この話は原則、本編とは全く関係がありません。続きを作るつもりもありませんし、短編上等で作っています。それでもいいという方のみどうぞ。
──ああ。これは、ダメだ。
弟が、見つかった。
その一報を聞いて、知らずのうちに桃髪のメイドは駆け出していた。
少女は、つい数ヶ月前まで使用人でもなんでもないただの村娘だった。『ただの』とつけるには、些か種族と才能が平凡とは逸脱してこそいたが。双子の妹と両親の四人で暮らす、しがない子供だったのは間違いない。
そして、少女の里は焼け落ちた。少女自身が忌み嫌った血が故に。魔女教徒と呼ばれる異常者達によって、自分と妹を除いた『鬼族』は漏れなく惨殺された。少女自身も鬼族としての象徴足る角を奪われ、庇った妹に望まぬ心の傷を負わせてしまった。
少女は。ラムは、自らが力を失ったことをなんとも思っていなかった。ラムにとって何よりも優先すべき事項は、妹のレムの姉であること。戦闘への欲によって自我を飲み干しそれを妨害する鬼族の角は、もしかすると邪魔とすら言っていい存在だったかもしれない。全身を薄らと包む脱力感も、そう思えば心地が良いほどのものだ。
だからこそ。
ラムはたった一度だけ。その選択を、後悔することになった。
鬼族の里は、生き残りのラムとレムを除いて滅びた。そのラム達がどうして生き残れたかと言えば、外部からの救援があったから。即ち、今ラムとレムが仕えるロズワール・L・メイザースによる助けが入ったからである。
その助けが極めて計画的なものかつ、救いようもないほど当人の利益が考えられたものであったことはさておき。
ラムは、レムを助けることと、『あること』を条件に魔術師と契約を結んだ。契約の代償によって自身の心は弄ばれ、抱くべくもない恋慕の情を抱くことにもなったが。
ラムが自身と妹を救出した魔術師と結んだ契約。提示したその条件には、『
弟は、三、四年ほど前に妹の劣等感を煽るのを嫌い、ラムが独断で川へと流した生まれたての赤子だった。桶に名前をあしらった毛布と共に入れて流せば、幼き頃のラムは本気で弟は誰かに拾われるのだと信じていた。
今となっては幼いあの頃の自分を恥じ入るばかりだが、里の事を思えば、あの選択が誤りだったのかはわからなかった。
では何故。そんな顔も知らない弟の捜索を、ラムは条件として提示したのか。
と、問われれば。別段、ラムとしては特に何かを思ってその条件を提示したわけではない。一度見て、そして別れた『弟』という存在に焦がれ続ける妹の姿を見ていたからかもしれないし、或いは気に食わない魔術師への嫌がらせ目的だったのかもしれない。ただ、その項文を加えるべきだと。なんとなく、そう思ったのだ。
生まれてすぐの赤子が、何の準備もなく川に流されて生きていられるはずがない。いくら鬼族と言えど、まだ生まれて一年も経っていない幼児だ。生存など、どう考えても絶望的過ぎる。
ならば、やはりあの魔術師への嫌がらせだったのだろうか。
妹や両親が、弟を失って悲しんでいたのは知っていた。家族が悲しむ姿を見て、自らの過ちを後悔したのも後の祭り。川へと流した弟はどこまで川を下っても、もうどこにも見当たらなかった。そうして家族が弟を失った悲しみを癒す頃には、ラムは完全に『自分が弟を川へ流した』と言葉にする機を逃していた。
ともすれば。あの一時の気持ちは、妹や家族に対する後ろめたさから来るものだったのだろうか。
今となっては、本当のところはわからない。ただ、与えられた契約を満たすべく外出する主人を見て、心が動かなかったと言えば嘘になる。
そして今日。弟を見つけ、保護したとの吉報を聞いた途端。ラムは手に持っていた箒を先輩の金髪メイドに押し付け、一目散に主人のところへと向かっていた。
それらが全て、反射的な行動だったと言うのだから笑わせる。
気は重かったはずだ。自分が捨てたも同然の血縁に、どうしてわざわざ会いたいと思う。今からでも妹を苦しめるかもしれない存在を、どうして受け入れようと思えよう。
けれど体は、角を失った倦怠感を忘れさせるほどに軽かった。
