」」」」

 

 どう対処するつもりか不明ながら、司馬懿の発した希望のある自信の籠った言葉に、その場の多くの者が期待の声を上げる。そんな中、司馬懿は目線を落とし内心で呟いていた。

 

(兄さんごめんなさい……皆を守るため、今の私は―――『鬼』になる)

 

 鬼才司馬懿が、対呂布の防衛戦に大きく乗り出した。

 

 夜は進んでいくが、それに反するように温の街は慌ただしく動き出す。

 夜中だと言うのに予備役の追加招集すら始まっていた。夕方に加わった朱儁軍四千を合わせ、現在一万二千程になっていた兵力はすべて防衛に当てられる。追加の予備役も明日には二千は加わる手筈。城塞に籠った場合、攻略にはその三倍は兵力が必要だというのが通説である。今分かってる董卓側の兵数は多くても一万程。だが、飛将軍一人で一万以上の兵に匹敵するだろう。

 打って出る兵は、状況が優位になってから……敵大将の呂布が『居なくなって』からになる。

 呂布への対策も重要ではあるが、まず街の基本防衛策を同時に進行させる。

 それは、すでに区画調整されている街周辺の畑を利用した、街を囲む形での人工沼地の創出である。温の街は元々、南北側と東側の三方を川幅三十メートル程な三本の河で囲まれているところに広がっている。

 平時は堅く閉じている街の南北側と東側の三本の河側のいくつかの水門を全開にして水を大量に街周辺の畑へと引き込んで行く。周辺の農民らも道へ篝火を並べて夜通しで手伝い、牛と牛鍬や馬鍬で梳いてから水を入れ、さらにドロドロにしていく。

 そこは侵入すれば足を取られて矢の的な死地となる、堀のような幅四十歩(五十五メートル)程ある広い区域で街を囲んでいった。

 そして、呂布対策について司馬懿は、西側だけ一部沼地を作らず、幅七歩半(十メートル)ほどの直進出来る進入路だけを通して残した西側城門の周辺での作業に掛かっていた。西門周辺は一度封鎖し内側では周囲を高い幕で隠しての作業になっていた。街への出入りは南門や北門へ迂回してもらう。

 まず、西側城門の外側両脇に城門の通路の壁の延長のような奥行二十尺(四・六メートル)、高さ十五尺(三・五メートル)ほどの土の壁のような土手を作る。城門の通路に沿って内側は垂直に切り揃えられ外に向けてはなだらかに低くなる形のものだ。

 同時に工兵らを集め、城内側の城門の両脇に左右それぞれ少し距離を置いて、内部が一部屋程もある分厚い土壁の大きな土窯を作らせていた。

 他にも七寸(十六センチ)四方の柱を積んだり並べて人が通れるほどの大きな通路状の物を作らせたり、馬車にも乗る水車を少し改良した仕掛けをいくつか作らせたり、六寸(十四センチ)ほどもある釘を大量に先を尖らせてから木枠へ打ち込ませていったりした。また絵師上がりの兵らを呼んで、城門の通路の石壁に似せた絵を大きな布へ描かせてもいた。

 司馬懿は他にも細かい作業を指示していく。

 彼女の計画によれば、多少の雨でも殆ど影響はない策という。

 司馬朗も司馬懿も、呂布らを相手に黄河の渡河時に短期間で仕掛けられる策は無かった。それは、やはり『人』対『人』になってしまうから。じっと城側に籠っての必勝の時を待った。

 斥候も出しているため、非番の者は交代で寝ておく様にとも指示が出ていた。街の者の多くも、明日から無事に寝られるのかという不安な気持ちを胸に、眠りに就く。

 そして当然、夜中に逃げ出す者達もいる。相手は常勝の飛将軍なのだ。普通に考えればこの街は負けるはずと。敗戦をむかえる前に逃げる方がマシだと動いていた。それも正常な判断と言える。

 温の街は、夜を通して喧騒が続いていた。

 

 

 

 ほどなく次の日の朝を迎える。

 黄河の南岸に陣を敷いていた呂布率いる董卓軍は、朝日が昇る前から起き出し、食事を取ると卯時正刻(午前六時)頃には張遼の騎馬部隊から黄河を多くの船で往復を繰り返しながら渡河し始めた。

 張遼の部隊が終えると次が呂布の部隊、そして陳宮の部隊がと、続々と順調に北岸へと上陸を進める。

 陳宮はまだ南岸にいてこちらの岸側の指揮を取っていた。

 二時(四時間)ほど経った巳時正刻(午前十時)近くに、洛陽から後軍の盧植将軍率いる五千の歩兵団が到着する。輜重も優にひと月分程は運ばれて来ている様だ。

 

「これは子幹(しかん:盧植)殿、お待ちしていましたぞ!」

 

 陳宮が、小柄な体ながらも元気ハツラツで万歳するように、七尺二寸(百六十六センチ)程な背丈の女史を出迎えた。

 

「公台(こうだい:陳宮)殿、丁度良い時期よね? 渡河している時間を読んでゆるゆると進んで来たけど」

「子幹殿の兵らは小休憩の後、食事をされた頃に渡られれば丁度良いでしょう! こちらは渡った後の先の陣にて食事を行ないますゆえ。そうすれば、申時(午後三時)頃には全軍で北上出来ますぞ!」

「分かりましたわ。ガンバッ!だね♪」

 

 そう言って、陳宮に比して余計に目立つ感のある女性らしい豊満な胸を、些か強調するような金細工と金糸もふんだんに使われている鶯色な服装にメガネっ子さんの盧植将軍は、膝裏まで届くほど豊かな白銀から僅かに黄色掛かる天然パーマな髪を揺らしてニッコリと肘を曲げて小さくガッツポーズしていた。

 

 そのころ、呂布らは黄河北岸を少し北上したところで陣を構え、戦(いくさ)前の食事の準備をしていた。数時で移動の為に幕舎は設けていない。本陣は椅子が少し並べられただけの簡易的なものだ。

 呂布は席を外していた。彼女は今、『重要な件』を確認しに行っている。

 張遼は、昨晩より放っていた斥候から日が昇った状態の温の状況を聞いていた。

 

「なんやて!? 大きな緩衝地帯が周囲に出来てるて?」

「はい。畑と思われる箇所が、幅広く街を囲うように整然と冠水しております。少なくとも幅は三十五歩(四十八メートル)以上はあるかと。以前はそのようなものは有りませんでしたので、朱儁軍側が仕掛けているものかと。また、西側にのみ冠水していない進入路が残されております。あと城と街内の兵数ですが、朝方に援軍と思われる四千程が加わり推定ながら一万五千程はいる模様」

「だいたい分かった。動きがあれば、また知らせてな」

「ははっ」

 

 張遼は斥候の兵を見送ると、左下へ視線を外しつつ思考する。

 

(西側だけ通れるやて……まあ事前に音々から南北と東には河があるて聞いてたけど。うーん、考え過ぎかもしれんけど、なんか罠クサイなぁ。それにしても、絶対に一晩で準備できるもんやない。随分前から綿密に準備してたんやろなぁ、そんな大掛かりな仕掛けは初めてやわ。なんかスゴイのがいそうやね、楽しみやなぁ)

 

 彼女は、少し嬉しそうに顔を上げた。

 

「霞、どうかした?」

 

 すると、本陣に戻って来た呂布に声を掛けられる。

 どうやら食事の準備が出来たらしい。彼女は早く食べたいのだろう、張遼を『わざわざ』呼びに来たのだ。自分一人だけで食べないところがカワイラシイ。

 

「いや、じゃあメシを食べにいこか」

 

 コクリ。

 この時ばかりは、飛将軍呂布も口許が緩むのである。

 

 盧植の率いる兵五千も渡河を終え、呂布らの陣に合流すると、董卓軍河内侵攻軍、総兵数約九千百が勢揃いする。直ちに行軍の隊列が編成される。

 時刻は申時(午後三時)少し前だろうか。日は少し傾いてきたがまだ高い。

 そして、総大将呂布の方天画戟(ほうてんがげき)を差し上げる仕草。

 

「では、行く」

 

 その静かな掛け声のあと、『おおぉーーー!』と全軍での鬨の声が上がると、それは早く確かな歩みでジワリジワリと北上を開始した。

 

 

 

 

 このころ一刀ら一行は、無事に洛陽の街へ西側の門からの入郭を果たしていた。

 

 今朝彼は、日が昇る前の卯時(午前五時)には起きた。いや、またも起こされたと言うべきかもしれない。

 起きた時、彼の頭は司馬敏と朱皓の小柄ながら柔らかく暖かい二人の桃尻に挟まれていた上に、司馬敏に朝のもっこりな股間へ頬や鼻でスリスリとアイサツされていたのだ。

 これで起きない方がどうかしている……とりあえず寝ている間に『暴発』しなくてヨカッタ。

 まあ、素晴らしい二人の匂いは間近で堪能出来ているので気力も十分と言えよう。

 一刀はコソゴソと起き始まる。司馬敏は少し恥ずかしそうながら悪びれる様子は無い。『妻』の嗜みとでもいうのか……。

 

「おはようございます、兄上様! 今日もお元気みたいで何よりです」

「うん、おはよう、シャオラン」

 

 ナニが元気なのかは、突っ込まないでおこう。それはきっと気のせい。

 

「おはよう、北郷殿。良く寝れた~?」

 

 そう元気に挨拶をしてくれた朱皓だが、これまで男に触らせた事など当然無い桃尻を、一刀の頭へくっ付けていたのが恥ずかしく少し赤くなっていた。

 一刀は……夜中に彼女から、偶に遠慮気味ながらもっこりをサワサワと服の上からだが、撫でられていた事は触れないでおく。

 

