お風呂会だぞ、喜べ。
そんなこんなで。無事一日目の夜を迎えたスバル。三周目のように一日目で死ぬということはなく、今度はますます死因の謎が深まるばかりだったのだが。
「……………なぁ、これってホントにいいやつ?」
「いいやつ。ほら、入った入った」
背中を片手で押されたスバルは、そのまま部屋へと足を踏み入れざるを得なくなる。少しだけ不安を抱えながら、なんとか一歩を踏み出す。が、つんのめるような一歩はまるで亀の歩み。ほとんど進んでいないと言っていいその速度では、一体目的地に着くまでどれほどの時間がかかるというのか。
「なぁ、やっぱこれ止めに……」
「ごちゃごちゃうるさい。『ムラク』」
「あばーっ!?」
止めようとして、浮遊感。周囲すら確認できない中、スバルは自分が軽く蹴られて、そして魔法の力なのか宙に浮いていることに気がつく。仮にも客人に蹴りはないだろう。蹴りは。
風船のように軽く宙に浮くスバルの右手を掴み、そのまま数秒宙に逆さで浮くという宇宙空間を体験してから、今度は感触で自分が何かに座らさせられたことに気がついた。
「───さて。それじゃあ、背中を流してあげるよ、スバル」
「はじめてだから、優しくしてね?」
「承服しかねるなぁ」
何やら指をワキワキされている気配を背後で感じながら、目隠しをされたスバルは風呂場の熱気で浮かされる中思う。
───これ、なんてギャルゲ?
『スバル。お風呂、一緒に入るでしょ?』
『…………………はい?』
そんな会話が交わされたのは、ちょうどリルが夕餉を食べ終わった時間帯のことだった。まるで友人同士のお泊まり会で当然のことを言うように、メイドはそんなことを口にした。
『………何を仰ってるんです?リル=サン』
『いや。スバルが言ったんじゃん。リルに離れるなって。入浴中に危険な目に遭ったらどうするの?』
『──ごめん。ちょい考えさせて?』
そうは言ってもスバルとて男。いくら実際の性別が男とはいえ、これでも萌えジャンルを一通り履修しているスバルにとって『男の子とて顔が良ければ女の子』理論は成立する。ことリルに於いては特に。
危うくスバルが犯罪者になるか、或いは過保護な双子メイドに殺されるかのどちらかになる可能性があったその提案は、姉をも巻き込んだ一時間にも及ぶ討論の末『スバルがタオルを巻いて魔法で目隠しをし、そして邪なことを考えたら
最後の一文が不穏ではあるが、逆にそこまで制限がかからなければスバルは暴走しかねない。安堵八割恐怖二割程度の割合で条件を承諾し、今に至るわけだ。
魔法の目隠しとやらはなかなか有用なものらしく、どこかから隙間が開いて見えているということもなく、視界は真っ暗。最初こそ暗闇に不安を抱いていたが、他の感覚はしっかりしているからかそれも数秒だった。
これなら勝つる!と思っていたが。
「お客さん、いい筋肉してますね〜」
「お前ワザとやってねぇ!?」
大人のお店のような台詞を吐かれて体が跳ねる。美少女然としたソプラノボイスは、その容姿から放たれるだけで凶器だ。
脱衣所の時点で背後から聞こえる衣擦れの音で、スバルは己が失敗を悟った。視界を封じられたことで逆にそれ以外の三感が敏感になり、スバルの心境はもうぐちゃぐちゃ。
なんかいい匂いするし、なんか声聞くだけでドキドキするし、なんか手が男か疑うくらいスベスベで大変だ。
───スバルは、年頃の男の子であった。
「はいはい。真面目にやりますよ。んじゃ、まずは髪からね。普段は洗われる側だから、念入りにやってやろう……」
「は、はひっ!」
「お客さん、もしかしてこういうところは初めて……」
「そのネタはもういいから!ってか、耳年増すぎるだろ!」
冴え渡るボケにツッコミを入れるのも精一杯だ。話のネタがエグいし、内容がちっとも頭の中に入ってこない。風呂のはずなのに、リラックスとは程遠かった。
あれだ。いつもラブコメの漫画の主人公がこんなシーンになったら役得なんだから堪能しとけ派だったスバルも、多少状況こそ違えど同じ境遇に立てばわかる。
これ、あかんヤツや。と。いくら合法とはいえ、この状況で冷静に思考できるヤツなんて某お兄様とか感情とか欲求が死んでる系主人公くらいのものだろう。頭が終わっている。
「うごごごごご……」
「微動しまくってるところ悪いけど、髪洗うよ」
様々な理由で体の震えが止まらないスバルに、リルの細い腕が軽く触れる。
