目が覚めたら難易度ナイトメアの世界です   作:寝る練る錬るね

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 Q.リル君こんなだったっけ?キャラ違くね?

 A.パンドラ様と会うまではだいたいこんな。というか、リル君が本編で愉悦をしているのは『死に戻り』で取り返しがつくからで、身内が死んだら普通に悲しむくらいには一般人です。ほんとか?

 リル君は愉悦部と言っても『自分が苦しんでそれに誰かが罪悪感を感じてくれる』ことに愉悦を感じる割と無害なタイプなのです。有害だけど。



フェルト√ 血の呪い

 カペラ・エメラダ・ルグニカ。魔女教大罪司教『色欲』たる彼女の権能は『変異・変貌』。

 

 文字通り自らの姿を変異させ、どんな姿にも変貌できてしまう。相手のどんな変態的な欲求にも、あらゆる価値観の美意識にも応えられる、まさに『色欲』らしい単純明解な能力。

 

 しかし本当に恐ろしいのは、その再現性の高さ。ただ姿を変えるだけならまだしも、カペラは変身したものの特性すら再現できてしまう。

 腕を獣の腕に変えればその膂力を。鳥の翼を生やせば飛翔能力を。腕を人食い花に変えて触手で相手を捕えたり、カマキリの鎌に変えて切り裂くことだってできる。

 

 また、この性質故かあらゆる攻撃を受けようが元の姿に戻ることが可能であり、どんなに凄惨な暴力をその身に受けようとも忽ち傷が塞がっていく。 これが変異による傷の隠蔽かどうかは不明だが、少なくともカペラ自身は全くダメージを受けた様子は見せない。どころか、本人はこの権能を「不死身」とすら表現している。 痛覚すら感じていないであろうことは、側から見ていれば明白だ。

 

 さらにこの変異の権能は、自分だけでなく他者にも及ぼすことが可能。このことがカペラの性格と相まってより悪辣さを極めており、なにより厄介な点として、一度変化した相手の容姿は、カペラが気まぐれでも起こさない限り二度と戻らないことが挙げられる。

 

 独善的かつ自分本位なカペラは、この権能を使って自分以外を『愛させない』という、ただそれだけのために五百人近い人間を悍ましい姿に変えて生き地獄を生み出した。

 

 言わば『究極の面食い主義』である彼女の理屈はこうだ。『人間は結局、性欲が全て。愛だのなんだのと語るなら、想い人がムカデやハエになっても愛することができるのか』と。その上で『見た目だけならどんな相手の欲求にも応えられる自分は誰からも愛される存在である』と宣う。

 

 勿論、大罪司教に見られがちな極端ここに極まれりな理論である上に、たとえ見た目に依らない愛を証明したところでカペラが価値観を変えて改心するかと言われれば当然そんなこともなく、『結局人間全員そうだろう』という押しつけがましい理論に過ぎない。つい先ほど、僕が理想の姿となったカペラに惚れようとしなかったとしても怒り散らすだけだったのがその証拠だ。

 

 そして彼女には、その恐ろしい観察眼、悍ましいとしか表現しきれない性格と共に、もう一つ特筆すべき能力がある。

 

 

 …………血だ。

 

 

 ルグニカ王族の姓と名を名乗る彼女の血には、ルグニカ王族に代々伝わるとされている「龍の血」が混じっているとされる。

 

 本来は大地に豊穣の恵みをもたらし、あらゆる病を退ける血であるとされるが、彼女に流れるそれは「呪い」を授ける代物。上手く身体に適合すれば元の身体能力以上の力を生み出すことができる。負傷した部分に垂らせば重傷であろうと支障なく動かせるまでに回復する。

 

 

 ───が。適合できなかった場合は。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 目の前に迫り来る血の雨を前に、スローモーションになった視界で僕はようやく危険という思考に行き着いた。

 

 困惑で無駄にした一秒。手の中にティフィを抱えながら、思考に使った一秒。

 

 その二秒が、あまりにも貴重な時間だった。

 

 硬直から解放された体が動き出す。それはただ、この場の被害を二人から一人に減らすために。手の中のティフィを放り出し、彼女を庇うべく出来る限り大きく手を広げる。

 

