真・恋姫†一刀無双 ~初出会は少女仙人-混沌の外史~ 作:カメル~ン
「手合せ」って……一刀は、雲華のその意図が掴めなかった。
今、雲華の家のある巨木下の広場で、雲華と一刀は向かい合っている。
雲華から、髪梳きのお礼にと手合せを申し込まれたが、力量差が違い過ぎて、ブドウ狩りどころではない。それはもうヒキニク祭りと言える。一刀は思わず、雲華へ確認してしまう。
「……ほんとにやるの?」
だが雲華は、一刀からの問いかけに応えず、はにかむように笑うと、一刀へ背を向けて歩き出し、改めて一刀から少し距離を取る。二メートルの距離が八メートルになった程度だが。
一刀はその様子を黙って見ていた。
雲華は一刀の方へ向き直ると、腰の横辺りで両手を広げて一刀に微笑みながら言う。
「さあ、私を捕まえてみて。体のどこを掴んでもいいわよ。ただし……神気瞬導で、ね」
どうやら、雲華は一刀との神気瞬導による『鬼ごっこ』をご提案のようだ。棒を持っていない状態なら、ボコボコのヒキニクにされるようなことはなさそうである。
ここの広場は、巨木が大きく枝を伸ばしており、その周りの森は枝からさらに少なくとも三メートル以上は離れているため、かなりの広さがある。また家を建てる際に一部材料にしており、低い位置の大枝はすべて根元から切り落とされている。そのため、一番低い枝でも五メートル以上のところにある。
一刀は、わざわざ雲華が『悪魔』さまの雰囲気を出し、『仕合い』という大げさな言い回しから、一体全体何事かと思ってしまったのが……とりあえず内心でほっとする。
だが、神気瞬導と言われても、一刀に出来そうなのは体の気の絶ぐらいだ。まだ、『速気』も『剛気』も使えないし、技も知らない。いや、アンコウソエイ?だっけ。気を落として存在を希薄にする技はイケるようだが、今は丸見えだしな……。
まあ、雲華もそんなことは承知のはずであった。それに、彼女がやれというのだ……すなわち『鬼ごっこ』をやるしかないのである。
それに、モノは考えようだ。
雲華は言った。体のどこを掴んでもいい……どこを掴んでも……そう『どこ』でもいいのである。 掴もうではないか、栄光あるモノを、部位を!
一刀は、雲華に「わかった」と伝えると、一歩雲華に近づこうとした。すると、雲華は軽く足を開き両手を構えると、早速一刀に対して素早く手の平(掌)を付きだして来た。
距離があるので、何かなと少し様子を見ようとしたところ……一刀はいきなり左斜め側へ前のめりに倒れてしまった。一刀の左太腿の気がいきなり、絶の状態になったため踏ん張れなくなっていたのだ。
一刀は左太腿の絶に対して瞬間回復を掛けて立ち上がろうとし、ここで漸く理解する。
雲華は一刀の接近する動きを、神気瞬導の絶技で止めようというのだ。一刀が立ち上がると雲華が声を掛けてきた。
「どう? これが神気瞬導の基本の応用技、飛加攻害(ひかこうがい)。絶状態になる気を、相手の部位へ投げつけたり、直接触れて伝えたりするものよ。君みたいに回復出来ればいいけど……できない者ならその箇所は数時間で壊死を起こす。
だから使う場合は、相手の力量や技を仕掛ける目的も考えてね。相手を殺す為に全力で完全に心臓などの急所を絶状態へ追い込むか、それとも自然に回復するように、手足等へ部分的に弱く掛けて一時的に止めるかとかをね」
一刀は、雲華の見せた技と言葉から、神気瞬導の恐ろしさを改めて知った。まさに普通の人に対しては、一方的な効果があるだろう。少し離れた位置からでも、相手の手や足に放って動きを止めれば、その隙に攻撃できるのだ。この技だけで百人隊長や、もしかしたら歴戦の千人隊長でも容易く倒せるかもしれない。いや、必殺の絶で脳や心臓などの急所に直接当てれば……強敵に近づく必要すらないのだ。
一刀は、ここで顔を厳しく歪める。まただ……と。朝に木人へ放った一撃といい、命のやり取りを……殺意を覚えてしまう。先日、街で実際に理不尽に死にそうになった事が大きいのだろう。
以前の学生生活では、ただ、のほほ~んとしていて「朝起きて、学校に行って、くだらない事をやって、夜寝る」、そんな退屈で平和な日々との落差が恨めしく感じられた。
その一刀の表情から考えに気付きながらも、雲華は続ける。
一刀には『強く』なってほしいから。外の世界は『そういう世の中』であるから。躊躇えばここは、自分が簡単に死ぬ時代なのだから。
殺意に狂うのはいけないが、常に殺すという選択肢も状況により選べなければならない。雲華は目を一度閉じて再び開くと、悩みの表情を見せる一刀を促す。
「さあ来なさい、北郷。今はやるしかないの。殺す、殺さないを選べるのは……『強い者』だけなのだから」
雲華は、一刀の反応が些か心配だったのだが、少しの間ののち、一刀は答えてくれた。
「そうだね。『強い者』だけだね」
そういう一刀は辛そうだったが、なぜか口元が微笑んでいた。
一刀は『雲華には本当に教えられ、助けられてばかりだな』と、感謝と共に自分の情けなさへ笑いが込み上げて来ていたのだ。
ありがたい。
そして、その思いに応えたいと急に顔を引き締めていた。
「雲華。じゃあ、いくから」
一刀は雲華に出来るだけ素早く近寄っていく。すると当然、雲華は引き離すように移動しながら、飛加攻害を放ってくる。
しかし、絶にする気が飛んで来るのである。それが分かれば、こちらも『見ればよい』のだ。一刀は雲華側の気に集中すると、おぼろげながら飛んで来るものを見つけ、それを躱した。
ようやくやろうとしていた事が進み、雲華は一刀へ笑顔で話す。
「そうそう。分かってきたみたいね」
神気瞬導の基本を十分に使えば、今の一刀でも見えるのだ。もちろん、見える速度で雲華が投げてくれているからだが。