「いやん……痛くしないで……」
だがしかし。メイドのスキルは、スバルのそれらのしがらみを完璧に超えていた。
「ふふふ、我がテクに酔いしれるが良い……って、テクの使い方合ってる?」
「うぉっ!?合ってっけど……おぉ……これは……」
具体的には、髪を洗われているだけなのに凄く気持ちいい。
適切な力加減。早いと遅いのちょうど間を攻めてくるベストな手捌き。そして満遍なく髪を撫でていく手際。片手だけだというのに、思わず声が出るほどの洗練された技術だ。
「ふっふーん。いっつも姉様に洗われてるからね。やられてるからこそ、どうすれば気持ちいいかわかる。箱入り弟の意外な特技というわけだよ」
「いや、言うだけあるぜ……これ………終わったら髪質が二割増しになってても不思議じゃねぇわ……」
つい先ほどまでの緊張も忘れ、言葉通りリルのテクニックに恍惚とするスバル。他人に髪を洗ってもらうのは、父親が風呂へと乱入してくるナツキ家としては珍しいことではないが。その技は巧妙を極めている。美容院でこんなことをされたら、大抵の客は骨抜きになるだろう。或いは、これだけで金が取れるかもしれない。
「マジ、多才すぎんなこのメイド……」
「屋敷でやらなきゃならないことが多いからね。必然的に得意な分野も増えるってわけだよ」
なるほど。試行する母数が多い分、見つけられる得意な分野も多いというわけか。それらがこの匠のレベルというのなら、それはそれで天才的だ。
「この指で姉様方を何度も虜にしたんだよ」
「言い方悪いな!?今後会うとき気まずくなるから止めてくれない!?」
この態度さえなければ。
余計な一言が多い。性格が悪いわけではないのはわかっているが、やはり言動が悪い。正直な事実に悪意ある表現を加えた暴言。
傲岸不遜なラム。慇懃無礼なレム。そして悪い意味でもいい意味でも天衣無縫なリル。
「やっぱ似たもの姉弟だよ、お前ら」
「なんのことかさっぱりだけど、その言葉は嬉しいよ。あ、流すね」
頭から温かい液体を何度か流されて、髪の毛の泡が汚れと共に流れていく。次は顔か或いは体かと思いきや、今度はリンスなのかコンディショナーなのか、それらしきものが髪につけられていく。
「ちょっ、そこまでしなくてもいいって」
「綺麗な黒髪なんだから、一応しとけばいいじゃん。髪質が悪いのはともかく、良くて困ることなんてそうそう無いんだからさ」
シャンプーだけ派かつ自然乾燥に任せる派なスバルとしては不満が出る処置。だが、目が見えない今は声を上げる以外に何もできるわけもない。為されるがまま、スバルは髪を弄ばれ、その手つきを感じるのに徹する。
だが、次第に耐えきれなくなったスバルは、なんの脈絡もなく切り出した。
「──なぁ、リル」
「なぁに?」
「………あのさ………やっぱ、その右腕……義手、なのか?」
ピタリ、と。スバルの髪を撫でる左の手が、一瞬止まる。
浴場内の時間が止まり、そのまま世界が終わったかのような、沈黙が流れる。
「───そうだよ。やっぱり、バレちゃった?」
そして。答えは数巡の緊迫とは裏腹に、何の気無しの声音で返ってきた。悪戯がバレたような、ちょっとバツが悪いくらいの感情が乗せられた声。
それに合わせて、頭の方も再開され、髪が手持ち無沙汰を誤魔化すように触れられる。
「………最初は、気のせいかと思ってたんだ。でも、髪洗う時に片手だと、ちょい気になってさ。やっぱ、そうなのかなって」
二周目でも、ほんの少しだけ感じて。今朝抱きしめられて、腕の感触に違和感を感じたのも理由ではある。今頭部に触れているものより、ずっと硬くて無機質だったことが、差異となって感じられた。
「──隠してたわけじゃないよ。……メイドが義手なんて、外聞悪いし華がないから、陰魔法で見た目だけ誤魔化してるだけ。訊かれたら元々答えるつもりだったし。腕がないことは気にしてないから」
だから、安心して。と。言葉を選ぶように告げたリル。
………その歳で、一体どれほどの重荷を背負っていると言うのか。腕がないことをさも当然のように語るその顔も、歴史も。何も知らないスバルには、わからない。
そして。王都での二周目のことが、思い起こされる。
彼の記憶にない、スバルを庇って死んでしまった時のこと。スバルという足手まといを、死なせなかった時のこと。
「──なぁ。なんで、初対面同然の俺の願いを、聞いてくれたんだ?」
