その話が振られたのは、ちょうど朝の訓練でロズワールに遊び倒されていた時のことだった。
「『聖域』……ですか」
「そぅ。名目上はわたぁしの領地ということになっているんだぁけどね。ちょぉっと用事があるから、一緒についてきて欲しいんだぁよね」
話半分に軽くいなされ、渾身の一撃が地面に激突する。拳が大変痛うございます。
その後も何度も向かうが、どうも躱され、受け止められてしまう。手を使わせているだけ、かなりの進歩だと思うべきだろうか。
話を纏めると。
・定期的な視察で聖域に行くよん。
・ついでにフレデリカの身内に会うから顔合わせしとかなぁい?
ということだった。ちなみに原文ママである。
フレデリカの身内……というのは、恐らくガーフィールのことだろう。先輩が目を伏せたあたり、リューズさんじゃなくガーフの線が濃厚だ。
「行くのはラムとリルの二人だけでぇいい。流石に四人で行くには重量的に厳しいからぁね。なぁに。ちょっとした娯楽と思ってくれればいいから。気楽ぅにいこうじゃぁないか」
む。下姉様を置いていくのか。じゃあ日帰りで帰らないとだ。姉様が寝れないし。……いや、1日くらい放置してても美味しいのか?
とりあえず下姉様に相談してみたところ、三秒間死ぬほど悲しそうな顔をされてから、今日は一人で寝れますから、気をつけて行ってくださいの言葉をいただいた。左腕を犠牲にしてでも帰ってきます。むしろ犠牲にする。
にしても、重量オーバー?娯楽?ガーフィールに会いに行くだけだよね。一体何を………
数十分後。
「あばばばばばば」
「リリリリル!だだだ大丈夫ブブブブ」
「ハハハ、ごめんねーぇ。こうするとわかっていると、みんな嫌がるものだぁーから」
僕と上姉様は、空を飛んでいました。そりゃもう武術で投げられるとかじゃなく、物理的に。ロズワールの服の中に突っ込まれる形で飛翔しています。この構図ジャンプ漫画のどっかでみたことあるな!!
にしても、怖い怖い怖い。めっちゃ早いし、高いし、落ちたら絶対ただじゃ済まんぞこれ。最悪ワイヤー使えば助かる可能性……ないな!できる気しねぇ!
「竜車を使えばいいんだぁーけど。こっちのが断然早いからぁね」
「むべべべべべべ」
師匠曰く、この世界で空を飛ぶのは変態の所業ということだが、さもありなん。これは変態だわ間違いない!!
てか師匠!!こんなことになるくらいなら扉渡り使って聖域まで送ってよ!!可愛い弟子の頼みでしょ!?いや、まだ弟子になってないけども!!
そんなこんなで。
ものの数十分程度で、空中浮遊の旅は終了。確かにこれは早いけどさ。うん。次からは竜車使おう。ホントに。
とりあえず下ろしてもらった瞬間ロズワールに一発見舞うが難なく躱され、逆にデコピンを喰らわされる。地味に痛い。今ほど『憤怒』の権能が欲しいと思ったことはないわ。
「竜車じゃダメだったんですか!?」
「うーん、でぇもそれじゃあ、往復でかなりの時間を食ってしまうじゃぁない?それだと、日帰りが難しくなるでしょ?」
………む。確かにそれは痛いところ突かれた。日帰りじゃないと下姉様が寝られないし。
仕方ないので姉様に痛いの痛いのとんでけをしてもらっていると、こちらに近寄ってくる人影があった。上姉様と同じピンクの髪を腰ほどまでに伸ばした、老健な印象を受ける少女。
「おや。随分と派手な登場じゃな、ロズ坊。……そちらの子が、噂の鬼族かえ?」
誰であろう。エキドナの複製として造られ続ける少女。その一機、リューズ・メイエルさんである。
「あーらら。これはこれは。はい、その通りでして。……そういえば、ガーフィールはどこに?」
「今はちょうど森の探索に出かけておるよ。ロズ坊は、いつも通りうちに?」
「えぇ。数時間の滞在ですが、どうかお手柔らかにーぃ」
ゴマをするように手をこね合わせるロズワール。
…………クッソ怪しいなこいつ。絶対なんか企んでるぞ。ピエロの格好でそんなことしたら疑うに決まってんだろ。
「ロズワール様。ラム達は一体何をすれば?」
「ああ、どうやら今は目標の相手がいないみたいだぁーね。わたぁーしが探してくるから、それまで適当にそこら辺をブラついてくれてていいよん?」
相手……話し相手とか顔合わせ相手ということでは……ないんだろうなぁ、多分。これはあれか。井の中の蛙状態のガーフィールに、外の人間の強さを教えてやれ的なやつか。
ついでに、と。ロズワールは上姉様の耳元でゴニョゴニョと何かを囁く。
やめて差し上げろ。上姉様が真っ赤な顔して恍惚としてるじゃないか。身内のトロ顔なんて見たくないんですけどォ!いや好物だけども!