そうして。ラムはいよいよ、主人に呼び出された部屋の扉の前へと立った。主人は部屋の前に立っていて、その側には見覚えのあるモノクルをかけた執事が控えている。ラムやレムに向ける目が執拗だったから、その存在はよく覚えていた。フレデリカ曰く童女専門らしい。穢らわしい。
息切れすらしながら、ラムは視線で魔術師へと訴えた。だが、いつもはラムの前でも剽軽な態度を取る愛しさを覚える道化は、今回ばかりは反応に数秒の時間を要していた。
「………君の……
「………そ、そう……ですか……」
ふと、何か違和感を感じた気がした。が、高揚を前にしたラムにすればそんなものは些細なことで、注意はすぐに扉の向こうへと移った。
どんなことを、話そう。そもそも、どんな反応をされるだろう。自分を捨てた相手だ。もしかしたらロズワールから経緯を聞かされていて、開口一番怒鳴られるかもしれない。泣かれるかもしれないし、意外と友好的に接してくれるのかもしれない。
どちらにせよ。その運命は、この扉を開けた瞬間に決まるのだ。三年間経って、弟がどのように成長を遂げているのか。自分の生い立ちを、どのように思っているのかと。
そしてラムは、ゆっくりと扉を押し開けた。
隣にいる執事と魔人の、鬼にも勝る鬼気迫った表情に気がつかないまま。
ラムには、不安があった。
果たしてラムは、初対面同然の相手を『弟』として認識できるのか、と。
言ってしまえば、顔を何度か見たことがあるだけ。ただ、血を分けただけの子供。レムというかけがえのない妹と共に育ってきたラムが、今更その他人同然の相手を家族と認識するなんて、出来るのだろうか。
そんな不安を、弟が見つかったという知らせからずっと胸に抱いていた。
そしてラムは、奇跡的に見つかった弟を見て思ってしまったのだ。
『これはダメだ』と。
結果として。
ラムの懸念は、全くの的外れなものだった。
ロズワールの言う通り。可愛らしく床に座り込んでいた少年は、一目見ただけで、ラムに自分の血縁であると確信させた。
真っ白の、雪のような
体つきは、自分より一回りほど小さい。けれど年齢にしては相応以上に大きく、成長の早い鬼族の種族性を表していた。
何よりも特徴的なのは、大粒の宝石のような二色の眼だ。右目はラムのように桃色に。左目はレムのように水色に。体そのものがそれを活かすための宝石箱が如き異彩を持っていた。
見ればわかった。間違いない。弟だ。目の前で床に座り込む少年は、まず間違いなく、自分の弟だった。あのロズワールが連れてきたと言うことは、それなりに根拠があってここまで来れたのだろう。それだけの裏付けがあれば。否。もう、疑いようすらなく。彼こそが、ラムとレムの、生き別れの弟だった。
そう認めた瞬間。ラムの胸に、何か温かいものが満ちていった。溢れて溢れて、溢れそうなほどの幸福を以って、それはラムの胸に一切の不快感なく気持ちを植え付けていく。
普段ラムがレムに向けるものと、全く同じもの。本来なら生まれたその姿を見て覚えるはずの、遅ばせて到来した親愛の情だった。
庇護欲とも言い換えていいそれは、ラムが今までシミュレートしてきた言い訳がましいやりとりを全て忘却させた。
ただ、守らせて欲しい。慈愛の心で、包ませて欲しい。全ての事情を話して、心の底から悔い改めさせて欲しい。それこそが、今のラムの胸の内の全てだった。
少年の顔には、隠しきれない怯えが含まれている。無理もない。突然こんなところに連れてこられて、顔も知らない相手が入ってきたのだ。
けれど。自分が抱いているこの感情の欠片でも、その欠片のほんの僅かでも、相手に伝えてあげたい。
自分はただ、あなたを愛しているのだと。大切に思っているのだと。これからは、ずっと守ってあげたいと。
そう伝えるために、ラムは弟へ。『リル』へと。最初の一歩を踏み出して───
「……お、お客様……ですか?」
「………………ぇ?」
予想だにしない言葉に、すぅっと心の熱が冷めていった。それは、自分が想定していたどの言葉とも。どの罵声とも違って。