口から出たのは、純然たる疑問だった。
王都での二周目と四周目。そして、この屋敷での日々と、今朝のこと。スバルを絶対に救ってくれた救世主、というわけではない。
ただ、呼んだら来てくれて。必要な場面にも駆けつけてくれて。口では悪し様に言っても、なんだかんだ、初対面のスバルを見守ってくれていたリル。
どうして、スバルにそんなことをしてくれたのか。
スバルは、自分にそこまでの価値を見出さない。エミリアの恩人という今の立場ならともかく、王都でのスバルは本当に価値も何もない一文無しだった。助けてもらう理由も、動機も無い。
そして、今も。
リルに一緒にいてほしいという願いは、ただ利己的なもの。死にたくないという、スバルの自分勝手な願望と欲望から来るものなのだ。決して、あんなに優しく抱きしめられて、こんな風に面倒を見てもらえるほど、高潔なものではない。
ただでさえ片手がないというハンデを背負っておいて。どうしてリルは、さらにスバルのことまで背負ってくれるのか。
エミリアを救ってもらった恩を果たすため、というなら、それでもよかった。ただスバルは、リルがそうまでしてスバルに良くしてくれる理由を知って。そして、理解したかった。理解して、安心したかった。
最低だ、と。自分で自分の思考を罵る。こうまでして自分を見てくれる相手に、疑いを向けるなど。安心をまだ求めるなど。
だが、そんなスバルの考えすらも見透かしたように、メイドはポツリとこぼした。
「嘘」
「………は?」
スバルが、呆気にとられた声を漏らす。髪の方を弄るのを止め、今度は背中を手で洗いながら、リルは独白を始めた。
「だって、スバル。リルに嘘をつかなかったでしょ?冗談は言っても、悪い嘘はつかなかったじゃん」
思い返す。……確かに、スバルは四周目でリルに嘘をついた記憶は無い。冗談はいくつか言ったかもしれないが、それも簡単に嘘と見抜けるようなものばかりだ。
「本当にそれだけ。ただ、スバルの目を見て。この人は、悪いことを考えてないんだってわかって。ただ目の前の相手を思う、綺麗な目だったから」
「………本当に、それだけで」
それだけで、リルはスバルを助けてくれたというのか。
「今朝なんて、凄くびっくりしたよ。あんなに怯えて、その目ごと抉ろうとするから………なんか、見てられなくて。腕がなくなった時、あんな風になった時期がリルにもあったから。リルには姉様がいたけど、スバルは一人だったし。だから、今度はリルがスバルを助けてあげなくちゃって思って。気がついたら」
スバルを抱きしめて。慰めて。そうして、契約を結んだ、と。だから、リルは今もこうしてスバルと一緒にいてくれて。スバルのことを、守ってくれている。
嘘をつかず。王都で誠実にリルと向き合ったから。屋敷で、真っ当に一日を過ごしたから。だから、今の関係がある。スバルはこうして、リルと共に過ごしている。
──不意に、屋敷での二周目のことが思い出された。
庭で仕事をこなすスバルとリルの間に交わされた、何気ないやり取りだ。
『スバル。手を抜かないでもっと真剣にやる!』
『スバル、3回目。手を抜かないで』
珍しく苛立ちらしきものが込められたあの質問に。スバルは一体、何と答えたのだったか。
『いや、だから手なんて抜いてねぇって。気のせい気のせい』
「───ぁ……」
後悔の吐息が、スバルの口から漏れた。
そうだ。あの質問をスバルは、あろうことか深く考えもせず、軽くあしらってしまった。一周目に結果を合わせるため、手を抜いていることを隠し、リルに対して嘘をついた。
──何度も。何度も。その後もかけられ続けたその疑いを、スバルは真っ当に受け止めることなく、誤魔化し続けた。
「…………ごめん」
自然と。謝罪と涙が、溢れ出した。今でない過去。二周目の自分の行動への後悔が、今更になって形を持ち始めたのだ。
「何で謝るの?別に、スバルは悪いことしてないじゃん」
「………違う。違うんだ………俺は……お前に、とんでもないことを………」
嗚咽を何度も漏らすスバルに、リルから困惑が伝わってくる。当然だ。今のリルには、全く心当たりのないことなのだから。
だから。どれだけ泣いても。どれだけ悔いても。謝罪の言葉は、決して受け取られない。謝罪の機会は、決して訪れることもない。
