目が覚めたら難易度ナイトメアの世界です   作:寝る練る錬るね

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大遅刻をお許しください。
感想返せなくてごめんなさい。前話の分は返せないから今話で頑張る。

前回のあらすじ:体が高く売れたよ!やったねフィアラちゃん!


フェルト√ 生まれた日のこと

 

 

 

 目が嫌いだった。貧民街の子供たちがよくしている、諦めきったような光のないあの目が。

 

 どうして、気がつかなかったのだろう。

 

『綺麗だ』と。そう言って、いつかフェルトを映したその二つの色の目が。それとまったく同種の翳りを宿していたことに。

 

「お前……!なんで………こんな、とこ……!此処がどこか、わかってんのか!?」

 

 乱暴に掴んだ腕は、華奢(きゃしゃ)だった。細くて、折れてしまいそうで。庇護欲を唆る小柄さに似合っていた。一点の曇りもない白くて綺麗な肌は、湿度が高いからかしっとりとしていて、フェルトの荒れた指に吸い付いてくる。

 

 ………そして、自分が抱いた美辞麗句ばかりのその感想が、これ以上なく不快だった。

 

 開いた扉。石畳だけの閑散とした外とは違い、淫靡なピンクの光が散乱する室内。敷居を跨ぐように。中と外の境界を挟むようにして、フェルトとフィアラは立っていた。

 

 此処がどこか。自分が発したその言葉を、フェルトは脳内で反芻していた。

 

 フェルトは、遺憾ながらも十歳にも満たない子供だ。その自覚はあるし、こういったことを知るのに世間一般では早すぎることも理解している。

 

 だが、フェルトは貧民街の子供だ。騙された後で『知りませんでした』では済まされない環境、境遇で育った。仮にも婦女子であるなら尚更。比較的早い段階で知識は学んだ。事実、それに助けられた場面もなかったと言えば嘘になろう。

 

 だから、此処がどこかという質問に対して、フェルトは明確な答えを出すことができた。できてしまった。

 

 貧民街出身の童女が、あるいは顔の良い女が、最後に行き着く場所。こと稼ぐという点においては、此処に勝る店はそうない……が。金と引き換えに、人間の尊厳と、快楽を売る場所。

 

「此処が、どこか?」

 

 フェルトの問いに、ようやくフィアラが反応らしき反応を返す。少女のような可憐な表情を浮かべながら、小さな声で。その顔からは、特別な感情を読み取ることができない。

 

 動揺も、緊張も、覚悟も。その顔からは、何も。何一つ、感情を窺い知ることができなかった。

 

 淡々と、答えは返ってくる。冷酷かつ無慈悲で、フェルトが一番、目を逸らしたかった事実。

 

「お仕事する場所」

 

「………っ!」

 

 的中して欲しくなかった予想に、思わず目を瞑った。気分を落ち着けるために深呼吸をしようにも、むせ返るような甘い匂いが充満していて、呼吸すら苦しい有様だ。

 

「あれ、フィアラちゃん、来てたの?」

 

 声が聞こえた。フェルトの側ではない。店の奥………見たくもない蛍光色で彩られた室内から聞こえてくる、ぐぐもった声。

 

 髭を生やし、でっぷり、とは言わないまでも膨らんだ腹を、格式ばったスーツで隠している。いかにもと言った様子の中年男性が、店の奥から姿を表した。

 

「………店長さん」

 

「ああ、今日もよろしくね。いやぁ、フィアラちゃんってば評判いいから。飛び入りの最初こそ心配したけど、今やうちの稼ぎ頭で……」

 

 ニタニタと粘り気のある表情を浮かべ、フィアラへと馴れ馴れしく声をかける。その様子はまさにフェルトの想像通りの嫌な金持ちといった風体で、見ているだけで目がもげそうなくらい不快だった。聞きたくもない事実をつらつらと並べて、こちらに寄ってくる。

 

 よっぽどフィアラにご執心なのか、気持ちの悪い笑みを浮かべた男は、かなり近くに寄るまで外のフェルトに気が付かなかった。

 

「……おろ。その子、どちら様?ダメだよ〜フィアラちゃん。こういうとこに関係者以外入れちゃ。そんなダメなことをする子には、後でおしおきがいるかな?」

 

 とぼけた声が、黙ったままの自分達二人にかけられる。耳に残り、延々と不快感を与えてくる声。その舐め回すような視線も、荒い呼吸も、何もかもが不快だ。

 