「あ、え、えへ、えへへ……ち、違うわけないです、よね。ご、ごめんなさい。あ、う……え、遠慮しなくて大丈夫です!どう、ぞ……す、好きに、使って下さい!に、肉穴でも、サンドバックにでも、なんでも応えますから!」
媚びるような。恐れすら隠しきれない拙い笑いで。幸せなど、欠片も感じさせない怯えきった声音で。相手の目すら見ずに、地面に額を擦り付ける弟。
………理解が、全くもって追いつかなかった。あれほど出したいと思っていた声が、喉が焼き付いたかのように出てきてくれない。かけたいと願う言葉も、胸に秘めていた気持ちさえも。ありとあらゆるものが、驚愕の嵐に飲まれて遠く彼方へと消えていく。
………なんだ。
…………なんだ、これは。
「ラム。……この子はね。三年間ずっと、魔女教大罪司教に『飼われて』過ごしていたそうだ」
「魔女教……」
聞こえるのは、背後の顔も見えない道化からの言葉だった。ようやく、違和感に気がつく。その声音からは、言葉からは。いつもの間延びした、ふざけた調子が含まれていない。
魔女教。どうして。どうして、今。その名前が出てくるのだろう。
わかっている。その存在がどれほどの異常で、どれほど残虐か、残酷かなど。骨身に染みて理解している。
だが。それがどうした。どうしてそれが、弟に結びつけられなくてはならない。どうしてそれが、こんな小さな子に関係がなくてはならないのだ。
「私がこの子を見つけたのも、君の里を燃やした魔女教徒からその存在を聞き出したからだ。どうにも、教団の中じゃ結構有名な話だったらしくてね。あのうちの一人にも、その声がかかっていたらしい。………なんでも彼……彼女、どちらなのかはわからないが……
「宴、かい……?」
耳を疑う。何を言っているのか、本気でわからない。わかりたくもない。ただ、目の前にはそれを体現して、何もかもから身を守るように、頭を下げて、ただ怯える弟の姿があって──
「魔女教徒を集めたパーティー。その中でこの子は、ずっと欲望の捌け口にされていたそうだ。何も知らない無垢な子供。それが鬼族ともあれば、丈夫で傷の治りも早い。殴ってよし犯してよし。壊れることもない肉人形。………さぞ、重宝したことだろうよ」
殴る?犯す?肉人形?
なんだ。なんだ、なんだ、なんだ、それは。
今目の前で土下座し続ける子供は、たった三歳の身で、そんな耐え難い苦痛を受けていたとでも言うのか。
だが、だって。でも。そんなのは。そんなのは、おかしいじゃないか。
この子は、幸せになっていなければならないはずだ。貧しかろうと、弱かろうと、こんな小さな子供は、幸せを感じていなければならないはずだ。決して、大人の食い物にされていいような存在ではない。
「主催は魔女教大罪司教『色欲』……『母さん』と、当人は呼んでいたがね。『色欲』は、性別から顔まで肉体を変化させる力があったらしい。……私が見つけた頃にはもう、その子は正気すら保っていなかった……!」
無力感を乗せたその声を最後に、ロズワールは何も発しなくなった。彼なりに思うところがあるのだろうが、そんなことはどうでも良かった。
どうすればいい。
何を。何をどうすればいい。この状態の弟に。この状態で。ラムに一体、何ができる。
だって。だって。
弟がこんな状態になったのは、元を辿れば……
「え、へ……えへへ……えへへ……」
いつの間にか、弟が顔を上げていた。その端正な顔に、全く上手くもない引き攣った笑みを浮かべて、震えた声で笑っていた。
それが弟なりの、処世術だったのだろう。汚い欲望に塗れて、苦痛と屈辱の中で、そうやって笑うことこそ、自分の体と、心を守るための必要な手段だったのだ。
「すみません、すみません。何か、気に障りましたよね。ごめんなさい。ごめんなさい。す、好きにしていいですから……」
ロズワールの声を、罵声か何かと勘違いしたのだろう。そうとしか判断できなかったのだろう。
幼い子供は、必死に謝りながら、いとも簡単に自らの体を差し出した。それが日常というように、身に似合わない媚びた声音で、震える体で。
「リ………ル……」
思わず、手を伸ばした。抱きしめてあげたかった。もう大丈夫なのだと。不安はもうないんだと。そう、慰めてやりたかった。