「おはよう、文明殿。うん、大丈夫。ぐっすりだよ」

「そ、そう~! じゃあ今日も張り切って行こうか」

 

 一刀の言葉に、安心した様子で朱皓は笑顔を浮かべる。

 日が昇る前に、まず火を完全に落とす。明るいと煙はとても目立ってしまうため、消しておかなくてはならない。

 三人は早速荷物を纏めると馬に乗り、今居る北側の斜面側を慎重に通り、潜む董卓陣営の三人の斥候監視域を一時(二時間)掛からずに抜けた。

 そこからは再び緩い南側の傾斜にある獣道を進み、ついにその西側へ北から南に抜ける街道まで出た。もちろん森からそこへ出るときは、周辺に人がいない事を一刀が慎重に気で探ってからである。

 そうして街道沿いに少し南へ下り東西に通じる道幅の広い大きな通りへと出て来た。

 時刻は巳時正刻(午前十時)辺りだ。

 ここは長安と洛陽へ通じる大きな街道なので、行き交う人の数はぐっと多くなる。

 だが、これからすぐは東にある洛陽の西外郭門へは向かわない。どうも、先程からこちらへと振り返ったり、見ている男の数が多い様に思うのだ。

 一刀一行は少し西へ馬を進めて行き、出店で食事休憩すると、そこで周辺にも動かずに監視している者がいないか、追跡して来る者は無かったかを確認してから漸く東へと向かい始めた。

 そうしてしばらく東へ進むと、遂に長大な南北へ二十五里(十キロ)は連なる、都である洛陽の西の外郭壁中央部に位置する大門へ到着した。早速門を通るために馬を降りると、待つ列の最後尾へと並ぶ。

 予定通りに先程から商隊隊長を朱皓にお願いしている。彼女が先頭で入郭の検問を待っていた。

 その時に、門から出て来て近くを通っていった数人の商人らの話の中で、一刀らは気になる内容を聞く。

 

「おい、そういえば董卓軍が東門からどこかに攻め込む為の軍を出撃させたらしいぞ」

「うわぁ……でも、これから西へ向かう俺達は安全かなぁ」

「多分な。洛陽より西方には前の皇帝様寄りの勢力は少ないからなぁ」

 

(なんだと?!)

 

 一刀と朱皓らは顔を見合わせる。

 早く、郭内へ先行しているであろう一刀の配下らと落ち合う場所へ向かいたい。だが、焦ってはいけない。ここはもはや敵の本拠地。

 それに出発時の温には八千程の兵と司馬懿もいるのだ。並みの兵団では返り討ちになるのだから。

 一刀と司馬敏はそう考えれた。だが、朱皓は司馬懿の凄さの半分ほどしか知らないのもあって少し目線が落ち着かない。

 

「文様、大丈夫ですよ」

 

 三人は、洛陽では名前を偽装するため、一刀は『郷』、朱皓は『文』、司馬敏は『幼』で呼び合う事にしている。

 一刀の人物と強さを信じている朱皓は、彼の言葉で少し落ち着く。

 

「そ、そうだよね。大丈夫、大丈夫~」

 

 多少ぎこちないが彼女も笑顔に戻る。

 洛陽ともなれば大門の守衛や役人の数は多く、門も幅で八丈(11メートル)と広いので同時に検問が進み流れはスムーズだ。一刻(十五分)も待たずに一刀らの検問の順番になった。前後の役人らの動きからこの場では『賄賂』は無くなっているようである。通行証と用向きと身形に荷物を調べられて許可を受けて通行しているように見えた。

 しかし、どういう訳か先ほどまで端にいた実剣を腰に差す男の守衛長らしき人物が、一刀の商隊の先頭に居る朱皓の前へ進み来て尋ねてくる。

 

「用向きはなんだ?」

 

 一刀は忘れていた。そして先ほどより周囲から良く『振り返られる原因』が分かった。

 雲華と街へ行った時と同じ事が起こっていたのだ。朱皓と司馬敏が『可愛く美人』であったため、通行人や門にいた守衛や役人らの注目を集めてしまっていた。

 

「はぃ~、実はなるべく安い良質のお茶の葉を探しに、弘農手前の湖(コ)の街近くの村より参りました。天下一の洛陽の都ならきっと見つかると」

「そ、そうか、すばらしい。……あの、暇な時間は……ないかな? 一緒に食事でも」

 

 いい歳の守衛長に詰め寄られる朱皓は、苦笑いを浮かべている。

 

(何かスバラシイんだよ、コイツ。仕事中に口説くんじゃない)

 

 一刀がそう考えていると、周囲からも「衛長、ずるいなぁ」「アンタ、今付き合ってる飲み屋の女はどうするんだよ?」等のヤジが起こる。

 「うるさい! 俺は今に生きてるんだよ」と開き直った反論をする。言い訳はいつの時代も変わらないらしい。

 すると朱皓が言って……やった。

 

「すみません、時間も無いですし~。あと、許嫁が西方の地元で待ってますので」

「ぐはっ」

 

 守衛長は天を仰ぐようにクラッとする。あっけなく撃沈されていた。

 しかし、彼はなおも食い下がる。もう一人の街娘な服を着る、可愛く掴む為の栄光の部位がおっきい司馬敏に目を付けたのだ。目線を露骨に双丘へ向けつつ懲りずに言い寄る。

 

「えっと、君は……暇はないかな? 綺麗な服が欲しくはないか」

 

 すると、司馬敏は恥ずかしそうな表情で言ってしまった。

 

「すみませんです! 横にいますのが……お、『夫』です!」

「「「「「「!………」」」」」」

 

 守衛長の目が、いや、彼だけの目ではない。周囲にいる若い衛兵や役人の男達が、鋭く一刀を『血走った目で』睨んで来ていた。加えてなぜか列に並んで待つ人らや朱皓までがジト目だ。

 彼らの目が訴えていた。

 

 『毎夜、その幼い感じのカワイイ娘のおっきい胸を弄んでるのかぁ? 散々子作りに励んでるのかぁ』と。

 

「おい、お前!」

 

 突然、その睨む守衛長が、一刀の肩を力強く掴んで来た。

 一刀ら三人は一気に緊張する。

 

(まずい。今、捕まる訳には……)

 

 一刀は一瞬『闘い』の決断をも考えようとしていた。

 すると、守衛長は静かに目を閉じると……言った。

 

「―――大事にしてやれ。だが、夜はホドホドにしろよ―――通って良し!」

 

 一刀らは、無事に門を通過していた。

 

(ふう、ヤレヤレ、通れて良かった。でも……通行用の木簡を確認してないだろ、守衛長のオッサン! 穴の開いたザルじゃねぇか)

 

 そんな西門での笑い話は後に置いておき、一刀ら三人は急ぎ先行している一刀の配下達と接触するための場所へと急ぐ。

 そこは都市の中心、洛陽城南の大通り近くから一本道を入ったところにある大きめな老舗の本屋である。

 味方かどうかの判断は『白い羽』だ。それを荷物や服に付ける。

 だが、単に『白い羽』では当然間違える。

 そのため、加えて白い羽の真ん中に墨により、『・(点)』を付けた物で差を付けることにしていた。

 情報が無ければ点は一つ。この時は互いに素通りだ。

 情報が有れば点は二つ。この時には静かな本屋を出て、人通りが多い喧騒な場所で並んで歩きながら情報交換する。

 話しが終われば羽は点一つの物へ戻す。

 なお情報が無ければ、羽は外していてもいい。

 また本屋内に点の羽を持つ者が三人以上いれば、四人目以降は店内を素通りして外へ出ることになっている。あまり集まると目立つようになるからだ。

 一刀らはその本屋を見つけると、近くの馬止へ馬を繋ぎ、急いで中へ入る。

 そして探す。

 

 

 すると、点二つの羽を差してる者が―――十人ほどもいた。完全に異常事態だった。

 

 

 一刀が目で合図を送ると二人が外へ付いて来る。一刀の配下二十人の中でも隊長格に指名していた二人だ。

 馬は一時馬止に止めたまま、朱皓らも含め五人は道へ歩き出すと配下の一人が話し出す。

 

「長(おさ)、一大事です。すでに温の街へは昨夜に知らせていますが―――」

(き、昨日の……夜ぅぅ?)

