あるくまさんからいだだきましたぁ!いろんな格好の本編リル君です。
【挿絵表示】
なんやこのクオリティ……ひえぇ、また神絵師に目をつけられてしまった……プレッシャーががが……!ほんと、絵師の方々は毎回ありがとうございます………この方、作者が別で書いてるアンヘル君とかも描いてくださってるので是非一度ご覧になってください。
ちなみに左下のはピーマンのヘタらしいので勘違いしないように。
というわけで、君らがモブと切り捨てていた当√のヒロイン、ティフィ・シークペンスちゃんの回です。めっちゃ長いのでお気をつけて。
ずっと考えていた。朝も、昼も、夜も。こんな場所に連れてこられてから、ずっと。
考えることは、多分静かな夜が多かった。考えることこそが、ティフィ・シークペンスという少女にとっての一生だった。
どうやったら、私の最期は迎えられるのだろう、と。
ため息をつく。いつものことだ。その日はとても寒かったから、息は白く曇って空気を凪いだ。生まれつき体温の高い私の肌は、大気の冷たさを嫌というほど教えてくれた。
そうして私は、空気を無駄に吐き出していく。世界のマナと温度を無駄使いして、ただただ、周囲に負担をかけて過ごしていく。
くしゃくしゃの頭で考え続けた。どうしたら、私は死ねるのだろう。死んでいるも同然の私は、一体どうしたら死ぬことができるのだろう、と。
舌打ちをする。そんなことはわかっている。知っているのだ。知っていてなお、私は動けずにいるのだ。無力感を知らしめられるような気分で、私は再び空気の不法投棄を始めた。
これが子供らしい思考でないと理解していた。少なくとも、私が知っている限りの同年代の男の子はこんなにやさぐれてはいない。
「おい、ティフィ!そろそろママがくるぞ!はやくおきろって!」
こんな風に、人が折角ものを考えている隙に唇がくっつく寸前に顔を近づけるくらいには純粋だ。
「………わかったから、どいて」
「おう。はやくママにあいたいな!」
私の不機嫌さにも気が付かずに母親の帰りを待ち侘びている。ソアラと呼ばれるここの最古参……と言ってもまだ5、6歳だが……の少年だった。
0歳からここで過ごす彼との付き合いは長く、それこそ生まれてしばらくしてからずっと一緒にいる仲だ。姉代わりの人(人かどうかは審議の余地があるが)に育ててもらい、共に成長してきた。姉は母親とはまた別で、色々と頭がおかしい人だ。
それにしても。
母親が帰ってくる。
そのあまりにも無慈悲な一報に、私は思わず顔を苦くした。
母親は嫌いだ。だというのに、私たちに愛を強要してくる相手だから、余計に嫌いだ。さらに嫌いなことがバレたら愛させるまで文字通りありとあらゆる手を尽くすところが、とてもとても嫌いだ。
そしてなにより。嫌いなはずなのに、心は彼女を見つめるだけで愛おしい思慕でいっぱいになるのだから、気持ち悪いったらない。
「………こんなことなら、知らなければよかったのに」
地下、およそ100m。ここは、地獄の揺り籠だ。
私は、毎日死んでいる。毎回、私という少女を殺して。殺したと錯覚するほど押し殺して、母親を名乗るナニカに接している。
………母の視線に気がついたのは、いつ頃だったろうか。少なくとも、その頃まで私は無垢なままだったし、ここでの生活をなんの疑問もなく享受していた。
──生まれ持った不思議な力、加護。『慧眼の加護』は、私に全てを伝えてくる。
自覚したのは3歳の頃。姉代わりの女性と目を合わせた途端に、私は知識という余分なものを得て、飛んでいるつもりだった自由の空からはたき落とされた。
『慧眼の加護』は、相手と目を合わせることでその目に込められた想いや感情、調子のいい時には思考まで読み取ることができる。最初こそ膨大な知識量に頭が破裂しそうになったものの、慣れを覚えた今では調節も効く。
ここが実験場であり、私たちが既に脳を切り開かれた後の実験体であることは、そうやって加護の使い方を覚えた後に知った。
それからだ。私がどうやったら最期を迎えられるのかと考え出したのは。
ここにいる限り、私やソアラに希望はない。逃げようにも場所が場所だし、母親は私たちを逃すつもりも、かと言って生かすつもりもなかった。
『どうでもいい』。母の思考を盗んで得たものは、たったそれだけの感情だった。彼女は、私たちに何の価値すら置いてはいない。そこら辺の石ころや落ち葉よりはマシ程度のもので、人間としてすら私たちを見てはいなかった。
それでいて、逃すつもりはないというのだからお笑いだ。俗に言う狂人というのは、きっと彼女のことを指すのだろう。
私は考えた。考えて、考えて、考え尽くした。
結果、私は生きることを諦めた。
無理だった。いくら私が思考を読めるからと言って、母親と姉代わりの人物は強かった。子供がどれほど情報の利を得ようと、関係がないくらいに。
そして私は、死を望んだ。