一刀が避けている間に雲華は距離を取り直していた。それが数分繰り替えされると、雲華の投げくる速度が上がってきだした。広場を、巨木の周りを回るようにうまく雲華は逃げ続ける。
一刀は、雲華の後を追いながらも飛加攻害の技をギリギリで避けるが、避けるたびに雲華に離されるので、歯がゆい思いから「もっと早く動けないのか」と強く意識するようになってくる。
すると、彼女から飛んで来る気がいきなりスローになった。余裕で躱せた。また、高速で飛んで来た。また「早く」と意識すると途中からまたスローになる。
このスローで見える現象に、一刀自身ではそう急に変わるものじゃないことから、一刀は雲華に確認する。
「雲華。たまに俺、『速気』が掛ってるみたいななんだけど? なんかそっちでしてる?」
「ええ、当然。でも、君が意識して『より早く動こう』というと気を込めないと発動はしないから。それと『速気』や『剛気』は、まず感覚に慣れないと経験不足の者は危ないのよ。加減が分からず、激突したり、握りつぶしたりとね」
雲華の言う通りである。『速気』も良く考えると高速で物に掠ると火傷するし、それが少し尖っているだけで切れたり抉れるはず。『剛気』も軽く人の肩を叩いたつもりが、人体ごと打ち砕いてしまう可能性があるものだ。
「だからちょっと、その状態に慣れてもらおうかと思ってね。慣れてくれば楽しいわよ? 時間も節約できるしね」
「おお、確かにそうだった!」
一刀は一瞬ヘボな自分に落ち込みそうになったが、今それを克服しようとしているんだと気付く。そして、俄然やる気になってきた。克服できる上に、映像の早回しのように動ける可能性があるのだ! 雲華は乗せるのもうまい。
早速、動き出す一刀。当然、今度は『速気』を使ってタタッと雲華に迫る。使えるモノは使わせてもらおう、栄光を掴むために!! なにげに一刀の目が血走っていた。
しかし、あと数歩というところで雲華が……消えた?
なんと、高速がスローで見える『速気』で接近したのに一瞬で見失ってしまったのだ。でも、一刀はゆっくりと振りかえる。雲華のパターンがなんとなく少し読めてきたのだ。
いた……雲華は、三メートルほど真後ろで微笑んで右手を振っていた。
「……ちょっと、早すぎるんじゃない? 俺の……希望が……栄光が…………部位が……」
ショックの余り、つい言葉の最後に向けて本音があふれ出てしまう一刀。
「あら、北郷。もうあきらめちゃうの?」
雲華がいつになく挑発的だった。だが確かにそうだ。まだチャンスが無くなったわけではない。
そう、一刀のリビドーは止まらない。一気に最大加速した。一瞬で雲華に迫る。だが、手を伸ばし届くかという一瞬、手か何かに掠った感触があったが、雲華はまた消えるように避けた。だが今度は後ろへ回ることはなく、五メートルほど下がって一刀との距離を取るに留まった。
しかし、雲華は喜んでいた。
「すごいじゃない。一瞬掠ったわよ」
「掠ったね。でも……雲華はその倍は早いでしょ。これでもすごいの?」
「今の速さなら、神気瞬導の使い手として遅くはないものよ。まだ初心者だしね。さあ、北郷、本気でどんどん来なさいよ。君の栄光とやらは、ココにあるわよ?」
雲華は、そう言うとウインクしながら、最後にナント僅かに胸を突きだして見せた。
……どうみても、挑発し過ぎですよ?雲華さん。だが、一刀は止まる男ではなかったのだ。
加速!加速っ!加速っーーー! もはや、リビドーが加速していた! 加速するのは気じゃなかったのかよ?……そんな突っ込みが来そうな一刀の本能が先走ってゆく。
もっと早く!もっと早くっ!
一刀は、一歩だけ雲華へ迫る、掴むために! そして、さらに二歩迫る、栄光のために! だが、なぜか途中で少し加速が落ちた。三歩離れる。
そんな、ムカつく自分の体へ激励する。
『そんなダラシナイ体に育てた覚えはない! 今、加速しないで、オマエどうするんだぁぁーーー!』と、加速し続ける体へヨコシマな思いながら、速気が滾る。
雲華は、当初からこちらを完全に向いて後ろ向きに移動している。明らかに移動するには不向きな体制なんだが、それでも断然早いのだ。
しかし、一刀は迫り始めていた。雲華の表情はなぜかニコニコしている。
一刀の額からは汗が出て来始めていた。もはや全力なので、一刀もそう長くは持たない。
それを三分も続けただろうか。
ついに、ついに!雲華へ手が届くところまでキタァーー! しかし、彼女に迫るのに気を集中し過ぎて、一刀は忘れていたことがあった。
飛加攻害である。
雲華は、迫ってくる一刀へ逆に加速して容易く彼の間合いへ踏み込むと、手の平を一刀の胸へ優しく触れて絶気を叩き込んだのである……。
「はい、休憩ね」
二人とも加速中だったので、そのままクタリと倒れ込む一刀を、雲華が正面から優しく抱きとめる形で支えて『速気』を収めて立ち止まる。
一刀は、体は動かないものの、なにか柔らかなものが二つ胸に当たっている……当たってるんですけど!?と、天国を見るもその状況に留まった。
雲華は、ほどなくその場に一刀を横たえる。
ああ、柔らかな栄光が……部位が、離れて行ってしまった……寂しい……そっちに気を取られて、もはや瞬間回復など忘れ、表情が天国から筆舌に尽くしがたい悲しみに変化していく一刀であった。
その表情を見ながら……そんなにコレはいいの?と少し呆れ気味に、自分の胸元を一瞬見る雲華だったが、右手を腰に当てながら一刀に声を掛ける。
「君は、いつまで寝ているの? 早く立ちなさい、お茶にするわよ。梯子の横の長椅子にでも座ってなさい。上で用意してくるから」
「はい」
雲華は、まだ横たわっている一刀からの返事を聞くと梯子を上がって行った。