 

 話の内容がオカシイ。一刀には付いていけていない。彼の背中を、静かに冷や汗が流れていく。

 どうやら、司馬敏と朱皓と添い寝をしながらスリスリサワサワしてもらっている場合では、完全に無かったらしい。

 配下の衝撃的な話は続いていた。

 

「―――昨夕に董卓軍が河内郡へ進攻し始めました」

 

 一刀は、鈍器で頭を殴られたほどの衝撃を受けて立ち止まる。横にいた司馬敏、朱皓らも顔色を変えていた。しかし話はまだあるため五人は再び歩き出す。

 さらに、まだまだこれからという内容が続いて出た。

 

「その董卓軍を率いるのは、呂布将軍。副将は張遼将軍―――」

 

 一刀らは、完全に立ち止まる。その配下の者は、立ち止まったまま全てを話し続けた。

 

「―――以上両将は騎馬隊二千強程。中軍は軍師陳宮率いる弓隊含む二千、そして後軍に盧植将軍率いる五千です。今朝早くから黄河の渡河が始まった模様。早ければ恐らく今頃は、北岸に全軍が上陸完了しているかと」

 

 往来の中で五人が立ち止まると邪魔で目立つことから、すぐ脇の人気の少ない小道の袋小路へと入った所へ寄り、配下のもう一人も話始める。

 

「昨夜温へ内容を知らせた私は、今朝まで温におりました。街には昨夕と、今朝早くに朱儁将軍より懐から四千ずつ、合計八千の兵が増援で増えております。また、飛将軍呂布の対応に司馬仲達様が策を持って当たられております。そして、洛陽への帰途に私が確認しましたときは辰時(午前七時)でしたが張遼将軍の『張』の旗を持つ兵と馬が多数の船で渡河しておりました。時間的に見てすでに全軍がほぼ北岸へ上陸していると私も考えます」

 

 飛将軍呂布の率いる軍。はたして止める術があるのか。

 配下二人は次の指示を待つため、一刀を見る。同様に朱皓と司馬敏も一刀の判断が気になり一刀を見た。

 

 だが、その一刀は、下方の一点を見つめて―――僅かに震えていた。

 

 一刀の知る歴史上で呂布と司馬懿は対戦したことは無い。

 司馬懿は確かにスゴイ。精密な思考と策にしろ、剣の腕も一角の武人としての力量もあるだろう。

 だが、先日『寛ぎの広間』で司馬防の話す呂布の戦績を横で聞いていた時に感じていた。この時代の呂布の出鱈目な強さは、もしかするとあの『修羅仙人の雲華』にも通じるんじゃないのかと。

 

 そんな怪物には……ドンナ策モ通ジナイ―――。

 

(マタカ、俺ノ遅レタミスデ大事ナ者達ヲ助ケラレナイノカ……)

 

 一刀の意識は、深い闇へ落ち込もうをしていた。

 

 

 

 

 北上を続ける董卓軍の先頭は、飛将軍呂布率いる『修羅の』騎馬百。そして張遼将軍の『神速の』騎馬隊二千。次に陳宮の率いる中軍二千が進み、後軍の盧植兵団五千が整然と続く。

 四将が揃っての事前の話し合いで、結局温の街の南の老蟻河(ろうぎが)を渡り、西側の平原から回り込んで堂々と街側へ進軍しようということになった。

 『城塞に騎馬』という通常では相反する組み合わせなのだが……飛将軍は黄巾党の乱で、城塞戦をも旗下百騎でいくつも熟して来ていた。

 やわな城門など、破城槌のような方天画戟の一撃で粉砕され、城内も縦横無尽に百の騎馬隊で駆け抜けていた。城壁の上までも階段を馬で駆け上がり突き進んで行くのだ。

 その悪鬼のような騎馬軍勢の光景に、黄巾党の兵らは城から命からがら逃げ出すしかなかった。

 諸侯相手の城攻めは初となろうが、状況は『そう変わらんやろうなぁ』と張遼は見ている。

 

 そこそこの武人や策では呂布の猛進撃は、まず『止められない』から。

 

 先程までいた北岸の陣から温の街は十二里半(五キロ)ほどしかなく、申時正刻から三刻強経った(午後四時四十五分)頃には、温の街の真西三里(一・二キロ)ほどの距離の平原や畑が広がる場所へ素早く軍の展開が終わっていた。

 日は結構傾き、夕暮れが丁度背中側に近付きつつある。

 そこから、張遼と呂布は十数騎を伴って、様子見で城側に寄って行く。

 

 温の街は、城以外の街も大きく囲う様に外郭壁が連なっている。その壁上には兵らと共に『朱』の文字の旗が多く並ぶ。また、県令の『王』の旗や『司馬』の旗も稀に見えている。

 街の西側に城が位置し、高さ四丈半(十メートル)程の城壁の二里(八百メートル)程の横幅に対して、その西の城門はほぼ中央の位置にあった。門の高さは二丈無い程(四メートル)で幅は二丈と少し(四・五メートル)。

 不思議に思えるのが、門より少し離れた城内側の両側から盛んに煙が上がっている。おそらく、豊富な水源を生かし城壁上から熱湯でも掛ける為に火でも起こしているのかもしれない。煙の量から、かなり火が大きいように感じるが。それよりも……。

 

 今、その西城門は――――全開されていた。

 

 扉は分厚く重たい木製で鉄の補強板にゴツイ鋲打の入った一枚扉が、天井から絡繰りで吊り上げられ落とされてくる形だろうか。

 随分傾いた日を受けて、遠目に門の通路の中まで光が入り城内まで見通せるが『扉』らしきものは見えない事からそう想像出来た。ちなみに一般的に扉は外側寄りにある。それは、万一の場合に通路を岩や土砂で埋め厚く扉ごと塞ぐことも出来るためだ。

 さらにこの西門より真っ直ぐに自分達の傍近くまで伸びている進路は、掃き清められたかのように綺麗に見えた。

 そして、呂布らは気が付く。

 

 よく見ると、一人の人物が開いた西門の前、六十歩(八十二メートル)程外に立っていることに。

 

 相手は一人。

 張遼が出ようとするところを、呂布が手で制する。

 

「恋が行く」

「……分かった」

 

 この侵攻軍の大将は呂布である。ここは大将の面子の掛かるところだ。張遼が出るわけにはいかなかった。呂布はゆっくりと一騎で馬の歩を進める。

 西門の前に立つ人物に対して、半里(二百メートル)強程離れたところで相対する。

 ただ一人、地に立つ人物が先に声を上げる。

 

「呂布将軍とお見受けする。私は温の顔役『司馬家』の次女、司馬懿仲達と申す。温の街へ如何なる用向きか?」

 

 物々しく軍を率いて来る者に、無駄とも思える事を改めて聞く。これは、その者がどう答えるかで『人物』を見る意味も含む。

 この時張遼は、『しまった』と思った。相手は朱儁軍の代表でも、県令でもなかったのだ。自分が出ても問題がなかったことに。

 そして司馬懿の質問へ、呂布はこう答えた。

 

「王匡の配下を出せ」

 

 呂布は駆け引きなどしない。それは、その先に多少の策があったとしても関係ないからだ。その自信と実力が駆け引きを必要としていなかった。

 なので目的を『素直に』そのまま聞かれた相手へと告げていた。

 それを聞いた司馬懿は、呂布と言う人物を掴み、内心でニヤリとして提案する。

 

「よろしい。将軍が私を倒せたら、要望に応えましょう。如何か?」

 

 司馬懿は、有無を言わさないように早々と剣を抜いていた。

 

「……いいよ」

 

 呂布は言葉と同時に、右手に持つ方天画戟の握りを強めると、操る馬を司馬懿へと駆け出させる。

 

「待て! 止まれ、恋―――!」

 

 後ろから張遼の声が聞こえるが、動き始めた呂布は止まらない。

 

 県令の王渙、朱儁軍将代行の張に、王匡、そして司馬防と司馬朗らは、守備兵達と共に城壁から静かに司馬懿のこの恐るべき『鬼の計略』を見守っていた。

 それはまさに飛将軍を、呂布を『人ではない力』で『殺害する』為のもの。

 だが今この時も、司馬懿はすでに一つ大きな掛けをしていた。

 それは呂布との距離だ。

 

 司馬懿も全力で駆け出していた――――――西の城門へと。

 

 

 

 

 クルクルツインテールな彼女は、『彼』の異変を感じ取った。

 何故なら彼女はずっと様子を伺っていたノダ。そう、自らの主の様子を。

 主である『彼』は深く暗い闇へ落ち込もうとしていた……。

 

 『究極の木人』な彼女は、夜中に主がずっと傍の女達と離れずにいた事も、いつの間にか二人の女の桃尻に頭を挟まれていた事も、股間のもっこりへ女の顔でスリスリされていた事も、それをもう一人の女の手でサワサワされていた事も、すべてしっかりと把握していた。

 

(主様は女がタイヘンお好きなようね……フン)

 

 だが、自分も『女』の体をしていた。彼女は少し安心する。

 

(……私も、気に入っていただけるかしら……ハッ、私ッたら何をバカな事を!)

 

 そんな『女好きな主』が早朝から移動を始めると、彼女もその後にコッソリついて移動を開始する。

 だが、斥候の監視域を躱し西へ進み、ついに森を出ようとしたところで、彼女は朱色の大きな箱を担ぐこの『才気に欠ける格好』で主を追い続けるのかと再度迷う。彼女の才能と人格は三大英傑筆頭のアノ人物なのである。自負というものがあった。

 だが、彼女の人格は『覇王』ではなかった。

 

 『能臣』であったのだ。

 

 彼女が選んだのは、この森から踏み出して主へとついて行く事であった。そのために『小さい事』へは目を瞑ろうと決める。

 朱い大きな箱が彼女の背で揺れていた。結構この姿へ目を向ける者がいる。些か男に偏っていたが。荷は朱いが少し大きいだけで珍しいものではなかった。しばらく歩いていると、それ以上の原因があることに気付く。綺麗な髪に桃と朱色な可愛い色合いの服装で、彼女が美人な方が注目されていたのだ。そのことが分かるも、これは諦めるしかなかった。とりあえず、箱の中の足元の端にあった数枚の紺の布地のうち大小二枚で、鼻から口許と服装の上に羽織って隠し凌ぐことにする。

