目が覚めたら難易度ナイトメアの世界です   作:寝る練る錬るね

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ちょっとキリが悪いので、今回は短めです。


今思うとあの発言ってフラグでしかなかったよなと思うことがままある。気がつくのは回収した後。

 

 ゴトン、と。自分の目の前に、肉体が放り出された。

 

 仰向けになった体には腹から胸にかけて大きな傷口が開いており、一目見てもう助かりようがないほどの傷を負っていることがわかる。痛みのショックで気絶することはないようだが、それがどうして不幸でないと言えるだろうか。

 

「………ご、ぶふっ……!」

 

 悶えることすら出来ず、少女は口から鈍い悲鳴を溢す。仰向けのまま傷から血を垂れ流し、飛び出した子供はその命を傷口から放出していく。

 

「あ……あぁ……!」

 

 無駄なことだとわかっていながら、その血を掬おうとする。傷を塞いで、傷を止めて、拭って、なんとかその細い命を繋ごうと懸命して。

 

 それでも、命の証はスバルの指の隙間をすり抜けていく。

 

「なんで……」

 

 どくどくどくと。リルを抱くスバルの腕に、少女の熱が漏れ出ていく。ぬるりとした粘性のある血が、ドロドロの血の沼となって足元へと広がっていく。

 

 あまりの無力感に泣きながら、スバルはリルに問いかける。

 

「なんで、庇ってくれたんだ……!お前一人なら、エルザにも……!」

 

 スバルさえ庇わなければ。全てが自業自得なスバルをさえ庇わなければ、こんな傷を負うことも、血を流すことも無かったのに。

 

 そのままエルザを倒して。彼女にとってはほとんど初対面のスバルが犠牲になるだけで、済んだはずだ。

 

 そもそもこの事態だって、スバルが一方的に彼女を巻き込んだのだ。あのまま王都で過ごしていれば、路地で三人組に絡まれることも、こうしてエルザと対峙することもなかったのに。

 

 だというのに、どうして。

 

 その質問への返答は、少しの微笑を伴って行われた。

 

 

……できるか………馬鹿…………

 

 

 その横顔を、スバルは忘れることはないだろう。スバルに重荷を背負わせない為に多くを語らず、ただ微笑んだ少女の笑みを。当たり前の常識を説くかのように、馬鹿だなとスバルを笑った彼女を。

 

 血糊で真っ黒になった手をスバルの顔に当て、ほんの少し満足気に笑う。

 

「……早く…………逃げて………」

 

 その言葉の節まで。全てが、スバルへの思いやりに満ちていて。

 

「終わったかしら?本当に、楽しみにしていたのに、連れないわ。あぁ、でも。あなたの腸は、とても綺麗なピンク色なのね。このまま飾ってしまいたいくらい」

 

 ピチャリ、と血の池に無遠慮に踏み込むのは、外套を脱いで黒装束だけになったエルザだ。

 

「エルザぁぁぁ!!」

 

「あらいやだ。そんなに熱烈に叫ばれると、昂ってしまうわ。あなたは一体、私にどんな腸を見せてくれるのかしら?」

 

 恍惚としてスバルの叫びを受け止めていたエルザは、手に持つ血だらけのククリナイフを横に構えた。

 

「それじゃあ、捌かせてもらうわね」

 

 来る。致死の攻撃。喧嘩慣れしたロム爺ですら防げなかったのだ。スバルに防げる道理はない。躱せない。防げない。そう、死んでしまう。

 

 死が目の前に。そう認識した時。

 

「う、ぉあぁっ!?」

 

 既に体は、宙を舞っていた。痛みはない。ただ乱暴にされたせいか体の制御が利かず、胴体から扉へと突っ込み、外へと出た。

 

 リルに投げ飛ばされたのだと、そう気がつくのには時間がかかった。

 

「……逃げ………て……」

 

 仰向けのまま手を伸ばして、最期までスバルを慮った少女は。

 

 その手から力をなくし、床へと崩れ落ちて動かなくなった。

 