顔を離し、数秒後になんでもないような表情に戻る上姉様。いや、隠せてねぇからな?
「………承知しました、ロズワール様。じゃあリル、いきましょう」
「上姉様がそう言うなら」
言われた通り、アーラム村より少し狭いくらいの村を石畳に沿って一緒に歩いてみる。
………目的地のない歩みというのは、やはり少しだけ退屈である。暫くすればロズワールがガーフィールと合流して呼んでくれるんだろうが。どうしても満喫できない。
む、石畳が二手に分かれたな。
「上姉様。どっちに行く?」
「…………リルはどっちに行きたい?」
「うーん……右、かなぁ」
「じゃあ、ラムは左に行ってみるわ。何かあったら呼んで頂戴」
む、別れるのか。ちょっと意外かもしれない。
まぁ、断る理由もないから言った通り少し大きめの道の右側を進む。そして歩きながら、若干の違和感を感じていた。
──普段の上姉様なら、危ないから一緒に行くって言うと思ったんだけどなぁ。
………というか、最近僕は定期的に愉悦分を摂取できるお陰で、愉悦道の精進が足りないのかもしれない。
八極拳はだいぶいいところまで行っているが、下姉様に適性が高すぎてたしかに最近は上姉様の方もおざなりになっていたのかも。
上姉様が、立ち直りかけてる?
いけない。それだけは、いけない。
愉悦のマンネリだけは避けないと。感情には鮮度があるのだ。最低でもあと数年は待たなくちゃいけないんだから、ここで慣れられてしまっては困る。
かといって、今の平和な状態でできる愉悦は限られている。突然怪我をしようにも怪我をする場所すらないし。義手にもちょっと慣れ始めているからそこで違和感を出してもと思う。そもそも、新しい刺激を求めているのに過去の欠損について気にさせるのはなんか違う。
───いっそのこと、墓所に行って拒否反応を……
「これァさながら『崖を背負うミデンに逃げ場なし』……もとい、『ミルキスに退路なし』ってェことだろォよォ」
「………ん?」
おっと。そんなこんなを考えている間に客人のご登場のようだ。
訳のわからない慣用句を使う、特徴的な喋り方。
か行を繰り返す笑い方をするには若干声が高めな、僕とさほど背丈の変わらない金髪の少年が、後ろ手の木の枝の上でバランスをとっていた。
その顔には特に歯以外に額の傷があり。ついでにいえば怖いくらいギザギザな歯が、パイセンの身内であることを教えてくれる。
「ンだァ?ほんッとに見る限り人とかわんねェんだなァ、鬼族ッてェ奴はァよ」
「ガーフィール、で合ってる?」
「応よ。俺様ァガーフィール・ティンゼル。この『聖域』の……そう、守護者!守護者やってる男だぜェ」
ふむ。……何にせよ、厨二っぽいけど聖域を守る的な名前を名乗ってるってことは……
「そういうテメェは、ラムッつゥ奴かァ?」
「外れ。リルはリルだよ」
「随ッ分変な自己紹介だが………まァイイだろ。話はロズワールから聞いてッだろうからよォ……とりあえず」
え?話?いやいやいやいや。聞いてないんすけどぉ!?
「死に晒せやァ!三下ァ!」
「三下って言っちゃった!!」
そのうち演出ご苦労ォ!とか言い出しそうな掛け声を上げて、ガーフィールはこっちに突っ込んで来た。ベクトル操作とか世界観無視なことはやめてくださいよ。
……うん、別段そんなことはなく、辛うじて見えるくらいの速さだ。これぐらいなら、余裕を持って避けられる。
「避けッてんじゃねェよ!」
「無茶言わないで!」
俺を殺すなら……カードで殺せっ!!
ちゃんと
街道近くだというのに、平然とこちらへ攻撃を仕掛けてくるガーフィール。地上だとやはり何倍も動きが良い。
……避けられると言ったが、訂正。避けるのに精一杯で、反撃する暇がない。
「オラオラ!どうしたどうした!やッぱ女だッからスカートめくれんのが気になんのかよ!!」
「誰が女か!!」
いや、今メイド服だったわ。執事服は現在屋敷で干されている筈だ。わざわざ他所に行くタイミングでメイド服なあたり、ロズワールの悪意を感じる!!
というか、スカートめくれるのなんかそりゃあ気になるわ!お前は履いたことないからわからんと思うがな!今ですらヒラヒラしてんだからな!おらっ!!お前も履いてみっかコラァ!!