 主は少し南へ向かい、今度は大きな街道を西へと向かって行ったが、少し進んだ所でしばらく止まる。その姿を気で細密に探ると、どうやら食事を取っているようだ。

 彼女自身も人の体も持つため『お腹が空いて』いた。山の中で沢の水を結構飲んだが、水だけではやはり空腹は凌げないようだ。

 彼女も知識としては色々知っている。

 店に入って食事を取るには『お金』が必要なのである。

 しかし、『●琳様人形』であった自分にそんな持ち合わせはなかった。

 だが、どうすればお金が手に入るかは知っていた。

 彼女は道の端へ寄り、朱い箱を下ろすと箱の中に残っていた十枚程の上質なブラウス風な服を箱の上に並べて―――売り始める。

 彼女はこれが、とても人気のある『裁縫師』の作った上質な服だという事を知っていた。人形製作者の色々な思いが、彼女へ籠っていたようである。

 それらの服が実際にどう良い作りをしているのかを、凛とした声で丁寧に『売り子』として説明していると、彼女の周囲へすぐに人が集まって来ていた。口許や服を紺色の布で覆い隠していようとも、艶やかなツインテールの髪や美しい眼光に眼力の有る瞳等、溢れ出す彼女の高い魅力は自然に人を引き付ける。途中で何度か、ウチの店で働かないかという誘いさえ受けていた。

 そのうちに、商人風なお金を持っている女人が言い値で買って行ってくれる。

 彼女は『値切る』人物には売らずに『気前のよい』人物に売った。

 服は数枚しかなかったが、彼女の売り方も上手く、物自体も良かったので良い値で売れ、ひと月近くは暮らせるほどのお金に変わった。実はまだ、数枚下着が箱にはあったが……それは着替え用にするつもりである。

 そのお金で長物用の背負子(しょいこ)も買い、主とは別のお店で食事を取る。その店の料理人の腕は今一つであったが、不問にする。

 それと入れ替わる様に、食事を終えた主らが今度は街道を『東へ』と向かい始めた。どうやら洛陽を目指すようだ。

 主が店の外という、ごく近い距離を通って行く。しかし、彼女は気の大きさを並みの人程度まで小さく下げていた。

 一刀の気の全周警戒は主に大きさを見ており、個々について自分と同質という所まで細かくは見ていなかった。

 なので主は彼女に気が付かず、そのまま街道を東へと進んで行った。

 二刻(三十分)ほど遅れて、彼女はお腹を満たし店を出ると再び朱い箱を背負って主のあとを追う。

 そうしてしばらくすると主らは西外郭の大門に並び、無事に中へと入っていった。

 しかし、彼女は門へと近付く道で、知識が有る故に困った。

 

(……通行証がないわね)

 

 朱い箱は兎も角、身形は良いため、通行証の木簡が無いのは些か不自然であった。

 まあ、あの守衛長なら美人なだけで通してくれそうだが、彼女はそんな事は知らない。

 通行証は、住む街や村の役所に行ってお金を払えば、木簡へ行先と職業と有効期間を記し、役所の焼印と朱印を押して発行してくれる。

 しかし、それよりも重要な事を彼女は知らなかった。

 

 自分の素顔が、董卓勢力下では『お尋ね者』であるという事を。

 

 一応、今は偶然にも紺色の布で口許や、服を覆う形の姿ではある。

 それに加え、彼女はこの洛陽で動乱があった事も知らない。ここは霊帝の治める都市だと古い知識しか持っていないのだ。

 だが、通行証の木簡が無かったことは結果的に良い状況に進む。

 彼女は『門を通らなかった』のだ。

 広範囲の気を探り、西外郭の壁周辺について外と内で守備兵の薄い所や不在なところを把握する。そして、至高の気を吹き込んでくれた主から引き継いでいる『神気瞬導』の力を駆使する。

 街道から少し外れた人気のない場所から、箱を背負いながらも『暗行疎影』と『超速気』で、僅かに目の錯覚のような残像のみを残す動きにて見つけた手薄な場所まで移動し、一瞬で壁を垂直に駆け上がると誰もいない城壁上の楼閣へと入った。そして、機を見て内階段も再び『超速気』で駆け下りて人知れず郭内へと出て行った。

 それからは再びゆっくりと人波に紛れて大通りを歩きつつ、一刀の後を付けていたのだが。

 

 その主の気が、突然急速に深く暗い闇へ落ち込もうとしているのを感じた。

 

 その理由は良く分からない。

 だが、その状況を『臣下』として見過ごせなかった。『自分ほどの人物』の主が自思考だけで『壊れて』しまうなどアリエナイ、有ってはならないと。

 彼が主に相応しいかを探っていた彼女だったが、『そんなこと』は後回しの状況だと行動を起こす。

 彼女は、洛陽城南の大通りから一本入ったあの本屋のある通りを進み、袋小路に立ち止まっていた五人の集団のところまで一気に近付いて行く。

 

 そして、彼女は『府抜けている』主の―――一刀の右の頬を張り倒していた。

 

 

 

 暗い縁に落ち込みながらも一刀は気が付いていた。『ダレか』が一瞬で近付いて来たことを。そして、振り下ろされた手を『超速気』で『避けた』つもりであった。

 だが、一刀はその右の頬を思いっきり打たれていた。

 そして、その威力で飛ばされ二十歩(二十七メートル)程ある袋小路奥の壁際へと転がる。

 他の四人は、いきなり朱い大きな箱を背負った紺色の生地を纏う見知らぬ人物が横に立っており、一刀が視界から消えていたこの一瞬の出来事に驚く。

 『あの』一刀が一撃を受けたのか飛ばされるように道の奥へと転がっていったのだ。

 

「兄上様!」

「北郷殿!」

 

 二人とも急展開に偽名の事が飛んでいた。

 道の往来の人々も、叩かれ周辺に響いた鈍い音と人が転がる道の脇の袋小路で起こった出来事に、一瞬数名が何事かと小路口で足を止めるも我関せずとまた歩き出していく。

 四人の内、司馬敏と朱皓は直後に反応し、すでに朱い箱を背負う人物と一刀の間に立っていた。

 

「お、お前は誰―――」

「だまりなさい! 今はその後ろの方に話があります」

 

 司馬敏が朱い箱を背負う人物に食って掛かろうとしたが、その彼女に一喝された。

 その強い口調の言葉から、並みの者では無い風格と威厳と威圧を感じて、司馬敏の言葉が止まる。

 その時、司馬敏、朱皓の二人の肩へ後ろから『ぽん』と、いつの間にか立ちあがって来ていた一刀が手を掛ける。

 

「いいよ、幼も文様も。なに、ちょっとした『身内』かもだ。大丈夫、下がっていて」

 

 『身内』と聞いて一瞬二人は驚くが、一方で一刀からは尋常ではない気勢が感じられ、二人は一刀の後ろへ下がる。

 頬をかなりの威力で叩かれた彼だが『硬気功』を瞬間に纏っためダメージは無かった。だが、その時全力ではなかったが『超速気』で躱せなかったほどのスピードで打たれ、『硬気功』が無ければ首が十分折れるほどの威力を受けた。それでも、向こうもまだおそらく全力ではないだろう。もはや一瞬の油断も出来ない。

 それと前に立つ者には見覚えがある。黄色いクルクル髪のツインテールに凛々しい目元の表情、そして自分に近いこの気質、おそらくあの人形である。彼女の登場には自分が噛んでしまっていると感じていた。

 しかし、雲華に忠実な木人くんを見ている一刀には、『主をコロス木人』など考えられない。

 なのでこの状況、完全に目の前のモノは何者かの刺客としてやって来たと考えるのが妥当に思えた。だが一点だけ良く分からない。目の前のモノがどう視ても『人』に見えていた。透過する構造がすでに人形ではなく、『女の子』なのだ。だが今はそのことは後に回す。

 闘いが避けられないのなら、一刀は出来れば場所を変えたかった。人の往来の近いこんな所で全力同士で暴れれば死人が多く出てしまう。

 

「……で、話ってなんだ? 戦うつもりなら、出来れば場所を変えたいけど」

 

 彼女は一刀からそんな言葉を受けた。

 どうやら、正気へ戻すつもりで主の『硬気功』を確認した上でも響くように『少し』力を入れてひっぱたいたので、主は何か勘違いしているようだ。だが、それならそれでと、彼女は利用する。

 

「弱い者を相手にしても下らないから、ちょっと活を入れに来ただけ。なにを深く悩んでいるのかしら? 事情は知らないけれど、貴方は今、本当に持てる全力を尽くしたと言えるの? 本当に全力を尽くしたのなら、暗く落ち込んで『後悔する』ことなど何も無いはずよ」

「なに?」

 

 だが、一刀は言われたことがすぐに思い当った。

 

(そうだ。いつも全力を尽くした雲華はそうだったじゃないか―――)

 

 一方で一刀は思う。雲華の最後の時、自分は本当に手を尽くしたのかと。

 今気が付く。自分の『全ての気』を……『命の気』を使い切ってはいなかったことを。加えて彼女には凄い『師匠』がいたじゃないかと。その師匠のところへ直ぐに連れて行けばまだ手があったのではないのかと。

 そして今。

 

(まだ時間や、手は有るんじゃないのか。いや、まずオレが全てを掛け、全力で街へ戻らないと―――考えるのはそれからだ)

 

 落ち込んでいる時間など微塵もない。そんな気迫に、一刀の目へ力が漲って来る。

 

(ふう……手の掛かる主様のようね)

 

 『究極の能臣』は、主が持ち直して内心ホっとする。

 一刀は、箱を背負う彼女に正面から向き合い尋ねた。ただ絶対に、仙人関係の事は隠さなければならないため、偽装的な『身内』を意識した中途半端な言葉が出る。

 

「キミの名は……えっとなんだっけ?」

 

 『究極の木人』は一刀にそう問われ一瞬言い淀む。本来、木人の『名』とは主が付けるべきモノなのだ。しかし、彼女にはすでに『元々の名』があった。

 また、初対面にも関わらず、何やら彼の言葉に齟齬がある。利口な彼女はソレに彼が先ほどの『身内』と言った部分に拘りたいらしい意図を感じ取っていた。

 そして彼女は主の姓が『北郷』という事を知っている。

 ここは余計な事を言わず、無難な言葉を返してあげる。

 

