フィアラたんの体液が媚薬云々という話について誤解している方が多いようですので説明しますが、本作の中で媚薬というのは基本、粘膜か経口、呼気での摂取でないと効果を発揮しません。みんなが想像してるような塗っただけで感度三千倍とかいう世界はないです。残念。
僕には、二つの呪いがかかっている。
『絶対に、殺してやるっ!!』
死を願う呪いが、数多。
『いいんだよ。いってらっしゃい、リル』
生を願う呪いが、たった一つ。
かけられたのは同じ人間。けれどかけられた時期は、明確に違う。二つの人格も、また違う。責任逃れなのかもしれない。責任転嫁なのかもしれない。それでも、その二つは全くの別物だった。
さあ、さて。そして呪われたのは、一体誰なのだろう。
──お前は誰だと、声がする。
ずっと聞こえる声。あの場所を抜け出してから、延々と響いてくる問い。詰問。
誰。
誰なのだろう。
てんしか。リルか。フィアラか。それとも、その他なのか。
他人の不幸を悦とし、若くして身を滅ぼした悪魔か。人を殺し、自らをも殺め、快楽と血の海で溺れたちっぽけな子供か。それとも、貧民街で自らすら分からなくなっている、マセたガキか。
答えはない。出ない。出るはずもない。自分が何かという問いに答えられる人間は、きっとこの世に一人もいないのだろう。
ならきっと、自分がその声に返すべき答えはただ一つで。
───お前は誰だ。
僕は───
「───僕だ」
「ロム爺!今日もお話聞かせてっ!」
「わかった、わかった。今日も剣鬼恋歌を……」
「やだ!それより亜人戦争の泥沼な戦況について聞きたい!」
「随分過激じゃの!?他人の話に何を求めとるんじゃ!?」
………ムカムカする。
視界の端で戯れる老人と子供を捉えて、フェルトは机に肘を突きながら、深くため息をこぼした。フィアラがロム爺に話をねだる。いつものことだ。……いつものことのはずだ。
褐色で巨躯の老人に対して、童女のように見える子供は酷く色白で華奢。お互いの容姿の違いも相まって、その様子は妖精に揶揄われる人のよう。
人によれば感極まって泣きそうなほど幻想的な光景に、フェルトは涙するでもなく肩を落とす。幻想はフィアラといれば慣れる。どんな殺風景だろうと崇高な絵画のようにしてしまう子供とずっと一緒にいて、今更何を思えと言うのだ。
フェルトの胸に渦巻くのは、こと感動とは全く別の感情だ。
即ち………
「っだぁ!イライラするっ!」
「ぬぉっ!?突然何をするんじゃフェルト!ワシのカウンターが!!」
ボコォ!と、力任せにカウンターを叩く。ボロい木製の長机は経年劣化のせいか、悲鳴代わりに小さな木片をいたるところから落とした。そろそろ寿命だろうか。
フィアラと戯れるのをやめ、心配そうにカウンターを
「フェルちゃん、流石に可哀想だと思う」
「おい、てめーまで机の心配かよ」
「いや、さっきの衝撃で出て行った家食いネズミの……」
「ワシの家!!」
盗品蔵、そろそろ潰れるんじゃなかろうか。最近はロム爺が歩くだけでところどころがミシミシ鳴るようになったし、怪しいところだ。
こうして三人で軽口を叩くことは、普段なら楽しいことだ。たとえ二人でも、ロム爺だろうとフィアラだろうと、スカッとした気分で何も考えずに笑っていられる。
だが、今この時において。フェルトの心は、風が入ることも、光が射すこともない。この盗品蔵のように、どんよりと埃っぽく、言い表しようのない靄がかかっている。
………最近の自分はどうもおかしい、と思う。
ちょうど、フィアラがここにきて半年ほどになる頃だろうか。そのあたりから、フェルトはおかしい。おかしい。おかしい。
どこがおかしいか、と言われれば、明確に言葉にするのは難しい。ただ、フィアラがロム爺と一緒にいたり、上っ面とは言え他人に対してニコニコしていると、なんとも言えない不快感が襲ってくる。
まさか、これが噂に聞く、恋──
「フェルちゃん、今日のパンツは何色?」
「ねーわ」
「履いてない………だと……!?」
「(そういう意味じゃ)ねーわ」
うん、ない。それは断言できる。
フェルトは、別にフィアラが異性として好きなわけではない。意識しているわけでもない。そもそも異性なのかが怪しい相手だ。しかも挨拶がわりにパンツの色を尋ねてくる子供になど。
流石にそれは気の迷いだったか、と胸を撫で下ろす。
………しかし。半年以上一緒にいて、相手の性別を知らないというのはなかなかに致命的だと思うのだが。知り合いなのかどうかを疑うレベルだ。
──いい加減、性別くらい訊いてもバチは当たらない、か?