「フェルちゃん」

 

「………なんだ」

 

 発された呼びかけに、辛うじて残った理性で応じる。今すぐいなくなってしまいたい本能をなんとか抑えて、耳に入る声を傾聴した。その声がこの場からの逃走を促すものであるのなら、いつでも逃げられるように足に力を込める。

 

 しかし。

 

「帰って」

 

「………は?」

 

 望んでいた答えと全く別の言葉に、フェルトは呆気に取られた。何を言っているのだと、マジマジとその目を見つめる。

 

「今からお仕事。言いたいことがあるなら、明日の朝聞くから。だから、帰って待ってて」

 

 駄々をこねる子供を相手にする親のような口調だった。この場には似合わない声が、日常会話のような朗らかさで以って、窘めるようにフェルトを撫でる。

 

 不快感とは違う、悪寒のようなものがフェルトの背筋に走った。

 

「………お、前……!お前、今自分が何言ってるのか、わかってんのか!?」

 

 その言葉がどういう意味を持つのか、理解しかける。それでも確信だけはしたくないと、フェルトは吠えた。

 

 今、フィアラは。なんの動揺もしていない。何一つとして感情を動かされることなく。この場から逃げ出したいとも、抜け出したいとすら思わず。フェルトが目の前にいるというのに、フェルトに見られたというのに。なんでもないように、平然と店に入ろうとしているのだ。

 

「………?」

 

 フェルトの問いの答えをはかりあぐねて疑問符を浮かべるフィアラは、逃げようとも。どころか、恥ずかしいとすら思ってなどいない。ただ平然と、いつものように。盗品蔵のカウンターで座っている時のように。心一つ乱さず、それと全く同じ調子で、春を売ろうとしているのだ。

 

「なんだい、その子。フィアラちゃんの知り合い?」

 

 フィアラを見つめていた男の瞳が、フェルトを捉えた。全身を二つの目でじっくり見られる。それだけの行為が、至極不快だ。このねぶるような視線が、自分だけでなくフィアラまでもを凌辱していたという事実が。フェルトの心に堪らない嫌悪を植え付けていく。

 

「…黙れ……」

 

 たった十数日の付き合い。思い入れといえば、はっきりいえばない。ただのお荷物だと思っていた。

 

 それでも。こんなクズに、こんな不躾な視線を向けられていいほど、フィアラという人間が悪い奴ではないとは知っているつもりだった。それをされて当然と思えるほど、フェルトはフィアラを嫌うことなどできなかった。

 

「ああ、もしかして、お友達かな。二人で一緒に店に入りたいとか?ちょっと汚いけど……うちで体洗えば素材はいいし、二人一緒ってのが好きな客も……」

 

「黙れって言ってんのが聞こえねーのか、このクソ野郎っ!」

 

 フェルトの言葉に耳を傾けず、あろうことか伸ばされた手で肩を触られたことがきっかけとなり、爆発する。

 

 手を振り払って、剥き出しの腹に重い切りの蹴りをぶちこんだ。脂肪に衝撃が吸収され、手ごたえ……足ごたえはない。だが、いくら子供とはいえ、全力の蹴りを受けたことで男は背後に転倒した。

 

「フィアラ、走るぞ!!」

 

「フェル……」

 

 その隙を逃さず、フェルトはフィアラを連れて駆け出した。フィアラが何か言おうとしていたが、それを無視して走る。掴んでいた腕を離して、代わりに手を掴んで走った。フェルトの何倍も小さい手を、離さないように握って。

 

 走りながら考えた。どうして、と。

 

 考える。考える。考えて、考えて。

 

 そうして湧き上がるのは、自分への自責の念ばかりだった。

 

 どうして、気がつかなかった。どうして、わからなかった。……どうして、止めなかった。

 

 あんなに近くにいたのに。手を伸ばせばこんなにも簡単に、止められたはずなのに。

 

 わかっている。理由は簡単だ。

 

 金だ。金に目が眩んで、フェルトは観察を怠った。貧民街で生きていく上での基礎の基礎。それこそ、見下した子供でも知っていることを忘れるほど、フェルトは堕落していた。

 

 観察眼と、この逃げ足の速さ。貧民街という恵まれない環境で生きてきたからこそ成長し、誇れるそれら。フェルトはその誇りを、自ら金で売り払ったのだ。

 