「……姓は『東郷』、名は『操』と書いてトウゴウソウよ。よく覚えておきなさい」

 

 彼女は『夏候』は名乗らない。通常、子は父方の姓を名乗るためだ。

 だが彼女は『北郷』を名乗らない。それは――この大陸では同姓不婚があったから。

 

「……(と、東郷だと……俺に合しているのか……)分かった。じゃあ、東郷。今は俺の行く場所へ付いて来て。落ち込む用件を片付けれたらキミの相手にもなるよ」

 

 一刀は、この東郷操をこの場から、自分を餌にして引き離しも同時に考えていた。残り四人の力ではこの彼女への対抗はまず難しいと思えたからだ。

 一方、『行く場所へ付いて来て』……そんな一刀の言葉に、彼女は内心でドキリとしてしまう。主様からの初めての『ご命令』なのだから。

 

「いいでしょう」

 

 彼女は目を瞑り顔を逸らして、それらしく受ける。だが、彼女に犬のような尻尾が有れば、ご機嫌に振っているのが見えた事だろう……。

 とりあえず一刀は考えていた、自分の事はすべて後だと。

 

 『ただ―――皆を助けたい』

 

 今はそれだけだった。

 東郷操とも用件は纏まり、一刀は四人へと向き直る。

 

「皆はここで役目を。俺が温まで全力で行ってくるから。文様、戻ってくるまでここをお願いします」

「分かった~。必ず戻ってよね」

 

 一刀は頷く。

 

「兄上様! 皆を街を……」

 

 少し泣きそうになってる司馬敏へ、一刀は優しく頭を撫でてやる。

 

「分かってる。守ってくるよ」

「こちらはお任せを。御武運を!」

 

 配下の二人が一刀へ伝える。

 一刀は小さく頷くと東郷操へ目線を送る。

 彼女が頷くと同時に、二人は朱皓らの傍から―――消えた。

 

 一刀は駆ける。『超速気』を全開にして。

 彼らが駆け抜けたのは、人の歩いていない建物の屋根や塀であった。垂直な壁すらも走った。

 そしてあっという間に東の外郭壁も飛び越えていく。そのまま黄河の南岸まで、三十キロ弱を『数分』で到達する。

 驚いたことに、そんな一刀の動きに対して、東郷操は朱い大きな箱を『背負ったまま』で付いて来ていた。空気抵抗は一体どうなっているんだろう。そんな疑問も浮かぶが、今はどうでもいい。

 次に黄河を渡る。

 だが、さすがに狭くとも五百メートル以上もある川幅をジャンプ台も無く一気に飛び越えることは物理的に出来なかった。

 じゃあ、やはり船か? ―――否。

 だから彼は『超速気』の限界で走る。

 ご存じだろうか、時速二百五十キロで水面に激突するとそこはコンクリートの固さに匹敵するということを。

 

 

 つまり、それ以上のスピードで蹴り、彼は水面を―――突っ走っていた。

 

 

 

 

 

 

 司馬懿は、温城の開いたままの西城門へと走り出す。それを馬で追う形の呂布。

 対峙していた折に、司馬懿の弾き出したその時間差は、おそらくゆっくりと呼吸を数度出来る程度……現代時間で十秒も無い。

 二人の距離が九十歩(百二十四メートル)以下だと時間差が無くなり危なかった。

 だが半里(二百メートル)はあった。

 つまり呂布側は門まで三百メートル弱。馬が早いと言っても、ゼロからの加速となれば二十秒近くは掛かる。

 司馬懿は門の通路内を通って城内側へと入る。そこは広場になっており、城門通路から出て四歩(五メートル)程の位置で剣を握ったまま呂布を待つ。

 その通路の長さは、九歩無い(十二メートル)程。

 その様子を呂布も当然追いながら見ていた。

 だが、この通路を無事に駆け抜ける姿を見られる事自体も、司馬懿の計略として炸裂していたのだ。

 

 普通に『駆け抜ける事が出来る』と―――思わせる為に。

 

 呂布は、迫る城壁からの無数の矢を、小虫を払うかのように方天画戟で全て弾き落としていく。そのまま西城門へ全速で突入しようとする。

 だが、門の通路へと入る直前に彼女の本能が『異変』を知らせていた。先ほどまで気にならなかったが通路外側の土を盛った土手が目に入る。加えて、通路の床に違和感を感じた。石の様には見えたが……『絵』であったから。

 だが、馬は急には止まらない。

 馬が門の通路へ一歩目を踏み出すと馬の脚の甲へ、何本も長い釘が突き抜けて来ていた。馬は血を流そうとも進む勢いで、二歩目三歩目四歩目と足を踏み抜きながら中へ進んでいく。

 そう、床全面が六寸(十四センチ)程の釘によって覆われていたのだ。

 当然、入口の土もその分綺麗に嵩上げされていて表面上は平坦に見せていたのだ。

 司馬懿は、僅かに作られ絵の下に隠されている小さな『飛び石』の位置を全て正確に記憶していた。他の者では踏み抜いていただろう。

 さらに、絵の布は事前に踏み跡まで無数に付けられている念の入れようであり、『飛び石』の位置は全く判断出来なかった。

 更に、それ以上の脅威が呂布を襲う。

 司馬懿が先に立つ通路出口側の下部両側から人が通れるほどの高さのある木の通路のようなものが顔を出す。そしてそこから透明な何かが勢いよく流れ出て来た。その途端、通路の温度が急上昇する。

 そう、これがこの通路を『死地』に変える秘密兵器であった。

 司馬懿が呂布を葬るために用意した策、それは―――

 

 

 

 即席の熱風放射設備であった。

 

 

 

 城門通路の両脇に設置された、中が大きな部屋程もある二器の土窯の中で大量の材木を鞴(ふいご)も使って盛大に燃やす。炉内上部に貯まった高温の空気を、馬車にも乗る水車を少し改良した、歯車も用い数人の兵らが交代で回す大型送風機を数台作らせ、それで延々と発生する高温の空気を押し出す。

 家が燃える火災でも、熱風の温度は七、八百度はあるのだ。それを一分も受け続ければ『熊』でも命は無い。生物である以上、呼吸をすれば肺も焼け、生き残ることは理論上不可能であった。

 その高温の空気を七寸(十六センチ)角の柱を並べて作成したダクトのような通路に通す。柱とは完全に燃え切ってすら崩れることは無いのだ。火を噴きながらも熱風は通路を吹き抜けていく―――。

 

 つまり、どんな豪傑でもこの策をまともに受ければ『人』である以上ひとたまりもない。

 

 床は堅い長い釘で覆われ、踏み抜いた場合、動くことは出来なくなるだろう。

 呂布の乗る馬は全速で駆けて来ていたため七歩目まで進むと入口から五メートル近くは侵入していた。そして、その馬体はすでに斜めに倒れ始めていた。

 普通この場合、距離の近い入口側へ、方天画戟を使って片足の踏み抜きを覚悟してでも戻るという選択が賢いと考えられる。

 それを考え通路外側の土を盛った土手も、入口側に逃げた時用の有効範囲を伸ばす為のものであった。

 

 だが、呂布は恐ろしい。彼女の『本能』は司馬懿のこの死地の策を上回っていた……。

 

 呂布は遊びのある右腕の白い袖で顔を隠すと目も閉じ呼吸を止める。

 そして倒れながらの馬上から飛び―――幅四丈強(四・五メートル)程ある城門通路内の床から低い位置の左右『側面の壁』を交互に蹴って、目にも止まらぬ速さで『前進』して来たのであった。

 上部へ上がりがちな熱風を極力避け、床の踏み抜き釘をも同時に躱して見せたのだ。

 その瞬間的な行動力に司馬懿すら驚愕する。

 

(……バカな、飛将軍に恐怖心はないのか)

 

 しかし、いかに呂布でも、出口付近の両端は熱風の吹き出し口があり近寄れない。つまり、城門通路を出た中央位置付近に着地しなければならないのだ。

 だが司馬懿も―――それを見越し、そこに万が一の『最後の策』を残していた。

 呂布は宙を舞いつつ、城門通路から飛び出して来た。そして、目を開くと彼女も気が付く、司馬懿の『最後の策』に。

 それは単純な蓋のある巨大な落とし穴。

 司馬懿が通り抜けた時に留め具が外されている。踏めば落ちるのみ。

 穴の底ほど広くした形に掘り込まれた底に無数の鋭い鉄の杭を打ち、油を敷き、門上の楼閣や城壁から火矢の雨を見舞う。後は焼き尽くすだけだ。

 最早、そこへと着地しなければならず、踊り出した呂布の体はすでに空中である。

 いかに飛将軍でも空中で水平移動はできず、飛び続ける事も出来ない。

 

 司馬懿は笑っていた、鬼の顔で。

 

 しかし―――呂布も笑っていた。飛将軍の顔で。

 

 呂布は使う、『方天画戟』を。

 そう、城門通路の出口ギリギリの床を、剛力を持って方天画戟で思い切り突く事で驚異的な前進推力を得ていた。

 呂布は、司馬懿の『立ち位置』へ方天画戟を振り下ろしつつ悠々と静かに着地する。

 司馬懿は、その直前に『立ち位置』から下がるしかなかった。その立ち位置寸前までが落とし穴であったが、呂布はそれにも気が付いていたから。

 しかし司馬懿は、この超人へ臆することなく剣を構える。だが、この瞬間に死を覚悟していた。

 策は破れたのだ。

 

(……これは勝てぬ。この身体能力と目で追えぬ動き、瞬間の行動力―――もはや人を超えている。ああ、姉さん……母君、妹達……一刀兄さん、ごめんなさい)

 

「熱い……痛い。……傷を負ったのは初めて。やるな、お前」

 

 呂布は、無傷ではなかった。服から肌の露出した両肩と腹部を火傷していた。

 

「お前、司馬懿と言ったか、覚えとく。だが、死ね」

 

 呂布の方天画戟が見えない速さで、司馬懿の首へと振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 

 一刀は『超速気』で地を駆け続けていた。すでに温の街の城壁はそこに見えている。

 黄河の流れる水面を走り抜けて越え、温の街まですでに一キロを切っていた。この距離なら司馬懿程の気の大きさがあれば感知出来た。

 しかし、一刀は驚いていた。司馬懿へと近付いて行く者の気の大きさに。

 他にも非常に大きな気が、それ以外にもいくつかを西の城外に感じられる。多分、この大きな二つが呂布と張遼なのだろう。

 それにしても、呂布の気は司馬懿に比べて圧倒的に大きかった。それは、まさに怪物級と言えよう。人として認識出来た気の中では、一番大きいのが直ぐに分かる大きさであった。そしてそれが『最大』の状態かという事はまだわからないのだ。

 そんな二人の距離が段々と近付いて行く。

 

(策を練ったと聞いたが、餌が仲達自身なのかよ!)