 しかし、その行動はあまりにも遅さがすぎた。手を広げる頃には、すでに視界いっぱいをカペラの紅が支配している。

 

 びちゃり、と。生暖かく粘液質な液体が、自分の体にかかるのを自覚した。継続的に続くあまりにも不快な感触に顔を歪めながらも、それが致死の猛毒であることを知っている僕にはどこか諦めがあった。

 

 ──カペラの血に適合できなかった者に訪れる結末。それは、身体に現れる痣と共に発生する地獄の苦しみだ。

 

 穢されるように黒い痣が体を蝕み、どれほど高潔なものだろうと耐えられない激痛。まさに呪いとでも表現すべきそれ。

 

 数秒後の自分がそうなっていることを予感し、苦笑。こんなところで、終わってしまうのかと。もしかしたらカペラが命乞いの機会を与えてくれることがあるかもしれないが、その可能性に縋るのも人間としてどうだろうか。せめて、庇いきれなかったティフィが救われることを願う。

 

 諦観に包まれ、客観的、楽観的な思考のまま。数秒後に訪れるであろうとんでもない激痛に、目を瞑って備えた。

 

 1秒。2秒、3秒、4、5、6…………

 

 

 …………

 

 

 …………

 

 

 ……

 

 

 ───おかしい。いくらなんでも、遅すぎやしないだろうか。もう、血を浴びて十数秒は経つ。そんな遅効性の代物でもあるまいに、一体何が。

 

 瞑っていた目を開く。受け入れていた闇を、昏さを否定する薄ぼんやりとした光が、視界に色を映した。

 

 紅い。

 

 赤い。

 

 手の中から、赤黒い血が滴り落ちていく。顔から、首筋から、指先から。粘液は、粘つくような不快感を残して端から地面に垂れ落ちていく。

 

 …………それだけ。強烈な呪いを含むはずの異常な血は、まるで僕に対してだけは平常を装うようにぽたぽたと体の表面を伝って、地面へ文字通りの血溜まりを作っていく。

 

 訳がわからなかった。痛みなどない。あるのはただ、服が血を吸って重くなる感触と、無意味な生温かさと不快感。

 

 激しく感じる鉄の匂いに心臓を打たれる気分で、必死に状況を把握しようと努める。

 

 そうして。

 

「うっ……ぐ、ぎ……あ、ぁぁぁっ!あ、ぐ……ぅっ…………痛い、痛いぃぃぃっ!!」

 

「………………嘘、だ……」

 

 そうして、僕は。

 

 現実を認識する。

 

 血は残虐なまでに、背に庇った少女を陵辱し尽くし。

 

 残酷にも、僕だけには一切の痕跡を残さなかったという、現実を。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 童話ではよく、呪いを解くのはキスだという話を聞く。これは、口付けすることで生まれる徳だとか愛だなんてものが、穢らわしいとされる呪いに打ち勝つ様を描いている、というのが通説らしい。いかにも、カペラが嫌いそうな理論だと思う。

 

 なら、この憎悪の塊のような呪いは、そのカペラの嫌悪が形になったものとでも言うべきなのだろうか。

 

 ティフィの体は、一見して呪いを帯びているとわかるほどひどい状態だった。

 

 腕、手首、手のひら。首筋に、太ももから足先まで。露出している肌の部分全体に、寄生するように黒い血管が浮き出ている。血を巡らせているわけでもないのに脈打つ血管は、血の代わりに苦しみでも伝えているかのようだ。

 

 色白くて、玉のような彼女の肌と対比する黒色。無垢の象徴が目の前で汚されるような、そんな理不尽さを訴えかけてくる。

 

 身体中に出ている痣のうち、顔だけは無事だ。しかしそれも、尋常ではない苦しみを表情から余さず伝えるという悪意を持って僕を襲う。成人女性が耐えきれないほどの激痛。一体どれ程の痛みがティフィを襲っているのか、想像もつかない。

 

「あーあー、せっかく攫ってきたメスのきれーな体が台無しになっちまいましたか。それ以上に痛みで見るに耐えねーですけど!親は我が子に苦難を強いるっつーわけで、耐えやがってもらわねーと!」

 

 本来は怒るべきカペラの声も、僕の耳には届かなかった。それ以上に、混乱と疑問の海が僕を呑み込んでいた。

 