そうして伸ばした手は。
「ひっ……!」
他ならない、弟本人に否定された。反射的な動作で、手が払われる。最低限の肉しかついていない腕は弱々しく、痛くもなんともないはずなのに。涙をボロボロとこぼしながらのその動作で弾かれたことが、何よりも心に痛くて。手も体も、何もかもが止まった。
弟は自分が手を払ったことに気がついたようで、再びその頭を床へと擦り付けた。
「ご、ごめんなさい……!す、好きにしていいです……殴っても文句言いません!首絞められても暴れませんから……!なん、でも……受け入れます……!受け入れますから……!」
歯の根すら震わせて、嗚咽を漏らして。床に手と額をついた小さな子供は、身に余る不幸すら引き受ける姿勢を示して見せる。イヤイヤをするように首を振って。そして………
「だ、だから……もうやめて……!……目玉を、抉り出すのは、もう、やめてください……!」
「………う………ぁ…」
「暗いの、もう嫌なんです……!痛いのに、奥グリュグリュってされるの、もう、嫌なんです……!お、お願いですからぁ……!」
目から。
目が、目が、目が、目が、目が。
その綺麗な二つの目が。
──ああ。これは、ダメだ。
こんなことがあっていいはずがない。こんなことが、許されていいはずがない。こんな小さな体を持つ子供を相手に、こんな悪虐非道が許されていいはずがない。
なら、この事態を招いたのは誰だ。
───ラムだ。
「う、あ、ぅぇ……う、ぷっ……」
乾いた目から、いつのまにか涙が流れていた。それとは別に込み上げるものがあって。ラムはその悲鳴から逃げるように、部屋を飛び出して扉を閉めた。
次の瞬間。
「お、うえぇぇぇっ……!」
胃の中身を、全て床へとぶちまけた。黄色い粘状の液体が、綺麗な絨毯に大きく、大きくシミを作っていく。使用人としてあるまじき失態に、けれどロズワールは何も言わず静観した。隣にいるクリンドも、どこか遠くを見つめている。
嘔吐は、止まる兆しを見せなかった。胸の内から湧き上がってくるものを、ラムは敢えて吐き出し続けた。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
思考に感情が追いつかない。竜巻のように吹き荒れる感情の数々が、ラムから正気を奪っていく。
あれが、本当に人間なのか。
ああやって子供に懇願させることが、本当に人間の所業だとでも言うのか。
吐いて、吐いて。吐き続けて。胃の中身が空になっても。体の中に、まだ何か詰まっている気がした。吐き出したはずの胸の内は、めっぽう重くなるばかりだ。
ラムが。ラムが。ラムが、あんなことをしなければ。幼いリルを川に流すだなんて愚行をせずに、里で共に過ごしていれば。決して、あんな姿にはならなかったはずだ。
あの様子を見て。目玉をくりぬかないでと、必死になって懇願する姿を見て。一体どうして、ああしなかったほうが不幸だったなどと言えよう。
罪だ。
これは、ラムの。一人の鬼としての。生物としての。許されざる大罪だ。弟をこんな目に遭わせたのは、他の誰でもないラムだからだ。
だからこそ。この胸に渦巻く激情は。赫怒は。他ならぬ自分自身と、そして──
「じ、き…ょ………く……!」
弟を、こんな姿に変えた、魔女教徒。魔女教。大罪司教。
「『色欲』ぅぅっ!!」
その相手にのみ、向けるしかない。
その日。ラムは初めて、自らに鬼の力がないことを悔いた。
クリンド「なんであの子は魂が若くないんだろう……」
『もしカペラの拷問時にロズワールが助けに来たら』の世界線です。
■■君はカペラママに身体中をめちゃくちゃに改造されているので、体液が全部媚薬とかいう薄い本体質を持っています。ついでに元々の魔性も相まって、色んな人に大人気()です。
勿論精神が中途半端にぶっ壊れているので、愉悦とかは感じてません。この後続いたとしても救いも絶対にありません。多分リル君が自分の存在価値を認めたくて姉様に夜這いして、体質のせいで上姉様がリル君を襲ってさらにドロドロになります。