 

 司馬懿の行動に、なんて無茶なことをと思っていた一刀だが、人の事は言えない。

 気の状況から城門通路に誘い込んでの不意打ちということだろう。

 だがその嵌められたはずの呂布は、その『死地』から抜け出そうとした動きが感じ取れた。

 一刀の『超速気』は先程からすでに限界まで上げている。だがもう、少しバテても来ていた。

 南から河も越え、畑の湿地堀も飛び越え、そして外郭壁も駆け登り越えていた。

 守備兵らは、風が通り抜けたかように何も気が付かない。

 司馬懿と呂布の距離は、もうあと数メートルしかなかった。

 一刀は、そこから西の城門へ向けて、再び街中の建物の屋根を突っ走り温城の城壁も飛び越える。

 アト、四百メートル程。

 だが一刀は、呂布が司馬懿の眼前に立っているのを感じ取ってしまった。

 

(ウソ……ダロ……)

 

 そして、呂……の腕……動……が感じ……、そして―――方天……ガ……懿……首……振リ下……レテ……。

 

 ウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダウソダ――――イヤ、モウ間ニ合ワナイ――――トドカナイ――――――――。

 

 

 

「―――諦めちゃうの? それが、貴方の本気なの?」

 

 

 

 その時、『超速気』で駆けていた一刀の耳元で『究極の能臣』の彼女が静かにそう囁いた。

 これだけ近いと『超速気』中でも瞬時に声は伝わって来る。

 その言葉に、一刀は怒りを覚えていた……自分に対して。

 

(マタ、中途半端デ諦めるのかよ、俺! ―――いい加減にしろぉぉ!!!)

 

 そう、『無限の気力』はヨコシマな気や、幸せな気、そして勇気や殺気など、『気』であればなんでもよかった。

 

 つまりそれが―――――自分への渾身の『怒気』でもだ!

 

 あふれた無限の気が、彼を無敵へと、無双へと誘(いざな)う。

 

 

 

 炸裂する力、それは―――――『超・超速気』

 

 

 

 すべてを使う、使い切る。

 そんな一刀の姿は、『超速気』中である『究極の能臣』の彼女の横から一瞬で『消えて』いた。朱い箱をまだ背負う東郷操はそこで……建物の屋根の上で立ち止まる。

 

「―――主様、頑張って」

 

 

 

 司馬懿へと放つ、呂布の閃光の一撃であった。それは見えない。

 だが、司馬懿にも武人としての意地と一流さがあった。

 

(無抵抗で、切られる訳にはいかない)

 

 司馬懿は、『首』への一撃を先見で読んでおり―――それを家宝の剣の一つで咄嗟に受けていた。

 並みの剣ならへし折れて、切られていただろう。

 呂布の膂力に遠くへと吹き飛ばされ転がるも致命傷の一撃は凌いでいた。

 

「明華! 逃げなさいーー!」

 

 母司馬防の大声が上から響く。

 余りの状況に固唾を飲み、城壁や周りの者達は声を上げれなかったが、司馬懿の見せた最後の意地の武器の鳴り合う音が響き、周りも目を覚ます。

 だが、呂布が放つ二撃目を受けれるとは司馬懿も思っていない。もう、予測に反応も出来ないだろうから。

 司馬懿は、自分自身の先読みはしたことがなかった。

 

(ここで終わるのか私は……いやまだ)

 

 呂布は眼前だ。司馬懿はそれでも立ち上がろうとするが、豪打された衝撃の影響からか体が動かなく片膝を付いたまま呂布を見上げるほかなかった。

 

(くっ、ここまでか)

 

 そして、それを周りの誰もが思ってしまう。

 呂布が二撃目を振り下ろし始めたその時であった。

 

 強風を伴って疾風の様に何かがやって来た。

 

 呂布だけが気付いた。それは、『人』であった。

 呂布は右上から、司馬懿の左肩から斜めに右わき腹下までを振り抜こうとする一撃を放っていた。そこに『ヤツ』は一瞬で、司馬懿との間に割り込むように入ってくる。

 『ヤツ』が纏ってきた突風がその場を吹き抜ける。

 呂布は構わず、ソイツごと真っ二つにする気で方天画戟を振り下ろす。

 だが、方天画戟の刀身が、ヤツの肩にめり込むほど当たったにもかかわらず―――火花を散らして弾かれていた。

 

「なに……」

 

 そしてさらに目を見張る。

 弾かれ浮いた右腕下を抜けて、受けた『ヤツ』の左肩の先にある左拳がそのまま反撃(カウンター)で呂布の間合いの中へ飛んで来ていたのである。

 その一撃は、避ける間もなく呂布の腹部を渾身の威力で打ち抜いていく。

 

 

 

 呂布は、これまで受けた事のないその余りの威力に―――後方へ吹っ飛んでいた。

 

 

 

 圧倒的な強さで大陸中に知られ、今もその武勇を目の前で魅せたあの飛将軍呂布が、壮絶な一撃を腹へまともに受け『くの字』になって傍の建物すらいくつか突き破り、数十メートルは吹っ飛んで転がっていた。誰も見たことも聞いたこともない光景である。

 

 少しの間、余りの鮮烈的なその光景へ、周辺全体が呆気にとられる。

 兵らは皆、小口を開けて『ポカーン……』となっていた。県令らや司馬防、司馬朗も口を手で押さえたまま固まっている。

 だが次の瞬間、城壁の兵らや城の中は「うおおおおおおぉぉぉーーー! 河内郡の――永遠の英雄様ぁーー!!」と大きく沸き返った。

 

 司馬懿は、見上げる光景へいつの間にかそこに立ち尽くす一刀を捉えていた。

 まさに一瞬で疾風の様に現れたのだ。

 

「一刀……兄さん?」

 

 一刀は放った左拳を握った腕をまだ伸ばしたまま、司馬懿へとゆっくり振り返る。

 

「よかった……本当によく一撃目を受けてくれた。……ありがとう」

 

 『超・超速気』に入った頃には一撃目を受けて司馬懿が飛ばされていた後であったのだ。だから、一刀は助けた気分など全くない。自分の不甲斐なさを司馬懿に助けてもらったという気持ちになっており、涙を浮かべていた。

 だがまだ、それで戦いが終わりという訳では無かった……。

 

 その時に想像を上回る事が続く。

 まず、西城門の通路を、呂布がしたように側面の壁の低い位置を交互に蹴って高速で前進し、偃月刀で落とし穴をも飛び越えて張遼が城内に現れていた。方法が分かれば、同等の事は彼女にも可能であった。城内の呂布に気を取られ、外にいた張遼への警戒が薄かったのだ。彼女も隙は逃さない。

 それでも当然多少の火傷はするのだが。しかし、その程度で止められる張遼でもなかった。

 

「あちちちーーー、恋、大丈夫かーーーーーー!」

 

 いつもの袴とさらし姿へ、上着を頭から被って現れた張遼から、凄まじい気勢が上がっている。

 

(おいおい本当かよ、さっきの呂布並みの気の大きさになってるじゃないか……えっ、

まさかこっちが呂布とかないよな)

 

 一刀は、呂布を知らないため混乱する。

 一刀には―――今、余力が無かった。

 左拳を伸ばした姿のままだったのは、身体の限界を超える『超・超速気』を使った為、体中が壊れて痛くて動けないでいたためである。まだ、ギリギリで痛みに耐えて立っている形だ。左肩にも軽く切れ目が入って血が流れている。

 実は先ほどの、最後呂布への一撃を放つ辺りは、ほぼ『超・超速気』が解けかけていた。今、『瞬間完全回復』で全力復旧中だが、瞬間回復はしない感じだ。十分程は掛かりそうであった。

 

「とりあえず、仲達は一度下がっていてくれ」

「……分かりました、兄さん」

 

 周囲にいた兵が、まだふらつく司馬懿を連れて行ってくれた。

 城内の兵達は、かなりの数で城壁上や城門通路を出た広場周りも固めているが、司馬懿が近すぎて手が出せない状態であったのだ。

 しかしここで、張遼の登場に加えて追い打ちを掛ける事が起きる。

 

 一刀の渾身の一撃を受けて吹っ飛んでいた―――その呂布が方天画戟を握りつつ立ち上がって来たのだ。

 

 一刀は必死であった為、手加減はしていない。強力な『硬気功』で『超剛気』な膂力で『超・超速気』の速度で彼女の腹部をぶっ叩いていたはずである。それでも立ち上がって来たのだ。

 

(……バ、バカな……無傷なのか?!)

