ラム、という存在にとって。
弟という存在は、奇妙なものだったように思える。
はっきり言って、最初は邪魔であった。
ラムにとって家族というものは、双子の片割れと両親の三人で既に完結していた。子供らしいあまりにも狭い世界だったが、何にせよ、弟という存在はそこに突然割り込んできた外来種のような認識だったのだ。
母のお腹が膨れるにつれ、漠然とした不安は大きくなっていたのを覚えている。
ラムには、多少なり自分が優秀であるという自負がある。それは傲慢や
もしも鬼族の子が生まれてくるのなら、きっとその子は自分たちとは違って二本角だろう。角は鬼にとって出力を操る大切な器官だ。それが一本多いか少ないかでは、身体能力、保有マナの量に雲泥の差が生じる。実際、レムの実力は鬼族の平均の半分といったところだ。
そして、自分はともかく双子の妹であるレムは、そのことに対してかなり引け目を感じてしまっている。自分からもう一本を奪ってしまったことに、罪悪感と責任を感じても。
この状態で、さらにレムの劣等感を煽るような存在が出てきてしまえば。………そう思うのは、ある種の必然だった。
故にこそ、
……………しかし。弟が生まれた日。
「………ちっちゃい……」
編み上げたその策略は、生まれたての赤ん坊を見てあっけなく瓦解した。
小さな角が二本ついている。それだけで、既に決意の理由にはなったはずだったのに。
殺そうと思えば、きっと一息に殺せる。子供ながらにそう思える存在。あまりにもか弱くて、脆そうで。どうしても、妹の存在を脅かす輩には見えなかった。
………いや。
正直に言い直せば。
ラムは、その小さな命に情を覚えてしまったのだ。
もう殺せない。誰かに渡してやるなんて考えられない。……この子はレムと一緒に、
その直感的な悟りが、どうにも嬉しかった。
二年が経った。
弟はすくすくと成長し、「リル」と名付けられた。鈴のような響き。レムやラムほどではないが、いい名前だと思う。赤と青に分かれた
鬼族は、肉体の成長が人族に比べて早い。それは弟とて例外ではなく、2歳にしてカタコトだが喋れるようになっていた。ラムやレムほどではないが、天才だと思う。
「お姉ちゃんお姉ちゃん」と、雛鳥のように後を追ってくるのはレムほどではないが可愛らしい。嫁ぎ先はしっかりと見極めてやろう。
そうして弟を観察していると、たまにじっと自分たちを見ているのがわかった。自分たちに見惚れているのだと気がつくのに時間は要らなかった。その胸中は姉二人への賛美の言葉で溢れていることだろう。
ただ、レムが気にしてしまうので何度か注意はする。レムに嫌われるのはリルも避けたいことだろう。実に気配りのできる姉である。
ラムはできる姉であるので、甘やかすばかりではない。弟もきちんと努力も促し、成長してもらわねばならない。少し離れた実力にレムがショックを受けるかもしれないが、きっとレムなら立ち直れる。
レムはレムだ。その他の何者でもない。レムはレムなりの努力をして、レムらしくあればいい。力で負けたとしても別のところで勝てばいい、勝てるはずだと、お姉ちゃんはそう信じている。
そんなわけで、魔法の使用をさりげなくリルに促してみた。
────何故か現れた三本目の角が、その意図を粉々に打ち砕いた。
その日、族長たちが集まって会議を始めた……といっても、会議とは名ばかりで、実際は鬼族随一の実力を持つラムへの懇願の会だった。
曰く。強さを重んじる鬼族にとって三本も角があることは喜ばしいが、ラムという存在がいる以上、リルの存在は村を二分させかねない。よって、
その言葉の裏には、もう一つの意が見え透いていた。『三本角などという、理解不能な存在は早いうちに消しておきたい』と。
恐らく、リルが二本角、或いは一本角で実力者であったなら、鬼族は諸手を挙げてリルの存在を喜んだだろう。だが、わけのわからない三本角ともなら話は別。彼らにとってリルは、同族ですらないのだ。
それは数年前、目的は違えどラムが考えたことに違いなかった。確かにこのままいけば、強さを至上とする鬼族の中で正体不明なリルが最強となり、鬼族は混乱させられるかもしれない。
故に。
「いいわ。それじゃあ、この中でラムがリルに勝てないと思う者だけ前に出て意見を述べなさい。あの子がラムより弱ければ、あなたたちの心配は杞憂なのでしょう。その身にラムの強さが刻み込まれていない愚か者がまだいるとは思わなかったわ」