 どうして。どうして、僕には、呪いが出ない。適合した……というわけでもない。僕の体には、アザどころか黒子の一つだって現れていない。適合したならしたで、悍ましい黒い痣が発現するはずだ。それがないということは、適合したという可能性はない。

 

 なら。なにが。

 

「──痛、だ、ィ!いだいぃぃ……!ぐる、じ──助、げで……!リルぅ……!」

 

 口端から唾液を漏らし、耐えきれないというように助けを求め、懸命に僕の腕を掴むティフィ。あまりにも痛ましいその姿に、思わず目を逸らしたくなる衝動に駆られながら、構わずその手を握り返す。

 

「大丈夫……大丈夫だから……母さん!このままじゃティフィが死んじゃう!早くなんとかしないと……!」

 

 この場で、唯一解決策を持っているであろう女。カペラに、必死になって呼びかける。

 

『色欲』の狂人は、そんな僕の態度すら織り込み済みと言わんばかりに、にやりと端正な顔を歪めてみせた。

 

「あぁ、死んじまいやがりますねぇ。苦しんで苦しんで、きったねぇボコボコの肉塊になっちまいます。そんなことは低脳丸出しで貧相な乳と発想力の虫ケラにだってわかっちまいますが…………で?それでアタクシに何をしろって?」

 

「だから、それは……っ!」

 

 どうする?どうする、どうするどうするどうするどうするどうするどうするどうする?

 

 思い出せ。この世界に、何があった。カペラの龍の血を濯げる何が。

 

 治癒魔法……無理。原作開始時で『青』の称号を持つフェリスですら手がつけられなかったのだ。彼すら成長していない今、どうにかなるとは思えない。

 

 陽魔法…………可能性はあるが、使い手が絶対的に少ない。たとえ使えたところで、練度の低い魔法でこれをどうにかできるとは思えない。

 

 神龍の血……どこから。今の僕がボルカニカに会えるはずがない。そもそも、彼女を苦しめているのはその龍の血の呪いなのだ。

 

 僅かな希望を賭けて、ナツキ・スバルがやったようにティフィの黒い痣へと触れる。彼がやった時は、痛みと共に痣を移し替えることができたようだが。

 

 何度触れても、痛みはおろか、血管や痣は引く気配すら見えない。どころか、黒い色をより濃く変え、どんどんティフィの体を侵食していく。このまま、彼女が真っ黒な炭のようになってしまうのではないかとさえ思えた。

 

 あと、どうにかできるとすれば。

 

「…………それ、は」

 

 カペラだ。カペラなら、この状態は確実に治せる。その手段を用意しない彼女ではないだろうし、何より自分自身の力だ。治癒できるのは道理。

 

 だが。

 

「アタクシに、それをやる意義があるとでも?」

 

 血みどろの手をゆらゆらと揺らし、軽薄に笑いながらカペラは傲岸に宣う。あれほど深かった傷はとっくに癒えているようで、その権能の凄まじさを見せつけてくる。

 

 この場の全員の生殺与奪が、全て彼女の手にあった。『色欲』の権能で生かすも、『龍の血』で殺すも。どちらとも、彼女の思うまま。

 

 人質。

 

 この子や、他の子達をどうして育てさせたのか。どうしてティフィを傷つけたのか。ようやく合点が行った。それはあまりにも遅すぎる理解で、もうどうしようもなく手遅れな回答。

 

 愛させるため。どうやってもカペラを愛さない僕に、カペラを愛させるため。ただそれだけのために、今ティフィは苦しめられている。

 

 だが、今それがわかったところでどうなる。

 

 情を持たなければ。親愛を抱かなければ。ただ他人の不幸を悦とする人間であれば。きっとこんな展開にはならなかった。それも遅い。情なんてものは、とっくの昔に抱いてしまっていた。見捨てることなどできるものか。何とかして、助けたい。

 

 助けたい、のに。

 

 ──対価として、何を差し出せよう。

 

 カペラの狙いは、僕にカペラを愛させることだ。その一身に全ての寵愛を受けんと願う狂人は、僕という蟻の愛にも固執する。けれど。けれど、けれど、けれど。

 