 

 まるであの『超硬気功』使いな仙人の死龍である。

 さらに気勢が先ほどよりもグンと上がっていた。間違いない、この子が呂布だ。

 凄まじい殺気である。これが飛将軍なのか……。

 

 だが……その歩いて近づいて来る彼女の体を視て、一刀は更にぎょっとする。

 

(こ、こいつ本当に人間か?)

 

 それは……すでに『壊れて』いた。

 やはり、『超・超速気』の速度での攻撃はヤバすぎたのだ。

 内臓器官がぐちゃぐちゃになっていた……。

 医学的に言えば、普通の人間ならショック死していてもおかしくない状態である。インナーマッスルは耐えていたが、肝臓や膵臓や腎臓等の細胞が高速で拳を受けた衝撃波に耐えられなかった。

 持ってあと余命は数時間であろう。もはや多臓器不全である。

 一刀は司馬懿を助けるために行なったその行為に後悔はしていない。だが、自分の行為に『恐怖』はしていた。

 カタカタと体へ震えが来ていた。

 死龍は最愛の雲華のカタキであったから、屠った事にも気持ち的に納得は出来ていた。

 だが、呂布は一刀の『身内』をまだ殺してはいない。なにもここまですることは無かったのだ。

 だが―――手加減できる相手ではなかった。

 多分それは、間違いなく自分や『身内』の死に繋がるだろう。今ですら、間違いなくそれほどの相手である。

 

「恋、大丈夫か、―――! ……恋」

 

 張遼は呂布に近付くと……気が付いた。呂布の表情に『死相』が出ている事に。すでに口からは一筋の血が流れ出していた。

 

「……大丈夫、『まだ』戦える」

 

 そう言いつつ、呂布は口許の血を拭う。

 全身には恐るべき激痛が走っているだろうに、彼女の、飛将軍の表情は余り変わらない。

 『まだ』戦える―――なんと恐ろしく聞こえる事か。

 依然彼女の気勢は荒ましく……それで、死ぬまで戦うというのである。

 一刀は、自らも壊れた体ながらコレと戦うには『超・超速気』しかないとの判断に至る。

 でもここで、彼は僅かに震えつつも彼女へ声を掛ける。

 

「な、名乗り遅れました。俺は姓を北郷、名を一刀と言います。貴方が呂布将軍か?」

「そう」

 

 鋭い眼光ながら赤毛で綺麗な小顔でコクリと可愛く頷いた。

 

「名は呂布、字は奉先。あなたは強い。……北郷一刀か、忘れない」

 

 武人として無双の誇りを持っていた呂布は、その自分に致命傷を負わした人物として彼へ敬意を持って応えていた。

 

 そして、一刀はそんな彼女へ―――唐突に告げていた。

 

「―――一時降伏してください。貴方を助けたい」

 

 呂布の表情が、とても険しくなる。

 彼女ほどの武人である。自分の体の事は良く分かっていた。この傷で助かる訳など無いのだ。

 その自分に無駄な情けを掛けられていると思ったのだろう。この状態での降伏など、武人として名を落とすだけである。彼女は完全に侮辱されたと憤りを覚えていた。

 それを、この自分に致命傷を負わした程の人物が言った事で余計に頭に来ていた。

 

「なに言うてんねん! ウチがアンタを許すと思ってんのか?」

 

 横から、張遼も出来もしなことを抜かすなと凄い殺気で一刀を睨む。

 呂布が倒れたとしても、私がアンタをブッコロス―――そう彼女の目が訴えている。

 怖い……。

 そんな張遼の横で呂布は、自分で一刀へと答える。

 

「それ必要ない。自分の体、(助からないと)良く分かる。それよりもすぐ戦おう」

 

 彼女は再戦を要求して来る。武人として、董卓配下として、脅威となる一刀は倒して世を去ろうと考えていた。『超・超速気』の彼の動きを見てすらである……底が知れない。

 一刀は一度、目を閉じて僅かに下を向く。

 そうしてゆっくりと、顔を上げると決意の眼光で二人に伝えていた。

 

「分かりました。でも、俺が勝ったら―――治療させてください。命懸けで絶対に助けますから(『超・超速気』中なら短時間に全力の『飛加攻害』で失神させられるかもしれない。ただ、あの気勢に『飛加攻害』が通じるかが分からないところだけど……今は、やるしかない)」

 

 呂布の『本能』が、彼の真剣な目の光のそれに気が付き訴えていた、その一刀の表情と凄まじい気勢にウソは感じられないと。

 だが、理解が出来なかった。初対面の……それも敵側の者に対して自分の命を掛けてでも、助けたいという考えが。そんな義理などないであろうに。

 

(何故……? 相手への命を捧げる無償の奉仕……それは『愛』だと教わったけど……月から)

 

 それと、自分で付けた彼の左肩の傷が徐々に治って来ていることに疑問が湧いた。

 

「ソレ」

「ええ、俺は気功治療が出来るんです。だから、将軍に負わせてしまった深い傷も完治させられると思います。貴方はここで死ぬべき人ではない」

 

 左肩の傷口を見る呂布へ、一刀はそう説明する。

 それを聞いて、この時張遼は一瞬で考えを改めていた。

 

(なんやコイツ、よう分かっとるやんか♪ このカワイクて強い恋が死んだら、世の中おもろ無さすぎやろ。この恋が助けられるっちゅうんなら、一時的というのもあるし、恋の降伏しか選択の余地はないなぁ。恋が嫌がってもなんとかせなな……。しかし、『総大将』が降伏か……これはこっちも一時撤退やろなぁ。まあ、こんな強い新しい『遊び相手』も発見出来た事やし今回は良しとするか)

 

 呂布は、武人として死を受け入れる覚悟は出来ている。

 しかしこの深い傷が治ると言う事実。また武人としては、今日致命傷を受けた上に一時気絶し、すでにこの男との戦いには破れたと言えた。今日の再戦は余りに見苦しい気がする。そして命懸けで戦っても……死なせたくない、助けたいと言われた。そして、降伏しろと……それは―――傍に居て欲しい? そしてその人は男の子。

 

(『愛』なの? ……一目惚れなの?)

 

 若干の勘違いが発生しているが『大勢(ハーレム)』に影響はない。

 自分を倒す男の子が現れた、それに気が付く。死相が出ているため呂布の表情は変わらないが、ふだんの彼女なら頬が少し赤くなっていただろう。

 『愛』……気持ち的には嬉しくもある。どうも男達は自分に腰が引けている者ばかりや、配下の百人隊長らの様に敬う者達ばかりしかいないのだ。

 また董卓らとの関係や約束もある。

 おそらく今、ここで死ぬことが一番全てを裏切ることになる気がしていた。

 『一時降伏』は妥協できる話で悪くない。

 借りについては、何か『武勲』等で返せばいいだろう。

 

 少しの時間熟慮した呂布は口を開く。

 

「分かった。一時的なら」

 

 呂布は証しとして、右手に持つ愛用の武具『方天画戟』を一刀へと差し出した。

 

「ありがとう、呂布将軍」

 

 想像以上に重量のあるそれを受け取る。それを横で見ていた張遼も内心ほっとする。

 一刀は続けて急ぎ提案する。それは早い方が良いから。

 

「じゃあ、すぐに応急処置だけはさせて。少し手を握るけどいいかな」

 

 すでに呂布の額からは、体調異常からくる脂汗が出ている。精神を操られているというなら有り得るだろうが、こんな激痛が普通に感じられている体でまだ立っていられるのは、おそらく彼女だけだろう。その痛み、一万人いても一万人が失神すると思う。まさに恐るべき武人である。

 

 コクリ。

 

 呂布の了解を受けた一刀は、彼女の手を握る。稽古はしっかりしているようで豆が出来ている武人の手であるけれど、柔らかい女の子な手である。

 その瞬間から、全力で一刀は『瞬間完全回復』を掛ける。

 呂布の表情が驚きに変わる。

 

「(手が温かい、それに)……痛みが少しずつ引いて行く」

「それはよかった」

 

 一刀は、自分の回復中の気力分も一時全て呂布への『完全回復』に回した。

 その分一刀へ『超・超速気』の後遺症の激痛が戻って来るが、おそらく呂布の感じている痛みは、これの数十倍はあるはずである。

 

(再戦の後じゃなくて良かった……応急分も厳しいところだった……)

 

 この時点ですでに彼女の火傷は完治を見せている。

 だが臓器は酷く破損している為、予想以上に復元へ気と時間が必要であった。

 しかし、そんな一刀らへ―――神は祝福を与えてくれる。

 呂布との握手、それはつまりすごく近い位置にいるということ。

 

 つまり、匂い立つ♪ クンカクンカ……。クンカイベントが発生していた。

 

(キターーーーーーーーーーーーー!!)