反対意見を力ずくで捻じ伏せ、弟の生存を優先させた。
このままいけば、リルがレムに悪影響を及ぼすのは明らかだった。三本の角。その出力を考えれば、生まれ持った才能が違うという事実をレムに刻み付けるのに十分すぎる。
それでもラムは、どうしても血を分けた弟を殺すという選択肢を取れなかったのだ。例えそれが、鬼族という一族の未来を左右するものだとしても。
そのあと、無理を言ってリルにこっそり魔法を見せてもらった。結局は騒動で不発に終わった、ゴーアを。
……………凄まじい、の一言に尽きた。岩石は崩壊し、命中した先の土は、僅かに硝子となって煮え滾っていた。
本人は、威力が自分に劣ったと言っていたが、そもマナは属性によって込められるとどのような影響を及ぼすかが違う。
風属性であるならば、マナを込めれば込めるほど単純な威力は上がる。範囲も広がる。
だが、火属性は違う。マナを込めれば範囲や速度を強めることができるが、それ以上に温度の高低が変わるのだ。マナを込めれば込めるほど、炎であれば熱を持ち、氷であれば冷気を持つ。岩を融解させる……それもエルから始まる魔法ではなく、単なるゴーアでなど前代未聞もいいところだ。それを可能にしたのが、三本目の角という規格外なのだろう。
大人たちの思慮も一理ある、と思わせるほどの力が、弟には備わっていた。
もし彼が本気で反旗を翻すつもりになれば、きっとラム以外誰も止められない。ラムも、止められたとしても満身創痍は避けられないだろう。
だが、結果的にその心配は憂慮に終わる。
………弟の、明るさという犠牲を伴うことで。
弟は、聡い子だった。村の連中が弟自身の危険性を本能で察知し、避けられているという事実にあまりに早く気がついた。それは、両親でさえ例外でなかった。幼い頃から一緒に過ごしてきたレム以外の全員は、リルのことを遠巻きにしたのだ。
そして。リルは、孤立することに対して不満を漏らすでもなく、腹を立てたりすることもなく、理由を詰問することもなく、喚き散らすこともなく。ただ、その現状をありのままに受け入れた。
受け入れた上で、受け止めて、自分なりに理解したうえで。
当たり前のように、心を閉ざした。
ちょうど、弟の三歳の誕生日。毎年のようにリルとレム、ラムの誕生日を祝っていた両親は、リルに対して一言も発さなかった。祝うどころか、一言たりとも会話を交わさなかった。
…………それがきっかけだったのか、あるいは別の要因が元凶だったのかは定かではない。
リルは大人しくなった。元々、三本角が発覚した時からだんだんと元気がなくなって、口数が少なくはなっていた。けれど、そういうのとは違う。
端的に言えばそれは、理解不能な存在から理解可能な存在へと、自らを既知という偽りで着飾る行為。
まず、鬼化することがなくなった。村の中ではマナを必要とするときは必ず行う鬼化を、リルは完全に封じ込めた。どころか、魔法を使うことすらも躊躇った。もしかすれば、それをすることで自分がさらに孤立することを恐れたのかもしれない。
次に、自らの意思で行動することがなくなった。何かするときには、必ず両親か自分達に許可を求めに来る。両親はある程度制御が利くようになったか、と安心していたが、ラムからすればそれは弟が魂を失って人形になったに等しかった。
そして最後に、誰に対しても一定の距離を置くようになった。それは、ラムとレムにも例外なく。
上姉様、下姉様と。まるで他人のようにそう呼ばれた日の絶望は、今でも忘れられない。何度頼んでも、懇願しても。二度とその口は「ラムお姉ちゃん」の単語を紡ぐことはない。そのたった7文字の呼ばれ方に、自分がどれだけ愛着を持っていたかを、失うことで知った。
ただ礼節と従順さだけを持って。強さを隠して、弱さを隠して。意思を隠して、思いを隠して、力を隠して、言葉を隠して、自分自身すらをも隠して。リルは自分自身を、完全に覆い隠した。これ以上、心が傷つかなくてもいいように。偽りの自分であるならば、どれだけ傷ついても痛くはないのだから。
レムのことも、見ていられなかった。リルが直接、妹に干渉したわけではない。ただ、弟という守るべき存在が、レムに努力する理由を与えていた。リルは、レムにとって向上心の象徴だった。