それが母親が一番嫌いそうな、唯一の手段だったからだ。あの女は、汚いものを嫌う。死体なんて物は、特に。故に、母親が好む私のこの小綺麗な顔が死んで汚くなれば、それは私にとって復讐と言えた。私たちを弄び、貶めたことに対する復讐に。
生きているうちは、あの女の不思議な力が私達の傷を癒す。だから死ぬしかなかった。あの女の力は、死んだ相手にまでは及ばないから。
だからといって、何をするでもない。死ぬことはできない。こんな狭い場所で死ぬなら、それはもう誰かに殺してもらうしかない。けれど、母親もあの女も、私を傷つけこそしても、きっと殺しはしなかった。ソアラは論外だ。
死にたいのに死ねない生き地獄。そんな揺り籠……鳥籠こそ、忌々しいこの場所だった。
死ねない。死ねない。死ねない。
物を食べないにしても、苦しいのは嫌だ。体は飢える。体は乾く。下手に反抗して失敗でもしようものなら、あの女にこの復讐心がバレてしまう。だからあくまで何も知らない、無垢な子供を演じ続けた。あの女の異常な観察眼も、加護の力を使えば誤魔化せた。
だから私は、探した。より残虐に。確実に死ねる方法を探した。
探して、探して。探して、探して。
探して、探して、探して、探して。
「………あっ、た……」
ふとした拍子に、外へと繋がる出口の存在に気がついた。
排気口から繋がる、初めて見る外の世界。それは、私の絶望をより深くするものに過ぎなかった。
そり立つ岩盤。ほとんど注がない太陽。うっすら青く見えるだけの空。強い谷風に、ほとんど腰掛けに等しい足場。壁には梯子など存在せず、垂直に等しい自然の凹凸が見え隠れしている。
知識として知っていたとは言えど、この場所に軟禁されているという事実が、私を強く打ちのめしていた。
私が求めた自由なんてものは、やっぱりそこにはなくて。寂寥感だけが、私の心を過ぎ去って行った。
けれど、足元。何処までも暗く、昏く、谷底すら見えない深淵を見た。
──ここから飛び降りれば、きっと死ねる。
高い場所から飛び降りたら痛い。もっと高い場所から飛び降りれば死ぬ。そんなことは、子供でも知っている物理現象だ。
ならば。ここから足を滑らせて、宙に体を躍らせれば。
きっと死ねる。即死だ。あの常識外れの母親だろうと、助けることもできないだろう。谷底でぐちゃぐちゃの死体になった私を見て、あの忌々しい女が顔を歪めるのを幻視した。
──死のう。
そう想像しただけで、ほんの少し救われたような気分になった。だから、それは私に死を決断させるのに十分すぎるほどの動機だった。
足を、地面から離して、前に飛ぶ。それだけで終わる。私の人生は終わって、そのままあの女の大切なものがめちゃくちゃになるのだ。
この足で、何処までも行ける。それを使って私はただ、此処で終わるのだ。もう歩き疲れた。ここで生きることは、私にとって面倒だった。
だから、そう。
足を離して、終わりにしよう。
「なん、で………」
簡単な想像で、命は断ち切れる。
一瞬で、死ねるはずだった。
けれど。足はどうしても、震えて動かない。
「私……飛べない………死、ねない………死にたく、ない……!」
その場で蹲って、涙を流す。死というものを目の前にして、惨めに泣きじゃくる子供の姿が、そこにはあった。痛みを恐れるように。母親の折檻を恐れるように。子供はただ、死の恐怖に怯えて震えた。
私は、死にたくないと思ってしまうほど自分が平凡な存在だったのだと気が付かせられた。
死という希望を失った私は、空っぽになった。
何もできなかった。今までやってきた物事の数々も、全て全て、無価値に思えた。伽藍洞の私は、ただ堕落して、死に怯えて過ごした。
数年が経った。私はそうやってただ、時間を無駄に浪費した。起きて、日々を過ごして、眠って。それだけの生活を送ることに、不満を抱きながらも何もすることはなかった。
外への入り口は、あれ以降一度も行っていない。それが最後の砦だと思う気持ちもあれば、自分の無力感を見せつけられるから嫌だという気持ちもあった。どちらかと言えば、大きかったのは後者の方だったかもしれない。
静かな夜。敷いた布団に転がりながら、また考える。
どうしようか、と。
考えを止めることは、それはもうティフィという私がいなくなることに等しかった。考えて、考えて、考えて。諦めるのは、その後だ。いつかの私がそうしたように。知識というもののせいで人生が狂った私には、それしかなかったからだ。
目を瞑る。こんな目があったからいけなかったのだろうか。『慧眼の加護』なんて余計なものが、私に宿っていたから。
そう思うと、いつも目を掻きむしりたくなってくる。ただでさえ、いらぬ情報ばかりを伝えてくる目だ。ふと目が合うだけで、多少なり情報が流れ込んでくるのはあまりいい気分ではなかった。
いっそ本当に取り出してしまおうか、と。気分が悪かった私はそんな無茶な思考に辿り着いた。指に思い切り力を入れて、眼球を抉り出す。……きっと、臆病な私にはできないだろうけど。フリくらいなら、やりたかった。自慰行為のようなものだ。