 

 彼女の、直前の戦いでの『汗』や、苦痛による『脂汗』すらもオイシク頂いてしまうのである。

 ご褒美的な『無限の気力』により『イカガワシイ』気が膨大に発生する。

 『瞬間完全回復』により、彼女の体内では凄まじい勢いでの復元を見せていく。

 ぐちゃぐちゃだった呂布の内臓は、半時(一時間)ほどで完全復元されていた。

 

 

 

 その間に張遼将軍は、西城門外の矢の届かない所で待つ十数騎へと、一刀から城の朱儁軍側を通して竹簡が縛られた矢文を届けさせる。

 呂布が単騎で城内へ飛び込んだ事はすでに、陳宮らのところに届いており、董卓軍九千余が城側へと動き出していたのだ。

 陳宮が、騎馬隊の先頭に出て攻め寄せて来ていた。

 

「恋殿ーーー! 今、参りますぞーー!」

 

 すでに距離で言えば城壁まで一里半(六百メートル)まで迫っていた。

 だが、そこへ一騎の騎兵が、第二報として張遼の筆跡での竹簡を届けてくる。

 陳宮は騎馬部隊の進軍を一旦急停止させた。

 すぐに、『城壁から飛んで来た』と言う知らせの内容を確認する。

 

『呂布将軍が負傷し、―――』

 

 えっ? 陳宮はその内容が信じられない。

 呂布はこれまでにおける数多の戦歴で、一度もその身に掠り傷すら受けたことが無いのだ。

 さらに読み進める。

 

『―――将軍は一時降伏と相成った。ついては速やかに全軍洛陽へ撤退の事。撤退が適えば、我、副将張遼は即時帰還する』

 

(れ、恋殿が……『一時降伏』……『降伏』……一体何が)

 

 陳宮は、城壁が連なる温城の方を見て思う。

 だが、確かに筆跡は張遼のものである。大将の呂布が捕虜になり、指揮権限は副将の張遼に移る。最高指揮官の指示である。

 陳宮の後方から、盧植も追い付いて来た。

 

「公台殿、逸る気持ちは分かるけど、ちょっと早いんだけど……って、どうかしたの?」

 

 少し涙目な陳宮から、無言で一枚の竹簡を渡される。

 

「……これは……つまり今、二人とも城の中ということね。でもあの飛将軍が降伏するなんてね。あの子は天性の『武』を持ちながら、『武力』だけでは絶対に屈しない子に見えたから。きっと、それ以上のなにかあるのかもね」

「……それ以上の?」

「それに、張将軍はああ見えて、しっかりした考えの方よね。その方も納得されての指示である以上、これ以上の進撃は下策かな?」

 

 陳宮も張遼を良く知っており、それ以上に呂布を知っている。

 確かに、力だけであの呂布を従わせることなど無理なことだという事と、張遼の判断がいつも的を得ていることは同意出来る。

 しかし呂布を置いての撤退には―――いや呂布と単に離れたくないのだ。

 その時、傍で様子を伺っていた、呂布配下の百人隊長の孟が口を挟む。

 彼は『百人隊長』ではあるが、今この軍に残っている誰よりも強かった。

 

「奉先様は降伏なさいましたか。では、我ら百騎も投降いたします。申し訳ないが、我々は奉先様のみに従っておりますので」

 

 彼は威風堂々と、裏切り者と言って来るなら受けましょうと、その場で剣は抜かずも構える。

 だが盧植は少し首を横に振って見送る。彼は静かに頭を少し下げると、陳宮と盧植へ背を向け、百騎を率いて足早に温の城の方へと進んで行った。

 

「……貴方はどうします、公台殿?」

 

 盧植は洛陽に居る時に、陳宮の呂布ベッタリな事を見て来ていたから、その気持ちが分かっていた。

 陳宮は悩む。

 付いて行きたかったが、しかし、竹簡に書かれた最後の一言を思い出して考え留まる。

 

「……これは一時的な降伏ですぞ。帰って来られるのを洛陽で待ちまする!」

 

 竹簡の最後にはこう書かれていた。

 『―――あと陳宮殿へ呂布将軍よりの伝言……ちんきゅー、家族たちのことお願い』、と。

 

 

 

 一刀の『瞬間完全回復』だが、まずは応急処置のつもりが、呂布はほぼ完全復活する。半日ほどは、復元器官が慣れるまでゆるゆると養生する必要はあるが。

 

 呂布は、確実な致命傷を受けていたが、一刀の気功治療により命を取り留めていた。

 

 ついでに一刀自身も回復が終わっていた。クンカイベントのおかげと言えよう♪

 張遼は、まだこの敵城内に一人で残っていたが、気負うこともなく、呂布が本当に助かったことで上機嫌になっていた。

 そして一刀は張遼からその喜びのためか、肩をバンバンと叩かれつつ「お前、スゴイし、ホンマええやっちゃなぁ。気に入ったわ」と言葉を貰っていた。

 ついでにと、張遼の火傷も直してあげると、「おっ、ヒリヒリが治ったわ。ありがとうなぁ、んっ」と……頬に感謝の口付けまでされる始末であった。

 また、城外の盧植将軍より、董卓軍撤退の意向が伝えられて来る。正直、城内では追撃の話も出ていたが、呂布将軍を董卓軍から引き剥がしたという大戦果で、今は十分ではとの意見が大勢を占めた。

 今日、朱儁軍単独で悪戯に戦火を拡大するのは得策ではないのだ。戦うならば反董卓の諸侯が足並みを揃えてからだろうと。

 これで漸くなんとか一件落着……とはいかなかった。

 呂布には『あのカタキ』の事がまだあったのだ。家族との約束である。確認だけは今しておきたかった。

 

「一刀、今王匡と話がしたい」

「えっと、話をするだけ?」

 

 コクリ。

 

 すでに一刀は呂布より治療中に少し話をする中で、同等の武人と恩人ということでタメ口でいいと告げられた上に、「真名は恋だ。一刀と呼んでもいい?」と言われて了承してしまっていた……。

 一刀は城壁を見上げ声を上げる。

 

「公節(こうせつ:王匡)殿はいらっしゃいますか? 呂布将軍が話したいことがあると」

「今、行きましょう」

 

 一刀は、司馬懿や王匡は勇気があるなぁと思う。

 あれほどの凄い戦いを見せる人物の前に立てると言うのである。『神気瞬導』が使える今の自分でもかなり怖いと言うのに。

 肩の辺りで綺麗に切り揃えられた薄い紫の髪を揺らし、六尺九寸(百五十九センチ)程のスラリとした体格の王匡が城壁から一人降りて来た。

 そして、彼女は呂布の前に立つ。その横には一刀が付いている。

 呂布が尋ねる。

 

「王匡。……一昨日の朝、洛陽城北東側の谷門付近で、お前を手引きした仲間はどこ?」

「彼らは―――みんなこの温の街で息を引き取ったわ。あの付近の守衛達は勇敢で、逃げずに最後まで抵抗されたから……こちらも皆深手を負っていた」

「……本当?」

「一昨日に作ったお墓を見ますか?」

 

 それを聞くと、呂布の王匡を見る目が急に鋭くなった。飛将軍の目に。

 一刀も呂布の急激な気を高まりを感じる。ヤバイ水準である。

 

「……王匡、お前があそこを通って逃げなければ、家族の友人が死なずに済んだ。お前が―――」

「少し待ってもらいたい、呂将軍」

 

 そこで会話に一人の人物が割り込む。それは先程まで呂布と戦っていた司馬懿。

 

「王匡殿がどうこう言われたが、良く考えて欲しい。王匡殿がそこを通る原因となったのは何かを」

 

 そう、それは―――董卓ら献帝派が洛陽で反逆を起こしたからに他ならない。また、それが起こったのは霊帝や、側近らがまともな政治をしていなかったからだ。

 物事は原因があり、結果がさらに結果を生み連鎖する。

 司馬懿は続ける。

 

「どこかで不幸な連鎖は切らねばならない。守った者も死に、切った者も切られて死んだ。お互いに大事なものの為に命を掛けてそして散ったのだ。尊い事だ。そう思わないか、呂将軍」

「………分かった。失言だった。王匡殿、謝る。こめんなさい」

 

 王匡へ飛将軍が個人的にぺこりと頭を下げる。呂布は素直であった。今は一刀の『捕虜』で命を助けられた貸しもある身なのだ。董卓の『命』である霊帝派の討滅は、保留の状態となっている。

 

「……いや。もう過ぎた事。分かってもらえれば」

 

 王匡もそれ以上呂布個人へは何も言わない。呂布はつい先程も主の為、一刀に命を奪われ掛け、そして先日も何進大将軍を切ったのだろうから。

 一刀は司馬懿を見る。まさに『優しい』対応であった。

 司馬懿も一刀からの視線と気持ちに気が付き、少し恥ずかしそうに僅かに微笑んだ。

 

 

 

 こうして、呂布が温の街に滞在することとなった。

 

 そして『人中の呂布』敗れる。

 それを『一撃』で成した者の名は、大陸中に知られることになるだろう。

 だが、その者は―――はたして英雄となるのだろうか。

 

 

 それは誰にも分からない。

 

 

 

 つづく




2015年04月21日 投稿



 解説)クビト●●●ヲ
 いろいろあるよね。
 きっとマナコ(眼)辺りかな。(ここも指で突く)



 解説)クワバラクワバラ
 雷が傍に落ちないようにとのおまじない。



 解説)司馬防
 なにげに、歴史上では洛陽県令とかもやってます。
 老年になると騎都尉に転任。その官秩は比二千石といいます。さらに、祖先の曾祖父は征西将軍にまでなり、祖父も豫章太守、さらに父も潁川太守まで昇った事から、やはり地方でも飛び抜けての名家ではないでしょうか。



 解説)とてもに人気のある『裁縫師』
 実はこれが雲華だったりします。



 解説)三百メートル弱。馬が早いと言っても
 サラブレッドで、3ハロン(六百メートル)で32秒ほどみたいです。
 単純に半分で16秒ですけどね。馬はサラブレッドでもなく、ゼロスタートなのでそれよりは遅いかと。
 恋自身で走った方が絶対早いんでしょうけど(笑


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