 僕は、彼女を愛せない。

 

 獣に欲情する人間が、世界にいったいどれだけいるだろう。蟲に欲情する人間が、一体どれだけいるだろう。きっと、いる数を数えた方が圧倒的に早いことは確かだ。

 

 蟲や獣ならまだいい。僕にとって、目の前にいるのは『カペラ・エメラダ・ルグニカ』という名前を持っただけの正体不明の肉塊に等しい。いくら見目麗しかろうが、僕にとっては全く別世界を生きる狂人に他ならない。

 

 狂人は、罪悪感を覚えるのか。

 

 答えはNo。僕らに理解できない理屈で動く彼らが、罪悪感など抱くべくもない。そんな相手を、僕は果たして愛せるか。

 

 その答えも、Noだ。

 

 僕にとってカペラは『生理的に無理』なのではない。『理知的に無理』なのだ。しかもそれは、いっそ根本に根付いた価値観。僕と言う存在を司るルーツにおいて欠かせない前提だ。これを覆せと言うのなら、それはもう、僕が僕でなくなるしかない。

 

 嘘は、絶対に通用しない。超人的な洞察力をもつカペラを相手にそんなことをすれば、より一層事態の悪化を招くことは目に見えている。そして、カペラは僕が一言でも『愛する』とでも口にすれば、必ずそれを真実にする。誇張でもなんでもなく。ありとあらゆる手段を尽くし、僕に彼女を愛させようとするだろう。それが、拷問の末の人格改造だったとしても。

 

 それでも。たとえ、そうだったとして。

 

「……た……」

 

「あん?聞こえねぇですよ。アタクシに傅く?アタクシを讃える?アタクシを重んじる?アタクシを、アタクシをアタクシをアタクシをアタクシを。…………アタクシを、愛しやがりますかぁ?」

 

 ここで、彼女以外に頼れる存在などあるのか。頼みの綱は、今のところそれだけなのだ。

 

 なら。プライドだとか、保身だとか。そんな下らないものよりも。何倍も優先すべきものがあるのなら。

 

「──わかっ、た……愛す。愛、す。から。愛します、から…………お願いします、母さん」

 

 覚悟を決める。手を合わせて、膝をついた。額を冷たい石畳に擦り付けて、恭順するように、願う。

 

 

「この子を……ティフィを、助けて、ください」

 

 

 土下座をしながら、狂人へと心を差し出す。悪魔に売った方がまだマシな、最悪な取引だった。レートもクソもない。ただただ、一方的な取引。

 

 だが、それでも。大切な妹分を。家族を。失いたくないのなら。僕は、ありとあらゆる手段を尽くしてティフィを助ける。たとえその末路に、自分が死ぬことになったとしても。

 

 僕の土下座に面食らったのか、カペラは一瞬だけ黙り込んだ。そして一転して、これ以上ないと。今まで聞いたこともないほど大声で。心底愉快そうに。笑った。

 

「く、ひひ、くひひっ!くひひひひっ!くきゃはははははっ!!なっさけねぇことしてやがりますねぇ!?そこまでこのメス肉が大事かよ!エロくもねぇ癖に、そんな泣くほど発情しきっちまって!僕ちゃん辛抱たまらねーってんですか!?きゃははっ!!」

 

 何を言っているのか、一瞬だけ測りあぐねた。続く文脈で察する。

 

 コイツは。この狂人は。僕がティフィに惚れているだとか、そんなことを勘違いしているのだ、と。

 

 本気でそう思っているのだろう。本気で、他人が他人を庇うことに、そんな意味。そんな意義しか、見出すことができない。それ以外の理由を考えることもしないのだ、この女は。

 

 体の震えが、止まらない。

 

 こつ、こつ。

 

 心臓の音に重なるようにして、カペラの足音が近づいてくる。まさに、死神の足音。この死神は、僕の命を容易く奪っていく。命でなくとも、きっと心を。

 

 それでもいい。ティフィが助かるなら。僕は、それで──

 

 

 

「はーぁ」

 

 

 

 考えが、甘かった。ため息ひとつで、カペラは僕にそれだけのことを心から思い知らせた。

 

 僕は知る。

 

 その死神は、人間の手に負えるわけもなく。何よりも『強欲』であったことを。

 