そうして、見開いた目にゆっくり、ゆっくりと指を近づけていく。遠近感が掴みにくかったが、その行為をしているというだけで私は昏い歓びを覚えていた。
「………あっ」
しかし。その手を止める存在があった。弱々しく柔らかい指が、軽く私の指先に触れていた。
「……ごめんね、リル。起こしちゃった?」
その正体は、私の隣で眠る赤子だった。深い紫の髪と、桃色と水色の二つの目を持つ小さな小さな男の子。その子の指先が、私の指に触れたのだ。
最近連れて来られたこの子は、子供にしてはビックリするくらい泣かない。どころか自己主張することも少なく、私が知識として知る赤子とは大きくかけ離れていた。
けれど私は、そんな世間一般では不気味とされそうなリルが嫌いではなかった。手がかからないというのもあるし、何より、彼の世話という仕事が追加されたことで、少し忙しくて考える時間が減ったことが理由だった。
小さなその手が愛おしくて、こんなところに連れて来られて可哀想と思いながらも、私はその手をぎゅっと繋いだ。この温かい手を、離したくはなかったから。命を感じられるこの熱を、手放したくなかった。たとえ愛おしく思うその正体が、私の『怠惰』という概念だったとしても。
だから。それに気がついたのは、本当に偶然の偶然だった。
『──可哀想』
「………え?」
思わず手を離して、周囲を見渡した。声を出すような相手はいない。ソアラは思い切り寝付いているし、寝言を言うほど寝相が悪いわけでもない。姉や母はいるはずもない。この場所には今、リルと私とソアラの三人だけなのだ。
なら、先程の声は勝手な自問自答だとでも言うのか。馬鹿な。それなら、どうして今の今まで出て来なかったのだ。今この時、どうして突然。
『──可哀想なティフィ』
「………リル……なの?」
笑っていた。リルは、こっちを見て笑っていた。憐れむような優しい、遠い目で。
ここ数ヶ月発動もしなかった筈の『慧眼の加護』が、生後一年も経たない赤子を相手に、発動していた。
『呼ばれた。はい。リルです。呼ばれても返事できないけど』
子供らしからぬ、はっきりとした物言い。喋れるはずもないその赤子は、けれど確かな意思を瞳に宿して、私のことをじっと見つめていた。
その返答を聞いて、確信する。間違いない。これはまず間違いなく、リルの心の声だった。
だが、どうして。『慧眼の加護』は、あくまで相手依存の力だ。姉や母相手ならともかく、年長のソアラを相手でも『おなかすいた』や『ねむい』と短調的なのに。どうしてこんな子供を相手にして、ハッキリと声を聞くことができるのだろうか。
私は恐怖を覚えた。けれどそれ以上に、目の前の存在に好奇心を抱かずにはいられなかった。もしかしたら。彼がこの場所から逃げ出すための、鍵になってくれるのかもしれないと。そう思ったからだ。
『ティフィ、突然僕の名前呼んでどうしたんだろ。おねしょかな?』
違う。
そうツッコミたい衝動を抑えて、私は無言でリルの横に寝転がった。ここで声をかけてもよかった。けれど私は、ついさっきの言葉の意味が気になって、もう少しだけ彼を観察することにしたのだ。
『わあ、添い寝だ。そんなガン見されると怖いけど』
ガン見……というのは、私が見つめていることだろうか。新しい言葉だ。私もソアラも知らない未知の言語。やはりこの子は、普通とはどこか違う。特別な子供なのだ。
見つめる。見つめる。瞬きすら最小限に抑えて、私はリルを見つめていた。
『何かついてる?………ホントに憑いてるとかないよね?』
最初は気まずそうにしていたリル。あれこれと色々と模索して、結局意義なんて見出せなかったのか、こちらを気にしないという選択肢を取った。私とリルが、じっと見つめ合う奇妙な光景が完成する。尤も、私が受け取っているのはその視線ではなく、思考なのだが。
しばらく益体もないことを考えていたリル。けれど退屈することはなく、私はその思考の博識さと、どこかズレた考えを本を読んでいる気分で楽しんでいた。
目的すら忘れて、リルの思考に思考を重ねて没頭していたとき。
『……でも、やっぱり可哀想だよね』
私が気になったその言葉を、リルは思い浮かべた。
『こんな子供を連れてきて、拉致監禁とか酷すぎでしょ。おまけに育児させるとか。重労働過ぎる。ちゃんと給料払ってるんだよな?払ってないんだろうなぁこれが。江戸時代より酷い。可哀想……』
わからない単語が多くあった。キュウリョウ。エドジダイ。ただ、その言葉に込められた憐憫の感情だけは、しっかりと理解できて。
かぁっと、頭が熱くなった。私はこんな。こんな赤ん坊に、私は可哀想扱いされているのか、と。
「───ふ」
『まぁでも。こんなもんか。世界って。生まれたての子供が川に流されるくらいだし』