一刀は、雲華により首から背骨への気の絶を受けていた。それを瞬間回復させるとゆっくりと立ち上がる。そして、その場で……その胸に残る、雲華の柔らかな二つの感触の余韻に静かに浸っていた……。思わぬご褒美、ラッキー♪と。
雲華は、調理室でお茶のお湯を沸かしながら、一刀の進歩に噴き出していた。
「あの加速の伸び様……どこまで伸びるのかな……それに」
口元を抑えて、ふふっと思い出し笑いをしていた。
雲華の目にも、一刀の伸びはかなりのものだ。おそらく、神気瞬導が彼に合うのだろう。
お湯が沸くと、彼女はお茶の用意を持って外へ向かって出ていった。
一刀は、雲華と長椅子にお茶セットを挟んで座って休憩している。
時間は……お日様の位置から巳時正刻から二刻過ぎた(午前十時半)ぐらいか。
一刀も慣れて来たのか、最近お日様が出ていれば少し時間が分かる感じになってきていた。慣れとは恐ろしい。
ああ、それにしても雲華の入れるお茶がうまい。そして、巨木の枝からの木漏れ日が心地よい。風も穏やかだ。一刀は辺りの緑多き光景を見回しながら、先ほど雲華の髪を梳いていた時にも感じていたが、ここは静かで良い場所だなと思うのだった。
ふと、こんな生活が続くのも悪くない……いや、全然イイんじゃねぇ?という気がして来ていた。
だが、今の自分ではダメだとも思った。まず一人で、この時代に生きていけないと、と考える一刀だった。
いつまでも、雲華に迷惑を掛けてはいられない。一度ここから外へ出て、一人で生きていける自信が付いたら……生きていられたら、いつか戻って来られればいいなぁと。
そんな事を考えていると横から、雲華が小石を三つ、手の平の上に乗せているのを一刀へ見せてきた。何かなと思っていると雲華がニヤリとしながら言う。
「これを上に放るから、全部取ってみてよ」
普通なら二つぐらいは、放られた距離が近ければ取れるかもしれない。しかし、三つになると結構厳しい。だが、『速気』を使えば、止まっているのを摘むように取れるだろう。
「わかった、いいよ」
すると、雲華が上へ石を放る。さすがは、雲華だ。まさに取り辛いように離れて三つが放られた。一刀は、『速気』で早く動いていた先ほどの修行の感覚を思い出し、『早く動こう』とする気を高めた。すると、放物線を描いて離れていく三つの石は、空中でほぼ静止……いや、ゆっくり動いているものに変わる。
一度雲華の方を、向く。何故か向いた頬肌に抵抗のような違和感を覚えつつ見る。彼女も『速気』を使っているのか、ニッコリと一刀へ再度微笑んできた。加えて早く取って来て、という感じで首を石の方向にクィっと向けた。
一刀は、のんびりし過ぎたのか、『速気』の集中力が落ちたのか、雲華の顔から目を前へ向け直すと石の動きが大きくなってきたので、早めに取るために急いで立ち上がろうとする。すると、体の周りに何か纏わり付く感があった。急ぐと余計に邪魔な感じが大きいので、少しゆっくり気味に動き、空中に浮いている三つの石を掴むと、雲華の座る長椅子へゆっくり帰って来た。
そして『速気』を切ると、雲華へ石を返す。
「はい、これでいいんだよね? それと……今回、『速気』で動くときに体の周りに何か邪魔な違和感があるんだけど……」
雲華は、ふふっと笑いながら石を受け取る。一刀は、なぜ雲華が笑っているのかが分からない。
一刀が長椅子に座り直しても、雲華はまだ、ふふっと口を押えて笑っている。一刀も釣られてふっと笑いながら、どうしたの?と聞いてみた。すると、雲華は教えてくれた。
「北郷が、もう自分の力だけで『速気』が出来ていることに、まだ気づいていないから……可笑しくて」
「……えっ? そうだったの!?」
どうやら、もう雲華は何も一刀に影響を与えていないらしい。すでに一刀は、自力で『速気』が発動できるようである。それを聞いた一刀は、石を取った自分の両の手を見て、しばし固まっていた。そして思い出したかのように叫ぶ。
「ほんとかよ!」
「さっき石が取れたでしょ? まあ、まだ安定してないから気を抜くと普通の状態に戻っちゃうと思うけど。集中して時間を延ばせるように、日ごろから心掛けなさい。それこそ、一日中ずっと『速気』が持続できるようにね。今みたいに石の数を増やすことで手軽に練習できるし」
確かに、先ほど、石の動きが最後の方は徐々に早くなっていっていた。『速気』が落ちるということは周りが早くなるということだ。雲華はさらに注意を付け加える。
「それと、練習は今みたいに辺りに、なにもない状態でするように。『速気』状態では周りの軽いものも非常に重くなっているの。体の周りに纏わり付くのは風を強く受けるからよ。小枝とかでも同じだから。気をつけなさい」
一刀は、『鬼ごっこ』の段階では、その違和感を感じなかったことが気になり聞いてみる。
「でもさっきまで、風の違和感を感じなかったのは?」
「私が、君に影響を与えてたからよ。軽く『剛気』系のね。硬気功も『速気』には必須になってくるわよ。体を剛体にすれば、多少体に当たろうとも関係なくなるからね」
ふと、先ほど雲華に掠った指先を見ると……指先の皮が僅かに捲れていた……。冷や汗が出た。
そして、そうか、雲華はワザと掠らせた……そう理解するのだった。
彼女の顔を見ると、漸く気が付いたのという感じでニッコリされる。
雲華の話を聞くほど、彼女の言っていた基本が大事なのだと納得させられる。すべての知識や事象が織込まれて関連していくのだから。一刀は、先に雲華へ確認する。
「じゃあ、次は『剛気』についてやるのかな」
「そういう事になるわね」
「わかったよ。確かに必要だよな」
休憩を終わり、二人は長椅子から立ち上がる。雲華はお茶の一式を戻してくると言い、一度家へ梯子を上って入っていった。