「……最後の最期まで、素晴らしい足掻きだったわ。殺してしまったのが、惜しくなるくらいに」

 

 少し距離を置いたスバルに、エルザが足音をコツコツと鳴らしながらにじり寄ってくる。

 

 恐怖。だが、それよりも湧き上がってくるのは怒りの感情。

 

「こんの……精神異常者がっ!!死ね!死ね死ね死ねっ!!死んじまえよっ!!」

 

 叫ぶ。狂ったように叫ぶ。少女の死体を視界に入れながら、エルザに向かって喚き散らす。憎悪、憤怒。感情の全てを込めた怨嗟の絶叫だった。

 

「そう。遺言は終わった?なら、天使に会わせてあげる」

 

 それらを何でもないように受け止めたエルザは、蠱惑的な笑みを浮かべてスバルへ接近する。沈むような歩法に惑わされ、目で追うことすら叶わない。

 

 エルザの鮮やかなほど真っ直ぐな斬撃。それを………

 

「っるぅああぁぁぁっ!!」

 

 狙いが腹ということを断定し、間一髪のところで回避。そして渾身の回し蹴りが、エルザの上体を打ち抜いた。

 

 会心の手応え。

 

「ああ、今のはとても、とても感じたわ」

 

 それを感じるスバルの胴体を、エルザが引き抜いていた二本目のククリナイフが、七割ほどかっさばいていた。

 

「───あ?」

 

 何を勘違いしていたのか。リルのように何かしらの武術を極めたわけでもないスバルが、ただの回し蹴りでその手の一流を下せるはずがなかった。

 

 理想とあまりにも食い違う現実。超えられない、想像と真実の壁に、打ちひしがれる。

 

 死ぬ。死ぬ。血が出て、腸が裂け、全てが、全てが熱に溶けて、外へ出ていく。

 

「──力があるかと思えばそうではない。振る舞いも攻撃も素人。あなた、どうして私に向かってきたのかしら」

 

「……るっ……せぇ……俺にも、意地があんだよ……テメェは、ぜってえ許さねえ……!」

 

 呆れの表情でスバルを見下ろすエルザ。一矢報いんと死に体で睨むが、その反応は冷ややかだ。

 

「そう。あなたは、死んでも貫こうとしたあの子の意志より、あなた個人の感情を優先した、というわけね」

 

 そして、エルザは明確で、残酷な真実を口にした。

 

「………は……?」

 

 何を言っているのか、わからない。

 

 スバルが、リルの意志よりスバル自身の感情を、優先しただって。

 

 そんなわけはない。スバルはリルに返し切れないほどの恩を受けた。なら、それを返さず、その心を無視するなど……

 

「いいえ。だってあの子は言っていたじゃない。最期まで『逃げて』って。あなたに万に一つも勝ち目がないと知って、近衞騎士を呼ばせようとした。確かにそうすれば、騒ぎを起こしたくない私はこれ以上何もしなかったかもしれない。あなたをこうして、殺せなかったかもしれないわね」

 

「……嘘だ……そんな、はずが……」

 

 だが。確かに、エルザの言っていることには筋が通っていて。スバルが、リルの意志を無視したことは明白だった。

 

「エルザ……!」

 

 叫ぶ。

 

 その罪の意識を誤魔化すように、頭をその対象への憎悪で埋め尽くす。憎い。憎い。この状況を生み出した張本人が、下手人が。これ以上ない程に、憎らしくて堪らない。

 

「エルザ、エルザエルザエルザぁぁぁっ!」

 

「ふふ、いい顔になったわ。そう。それでこそ、殺し甲斐がある」

 

 どれだけ吠えようと、内臓が擦り切れた体では歩くことすらできない。ただ、負け犬のように叫ぶことが精一杯。

 

「それじゃあさようなら。短い間だったけれど楽しめたわ。私、この後あの二人も殺さなきゃいけないから忙しいの。手短に終わらせてあげる」

 

 二人。そうか。結局、スバルは。あの老人と、必死に泣き叫ぶ少女すら、逃すことが出来なくて───

 