 ………この少女の体を売ることで得た、濁り切った汚い金で。

 

「くそっ……!くそっ、くそっ、くそっ!!」

 

 走りながら、何か熱いものが込み上げてきた。この暑い中走って、汗をかいたからだ。そうに違いなかった。

 

 今ならロム爺が言っていたこともわかる。フェルトは、変わっていた。変わりかけていた。素直に話すなら、拗ねていた。

 

 嫉妬したのだ。フィアラという子供に。

 

 自分と同じような年齢の、けれどずっと綺麗な子供が。貴族のボンボンが。自分がお荷物と見下していた少女が。

 

 盗みの仕事をするよりずっと早く、確実に多くの金を稼ぐのを見て。妙な対抗意識を覚えて、嫉妬した。

 

 そんなつまらない感情で、見る目を鈍らせた。

 

 今更思うべくもない。フィアラは、貴族などではなかった。貴族がこうであってなどたまるものか。それはきっと、今までの行動のどこからでも、どれか一つでも注視すれば、絶対に分かるはずのもので。

 

 恥を、感じていた。

 

 怒りを、感じていた。

 

 苦しくて、苦しくて、苦しくて。それでも、止まるわけにも行かないから、走り続けた。

 

 そのヤケっぱちの疾走は、貴族街から抜け出すまでに続いた。

 

 途中、貴族連中が驚いた顔でこちらを見ていた気がしたが、それもどうでもよかった。

 

「……ちゃん……フェルちゃん……!」

 

 走るのが止まったのは、自分を呼ぶ声が聞こえたからだ。通りで立ち止まって、目立たない路地裏へと走って。そこでようやく、フェルトは呼吸を始めた。

 

 息切れするほど走ったのなど、一体いつぶりだったろうか。

 

「……はぁ、はぁ…………」

 

 倦怠感と、今度こそ汗が噴き出す感覚を覚えながら、フェルトは必死に呼吸を整えた。対照的に、フィアラは息切れ一つせずに、こちらをじっと見つめている。その浮世離れした様子が、夜の街に光る星のように眩しかった。

 

 咳き込みと浅い呼吸を繰り返して、なんとか喋れる程度に呼吸器を戻す。それがわかったのか、フィアラはゆっくりと口を開いた。

 

「なんで……?」

 

「………なんに……ついてだ……?」

 

 最初、主語のないその言葉が指すものを全く別のものと勘違いした。どうして、自分を助けたのだと。そんな言葉がかかるのだと。未だ未練がましく、微かな希望に縋っていた。

 

 希望が打ち砕かれるのに、慣れることはできなかった。

 

「なんで、店長さんを蹴ったの……?」

 

「……なっ……!?」

 

 正気か、と。口にされたその言葉を聞いて、そう思わずにはいられなかった。この一時に限って、フェルトは最初に、自分の耳がおかしくなっていることを心から願った。

 

「なんで、逃げたの……?なんで、帰ってくれなかったの……?謝ろうよ……今から謝りに行ったら、きっと店長さんも許してくれるから……」

 

 お人好し、とは違う。

 

 フィアラは、本気でわからないのだ。

 

 自分が春を売ることの重大性も、フェルトがフィアラを引き止める理由も、あんな行動を取った理由も。

 

 恐怖を覚えた。

 

 歪んでいる、などという次元ではない。これはもう、価値観だとか倫理観だとか、そういうものが死んでいるようにしか思えなかった。

 

 人間として決定的な何かが、フィアラには欠けている。

 

「なんで……!?なんでだよ!?てめーはさっきアイツに……う、売られるとこだったんだぞ!?なんで、あんな奴の心配……!」

 

「………?フェルちゃんだって、店長さんは大切じゃないの?」

 

「はぁ!?何言って……!」

 

 理解が及ばなかった。本当に、何を言っているのかさっぱりだった。

 

 狂ったのではないかと疑って、理解不能だと呆れた。

 

 その言葉を聞くまでは。

 

「………お金、欲しいんでしょう?あの人は、お金をくれるもの」

 

 初めて、フィアラが微笑みらしきものを浮かべる。いつか。いつか。いつか、その微笑みを、見た記憶があって。

 

 その言葉を、聞いた記憶があって。

 

 そう、それは。フィアラが初めて金を稼いでくる、ちょうど前日の──

 

『お金、欲しいの?』

 

「ま、さか………」

 

「そういう意味なら、お客さんたちになるけど。実際はあの人たちがくれてるから。でも、店長さんも場所を貸してくれるいい人で……」

 

「………お、おい……待て………待ってくれ……!お前、お前………まさか………」

 

 わなわなと、体が震える。早口で語るフィアラを制して、強張る口が言葉を紡ぐ。

 

 知りたくない。そんな真実は、聞きたくない。知るくらいなら、訊かなくていい。聞きたくない…………のに。

 

 口は、その真実を確かめずにはいられない。

 

 

 

 

アタシが、金が欲しいって言ったから………体を、売ったのか……?