そして、戻ってくると雲華は『彗光の剣』を背負っていた。それを肩から下ろすと、鞘の幅広の立派な帯を持って一刀へ差し出し告げる。
「北郷、これからいってみようか」
「それって……」
初めに見せてもらった時に、重すぎて持ち上げるのが大変だった剣だ。以前の一刀は、両手で持たないと持ち上がらないほどの重さを感じていた剣だ。
雲華は難しく考えないように一刀へ助言する。
「『剛気』も要領は『速気』と同じよ。全身の動きを力強くするように気を込めればいいの」
「うん」
そう言って一刀は頷き、静かに全身へ気を、力強さを、と充実させて、雲華から差し出された剣のぶら下がる帯を、右手で受け取ろうと手を伸ばす。
そして、帯を握り締める。重い剣を受け取った方の足の部分に僅かに負荷が掛っているのが分かる。しかし、一刀はその重たい三十キロ近くはありそうだった剣を……片手で普通に受け取れていたのだ。それも手が伸びきっている状態でである。
以前との体験差に感無量であった。雲華が片手で軽く持っていたように、自分が今、その様にこの重量級の剣を持っている事に。
「抜いてみれば?」
雲華に促され、一刀は鞘を左手で掴むと、剣を鞘からカチリと鞘外れの音をさせて抜きさる。そして、右手を伸ばして剣を斜め上にゆっくりと翳してみた。あれほどの重さだったのに普通の剣よりも軽く感じるほどスムーズに振れた。
横でそれを、雲華は微笑みながら見ている。
だが、ほどなく剣に重みを感じるようになってきた。一刀は鞘を地面に置いて、雲華から少し離れて両手で剣を振ってみる。気を込める事で、体に力みが入ることから動きがぎこちない。
そして、まだ片手でも振れるが、やはり少し重く感じる。どうやら少しずつ重さが増していく感じだ。
そこで、雲華が声を掛けてきた。
「さすがに、『剛気』の持続力もまだまだね。北郷、そろそろ鞘に収めなさい。持てなくなる前にね」
一刀もそう思い、素早く剣を鞘に納めると、剣をお礼と共に雲華に返す。
「大事な剣なのに、貸してくれてありがとう」
「別にいいのよ、君なら。また貸してあげるから練習しなさいね」
雲華は、そうニッコリと微笑んでくれる。
この時代だと、宝剣はとてつもない価値があるものだ。雲華は言っていた。この剣は高名な老師仙人が作ったものだと。
これほどの切れ味のある名剣だ、きっと広大な領地や、天下の財宝と比肩するものだろう。
本来なら一刀は、影を見る事すら叶わない剣だろうなと思うのだった。
雲華は、剣を肩に掛けながら「次は上で読み書きの勉強をしましょうか」と告げてきた。
一刀も早朝から体力、精神力面をかなり消費した思いがあるので、すぐに頷いた。
雲華は一刀の返事を確認すると、梯子横の長椅子を持って梯子を上がっていった。
一刀も忘れものが無いのを一応確かめると梯子を上って家の中へ入って行く。
ほどなく、食卓に筆記用具や竹簡の冊などが並び、一刀らはいつものように机を挟んで向かい合って読み書きの勉強に入る。
神気瞬導の修行の方は、目に見えて結構な前進があったけれど、勉強に関しては普通の記憶力しかない一刀には中々荷が重い。
しかし、雲華の記憶力は本当にすごい。一刀は大きめの木簡に、漢字を適当に練習して表面を埋めたものを雲華に少しの時間見せた。そして、木簡を雲華に見せないようにして何文字目にある文字が何かを聞くとすべて正解したのだった。おまけに「なんなら見ずに全部書いて見せましょうか」と言って来たから完全にお手上げである。一刀もそれなりに知人は多かったが、こんなすごいのは見たことがなかった。
一刀は、頑張るしかなかった。
それでも、少しずつではあるが読める文章や、書ける漢字も増えて来ていた。
半時(一時間)と少し、読み書きを進めると昼食になった。
昼食は水餃子であった。
うまい……雲華の手料理は、本当にうまいなぁ……あぁ幸せだ……と、一刀の頭の中も水餃子のようにぷよぷよになっていたらしい。
雲華もその様子に満更でもなかったようで、食事中に笑顔が絶えることはなかった。
昼食後はふたたび、読み書きの勉強になった。一度休憩を挟み、一時(二時間)ほどして終わりとなった。
勉強の教材として、文章読解にはいつも有名書物の竹簡の冊が使われている。孫子などは結構面白い。概念的なことを教えてくれるため、現代人が読んでも十分に参考になるものだ。さすが二千年を超えても伝わっているだけはある。
一区切りついたところで一刀は、雲華へこの時代の手紙の書き方について聞いてみた。どうやら、格式に依って大きく変わるみたいだった。一方で、友人らの間では結構いいかげんになってるらしい所もあるとか。いつの時代も変わらないんだなぁと一刀は思った。
格式が上がって行くと木簡を木箱に入れて、その箱や紐にも階級があるようだった。
そうして読み書きの勉強が終わると、再び修行となった。
しかし雲華曰く、食堂で出来るからと、このままここでやるらしい。
「君は朝の修行で、少し自分以外の気が見えるようになってるんじゃない?」
雲華はそう言って来た。一刀もそうなのかなと、昨日試してた目を開けたままで自分の気の流れを見てみる。気の流れを意識すると、腕や指の気の流れが昼間の明るい部屋の中でも薄っすらと見えてきた。
「お、ホントだ」
「朝に、私の放った気が見えてるんだから、自分の気の流れぐらいは、まあ見えるでしょ。で、私の気は見えてる?」
言われて一刀は、自分の腕の方を見ていた目線を、雲華の方へ向ける。
すると、雲華の姿にダブって……気の流れが服を透過して3Dのように薄っすらと見えている。分かると思うけど、正直余り気持ちの良いものではないのだが。
しかし、服の上からでも……カタチは見える!