ふざけんな、と。そう怒鳴るつもりだった。お前だって今からそうなるんだと。そう言おうと思って、息を吸い込んで、吐きかけた。
その動作は、たった一つの表情に止められた。たった一つの思考に押しつぶされた。
笑ったのだ。こちらを見て、あのよくわからない顔で。馬鹿にするようでも、見下すようでも、憐れむようでもない。どこか遠く、優しく。いつかの誰かを見ているような目で。
遠く、遠く。笑っていた。
まるで、懐かしいものでも見るかのような目で。
私は途端に、彼のことがわからなくなったのだった。
それから、およそ三年の月日が経った。
私はあの日以降、リルに対して妙な対抗意識のようなものを持った。最初こそ恐れてはいたものの、本人なりに赤ん坊らしさを追及したらしい演技に怒りが勝った。なんだ「シャア!シャア!」って。そんな声で泣く赤ん坊がいるか。
『認めたくないものだな……自分自身の、若さ故の過ちというものを』じゃないんだよ。それで私以外全員おかしいと思わなかったというのが癪に障る。何だったんだ私の今までの子供らしくいようという苦労。
ともあれ。私は私なりに、三年間リルのことを観察していた。
結論から言おう。
彼は狂っていた。それはもう、どうしようもないくらいに狂っていた。
彼は日頃から、他人の為に自らが犠牲になることばかり考えていた。そうして自分を案じ、心配してくれることに悦を覚える、世間一般で言うところの変態とか狂人とか、その部類に入る人間だった。最低だ。
何より驚いたのは、彼は別の世界で十数年の一生を終えた後、赤子になってしまった『転生者』だったということだ。道理で赤子の頃から思考がしっかりしているはずだ。そういう記憶を植え付けられたのかとも疑ったが、作り物にしては出来過ぎなほど、彼はその世界の知識を、記憶を持っていた。
私は彼の記憶を見た。何年もかけて、彼の、昔の。別の彼を見た。前の世界での、一生のほとんどを、見た。
悲しい話だった。彼は普通だと自負していたが、その半生は深い絶望と、最後に得たほんの少しの希望と。それだけで終わっていた。
そして。彼のおおよそ全てを知った私は。
私は。
いつしか、自分が空っぽでは無くなっていることに気がついた。
「ティフィ、どうかした?」
「……ううん、何でもないよ〜」
この三年で私たちと変わらないくらいの急成長を遂げたリルに話しかけられ、朗らかに微笑む。それは以前に比べればより自然になった、私なりの演技だった。
よく考えればわかる話だ。人の半生なんてものを見て、何も思うところがないなんてはずがない。特にリルほど濃いものなら、考えの一つや二つくらい、考えが変わるのが当然と言うものだ。
私の考えには、多面性が足りなかった。いろんな角度から物事を見る、という考え方を、私はリルから学んだ。私は、私の視点でしか物事を見ていなかった。客観視や楽観視というものが、全く出来ていなかったのだ。
目の前のことが全てだったから。此処以外のどこも知らなかった私は、今できなかったことにぶつかっただけで絶望して、空になった。けれど今は違う。リルは、私に間接的に外の世界を教えてくれた。未来を、教えてくれた。
それにさえ気がつければ、人生の見方はがらっと変わる。日常を楽しむことを覚えた。なんでもないことに興味を持つようになった。今を忘れて、未来の夢や過去の出来事に浸ることができるようになった。
私の窮屈な世界は、窮屈なまま、私に彩りを与えてくれた。いや。与えてくれたとは、少し違う。ずっとあったのに、私が気がつかなかっただけだ。そしてそれに気がつかせてくれたのが、他ならないリルだった。
私は、リルのことを悪く思っていなかった。ちょっと考え方が違うだけで、ちょっと頭が残念なだけで、普通にいい子……普通に、普通だからだ。母や姉に比べれば可愛いものだ。アレらと比べられることは、いくらリルでも怒りそうなものだが。その欠点も、よく解釈すれば私たちを守ろうとしてくれているということになる。よく解釈すれば。
そして、もう一人。ソアラについても、私はこの三年でいかに彼を知った気になっていたか思い知らされた。
端的に言おう。彼はバカである。バカソアラである。無垢と思っていたが、彼は単なるバカだった。本当に日頃から何も考えていない……というわけではないが、知識や知恵というものに頓着しない。所謂脳筋という部類の人間だった。
勿論、良いところはある。あれで仲間思いだし、芯は強い。彼なりに信念があって、それに迷うことなく従っているのがソアラというだけだ。………でも母を心から愛しているあたり、やっぱりバカだ。
彼らは、私にとって家族だった。後で連れてこられた赤ん坊三人も、愛しい家族。姉も思うところこそあっても、やはり家族の一員だ。母は絶対違うが。
彼らが私を家族と呼んでくれることが嬉しかったし、彼らと過ごす日々は、私にとって何よりの宝物だった。