だが、やはりガーフィールは強い。このままいっても、いずれは体力が切れてこっちのジリ貧が確定する。
背を向けて逃げられるのであればそれもいいが、なまじ正確なだけに逃げに徹する自信もない。それをした瞬間後ろからドンが関の山。というか、背後に気を使う余裕がない状態でバックステップ踏みまくってるのに背後の何かに激突しないのがそもそもの奇跡だよ。
このままいつかは衝突して、逃げ場がなくなることは明白だ……
……が。
「──ラムの弟に何をしているの、下郎」
「オブっ!?」
……………上姉様、御到着。
一瞬の掌底でガーフィールを石畳にめり込ませ、沈黙させた。
その石畳と同化した男の子、死んでませんよね。
「上姉様!?」
「大丈夫!?リル!怪我はしてない!?どこか痛くなってない!?昨日の夕飯は覚えてる!?」
なんかとんでもない心配の仕方してるな。大丈夫かと訊かれれば大丈夫と返すのが日の本の心だが、ここまで変な方向性だとかえって不安になってくる。
「全部大丈夫。それより……」
「ごめんなさい、ロズワール様のお願いだったの。ガーフィールの鼻っ柱を叩き折るには、こういう不意打ちが一番楽だって。だからこうして隠れていたんだけど……リルを囮にするような真似をして、お姉ちゃんは自責の念を覚えているわ」
「オゴォ!?」
ゴッ、と。悔しそうに地団駄を踏む上姉様。やめたげてやめたげて。踏んだ先にガーフィールいるから。めり込んでる。ガーフィールめっちゃ石の中にめり込んでるから。
……らしくない選択と思ったら、そういうことだったのか。確かに、ツノなし上姉様にガーフを倒させるなら不意打ちの方がよっぽど確実だろう。
明らかにロズワールと自分に怒りを覚えている様子なので、どうやら僕のことを割り切ったわけではないようだ。
「なんか、ちょっと気が抜けたかも……」
ふぅ、とため息をつき、情けのないことにバランスを崩して尻餅をつく。
その瞬間。
──心を揺さぶる、嫌な感じを覚えた。
「───え?」
視界が全て真っ暗になる。世界への繋がりが、視覚から消えてしまう。次に、聞こえていたはずの声が聞こえなくなる。
焦り。心の逸り。そうして、意識が瞬く間に混濁して。
『───まさか、条件を満たしているとはね。いいだろう。業腹だが、招待するのも吝かではない』
──あ、これ。墓所の………
そうして。
自分が、尻餅をついてとんでもないところに踏み込んだのだと気がつき。
「──さぁ、来るといい。あの忌まわしき女を殺し尽くした愚者よ」
誰よりも『強欲』な女の声を聞いた。
「いらっしゃい。私の茶会へ。尤も、本来なら君のようなゴミは招き入れる価値すらないのだけど。招かれざる客、というやつだね」
棒立ちになっていた僕は、背後から声をかけられた。振り向けば、そこには小高い丘があった。芝生に、日除けのパラソル。日陰には白いテーブルと白い椅子。そして。
「やぁ。ボクの名前は──」
「すいません、チェンジで」
「は?」
「『リルは墓所に踏み込まず、あなたの茶会に参加しませんでした。今頃は、夢を見ず現実に戻っているはずだ』」
助けてぇぇぇ!!『虚飾』の権能ぅぅ!!ついでにパンドラぁぁぁっ!!拷問されちゃううぅっ!!日米和親条約結ばさせられちゃうぅぅ!!これ終わったら名前つけてあげるからぁぁ!!
「はぁ!?ちょっ!?」
焦ったような魔女の声を背景に、世界は再び、視界を白の色彩で覆い隠した。
───出てくるのが四章ばかり早いよ!!
「リル!リル!!しっかり!しっかりして!」
「………上、姉様……?」
目が覚めると、目の前には泣いている美少女が。………この構図もどっかで見たことあるな。
どうやら僕は、上姉様に膝枕をされているらしい。うん。役得だ。
周囲を見渡すと、どうやら外ではなく、家の中かどこかにいるようだった。……某魔女に出会ったのは一瞬のつもりだったのだが、どうやら少し時間が経ってしまったようだ。
「リル!?起きたの!?」
かなり切羽詰まった状態で問い詰めてくる上姉様。
………好機と見た。
「……上姉様………ごめんなさい……大変な、ご迷惑をかけて……」
か細い声でそう言うと、上姉様に強く抱きしめられる。泣きながら、上姉様は寝ている僕を押し倒して、不安そうに服を握った。
きっと、僕が前々の口調に戻しているからだろう。
「ごめんなさい……リルは、また上姉様にご迷惑を……ただでさえ、この腕のことで……」
「……いいえ。レムも、リルも。ラムは迷惑だなんて思ったことは一度だってないわ。だから、そんな言葉遣いをしないでちょうだい…!」
「………ですが……」
「いいの、いいのよ。お姉ちゃんに敬語を使うなんて、ラムが許さないんだから……!」
あっ。なんだろうこれ。凄く豊潤な……愉悦の香りが……します………
敬語切り替え、凄くイイ……またやろう……
「……姉様、ごめんなさい。本当に……本当に、リルは、いっつも……」
「もう、謝らないで。リルが無事なら、ラムは何より嬉しいの……」
………何か足りない気はするが。まぁ、たまにはこう言うのも悪くないのかもしれない。
一番の収穫は、リルが倒れるだけで姉様が泣いてくれるくらい精神が不安定だってわかったことだからね!!