半年前の事件のことは、いくら時間が経ったとはいえ、フェルトとて克明に記憶している。風化させてはならないと思い返す度に実感しているし、頭に刻み込まれて、忘れられないというのもある。あの事件を引き起こしたのは、間違いなくフェルトだからだ。
今まで、それに触れることはしてこなかった。フェルト自身の後ろめたさもなかったとは言わない。ただ、それ以上にフィアラの古傷を抉ってしまうような行為に、抵抗があったのだ。
けれど、あれから時間も経った。もしかしたら、そのくらいのことはフィアラも答えてくれるのではないか。
フィアラとの付き合いも、もう随分と長くなった。一方的かもしれないが、フェルトはもう、フィアラを家族のようなものだと思っている。その家族の身の安全を考える上でも、フィアラの性別を知っておくことは大切なことなのだ。
そう決意し、フェルトはゆっくりと口を開く。
「フィアラ、お前………」
「あ、ロム爺。さっき軽く汗かいちゃったから、水浴びしてもいい?」
………ん?
「元はと言えばお前さんの金じゃ。わざわざ断らずとも、奥の部屋を好きに使えばええ」
「はーい!」
…………ん?
いや、これは、つまり。
つまり、そういうことか。そういうこと、だろうか。こんな露骨なタイミングで、そんなことを言い出すなど。
そんなもの、覗いてくれと言っているようなものではなかろうか。
「どうしたの、フェルちゃん。汗だくだけど」
「あ、あぁ、いや!なんでも……!なんでもねぇよ!?」
絶好のチャンスだ。水浴び中に覗けば、まず間違いなく性別がわかる。
いや。それどころか、フィアラの………
「そう?なんなら、フェルちゃんも一緒に浴びる?」
「…………へ?」
………へ?
盗品蔵の奥には、軽く水浴びができるシャワー室擬きが備え付けられている。フィアラが服と、よくわからない薬の材料を買った残りの聖金貨をほとんど注ぎ込んで作った、貧民街にしては珍しい部屋だ。
といっても、それだけあってできるのは、個室で冷たい水で身を清めることだけ。それなら井戸でだってできるし、消耗品の魔石を使ったシャワーは維持費もそれなりにはかかる。
金の無駄遣いだ、と何度もフェルトは主張したが、いつもフェルトに従順なフィアラはその一点に置いては一分も譲らなかった。どころか、『セントウも無いのに家で水浴びもできないのか』と怒りだす始末だ。訳がわからない。
そして今。フェルトは訳がわからないの極地に立たされていた。
「ほら、フェルちゃん。一緒に入るんでしょ?」
「…………へ」
タオル一枚で体をフィアラと共に、シャワー室で水浴びをする。当然、シャワーがいくつもあるわけもない。一つのシャワーで、二人で水浴びだ。
絶世であろう肌を、白っぽい布切れ一枚だけを着て平然としているフィアラ。その格好の醸し出すエロさを完璧に表現する言葉を、フェルトは持ち合わせていない。
いや、どころか。普段からフィアラは、裸の上に服を着ているだけという痴女同然の格好をしているのだ。なんていやらしいのだろう。
………フェルトの思考は、容量をオーバーした状況を目の前に、完全に停止していた。
「ほらほら、フェルちゃん。背中流そうか?」
「…………」
「おーい、フェルちゃん?」
「…………」
「………勝手に洗っちゃうよ?」
「…………」
「…………ダメだこりゃ」
フィアラの声を遠くに聞きながら。フェルトは、ただただ人形のように遠くを見つめていた。それはもう、悟りを開いた仏が如く。心頭滅却。心の中はまさに凪だった。
抜けでた魂が肉体に戻ってきたのは、ちょうどフィアラが服を着終わった後のことだった。
「…………結局、何一つわからなかった……」
ほうほうの体で、フェルトは盗品蔵から寝ぐらへの道のりを歩く。もう夕方になるのだろう。ボロ屋が並ぶ貧民街は、落ちかけの夕日で赤く染まっていた。
未だぼうっとする頭で、フェルトは考える。
いくらなんでも、こんなのはおかしい。いや、状況は色々とおかしさ満載だったのだが。少なくとも、フェルトは覗きを企んでまでフィアラの性別を知りたいわけではなかった、はずだ。ましてや一緒に水浴びをするなど。