「なぁんでアタクシが、アタクシよりくっだらねぇメス肉を優先しなきゃならねぇんでしょうねぇ?」

 

 突如。

 

 細い腕を、蜂の尻のような鋭い針のついた右腕に変貌させたカペラが、僕の背後のティフィを。

 

「あっ……!あ、ぎ、ぃ……あぁぁぁ!!」

 

 何の感慨もなく、貫いた。

 

「なっ……!?」

 

 思わず土下座をやめ、カペラとティフィを交互に見やる。

 

 何を。何をしているんだ。何のつもりだ。この女は。

 

 理解ができない。行動に、思考が追いつかない。

 

「母さん!やめ、やめてよっ!!」

 

 僕の静止を聞くこともなく、カペラは淡々と、鋭い針でティフィの体を何箇所か貫いた。止めるまもない、一瞬の早技。

 

 そして、それが及ぼす変化もまた、劇的だった。

 

「なんだ……これは……!?」

 

「い、だい……痛イ、いだいぃぃっ!!」

 

 地面に広がっていた血溜まり。酸化して黒ずんでいたそれが、ティフィの新しい傷口に群がるように、吸収されていく。あっという間に貫通したはずの傷口を埋めた血液が、つい先ほど見たように黒い血管となって、ティフィの体に染み付いた。

 

 ──傷だ。

 

『龍の血』の呪いは、傷口から体内に侵入して発症する。

 

 そう考えれば、納得がいく。痛めつけられていたティフィとは違って、僕は怪我の一つも負っていなかった。思えば、僕の知るカペラが本来かけていた相手も怪我を負っていた。

 

 怪我を治癒する代わりに、呪っていく産物。

 

 悍ましいほどの寒気と共に、その性質を理解し。けれど、あまりに遅い理解は、全くの無意味だった。

 

「痛……いだいぃっ……!殺、じ……!殺ジデ……殺ジデェ……お、願い……お願いぃぃっ!!」

 

 痛みにのたうち、苦しみの末に、死すら懇願するティフィ。胸の内から、チリチリと怒りに似た何かが湧いてくる。

 

 今はあまりに邪魔なそれを、除けるようにして。僕はカペラに向かって叫んだ。

 

「この、子は……ティフィは、僕と違って母さんを愛してるはずだ!なら、何で!?」

 

 ティフィは、僕とは違う。彼女は実験の成果とは言え、しっかりとカペラを愛していた。愛を求める狂人は、自らを愛する信奉者には手を出さない。そうでは、なかったのか。

 

 カペラは僕の言葉を受け止め、何でもないように冷静に返す。日常の会話をするように、平常に。

 

「あぁ、知ってやがりますよ。このメス肉がアタクシを愛していたことも、アタクシに憧れていたことも。そして──」

 

 その口元が、歪む。

 

「アタクシを、超えようとしたことも」

 

 爆笑。まさに、そう形容するしかない。狂人は、自らの美しさに酔いながら、ゲラゲラ、ゲラゲラ。下品に下品に、嗤う。

 

「いらねーんですよ!アタクシを超えようなんてやつは!アタクシが一番!アタクシが最高!アタクシこそが至高!それすらわからねー子供は死ね!親を不快にさせるメスガキに、生きてる意味なんざねーんですよ!きゃははっ!」

 

 頭が、チリチリと焦げた。

 

 もう、耐えられない。心の熱を、抑えてはいられない。こんな重苦しい激情を、いつまでも飼ってはいられなかった。

 

「カ……ペラぁぁっ!!カペラっ!!カペラぁぁっ!!」

 

 叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。怒りで真っ赤に染まった視界で、金髪の狂人に、紅の瞳をもつ化け物に、叫ぶ。

 

「そうだ!アタクシを見ろ!アタクシだけを見ろ!そうしてアタクシを脳死で愛してりゃ、それでいいんだよっ!!」

 

 怒りのままに吠えた。それを愛のコールと勘違いする狂人に対して、もうこれ以上の蛮行は許さないと。原始的な暴力に訴えることを、心の底が肯定した。

 

 どうするか、決まっている。

 

 ──カペラの権能を、いまここで奪う。

 