一度、未来の話をした。以前の私なら考えられない、楽観的に今を見て、未来の夢の話を語り合った。と言っても、三人の時はソアラが一方的にだったけれど。
その夜。私は、あの外が見られる場所へと赴いていた。リルと出会ってから、私はたまにそこに行くのが習慣だった。リルが後ろから来たのは、本当に驚いた。
そうして、二人で夢の話をした。彼は相変わらず、私たちのために死ぬことばかり目標にしていて、本当に、ムードが台無しだった。慣れてたから、もう気にもならなかったけど。
本当の夢の話をした。美しいものの代名詞に母を使うのは癪だったが、私を綺麗と、彼は褒めてくれた。
夢の話をした。未来の約束をした。
彼は私の、騎士になってくれるらしい。
………ニヤけるくらい、嬉しかった。
そうやって、三人一緒にどこまででも行きたかった。リルと、ソアラと。三人で、どこまでもどこまでも、日々を紡いでいたかった。
それでも、私は分かっていたのだ。この鳥籠の中で、私の一生は潰えるのだと。
私はきっと、ここから出られない。このままがんじがらめに縛られて、永遠に抜け出せない。
あの紅い目を見ていればわかる。彼女は、私を見ていない。彼女がいつも見ているのは。そう。その視線の先の、紫。
理由なんてどうでもいい。なんでもいい。
私はきっと置き去りだ。ここの誰もが。きっと、実験の成功例のソアラでさえ。彼女は鳥籠から、自らの呪いから逃がすことを許さない。
けれど。ただ。ただ一人だけ。ここから旅立てる家族がいて。もしその子に、私が翼を授けてあげられるとするのなら。
私はきっと、そのために死んでやれる。
それが、私の目的。生きる意味だった。
私は、私の境遇に何度嘆いただろう。
何度憂いただろう。
助けを求めて、宛先もない助けは虚しく消えていた。
けれど、私はもう弱くはなくなった。一人ではなくなった。大嫌いだった『慧眼の加護』も、そのきっかけと思うと嫌いではなくなって。
そうして、とうとう終わりがやってきた。
『リル。ティフィを連れて、一緒に出ろ』
それは、あまりにも唐突で。驚くほど呆気ない終わり方だった。
あの女は、よりにもよってリルに私を傷つけさせた。リルに私を外へと運ばせ、リルに私を殺させようとした。
リルが洗脳されているのに気がついたのは、その目から思考を読もうとした時だ。
何度も叫んだ。何度も喚いた。
「リル!!リル!!見て、私の目を、見て!」
目さえ合わせれば、どうにかなるかもしれない。そんな予感があった。ずっと共にあった『慧眼の加護』なら。そんな考えで、私は叫び続けた。
けれど私は拘束されていて、リルも目をずっと伏せていた。声も、当然のように届かない。与えられる苦痛が、私に目を瞑らせることもしばしばだった。
止まれ、止まれと。痛みと、熱と、苦しみの中で何度も願った。届け、届けと。
このままでは、リルに私を殺させることになる。そうしてリルは自分を責めて……あの女の思い通り、壊れた人形になるだろう。
それは、何よりも避けなくてはならない。あの女の思い通りにさせてなど、なるものか。
だから私は、必死に叫んだ。
届け、届け、届け、届けと。
こっちを見ろ。こっちを見ろと。
よそ見なんて許せない。許せるものか。何であんな女なんて見ているのだろう。何であんな女の言いなりになっているのだ、この男は。
それが許せなくて、それだけが許せなくて。私はジッと彼を見つめていた。ずっと、ずっと、ずっと、ずっと。
そして───
目が開いた。眠りから明けた瞬間の気分は、はっきり言って最悪だった。ピクリと身体を動かした瞬間、全身に壮絶な痛みが走ったからだ。
裂かれるような、貫かれるような苦しみに悶えて、私は自らの状態に気がつく。
腕が、真っ黒だった。私の元の肌など見る影もないくらい、悍ましい紋様が、私の全てを埋め尽くしていた。
気持ち悪い、というのが率直な感想だ。次に抱いた感想は痛い。
「そう……だ………わた、し……」
そこで、ようやく思い出した。
私は、なんとかリルの正気を取り戻して。けれどそのあと、あの女に。カペラという女に、あの血を浴びせられたのだ。傷口に塗りたくる塩のような。癒すだけ癒して、無限の苦しみを味わわせるあの血を。そして、その後──
痛い。痛い。痛い。痛い。
意識した途端、脈打つように黒い痣は血管のようなものを浮かび上がらせ、私の痛覚を刺激した。私という存在から思考という人生を奪うほどに、激痛という言葉が生易しい苦しみを、容赦なく叩きつけた。
けれど、考えることはやめられなかった。考えることは、私にとっての全てだったからだ。
そうだ。私は、あの時。あの女に、何か。何かをされて。
「…………あ、ぁぁ……!」
そうして私は、何か違和感を覚えた自分の身体を見下ろした。
その体は、私が十年近く動かしてきたものとは、全くの別物になっていた。