「み、見えてるよ」
特定の部位に集中しかけているため、返事すら覚束ない一刀に、雲華はその二つの柔らかな部位の前へ人差し指を立てた右の拳をスッと出して来る。一刀は、すでに血走ったヨコシマな目線をしているのだろう。だが、一刀に注意するわけでもなく声を掛ける。
「この指の気の流れも見えるわよね……?」
ナニ!? 最重要目標の視界に、『異物』がぁぁ!……ここで、はっと、我に返る一刀。
危ない、危ない。相手が『悪魔』さまという事を忘れてはいけないのだ。
僅かな油断や判断ミスで、脳ミソごと記憶をケズり出されても不思議ではないのだから。
「ああ、ちゃんと見えてるよ」
「じゃあ、この指の気の流れを止めてみて」
どうやら、雲華は一刀にあの気を絶にする技、飛加攻害(ひかこうがい)をさせようと考えているようだ。
確かに、神気瞬導の基本技にして、非常に強力な技だと思えた。一刀は雲華に質問と要望をする。
「俺が気を飛ばして、雲華の指の気の流れを絶てばいいのかな? でも、気の飛ばし方は良く分からないから、まず教えて欲しいんだけど」
すると、雲華は一刀の考えを否定するように返してくる。
「今はまだ、君は気を飛ばす段階じゃないわ。だから、指に直接触って気の流れを絶にする気を送ってみて頂戴よ」
「ああ、わかっ………えぇっ!? いいの?! ホントにいいの?」
「な、なにが?!」
一刀は急に動揺し、雲華もそれに少し驚く。
女の子の体に、肌に、一刀自ら触る……こう書くと、表現にヨコシマなものを感じざるを得ない。
一刀の気持ちはそんな気持ちである。自分から触れれる、そんな状況が学生になってからあっただろうか! ……いや、無い……皆無……だったのだ。
ある意味、大きな一つの壁を超えれるかもという『感動』の出来事である。
その感動は当然、雲華の考えの外なので、彼女にとって『これは大事な何かへの許可確認?!』に聞こえてしまい、何事かと驚くのだった。
一刀は恐る恐るという感じで雲華へ確認する。
「えっと……指に触っていいの?」
「いいわよ。なにかあるの? そんなに驚くように確認して」
「い、いやなんでもないよ。なんにもないから!」
自身も気付かぬうちに雲華は、一緒に暮らす一刀へ愛着が出て来ており、自然に抱きしめたりしているので、「指がなに?」という感じであった。
首を傾げつつも雲華は、一刀へ飛加攻害について改めて説明する。
「飛加攻害は、神気瞬導の基本にもっとも近い技よ。純粋に気の流れを止めるという絶気を、相手の有効な部位に叩き込むのよ。その効果は絶気の強さに因るから。流れを完全に絶たないようにする弱い気だと、時間が経てば回復する。完全に絶っても、気が弱ければ人によっては回復する。それは、ほんの一部の気の流れが、少し絶たれたから元に戻るのよ。でも、強力な絶気はその部位から、完全にすべて気の流れを失わせる。これを復元するには気功の達人でないと無理だから。強力な絶気だと普通の人はもう一生、その部位に気が戻ることはないはず。すなわち、技を受けたその部位はほぼ死んだということよ」
何度聞いても神気瞬導の恐ろしさを感じる話だった。人臭いという仙体術であるがゆえに、人にもっとも効果のある術でもあるだろう。
雲華の話は続く。
「北郷。もう君は、飛加攻害を受けてもほぼ瞬間に完全回復できる。それもこんな短期間の修行でね。実は完全回復というのは、気の達人でもそう出来るものじゃなのよ。それは、自分の体から失なわれた気そのものを、再度出したり集めることや、元通りに再び通すことが非常に難しいからなの。言っておくけど……君の回復の速度は、私の回復の速度ともうそれほど変わらない」
「ええっ?! そうなの?」
「基本だけど……いえ、基本だからこそ、本来はそれほど難しいことなのよ」
雲華は少し呆れ気味に一刀へ話をした。
「気力は無限……とはいえ、君に真髄の一旦を見るとは……分からないものね。さて、修行に戻りましょう。とりあえず、私の人差し指の根元に触れてみて」
「うん」
一刀は左手の人差し指と中指とでゆっくりと、雲華の右手の甲側から人差し指の根元に触れる。……一刀はこっそり思う。やはり、少し自分より柔らかいなぁと。
雲華は一刀へ促すように言う。
「さあ、流れを止めてみて」
一刀は、そう言う雲華へ目を合わせて小さく頷く。
止まれ、流れよ止まれ、気の流れよ……止まれ! 触れる雲華の指元に、強く絶の思いを込めた気を一刀は送る。すると、一刀の気が雲華の人差し指の根元の中へ入っていく感じと同時に、目視していた雲華の右手の気の流れから、人差し指の流れが絶え、根元から指先に向かって停滞した気の姿が徐々に消失して行った。
さらに手の甲の半分ほどと中指、薬指辺りまで、まとめて絶の範囲は染み入る様に広がっていく。そしてその範囲は、皮膚の表面からも色が変わっていくのが分かる。生気が無くなっていくのだ。
一刀は……怖くなった。人の……雲華の綺麗な肉体の生気が、部分的に徐々に失われてゆく。
次の瞬間、目を瞑ると一刀は、本気の全力で瞬間回復を雲華へ掛けていた。それはあの白き光に輝いて放たれていた。と同時に、雲華の手はまさに一瞬で気の流れが完全回復する。
一刀は、俯いて食卓の上の木目を見つめていた。
冗談じゃない! 指先だけと思っていたのに……毒のように広がっていくものなのかこれは……この技はと。
雲華から、穏やかに諭す声が聞こえてくる。
「この技を身に付ける為には、必ず相手が必要なのよ。君なら出来るようになるから」
「でも、もし……」
「大丈夫よ、北郷。私はそんな簡単には死なないから。でも、心配してくれてありがとう。とっても嬉しいわ」
そういうと、雲華は優しく、一刀の伸ばしていた左の手を握り返すのだった。