………意識が遠かろうと、気を失っていたわけではない。思い出そうと思えば、今でも鮮明に思い出せる。フィアラのすべすべとした心地の良い肌に、思わず掴みたくなるほどほっそりとした腰つき。水を弾いて眩いばかりに光を反射する髪と、小さな肩と、そこから繋がる───
「盛りのついた犬猫かアタシは……!」
自嘲でピンク色の思考を止める。この思考はダメだ。……いくらフィアラが乗り気に見えるからといって、そんな邪な考えは抱いてはならない。アレはあくまで、生きていく上で仕方のない行為だ。フィアラが相手にフェルトを選んでいるのも、自分を信頼してのことだ。それを裏切ることなどあってはならない。
答えの出ない自問自答を繰り返しながら、フェルトは危うい足取りで家路を辿る。
フェルトのねぐらは、フィアラやロム爺とは違い盗品蔵とはまた別だ。家、といえば盗品蔵になるだろうが、寝る場所は盗品蔵とは別にある。盗品蔵に泊まることもまちまちで、実際金品の類などは盗品蔵の中だ。思い入れもないし、本当にただ寝るだけの場所。
いっそ、あちらの方に住んでしまった方が楽なのだが。ロム爺や自分で、お互い個人の時間は大事だろうということで住まいは分けている。
無論。そんな場所が盗品蔵からさほど離れているわけもなく、ほんの十分程度でフェルトは目的地までたどり着く。特に何が置いてあるでもない。捨てられていたソファや布をかき集めて作られたベッドと簡易扉があるだけの、風が吹けば飛ぶようなねぐらだ。
日が落ちたせいか、あたりはだいぶ暗くなっている。冥日七時か八時といった具合だ。
寝るには随分と早い。が、フェルトは今日の出来事もあり、かなりの疲労が溜まっていた。今朝から仕事を一つこなしていたというのもあるのだろう。何の躊躇もなく、ベッドに一直線だ。
……盗みの依頼も、随分と多くなった。というのも、フィアラたちが有名になったというわけではない。汚れ仕事で有名になっても困る。単純に、達成率が上がったからだろう。依頼が失敗した回数など、片指で足りる。しかも大体は自信満々な依頼人のミスであったり、依頼人がこちらを嵌めようとしていたなど、フェルト側に落ち度がないことばかりだ。
それもこれも、誰のおかげかと言われれば。まず間違いなく。
「ふぅ、ただいま」
「ふぅじゃねーよ。そしてただいまでもない。二度と帰ってくるな」
「お邪魔します」
「邪魔するなら帰れ」
………さも当然のようにフェルトの隣に潜り込んでくる、この白髪の子供であるのだが。
純粋な戦闘能力。他人の目を引くという他人の隙を作るのにもってこいの力。今までのフェルト達に足りていなかったそれらをフィアラが補ってくれるおかげで、依頼の難度は上がっているはずでも、依頼自体は難なくこなせている。その報酬がセクハラの連打かと思うとフェルトも思わず手が出そうになるのだが。
ちょうど入り口に背を向けていたということもあり、もぞもぞと動くフィアラが背中に何度か触れる。くすぐったい感触が、フェルトの体に小さなしこりを残した。
「………今日はほんとに帰ってくれ。あんまり、構ってやれる気分じゃない」
「暗い中でこんなか弱い子供を一人で帰らせるなんて、冷たい」
「ぐっ……変なところでまともなこと言いやがって……」
痛いところを突かれる。こういう悪知恵が働くのは、フィアラの嫌なところだ。
例えか弱いとは全く別でも、フィアラなら万が一が起こらないとは言い切れない。それに、体の傷と心の傷はまた別だ。例え襲われて返り討ちにしたとしても、襲われかけたという事実は確実にフィアラの心に傷を残す。
「………何回も何回も。こんな埃っぽいとこ、嫌じゃねーのかよ」
反論がわりに、嫌味を投げつけた。顔を見るつもりはなかった。背を向けたままの会話。
「嫌いじゃないよ。フェルちゃんの匂いがする」
幸せそうな笑い声まで添えてそう言われてしまうと、もう言葉は出なかった。気恥ずかしさと、もう一つ別のものが浮かび上がってきて。それを認めたくなくて、悪態と共にフェルトは毛布の中へと潜り込んだ。
「気持ち悪ぃな、相変わらず」
「フィーをこんなにしたのはフェルちゃんだからね。責任とって」