フサフサと、人間には濃すぎる体毛を持った獣の足。生えている爪から何から、私の記憶とは程遠い。胴は植物のように緑色に変化していて、所々から蔦や葉が生えてきている。そうして頭を抱える腕は青っぽく、ヒレや水掻きのようなものまでついていて。ポロポロと、動くたびに黒く変色した鱗が落ちてくる。
見えない顔など、想像したくもない。獣の足と、植物の胴。魚の腕と、全身を悍ましい黒の痣で埋め尽くした謎の生物。私は、そんな化け物へと変化を遂げていた。
気持ち悪い、痛い。気持ち悪い、痛い。気持ち悪い、痛い。
尋常ではない痛みに悶えた。変わり果てた自らに嫌悪し、必死に目を瞑った。何処かに出ようとも思ったが、私の閉じ込められた密室の扉は硬く閉ざされていて、何度試しても開く様子を見せなかった。
暗い、暗い部屋の中。水も食料もない部屋の中で、涙と汗と訳の分からない汁を垂れ流し続け、悶え続けた。この体は食糧を必要としなかった。けれど水がなければ鱗のような腕が乾いて、裂けるような痛みを伴った。
死を願うほどの痛みに狂いかけた。自分が自分ともわからない絶望に狂いかけた。こんな体になったことを恨む暇すらなく、痛みは絶え間なく私を弱らせていった。
死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。けれど死ぬこともできずに、私は苦しみ続けた。自傷行為に浸ることもあって、それでもなお、死なない。
終わらない痛みに、限界を感じながら。それでも私は、狂うことだけはできなかった。
狂うことだけは。死ぬことだけは、出来なかった。
だって、だって、私には、まだ──
「ぃ、だぃ…苦、しぃ…痛い、痛いっ……!」
「……うん。お待たせ。殺しに来たよ」
私には、まだ。
やることが、あるのだから。
その闖入者は、暗闇でもわかる白い髪を持っていた。その手に外の光を反射させる鋭利な刃物を持ちながら、じっとこちらを見つめていた。
………誰だろう。わからなくて、ジッと目を凝らした。
「さようなら。誰だろう。でも、母さんの言いつけだから。ちゃんと、か……か、か……胴、た……胴、を。貫いて、殺さないと」
何かを言いづらそうにして、フラフラと小さな影は近づいてくる。その言葉の、ほんの一部に。私は、なぜか苛立ちを覚えた。
母さんという。その単語が、何故か気に入らなかった。けれど、それだけでは怒りを振り下ろす力も、気力も、もう、どこにも残っていなくて。
「だから………さようなら。──
だから。
だから。
私はずっと、その単語を待っていた。
「………リル」
「…………?」
私の呼びかけに、白い髪を持つ小さな子供は首を傾げた。まるでその単語が聞き取れなかったように、聞き返すように首をかしげたのだ。
だが。私は、相手がその単語を口にしただけで十分だった。私を憐れむあなたを、私はずっと、ずっと、ずっと。狂うこともなく、死ぬこともなく、待っていたのだから。
手に持ったナイフが振り翳される。私の体の痛みは消えたわけではない。避けるなんて、精密な動きはできなかった。
だから私は──
「ぐ……うぅぅっ……!」
「なっ……!?」
加護で相手の狙いを読んで、わざわざそこへと突っ込んだ。ちょうど、ナイフが深く突き刺さるような位置まで、抜けないところに、自分で移動して。自分から動くようにして、置かれたナイフに、勝手に突っ込んだ。当然、ナイフが体に突き刺さった。
痛い、痛い。膨大な量の血が噴き出て、石造りの床を穢していく。けれどその血溜まりの中で、私と子供は触れ合うことができた。
「何、を…‥?」
訳がわからない、という顔をして、その場で子供が狼狽する。その姿が、それはもう、あの夜に見た動揺する彼の姿そっくりで。私は一人、してやったりとほくそ笑む。
「………あなたが……私を、殺さなくちゃ……あなたは……ずっと、あの女に縛られ続けるから……」
殺されてやる。殺されてやろうじゃないか。私の死に、意味を持たせなくてはならない。けれど、ただでは死んでやらない。即死なんてしてやらない。私にはまだ、やることがある。
ナイフを深く刺したことで、リルは武器を失った。その分傷は深い……が、死ぬまでに、これで猶予を得た。
「……なに、それ………?わから、ないよ」
わからないだろう。私の独りよがりな理論だ。戻せるかどうかも怪しい、私だけの勝手な考えだ。
でも、それが私の人生だ。考えて、考えて。私が出した、私の人生が出したその結論が間違っているなら、それはそれで死んでやる。
「アナタは、僕の何……?君は……僕は……ボクは、ワタシは……誰なの……?」
虚な目が、こちらを覗く。血が出て動きにくいけれど。痛みは血の呪いに比べればへでもない。寧ろ、血の水分で手が動きやすくなったほど。
「あ……なたは……リル。私の大切で……大好きな人。ティフィと……ソアラと。みんなの。私の、家族」
「……ティ、フィ……ソアラ……?」