 ドス、と鈍い音。熱と錯覚するほどの痛み。刺された。心臓ではなく、もっと鈍く。しかし、血の喪失が多くなる箇所を。

 

 痛い、痛い。痛い痛い痛い。怖い。

 

 怒りが、憎悪が、悲しみが、漆黒の闇と痛みに呑まれ、死の恐怖の前に呑み込まれていく。

 

 いつ死ぬ?いつ死ぬ?死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。

 

 喉に詰まった血を飲んで、最後にエルザの先……未だ目を開けて横たわっている、献身の少女へと手を伸ばす。

 

 最後に残ったのは。

 

 

「………まって、ろ……俺が……がならず……」

 

 

 言葉を言い切れないことと、願いを守れないことによる二重の未練だけだった。

 

 

 

 意識が、視界の喪失と共に潰えた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

「──兄ちゃん、ボーっとしてんなよ。リンガ、食うのか?」

 

「……………は?」

 

 意識が覚醒した瞬間、スバルの目の前にあったのは赤く熟した果実だった。

 

 訳がわからない。急に黒かった視界が明るくなって。目の前には知恵の果実。そして強面の中年。

 

「だから!リンガだよリンガ!!なんだ、食いてぇんじゃなかったのか!?」

 

 昼下がり、露天商の前。動く左腕が腹部に触れて、そこに何の異常もない肉の感触を感じ取り、内臓がこぼれたような形跡も、体を貫かれたような痕跡も、何もないのを確認した。

 

 もう、訳がわからなかった。

 

 それら全てを、どうでもいい事実として振り払ったのは───

 

「おじさん、リンガとレモム、一つずつくださいな!」

 

 横から聞こえてきた、ついさっき聞いたはずの声。右も左もわからないスバルを心配して、守ってくれた少女。

 

 信じられない。彼女が息絶えるところを、スバルは目の前で見たのだ。信じられない……が、スバルは声が聞こえてきた方を向き…………

 

「お、まいど。兄ちゃん、客っつうのは、こういうのを言う……」

 

「───リルっ!!」

 

 紫とところどころで混じった白金の髪を見つけ、堪らず銅貨を握っていた左手を両手で挟み込んだ。

 

「は?」

 

 その手の感触が間違いなく少女のものであると理解して、スバルはさらに心のうちの喜びを高めた。

 

 そして、直接的でないとはいえ彼女を殺してしまったことと、言葉を守れなかった罪の意識も。

 

「よかった!無事だったんだな!?……悪い。俺、お前との約束が守れなくて……でも俺はお前が生きててくれて、本当に……!」

 

「………」

 

「そうだ!傷……腹の傷は、もう大丈夫なのか!?俺を庇ってくれたことは嬉しかったが、ああいう無茶は本当に……」

 

 そうして、メイド服に直接触れて傷を確認しようとする。リルは、きっとスケベだとか変態だとか、心ない言葉でスバルを罵るだろう。

 

 けれどそれでいい。今はそんな軽口でもいいから、あの親しみ深い声を聞きたかった。

 

 パァンと、乾いた音と冷たい痛みが響くまでは。

 

「………え?」

 

 それが、強くとも暴力的ではなかった彼女から、無理矢理手を弾かれたのだとしばらく気が付けなかった。

 

 あれだけ親しみを込めて見つめてくれたメイドの目は、冷たい、訳の分からない不審者を見るような目に変わっていて。

 

 

どちら様ですか。リルの手を離してください

 

 

 ───幻想は理想と真実の壁によって現実に阻まれ、破片一つ残らず。砕け散った。

 

 




リル
「シャマクで痛覚無効化してるから痛くない!でも死にそう死にそう死にそう!!エルザさんあっちいってぇぇぇ!!」

「あ、よし。スバルにヘイトが向いた。たすけてパンドラえもーん!!よし、完治」

能登(のと)ぉぉっ!!おまえぇぇぇっ!!余計なことすんなぁぁっ!!ありがとぉぉぉっ!!感謝あぁぉぁっ!!愉ぅ悦ぅぅぅぅっ!!ご馳走様ですぅぅっ!!」

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