それが歪んでいくのに、幼いレムの精神は耐えきれなかったのだ。理由を見失って諦めることにも、時間はそうかからなかっただろう。めげることを知らなかったレムの心は支えを失うことで悲鳴を上げ、呆気なく崩壊した。
自分が劣っていることを理解し、姉に勝てないということを認め、そして最後には、自らへの諦めを抱いて足を止めた。
…………自分がやったことは、間違いだったのだと、気づいた。
リルの存在を村に留めるだけで、その心がどれだけの傷を負うのかを勘定に入れなかった。ただ弟を縛り付けて、それで守った気になって。結局、大切な妹までもを傷つけた。
もっとやり方はあった。もっと上手くやれた。きっと、次はうまくやれる。
次の機会があれば、の話だ。
もう閉ざされた心の門は開かない。進歩という歩みは戻らない。取り返しは、二度とつくことがない。
昔の弟とは、もう会えないのだと知った。明るくて、ずっと自分の後ろをついてきて、何かあればじっとこちらを見つめて、可愛らしく「ラムお姉ちゃん」と呼んでくれる弟とは、もう。
それに気がついた日。ラムは生まれて初めて、泣いた。比喩ではない。赤子の時すら泣かなかった自分は、その日初めて、森の奥で泣き喚いた。悲嘆のまま、木々をなぎ倒し、草木を切り払い、地面を抉り抜いた。
鬼化まで使って、森の住人がいれば卒倒するほどに、暴虐と破壊の限りを尽くした。そのうちのどれ一つとして、自分への慰めにはならなかったが。
そのことを、ラムは忘れない。
そのことを、忘れられない。
違う。
兆しはあった。久しぶりに、リルが外出を求めた日。弟は、一振りの刀を携えて帰ってきた。それに名前をつけたとき、リルはそれからずっと、その刃物をぼうっと眺めていた。
次の日は、村の中でも出回らない希少な果実を。それをもらった時には、飛び上がるほど嬉しかった。
その次の日泥だらけの服を纏って帰ってきて。村の住人からの嫌がらせであろうそれに憤慨し、悲しくなって。無理矢理姉妹二人で風呂に割り込んだ。その日は久しぶりに、家族らしいことができたと心から喜んだのだ。
そうして嬉しくなって、魔法の訓練に連れ出して。やっぱり弟も、とんでもない才能を持っただけの未熟な子供なのだと知って、微笑ましくて。
違う。
これは、まだ弟に感情が残っているという証だったのだ。
本当に心を閉ざしているのなら、そんなことが起こり得るはずがない。ただ淡白に、日常というキャンパスを白黒で描くだけの毎日だったはずだ。
だから、本来ならここで、強引に踏み込むべきだった。無理にでも魔法の訓練を毎日させて、引きずってでも身体の訓練をさせて、少しでもリルが自分自身を隠さなくて済むように、尽力すべきだったのだ。
そうすれば、あんなことにはならなかったかもしれないのに。
……結局、自分は変わらず望んでいたのだ。
歪だったとしても、このまま家族全員が村で平和に、共に過ごすことを。何の心配もせず、穏やかに、穏やかに生きていくこと。
それを、愚かな姉は家族に要求した。求めてしまった。
………ラムは一生、この時のラムを許さない。
誤認したフリをした。それが都合が良かったから。リルが変化を望まないという幻想を、心を閉ざしたという幻想を、偽りと知って信じ込んだ。諦めて、安寧な日常に浸って。いつかする、いつかすると後回しにしてしまった。
楽だったから。これ以上拒絶されることを恐れて、現状に理解したフリをして。変わらず、変えず、伽藍になったと思い込んで。
………それこそが、ラムの犯した最大の罪だ。
ラムは、許さない。
………少しでもリルが、心を閉ざして救われているだなんて勘違いをしていた、ラムを。
──リルは強い。このままいけば、きっといつか村のみんなもリルを認める。なら、村を二人で守って。いつかはきっと、その心の扉を開けるようになる時が来る。そうしたら、レムだってきっといつかは戻る。
いつか。
いつか。
そんな幻想を抱いていたから。
その
馬鹿が!!弟の自慢話と思ったか!?
鬱だよっ!!温度差に風邪ひけっ!!
リル「ちょっとでも同情してくれたらいいなぁ……(落ち込んでるフリをしてるから口数が少ない)」
ラム「あの子が心を閉ざしたのはラムのせい。全部全部自分のせい。レムのためだなんて思って、結局レムも守れなかった。いつかは大丈夫なんて淡い期待をしていたから、村は燃えた」
主人公の予想だにしてないベクトルで闇が深まっていく展開。