雲華は、飛加攻害の修行はそこで一旦終えることにした。
しかし、彼女は『悪魔』さまである。気分転換にと、次の修行が木人との実戦剣術であった。
おまけに朝に百人隊長程度へ上げたばかりだというのに、はや千人隊長並みだというのだ。
一刀はすでに梯子を下りて広場へ出て棒を握り、木人と相対する形で向かい合っていた。
「北郷、『速気』や『剛気』は、よわーく使うのよ」
なんともアバウトなアドバイスである。まあ、言いたいことは分かるが。しかし、相手は千人隊長並み。間違えば、自滅かヒキニクなんだが。『ブドウ狩り祭り』はまだ続いてるのかよ?ああっ?と、一刀はやるせない気持ちに成りかける。
しかし、『悪魔』さまは釣るためのニンジンも忘れてはいない。「終わったら、山菜取と温泉よ♪」と、いう事だった。
(うおぉぉぉぉぉーー)
拳を静かに握ると頭の中で吠える一刀の、一瞬朽ちかけた気力がヨコシマな想いに瞬間完全回復する。いや、気が百二十パーセント溢れ出ていた……『温泉タイムプリーズです!』と。
さらに、一刀の調子に乗った声が吠えた。
「悪いな、木人くん。グズグズしている暇がなくなったんだ。プリーズなんだよ!(……なにが? 温泉が、だ!)」
「………」
当然、木人は無言である。口など無いのだから。
そんな様子を見ながら、雲華は始めるよう合図する。
「じゃあ、初めて」
まず、仕掛けたのは木人だった。千人隊長とは、歴戦の兵か、技量の高い兵のみである。雑兵のレベルではない。素早く一瞬で、下段から上へ――棒を右斜め上へ切り上げながら一刀の間合いに入ってきた。
昨日までならこれで、一刀は一撃KOだった事は間違いないという攻撃だった。
対して一刀は、雲華の声が掛った瞬間から、『速気』を使っていた。だが、雲華の意に反して全開で使っていた。それは、千人隊長のスピードが分からなかったからだ。
そのため、超高速までコマ送りで見れる、『速気』全開状態で待機することにしたのだ。動かなければ風というか、空気の抵抗は受けないのだ。一刀は、結構本番に強いようだった。
しかし、『剛気』は重たいものが持てるから効果は一目瞭然だが、『速気』は自分がどれぐらい早いのかが、分かりにくいことが難点だなと一刀は感じていた。三倍速いのか、十倍速いのか……その辺が掴めるようになる頃には、それなりの使い手になれそうな気がした。空気の抵抗もそれに反して受けるだろうし。
一刀は、踏み込んできた木人に対し、『速気』を少し落としてゆっくり動き出す。それでも十分だった。木人の動きは面白いように完全にスローに見えている。まず、木人側の下段から右上への切り上げに対しては、一刀側から見ると右下から左上に切り上げて来るように見える。
なのでゆっくりとその流れから外れるよう、棒の刃の通過した木人から見て左側前に移動する。この位置だと振り終わった後でないと切り返すのは無理なため、最も不利で且つ完全に間合いの中に入られたことになるのだ。
一刀が移動したのに、その時木人が気付いたようだった。腕は振り切るしかないので、動きの方向は変わらないが首がこちらへゆっくり少し動いた。
とはいえ、木人はのっぺら坊なので、どうやって視覚的に一刀を捉えているのか謎は多い。と、どうでもいい事を考えつつ、一刀はバランスが崩れやすいように、木人が腕を振っていく方向へ合わせて胴を軽く打っておく。そして、一刀はそのまま木人の左横を後ろへ抜ける。するとやはり木人は打たれた分の踏ん張りが効かず、数歩ととっと前に突っかけていた。
一刀は、千人隊長並みの木人を軽くあしらって見せたのだった。
辺りを警戒しながら構え直す一刀は、その結果に思ったほど驚いていなかった。『速気』を使った時に木人の動きが止まったように思った瞬間に、この結末は見えていたからだ。驚いたのは、初めに木人の動きが止まったように思った瞬間が最高だったのだ。
だがまだ、修行は終わっていない。木人はすぐに体制を立て直すと、一刀へ向かってきた。それを、『速気』『剛気』を使っていなしたり、間合いに切り込んで面を打ったりとほぼ一方的に木人を一蹴していた。
しかし、十五分も過ぎたころ、『速気』の掛りが悪くなりだした。まだ初心者のためだろう一刀は、気力が息切れして来てしまっていた。
これこそ『悪魔』さまタイムであった。
一刀は横目でチラリと雲華を見た。
しかし雲華は、全く止める気はなさそうに、一刀が見た瞬間にニンマリと『悪魔』の笑顔を浮かべていたのだった。
一刀は「しまった」と思った。「よわーく使うのよ」という意味はここにあったらしい。
そう、これは当初から持久戦を想定していた剣術練習だったのである。
だが、一刀は思った。俺を、俺の栄光を、部位を、リビドーを甘く見ないでもらいたい!と。
目を静かに閉じ、温泉タイムを想像する一刀。そんな場合じゃないんだが……。
木人は弱ってきだした一刀へ、千人隊長の力を見せ俊敏に迫る。
そして、木人は情け容赦なく一刀へ渾身の一撃を振り下ろしていく。
そこで……雲華のニヤけていた表情が、「ん?」と言う意表を突かれた感じに変わる。
満ちているのだ、一刀から。
「我が気力は無限なり」
そう悟りを開いたかのように呟くと、一刀は静かにゆっくりと動き出す、『速気』で。そして、木人の振り下ろしてきた、もはやスローな手首を掴むと……さらに『剛気』をも使って木人の体を持ち上げると――――
雲華側へ投げ飛ばしていた。
一刀は、どうだ!という顔で、血走った目で雲華の方を見ていた。
先ほど目を瞑った間に一刀は思い出していた。そうあの、温泉で薄い紺色の湯あみ着ごしに見えた、二つの膨らみのさらに中に見えた薄い……ふおぉぉぉぉぉぉぉ!!