「このまま起きなかったら、ガーフィールの首をへし折るところだったから」
「可哀想だねガーフィール……」
たまらず起き上がると、そこには額から血を流し、土下座をしているガーフィールの姿があった。えぇ………僕の特技パクらないでくれないかな。というか、こんなところで僕は寝ていたのかよ。
「……ほら、ガーフィール。教えてあげたでしょう。リルに何と詫びて許しを乞うの?」
ゴン、と泣いていた態度を一変させ、土下座しているガーフィールの後頭部を踏みつける上姉様。ヒェッ……目が笑ってない……
「しャァ……せんしたァ……」
「聞・こ・え・な・い・わ。あなたの襲撃で、ラムとリルがどれだけの精神的苦痛を味わったと思っているの?」
「迷惑をかけて……すいませんでした……」
「ハッ、ようやく立場の違いを理解できたようね、ガーフィール。もとい、ガーフ」
これで許してあげてね、的な視線をこちらに向けてくる上姉様。
───いや、僕そんなことやらせた覚えないんですけど。
とりあえず、ロズワールが戻ってきて今回の事の顛末を聞いた僕。
どうやら上姉様とは話し合い済みで、僕を単独行動させることで『腕試しの相手が来るよ』と言っておいたガーフを呼び寄せ、もう片方がそれを背後から襲撃することでガーフィールを楽に倒そうとしたそうだ。………まぁ、ガーフは作戦による敗北を知るべきだったからこれが間違いだったとは思わない。『確かに腕試しの相手が来るとは言ったけど、一人だとは誰も言ってない』の理論になるほどと頷いていた。馬鹿だ。
ラムはこの作戦に反対していたそうだが、「まさか、弟を守れないのかーな?」というやっすいロズワールの挑発に乗った結果が、先ほど起きたことの全てだ。上姉様が侮っていたせいでガーフの速度についていくのが遅れ、僕が二撃三撃と攻撃を躱す隙を作ってしまった。……まぁ、ロズワール的にはそこで鍛錬させることが目的だったんだろうけど。
……でも、そうか。
「ふぅん。リルより、ロズワール様の挑発の方が大事なんだ………」
「そんなことは……!………ないとは言い切れないわ」
言い切れないんかーい。……まぁ、嘘つくより何倍かは誠実だと思うけどさ。
これは付け込む隙ができましたわぁ……
「上姉様とはもうやっていけません。リルはもう拗ねました。ツーン」
「待ってリル!無理やりだったの!ロズワール様に耳元で囁かれて無理矢理っ!お姉ちゃん、もうこんなことしないからっ!!」
「ホゲっ!!」
腹いせにかかと落としはやめてあげて。未だ土下座中のガーフィールが絶命しそうになってるから。
「やり直しましょう、リル……今ならまだそれができるわっ!!」
「浮気したのは上姉様の方ですよ。ツーン。もういいです。リルは下姉様と二人で暮らして行きますから、上姉様はロズワール様と過ごせばいいじゃないですか。ツーン」
ロズワールと一緒に過ごすなら、結局今までと変わらないけどね。
「そんなぁぁぁっ!!」
泣き崩れ、地面を叩く上姉様。拳がガーフィールの後頭部に突き刺さり、ガーフィールがさらに深く埋まっていく。
せめて安らかに眠れ……ガーフィール……
「お願い!許してリル!もうしないから!」
「浮気した人はみんな決まってそういうんです。ツーン」
「若いってのはいいねぇ。こういう喧嘩も、醍醐味というものだぁーよ」
「お前は黙ッてェろやロズワール!!」
「うるさい」
「フギュッ!」
あ、ちなみにこの後ガーフィールとはちゃんと仲良くなりました。やっぱり上姉様に惚れたらしい。………あの流れで?
謎の白髪美人「いやまぁ、あの汚らわしい女と似た容姿で魔女因子持ってるけど???でも、結果的にはパンドラを倒してくれたわけだし?(チラッチラッ どうしてもというなら話し相手になってあげなくも(チラッチラッ
リル「もうやだおうち帰るぅぅ!」
ドナキャン