あの時のリルは、一体どう思っていたのだろう。平気で嘘をつくスバルに対して、あの時のリルは。あの時のリルに、一体。スバルは、どれだけの悲しみを背負わせたのか。
こんな純朴な子供に。スバルは知らずとはいえ、あまりにも残酷すぎる仕打ちをしたのだ。
「………そんなに泣かないで。また、抱きしめて欲しいの?今裸なんだけど」
「…………お前に、もうそんな迷惑をかけられねぇよ。深呼吸すりゃ大丈夫だ……あぁ、大丈夫」
スバルはもう、リルに返しきれないほどの恩を受けている。その上で、この理由でリルに抱きしめられるだなんてことがあれば、スバルは情けなさ過ぎて自ら命を断つかもしれない。
恥ずかしいことに背中をさすられながら、二、三回深呼吸して目の涙を止める。……視界がないからわからないが、恐らく止まった。……止まった、ハズだ。
「それと、スバル。実は理由、それだけじゃないんだよ?」
「まだ俺を泣かせにかかるのかよ。健気すぎてもう泣けてくるわ」
「……ギザ十。あれ、実は嬉しかったんだ。他人からの贈り物なんて、屋敷の人たち以外から初めてだったから」
恐らく、満面の笑みを浮かべているであろう声音。この時スバルは、目隠しがされていることを、本当の意味で死ぬほど後悔した。
「──あぁ、クソ。ほんの数分見てないだけなのに、お前の顔が恋しいぜ、畜生」
「そんなこと言っても、目隠しは取ってあげません。スバルがリルの裸を見て、野獣になったら困るからね」
「今の状況じゃシャレになってねぇよ、それ」
流される湯と、もう一つの温かさを感じながら。スバルは皮肉げにそう漏らした。
本当に。今日はこのメイドに、泣かされっぱなしだ。
「よし、恋バナしようぜ、リル」
「なんで?」
風呂から上がり。暫くして就寝の時間を迎えたスバル。なんとリルは同衾こそしないが寝る時まで一緒にいてくれるようだった。
電気を消してベッドに寝るスバルと、まるで親のようにその枕元に座るリル。まだ楽しかった、小学校の頃の修学旅行の夜を思い出させる。
「あのねあのね、俺が好きな相手はね〜」
「どうせリルでしょ」
「違うよ!?いや、友人的な意味では違わないけども!」
もしも女だったら、本格的にヤバかったかもしれない、と続く言葉は、このメイドを調子に乗らせるだけなので伏せる。実際、スバルの中でリルの株は現在うなぎ上りというか鯉上り龍、といったところだ。
「お前と俺はほら、マブだからな!」
「はいはい。……それで、スバルの好きな人。エミリア様、でしょ?未来の逆玉の輿狙いとは、茨の道を進むよね」
「悪意ある表現!まぁ、結果的にはそうなるけども!!見てろよ!いつか絶対落として見せるぜ……!んで、リルは?例の初キスの相手とか、好みの容姿とかは?」
「好きなタイプはなかなか本心が見えない人。年上派で貧乳派で、色素が薄くて嫋やかな感じの美人だとよりよし。白金の髪で青い瞳の女性が理想」
「注文多すぎねぇ!?……ん?おい、てかその特徴って」
「うん、八割リルのことだね」
「自分が理想とかぶっちゃけすぎだろお前!」
それが絶世の美女だったりするから、ことさら問題だ。………その本来の容姿も、どうやら隠すつもりはないのだろう。
風呂上りに、見ただけで木製とわかるようになった右腕の義手を見た屋敷の住人たちの反応が思い起こされる。
「…………義手、全員驚いてたな」
「お客様の前で誤魔化さないのは初めてだったからね。意外とマナ消費するから、助かったよ」
「その分俺を守ってくれるんだろ?頼りにしてるぜ」
我ながら、年下に対してどうかと思う言葉。それでも小さなメイドは、コクリと優しく頷いてくれた。
暗がりで見えない視界で、風呂上がりで艶のある紫色の髪が月光に照らされて見える。風呂上りのリルは、顔こそ隠れていても妖艶な魅力を放っていた。
ふと、スバルの手が握られる。温かくて、安心できる手だ。
「おやすみ、スバル。弱虫で泣き虫のスバルの手を、握っといてあげる」
「………あぁ、頼んだ、リル」
力強く、手を握り返す。闇という屋敷での死の象徴が恐ろしかったスバルは、大人しくその厚意に甘んじた。
夜の闇は冷たい。しかし、掌から伝わってくる温度のおかげか。
恐怖で震えることもなく、スバルの意識はゆっくりと、ゆっくりと。優しく。腐るように、落ちていったのだった。
下姉様イライラカウンター
リルと風呂に入る 6.02×10^23
リルと一緒に寝られない 8.31×10^3