私を見つめる光のないその瞳。桃と水色の、二つの目。大好きな色。困惑を伝えてくる、臆病な瞳だ。
……なんて、馬鹿な私。死ぬ間際になって。言葉に出して。願いが叶う寸前になって。本当の願いに。私自身の、ホントウノキモチに気がつくなんて。
そうだ、私は……私は、ずっと。ずぅっと。
「リル、リル。……大好き」
好きだった。大好きだった。胸の内を焦がす熱い想いを堪えられずに、溢れるそれを流し込むように、私は焦点の合っていないリルの唇を奪う。
「………ぇ……」
あなたはきっと、知らないだろう。
『ティフィとソアラを、その……守ってあげたいなあって』
『ティフィは、綺麗だよ』
あなたの言葉が、あなたの記憶が。私にどれだけのものをくれたのか。私がどれだけ、救われたのか。
平穏にすら疑いしか抱けなかった私を。優しさを感じられなかった私を。あなたが。人でなしでありながら助けてくれたから。
もし、あなたがあなたでなくなって。あなた自身がわからないのだとしても。
私は、私ができる最上級の方法であなたに伝えよう。私からあなたへ。私が見てきた全てのことを。私が見てきた、あなたのことを。それが私が、今の今まで生き延びた理由だから。
唇を離さないまま、虚ろな二つの目を見つめる。大嫌いで、ずっと悩まされてきたこの加護。それはきっと、ここであなたに想いを伝えるためにあったのだ。
さようなら。さようなら。大好きなあなた。ひとりぼっちだった私。───ずっと共に過ごしてきた私の加護。
今度は彼に、光を教えてあげて。
桃色の目に、空色の瞳に生気が灯る。紅がかった頬が、その白い肌に眩しかった。
そういえば。あの女がリルの唇を奪っていたことを思い出す。なら、これは私なりの復讐だ。わざわざ口付けまでして失わせた彼の心を、なんでもないメス肉の私が上書きして、奪ってやる。あの女の男を、それも私が好きな男を奪えるだなんて、なんて素晴らしいことだろう。
永遠にも感じて、けれど終わってしまった数十秒。お互いの唇が、心に少しのもの寂しさを残して離れた。
そこに座り込んでいたのは、目から大粒の涙を流している、私が一番大好きな彼。少し変わってしまったけれど……その変化さえ、愛おしく感じてしまう。前より数段、美形になったんじゃなかろうか。
「うん…見直した。カッコよく、なったね……」
「……ティ、フィ……?……ぼ、く……僕……ぼく、は……!ティフィ……ティフィ……!」
その情けない姿に、思わずクスリと笑ってしまう。こんな気持ちの悪い別の何かになった私を、以前と変わらずティフィと呼んでくれることが、これ以上ないくらいに嬉しかった。
そうだ。私は、そんな彼だから、好きになったのだ。
どこまで伝わっただろう。きっと、全てではないけれど。私が出来る限りのことはやった。だから、後悔に浸っている時間はない。此処はもう、あなたがいるべき場所ではないのだから。
「いいんだよ。……いってらっしゃい、リル」
うまく笑えただろうか。私は、あなたを安心させて、送り出せただろうか。わからないけど。
「う、あぁ、あ、ぁぁぁっ!!」
泣きながら走って、私の手の中から去って行ったこと。それが多分、最高の答えだった。
行け。行け。行ってしまえ。
そうやって越えて行け。超えて行け。先の見えないあの崖も、山も、大地も、未来も。何もかもを越えて、飛んで行ってしまえ。こんな鳥籠から逃げ出して、広い広い、外の世界へ。
あなたには翼があるのだから。私がどうしても持てなかった、自由へと飛んでいく翼が。あなたを包む世界へ。どこかにある、優しい世界に。
そうして私は、全てを終えて倒れ込んだ。ついにナイフの抜け落ちたその傷口から、大量の血液があふれ出した。
───ああ、痛い。
痛くて痛くて、堪らない。
全身を包む痛みに、これ以上ない満足感を覚えながら、ゆっくりと目を閉じる。
愛しい人に。私の夢に、終わりを告げられる。
なんて、美しい日だったろうか。
みんな騙した。みんな欺いた。自分のエゴを貫くために、姉代わりの人も、大切な家族も。好きな人も、自分自身ですら騙した。
怒るだろう。怒られるだろう。地獄があるとするなら、私はきっとそこへ逝く。
ああ、でも。そういえば。
───あの日語った夢は、嘘じゃなかった。
お姫様になりたかった。沢山のことを知って、沢山ものを食べて、沢山の人たちに愛されて。
……大好きな人に、ずっと側にいてもらう。
王子様は……仕方がないから、バカソアラで我慢してやろう。孤児院を開くのも、何かしら立場があった方がやりやすい。国単位の支援だってできるだろう。国務を放り投げられても文句を言うつもりもないし、妾に彼女を迎えてもいい。…………その分こっちも堂々と浮気してやるけど、それなら家族全員、夢を叶えてハッピーエンドだ。
その夢だけには、嘘はついたことがなかった。つきたくなくて、着けなかった。
「はは、名残惜しいなぁ」
騎士様。夢だけの私の騎士様。
どうか、その将来に祝福を。