 

 

「そうだよ?フィーには、これしか売るものがないから。でも良かった。フェルちゃん、喜んでくれたもんね」

 

 

 今度浮かんだのは、笑顔だった。

 

 フィアラは笑った。心底嬉しそうに笑った。

 

 フェルトが喜ぶのが、嬉しくて堪らないという様に。今まで見たこともないような、綺麗な笑顔で。

 

 数行の羅列は、酷く簡潔にフェルトの心を抉った。

 

 口元が、弛んだ。

 

「……は、はは……おい、なんだよ、それ……」

 

 喜んだ?あぁ、喜んだとも。たかが金属の塊を有り難がって、飛び跳ねるくらいに喜んだ。たったそれだけのことに、何がきっかけだったのかなど考えることもなく、代償に何を支払ったのかなど知るよしもなく。無邪気に喜んで、安易に妬んで、愚かにも使ったとも。

 

 それがおかしくて、おかしくて。恐ろしいほどおかしくて、笑って。

 

 …………何の価値がある。

 

「ふっざっけんなっ!!!」

 

 フィアラの体を犠牲にしたものに、一体何の価値がある。

 

 フィアラの苦痛と引き換えに得た仮初の楽に、一体何の価値がある。

 

 フィアラの心を失った代わりに得た無機物に、一体何の価値がある。

 

 何の。何の価値がある。

 

 何に替えられよう。何で贖えよう。

 

 腰につけていた革袋を乱暴に外す。中には、何枚もの聖金貨が入っていた。頼もしく感じていた重みがなんて…………軽い。

 

「こんなものぉぉっ!!」

 

 袋を地面に叩きつける。飛び散ったそれらが憎くて、憎くて。憎くて。八つ当たりと知りながら、何度も何度も、踏みつける。

 

 こんなたった十数枚の小銭が、フィアラの苦痛の代わりであってたまるものか。こんなものが、人の心の代わりになってたまるものか。この程度の重みであって、たまるものか。

 

 穢らわしい。人の欲望が詰まったようなこんな金属の屑が、この世の何よりも汚く思えて仕方がなかった。

 

 憎くて憎くて憎くて。そんなことをする自分自身が。フィアラに対して何もできなかった自分が。フィアラに体を売らせた自分が。

 

 何よりも嫌で、嫌で、嫌で。

 

 踏む足と共に、爪で自分の腕を掻き抱く。跡が残るほど強く握りしめる。自傷に浸って、痛みがせめてもの償いになるよう願った。それが今更何にもならないと知っても、それをせざるを得なかった。

 

 けれど。

 

「ど、どうしたの……フェルちゃん?もっと欲しい?どうしたら、喜んでくれる?どうしたら、痛くなくなる?もっと、お金がいるの?」

 

 その欠片の一つたりとも。フィアラには、届かなくて。

 

 無意味に地面に転がった金を拾い集めて、必死にフェルトを癒そうとする姿が、あまりにも痛々しい。フェルトの何倍も、苦しくて、辛かったろうに。

 

「あ、あぁ……あぁぁぁぁぁっ……!!」

 

 泣き崩れる。悔しさ、苦しさ、弱さ、無力感。溜まっていた負の感情が、決壊して。わけもわからずに泣いた。泣いて、縋った。

 

 近くで泣かれたフィアラは、困惑した様子で。けれど、わからないなりに優しく、優しく、ゆっくりと、フェルトをあやすように抱きしめた。

 

 その優しさが、今のフェルトにとっては、苦痛にしかならなかった。

 

 涙が枯れるまで。フェルトは、抱きしめられることの苦痛を味わい続けた。

 




ちなみに一番時間をかけたのはモブのオッサンです。キモさを表現するのに小一時間……

明日も更新するよ。

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