 そうすれば、ティフィは救える。それしか、ティフィを生かす術はない。

 

 切り札はある。勝算は少ない。武器もない。準備も不足。

 

 できるかどうかもわからないが、それでも。

 

 やるしか、ない。

 

「──シャマ……」

 

「『動かずに、アタクシに危害を加えるな』」

 

 開戦の火蓋になるであろう魔法を使おうとした端に、甘い吐息と共に、そんな言葉を耳にした。

 

 何を言っているのだと。そんな言葉で止まるはずがないと。そう、思い切り笑い飛ばしてやりたかった。

 

「───な」

 

 僕の体が、本当にその言葉通りに止まった。止まって、しまう。

 

「『動くな』『止まれ』『何もするな』『逆らうな』『従え』『服従しろ』『ただ見ろ』『這いつくばって、見ろ』『見惚れろ』『見惚れて、見ろ』」

 

 何度も、何度も動かそうとするが。それでも身体はぴくりとも動かない。カペラの命令を忠実に実行する、奴隷の人形と化した。自分の体のはずなのに、神経が途切れてしまったかのよう。魔法を紡ぐ口も、続きを忘れてしまったように乾いた音を出すだけだ。

 

「ガキが、母親のアタクシに逆らえるとでも?」

 

 地面に這いつくばる僕を見下ろして、カペラはそう宣う。

 

「何でテメェらのお花畑みたいに単純で単調な脳味噌って、愛おしくなるくらいにおめでてぇの?そんなところがアタクシだいちゅき!きゃははっ!」

 

 下品に、下品に。

 

 人の苦しみをなんとも思わないように。狂人は、笑って、笑って。

 

「言ったでしょーが。そのメス肉への傷も、此処に来たのも。ぜーんぶ、てめーがやったことだってな」

 

 舌なめずりすらしながら、カペラは妖艶に微笑んだ。口をパクパクとさせながら、何かのジェスチャーのように、僕を指さす。

 

 今までのこと。そして、今起こっている現象。カペラの性格からして、最も適切なのは──

 

「催眠、術……?」

 

 催眠術。嘘のように思えるが、現代社会でもこの技術は存在する。人間の深層心理を操ることは、例え魔法の存在しない技術社会でも難しいことではないのだ。個人差や技術の差異などこそあれど、それらの技術は確かにある。

 

 そして。この魔法が存在する世界で、そんな技術があるのなら。それを使えないカペラでは、ない。

 

「だぁぁいせぇかぁぁい!察しがいいやつと話してるのは気持ちよくて、嫌いじゃねーですよ、きゃはははっ!!この惨状もこの状態も、全部テメーがトントンチンチンカンカン、勝手に作り上げてくれやがったんですよぉ?」

 

 驚愕。しかしそれよりも、愚かな僕自身への怒りと後悔が大きかった。今までの会話から察することはできたはずだ。催眠を抜け出す方法もきっとあった。そうなったのは、僕がこの狂人を相手に油断していたからだ。

 

 そして、今こうして苦しんでるティフィの傷をつけたのも──

 

 歯軋りする。

 

 やられた。ここにきて、どうしようもないカードを切られた。こちらに切り札があることも見通されていたのだ。場数も何もかも、明らかに彼女が格上。

 

 どうする?どうする、どうするどうするどうするどうするどうするどうするどうする。

 

 考えている間にも、カペラは動いている。

 

 標的は僕…………ではない。未だ、床の上で悶え苦しむティフィだ。救いを求め……死を、求め。もがき苦しむ、ティフィ。

 

 守らなければ。たとえカペラを殺せずとも、この身を差し出してでも、彼女を守らなければ。ならない、のに。

 

「……動け…………動け!動け!動けよ!このっ!!なんで……!なんで……!」

 

 脚は、動く兆しすら見せない。動かない、動かない。何度呼びかけようと、殴りつけたとしても。ずっと付き合ってきたはずの僕の脚は、微動だにすらしようとしなかった。

 

「さぁて。そろそろ、仕上げと行きましょうかねぇ……」

 

 カペラの腕が、ゆっくりとティフィに触れる。そうなれば、もう終わってしまう。そうわかっているのに。体は、何の反応すらも返そうとしない。

 