(ふふふ、瞬間回復する、この満ち溢れる圧倒的な気を見るがいい! ただし、ヨコシマなモノだけどな)
雲華は少し呆れたように口を歪め、肩の横辺りで「参ったわ」とに手を広げて見せる。とはいえ何故かまた嬉しそうに微笑むのだった。
そして、今日の修行はもう終わりにしましょうかと告げる。
一刀は投げ飛ばした木人を起こしてやる。ちょっとやり過ぎてしまったので、謝った上で、立ち上がった木人についた土を綺麗に払ってやった。幸いどこも壊れていないようだった。思いっきりぶっ叩いた時といい、木人は結構頑丈みたいだ。
木人は、棒を倉庫横へ片付けると倉庫の中へと戻っていった。
その様子を見ながら、雲華はそれじゃあと言葉を続ける。
「お待ちかねなのかな?……の山菜取りと水汲みがてら温泉にいきましょうか」
「うん」
一刀は内心で「ヒャッホ~イ」とガッツポーズするのだった。
一刀と雲華はいつもと同じように、大籠と水瓶と肩に袋を持って、普通に山菜……(あ、途中でイノシシが獲れました。雲華が『剛気』で瞬殺)を取って、普通に温泉に到着して、普通に雲華が水瓶にお湯を豪快に汲んで、普通に温泉に入って……入ったところまでは普通だったのだ。
どうしてそういう事になっているのか……一体どうして……どうして『それ』は……それの色が『白い』んでしょうか?
もう、おわかりになっている方もいるかもしれませんが。
そう、雲華の湯あみ着が薄い紺ではなく……『白』、完全に純白なんですけどぉ!!
お湯が滴ると……張り付いちゃうと……ぁあl、sだlskdぁs……なんですけど!!!
現代の白水着のように濡れた時のスケ見え防止とか、そんな表現の自由を無視した、男にとって横暴な機能はついていないんですけど?!
温泉。それはまさに桃源郷だったのだ……エロい。
今、一刀と雲華はいつもの様に岩に寄り掛りながら横に並んで入っているのだ。
彼が横目でチラリと見ると、その光景が……湯気の邪魔や、お湯の波で多少歪みは出るが……目に……いや、脳細胞にそれは焼き付いていく。
(もう焼き付けるしかない! 見えちゃってますよ、色んなイロが……。もう見えちゃってると言っていい。神様がきっと許してくれる!)
一刀は、そんな訳の分からない事を脳内で叫びまくっていたが、やはり雲華の事が気になったので聞いてみる。
雲華は横にいるのだが、先ほどから黙ったままなのだ。
そして、顔が……体全体がほんのりと桃色肌なのだ……。どう考えても恥ずかしいと堪らなく感じているはず。
一刀は気を利かせて、雲華の方は見ずに正面を向いたまま、顔を雲華の方に寄せて聞く。
「あの……雲華さん? どうしたの今日の温泉は。……なんか無理してないかな」
「別に。……誰かさんが、頑張ったご褒美なんじゃない? それに……(そう、何事にも始まりはあるものなのよ)」
雲華の途中からの言葉は、口を水没させてブクブク言っていたのでほとんど聞き取れなかった。
「それに? なに?」
「なんでもないわよ」
雲華へ聞き直しても教えてくれなかった。
雲華の態度が心配になって、この決定的な状況にもかかわらず、いまいち一刀のリビドーは反応しない。
そして、十分温泉を堪能した二人は湯船から上がることになるのだが、いつも雲華は一番遠い端まで、首を水の中に付けて移動し湯船から上がって行く。
しかし今日は、なんと少し離れたところから立ちあがって深みへ移動していく。まだ浅い場所なので太腿ぐらいまでしかお湯はなく、背中を向いているとはいえ、お湯が滴り湯あみ着が張り付いた体が……背中から桃なお尻が透けてほぼ丸見えなのだった!
「ちょ! 雲華! 見えてる、後ろ、見えてるよ!」
思わず、一刀は声を上げて雲華へ教えるが、ゆっくりと恥ずかしそうに僅かに振り向いた雲華は、小声でつぶやくと前を向いて対岸の岩を上がって着替えに行ってしまった。
一刀はそれを茫然と見守っているだけだった。
当然、脳内では全編を完全焼き付き録画されているのは、言うまでも無いが。
耳を疑った。
恥ずかしそうな小声だったが、なんとか聞き取れた。
「見たければ……勝手に見ればいいじゃない」
しばらく放心してから、「えぇーーーーーーー?!」という一刀の絶叫が温泉に響く。そのあとに「早く着替えなさい!遅いと水瓶も持たせるわよっ!」という怖い声が聞こえていた。
雲華の巨木の家へ帰る途中、一刀と雲華は一言も言葉を交わさなかった。
お互いに少し、気恥ずかしいところがあったからだが。
しかし、家の前の梯子の下までへ来ると雲華から一刀へ話しかけてきた。
「少し、割に合わないわね」
「えっ?」
何の割があわないんでしょう……って、まあ先ほどの湯あみ着のことだろうなと一刀も理解する。
「だから」と前置きすると、雲華は一刀の『名前』を呼ぶ。
「一刀。今から北郷ではなく、君の名前で呼ばせてもらうから……ね」
雲華は、少し心配気味に、少し恥ずかしそうに上目遣いで確認するように聞いてきた。
一刀は、何を言い渡されるのかドキドキしていたのだが、その反動もあって大喜びである。そして、この身寄りのない不安な時代に来て、敬愛する雲華から名前を呼ばれる正直な気持ちを伝える。
「いいよ! 雲華と家族みたいでとても嬉しいよ!」
それを聞いた雲華は……完全に真っ赤になっていた。普段の彼女には全く油断も隙もない。しかし、この時は完全に意識が止まっていた。それほど彼女にとって『家族』とは衝撃的な言葉だったみたいなのだ。それを誤魔化すように、雲華は、急いで梯子に向かって移動しながら顔を一刀から隠すと告げた。
「じゃあ、一刀。ご、ご飯にするから食卓を拭いておいてね」
そういって、雲華は飛ぶように梯子を上がって家の中に入っていった。
「ん?(俺がうれしいと恥ずかしいのかな?)」
と、そんな見当違いなことを考えていたが、まあいいかと梯子を上っていった。
家に入って、イノシシまで乗せた籠を、調理の邪魔にならないように調理室前に置く。前回だと重くて運べなかったものだが、一刀は『剛気』が少し使えるようになったので、なんとか運べるようになっていた。