生きられなかった私から、私の願いを叶えたあなたへ。その一生に微笑みを。
私を殺して得る幸せの先で、私を見据える視線の先で、視界の末で。どうかあなたが。
こんな、最期になって自分の気持ちに気がつくような。
私のように、なりませんように。
開いた手鏡のようなものから、艶めかしい光が蠢いていた。鏡の先では、黒い布を被ったいかにも不審者然とした人物が、小さな声でボソボソと何かを告げている。
「………へぇ。……それで……そう。わかった。報告はそれだけ?……ええ。ご苦労様」
不気味な光景に対峙する女はしかし怯えることもなく、鏡の向こうへと話しかけていた。最後に心にも無い労りの言葉を口にすると、手鏡からの不気味な映像は失せる。
魔法器、と呼ばれる代物。こういった細かい物の操作に疎い女は、どうしようかと視線を彷徨わせ、適当に机の上へと放り投げた。
「ねぇ。………あの子、脱走したみたい」
妖艶な黒の暗殺者は独り言のように呟く。明るい部屋には三人。言葉は、そのうちの一人に対して向けられたものだ。
その一人──カペラ・エメラダ・ルグニカは、童女のような瞳を爛々と輝かせ、自らより二回りは大きい子供の報告に対して振り向いた。先ほどまで夢中になっていたからか、魔法器で会話していたこと自体には気が付いていなかったらしい。
あの子、という暗殺者──エルザ・グランヒルテの曖昧な言葉に一瞬思案するも、聡明な頭は瞬時にその単語が指す
「あん?あ〜………最近めっきり反抗しないから、油断してました。あのメスガキ殺させたのがマズかったですかね。まだ脱走する気概がありやがったのは意外ですが。てか、脱出経路があるなんて聞いてねーんですけど?」
「場所は排気口。天井に備え付けられているし、狭くて子供でもないと抜けられない。外に出たところで素手で崖登りをする必要もあるから警戒も薄かったけれど……あの子なら全部できるでしょう。これからは気をつけることね」
「腐っても最強の亜人族ってんですかぁ?きゃははっ!いいじゃねーですか!そう言う気骨は嫌いじゃねーですよぉ!」
最強の亜人族。そう言って、狂人は拷問中に素手で鉄の拘束具を破壊された苦いとも呼べるきっかけを思い出す。成長が早いから亜人の可能性は考えていたが、検査の結果
尤も。あの子供は最強とは少し違った。カペラに言わせるなら、あれは最強というよりは、災厄。禁断の果実という表現の方が正しい。
何気ない仕草が他人を蠱惑し、玉の肌はいくら雑に扱おうとその美しさを保つ。表情や反応は男女を問わずその支配欲を煽り、あげる声は耳で聴く媚薬そのもの。
まさに、天性の魔性。一度手を出してその味を知ってしまえば最後。富豪だろうが聖人だろうが、全財産を投げ打って、家宝やら家族やらを金に変えてまであの子供を求める。
カペラが顔に所々手を加え、房中術やらを仕込んで『完璧』となってからは、金銭に困った記憶は全くなかった。何せ、街ひとつを丸々購入しても余るほどの金が常に入ってくるのだ。これが愉快と言えずしてなんと言えよう。
そんな子供の生まれが、伝説に残るほどの力を持った亜人族。因果めいたものを感じながらも、カペラは自分に都合の良い世界に浸っていた。
あの子供に心酔するなら、それと全く同じに
「どうする?追う?」
故にこそ、その子供に逃走されることは、カペラにとっても面白く無いことではあったが……
「──いや、いい。どーせ、アイツはアタクシのところに戻らずにはいられない。そういう『教育』してありますから。子供に帰巣本能植え付けねーほど、アタクシは怠惰な母親じゃねーんです」
元より逃がすつもりなどない。罠は事前に仕掛けてある。あの子供は、もうカペラなしで生きることなど不可能だ。カペラが愛しているのだから、その子供がカペラを愛するのも当然。ならば、カペラを捨てて生きるなどという道が許されるはずもない。
「……ん!ん、ふぐぅっ!!ん、んぐぅぅっ!」
「おぉっと。忘れてやがりましたよ、メィリィ。てめーのお兄たまがちょっとオイタしたところだったんでね。安心しろよ。優しく慈悲深いアタクシは、てめーのこともちゃんと躾けて、愛してやりますから」
猿轡をされ、さらに壁に縛り付けられる最後の一人の少女──メィリィ・ポートルートに、愛を囁くようにカペラは漏らす。『躾』用の鞭と釘を手に、慈しむような目で睥睨した。
「精々、アタクシのいない絶望の世界を楽しんでから帰ってきやがるといいですよ。アタクシの、きゃわいいきゃわいいお人形!『色欲』の
──その生に、性に。呪いと穢れあれ。
『色欲』の狂人は叫びに叫んで、それを上塗りするような少女の叫びに溺れ………深い闇に、消えた。
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この
君がくれた
またここから、始められる。
ゼロから始めて、ゼロから続ける異世界生活を。