「………あっそ」
言葉が、耳に入り込む。思考が侵食されていくような感覚が、さらに心に何かを残して、フェルトはさらに小さく体を丸める。
おかしい。おかしい。
一緒に寝ることだって、これが初めてというわけではない。だというのに。こんな感情は、気持ちの昂りは。体の熱さは。明らかにおかしい。
「………何か、あった?」
それを察してか。フィアラはフェルトの心の深いところに、なんの躊躇もなく踏み込んでくる。どこか甘さを感じさせる声音が、フェルトの心を揺さぶる。
フィアラは、変な大人よりもずっと鋭い。観察眼が育っている、と言った方がいいかもしれない。フィアラが生きていくための、処世術だったのだろう。半端な嘘ならすぐに見破るし、感情の機微にも
「なんも、ねーよ」
だからこんな嘘も、簡単にバレる。即興で作った脆い心の壁など、フィアラには通じない。
けれど。
「……わかった。信じる」
「───」
帰ってきたのは、痛いほどの信頼だった。無垢とはまた別に、無根拠とも取れる熱を持った、フェルトにとっては重すぎる想い。
わかっているだろうに。フィアラは嘘を嘘と知りながら、目を瞑ってくれる。こうして、自分の気持ちからも、フィアラからも目を逸らすフェルトと違って。
「なぁ。……何でお前、アタシみたいなのといるんだ?」
それは、純粋な疑問だった。
フィアラは、客観的に見て優良株だ。身内贔屓かもしれないが、フェルトに対するセクハラがなければ、完璧と言っても差し支えはないだろう。平民なら、否。貴族であっても、フェルトはともかく、フィアラなら養子に。という声は上がるだろう。
そのくらい、フィアラの価値は高い。そのフィアラが、どうしてこんなところで燻っているのか。どうして、フェルトなんかと一緒にいてくれるのか。それが疑問でしかなくて。
フィアラが答えるのに、一瞬の間があった。
「フェルちゃんは、フィーが邪魔?」
「そんなこと……!」
そして思いもよらない言葉に、振り向いて否定の言葉を返そうとする。
その双眸と、目があった。情熱と愛情の二つの色を持つ、綺麗な宝石のような二つの目が、優しく、蕩けそうな慈愛を持って、フェルトの続く言葉を止めさせた。
月夜に照らされたフィアラは、その純白さをこれ以上なく強調し、見る者の言葉を奪う。
その目から、目を離せなかった。離してしまえば、それがフィアラへの裏切りになってしまうように感じたからだ。
そうして、十数秒。フィアラにとってはそれが答えだったのだろう。嬉しそうに、小さく頷いて見せる。
「なら、離れない。……フィーは、二つの決め事をしてるの、知ってるでしょ?」
それは、度々フィアラが口にする言葉。おまじないのように、その二つだけに関しては、フィアラが譲ったことはない。
「………アタシから、離れない。それと、嘘をつかないってやつか」
「そう。頼まれても、フェルちゃんがフィーを嫌わない限りは離れてあげない。嘘だって、ついてあげない。フィーは嘘が嫌いだから。フェルちゃんとロム爺に対してだけは、嘘をつきたくない」
正面から向き合って、恥ずかしげもなくそう口にするフィアラ。その目に嘘や偽りを見るのは、それこそフィアラへの冒涜のように思える。
「アタシに、なにがあるんだよ」
「フェルちゃんには、良いところがたくさんあるよ」
「………言ってろ」
それ以上は恥ずかしくて、言葉を紡ぐことさえ難しくて。照れ隠しで、フェルトはフィアラから目を背けた。
こんなずるい自分に、一体何があるのだと、そう自嘲して。渦巻く胸中の思いを、深く、深く。眠りと共に、落とし込むために。
じっと、目を瞑る。
背中から伝わってくる温度がフェルトを眠りに誘うのに、そう長い時間は必要なかった。
──そろそろ、かな。
そして。少女が眠った末に。
万物全てを見通す目を。恍惚で潤ませた遺産を。深く、深く、愛おしそうに抱きしめながら。魔人の紛い物は、その口元を歪めた。
お風呂のシーンはもっとえっちに書きたかったですが、流石に18禁になりそうだったので断念。展開は考えていたのですが、そっち方向にしかならなかったので直前で変えました。
次回から愉悦入ります。