一刀は雲華に言われたように食卓を拭いたり、棚を整理したり床を少し掃除したりした。
ふと気が付くと、調理室前の籠とイノシシが消えていた。そういえば、先ほどから調理室の方から、ダダッ、カカッ、ドドッと高速な斬撃音が飛び交っている。
ちょっと怖いので覗くのはやめよう。どうせ血まみれの手と巨大な中華包丁を握って振り向く、蒼い双眼状態の雲華に「ふふふ、なに? 一刀。君も調理されたいの?」と言われるのがオチである。
まさに、触らぬ『悪魔』に祟りなしなのだ。
今日は、さすがに少し調理に時間が掛ったみたいだ。しかし、出てきた料理は手が込んでいたものだった。何かお祝い事みたいな豪華さである。皿を手早く並べ終わると雲華も席に着く。最後に変わった形の、コップのような器を二つと瓶を持ってきた。コップのような器を一刀の席へも置く。雲華が瓶の栓を開けると、「さあ、どうぞ」とお酌をしてくれる。一刀は器を持つと雲華がついでくれた。
「これは?」
「お酒よ。名酒造りの仙人から手に入れたものよ」
「俺、お酒を飲んだことあんまりないんだけど」
「まあ、これなら美味しいし多少は大丈夫よ。さあ一刀、少し飲んでみて」
「じゃあ」と一刀は少し飲んでみる。 ん?これは……思ってたよりもうまい! 味について雲華に告げる。
「これ、おいしいね。果実酒?」
「そうよ。甘めだから一刀も気に入るかと思って」
雲華は、一刀が気に入って飲んでくれて嬉しそうにニッコリを微笑んだ。一刀は「じゃあ、次は俺がつぐよ」とその瓶を受け取り、雲華についであげる。注がれるのを待つと、雲華は「乾杯しましょう」と言うので、一刀は器を軽く合わせる。すると漸く雲華も少し飲む。「やっぱりこれは美味しいわね」といつも愛飲しているのか、満足そうに器の中のお酒を見ていた。そして、一刀へ向かって言う。
「さあ、食べましょう。冷めちゃうから」
「そうだね。いつもに増して美味しそうだ」
「今日は頑張ったから一杯食べてね」
「うん。さぁ、食うぞぉ!」
一刀も今日は一杯食べれそうな気がした。下品にならない食べ方でガツガツ食べる。雲華はそれを楽しく見ながら、たまに手酌しながら優雅に食べていた。彼女の場合、お酒に強いのか一瓶飲んでも余り変化はなかった。一方一刀も酒に強いのだろうか、たまについでもらいながら飲んだが、余り酔った気はしなかった。お酒が仙酒だったかもしれないが。今日は贅沢だなぁと一刀は思う。
そして、イノシシの肉を薄めに綺麗に焼いてあるのが特に絶品だった。久しぶりに焼肉食ったぜ!という感じである。少しクセはあるが、この時代、この世界なのだ。万物が食になっていくのも自然の流れだった。
「あーうまかった。ごちそうさま」と一刀は雲華にお礼をいう。お腹一杯だと、長椅子に寝転びたくなるが、雲華はまだ片付けもあるのだ。
「おそまつさまでした」と可愛く微笑んで調理室へ皿を運んでゆく。今日は数が多かったので、調理室の傍まで一刀も皿運びを手伝った。歩きながら横に並ぶと雲華はすごく嬉しそうだった。一刀は戻って食卓を拭き、床が汚れてないか確認したりしていた。
雲華が食卓に戻って来ると、読み書きの勉強になった。筆記用具類と木簡、そして竹簡の冊を机に配すると、一刀は雲華からまず、ひたすら漢字を覚えさせられた。ここへ来て十四日経つが、雲華の反復練習ですでに二百から三百文字ぐらいは、新しく意味なども覚えたようだった。必死にやれば凡人でもそれなりに覚える物だという事だろう。そして、普段から漢文ばかりだとそれが普通になってくるものなのだろう。一刀は思う。住めば都というが、やはり慣れなのだろうか、と。
一時半(三時間)程したところで、今日は疲れただろうからと、寝る事になった……なったのだが。
歴史がまた一つ動いた。激動です……それなりに。
一刀は、いつものごとく『長椅子ダブル寝床』を作ろうと食卓を避けるために長椅子を動かそうとした。すると雲華から声が掛った。
それがいつもの、寝る前の挨拶かと思いきや全然違う事を聞いてくる。
「一刀も……そろそろ、これだと寒いわよね?」
「えっ? あ、ああ、でもまだ大丈夫かな」
何故か照れながら言う雲華だが、きっと気を遣って言ってくれているんだと思い、一刀は軽く返した。すると、雲行きが怪しい。
「そろそろ、寒いわよね?」
なにやらトーンが下がった声質に『悪魔』さまを感じる一刀だった。『悪魔』さまが黒といえば、白でも黒なのである。そう答えるしかないのだ。完全なるイエスマンになる。
「はい、そろそろ寒いです」
一刀は素直に棒読みでそう答えた。俺は間違っていない、一刀はそう信じている。それを聞くと雲華は「よろしい」と答える。次に雲華の口から何が飛び出してくるのか、またも怖い意味でドキドキしながら待っていると―――トンデモナイ提案が聞こえてきたのである。
「一刀は、上の部屋の私の寝床で寝なさい」
(なにぃーー!?)
それを聞いた一刀は慌てる。雲華を追い出して寝るなんて無理だろ。すぐに一刀は言い返す。
「そんな! 雲華の寝床を奪うなんてできないよ。雲華はちゃんと自分の寝床で寝ないと。俺はここで大丈夫だから」
すると、雲華はニッコリと少し照れながら、最高の笑顔で答えていた……。
「一刀が私の寝床で寝ても大丈夫よ。ちゃんと――――私もそこで寝るから」
一刀は余りの内容に思わず聞き返す。それに雲華は答えていく……が。
「…………もう一度お願いします」
「大丈夫よ。ちゃんと私もそこで寝るから、一緒に」
「…………もう一度お願いし――」
「一緒に寝るのよ」
最後は、一刀の声を遮りながらの『悪魔』さまの声と凄みのある表情だった。もはや、一刀に選択の余地は皆無になった。一刀の返事は短く棒読みの一言である。
「はい」
ああ、夜は更けてゆく……。
つづく
2014年04月19日 投稿
2014年04月25日 文章修正
2015年03月07日 文章修正(時間表現含む)