「待て…………待って……待ってよっ!!」

 

 ついには涙すら流して、必死に懇願する。

 

 こんなのは。こんなのは。

 

「こんなの、こんなの、あんまりだよ、神様っ!!」

 

 カペラの指先が、ついにティフィに触れた。変わる。変わる。変わってしまう。ティフィが。夢を持つ彼女が。少女が。得体の知れない何かに、変貌させられる。

 

「お願いしますっ!もっといい子になります!ちゃんと言うこと聞きます!いまから、ちゃんといい子でいますからっ!!だから!だから変えないで!」

 

 悔しさのあまり、口端から血が滲む。無力感が、身体中に充満していく。口の中が鉄の味と塩味で満たされた。

 

 こんなところで諦められない。こんなところで、諦めることは許されないのだ。

 

 ティフィを、家族を。守るんだ。

 

「僕の、大切な家族なんです!大切な、僕の……」

 

 叫ぼうとした。そうして、前を向いた。

 

 ぼやけた視界に、金髪の童女と二人。

 

 二人。

 

 けれどその視界の大半は、よくわからない肉塊が占めていて。

 

「カミなんてもんに縋ってる暇あんなら」

 

 ボコボコ、と。流動するように、肉塊が形を変えていく。魚に。鳥に。蟲に。竜に。不定形のそれが、弄ばれるようにしてぐちゃぐちゃと変形していく。

 

「あ、ぁぁ……」

 

 変貌、変貌、変貌、変貌。練っては形作られ、また元の材料へと戻っていく。練っては、練っては、飽きたように肉に戻され、そうして新しいカタチを生み出していく。

 

 ぐちゃり、ぐちゃり、ぐちゃり。

 

 

「家族なんてもん作ってる余裕があんなら。アタクシを愛せ」

 

 

 生温い血が、頬を伝う。球体の肉が、面白いほど簡単に弾け飛ぶ。構成していた物体、その紅。ミキサーのようにかき混ぜられて、遠心力に従って、あたり一面に飛び散っていく。

 

「息子っつーのは、母親を好きになるもんだろ?母親のアタクシを、愛して愛して止まないはずのもんだろ?」

 

 ぐちゃり、ぐちゃり、ぐちゃり。

 

 白い骨が、ポキポキ。

 

 赤い血が、ポタポタ。

 

 ピンクの■■が、デロデロ。

 

 あるはずのないその質量を。失ってはいけないものを。なんとか、なんとか、なんとか。

 

 拾い集めて、かき集めて。無くさないように。

 

「いい加減、しつけーってんですよ」

 

「ゔ、ああっ!?」

 

 掬った肉ごと、掌を刺された。カペラの変形した獣のような爪が僕の手を貫く。集めていた肉が、再び飛び散った。

 

 はやく、あつめないといけない。

 

 なくなってしまうから、消えてしまうから。

 

「掬うその掌の隙間も。心の隙間すらなく、アタクシを愛せ。アタクシ以外の何も考えられないくらい、そんなことすら考えられなくなる程に」

 

 赤の視界に、金髪の童女が映った。金髪だったろうか。わからない。もしかしたらそうじゃなくて、僕の認識違いだったのだろうか。どれにせよ、自分が一番好きな顔だったのだろう。

 

「──ぁっ……」

 

 舐められるような不快感があった。血の味はしない。冷たい、ただただ冷たい肉の感覚が、暴力的なほどの嫌悪が、唇を蹂躙した。涙で呼吸すら困難だった身体は、反射的にそれを吐き出そうとする。どうしても、身体は受け付けることを知らなくて。

 

 キスをされていたのだと知ったのは、カペラの舌と自分の口元に唾液の橋がつながっているのが見えたからだ。

 

 この世界で、初めての口付けは。

 

 

「アタクシを愛せ。リル」

 

 

 僕の『色欲』ごと失せるような、腐った毒の味がした。

 

 

 

 




トラウマになるくらいキスで嫌な思いをするリル君。このまま大罪司教と大罪魔女の唇コンプリート行こうぜ!暴食勢にやったら物理的に食われるだろうけど!


 初キスは苺の味とか言うけど、腐った毒の味レベルにまでコケ下ろしたのリル君が初めてじゃないかな。
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